●23 勇者の帰還 二回目 1
「ミドガルズオルムが爆発しただと!? どういう意味だ!?」
セントミリドガルの中枢は混乱の坩堝へと叩き落とされていた。
どこからか耳を劈く爆発音が響き、セントミリドガル王城全体がビリビリと震えた直後――
臨時の司令室となっている執務室へと飛び込んできた急報に、ジオコーザは声を荒げる。
「聖具がひとりでに爆発するものか! 敵が攻めてきたのか!? 一体どこの奴らだ!? 爆発したのはどの方角だ!?」
椅子を蹴って立ち上がり、報告を持ち込んだ武官へ矢継ぎ早に詰問する。
この時点で、まだジオコーザは常識的な発想をしていた。
無敵の聖具が爆発したということ自体に疑問はあるが、大きな爆発音は自身の耳と体でも確認している。疑いの余地はない。
ならば何者かによる攻撃を受けたということ。さらには、あの巨大な連結型城塞が爆破されたということはかなりの威力の攻撃――即ち同じ『聖具』による襲撃以外には考えられない。であれば、攻撃してきたのは東西南北の四大国のどれかだ――と。
よもや、セントミリドガルの国境を一巡りする『聖霊ミドガルズオルム』の全てが爆発したとは、露ほども思わず。
にわかには信じ難い報告を持ってきた武官は、顔面を蒼白に染めて答える。
「す……【全て】です……! ぜ、【全方位】……! 国境を守るミドガルズオルム【そのもの】が、一斉に爆発して破壊されました!!」
後半はほぼ絶叫に等しかった。
この瞬間、ジオコーザを含め執務室にいた全員が色を失った。
ミドガルズオルムの全壊――それ即ち、セントミリドガル国境の防備が全て失われたことを意味する。
先日まで国境近くで各国と戦っていた軍は、内乱に対応させるため、全て王都へと引かせていたのだ。
つまり現在進行形で、セントミリドガルの国境は全方位が【がら空き】ということになる。
丸裸、と言っても過言ではない。
「な……!?」
絶句。ジオコーザは愕然として立ち尽くす。耳に入った情報を、脳が拒否しているようであった。
「あの聖具が全滅……!?」「馬鹿な、あり得ない、誤報では……!?」「一体何が起きたと言うのだ……!?」「信じられない……!」
次いで、臣下達が色めき立つ。本来、私語は厳禁なのだが、今回ばかりは誰も我慢できなかった。
「…………」
一人、執務室の隅に座っていた国王オグカーバだけが驚きを露わにせず、黙したまま。だが、その目はやや見開かれている。
やがて豊かな髭に覆われた口元が、来たか、と囁くように呟いた。
「――至急、国境防衛隊を編制し、各方面へ急行させろ!」
誰よりも早く立ち直り、指示を飛ばしたのは将軍ヴァルトルだった。赤く充血した目を大きく見開き、胴間声で命令する。
しかし。
「――余力がありません! 現在、我が軍のほとんどが内乱の制圧にあたっております! 今の状態で国境に兵力を割けば、貴族軍に隙を見せることに……!」
参謀の一人が制止をかけた。
王家に反逆する賊軍――元五大貴族が起こした軍は現在、ボルガン以外のルートから得たであろう『聖具』を手に王都を包囲している。
国境から兵を引き上げたのは、何もミドガルズオルムの存在だけが理由ではない。そうしなければ拮抗できないほど、セントミリドガル軍は追い詰められているのだ。
何故なら、セントミリドガルの兵は精強。
正規軍はもちろんのこと、有力貴族お抱えの戦力もまた屈強だったのだ。
いわば『最強』と『無敗』との激突だと言っても過言ではない。
それでいて、正規軍はミドガルズオルムが配備される前の戦いにより疲弊していた。
一方、貴族軍は悪政に弓引く立場というのもあり、士気も軒昂。着実に勝利を積み重ね、ついに王都周辺に各戦力が結集し、包囲へと至った。
