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それぞれの愛

 端花たんかが目を覚ましたのは太陽が高く上った頃だった。


「起きたか」


 双結そうけつが端花に気づき、寝台に腰かける。


「双結?どうして顕現して――」


 そこで端花は思い出す。昨夜、端花が精霊剣せいれいけんを抜いたのだ。


「双結、私――」


 端花の揺れる瞳が双結を捉えた。


「どうした、端花?」


 双結は柔らかい声で訊ねて、端花の髪をすく。さらりとした端花の髪は、指を通り抜けてまたもとの形に戻った。

 端花は掛けてある布団を蹴飛ばして、双結の背中に抱き着いた。双結はゆっくりと端花を引きはがし、彼女を自身の隣に座らせた。


「随分甘えただな。胴国にいた時のようだ」

「双結、ごめん」

「何を謝る。端花、俺に言いたいことがあるんじゃなかったのか?」

「言いたいこと、というか……」


 端花は口ごもり、双結にもたれかかる。


「今、混乱しているんだ」

「どうした?」

「私、ずっと師匠を愛してるのだと思っていた」


 端花の目から一筋の雫が零れ落ちる。


「師匠だけが私の唯一で、私は師匠が大好きだったから。師匠以外は別に気にもならなかったから。

 自分が最も好きな人が、師匠で、師匠にも私を好きでいて欲しかったから。そういう感情を、恋や愛と呼ぶのだと言っていたから」


 特に友人のいなかった端花だが、才能を買われて色々な国に赴き、様々な人の出会いや別れを見聞きし、学ぶことは多かった。芝居小屋では恋の話が演じられることが多く、端花はそこで愛や恋ということを学んだ。

 親はおらず、友人も双結という刀に宿る元神のみであった端花にとって、家族としての愛情も、友情もどんなものかわからず、家族でもなく友でもない師匠に抱く想いこそが、愛なのだと思われたのだ。

 もう少し歳を重ねれば、あるいは、理解できたのかも知れない。誠也が自分に向ける好意と、端花が優妃に向ける好意は少し違うのだと、気づけたかも知れない。

 だが端花にはそんな時間はなかった。浄化をして各地を回り、神力授与を終えてからは小国の源泉を涸らし、悪人として追われていた。常に優妃が一緒だったのも大きかっただろう。


「私は師匠を愛している。それは確か。けど、誠也が私を愛するような愛じゃない。

 右脚のりんと孤児、胴国の孔雀くじゃく様と紅石こうせき、頸国の銀杏ぎんきょう様とさい様。その間の愛情は、私にとって少し遠いものだった。

 親と子の愛情と、夫婦や恋人の愛情。それが違うものだと、天界から降ろされて初めてわかった」


 優妃が端花の想いに応えなかったのも、その違いを端花が認識できていなかったからだ。


「師匠は、私を愛してくれていた。けれど私が愛情を違って捉えたから、師匠は返事をしなかった。師匠は、私を、きっと自分の子どものように愛してくれていたから」


 だから、藍蝶らんちょうの気持ちが痛い程理解できたのだ。

 母に向けられる愛情に応えたい。自分を見て欲しい。喜んで欲しい。いつも自分を守り導いてくれる存在に、少しでも何か返したい。


「そうだな……」


 双結は顔を覆い隠す端花の頭を優しく撫でる。


「双結は、気づいていたの?」

「ああ」

「どうして何も言わなかったの?」

「俺は――」


 双結は一度手を止め、言うべき言葉を探す。


「俺は、お前を否定したくなかった。お前のその気持ちが恋であるか、それとも家族としての愛なのか。決めるのはお前自身だ。

 愛情の種類は多くある。それは確かだが、結局はすべて愛なのだ。その境界線は曖昧で、誰かにとっての親愛が誰かにとっての深い愛となる。

 それに、あの頃の端花は、優妃への愛だけが全てだった。真っ直ぐな愛情を、それを深い愛だと信じるお前を、違うのだと否定してしまえば、お前に迷いが生じるのはわかりきっていた。優妃のためにと源泉を涸らすことに、お前は少なからず罪悪を感じていたよ。源泉を涸らせばどうなるのか、追ってくる浄化士達に邪を差し向ければどうなるか、わかっていたはずだ。

