●19 アルサルの誓い 2
そう思っていた時期が俺にもありました。
しかしながら、現実というのは非情なもので。
俺が〝勇者〟だろうが〝国王〟だろうが、そんなことにはまったく関係なく他者は動くし、時間は流れる。
仕方なしにムスペラルバードの王になる道を選択した俺に待っていたのは、怒濤の日々であった。
まず、シュラトおよびその眷属のレムリアとフェオドーラの手引きによって、俺が王位を継ぐことが関係各所に通達された。
つい最近まで流離い人だったシュラトに王位を簒奪され、なおかつその返上を拒んだ旧王族である。
さらに言えば返上を拒否するどころか、どうしてもと言うなら他の人間に譲ればよい、などと放言していた奴らである。
当然のごとく、シュラトから俺に王位が譲られることに関しても、二つ返事で受け容れられてしまった。
「マジか。すげぇな」
軽い。
あまりにも軽すぎる。
王位なんてものはそうヒョイヒョイと動いたりしないものだろうに。
実物の王冠とは違って、意義的にとても重いもののはずだ。
それがこうも短期間の内に、あっちからこっちへと移動するとは。
まぁ、この辺りは俺以外の者も同じように思っていたのだろう。
いわゆる『戴冠式』なるものは実施されなかった。
まぁ、される流れになったら全力で拒絶していただろうが。
というか、シュラトが王位を簒奪した際にも戴冠式および即位式のような行事は行わなかったそうなので、俺もそれに倣うことにしたのだ。
細かいことは気にしない、というのもムスペラルバード人の国民性の一つだ。さして問題にはならないだろう。いや、問題にならないのはある意味では一つの問題なのでは? と思わないでもないのだが……
「アルサル様、後宮についてなのですが」
嫌々ながらも国王になった――名義だけの飾り物に過ぎないが――ばかりの一日目。
イゾリテがいきなり剛速球を投げ込んできた。
「アルサル様に後宮など不要ですので、解体の方向で進めております。問題ありませんね?」
「え?」
「問題がないようですので解体で決定といたします。ご安心ください。解雇される女性の中で希望者がいれば仕事を割り当てますし、そうでない方々にはもちろんのこと一定の金額を持たせます。いわゆる『手切れ金』というものですね。また、これらは国庫から出すよう、前国王である宰相閣下とも協議済みです。アルサル様のご負担にはなりませんので、どうかお気になさらないでください」
「お、おう……?」
いや、なんだこれ?
というか俺は『え?』としか反応していないのだが。
なのにイゾリテがやたらと流暢な早口で理路整然とした言葉を並べ立てたかと思うと、気付けば長年続いた歴史あるグリトニル宮殿の後宮は解体が決定してしまっていた。
催眠術とか手品とかそんなチャチなもんじゃない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気がする。
まぁ、言わずもがな、俺は後宮なんぞに興味などなかったので、いくらでも解体してくれて構わなかったのだが。
しかし、それはそれで、これまでの伝統を途絶えさせることになるのではなかろうか、とも思うのだが――
「あんなものはなくした方がいい。己もそう思う」
と、シュラトにこう言われては俺も反対意見を口に出す気にはなれなかった。
そうだよな。女が集まっている後宮なんてものが残っていたら、いつまたシュラトの中にいる〝色欲〟が活性化しないとも限らないものな。
これには深く同意せざるを得なかった。
そういえば、そのシュラトの〝色欲〟および〝暴食〟が活性化し、ついには人格を得るほど暴走してしまった件についてだが、これには続報がある。
「――聖術士ボルガン?」
「ああ、そうだ。そう名乗る奴が己の前に現れた」
なんとアルファドラグーンで耳にした『宮廷聖術士ボルガン』の名前が、シュラトの口から転び出てきたのである。
というか話を聞くに、その聖術士ボルガンやらのせいでシュラトに宿る八悪の因子は暴走したようなのだ。
「そいつはある日突然、俺の前に出てきた。そして、こう言った。『あなたは今の自分に満足していますか?』と」
当時、シュラトは放浪の旅に出ていた。魔王を倒してからの十年間、自由気ままに世界中を歩き回っていたという。要するに俺に先んじて、のんびりスローライフを満喫していたのだ。
「で、お前は何て答えたんだ?」
「あまりよく覚えていないが……満足している、と答えたはずだ。しかし――」
シュラトが語るには、突如として現れた『聖術士ボルガン』を名乗る黒衣の男は、肯定的な答えに対し、しかし首を横に振ったという。
『そんなはずはありません。あなたは現状に満足しておられないはず。さぁ、本当のお気持ちに耳を傾けるのです』
そう言って、懐から何か怪しい道具を取り出し、それをシュラトに向かって掲げたのだそうだ。
