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●17 星を斬り、法則を変え、起死回生を狙う 1









 破軍大公アルカイドは、自分がまだ生きていることに気付き、心の底から驚いた。


「……はっ!?」


 どれほどの間、気を失っていたのだろうか。


 覚醒した時、アルカイドの体は瓦礫の山の上に転がっていた。言うまでもなく全身が傷だらけで、激痛が神経をさいなんでいるが――


「ぐっ……!」


 しかし致命傷ではない。上級魔族に貴族、それも七剣大公(セブンスターたるアルカイドにとって、致命傷以外はかすり傷だ。すぐさま体内の魔力を総動員し、傷を回復させる。


 次の瞬間には全快ぜんかいしたが、それでも体中に染みついた痛みの感覚はすぐには消えない。そんな肉体にむちち、アルカイドはどうにか瓦礫の上で立ち上がる。


 見渡す限り、廃墟の群れ。


 ほんの少し前まではここに存在していた、栄華の街――魔国『エイドヴェルサル』が央都『エイターン』の姿は、もうどこにもなかった。


 東西南北どちらに視線を向けようとも、目にうつるのは瓦礫の山――かつて城塞都市だった場所の名残なごりばかり。


 何もかもが、終わっていた。


「――……」


 この時、アルカイドの胸中に去来したのは、十年前と同じ思いだった。


 十年前もそうだったのだ。


 気が付いた時には全てが終わり、魔界は崩壊していた。


 それどころか、魔族にとって神とも言える存在――魔王陛下までもが崩御ほうぎょなされていたのだ。


 その瞬間まで自分も含め、全ての魔族と魔物は魔王陛下の意思の下に統一され、自我じがを失っていた。


 かの〝勇者〟を代表とした人間の英雄の手によって魔王陛下が討たれるその時まで、魔界そのものが魔王陛下と一つになっていたのだ。


 しかし、肝心かんじんかなめの魔王陛下が死んだことにより、全ての呪縛は解かれ、アルカイドらにも自意識が戻ってきた。


 目が覚めたその時、最初に目にした光景こそが――今見ているものと酷似したものだったのだ。


 破壊の光景。


 憎き〝勇者〟達が残した傷跡。


 もはや、疑いようもない。


 先程の配下の報告は全て事実だった。


 まだ人界に間者かんじゃを放って一月も経っていないというのに、奴らはここ央都『エイターン』へ奇襲をかけてきたのだ。


 せっかく貪狼どんろう大公たいこうドゥーベから『人界は現在、未曾有の戦争状態へと陥っているらしい』という有力な情報を得て、西の『果ての山脈』方面に兵力を集中させていたというのに。


