●24 突然の悪夢の始まり 2
「……一体、何がどうなっているのだ……!?」
唖然とする他なかった。
理術のスクリーンを通して目に入ってくる映像、武官らの声によって耳に入ってくる情報、その全てがジオコーザの予想だにしていなかった展開を示していた。
王都を完全包囲していた貴族軍が、アルサル一人に敗れた。
それだけでなく、貴族軍は南方から進軍してきたムスペラルバード軍と併合し、どうやらアルサルを頂点とした集団を形成したらしい。
貴族軍が道を空け、アルサル率いるムスペラルバード軍が王都へと近付いてくる。
セントミリドガル軍は混乱の坩堝に叩き落とされていた。
『殿下! ジオコーザ殿下! 聞こえておられますか!?』
ヴァルトル将軍からの通信。
血気に逸る中年男の顔がスクリーンいっぱいに映り、真っ赤に充血した目が『怨敵を誅すべし』と訴えている。
将軍の戦意はいまだ衰えを知らず、アルサルの国外追放の際には堀に落とされたという屈辱の記憶も新しく、その双眸は憎悪に燃えていた。耳につけたピアスの影響も大であったろう。
しかし、同じくピアスの影響下にあるジオコーザの心は、脆くも崩れ落ちそうになっていた。
「何故だ……何故……どうして……こんなことに……」
想定外に次ぐ想定外。
思い通りにならないどころか、想像の斜め上の事態が連続し、しかもその全てが自身にとって不利なことばかり。
世界から見放されている――そう言っても過言ではない状況にジオコーザの自意識は、ピアスによって肥大化しているからこそ、逆に耐えきれなくなっていた。
「き、来ます! て、敵将アルサルの――いえ、賊軍もあわせて――ムスペラルバード軍の連合が、侵攻を……!?」
報告を上げる武官の声は震えに震え、その内容も支離滅裂になっていく。
想像もしなかった未曾有の事態なのだ。先程ジオコーザが『一体、何がどうなっているのだ』と呟いたが、それは配下の者達も同じ気持ちだったのである。
貴族軍に王都を取り囲まれていると思ったら、いつの間にかそこに〝勇者〟アルサルとムスペラルバード軍が加わっていた――
まさかの事態であった。
通常であれば、貴族軍とムスペラルバード軍の双方が相撃ち、結果としてセントミリドガルが漁夫の利を得る――そのように考えるのが定石だ。
だというのに、アルサル一人の力で全てが覆えされた。その結果、漁夫の利どころか一番の貧乏くじを引く始末。
常識の埒外に過ぎる顛末に、誰しもが動揺を抑えきれずにいた。
『て、敵軍、全方位同時攻撃です! 東西南北の全ての門が襲撃されています!』
『み、南門が突破されました! 銀色の光が――敵将アルサルの一撃で粉微塵に吹き飛びました! 城壁ごとです!』
一気呵成に戦況が動く。
アルサルの登場が堤に穴を開けた。
セントミリドガル軍は勢いに押され、大きく崩れていく。
この時、貴族軍とムスペラルバード軍の連合の指揮系統を握り、指示を出しているのはオグカーバ国王の落胤であるガルウィン・ペルシヴァルその人なのだが、ジオコーザらにはそれを知る由もない。
『殿下! ジオコーザ殿下! 全ての元凶はやはりアルサルめであります! これより我が直属の精鋭を引き連れて、あやつの首級をあげてみせましょうぞ! どうかご期待ください!』
ヴァルトルは通信でそう豪語すると、返事も聞かずに飛び出していった。もはやジオコーザの了解もいらないと判断したのだ。
ジオコーザは椅子に腰を落とし、ゆっくりと両手を上げ、自らの頭を抱えた。
「馬鹿な……そんな、馬鹿な……ありえない……ありえない……こんなことは……」
正気を失っていてもわかる。自分が今、どれほど絶望的な状況にあるのか。だからこそ、その牙は折れてしまっていた。元より剥き出しであったのだ。たやすく折れるは道理である。
「――――」