 それでもその感情に目をつむった。結果は理解しても、そこに何の感情も、考えも抱かなくなった。そうすれば自分がつらいとわかっているから。

 優妃だけがよすがのお前に、優妃は止められない。ずっと良くしてくれた優妃には応えたい。何故ならお前は優妃を愛しているから。そして優妃への愛が、お前にとっての免罪符だった。愛する人のためだから。ただその愛に動かされただけであれば、他者のことを考えずとも済む。ひたすら優妃を愛すればいい。それがお前の生きる力となっていた」


 端花の涙は止まらない。

 彼女はどうして自分が泣いているのか、全くわからなかった。胸が苦しい、喉から嗚咽が漏れ出る。それでも、悲しいのか、悔しいのか、自分の感情が見えなかった。


「わからない。どうして、こんなにも涙が出るのか」

「お前は今、人生の全てを否定されたからだ」


 人を突き動かすものはいつだって感情だ。何かを想う気持ちがあり、それゆえに自分が自分として立っていられる。それは時に形を変えるが、その感情が否定されれば、人としての根幹が折れてしまえば、たちまち自分の形がぶれてしまう。


「お前の、前の人生は、全てが優妃のためだった。優妃を愛するお前の感情が、お前を形作っていた」

「私は、何を間違えたんだろう……」

「間違えてなどいない。新しい気付きを得ただけだ」

「でも、師匠を困らせた。深く考えずに罪を犯した。その結果多くの人が死んだ」

「ああ、お前は罪を犯した。それは悪いことだった。許されないことで、今更どうにもできないことだ。

 けれどどうしてお前はそうしたのか。お前がまだ子どもだったからだ。恋情と親愛の違いもわからぬほど、幼かったからだ。歳だけ重ねても人は育たぬ。

 お前はどんな形にせよ優妃を愛していた。彼女のために命さえ顧みなかった。その行為が、他者を傷つけることだと、理解はできても、そこに想いを寄せられなかった。

 お前の生きた道は間違いではなかった。ただ、お前の進んだ道が悪かっただけだ。進んだ道を悪と自覚し、反省するのは大切なことだ。だが、それを間違いにしてしまってはならない。それが妖端花だった。それだけだ」


 端花には双結の話がよくわからなかった。双結も、何か決まった考えを端花に伝えたい訳ではなかった。


「端花、お前の優妃への愛は間違ったものではない。今、それが親愛だったのだと、新たな気付きを得た、それだけだ。お前への優妃への愛全てがなかったわけでも消えるわけでもないのだ」


 双結は端花を膝の上に乗せ、涙を拭ってやった。


「端花、優妃が好きか?」

「好き」

「愛しているか?」

「愛している」


 端花は双結の胸に体を預け、愛しい師の姿を思い出した。


「今度はちゃんと、愛していると返して欲しい」


 双結は端花が泣き止むまで、ずっと頭を撫でてくれた。



*


 夜になると、神代主の夫が端花を訪ねてきた。


虎耳こじと申します。清様、此度は誠にありがとうございました」


 歳は神代主よりもかなり若い。疲れた顔をしているが、ほんの少しだけほっとしている表情だった。


「いえ、当然のことをしたまでです。華蘭様の具合はいかがですか?」

「そうですね……。以前に比べれば思いつめる顔はなさってませんが、まだ快調とはいえません。ただ、藍蝶様が残してくださったあの不思議な花が勇気を与えてくださっていると思います。研究者を集めて詳しく調べるように伝えていました。正式に学者の間で認められれば、空飛ぶ夢誘いの花を”藍蝶”と命名するようです」


 生きる目的があるのはいいことだ。何もなければどうしようもないことを延々と考え続けるはめになる。端花は虎耳の言葉に安心した。しかしどうもその口調が気になる。


「あの、神代主様はまだわかりますが……どうして神子様まで敬称で呼ばれるのでしょうか?」


 この場に誠也がいれば、端花が余計なことを口走る前に止められたかもしれない。しかし誠也は端花を清と認識している頃から、彼女の決めたことを自由にさせることが多く、それは清という浄化士が端花であると気づいてからもそうだった。

 虎耳は苦い表情を浮かべてから口を開く。


「清様、藍蝶様のお父上は、藍蝶様が生まれてすぐにお亡くなりになったのですよ」

「え」

「だから華蘭様は藍蝶様にかかえる想いが強く、厳しくすることもあったのでしょう。私はお二人の様子を知らないので何も確かなことは言えないのですが」

「虎耳様は、藍蝶様が亡くなられてから、神代主様の夫となったのですか?」


 虎耳はゆっくりと頷いた。


「清様、神代主の伴侶に役職はありません。神代主は神々の代わりに国を治めるもので、その子どもは神々の子どもです。けれど伴侶はその神の子を授かるために必要な一部に過ぎないのです」