現在、ジオコーザら正規軍は王都の全ての門を閉ざし、籠城の構えを取っている。
それだけでなく、国境から呼び戻した戦力によって貴族軍を挟撃できる態勢にあった。
しばらく小競り合いの状態が続いており、いずれは王都から出撃した軍と、国境から戻ってきた友軍とで時機を合わせ、挟み撃ちによって一網打尽にするつもりだったが――
「構わん! 賊軍の攻撃など王都にいる兵力だけでしばらく持ちこたえられるわ! それよりも他国の軍勢が国境を越えて攻めてきたら、挟撃を受けるのは我々なのだぞ!」
ヴァルトルが拳を机に叩き付け、怒鳴りつけた。
「そうなれば賊軍がどうのと言っている場合ではなかろうが! まずは国境を固めろ! 話はそれからだ!」
「りょ、了解しました!」
怒声を浴びせられた参謀は、頬を張られたような反応を見せた。慌てて背筋を伸ばし、命令を受領する。すぐさまヴァルトルの指令通り、王都を包囲している貴族軍を、そのさらに外側から包囲している友軍に対して通信理術を起動させた。
「……馬鹿な……ありえない……」
ヴァルトル以下の武官が総じて慌ただしく動き出す中、呆然と立ち尽くしていたジオコーザの喉から、掠れた声が漏れ出た。
次いで、激情が火を噴く。
「――これは一体どういうことだ!? ボルガンは、あのウソつきはどこにいる!? 何が最強無敵の『聖具』だ! この失態、万死に値するぞ!」
セントミリドガルの国境に眠っていたミドガルズオルムを覚醒させ、ジオコーザに提供した聖術士ボルガンは、しかし、ここしばらく姿を見せていなかった。
愚かしいことに、今の今まで、ジオコーザはそのことを認識すらしていなかった。
気にも留めていなかったのだ。
ボルガンが覚醒させた『聖霊ミドガルズオルム』の制御器は既にこの手にある。これに命令を下せば、セントミリドガルを取り巻く最強無敵の超兵器は思い通りに動く。
それでなくともミドガルズオルムには優秀な自動判断機能が搭載されており、命令するまでもなく最善の行動を取るよう設定されている。
故に、もはやジオコーザおよびセントミリドガル軍はボルガンという存在を必要とせず、だからこそ自然と意識の外へと閉め出していたのだ。
「探せぇ! あの大法螺吹きをここへ連れて来いっ! 事の次第を私自ら問い質してやるっ!!」
その上で、最後には首を切り落としてくれる――不思議なことに、言っていないはずのその台詞を、誰もが耳にしたようだった。ジオコーザの激憤はそれほどの勢いだったのである。
「――ほ、報告いたします!」
ジオコーザに指差された武官の一人が慌ててボルガンを探しに飛び出すのと同時、通信理術を用いて各方面からの連絡をとりまとめていた一人が、意を決したように手を挙げた。
気を荒立てているジオコーザは真っ赤に血走った目で睨み、
「何だッ!」
まるで責めるような声を放つ。
手を挙げた武官は一瞬だけ首をすくめたが、ここで言い淀んで余計に不興を買うと思ったのだろう。すぐに自棄っぱちの声で、
「ミ、ミドガルズオルムに関する報告です! 各地に置いた監視からの情報を統合するに、ミドガルズオルムの爆発の原因は――」
「原因は!? 何だ!?」
遮るようにジオコーザが聞き返した。あまりに気になる内容だったからだろう。結果として、邪魔をしただけになったが。
食い付かれたことによって重圧が増したのだろう。通信役の武官は一瞬だけ言葉に詰まるが、それでも絞り出すようにして、
「――な、南方、ムスペラルバードとの国境付近で『何か』があった模様です!」
と叫んだ。その瞬間、
「……『何か』? 『何か』だと!? その『何か』とは一体何だ!? 何があったというのだ!? 爆発の原因は!?」
