頸国にて(三)
「とりあえずは、左脚に行くことだね。君たちの処刑を行ったのは我が国だが、遺体の埋葬に関しては左脚に頼んだから」
「そうですね」
端花が死んでいない、ということは彼女の身体がまだ生きてどこかにあるということである。頸国から左脚に移されたのであれば、そこを調べるのが当然だろう。
「せっかく時間があるのだから、焦らずいこう。まずは休息だ」
神代主のこの言葉で、端花は退出の挨拶を行った。
扉の向こうに案内人が控えており、端花はその後に続いて客室へと案内された。
「お話の間に整えさせて頂きました。夜は冷えますので、羽織をご用意しております。宴の際にはぜひお召しになってください」
質素だが品のある部屋に、一枚の羽織が掛けられていた。白い生地に青い刺繍が入っている。右脚の色である。使用人の目線から察するに、端花の剣を隠せということだろう。
「ありがとう。私は誠也を探すから、宴の時の迎えはいらない」
「かしこまりました」
明らかにほっとした顔になって使用人は下がった。
端花は羽織を身につけ、直ぐに廊下に出た。適当に歩き回っているうちに見慣れた背中を見つけ、声をかけようとした時だった。
「ああ、これは右脚国囲山家の麗誠也殿」
誠也の前に人が現れ、端花は咄嗟に廊下の角を曲がってその身を隠した。
「薫衣殿。お久しゅうございます」
(誠也の知り合いか?神代主はともかく、頸国にそれほど知人がいるなんて……)
意外な面に驚きつつも、誠也の知人ならば大丈夫かと廊下を曲がろうとしたところで、
「ちょ、ちょっと、何してるのよ!」
慌てたような声が聞こえ、端花は腕を引かれて近くの部屋に引きずりこまれた。
部屋の中には端花の腕を引いた人物が一人のみで、文句を言おうとした口を塞がれる。
「喋ってもいいけど、大きな声出さないでね」
端花がこくりと頷くと、口を塞いでいた手が離れた。
気安い口調ではあったが、その身に纏っている服から見て、神代主の子ども――神子と見て間違いないだろう。
まだあどけなさの残る少女だが、勝気な瞳が大人びた雰囲気を醸している。
「あの、何故私はここに連れ込まれたのでしょう?」
「はぁ?!どう見ても一触即発の空気でしょ?そんなところに飛び込んでいくなんて、正気?!」
小声で憤って見せた彼女の視線を辿り、誠也たちのいる方へ耳を澄ませば、確かに彼らの会話には緊張があった。
「誠也殿、慣れぬ宮ではあまり一人で出歩かぬほうが良い」
「神子様のご心配には及びませぬ」
神子の方は声に険があるし、誠也も口調は丁寧なもののはっきりとした拒絶を示している。
「はっ、どうだか。父なしの誠也様は躾がなってないやも……」
誠也でも神子でもない声は、神子の従者だろう。明らかに侮蔑の色を孕んだ声に誠也は押し黙った。
「おい、言葉が過ぎるぞ」
何故か神子が従者を窘め、端花は僅かに目を細めた。
(この二人は明らかに仲が悪い。なぜ誠也をかばう?良識がある人物には見えないが)
「はぁ、まったく。兄様も困ったものだわ」
誠也と神子が別れ、人の気配がなくなったところで、端花を部屋に連れ込んだ神子がしんそこ呆れた声を出した。端花が振り返ると、神子が意味ありげに視線を交わらせた。
「いくら誠也を目の敵にしたって、何の解決にもならないのにね」
にっこりと口の端を上げ、端花に熱い視線を送る。
(ああ、これはあれだ)
ぜひとも話を聞いて欲しいという熱い視線に負け、端花は神子に向き直った。
「いったいどういうことですか?」
「親と子は必ずしも似ないということよ」
嬉しそうに告げられた言葉に、端花は少し興味をそそられた。
「まったく意図が読めません」
「そうね、単刀直入に言うならば、私の兄は無能ということよ」
ばっさり言い捨て、
「あ、別に一般的に見れば優秀な部類に入るとは思うけど」
と付け足す。
「兄様はね、劣等感が強いの。20歳で神力授与をしているから、浄化士としては優秀な方でしょう。札も上手く使うし、努力も怠らない。けどね、父様のような寛容さもなければ、聡明さもない」
「それのどこが劣等感と関係が?」
端花が訊ねたところで、神子は目をぱちりと瞬いた。
「あなた、随分と遠慮なく訊くのね」
「よく言われます」
「いいわ、私がおしゃべりするには丁度いいから。宮の使用人は父様には従順でも、神子である私達を見下してるもの」
ぽろりと零された不満に、頸国の異様さが現れている。
普通、神代主の家族は大事にされる。何故なら基本的に神代主は世襲であり、神子が次の神代主になるからだ。しかし頸国では違う。浄化士、それも預泉が神代主を兼ねるからである。
預泉は神力授与が済んでいる者が多く、老いることがない。この頸国においては永らく銀杏が神代主かつ預泉であり、その家族はその時々によって変わる。彼自身も述べていた通り、彼は永くを生き、多くの者を妻としてきた。後継を残すことが神代主の一つの役目であるからである。
彼自身は老いずとも、神力授与を受けない、もしくは継続できない者は自然の摂理に従って死ぬ。当然ある時に誕生した後継は歳を重ねれば老い、その役目を果たさなくなる。そこで新たな妻を迎え、後継を絶やさぬようにするのだ。
つまりは頸国での神子とは形式的な後継者であり、その立場のまま一生を終え、神代主となることがない。あまりにも長い間続いた習慣が、神子の価値を下げていったのだ。
だが神子はそうは考えなかったらしい。
「それはそうだわ。だって、あんな女の子どもなんですもの」
片方の眉をぐっと眉間によせ、何かを怨むように虚空を睨みつける。