そこでシュラトは即座に戦闘反応。
おかしなことをされる前に超高速で拳打と蹴撃を連続で叩き込み、聖術士ボルガンを瞬殺したはずだが――
「気が付いた時には〝色欲〟に体を乗っ取られていた。朧気ながら意識はあったが、まるで体の自由が利かなかった。アルサル、お前達に止められるあの瞬間までは」
ということらしい。どうやらシュラトの反応速度でも間に合わない【何か】をされた結果、強制的に八悪の因子が活性化、暴走したのだと思われる。
で、その聖術士ボルガンのその後というと、
「己の記憶が確かならば、この宮殿の宝物庫の片隅に転がしておいたはずだ。いまやただの【ガラクタ】に過ぎないが」
「ガラクタ?」
たとえ〝色欲〟の影響下にあっても生真面目なシュラトの性格が功を奏したのか、瞬殺したボルガンの遺骸――否、【残骸】を持ち帰り、宝物庫に放り込んでおいたらしい。
実際に宝物庫に足を運んでみて、シュラトがそれを【ガラクタ】と呼んだ理由がすぐにわかった。
そこにあったのは、黒衣に包まれた鉄屑だったのである。
もっと有り体に言えば、それは壊れた【ロボット】であった。
「――なるほど、な。〝聖術士〟ってのはつまり【そういうこと】か」
聖術がいかなるものかは、もう大凡わかっているとは思うが、改めてここに明言しよう。
詰まるところ聖術とは『機械技術』である。
無論そうは言っても、俺が前にいた世界での『機械技術』とは一線を画する。いや、一線どころではないか。二線も三線も画した、まったくの別物だ。
金属を使って組み立てた道具や兵器――これを『聖具』という。
もちろん聖神の技術――略して『聖術』を用いたが故に、『聖なる道具』という意味も併せ持つ。
俺が前にいた世界では主な動力が電気、もしくは『燃える液体』を用いた燃焼機関だったりしたが、この世界においては『聖力』がそれにあたる。こちらは理力や魔力と同じく、細かい性質こそ違えどエネルギーの一種であると理解して欲しい。
先日の聖竜アルファードも、金属で出来た機械の竜だった。要するに聖神という存在は、科学技術に酷似した文明を有し、それらを以て大陸の西の果てを支配しているのである。
ここ、ムスペラルバードの宝物庫に『聖術士ボルガン』と名乗った人物の残骸があるということは――おそらくはアルファドラグーンで名前を耳にした人物もまた、【生身の肉体を持たない存在】、ということになる。
そう、ここにあるのは分身体だ。
いま現在もアルファドラグーンにいるであろうボルガンも、そしてここに壊れて転がっているボルガンも、おそらく中身は同一人物。
聞けば聖神というのは、決まった肉体を持たず、名前の響き通り【精神体のみの存在】だという。
彼らは必要があれば分身体と呼ばれる、この世界での仮の肉体に乗り移って行動するのだと――かつて〝白聖の姫巫女〟ニニーヴから聞いたことがある。
即ち、これまで俺達の見えないところで暗躍していたであろう『聖術士ボルガン』なる者の正体は――〝聖神〟なのだ。
複数の分身体を用いてアルファドラグーンでは聖具隊を結成させ、聖竜アルファードを目覚めさせ。
ムスペラルバードではシュラトの前に忽然と現れては〝色欲〟や〝暴食〟を強制的に活性化させ。
そしておそらく――否、十中八九、俺とエムリスがそれぞれの国から追放される原因を作った。
それが『聖術士ボルガン』――いや、〝聖神ボルガン〟なのだ。
「やっぱり聖神関係だったか……」
以前から臭いとは思っていたのだ。
アルファドラグーン兵が持っていた聖具と、ドラゴンフォールズの滝から復活した聖竜アルファード。そしてジオコーザやヴァルトル将軍、モルガナ妃がつけていた理力も魔力も感じられないピアス。
これらの材料から、西のヴァナルライガーを本拠地とする聖神教会が怪しいとは思っていたが、まさか本物の聖神が絡んでいたとは。
だが相手が本物の聖神だというなら、シュラトをして不覚を取ったのも頷ける話だ。
奴らは精神体。つまる精神的な事柄においては人間や魔族に比べて一日の長がある。
かりそめの肉体である分身体――人型ロボットこそ破壊されたが、奴は見事にシュラトの精神へと介入し、身の内に宿る八悪の因子〝色欲〟と〝暴食〟に影響を与えた。
その結果、肉体の主導権を〝色欲〟に乗っ取られたシュラトは陽気な優男となり、ムスペラルバード王国のグリトニル宮殿へと押し入り、王位を簒奪し――現在へと至るわけである。
「――一体、何がしたいんだ?」
やってくれたことは普通にとんでもなく、正直、目の前にいたら即座にぶっ殺してやりたい程なのだが。
しかし、その目的が相変わらず見えてこない。
俺とエムリスを国から追い出し、なおかつ世界中で戦乱を起こさせ、なおかつシュラトの因子を焚き付けてムスペラルバード王国を混乱させ――聖神ボルガンに一体どんな得があるというのか?