 さらには魔物の再生産にも注力ちゅうりょくし、百万単位の軍勢を続けざまに送り出せるよう体勢を整えていたというのに。


 その全てが、水泡すいほうした。


 あちらの方が何枚も上手うわてだったのだ。


 まさか軍勢ではなく、再び数人の少数精鋭でもって中枢への襲撃を仕掛けてくるとは。


 電撃作戦、などという代物しろものではない。


 光の速さと称しても過言ではない、これは不意打ちであった。


 だが、しかし――


「――一体、何をしている……?」


 空を見上げると、未だそこで戦っている人影が見える。


 魔界の天空を飛び交う煌めきは、銀色、金色、そして青みがかった漆黒。


 色合いからして〝銀穹の勇者〟、〝金剛の闘戦士〟、そして〝蒼闇の魔道士〟であることがわかる。


 しかし、奴らが何をしているのかがさっぱりわからない。


 だが、赤い空を背景に飛び交う三色の輝きを見つめる内、アルカイドは理解してしまう。


「……同士討ち、だと……!?」


 気を失う前に聞いた、配下の報告が耳朶じだよみがえる。


『そ、それが――な、【仲間割れ】です! 〝勇者〟と〝魔道士〟および正体不明アンノウン、都市上空で互いに攻撃し合っています! ――意味がわかりません!』


 最初に聞いた時は、どうせ何か見間違いや勘違いをしているのだろう、と思った。


 何故なら、奴らがこの央都にわざわざやって来て仲間割れをする理由が、ない。


 一体どこにあるというのだ、そんなもの。


 仲間割れをするだけでなら他所よそでもできる。


 こんな所まで来て内輪で揉める理由など、少なくともアルカイドには思いつかない。


 だというのに。


「……あいあらそっているというのか!? この央都の空で!? わざわざ!? 一体いったいどうして!? 何故なぜだ!? 何のために!?」


 たまらずアルカイドは空に向かって絶叫ぜっきょうした。


 こんな理不尽があってたまるものか。


 お前達はこの国を攻めに来たのではないのか。


 人界を代表して、侵略しに来たのではないのか。


 そのために実質的な支配者である、我ら七剣大公の要塞を破壊したのではないのか。


 それとも――それとも……


 奴らには――まさか〝勇者〟達の眼中がんちゅうには、自分達の姿が入っていない、とでもいうのか。


 この破壊され尽くされた都市の惨状が目に入っていない、とでもいうのか。


 ただ単に、仲間割れの舞台としてこの空を選んだだけで、それ以外には何の意味もなかったと。


 この地上に住まう魔族には、一切の興味もないと。


「……そういうこと、なのか?」


 半ば呆然と、アルカイドは呟いた。


 その瞬間、金色の光が銀の輝きを地上に叩き落とした。


 流星よろしく尾を引いて落下した銀の光は、魔王城の付近に墜落ついらくして大爆発を起こす。


 とどろわたる破壊音。


 見ずとも音響おんきょうだけでわかる。都市の一角いっかくが完膚なきまでに吹き飛んだ。あの辺りには魔界貴族の邸宅が集まっていたはずだが――


 と、アルカイドがそこまで思考を巡らせた時、再び爆音が響く。地面から突き上がるような衝撃を添えて。


 銀光の炸裂。


 地面に叩き付けられた〝勇者〟が瓦礫を吹き飛ばし、再び空へと飛翔していく。


 たったそれだけのことで、街の一区画いちくかくが壊滅していた。


 頭上で再び銀と金の輝光ひかりが激突する。


 その際に生じた衝撃波が天空を切り裂き、大地を割断かつだんする。


 あまたの建造物が損壊そんかいしていく。


 央都が壊れていく。


 上空で戦う奴らには、きっと足元の街を破壊しているという認識にんしきはないのだろう。


 当然だ。戦場で、流れ矢の行く末を気にする者などいない。目の前の敵に集中できない者から死んでいく。それが戦場なのだから。


 それはもう、ぞうありの上を歩くかのごとく。


 体の大きすぎる象は、足元のありやその巣に気付くことなど一生ない。例えその大きすぎる一歩が巣を破壊しようとも、そんなものがあったことさえ知りもしないのだ。


 つまりはそれが〝勇者〟達と、ここにいるアルカイドとの間にある、差だった。


「……ふざ……けるな……」


 我知らず、アルカイドの体が震える。まるでおこりのように、体の芯からくる震えだ。


 拳を強く握り込み、奥歯を砕かんばかりに噛み締める。


「――ふざけるなぁッ!! なんだそれはッ!! なんなんだ!! なんだと言うのだッ!!」


 激情が声となって迸った。


 転瞬、アルカイドの全身から魔力が溢れ、青白い魔光となった。


 魔界貴族、それも七剣大公セブンスターであるアルカイドの魔力量と強さは、魔王を除けば魔界においていちを争う。


 無論のこと国を動かす七剣大公セブンスター同士が戦うわけにはいかないため、実際の優劣こそわからないが――力こそが全てである『エイドヴェルサル』において、地位は実力そのものだ。


 つまり、七剣大公セブンスター筆頭を自負するアルカイドは自他共に認める、現在の魔界における最強の存在だと言っていい。


「……許さん、絶対に許さん……許さんぞ〝勇者〟どもぉっ!!」


 そんな男の頭の中には、もはや怒りしかなかった。


 髪が逆立ち、血管が沸騰するほどの憤怒を抱えた男は、瓦礫の山の上で立ち上がる。その全身からは眩いほどの青白い魔光が放たれ、廃墟と化した街を煌々(こうこう)と照らす。


「――殺す! 殺してやる! この手でくびり殺してやるぞぉおおおおおおおおおおあああああああああッッッ!!!!」


 絶叫したアルカイドの肉体に、突如として変化が起きた。


 頭部から生えた角に、縦長の瞳孔を持つ瞳、そして肌に浮かぶ刺青いれずみにも似た特殊なあざ――これらが一般的な魔族の特徴だが、もちろんアルカイドはその全てを有している。


