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頸国にて(六)

 無事に怨邪の浄化が終わり、頸国けいこく浄化士の間で今回の騒動についての話し合いが行われた。誠也せいや端花たんかはそれが終わったのち、神代主しんたいしゅに呼ばれた。


「お待たせしたね」


 神代主はどこか疲れた顔をしていた。

 端花と誠也を招き、卓を挟んで座るように促した。


「浄化を手伝ってくれてありがとう」

「いえ、浄化士として当然のことです」


 椅子に座って誠也が答えた。右脚国うきゃくこくの士服に着替えた端花もそれに頷く。


「君たちも気になっているだろう。今わかっていることを話そうか」


 彼の一番新しい妻、さいは十年前に亡くなった。浄化も行い、邪の発生は防がれており、神代主自身、最後に彼女から離れる時邪気は感じなかったという。


「まず、気になるのは三点だ。邪気が近づく気配もなく、怨邪はいきなり現れた。それは何故か。そして邪となるのは普通死んでからすぐだ。十年経った今現れた怨邪だが、怨邪となったのは十年前。一体それまでどこにいたのか。一番大事なのは、いつどのようにして怨邪が発生したか。

 最後については調べがついた。彼女と共に収めた装飾品――私が彼女に贈った簪がなくなっていた。彼女は死後、私が簪を棺に納めてから埋葬されるまでに簪を奪われ、邪となった」


 基本的には死ねば魂は清らかな気となり天に昇る。しかし、稀に分離した邪にまだ当人の意志が残っていることがある。生前何かに執着していた人は普通の浄化では邪気を全ては浄化できない。


(たしか、神子様が言っていたな。母親は異様なほど神代主様を愛していたと)


 だがそれでもよっぽどのことがない限り怨邪になることなどない。たいていが数日もすれば自然に浄化されるか、ただの邪として浄化される。


(だから埋葬されるまでと区切ったのか。確かに土に埋まる前の方が手は出しやすいし、それくらいならまだ彼女の邪気が完全には浄化されていないだろう)


「では神代主様が賽様に贈られた簪を持っているものが犯人なのですね」

「ああ、そうだろう。市に流せば最悪出所を辿られるし、彼女はかなり気に入ってつけていてくれてたからね。どこかで誰かが気づく可能性が高い。

 誠也、端花、すまないがもう少し頸国に留まってくれないだろうか?恐らく簪を奪った者を見つけるのには時間がかかるだろうが、今回の件の不可解な点について、端花に意見を聞きたい。加えて数日後にこの国で浄化士の会議が開かれることになった。誠也には怨邪を浄化した当事者として事情を説明してほしいんだ」


 神代主は誠也と端花、それぞれに向かって話し、深く頭を下げた。艶のある綺麗な黒髪が卓の上に流れる。


「おやめください。神代主様に言われずとも、この件を解決するまで頸国を出るつもりはございません」

「私もです。今回の裏にいる人物には、思うところがあります」


 同意を求めた先の端花が、予想以上に強く返したので誠也は驚いた。


(あの時ほどではないが、胴国で作られた怨邪を見た時と同じ反応をしている)


 実際、端花は怒っていた。胴国で思った通り邪気分離と同様に、邪を移動させる手段も伝わっていたと考えて間違いない。神代主に思い当たる節がないのであれば、こちらはごく一部の人間にのみ。

 邪気分離ほど危ないものではなく、方法も非人道的ではないが、今回に関しては最悪な使われ方をした。


(魂から分離した邪にもう当人との繋がりはない。天界ではすでに受け入れられた後だろう。それでも、もとは一部だった邪を十年も現世に縛り付けるとは……)


