●24 突然の悪夢の始まり 3
いつかのアルファドラグーン城でもそうだったが、俺やエムリス、シュラトやニニーヴなどがその気になれば、人間の相手など文字通り『赤子の手をひねる』ようなものだ。
というか、負ける方が難しい、むしろ。
頑張って気合いを入れることもなく、ただ単に【抑えていた力を解放する】だけで、威圧感にあてられた相手が戦意喪失したり、場合によっては気を失って倒れたりするのだ。
呼吸をするだけで地獄を作り出していた魔王と、スケールこそ違えど、存在のベクトルでは似ているのかもしれない。
『あの……アルサル様?』
『お? なんだ、どうしたガルウィン?』
セントミリドガル王都、南の大通りを肩で風を切りながら歩く俺に、結構な後方に位置するガルウィンが通信を送ってきた。
『その……大変申し訳ありません。確かにこれは、アルサル様の仰る通りでした……!』
『――? 何の話だ?』
いきなりの話題に、俺は首を傾げる。
ちなみに、さっきまで俺の進む先にはセントミリドガル兵が待ち構えていたりしていたのだが、今となってはもう誰も出てこない。
そりゃそうだ。どいつもこいつも、俺の前へ出るなり即座に無力化されるのだ。矛を交える暇もなく。
普通の奴なら、ビビって出てこられなくなるのが道理である。
『いえ、アルサル様が出撃前に仰っていたことです。〝俺が戦えば誰も傷つかないだろ?〟――と』
『ああ、言ったっけな、そんなこと』
ガルウィンの言葉に記憶野を刺激されて、思い出す。
『誰一人怪我することも死ぬこともなくセントミリドガルを陥せるんだ。やらない理由はないだろうが』――と、そのようなことを言った覚えがある。
『まったくお言葉通りでした……! もはや戦いにすらなっていませんが、確かにアルサル様おひとりで〝誰一人怪我することも死ぬこともなく〟、全てが終わりそうです。なんと素晴らしい……!』
しみじみと感慨無量な様子のガルウィン。こいつ、基本的には大声で大騒ぎすることが多いが、たまにイゾリテみたいに静かに盛り上がる時があるよな。こういうところはなんとも兄妹っぽいと思う。いや、実際に腹違いの兄妹ではあるのだが。いやいや、こっちの世界じゃ知られてないだろうが、双子の母親なのだから遺伝子的には冗談抜きで兄妹みたいなものだとは思うのだが――
などと頭の片隅で思考しつつ、後方のムスペラルバード兵の進軍速度にあわせて歩いているため、微妙に手持ち無沙汰な俺は、
『そうは言っても、魔界での戦いだって似たようなものだっただろ?』
今回だって変わり映えしないじゃないか、という意味で言うと、
『あの時のアルサル様は剣を抜いていたではありませんか!』
全然違いますよ! とばかりに強く反発された。
『今回は剣すら抜かず、ただ道を歩くだけで制圧範囲が広がっていくだなんて……なんと素晴らしい! 想像以上の凄まじいお力です! このガルウィン、おみそれしました!』
『いやまぁ、流石に人間相手に抜くわけにはいかんだろ……最悪、斬る前に殺しちまうしな』
何もせず自然体でいるだけの威圧感で、バタバタと倒れていくのだ。少しでも戦意ないし敵意を出して剣を抜いた日には、その〝氣〟だけで常人なら死に至らしめてしまう可能性だってある。
俺が普段からアイテムボックスにある得物を抜かず、自らの〝氣〟を収束させた〝銀剣〟を使っているのは、そういった理由もあるのだ。
何故なら敢えて〝氣〟を集中させているだけあって、『流れ弾』が生じにくいのである。
『つまり人界においてアルサル様は最強無敵と! 古今無双と! そういうわけですね!』
『お前、それ声に出して言うなよ? 恥ずかしい』
ガルウィンの褒めそやしが通信でよかった。後ろにいるムスペラルバード兵に聞かれてたら恥ずかしいなんてものじゃない。
いちいち過剰なのだ、ガルウィンの褒め方は。いや、妹のイゾリテも相当なものだが。
『何を仰いますか! このガルウィン、アルサル様を讃える言葉に何一つ恥じる必要は――!』
猛然と俺の釘刺しに抗議しようとしたガルウィンだったが、
『待て』
俺は全てを聞く前に制止をかけた。途端、ピタリと舌が止まるのが我が教え子の偉いところである。
『胆力のある【お客さん】だ。お前らは足を止めてちょっと待ってろ』
『はっ! 了解しました!』
ガルウィンの応答を聞き流しつつ、俺は大通りの真ん中で足を止めた。
本来であれば人いきれでごった返しているはずの王都のメインストリートだが、戦時中ということもあって影を落とすものなど何一つなく、寂寥感に満ちている。
そんな中、道の向こうから馬に乗って駆けてくる影が無数に。
最初は足元の石畳を伝わってきていた震動が、やがて硬い蹄の音を伴っていく。
先頭の馬に乗っている人物の顔には、見覚えしかない。
ヴァルトル将軍だ。
「――反逆者アルサルゥゥウウウウウウウウウウゥゥゥッ!!」
とんでもない形相で馬を駆けさせて来るヴァルトルは、最初からクライマックスだった。怒濤の勢いで迫ってくる。
「おいおい……」