聖具やら聖竜アルファードやらを各勢力に売りつけて、金でも稼いでいるのか? いや、精神的な存在である聖神が金にがめつくてどうするのか。
存在の基本が精神なだけに、物理的というか即物的というか、そういった欲には無縁のはずだ。
そも、聖神らが本来属する世界には〝こちら側〟のものは持って行けないはず。この世界でいくら金を稼ごうが〝あちら側〟では全く意味がないのだ。
――では、逆に考えてみよう。
もし仮に、世界の現状こそが聖神ボルガンの目的だとしたら?
人界の騒乱、それこそが奴の目的だとしたら?
可能性はゼロではない。
聖なる神と言っても、それは奴らの自称に過ぎない。名前こそ『聖神』などと偉ぶってはいるが、その中身は実際の所わかったものではないのだ。
神には善神もいれば悪神もいる。
場合によっては、魔王エイザソースなんかよりも質が悪い神が存在していてもおかしくはない。
まぁ、〝あちら側〟に関しては俺もニニーヴから聞きかじった程度の知識しかなく、そのニニーヴですら、聖神という存在の詳細についてはあまり知らないそうなのだが。
「どうあれ、やっぱり一回ヴァナルライガーには行っとく必要があるよな……」
それが現状で出せる唯一の結論だった。
というか、シュラトの件がなければ俺達は西のヴァナルライガーに向かう予定だったのだ。
「――となると、どうにか早めに次の王様になってくれる奴を見つけないとな……」
ぼそり、と小さく呟く。
この国の関係者には悪いが、やはり長々と付き合ってはいられない。ポンポンと王冠が移動して悪いが、可能な限り早急に次の王様候補を見つけて自由を取り戻さなければ。
このままでは立場上、おいそれとムスペラルバードを出ることすらままならない。
「――? アルサル様、今なにか仰いましたか?」
微風レベルの溜息に交えて出した呟きに、耳聡くガルウィンが反応した。こいつ、自分では大声を出すくせにやたらと耳がいい。いや、剣士として、そして戦士としては非常によいことではあるのだが。
「いや、何でもない。気にせず仕事を続けてくれ」
「……? はい、わかりました」
俺が毅然と手を振って否定すると、ガルウィンは大人しく引っ込んだ。素直なところは相変わらずこの青年の美徳である。
そんなガルウィンが今現在、何をしているのかと言えば。
内政である。
そう、ガルウィンだけでなくイゾリテもそうなのだが、二人にはムスペラルバード王国の内政の仕事をしてもらっているのだ。
なにせ下級貴族とは言え、元はセントミリドガル王国の騎士爵だった人間である。
地方の領地と一つの国ではスケールが大分違うが、根っこの部分は似通っているはず。
だから先日まで国を治めていた元王族らと連携を取り、仕事のやり方さえ理解すれば問題ない――二人はそう主張して、むしろ率先して自分達から内政の仕事がしたいと言い出したのだ。
当然ながら、それを止められる俺ではない。可愛い教え子達がやる気を出しているというのに、そこに水を差すほど無粋な人間にはなれなかった。
なので、先程イゾリテが言っていた後宮解体もその一環である。
俺がムスペラルバードの国王に即位してまだ日も浅いが、持ち前の経験と知識、情熱と機転をフルに活用して、ガルウィンとイゾリテの兄妹二人は、砂が水を吸うような勢いで内政の仕事を覚えていった。
さらに言えば、シュラトの眷属であるレムリアとフェオドーラの支援もある。
というのも、当初の予定ではシュラトは二人の美姫の眷属化を解こうと考えていたのだが、そうはならなかったのだ。
「断られた」
この台詞を聞くのも二度目である。
一度目は王位返上が拒絶された時。
二度目は、赤毛のレムリアと銀髪のフェオドーラに眷属化の解除を拒否された時。
お前はどれだけ断られるのかと。そういう星の下に生まれてきたのかと。
そんな突っ込みを入れたくなったが、ぐっ、と我慢して――
「なんでまた?」
と問うと、シュラトは神妙な顔で頷き、