 大きく太く、ねじくれた一対の角。四つの眼窩に収まった八つの瞳。左半身に浮かぶ金属質のあざ初代しょだい破軍はぐん大公たいこうの直系を示す形をしていた。


 だがそれは、あくまで平時の姿。上位魔族にして魔界貴族であるアルカイドには『第二の姿』がある。


 喉から絶叫をほとばしらせ、全身から膨大な魔力と魔光を放ち、アルカイドは変貌する。


 膨張する体躯。身につけていた衣服を引き千切りながら、ただでさえ二メルトル以上もある巨躯が、嘘のように膨れ上がっていく。


 頭部から生えた二本にほんつのはさらに伸び、ねじくれ、太くなり。


 巨大化した肉体は、その皮膚が次々に硬質化し、変色。鎧のような装甲へと変わっていく。


 目が増え、腕が生え、足が枝分かれをし――


 最終的には十数メルトルもの巨体を持つ、漆黒しっこくみにく異形いぎょうへと成り果てた。


 その姿は既存きぞんの生物でたとえることは出来ない。だが、しいて似ている部分を列挙れっきょするのであれば、クモに似た頭部に大きくねじくれた二本角、八本の節足と、カマキリがごとき刃を持つ四本の腕、ムカデのような長い胴体に、サソリに酷似した尾と鋭い針を持ち、それら全てが甲虫がごとき漆黒の装甲でよろわれている。


 もはや原形をまったくとどめていない、アルカイドの戦闘形態であった。


『――ガァアアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!』


 曲がりなりにも人間に近かった『ヒト族』としての姿を完全に捨て、魔物に近い容貌。もはやクモと同じ鋏角きょうかくを有する口元から、異質な咆吼ほうこうが上がる。


 それはもう『声』ではなく、『音』だ。


 異様な雄叫びが破壊された街に響き渡る。


 全身から青白い魔光をほとばしらせ、しかし頭部に開いた十六対の瞳――三十二の瞳からは熾火おきびにも似た赤黒い輝きを放ち、異形と化したアルカイドは激憤に身を震わせる。


 背中にあたる部分の装甲が、バグンッ、と開いたかと思うと、そこから半透明なはねが幾枚も飛び出した。都合つごう十枚じゅうまいを超えるはねが小刻みに震え、漆黒の巨体を宙に浮かせる。


 殺意。


 憎悪。


 周囲の大気をビリビリと震わせるほどの激情を巨体かららしながら、怪物と化した破軍大公アルカイドは飛翔した。


 標的は、赤い空を背景に同士討ちをしている〝勇者〟一行。


 我が魔界最強の力をもって、奴らを殲滅せんめつする――!


 アルカイドは地上ちじょうから天空てんくうへとはしる稲妻となった。



 ■




星剣せいけん抜刀ばっとう――」




 本来なら、これからの生涯において二度と口にすることはなかったはずの言葉を、くちびるからつむぎ出す。


 ドクン、と強く脈打つ俺の心臓。


 俺の剣。〝勇者〟の剣。銀穹ぎんきゅうの力を持つ剣。星の力を持つ剣。魔王を倒す剣。魔王を殺すためだけに存在する剣。


 ――【ソレ】は、俺の心臓の中にある。


 物理的な意味でも。


 概念的な意味でも。


 秘蔵のつるぎはこの俺――つまり〝勇者〟の心臓をさやとする。


 これこそは、魔王を打倒するために生み出された伝説の剣。俺が〝銀穹の勇者〟としてこの世界に召喚された瞬間、聖神によって体内に封入された〝対魔王兵器〟。


 人類の最終兵器たる俺の、最終兵器。


 その名も――〝星剣せいけんレイディアント・シルバー〟。


 ……うん、わかっている。昔の俺は誇らしげにこの名を口に出して叫んでいたものだが、それがとても【痛いこと】だったのは、今では重々承知しているつもりだ。


 レイディアント・シルバー、つまりは『光り輝く銀』という意味である。


 この世界において、銀という金属が退魔の力を持つ、というのは先述の通り。魔界の支配者にして世界の破壊者たる魔王を、唯一殺しうる〝最強の毒〟という意味では、なるほど『光り輝く銀』というのは言い得て妙であろう。


 しかし、この【いかにも】な名前はどうにかならなかったものだろうか。まぁ初代勇者から受け継がれてきたものなので、俺が文句をつける道理もなければ、心より恥じることもないのだろうが。