当然、ジオコーザは激怒して詰問を畳み掛けた。
状況的に誰がどう考えても曖昧模糊とした報告にならざるを得ない事態なのだが、今のジオコーザはそこまで気が回らない。年相応の稚気をそのまま発揮して、さらに嚇怒の炎を燃え上がらせた。
「ふ、不明です……!」
「ふざけるなぁッ! 首を切られたいのか貴様ぁッ!!」
わからないと答えるしかない武官に、ジオコーザはまなじりを吊り上げて怒号を放つ。武官は全身の毛穴という毛穴から脂汗をひり出しながら、
「た、ただ、監視からの連絡によりますと、爆発の直前、ムスペラルバード側から攻撃があり、またその際には正体不明の人影が確認できたと――!」
「ムスペラルバードからの攻撃に人影だと!? 馬鹿が! ならば【それ】が犯人に決まっているではないか! 今すぐその者をひっ捕らえ――」
大仰に体を動かして命令を下そうとしたジオコーザが、不意に凍り付いた。
気付いたのだ。
どうしようもない、それこそ致命的な〝違和感〟に。
「――待て。待て待て待て……? 【人影】、だと? 人が、破壊したというのか? ミドガルズオルムを? あの巨大な兵器を……?」
既に相当な割合で理性というものを失っていたジオコーザではあったが、それでもなお、腑に落ちないほどの疑問だった。
「馬鹿な、有り得るものか……!」
そう、愚かな子供でもわかる。
そんな恐ろしい真似が出来る人間など、存在するはずがない――と。
はた、と気付き、
「――待て、人影の数は!? よもや一つだけではあるまい! 一体どれほどの集団だったというのだ!?」
「そ、それが……確認できた人影は、一つだけ、との連絡が……!」
「馬鹿な!?」
今のジオコーザには致命的に語彙が不足している。代わり映えのしない驚愕の反応を示し、わなわなと唇を震わせた。
「――ふ、ふざけるなッ! そのような化物が存在するはずがない! 何かの間違いだ! 爆発の原因はミドガルズオルムの故障のはずだ! 違うか!」
つい先刻、他でもない自分自身が『聖具がひとりでに爆発するものか! 敵が攻めてきたのか!? どこの奴らだ!?』と叫んだことを、この少年はもう忘れてしまっている。
脳裏に浮かんだ可能性を、どうしても直視できないのだ。
そして、ジオコーザの態度からこの場にいる全員が、自然と【その可能性】に思い至る。まるで伝染病のように、イメージが伝播したのだ。
しかしながら、誰も舌に乗せて【その名】を告げようとはしない。口にしたら最後、ジオコーザの怒りを買うのは必定だったからだ。
しかし。
「……アルサル、じゃな」
なんと、ここに来てオグカーバ国王その人が重い口を開いた。
狙ったわけでもなかろうに、その声音は面白いほど室内に透って聞こえた。
途端、水を打ったように静まり返る。
「ち、父上……!?」
聞きたくなかった名前を、よりにもよって父親の口から聞かされたジオコーザは絶望の表情で呻いた。
かつて持ち得た圧倒的な存在感をひたすら押し殺し、常にジオコーザに傍にいながら沈黙を保っていたオグカーバは、ここで自粛の鎖を振りほどいたらしい。
「もはやこれまでじゃ、ジオコーザ。アルサルが来るぞ」
老いた王は静かに、しかし確たる口調で断言した。
古代の超兵器たる『聖具』、その中でもとりわけ強力にして絶大だった『聖霊ミドガルズオルム』を単独で破壊できる者など、あの〝銀穹の勇者〟しかいない――と。
「経緯はわからぬ。道理もわからぬ。じゃが、あのような怪物を倒すことの出来る者など、アルサルをおいて他にはおらん」
しみじみと諭すように、オグカーバは語る。