「端花、君は少し変わったね。戻った、というべきか」

「え?」

「いや、何でもないよ。承諾してくれてありがとう。今日はもう休んでおくれ。端花には明日話を聞きにいくよ」


 端花と誠也は礼をして部屋を退出した。

 しかし角を一つ曲がったところで呼び止められた。


「清!」

「神子様、こんな時間に――」


 真っ青な顔をした銀葉ぎんようが息を切らして現れた。ずっと探していたのか、うっすらと汗がにじんでいる。


「清、私、わたし……」


 胸の辺りを両手で抑えた神子は、視線をうろうろ彷徨わせてから、誠也と端花を見上げた。


「清、私は今から父様のところへ向かうわ。ついてきてくれる?誠也も一緒でいいから」


 事情はわからなかったが、今ここで聞くことでもないだろう。誠也と端花はお互いに顔をみやって、頷いた。


「かしこまりました、神子様」


 来た道を戻り神代主の部屋を再び訊ねると、驚いた顔の神代主に迎え入れられた。


「どうしたんだい?銀葉、顔色が悪い」

「父様、ごめんなさい!ごめんなさい、私!」


 神子は頬に伸ばされた父親の手に縋って泣き始めた。


「私が、私が母様を怨邪にしたんだわ!」


 神子は涙で顔を濡らしながら自分の胸元を探り、何かを掴むと、その手を開いて見せた。


「これは――」


 彼女の小さな手には見事なぎょくの簪があった。色とりどりの玉が色彩のバランスを取って配置されており、華やかな髪飾りであった。


「銀葉、これはどうやって、」

「ごめんなさい!棺の管理をしている者に頼んだの。最後にもう一度母様の顔が見たいって、嘘をついて。母様が父様に頂いた簪を大事にしてたのは知ってたの、だから!」

「落ち着きなさい」


 神代主は優しく娘の涙を拭ってやり、椅子に座らせた。


「銀葉、何か勘違いしているようだね」

「え?」

「その簪は、もともと銀葉のものなんだよ」


 神子は大きく目を見開いた。その後ろに立つ端花と誠也は何となく気づいていたので驚きはない。その簪はどう見ても小さな子供用の大きさだったからだ。


「それにね、その簪が棺からなくなったことは知っていたんだ」

「どういうこと、ですか?」

「私が賽に簪を贈った時、お返しに私に、そして薫衣くんいと銀葉に贈り物をしたいと彼女が言ったんだ。親として二人への贈り物は一緒に見立てて欲しいと」


 神代主は少し前のことを思い出す。


『薫衣は跡継ぎとして命名権が私にはなかったけど、銀葉には貴方と似た響きがいいって理由で名付けてしまったから、あの子、銀の飾りばかり頂いて。少し後悔しているの。白地に銀の頸国では銀の飾りは目立たない。たくさん色を入れた飾りを贈りたいです。この簪を誂えたお店を紹介してくださいますか?』


 十年前の出来事など、永くを生きる銀杏ぎんきょうにとってはまだ新しい。恥ずかし気に微笑んだあの顔をまだ覚えている。


「薫衣には渡せたが、銀葉に渡す勇気がでなかった、また今度渡すのだと言っていた。それが棺に納められていた時、結局渡せずに終わったのだと知った。けれど納棺の後、もう一度彼女の顔を見に行った時、最初は二本あった簪が一本になっていた。簪を頼んだ時にいた使用人の誰かが銀葉に渡してくれたんだろうと思ったんだ」


 しばらく神子はじっと固まっていたが、神代主の言葉を理解してようやく収めたはずの涙をまた溢れ返させた。


「そ、そんな、わたし……」

「まさか銀葉自身でとは思わなかったし、それには驚いたけれど、銀葉が賽を怨邪にしたわけじゃない」


 神代主は神子の手をそっと丸め、その簪を握らせた。


「神々のお導きだろう」


 そうではない。神々はこの世に干渉しない。祈りがあれば少し自然を操る程度。そしてそれは神代主であり預泉であり、永くを生きる銀杏が一番知っていることだ。それでも彼がそう言ったのは、娘の罪悪感を消す為だった。


「すまないね、銀葉。賽と君の関係が良くないのは知っていた。そして薫衣の抱いている劣等感や君の私への不信感も。けれど私は君たちに干渉しなかった」


 神代主の声は静かな夜の中に溶け込むように響いた。


「知っての通り、神力授与を得られなければ君たちの身体は老いていく。そうなれば私はまた、新しい子を作る。宮に住まうのは神代主とその妻、子ども一家族のみ。そして神代主の候補から外れた神子は宮を出る決まりだ。私が神力授与を受け続ける限り、子どもたちは宮を出て行く必要がある。その時に、この宮への想いは、私への想いはない方がいいと気づいたんだ」


 それはひたすらに同じ事を繰り返す中で、神代主が学んだことだった。愛した子どもが宮を離れるのは寂しい。そして何より、自分が神代主であり預泉であるせいで宮を追い出される子どもたちを見るのが、寂しげに微笑む顔、裏切られたような顔、泣きはらした顔を見るのが、つらかった。そんな想いをさせたくなかった。