 閑話休題はなしがそれた


 ともあれ、この〝星剣レイディアント・シルバー〟こそが俺の愛剣――俺が所有する中で最強の剣なのだ。


 それを今、ここで抜き放つ。


「――――――――!!」


 左胸、つまり心臓に当てた右手が灼熱する。


 心臓の鼓動から伝わる膨大ぼうだいな熱。


 右腕全体に銀光がともり、徐々に輝きを強めていく。


 俺の心臓をさやとする星剣は、エムリス直伝のストレージの魔術のように亜空間に収納されているわけではない。


 心臓はあくまで鞘の鯉口こいくちでしかない。星剣そのものは俺の血液に溶け込み、全身の血管を巡っている。


 そう――星剣は俺の肉体とほぼ同化しているのだ。


 俺こそが剣であり、剣こそが俺。


 そのため、剣を抜くためには物理的にも概念的にも、鞘を――心臓を【開かねばならない】。


「――~っ……!」


 やがて銀光と熱を帯びた右手が、胸の内部へと沈み込み始めた。衣服を貫き、胸の筋肉に呑み込まれ、ズブズブと埋まっていく。


 ここからはもう感覚だけの世界だ。


 右掌が、心臓に、触れる。


 ドクン、ドクンと脈動する鼓動を、てのひらじかに感じる。


 全身の血流が猛烈な勢いで循環じゅんかんしているのがわかる。体温が上昇しているのもそのせいだ。


 俺の血液に溶け込んだ星剣の成分が、心臓めがけて集まってくる。収束していく。


 掴んだ。


 五指が握るのは心臓であり、星剣のつかだ。


 ぐっ、と力を込めて引き抜いていく。


 血液に混じった星剣の欠片が心臓へと集まり、俺の握った剣柄へと収斂しゅうれんしていく。


 転瞬てんしゅん、眩い銀の煌めきが俺の胸から放射され、赤い空の一角を白銀に染め上げた。


 ゆっくりと、しかし確実に。


 俺の胸から、心臓から。


 恒星のごとく輝くつるぎが引き抜かれていく。


 同時に、体の内側から星剣の成分が薄まっていくのを感じる。


 右手を胸の内側から引きずり出すと、そこにはやはり、光り輝く銀の棒が。


 俺はそれに左手も添え、両手で引き抜きにかかった。


 ずるり、と抜け出る。


 だが、俺の心臓から現出したのは一メルトルほどの銀光の棒っきれであり、どう見ても剣の形などしていない。


 だが、【これでいい】。


 これこそが〝星剣レイディアント・シルバー〟、その素体なのだから。


 そう、これはまだ【剣柄】に過ぎない。


 刀身は、ここからさらに【解放】するのだ。


 だが、その前に――


『任せたぜ、エムリス』


『おうともさ。このボクに任せたまえ』


 念話を送ると、間髪かんぱつ入れず快諾かいだくが返ってきた。


 俺が抜刀した星剣を【解放】する前に、やっておかねばならないことがある。


 それは――この世界の保護だ。


 俺の力は、外部世界の概念『八悪』を宿していることもあって強力きょうりょく無比むひ。下手をすれば、今いるこの世界をも破壊してしまう力を持っている。


 故に――魔王を殺す際もそうだったが――どうにかして世界を保護しておかなければ、十全じゅうぜんに力を発揮はっきすることが出来ないのだ。


 そこで必要となってくるのが、エムリスの力である。




禁呪きんじゅ解放かいほう――」




 ささやくようなエムリスの声が、不思議と耳に届いた。


 いつも尻に敷いていた大判の本は、今は胸の前に浮いている。


 その本が突如、ひとりでに表紙を開いた。


 高空の強い風によるでなく、ページが勢いよくバラバラとめくられていく。


 既にエムリスの輝紋は励起状態。ダークブルーの輝きが皮膚上を駆け巡り、やがて大判の本へと伝播でんぱした。


 以前にも言ったが、あの本は飛行専用の本などではない。俺の〝星剣レイディアント・シルバー〟同様、〝蒼闇の魔道士〟だけが持つ特別な代物しろものなのだ。


 俺が『絶対切断の概念』を持ち、シュラトが『無限成長の概念』を有するように、エムリスもまた特有の概念を宿している。


 それこそが『究極魔法の概念』。


 全魔力を解放することで、自らを【魔法そのもの】へと変えるという、とんでもない概念である。


 魔法とは『魔の法則』。


 世界のことわりに真っ向から逆らうもの。


 世界を蚕食さんしょくし、あらゆる法則をねじ曲げ、あるいは新たに作り上げ、独自の世界を作る――それが『魔法』だ。


 魔術という『魔の術』などとは比べものにならない。


 故にこそ、エムリスは普段は【禁呪】としてこれを封印している。


 だが、ひとたび解き放てば――




「 断絶アイソレーション 」




 一言だった。


 それだけでエムリスの魔力が行き渡る空間が全て、【世界から隔絶された】。


 絶大にして膨大なエムリスの魔力の及ぶ範囲は、魔界をおおくしてなおあまりある。


 十年前もそうだった。このようにエムリスの究極魔法によって魔界と人界を、龍脈結界以上に断絶し、俺の放つ星剣の一撃からまもったのだ。


『まずはこれでいいかな? では、ボクは詠唱に入らせてもらうよ』


 これにて仕事は終わった、とばかりにエムリスから念話が届く。


 当然ながらエムリスの役目は他にもまだたくさんある。


 なにせ、【俺の星剣だけではシュラトを倒すことはできない】のだから。


『了解』


 俺も短く返事をして、視線をシュラトへ。


 真っ直ぐ見据える。


「――――」


 シュラトもまた、この空間――魔界が世界から隔離されたことに気付いているだろう。


 むしろ、奴もこうなることを予想していたのかもしれない。アスモデウスとやらに乗っ取られた人格が、どこまでシュラト自身の記憶を持っているかは知らないが、少なくとも俺やエムリスの名前がすっと出てきたぐらいだ。魔王との最終決戦時の記憶を有していてもおかしくはないだろう。