愚かな息子の様子を、年老いた父王は黙って見つめていた。ジオコーザとは正反対に、オグカーバにとっては全てが想定内だった。こうなる未来は、とうの昔から見えていたのである。
故に、言うべき言葉などない。
頭を抱えて、生まれたての子鹿のように震える愛児を抱きしめることもなく、ただ眺めているだけ。
「て、敵軍は敵将アルサルを先頭に南大通りを侵攻中! と、止められません! 我が軍は近付いただけで無力化されています!」
武官の報告は半ば悲鳴であった。
元〝勇者〟のアルサルは、全身から凄まじい威圧感を放つ。その〝氣〟にあてられたものは、よほどの胆力を持つ者でもなければ即座に失神してしまうほど。それ故、セントミリドガル兵は距離を詰めただけで昏倒してしまうのだ。
実際、アルサルの後方に追従するムスペラルバード兵も必要以上に距離を開けている。彼らは、アルサルが歩くことでセントミリドガル兵を無力化した道を、そのまま辿っているだけなのだ。
こんなものは侵攻でも進軍でもない。
もはや言葉にも出来ない、非道の極みである。
「南門に空いた穴から敵軍が続々と侵入してきます! 止められません……!」
「ヴァルトル将軍の直属部隊、敵将アルサルと接敵――ダメです、他と同じく無力化されました! 健在なのは将軍だけです! そんな、こんな……圧倒的すぎる……!?」
「ふざけるなよ! 近付くだけで倒れるなんて……どうやって戦えと言うんだ!?」
絶望的な報告を上げ続ける武官の声。中には錯乱して、場所をわきまえず愚痴を叫ぶ者までいる。
「東西と北の攻撃も激しくなっていく一方です! どこの戦線も増援を希望しております! どうなさいますか!?」
「将軍からの許可が得られない! 現場の戦力だけで対応するしかないと伝えろ!」
「それでは陣形が維持できません! 総崩れになりますよ!?」
「だったらもう諦めろ! 余剰戦力はない! さっきまであった戦力は国境へ行ったんだからな!」
「そんな……!? 味方に死ねと言うんですか!?」
「どうせアルサル様がここへやってきたら我々も終わりなのだ! どこにいても変わらん!」
軍の最高司令官は自らアルサルの元へと馳せていき、戦争の元凶となった王太子は茫然自失の体たらく。
いまや総指揮を執るのは武官の幹部達となっていたが、既に戦況は『詰んでいる』と言う他なかった。
絶対に勝てるはずのない怪物が来た――
ただそれだけの話だった。
「…………ぁぁぁぁ……ぁぁああ……!」
頭を抱えて執務机に突っ伏したジオコーザが、不意に地響きじみた呻き声を漏らし始める。
やがて、
「……ぁぁあああぁぁあああぁぁああぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあああああああああああああああッッッ――――――――!?」
喉を唸らせ、悲鳴を上げながら立ち上がる。
ピアスによって拡大した自意識にのしかかる劣等感、挫折感、虚無感に耐えきれなくなったのだ。
「あああああああああああッッ!! ぁあぁああああああああああぁぁぁぁぁぁッッ!! ああああああああああああああ――――――――ッッッ!!!」
狂乱状態に至ったジオコーザは両手で頭を抱えたまま天井を仰ぎ、あらん限りの絶叫を迸らせる。
より赤く染まった両目からは、血涙が流れ出ていた。
この期に及んで、もはや少年の精神に救いはなかった。
どうしようもなく言い訳しようもない敗北が、目前に迫っている。
ジオコーザの心が癒やされるためには、世界の全てが彼を肯定し、絶対の勝利者として扱わねばならない。
だが、決してそのようなことにはならない。現実にはあり得ない夢想である。
よって、ジオコーザはここまでだった。
後はもう、アルサルがここに到着するのが早いか、彼の心が崩壊するのが早いか、それだけの問題であった。