「あんな女?」
「あら、あなたも子は母を愛すべきと言うのかしら?」
端花は口を閉じた。彼女にも当然両親がいるが、その存在自体については何も知らない。彼女が物心ついた時には二人ともいなかったからだ。
「子は、母を愛すべきなのですか?」
「……あなたはどうだったの?」
「私に母の記憶はありません」
今度は神子が閉口した。予想外の答えに驚いたのだ。しかし浄化士には孤児も多い。
「そうなのね。では母に代わる存在の人は?あなたを心の底から愛し、慈しんでくれた人はいた?あなたはいったい誰に育てられたの?」
神子の声は震えていた。唇を引き結び、何かを耐えるように両手を握りしめる。
「私は師に育てられました。私を心の底から愛してくれていたのかはわかりません。けれど慈しみを持っていてくれたことは確かです」
端花の想いにに優妃が応えたことはない。恥ずかしそうに、困ったような笑みを浮かべるのみだった。それでも端花は優妃に大事にされていたことは確かだ。罪のある子どもを拾い、傍において育ててくれた。だからこそ端花は優妃が大好きだったのだ。それに応えるために彼女の望み全てをかなえたいと思ったのだ。
「そう……。つまり実の母はいないけれど、真実の母はいたのね」
神子は全身の力を抜いた。同時に幼さが消え去り、ひどく疲れきったような、諦観だけが残った。
「真実の母?」
「ふつう母親とはそういうものよ。程度に差はあれ、愛情を子に向けるの」
「けどその人は私の母ではありません」
「だから言ったでしょう、真実の母と。血の繋がりなどなくても、人は親子の縁を結べるわ」
「そのような話は初めて聞きました」
端花の心の中の何か、そこに存在していた確かなものが不意に曖昧なものへと変化した。それが何かはわからない。わからないから、端花は不安を抱いた。
「そう?とにかく、私の実の母は真実の母ではなかったの」
神子にとってはその話は前提のものであるらしく、神子の話し相手となっている端花は胸の内のもやを抑え込んだ。
「あれはいうなら女、ね。生涯女だったわ。
父様はいうなれば完璧な人よ。欠点など見当たらない。あえて挙げるならばそれが唯一の欠点かしら。
あの女は父様を異様なほど愛していた。お忙しい父様の部屋まで押しかけたり、わざと病弱に振舞って気を引いたりしてね」
「それはただの嫌がらせじゃないですか?」
「ふふ、あなたはまだ愛を知らないのね」
少女は目を細めた。その笑みは妙に艶やかで、大人の女を思わせた。
「愛情というのはそこら中に存在するわ。それこそ親子間や兄弟間、友人間など。けどね、その中で一番やっかいで一番醜いのが人を狂わせる愛よ。自分で自分を保てない。他者に操られているかのように激情が胸に押し寄せるの」
(そんな愛は知らない)
端花は優妃の言うことに従った。源泉を涸らすのがいけないことだとはわかっていたが、優妃が望むならと実行した。けれどそれは端花自身の判断であり、実際にその影響を目の当たりにする前の端花であれば、いつだって同じことをしただろう。彼女の意志によって。
「私を産み落とした女は、狂っていたのよ。いくら父様が完全無欠であっても、あの女の血を引く子どもだもの、兄様が父様になれるわけがない」
「では兄神子様は神代主様に劣等感を?」
神子ははっとしたように端花を見つめ直した。もともとはそこから始まった話である。
「そうね、もしかしたらそうなっていたかも。幸か不幸か、兄様にはもっと身近な比較対象が存在してしまったのよ」
「それが誠也ですか?」
「ええ。浄化士は神代主ほど世襲に捉われない。いくら預泉家や囲山家の生まれであっても個人に実力がなければ神力授与は行えないし、あまりにも力がなければ囲山家から預泉が出る。
麗誠也は20歳でも若いと言われる神力授与を16で受けたのよ。しかもあの妖端花によって荒れていた時代に、多くの邪を浄化した。囲山家出身とはいえ優秀すぎるくらいだわ」
それは端花の知らぬ話だった。その頃にはもう、優妃と源泉を涸らすことに集中しており、誠也のことなど気にしていなかった。偶に出くわした際に短く言葉を交わす程度だったのだ。
「まあ兄様にとってはその事実より、父様が誠也を認めていたことが大きかったのだと思うけれど」
「神代主様が?」
「ええ。父様直々に頸国の札を送ったり、労いの言葉をかけたりね。まるで――」
神子の視線が宙を彷徨う。その大きな瞳には羨望の色が滲んでいた。
「まるで?」
「何でもないわ。長く話し過ぎたわね。そろそろ出ないと宴に間に合わない」
「ああ、そんな時間でしたか」
「お喋りに付き合ってくれてありがとう。会場まで案内するわ」
「ありがとうございます」
端花は先に立ち上がり、手を差し出す。神子は一度躊躇ってからその手を取り、立ち上がった。
「清、というのよね……その、この場での話は秘密にしてくれる?」
神子が端花の手を軽く握った。端花は外に出ようとした体を返し、その手の甲にそっともう片方の手を添える。
「もちろんです。もとより話す相手もおりませんよ」
「そう、それなら私程度には信用できるわ」
自嘲の混じった言葉に、端花は胸が苦しくなった。これが何に由来するのか、その対処法もわからなかった。
「神子様のお話は大変興味深く、他に流すにはもったいないほどです」
そう告げるだけで精いっぱいだった。正しい言動とも思えない。けれど、
「ふふ、ありがと」
少女らしく可愛らしい笑みを浮かべた神子に、端花は呼吸が楽になったような気がした。
神子様は右腕の神子に恋してます。
続きます。