 だからこそ、ひたいにあの黄金の一つ目が浮かんでいるのだ。




絶技ぜつぎ開眼かいがん――」




 シュラトの深い声。


 開眼というワードに、額の一つ目――いかにもといった感じだが、さりとて油断は禁物だ。


 あの額に輝く一つ目こそが〝金剛の闘戦士〟のみに与えられる、特別なチャクラ。


 開眼という言葉通り、あのチャクラを開くことで、シュラトは更なる力を発揮することが可能となる。


 あれを現出させたという事実こそ、シュラトが本気になったという動かぬあかしだった。


 かくして、


 ――星剣抜刀。


 ――禁呪解放。


 ――絶技開眼。


 俺達三人は、それぞれのふだったことになる。


 無論、俺を含めて全員がまだ裏技うらわざなり隠し球を有しているだろうが、それはそれとして。


 無意味な小競こぜいはここまでだ。


 ここからはお互いに全力全開。


 相手が完全に沈黙するまで、死闘を繰り広げるのみ。


「――はっ」


 何故か笑いがこみ上げてきて、俺はたまらず噴き出してしまった。


 この状況、かつての仲間同士がたがいに殺意さついしにして――まぁどうせ殺すことなどできないのだが――、本気で殺し合う場面である。


 普通に考えれば悲運にも程がある状況だ。


 だがやはり――楽しい、と。


 そう感じている自分がいた。


 我ながら感性が歪んでいるのか、それとも俺の中に宿る〝傲慢〟や〝強欲〟の影響なのか。


 ともあれ、これだけ体の奥底から力を引き出している状態なのだ。釣られて〝傲慢〟も〝強欲〟も活性化していたっておかしくはなかろう。


 ま、自覚はほとんどないが。


 俺は純銀に煌めく棒のなかばを握り、正眼せいがんに構えた。


「――かがやさけべ、〝ウォルフ・ライエ〟」


 星の名を呼ぶ。〝銀穹の勇者〟である俺が扱える、最大級の星の権能を呼び起こすために。


 刀身、解放。


 俺の中に宿った輝星〝ウォルフ・ライエ〟の力が〝星剣レイディアント・シルバー〟へと流れ込み、刃と化す。


 光だ。


 ただただ、純粋な光がつるぎとなる。


 正眼に構えた銀光のつか、その先端から凝縮された輝光ひかりが伸び上がり、巨大な刀身へと変貌する。


 輝星〝ウォルフ・ライエ〟の力を帯びた光の刃は、どこまでもどこまでも伸張していく。


 限界などない。


 魔界の空を貫き、それでもなお天井知らずに伸びていく。


 星の剣と書いて【星剣】なのだ。


 星を斬れずに何とする。


 まもなく星剣の切っ先は大気圏を抜け、この世界ではまだ存在が知られていない宇宙にまで届いた。


 もはや、その気になれば人界や魔界、聖界を擁するこの惑星すら両断できるほどだ。


 と言っても、歴代の勇者はこの星剣をもってしても魔王を倒せなかったのだが。




「 ■■■■■■■■■・■■■■■・■■■■■■■ 」




 エムリスの詠唱が始まった。


 いつもなら意味のある言葉として響くそれは、しかし今回に限ってはまったく理解不能な音にしか聞こえない。


 圧縮言語コンプ・ヴォイス


 音をかさねて言葉の意味を重複ちょうふくさせ、本来なら長々(ながなが)ぎんじなければならない詠唱を短縮する特殊技法。


 あのエムリスが詠唱しなければならず、さらには圧縮しなければならない術式とは。


 もうこれだけで、その規模の凄まじさがわかろうものだ。


 俺の星剣と、エムリスの禁呪。


 かつて魔王すら打ち倒した英雄二人の切り札に対し、シュラトはたった一人。


 だから楽勝かと言えば、そうとも言えない。


「 ちから やまを抜き おおう 」


 シュラトが感情を見せない顔で何やらうたうと、額の一つ目がゆっくりとそのまなこを開き始めた。


 絶技ぜつぎ――あるいは絶招ぜっしょう、もしくは必殺技や奥の手とでも言った方がわかりやすいだろうか。


 シュラトのそれは『不可能を可能とする』技を意味する。


 シュラトが持つ概念は『無限成長』。


 無限とは『限界が無い』という意味であり、つまりその力を用いて、シュラトは全ての面において【限界を超越】し、文字通り『不可能を可能とする』のだ。


 かつての魔王戦ではシュラトがいなければ、理不尽の塊である魔王を殺すことなど到底とうてい不可能ふかのうだっただろう。


 奴の『不可能を可能とする』絶技があってこそ、俺はこの〝星剣レイディアント・シルバー〟を魔王の命にまで届かせることが出来たのだ。


 しかし味方となれば頼もしい限りだが、敵に回すとこれほど恐ろしい相手もいない。


 まぁ、その点についてはエムリスも、ここにいないニニーヴとてそうなのだが。


 俺も他の三人からは同じように思われたりするのだろうか――などとどうでもいい疑問が頭の片隅をよぎる。


 いや、そうでなければ困る。


 さもなければ、ここで負けるのは俺とエムリスということになってしまうではないか。




「 ■■■・■■■・■■■・■■■■■・■■■■・■■■ 」




 エムリスの圧縮高速詠唱に呼応するように、宙に浮いた本がダークブルーの光を激しく明滅めいめつさせる。光量は徐々に増加しており、今では不思議なハム音をともなっているほどだ。


 既にエムリスの魔力は、ともすれば溺れそうな勢いで空間を満たしている。


 大気に充満した魔力は、火薬も同然どうぜん


 火を点ければ大爆発を起こす。


 だが幸いなことに、ここにいる自称じしょう大魔道士だいまどうしはその爆発を制御せいぎょし、威力を一極いっきょくに集中させることができる。


 準備は整った。


 俺はいつでも絶対切断の斬撃を振るえる状況にあり。


 エムリスはいつでも究極魔法にのっとった禁呪を解放できる状態にあり。


 シュラトはいつでも一発逆転、起死回生の一撃を放てる体勢になった。


 後はもう、それぞれが遠慮無く全力を発揮するのみ。


 しかし不思議なことに、そうなった途端に膠着こうちゃくするのが世の常だ。


 各々(おのおの)が相手の頭に拳銃の筒先つつさきを向け合い、撃鉄は起こされ、指が引き金にかかっているような状態――俺達はお互いを見据えたまま、まるで時が止まったように静止した。