「眷属化と同時に婚姻関係も解消しようとしたのだが、そちらも断られてしまった。レムリアもフェオドーラも口を揃えて『私はあなたの妻になったのだから別れるつもりはない』、と。その一点張りだった」
まるで他人事のように粛々(しゅくしゅく)と言う。
しかし意外な展開だ。
元々あの二人は前国王の後宮の一員で、しかしまだ手つかずだったところをシュラトによって掬い上げられたと聞く。つまり後宮に入って日も浅いはずで、なおかつシュラトが王位を簒奪してから数日しか経っていないのだから、大した絆は結んでいなかったと思うのだが――
一体どうして、このような関係の継続を望んだのだろうか?
「わからない。正直、己には理解できる気がしない。女は怖いな、アルサル……」
首を横に振ったシュラトは、かつて魔王を倒した〝金剛の闘戦士〟と思えないほど暗い顔で俯いた。
そういえば、こいつは昔から女と話すのが得意ではないというか、ぶっちゃけ苦手だったからな。一緒に旅をしたエムリスやニニーヴとも微妙に距離を取っていたし。まぁ、一年も行動を共にしたこともあって、魔王を倒す頃には大分慣れていた様子だったが。
しかしだからこそ、〝色欲〟の因子を受け持つのに最適だと判断されたのである。エムリスが嫌味で言っていた程ではないが、もし俺が〝色欲〟を受け持っていたら、シュラトより早く暴走していた可能性が高い。いや、ほぼ確実にそうなっていたという自信がある。
他ならぬシュラトだからこそ、〝色欲〟と〝暴食〟という、人間の三大欲求に根差した強めの因子を十年もの間抑えておくことができたのだ。
もしかしなくとも、ボルガンとやらの余計な手出しさえなければ、今現在でもそれは続いていたはずだ。
そんなシュラトが、まさかこんな形とはいえ結婚――いや、【重婚】することになろうとは。
まぁムスペラルバード王国に限らず、この世界で重婚を法で禁じている共同体は、ついぞ聞いたことがないのだが。
とはいえ、法で禁じられてこそいなくとも、やはり体裁は悪いようで。
ムスペラルバードの後宮はそこそこ存在が知られたものだったが、セントミリドガルのオグカーバ国王はと言うと、公式にはガルウィンとイゾリテが実の子であることを隠していたりする。もちろん関係者はみんな知っているが、世間には公表されていないという意味での『隠し子』だ。
この世界にも、一応それなりのモラルはある、ということだ。
そのこともあって、シュラトは美姫二人に離婚と眷属化の解除を申し出たのだろうが――
「そうはいっても、理由がわからないのは少し不気味だな……」
そう思った俺は、勝手ながらシュラトの妻である二人に話を聞きに行くことにした。
婚姻関係はともかく、眷属化についてはシュラトから一方的に破棄することも可能なはずだ。それをどのような言葉ではね除けたのかと興味もあったのだが――
「それはもちろん、シュラトちゃんを愛しているから、かしらねー?」
小麦色の肌と炎にも似た赤毛を持つ美女レムリアは、実に軽いノリでそう答えた。
ものすごいストレートな返答にちょっとどころではなく面喰う。
というか普通に言葉が矛盾していて混乱する。『それはもちろん』と言いながら語尾で『かしらねー?』と締められても困るのだ。疑問形で言われても俺にわかるわけもなく、また全然『もちろん』ではないじゃないか――と。
「はい。私もレムリア様と同様です。婚姻および眷属の関係解消をお断りしたのは、シュラト様を愛しているから……それ以外に理由はありません」
ローズクォーツにも似た薄桃色の瞳で俺をまっすぐ見つめ、静かに、しかし力強く断言するフェオドーラ。
「わぁ、フェオちゃんったら。情熱的ねぇ」
揶揄するようにうふふと笑うレムリアだったが、俺も同感である。
まるで恥ずかしげもなく、愛している――と、彼女はそう言い切ったのだ。
もはや、驚きを通り越して感動すら覚えた。
ここまではっきりと、胸を張って愛を語る御仁がいるとは。
ある意味、魔物の大軍勢を前にした時よりも圧倒されてしまった。
「ああ、でもね、単純に惚れた腫れたってわけじゃないのよ? 一応それなりに馴れ初めはあるの。あたしも、フェオちゃんも」