「ジオコーザ、お前も聞いているであろう。先日、ムスペラルバードの王位が〝金剛の闘戦士〟シュラトによって簒奪された件を。ならば、かの〝闘戦士〟のおる地に、かつての仲間であったアルサルが身を寄せておっても、なんら不思議なことではあるまい。そして、お前はミドガルズオルムの鼻先をムスペラルバードに向けた。アルサルが動くのは理の当然じゃ」
まるで『こうなることはわかりきっていた』と言わんばかりに、オグカーバは淡々と告げる。
「ミドガルズオルムを撃破したアルサルは、遅かれ早かれ、ここへやってくるじゃろう。その時こそ、この国の命運が尽きる時じゃ。まったく……思ったより早かったと言うべきか、遅かったと言うべきか……」
ふぅ、と疲れたようにオグカーバは息を吐いた。
「な、何を言っているのです父上! あの反逆者アルサルが!? 馬鹿な、あり得ません! 奴は我が国に大恩ある身! そのような愚かな真似――」
「愚かなのは、他でもないおぬしじゃ、ジオコーザ」
必死に抗弁するジオコーザを、オグカーバは端的に切って捨てた。
夢にも思わなかった父親からの罵りに、ジオコーザは動きを止める。
オグカーバは息子の反応に構わず、遠い目をして、
「――いや、おぬしだけではない。余もじゃ。我ながら、なんと愚かな……責任ある立場でありながら、我が子かわいさから選んではならぬ道を選んでしもうた……ああ、そうじゃ。わかっておった。ジオコーザ、おぬしが正気を失い、愚劣に過ぎる行為に走るのを、余は黙って見ていたのじゃ。最悪の結末に至るとわかっていながら……」
「ち、父上……?」
突如、自分には理解できない話を始めたオグカーバに、理性のほとんどを失っているジオコーザも流石に狼狽した。
だが、それも一時だけのこと。
意気消沈しているように見える父親に対し、少年は声を高めた。
「――父上! ご心配には及びません! たとえ反逆者アルサルがここへ来ようとも、今度こそこの私が成敗いたします! 私の才はあの者すら認めた大器! 必ずや我らの国を守ってみせましょう!」
視野狭窄に陥っているジオコーザは、目の前の事柄を子供っぽく単純に曲解した。
つまり、オグカーバがアルサルの襲来を心配して落ち込んでいる――そう理解したのだ。
故に大声を出して励ましの言葉をかける。出来もしない大言壮語を吐き、父親を安心させようと。
「どうかご心配なく! ミドガルズオルムなど、所詮はあのボルガンなどという怪しい男が用意したもの! アルサルめが撃破したというより、勝手に自爆したようなものです! ですが、まだこの王都には多くの兵がおり、それらをヴァルトル将軍が指揮しております! ご安心を!」
拳で胸を叩き、些かも尻込みすることなく断言する。
実際、ジオコーザは心の底から本気でそう信じているのだ。
まだ何とかなる――と。
「それに、奴がこの城にたどり着くまでの道のりには、憎き賊軍がいます! むしろ我らの手を煩わせることなく、奴らと同士討ちしてくたばってくれることでしょう! もし万が一、アルサルめが賊軍を突破してきた時は、それこそ漁夫の利というもの! 疲弊した奴を我らで討ち取ってやればいいだけのことです! どうです、名案でしょう父上!」
繰り返すが、ジオコーザは真面目で、真剣だ。
一切を疑うことなく、これらの言葉を吐いている。
全ては父を思うが故の、真心からの言動だった。
「――そう、じゃな」
オグカーバは、首肯した。
だからこそ救いがたい――と。
もはや溜息すら出なかった。
「……ジオコーザ、おぬしの好きにせよ。余はもう、最後まで見届けると決めたのじゃ……」
「はいっ! お任せを、父上っ!」
嬉しそうに破顔する、理性を失った愛児を見つめながら、オグカーバは覚悟した。
もう自分は、正気に戻った息子と二度と会うことはないのだろう――と。