 ガンマンの早撃ち勝負よろしく、激発するけを待つ。


 長い時間がかかるかと思ったが――


 意外にもそれは、すぐに来た。


「――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」


 大気を揺るがす轟音が、足元から噴き上がった。


 何事かと思えば、青白い魔光をまとう、漆黒しっこく異形いぎょう


 見覚えがある。上級魔族だけが有する『第二の姿』――人界では〝激烈態げきれつたい〟と呼ばれる形態だ。


 感情が激しくたかぶった時にだけ変身できる姿らしいが、通常の戦闘では魔族は人間を見下しながら戦うので、滅多に見られるものではない。


 しかし、十年前は魔王の意思が魔族を統率していたので、俺達の前に現れる上級魔族はことごとくがこの〝激烈態〟になって襲いかかってきた。


 個体によって形状けいじょう特性とくせいは様々だが、今地上からこちらに向かって急上昇してくるのは、クモとカマキリとムカデとサソリを混ぜ合わせたような、醜悪しゅうあくな怪物であった。


 昔似たような奴を見たことがある気もするのだが、細かくは思い出せない。


「――!」


 俺は内心で鋭く舌打ちした。動き出す切っ掛けがきたのはいいが、どうやら漆黒の〝激烈態〟は俺に狙いをしぼっているらしい。


 いくら俺でも上級魔族、その〝激烈態〟の攻撃ともなれば洒落しゃれでは済まない。もちろん先程シュラトから受けた攻撃のように即座に再生するだろうが、せっかく〝星剣レイディアント・シルバー〟を抜いたというのに、横から邪魔されるのは単純に鬱陶うっとうしい。


『残念だけどアルサル、あの羽虫はボクが受け持とう。君はシュラトをよろしく頼むよ』


 エムリスからの念話。即座に状況を判断して、下方から流星のような勢いで上昇してくる〝激烈態〟の対応を申し出てくれた。


 さもありなん。俺が展開している超巨大な光の刃――〈ウォルフ・ライエ〉は地上に向けて振り下ろすわけにはいかない。先述の通り、本当に惑星そのものを両断してしまう。いくらここがどうなろうと構わない魔界とはいえ、それは流石にまずい。