「賽は、元より体が弱くてね。どこよりも安全な宮に引き取る意味も込めて妻とした。しばらくは嘘みたいに元気でね、子どもを産むことができないと思っていた彼女は薫衣の誕生をとても喜んだ。けれど出産の負担は重く、そこからしばらくは体調を崩してね、ようやく落ち着いて完全に回復してから銀葉を授かったんだ」


 それゆえに薫衣と銀葉の歳はかなり離れている。


「けど、母様は一度だって私を愛してくれたことなんか……!!」

「それが彼女の愛だった。

 彼女が私を愛していてくれたことは確かだ。私の立場を想って負担がかかるのに跡継ぎとして薫衣を産んでくれた。そして何より、銀葉まで産んでくれたことが彼女の私に対する愛だ。

 けれど残念なことに、彼女の寿命は永くなかった。神々の威光の行き届く宮中においても、彼女の身体が丈夫になるわけではなく、彼女の身は病に蝕まれていった。

 下手をすれば幼い君に病が移ってしまう。幼子というのは本当にか弱い存在でね、彼女は君を避け続けた。自分のせいで娘を危険な目に遭わせるわけにはいかなかったんだ」


 銀葉は簪を握りしめて膝の上に顔を伏せた。まだ小さい背中が小刻みに揺れる。神代主はその背をゆっくり撫でてやる。


「君をなくしてしまいそうで、その簪を手渡すために近づくことさえできなかったんだよ。

 私から君に渡してもよかったけど、それは彼女の贈り物だから、そうはしなかった」


 神代主は瞳に後悔を滲ませた。しかし声色はまだ幼子を諭すそれで、静かに床に膝をつき、愛娘をそっと抱きしめる。


「つらい想いをさせてばかりですまない。銀葉、愛しているよ、賽もね。

 君だけじゃない、私は妻も、その子どももみんな愛している。とても大切な存在だよ」


 腕の中の子どもを宥めながら、神代主は誠也に微笑んだ。誠也は頷き、退出の礼を無言で行った。端花もそれに倣い、親子を置いて部屋を出た。


 「端花、少し付き合ってくれ」


 部屋には戻らず、誠也は宮の外に出た。そして酒を一つ買うと、宮に戻り、その部屋の一つを訪ねた。


「夜分に失礼いたします――薫衣様」


 神代主の息子、薫衣の部屋だった。使用人から報せを聞いていた薫衣は、不機嫌な顔で誠也たちを部屋に通した。いくら嫌な人間でも、立役者を追い返すわけにはいかなかった。


「珍しいな、誠也殿」」


 使用人を下がらせた薫衣は、応接間の机の一つに二人を案内し、茶でもてなした。


「用は早く済ませよう。薫衣様、どうぞこちらを」


 誠也は先程買った酒を机の上に置いた。それなりに高い酒だったが、端花の思った通り神子の顔色はむしろ悪くなった。


「これはいったい、どういうつもりだ?」

「お詫びです。お父上の御前で、私が手柄を上げてしまったので」


 嫌味にも聞こえるが、誠也からしてはこれが本心だった。今までは何も気にしなかった。薫衣が神代主にどう思われようと構わなかった、興味もなかった。


「ふざけているのか?」

「いいえ。私なりの尊敬の念ですよ。薫衣様はどうして浄化士になられたのですか?」


 誠也の突然の質問に、薫衣は文句を言いかけた口を閉じた。


「神代主様が預泉であるからといって、神子であるあなたが浄化士になる道理はない。預泉は囲山家の者が引き継げる」


 どうして浄化士になったのか。単純な動機だ。父を支えたかったからだ。

 薫衣が幼い頃、銀杏はとある連の葬儀に参加していた。酷く疲れた顔で帰ってきた父を、まだ具合の悪そうな母が慰めていた。


『やはり、子に先立たれるのは悲しいね』


 いつも穏やかで、冷静で、取り乱す姿など想像もできない父親が、憔悴していた。その顔や声が忘れられなかった。歳を重ねれば、その意味がわかった。父は神力授与を受けた浄化士、子どもは宮を出ればただの普通の人間だ。老いるのは子どもの方がはやい。

 それならば、自分も浄化士になって神力授与を受ければいい。浄化士の修練は厳しく、神力授与を受けるのは難しい。それでも自分が父にあのような思いをさせたくはなかった。歳の離れた妹も浄化士にしようと修練に参加させた。おかげで妹には嫌われたが、彼女が目指そうと思えば神力授与は得られるほどに育てた。浄化士ではないので実践の場では救護くらいしかできないけれど。


