頸国にて(一)
端花と誠也は右脚国に戻った。
「清……お前は端花だな」
帰国後の整理をすることもなく、誠也は屋敷に戻ってそう言った。
もともと誠也の屋敷には使用人がいない。必要があれば囲山家の中から派遣してもらうので、困ったこともない上に、こういう秘密の話をするには都合がいい。
家具でさえ最低限に抑えられており、部屋の主である誠也は座椅子に座っている。端花は精霊剣を差したままで突っ立っていた。
「とりあえず腰を降ろせ。できるなら双結を顕現させろ」
誠也の言葉に従い、端花は腰から剣を抜き、精霊剣を鞘から抜いた。光と共に現れた双結は、端花から剣と鞘を受け取り、自身で収めた。端花はそれを確認してから座り、双結もその斜め後ろに腰を下ろす。
「俺が命神と知っても不遜な態度は変わらんか」
「既に天界から降ろされたんだろう?連神も天から降りればただの人として扱われる」
「神と人間を同列に語るか」
「何にせよ、お前は神としても人としても許されざる行為をした。それが事実である以上、俺はお前を尊ぶことはない」
端花の生前、小国の源泉を涸らしたのは、その息の根すら止めたのは精霊剣に宿った双結だった。源泉の核はことごとく精霊剣によって破壊されたのだ。
(道理で源泉の核を簡単に壊せるはずだ。元神なのだからな)
「端花、まずはお前について聞かせろ。
繫留神様と話した時、人を愛することがどうとか言っていたな。神子様について何か探るようなことはしない。ただ、それが神子様だけでなくお前に関する話でもあったことは確かだ。
端花、お前はどうして地に降ろされたんだ?」
あの時の内容だけでは誠也が真実にたどり着くのは難しいだろう。適当な話を作ることはできないが、誤魔化すことはできる段階の情報しか流れていない。それでも、端花は全てを話すことにした。
天界で受け入れられないと頸神に言われ、誠也のもとに降ろされたこと。最初は女性を愛したことが罪であり邪道で、それゆえに魂から邪気が離れ切らなかったのではないかと思ったこと。しかしそれが誤解であり、本当は端花はまだ死んでいないのだということ。
「お前は以前、『愛ゆえにここにいる』と言っていたな。そしてそれゆえに悪いことをしたと言った」
「うん」
誠也は真っすぐに端花の目を見た。
「お前が愛した人は、妖優妃――お前の師匠だな?」
端花の目に映る誠也の瞳は、複雑な感情が入り混じっていて、誠也の心がわからない。
誠也は端花が好きだった。それは端花が罪を犯してなお、そして死んでなおそうだと言った。
端花が受け取ったことはないが、誠也は何度も端花に思いを告げた。端花は誠也の想いを知っていながら、そして今もそうであることを知りながら、自分が端花であるということを隠してきた。
端花が地上にいることは、胴国預泉の反応を見る限り一部の者には知らされているのだろう。そしてそれで捕らえられることがないということは、端花を妖端花として捕らえることはできない。
(誠也は私のことをどう思っているのだろう)
罪を犯していながら未だ死にもせず、捕まえようと思っても大義名分がない。誠也の反応を見るに、端花は事情を知らない者にはただの清という少女にしか見えない。
端花は誠也に問うこともできず、僅かに目線を下げて頷いた。
「そうか。
お前は『死ぬことができない』と言ったが、それはなぜだ?」
「あ!」
端花ははっと顔を上げた。端花自身がその条件を満たすことを諦めていたため、すっかり説明を忘れていた。
何となくそれを察したのか、誠也が見慣れた呆れの表情になり、その場の空気が少し軽くなる。
「頸神様に言われたことがある。私は怪我をすることも痛みを感じることもある。けれど決して死ぬことだけはないと。
今の私がどのような状態なのかは全くわからないけれど、仮に本来の通り死んだとしても、私は頸神様の条件を達成しない限りは死ねないと思う」