 神代主の伴侶が死んでも、国としては困らない。国を治める神代主はいるし、その後継である神子もいれば、国は安泰だからだ。


「ですから、ようやく華蘭様が前を向いてくださり、国としては本当に助かったのです。今は神子様がおられませんから」


 国に神子がいなければ、民は不安になる。華蘭は藍蝶をなくして、長く失意に暮れていた。痛ましい姿に同情する声もあったが、まだ子どもを産める体の内に早く次の子を望む声も多かった。


「悲しいですよね。同じ人間なのに、()()()()()()子を作る必要があるなんて。華蘭様は特に、前夫を愛していらっしゃいましたから。我が子を失くしてすぐにあの方以外の子を望まれるのは苦しかったでしょう」


 虎耳の声は同情に溢れており、心の底から華蘭のことを心配しているようだった。


「虎耳様は、どうなのですか?」

「私ですか?」


 虎児は驚いた。神代主の伴侶はあまり注目されない。それも後釜の伴侶など、宮でも子を作るための道具としてしか見られない。


「ご心配頂きありがとうございます。けれど私は大丈夫ですよ。

 私は歳も離れていてあの方の目には止まらなかったけれど、そのおかげでこうして、次の伴侶に選ばれました。あの方の一番は変わりませんけど、それでも、あの方に私との子を産んでいただけるなんて、これほど喜ばしいことはありません。

 それは高望みかもしれませんね。でも、一番近くで、華蘭様を支えられるのなら、それだけで嬉しいのです。本当に」


 そこで何故か、顕現したままの双結が瞳を揺らした。


「虎耳様は、華蘭様がお好きなのですね」

「ええ、とても大好きです、愛しています。だから一先ず、華蘭様の憂いが少しでも晴れたことがとても嬉しいのです。

 清様、ありがとうございます」


 虎耳は片膝をついて深く首を垂れた。それが彼の心の全てを表していた。

 彼が神代主の伴侶として選ばれたのは、若さも関係しているだろう。子を作るには若い方がいい。当然それを期待されていることはわかっている。それでも彼は無理に華蘭に次の子を産むように言うのではなく、ただ寄り添って彼女を支えた。

 虎耳の家柄はわからないが、それでも宮中の者や国の民から不満を言われたり、根も葉もない噂を流されたりはしただろう。それが仕事なのに、何故しないのかと。それらに耐えながら、ひたすら神代主に献身したのは、彼女を深く愛していたからだ。


「虎耳様、」

「ええ、体面が悪いのはわかっています。けれど、どうしてもこうしたかったのです」


 虎耳は立ち上がると、端花に微笑んで見せた。


「清様、お疲れのところ、失礼いたしました」

「いえ、足をお運び頂き、ありがとうございました」


 端花は礼をして、立ち去る虎耳を見送った。


「双結、やはり私はあのような愛を師匠には向けられなかったよ」

「当然だ。同じ形の愛など存在しないのだから。お前はお前で、優妃をとても愛していたよ」


 双結はまだ部屋の出入り口を眺めていた。


「あの者は、本当に真っすぐに華蘭を愛しているのだな」

「双結?」

「いいや、何でもない。端花、もう休め。明日には右脚に戻るのだろう」


 双結は寝台を整えるためにようやく目を向ける先を変えた。


「うん、そうだね」


 端花はずっと見続けて来た双結の背中が、急に見慣れないもののように感じられた。常に側にあったその身が、遠くの場所に行ってしまったような気がした。

 端花たんか優妃ゆうひへの愛情は、親への愛となりました。

 別の人にとっては、それも孔雀くじゃく紅石こうせきとの愛と同じかもしれませんね。

 虎耳こじの話は入れるか迷ったのですが、補足として。

 端花の愛についてはどこで入れるか迷ったのですが、もうそろそろ気づいてもよい頃かと。本当はもう少し丁寧に書きたかったです。力及ばず。

 次回は久々に誠也せいやに会います。誠也が端花を放任しがちなのは何故か、双結についての話もいつか触れられるといいなと思います。

 物語の転換点となるので、後書きが長くなりました、すみません。次話以降大きく話が動く(といいな)と思います。

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