二の句が継げないでいる俺に、レムリアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、その馴れ初めとやらを語ってくれた。
「あたしはね、こう見えて東北地方の豪族の末娘なの。まぁ他の人もみんなそうだけれど、いわゆる政略結婚? みたいな理由で後宮に入れられたのね」
よくある話だ。国のトップに立つ人間の婚姻に愛があることなど希である。何人もの側室を持つ王族であれば、大体の結婚理由は『政略』の一言で済む。
「でも、知っているとは思うけれど、うちの国はずっと内乱でゴタゴタしていたでしょう? 結局の所、あたしみたいな身内を後宮に入れても、水面下での対立は消えなくて、いつまた内乱が起こってもおかしくない状況だったのよ」
和睦のための政略結婚も、多方面から妻を娶っていては畢竟、あちこちからのしがらみで雁字搦めになる。
あちらを立てればこちらが立たず。それぞれに対立し合う勢力は、やはりそのままでは共存不可能なのだ。
「そんな時に限って、セントミリドガル王国があんなことになったじゃない? 国として攻めるのには好機だし、地方豪族の人達にとっては中央の戦力が薄くなるしで、どう考えても〝崩壊〟が目に見えていたのよね」
その時の状況が瞼に浮かぶようだ。当時の国王ら一派は、長年敵視していたセントミリドガル王国を潰す絶好の機会だと思ったに違いない。それと同時、ムスペラルバード国内の地方豪族らもまた、下剋上を成す千載一遇の好機だと考えたはずだ。
それぞれが牙を研ぎ、爪を尖らせ、激発の時期を待っていたはずが――
「でも、ちょうどそこにシュラトちゃんが来てくれて。あっという間に宮殿を制圧しちゃったのね」
ふふふ、と楽しげに笑うレムリア。当時の光景を思い出しているのだろう。水色の瞳がキラキラと輝くようだ。
「すごかったわぁ。シュラトちゃんが何もしてないのに衛兵さんがバタバタ倒れていくし、そりゃもう王様も王妃様も、もちろん後宮のみんなもガクガクブルブルだったのよ。もちろん、あたしもフェオちゃんもね?」
俺の〝威圧〟やエムリスの〝魔圧〟と同じ原理だろう。
だがシュラトの闘気の制御は俺やエムリスとは違い、精密な調整が可能だ。
オールラウンダーではなく肉体を駆使した戦闘に特化したシュラトだからこそ、衛兵のみを昏倒させることが出来たのである。
「それからはあっという間だったわねぇ。王様はシュラトちゃんに変わっちゃって、そしたら宮殿の危機って聞いた各地方の豪族が群れを成して攻めてきて……もちろん、あたしの家の軍隊も。でも……」
堪えきれなくなったように、あっははは、とレムリアは笑い声を高くした。
「みんな一緒だったの。シュラトちゃんが一睨みしただけで玩具みたいに倒れていって、誰も何も出来ないまま終わったの。あっけなかったわぁ」
それは見ようによっては凄惨な光景だったろうが、同様に見方を変えれば喜劇にも映っただろう。身内であるレムリアには、しかし後者として見えたようだ。
ひとしきり笑ったレムリアは、ふぅ、と一息つくと、
「おかげで、とっても平和的に内乱が収まったのよ。誰も死ななかったどころか、誰も傷つかなかった。あたしのお父さんも、お兄さん達も。本格的な内乱が起こったら誰かしら死んじゃうものと覚悟していたのにね。みーんなシュラトちゃんに心折られて、あんなにいがみ合っていたのが嘘みたいに大人しくなっちゃったの。まるで借りてきた猫みたいに」
うふふ、とまたしても思い出し笑いをする。
まぁ、男共の気持ちはわからんでもない。戦うことすら出来ずに負けたのだ。下手に戦って負けるよりもよっぽどプライドは傷つくだろうし、絶望感もひとしおだったろう。
なるほど、と今更ながらに納得する。
久々にムスペラルバードに来て、王都アトラムハーシスを訪れた際、やたらと活気があるなと思ったものだが――
さもありなん。国王が替わったとはいえ、その代わり他の諸問題が軒並み解決したのである。