 俺が返事する前に、エムリスは動いた。空中でくるりと向きを変え、開いている本を急上昇してくる〝激烈態〟へ。


 次の瞬間、空間が歪んだ。




「 〈ジ・エンド〉 」




 圧縮言語まで使って詠唱したエムリスの、しかし簡素すぎる名前の禁呪が発動した。


 終焉ジ・エンド


 そのままの意味である。


 今やこの空間はエムリスが支配する世界。『究極魔法の概念』によって改竄かいざんされた結界の内側。


 そこでエムリスが『終われ』と言えば、対象には無慈悲に『終末』が叩き付けられる。


 故に、一言でいいのだ。


 ただ単純に、〈ジ・エンド〉、そう告げるだけで相手は終わる。


 ちょうど今のように。


「――――」


 地上から突如として飛来してきた〝激烈態〟は、自らの身に起こったことを、まるで理解できなかっただろう。


 空間に満ち満ちていた魔力が、一瞬にして爆縮ばくしゅくした。


 高速で飛翔する〝激烈態〟へと集中した。


 その瞬間。


「        」


 本来ならとてつもない猛威を振るったであろう、異形の上級魔族。


 しかし、その本領を発揮することは一切なく、喉からほとばしっていた咆吼は唐突に途絶えた。


 【終わった】のだ。


 エムリスの一言で、全てが。


 刹那、青白い魔光を纏っていた巨大な怪物は、上昇してきた勢いそのまま砕け散り、雲散うんさん霧消むしょうした。


 どこの上級魔族だか知らないが、エムリスが称した通り、まさに『羽虫はむし』がごとき最期であった。


 そして、その最期こそが、俺とシュラトにとってのトリガーとなる。




「 〈スーパーノヴァ〉 」




「 〈乾坤けんこん一擲いってき〉 」




 それぞれが声に力を乗せ、最大火力を発動させた。


 我ながらダサい名前だと思うが〈スーパーノヴァ〉が俺の放てる最高の攻撃で。


 シュラトの発した〈乾坤けんこん一擲いってき〉が、奴の得意とする『不可能を可能とする』カウンター技であった。


 高々と掲げた俺の光刃こうじん〈ウォルフ・ライエ〉が刹那、膨大なエネルギーをほとばしらせてあばくるった。


 その姿、まさにてんく龍がごとく。


「――っ!」


 超巨大剣を振りかぶり、一気いっき呵成かせいに振り下ろす。


 狙うは空中の一点。


 黄金の輝きを纏い、額を飾る第三の目を開いた、かつての仲間――〝金剛の闘戦士〟シュラト。


 俺の斬撃は光よりも速く閃き、狙いあやまたず真っ直ぐ落ちる。


 落雷よろしく、シュラトの頭頂部めがけて斬閃がはしる。


 同時、シュラトも拳を突き上げた。


 額に開いたチャクラから膨大な力が噴き出しているのがわかる。


 戦端せんたんが開いてから、もうどれほどの時間が経過しただろうか。


 時を経るごとに強化されていくシュラトの力は、もはや俺には計り知れない。


 味方の時から『こいつだけは敵に回したくない』と思っていたものだが、やはり実際に敵に回してみると恐怖の極みだ。


 案の定、俺の全力の縦斬りは、シュラトの拳に止められた。


 星を裂く光の刃が、たった一つの拳とせめぎ合う。


 皮肉なことに、上下こそ逆だが、戦闘が始まった最初の構図を再現した形だ。


 ただ剣のスケールと、拳に秘められた力の密度は比べものにならないが。