俺は思わず声を出してしまった。なんだ、あの顔つきは。俺が出て行った時と比べて、ものすごい勢いで悪化しているじゃないか。
目は充血して真っ赤っか。目尻はつり上がり、口は大きく開き――かつて俺のいた世界で言うところの『般若』のような面構えになっている。
無骨で大きな鎧姿の上にそんな形相を乗っけているものだから、とにかく迫力が半端なかった。俺が〝勇者〟ではなく普通の兵士だったなら、この時点で小便を漏らしていたかもしれない。
そんな羅刹と化したヴァルトルの後方には、十騎ほどの騎兵が追従している。この距離まで俺に近付いても失神していないということは、どうも軍の中からそれなりに胆力に秀でた奴を選別して連れてきたらしい。一応は前回の失敗から学んでいる、ということか。
だが、俺を相手取るにはあまりにも寡兵に過ぎる。
既に全員が馬上で剣を抜いているが、俺はこれっぽっちも脅威を感じない。
「ここで会ったが百年めぇぇぇぇッ!! 今日こそ貴様に引導を――!!」
一切の減速なく突っ込んでくるヴァルトルが、剣を振りかぶり唾を飛ばしながら怒号を放つ。後ろの兵士らも応じて雄叫びを轟かせた。
うん、そうだな。わかっているぞ。
これもう話が通じないやつだな。
問答無用――そうヴァルトルの顔が言っている。
俺は、はぁ、と溜息を吐き、
「……もう本当に百年後に来てくれ」
その場で足踏みを一つ。
ズドン! と大地が大きく揺れた。
すぐさま馬のいななきが幾重にも響き渡る。
「う――ぉおおおぉおおおおおおおぉッッ!?」
一拍遅れてヴァルトルおよび兵士らの悲鳴が続く。
いきなりの地震に馬が驚き、足並みが乱れたのだ。
こうなれば速度が売りの騎兵とて、格好の的である。
「そらよ」
足踏みした足で、そのまま軽く前蹴りを一発。
空を切った足先から銀光が閃き、ヴァルトルら騎兵に向かって勢いよく奔った。
着弾。
「――ぉおおおおおおおおおおおあああああああああああああっっ!?」
炸裂する光の爆発に、玩具か何かのように馬ごとぶっ飛んでいくヴァルトル達。
言わずもがな、さっき貴族軍のほとんどを吹き飛ばしたように、それなりに加減はしてある。
大怪我ぐらいはするかもしれないが、まぁちゃんと鍛えている奴なら死ぬことはないだろう。
巻き添えを食らった騎馬には悪いことをしたと思うが、こっちの世界の馬は骨折した程度では殺されたりしない。回復理術でしっかり治療が可能なので、生きていればまた乗り物として使われるはずだ。馬肉料理になることはあるまい。
「しっかし、気合いだけは大したもんだ。そこにだけは敬意を表するぜ、ヴァルトルさんよ」
どうせ聞こえないだろうが、俺は見えないところまで吹っ飛んでいった男へ称賛を送る。
いくら聖神のピアスで正常な判断力を失っているとはいえ、俺の威圧に逆らい、真っ向から立ち向かってくる気概だけは紛うことなき本物だ。
流石は一国の軍の長たる男である。
同じくヴァルトルに率いられていた騎兵達も、人間にしてはいい線をいっている。もしガルウィンやイゾリテのように俺達の眷属になれば、万単位の魔物を単独で屠れるようになるかもしれない。
まぁ俺達がいる限り、そうなる必要など皆無なのだが。
『ガルウィン、【お客さん】は追い返した。先に進むぞ』
『はっ!』
招かれざる客人――と言っても、あちらからすれば俺がそうなのだろうが――を手っ取り早く排除した俺は、ガルウィンに通信を送ると歩みを再開した。
ここでヴァルトル将軍が現れたということは、後はもう王城に到着するまで一切の障害はないと見ていい。
そう考えると、元は自分が所属していた国とは言え、あまりの薄っぺらさに背筋がぞっとしてしまう。
ここにエムリスがいたなら、
『だから言ったろう? アルサル、君がこの国の〝要石〟だったんだよ。肝心要の重鎮がいなくなったんだ。どんな組織であれ――それこそ図体が大きければ大きいほど、容易に崩れ落ちるものさ』
などと得意げな顔をして放言していたに違いない。何故か脳裏にありありと想像できてしまう。
いなくてよかった。本当に。
「……ま、崩れたんなら最初っから作り直すだけの話だしな」
一人、虚空に向かって呟く。
このまま行けば俺の【もくろみ】は問題なく成就するはずだ。
そうなれば、晴れて自由の身である。
今度こそ俗世を離れて、悠々(ゆうゆう)自適の生活を送るのだ。
視線を上げると威風堂々(どうどう)たるセントミリドガル王城が、天高くそびえているのが見える。
いや、威風堂々は言い過ぎか。だって〝ズレ〟てるしな。中央で真っ二つにされて、右側が上に、左側が下に。縦方向にガッツリと。
まったくひどい有様だ。この世界では珍しい、せっかくの高層建築が台無しである。誰だ、あんなことをしたのは。
俺か。俺だったわ。
いいさ、なんならあの城もぶっ壊して新しいのを建てればいい。
上手くいけば人界は大きく変わるのだ。それぐらいは誤差みたいなものである。
俺は常識的な速度で歩きながら、王城を見上げ、小さく呟いた。
「――というわけで、滅びてもらうぜ、セントミリドガル」