いつ戦乱が起こるものかと怯えていた国民にとっては、これ以上無い朗報だったのだ。
「だからね、シュラトちゃんはあたしにとって恩人なの。その上で後宮にたくさんいる人の中から、あたしを選んでくれたのよ? こんなのもう愛しちゃうしかないじゃない。でしょ?」
幸せそうに微笑んで、レムリアは軽く首を傾げて同意を求める。無論、俺は肯定も否定もしない。こういうノロケ話に乗ってはいけないと、経験則で知っているが故だ。
「私はレムリア様ほど込み入った事情ではありませんが、概ね似たようなものです」
と静かに語り出したのは、見るからにムスペラルバード人ではないフェオドーラ。
「お察しの通り、私はニルヴァンアイゼン人です。レムリア様や他の皆様と同様、国交を目的とした政略結婚の一環で後宮に送り込まれました」
だと思った、とは口には出さなかった。
北国であるニルヴァンアイゼンの人間は、人種的特徴が南国のムスペラルバードとは真逆に過ぎる。
髪、肌、瞳の色はもちろんのこと。顔立ちから体付きまで異なるので、同じ人間ではあるが、同時にまったく別の種族であることが明白だ。
さらに言えば、フェオドーラの全身からは抑えようもない気品が漏れ出ている。聞くまでもなく、高貴な出であることが察せられた。
「ですが、私もこちらへ来てまだ日も浅い新参者です。人種の違いもあってか、我ながら後宮の中でひどく浮いていた私を、シュラト様は見出して傍に置いてくださりました。新しい石畳に座らされているような気分だった私ですが、おかげ様で随分と救われました。いくらお礼を言っても足りそうにありません」
後宮とは女の園。俺には想像しか出来ないが、その場でしか通用しないローカルなルールがたくさんあったはずだ。外国人のフェオドーラはほぼ間違いなく場の空気に馴染むことが出来ず、あぶれていたに違いない。知ってか知らずか、シュラトは彼女をそんな境遇から掬い上げたのだ。
「私は前の国王陛下とはまだお目通りすら叶っていませんでした。ですので、私にとって王とは、夫とは、シュラト様ただお一人だけなのです」
大人しそうに見えてしかし、くっきりとした強い視線でフェオドーラは俺を見据える。見た目の線こそ細いが、芯は太い――そう思った。
幸か不幸か、〝色欲〟の影響下でとんでもない行動を起こしたシュラトは、随分と希有な女性らを妻として引き当てたらしい。
言わずもがな、ただの人間の女がここまで覚悟を決められるはずがない。
何らかの運命か、それとも神のいたずらか。シュラトが選んだ美姫二人は、〝勇者〟の俺が驚くほど肝の据わった女傑だったのである。
この二人がシュラトの妻にして眷属だと言うのなら、かつての仲間として、そして古い友人として、もはや言うことはない。
幸せを掴んだな、シュラト。
心から祝福するぞ。
とはいえ、しかし――だ。
「――なるほど、よくわかった。だが、一つだけ疑問があるんだが、いいか?」
レムリアとフェオドーラがシュラトと出会った時、奴は八悪の因子〝色欲〟と〝暴食〟から強い影響を受けていた。
沈黙寡言に手足が生えたようなシュラトだが、当時は多少なりとも人格が変容していたはず。
そう、再会した時のようにチャラチャラした陽キャだったはずだ。よく笑い、よく喋り、よく戯ける――本来の性格からは真逆のキャラクターで、グリトニル宮殿を制圧していたと予想できる。
それが今や、まったく正反対の陰キャなのだ。
そのあたりのギャップについてはどう思うのか? と問うと――
「そうでもないわよぉ? シュラトちゃん、後宮であたし達を選んでくれた時はまだ純朴そうな感じだったし。むしろ、この何日かで変なノリになっちゃったから、あたし達もちょっと驚いていたのよねぇ」
「ええ。現国王陛下がお会いに来た時がピークだったかと。シュラト様らしからぬ様子でしたが、楽しそうでしたのであまり気にしないようにしておりました」
現国王陛下――つまりは俺のことなのだが、改めてそのように呼ばれると背中が痒くなってくる。
しかし、なるほど。グリトニル宮殿に乗り込んで後宮を乗っ取るという行動にこそ出てはいたが、まだ人格にまで大きな影響が出ていない微妙な時期だったのか。