「私は――いや、あなたに話す義理はない」

「まあそうですね。では私は真実を知らぬまま、私の思うように想像し勝手に尊敬いたしますので、どうぞお受け取りください」


 誠也の言葉に裏を感じなかったのか、薫衣はしぶしぶといった感じで酒を受け取った。そしてそのまま席を立とうとする。


「味見されませんので?」


 誠也に不思議そうに呼び止められ、神子はぎくりと固まって席に着いた。貰い物には何が混じっているかわからない。味見と称して送り主が毒見してから受け取る側が少し口に入れる。そこで味の感想を言うというのが一連の流れであった。


「誠也、受け取った者をどうするかはその人の自由だ。誰かと飲みたいかもしれないし、今度席でも用意してもらって、そこに誠也が参加すればいいだろ」

「まあそうだが……」


 神戴国しんたいこくの神子からすればそれは常識外れであった。しかし神子は端花の案を採用したようだった。今度こそ席を立った。


「せめて私が運びます」


 端花は酒を持って神子につき従い、貯蔵庫に酒をしまってからぼそりと呟く。


「お酒、苦手なのですよね」


 独り言として聞き逃してくれてもよかったが、神子はそれに反応した。


「よくわかったな」

「宴でもお酒が進んでいなかったので。それに、悪酔いするタイプですね」

「なっ、」

「こっちはかまをかけただけです。酔った人にかなりの嫌悪を示していましたし」

「それで?馬鹿にしても何もないぞ」


 呆れたように言う神子に、端花の方が呆れた顔をした。


「そんなのわかってますよ。ただ酒に強くなる方法をお伝えしようと思ったまでです」

「何?!」


(ずいぶん食いつきが良いな。神子ともなれば酒の席に呼ばれることも多い。飲めないとたしかに不便だ)


「神子様が強くなるわけではないんですがね。頸国の北の方の草原に埋もれるようにして垂れ下がっている実があるでしょう?それを潰して先に口に含めば酔いを打ち消してくれますよ」

「本当か?!」

「はい。人は基本的に酔いたい生き物なので、あまり知られてはいないと思いますが」

「ありがとう、清」


 神子はぎこちなく笑った。

 ずっと不機嫌な顔の神子の笑顔は初めて見た。


(笑えば神代主様に似てる……)


「しかしどうして私にこんな助言を?」

「それは……」


 誠也は酒が苦手な神子に酒を贈った。無意識とはいえ、心象は悪いだろう。偶には端花がしりぬぐいをしてやってもいいかと思っただけだった。


「私が我慢することが嫌いだからです」

「我慢?」

「ええ。神子様は浄化士としてとても優秀です。今回も私的な感情を優先せず、誠也の指揮に従い浄化に努めておられました。酒が苦手でも宴に参加し、近しい者が過ぎれば諫める。本当はあの時、もっと誠也に言いたいことがあったでしょう」


 酒を飲んで饒舌になった取り巻きを止めたのは、酔った故の失言に嫌悪があるからでもあるだろう。だが、多少の嫌味を言っているところを見れば、誠也のことは相当嫌に思っているはずだ。それでも上の立場の者として諫めた。


「心の内を読まれているのは恥ずかしいな」


 適当な言い訳に、神子は先程より表情を緩めた。

 ずっと一人で努力してきた。母をなくし、周囲の者の誹謗に耐え、幼い妹を導き、あまり振り向いてはくれない父のために自分の力を磨く。彼自身そのことが大したことであるとは思っていない。小さな日々の積み重ねだ。けれど、それに気づき、認めてくれる言葉は嬉しかった。


「私は神子様の全てを測れるわけではありませんよ。これで宴くらい気を抜いて参加できるといいのですが」

「十分すぎるくらいだ」


 神子は優しく端花の頭を撫でた。

 そこへ痺れを切らした誠也がやって来た。不機嫌を隠しもせず、


「何してる?」


 低い声でそう言った。


「何も」

「ではこれにて失礼いたします。清、来い」


 端花は誠也に腕を引かれた。


「神子様、失礼いたします」

「ああ。誠也殿が嫌になればいつでも頸国に来るといい」


 神子の言葉に端花の腕を掴む力が強くなった。


「誠也、痛い」

「いいから」


(なにも良くない!)


 結局誠也は自身の部屋に戻るまで手の力を弱めることはなかった。 

終わりませんでした。

続きます。

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