「神は嘘をつかないからな。
それで、その条件は何だ?」
「私が愛する者に殺されること」
誠也は思わず息を飲んだ。
「私が愛する人は師匠。師匠はもうこの世にいない。私は死ぬことはできないよ」
懐かしむような声色で語ることではない。
(愛する者に殺されるだと?それは、あまりにつらいことではないのか。
どうしてそこに目がいかない?優妃になら殺されてもよいとでも?そもそも端花は――)
口を開きかけた誠也を、双結が視線だけで咎めた。
端花が何を思うかは端花の自由だ。誠也が端花を責めたところでそれは単なる自己満足であり、端花には届かない。
「お前が死ねないことはわかった。お前が死んでいないことも。
はあ、とにかく、俺は混乱を生じさせないためにもこれからも端花を清と呼ぶ」
「わかった」
「それじゃ三日後には頸国に向かうから、まずはゆっくり休め。帰国後すぐに悪かったな」
「え?」
端花は不思議そうに首を傾げる。
「どうして頸国に行くの?」
「は?お前の処刑を執り行ったのは頸国だ。まずそこから調べるのは当然だろう」
「……誠也、囲山家の仕事はたいていが自国のものだよ。それを疎かにするのはどうかと思う」
本気で心配そうに言われて、誠也は端花に特大爪弾きをかましたくなった。
「それくらいわかっとるわ!
俺は清麗神様直々にお前のことを任されたんだ。それが最優先だろう!」
「ああ、そうだったのか。誠也も大変だな」
「お前のせいだろ!」
誠也の勢いを躱すように端花は立ち上がる。
「出発は三日後だな。今日のところは失礼する」
「おい!」
端花はすたすたと誠也の部屋を出ていった。
「端花の部屋には来るなよ」
双結もそれだけ言って、精霊剣を胸に出て行ってしまう。
「俺の家だっつの……」
誠也の力のない文句だけが寂しく響いた。
*
端花と誠也は胴国よりも遠く離れた頸国に一日とかからず着いた。頸国から迎えの聖獣が派遣されたからである。聖獣は泉力に適性のある獣が特異な進化を遂げたもので、極めて珍しい生き物であり、神戴国といえども所有する数は少ない。
「喋る聖獣とは特に珍しい。流石頸国の聖獣だな」
地上には十二の神戴国と数十の小国、連が存在する。
神戴国とは創造主によりつくられた六神を源泉の主とする頸国、胴国、右腕国、左腕国、右脚国、左脚国と、六仮神を源泉の主とする礼国、奏国、射国、乗国、詩国、数国のことである。
その神戴国の一つ、頸国。またの名を中枢国といい、頸神――頭神、聡明神ともいう――を源泉の主とする。天界の全ての門を支配する頸神を六神として置くゆえか、頭脳明晰な者が多く、研究が盛んであり、札の使い手が多い。
『頸国神代主兼預泉家当主、銀杏様がお待ちです』
二人を運んできた聖獣は神代主の宮殿の前でそう告げて、どこかへと飛び立っていった。
門で二人を待っていた案内人に続いて宮に入る。
頸国の宮殿は白一色で統一されている。胴国から仕入れた玉を使うのは神代主とその結婚相手の部屋くらいである。
途中から壁が木から玉に変わり、しばらく歩いたところで淡く光る扉にたどり着いた。
「神代主様がお待ちです」
案内人は扉を開けずに去って行った。
端花が開けようとすると、誠也がぺしりとその手をはたいて、扉から離す。
「神代主様、右脚国囲山家麗誠也です」
「ああ、聞いているよ。入りなさい」
落ち着いた声が答えると、扉はひとりでに端花達に向かって開いた。
「失礼いたします。」
堂々と中に入った誠也に端花が続き、二人が部屋に入ったところで扉がしまる。
端花はその扉に札が貼ってあるのを見て、納得した。
(泉力で動かしているのか。面白い使い方をするな)
「何か?」
「いえ」
誠也の無言の圧力も感じながら、端花は前を向いた。
頸国の神代主は神戴国でも珍しく、預泉家当主を兼ねている。それゆえに豪奢な布ではなく、頸国の士服を身に纏っている。
