●21 開戦の決意 1
「は? 使者? セントミリドガルから? どうやって?」
ある日の朝、いつものようにイゾリテの報告を聞いていると、それこそ目が覚めるような話が飛び出した。
「はい。どうやら風の噂でアルサル様のことを聞きつけ、違法な手段でもって国境を越えてきたようです。またセントミリドガル側ではなく、アルファドラグーン側からの入国でしたので、網も緩かったのだと思われます」
まさかの密入国である。
というか、そんなことをやらかしておきながら、セントミリドガルの使者を名乗って俺に謁見を求めてくるとは。随分といい根性しているではないか。
しかし一体全体、何の用件でここまで来たのだろうか?
宣戦布告? いやいや、そんな段階はとうに通り過ぎているし、わざわざ使者を送るまでもない話だ。
実際、どこの国だって通信理術で一方的に宣言して、それで開戦しているのだから。
では、他に何が考えられるか?
まさか降伏勧告か? まぁ有り得ない話ではなかろう。
先日見た、セントミリドガルに与えられた『聖具』は確かに凄まじかった。
あれこそ超兵器。この世界の人類の技術水準を遥かに超えた、まさに手に余るほどの殺戮機械である。まぁ、俺がいた世界にある核兵器と比べたら、まだ可愛い方かもしれないが。
あの威光をもって各国に勧降するというのなら、理解はできる。あの巨大すぎる『聖具』の前では、あの聖竜アルファードとて敵うまい。いくら数を集めても一蹴されるのがオチだ。
だがしかし、それだけでわざわざ違法な手段を用いてまで入国して来るだろうか? 別に宣戦布告と同じく通信で、一方的に降伏を勧めてきてもよかろうに。
まぁ、考えたところで仕方ないか。
なんにせよ、いちいちアルファドラグーンを経由してまでムスペラルバードに入国してきたのだ。
おそらく、よんどころない事情があるのだろう。
正直、あまり興味はないのだが。
「――いや、というか、俺がこの国の王になったことはまだ他国には公表してなかったよな?」
ふと気付いた。国内の関係各所には通達はしたが、他国に公表するのは俺の判断で止めていたはずだ。
何故なら、俺は長々と国王を続ける気がないからである。
機会があればすぐにでも立場を放棄し、再びスローライフの旅に出たいというのが本音だ。
そも、戴冠式や即位式といった式典を実施しなかったのもそのためだったのだ。
よって、現在ムスペラルバード王国の王が俺であることは、極限られた人間しか知らない。
対外的には、今も国王はシュラトということで通しているはずだが――
「はい。ですが……」
イゾリテが緑の瞳を少し泳がせ、珍しく言葉を濁す。かと思いきや、目を伏せて頭を下げた。
「……申し訳ありません。私の失態です。先日の後宮の解体が原因で、一部の者に勘ぐられた可能性があります。また、前々国王の後宮に所属していた寵姫らの口止めも完全ではありませんでした。おそらく、そのあたりから情報が漏れ、噂となってしまったのだと考えられます」
「あー……」
潔く自らの誤謬を認めるイゾリテに、俺は納得の息を吐いた。
なるほど、さもありなんだ。
言われて気付いたが、考えてみれば当たり前の話だった。
これまで長く続いてきた後宮をある日突然、新国王が解体したのである。
長い伝統を持つ部署がなくなるというだけでも大事なのに、そこにいた愛人や、その世話のために働いていた人々には暇を与えて放り出してしまった。もちろん、希望者には別の働き口は紹介してやったし、相応の金も握らせてやったが――
何事にも完璧などない。
そして、石を水面に投げ入れれば、必ず波紋が生まれる。
ムスペラルバードの新国王アルサルの名は、陰で人々の口の端に上がり、自然と風に乗って拡散してしまったのだろう。
そもそも、俺とシュラトの前の国王――つまり正統なるムスペラルバード王家出身の王は、今も宮殿で働いている。
血は水よりも濃いというが、後宮にいた王妃や妾は彼にとって家族であり、離れがたき存在だ。
しかしながら、国の中枢に近いところにいたという自覚のない者であれば、その口は軽くならざるを得ない。犯人を特定するつもりはないが、イゾリテの推測通り、そのあたりから情報が漏れ出したのだろう。そうとしか考えられない。
とはいえだ。
「……ま、仕方ないか。別にどうしても隠しておきたい、ってわけでもなかったしな」
後宮解体を提案したのはイゾリテだが、それを認めたのは俺である。強引に圧された結果だとしても、責任は俺にあるのだ。
その俺からして、新国王になったことを特別隠そうとは思っていなかった。出来ればあんまり多くの人には知られたくないなぁ、程度の気持ちでしかなく、本気で隠蔽しようとは考えていなかったのだ。
なので、イゾリテは悪くない。
「いや、俺の指示が悪かった。それだけだ。お前のせいじゃないぞ、イゾリテ」
「ですが、アルサル様」
食い下がる生真面目な少女を、俺は片手を上げて制止する。
「いいって言ってるだろ。仕事はお前に任せてるが、責任まで渡したつもりはないぞ? 俺の仕事は【責任を取ること】だ。それまで奪わないでくれよ」
ま、そんな立場で居続けるなどまっぴらごめんなので、さっさと辞めたくはあるのだが。
「……はい」
国の最高権力者である王の仕事は、全ての責任を負うこと――それを理解したイゾリテは、いつもの無表情で頷き、引き下がった。いや、無表情を装ってはいたが、結構な不機嫌オーラだったな。あいつは表情でわからない分、雰囲気がわかりやすい。理解はしたが、納得はしていない――と言ったところか。
「そんじゃま、仕方ないから会ってみるとするか。そのセントミリドガルからの使者さんとやらに」
どうせ碌な用件じゃないんだろうが――と心の中で付け加えながら、俺はため息交じりに手を叩いた。