八悪の因子の影響は、人格よりも先に行動パターンに出る――よく覚えておこう。
「ってことは、今みたいな寡黙で表情があんまり変わらないシュラトでも問題なし、なのか?」
確認のため、敢えてシュラトの非モテなところを挙げて聞いてみたのだが、レムリアとフェオドーラは同時に首肯した。
「そういうところがいいのよー。ほら、ムスペラルバードの男って陽気でうるさいのが多いから。あたし的には新鮮で魅力的に思えるのよねー」
赤毛のレムリアは、うふふふ、と蠱惑的に笑い、
「私は逆に、ニルヴァンアイゼン人の男性によく見られる質実剛健なところが素敵だと思っております。そして、シュラト様は他に類を見ないほどの紳士です」
意外なほど強い語調で、銀髪のフェオドーラは力説した。
まぁ、〝色欲〟の影響下にありながらなお二人の美姫には指一本触れていなかったというのだから、シュラトの理性というか、女性に対する奥手ぶりは筋金入りだ。
確かに、見ようによっては『紳士』とも言える。見ようによっては。
俺が勝手に頭の中でそう得心していると、レムリアがやや頬を赤く染め、どこか照れくさそうにしながら、
「それに……ほら。可愛いでしょ? シュラトちゃんって」
「――は?」
戦闘時の筋肉ダルマ状態を知っている俺としては、シュラトに対して『可愛い』という言葉ほど縁遠いものはない。故に、思わず変な声が出てしまった。
片手で朱の差した頬を押さえながら、完全に惚気モードに入ったらしきレムリアを、フェオドーラが薄桃色の瞳で冷たく見やる。
お、そうだぞ。このボケには、相方のお前さんがツッコミをいれるのが一番だよな――とか思いながら見ていると、
「わかります」
真面目ぶった顔で力いっぱい同意しやがった。
「は?」
え? どうしよう。何これ? 何の話? 俺は一体どう反応すればいいんだ?
突如として出現した謎空間に、俺は混乱する。
「レムリア様の仰る通り、シュラト様の魅力はその『可愛さ』にこそあります。あれは……たまりません」
待って? その『あれは……』の後の溜めがすごくない? 言葉に表そうとして結局は出来なくて、最終的に『たまりません』の一言に全てを注ぎ込んでるよね?
密かに拳を握り込んだフェオドーラに、きゃあ、とレムリアが黄色い声をあげてはしゃぎ出す。
「そうなのよー! それにほら、シュラトちゃんって体の大きさが変えられるじゃない? あたしね、あたしね、特に子供になったときのシュラトちゃんがほんとに大好きでー!」
「完全同意」
聞いてもないことを語り出したレムリアに、しかしフェオドーラも見た目に依らない力強い声で同調する。いや四文字熟語みたいに言うな。言葉遣いというかキャラが壊れてるぞ。というか、そこまで気合い入っているのに表情があんまり変わってないって逆にどういうことだよ。
「…………」
まいったな。言葉は通じるのに、二人が何を言っているのかさっぱりわからない。
唯一わかるのは――
「――ショタが好きなのか?」
直感的に頭に浮かんだ質問を出すと、ピタリ、と二人の美姫の動きが止まった。
「…………」
「――――」
「いや図星かい」
まるで時が凍り付いたかのような、あからさま過ぎる静寂に、俺の気の抜けたツッコミだけがよく響いた。
しかし何はともあれ、これで疑念は払拭された。
別段、人の趣味をどうこう言うつもりはない。とやかく言ったところで無粋の極みだからな。
レムリアとフェオドーラが可愛くて小さい男の子が好きな特殊性癖の持ち主ということで、それ故に肉体操作のできるシュラトにぞっこんだというのなら、納得しかない話である。見た目は子供、中身は大人――そんな奴はそうそういないだろうからな。
二人がシュラトの妻であり眷属であり続けることを選んだ、その理由は理解できた。
これ以上は夫婦間の話である。
俺からは敢えて何も言うまいて。
頑張れよ、〝金剛の闘戦士〟シュラト。
存分に幸せになってくれ。
まぁ、知らんけど。