長い髪は頭の上で一括りにされ、白地に銀の士服の上にさらりと流れていた。三十代前半のような見た目だが、頸国預泉は地上において最も長寿であるといわれ、正確にはその年を把握できないのだと言われている。預泉の証である羽織から覗く腰布には数多くの銀の飾り玉が見える。数が多いので誠也のように吊るすことはせず、直接布に装飾しているようだった。
(優しい顔の頸神様のようだ)
白くなめらかな肌に、切れ長の瞳、凛々しい眉、筋の通った鼻、薄く色づいた唇がバランスよく配置されている。神々しいまでに美しいが、浮かべる笑みは柔らかい。
「堅苦しい挨拶は結構。今日は私に話があると聞いているが……」
「はい。お聞きしたいことが――」
「その前に」
神代主は端花の言葉を遮り、困ったように笑った。
「ぜひ宴に参加してくれないか?」
「宴、ですか?」
「ああ。胴国での君たちの働きはここまで届いていてね。何でも作られた怨邪を浄化したのだとか」
詳細は伏せられていても、六神にお伺いが立てられた事件である。各国にも情報は流れている。誠也たちが帰ったあと、預泉が源泉を確認し、浄化されたことを各国に報告したのだろう。
「その犯人が岩小国の神代主の子どもだっただろう?最近大きい顔をしている小国風情を黙らせた、と喜ぶ者が多くてね」
「ああ……」
(緑礬様だけでなく、岩小国の者はあまり教育が行き届いてないのか)
「それはともかく、私としても金剛様のお顔から憂いが除かれたのが嬉しくてね。孔雀様も久し振りにお顔を拝見したが、顔色も悪くなかった。きっと望む形で浄化が行われたのだろうね」
神代主に言われて、端花は思わず顔を逸らした。善意の塊のような人間に微笑まれたのは初めてで、どう対処したらいいのかわからない。
端花を隠すように、誠也が一歩前に出た。
「祝宴へのご招待、ありがとうございます」
「受けてくれるかい?」
「もちろんです」
誠也に倣って端花も礼をする。
「では、まずは部屋に案内させよう。聖獣での移動は速いが体への負担は大きいからね。使いを出すまで休みなさい」
「ありがとうございます」
「ああ、端花は残ってくれ」
神代主に呼び止められ、端花は振り返ろうとしていた体を元に戻した。
「神代主様……」
「ああ、そんな怖い顔をしないでくれ。大丈夫、少し彼女に話があるだけだ」
同じく前を向いた誠也に、神代主が苦笑する。
ここで端花は、おや?と思った。
「私に聞かせられない話ですか?」
かなり崩れた言葉遣いの誠也は珍しい。普段端花に厳しく言うだけあって、誠也はたとえ怒っていても礼儀を忘れることはない。
(扉が勝手に開くのも知っていた。昔から知り合いなのかもしれないな)
端花は誠也を知っているが、深くは知らない。彼女が天に昇るまで、誠也と腰を落ち着けて話す機会などほぼなかったからだ。
(同じ神戴国の常国の浄化士だ。とくに誠也は囲山家だし、交流があってもおかしくないか)
「すまないが、これは彼女についての話だ。清麗神様に彼女を任されている誠也には申し訳ないが、かなり個人的な話なのだよ」
「承知いたしました。失礼いたします」
誠也は大人しく引き下がり、礼をした後で端花をきっと睨みつけた。
誠也と過ごして一月半は過ぎている。端花には「粗相のないように」との誠也の声が聞こえた。
誠也が扉の向こうに消えると、残るは端花と神代主のみだ。
「さて、お久しぶり、と言った方がいいかな?妖端花」
やはり神戴国の神代主には話がいっていたのだろう。端花は驚くことなく一礼をした。
「お久しぶりでございます。
誠也を下がらせたのは何故ですか?私に関することなら、誠也にも知っておいてもらった方がいいと思うのですが」
「いや、今日はそういった話はしない。君にも早く体を休めてもらいたいと思っているからね。これは私からの個人的な提案なんだ」
神代主は至って真面目な顔と声で言った。
「私の妻にならないか?」
続きます。




