遺産
思いがけず、祖父の遺産が転がり込んできた。
101歳の大往生だが、本人は「110歳までは!」とか、「曾孫の顔を見る!」とか宣っていたので、不本意な事だろう。
祖父は、俺をとても可愛がってくれた。妹や姉も可愛がっていたが、気が合うというか、似た者同士だったり、男同士であることもあり、孫の中では一番仲が良かったと自負している。
そんな祖父が遺言を遺していた。家と土地は俺に、と。
遺言にも驚いたが、そんな分配をしても文句が出ない程、他の資産もあったというのにも驚いた。どう贔屓目に見ても、祖父は資産家に見えなかった。
立地はとんでもなく良いが、戦後間もなくに建てた、木造二階建てを都度補修して住んでいた祖父宅。一番古い部分なんて土壁だし、平成初期まで、なんと風呂が薪だったと聞いたことがある。玄関や窓はネジ式の鍵。窓硝子は歪み硝子と磨り硝子。雨戸も木製。震災で崩れなかったのが奇跡だと、親戚間で評判になる程の古い家。家自体の資産価値はゼロ。
そんな家があるのは、なんと都庁から徒歩圏内の土地。
時空の歪みでも生じてるんじゃなかろうかと、子供の頃は帰省の度に思っていた。帰省というか、上京というか。
相続のあれこれが済み、がらんとした祖父の家に入る。
確かに、近隣と比べるとちぐはぐだが、そこはただの古い家だ。
今は無理だけど、金がたまったら建て直しを検討している。
けれど、丸っと建て直しは寂しい。
幾つかの建材・建具を再利用したい。新旧相まったかっこよさというのも好みだし。高くつくだろうけど。
あの窓ガラスを…とか、この障子で…とか、妄想をしつつ、屋内を見てまわる。と、一階の仏間の造りが妙なことに気づいた。祖父が存命中は、でかい箪笥が置いてあったから気づかなかったけど、襖の位置がおかしいのだ。
三枚並んだ襖。
一番左は、奥の3畳ほどの小部屋へ繋がっている。その隣は押し入れ。で、左端。そこは壁でも良い筈なのだ。だって、その裏側に位置するのは二階への階段なのだから。階段側からそこを見ると、木製の壁になっている。しかも中腹部分。飾りだとすれば、箪笥を目の前に置くのも妙だし、床を見れば敷居がある。ということは、開ける気はあるって事だよな?階段横を???
引いてみれば、蝋を塗ったばかりのように音もなくするりと開いた。少なくとも何十年も開けていない筈なのに。
開いた先は、やはり階段の中腹だった。襖の裏張りが木製で、それが階段からは壁に見えていたらしい。
階段下に、収納スペースと思わしき空間があった。
完全に隣の押し入れとは別の空間となっている様子だ。ご丁寧にというべきか、扉までついていて、南京錠が掛かっていた。
鍵なんて貰っていない。古くなった南京錠は、希に引っ張っただけで解錠する。数度引っ張ってみたが開かない。手間を考えると、なんとか開いて欲しいところだ。体重を掛け、思い切り引っ張ってみる。
思い切り、スッ転んだ。。。
掛け金ごと抜けた。畳の上で本当に良かった。縁が地味に痛かったが、外傷はかすり傷程度だ。
気を取り直して、収納スペースだ。
子供の頃の宝探しをちょっと思い出す。金庫ってことは無いだろうが、厳重に隠されていたと言ってもいい状況。ワクワクするなと言う方が野暮というものだ。
さっきの転んだ勢いで、ほんの少し開いていた隙間にてをかける。
少し軋んで開いた中にあったのは-……
扉、のみ。
目算40×40センチメートル。
蝶番のついた枠に収まり、なにがしかの彫刻が刻まれた扉。が、何かに取り付けてあるわけではない。扉のみ。何故だか風化しかかった革の、男物と思わしきベルトが巻かれているが、それだけだった。
って!なんだよそれっ。がっかりである。おおいにがっかりである。でもまぁ、そんなもんだよな。土地と家貰って、更にって無いよな。なんだかんだ言い訳をしつつも、へそくり位期待してました。すいません。
引っ張り出してみると、それはずいぶんと洒落たデザインをしていた。壁紙で有名な某デザイナーを彷彿とさせる、精密な花と鳥の彫刻。真鍮の取っ手にも、蝶番の縁にも、細かい柄がついている。
ベルトを外して持ち上げてみる。厚みの割には、軽い。継ぎ目が見当たらないけど、一枚板じゃないのか?
何に取り付けてあるわけでもないが扉は扉。
俺は特に目的も意味もなく、開ける動作をした。
少し、引っ掛かる様な手応えを無視して開ける。
扉の向こうに人が居た。