 見ていないからわからないが、激突の瞬間に生じた衝撃波だけで、眼下の街はほぼ更地さらちになったのではなかろうか。まぁ、中心部の魔王城は一種の固有結界みたいなものなので、そこだけは残っているだろう。


 魔界の央都に住んでいた魔族も、そのほとんどが死滅したはずだ。


 俺達の激突に、もはや音はない。


 否、正確に言えば生じる音量が可聴かちょうの域を超えている。


 遠く離れた人界であれば、雷鳴にも似た音響が耳に出来るかもしれない。


 せめぎ合う『絶対切断』と『無限成長』。


 どちらも最強と称していい、概念と概念のぶつかり合い。


 どんな盾をも貫く最強の矛と、どんな矛をも防ぐ無敵の盾――相反する概念の衝突を『矛盾』と呼ぶ。


 俺とシュラトの対決もまた、矛盾のそれだった。


 どんなものでも断てるはずの剣が、断てない。


 無限に成長して何もかもを超越ちょうえつする拳が、しかし超越できない。


 お互いに反発し合う概念の激突は、しかし最初から結末が見えていた。


 どちらかの力が尽きるまで、拮抗きっこうが続くのだ。


 盤上ばんじょう遊戯ゆうぎにおける『千日せんにち』と同じである。


 だが、ここに例外が一つ。


 シュラトの『不可能を可能とする』技――


 お察しの通り、それは不条理の極みのような代物しろものだ。


 絶対に勝てない相手にすら勝つ技。


 自然の摂理をくつがえす技。


 この力のおかげで俺達も魔王に勝てたわけだが――


 相手からしてみれば、これほどふざけた話はない。


 絶対に勝てるはずの状況を、訳もわからない原理でひっくり返されてしまうのだから。


 こんな理不尽な特殊能力も、そうそうない。


 それが今や、この俺に向けられているのだ。


「――ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 シュラトが吼える。紅い双眸から稲妻じみた光が迸る。全身の皮膚に浮かび上がった黄金の輝紋が、これでもかと光り輝く。力を振り絞れととどろさけぶ。


 ここから放たれるは、起死回生きしかいせいの一撃。


 このままでは、俺は【理由もなく敗北する】。


 どんな逆境にあろうと勝利する――そんなシュラトの概念に巻き込まれ、敗因もないのに負けるのだ。


 俺に一パーセントでもシュラトに勝つ可能性がある限り、逆転は必ず起こる。奇跡が起こる。


 故に――


「…………」


 【俺は手放した】。


 両手で握っていた、〝星剣レイディアント・シルバー〟を。


「!?」


 驚愕はシュラトのもの。鉄仮面のような顔が、明らかに愕然がくぜんとしている。


 この期に及んで俺が剣から手を離すとは、つゆにも思わなかったのだろう。


 俺とて、相手がシュラトでなければ戦闘中に得物えものを手放すような愚は犯さなかった。


 俺の手から伝播していた〈ウォルフ・ライエ〉の力が途切れ、必殺の〈スーパーノヴァ〉どころか、超巨大な光刃までもが盛大に瓦解がかいする。


 星剣の刀身が爆発し、鱗粉りんぷんにも似た光の粒子が大量に飛び散った。


 俺の手から離れた銀光の棒が、クルクルと回転しながら宙を舞う。


 シュラトと目が合った。


 何をするつもりだ――赤い目がそう言っているかのように見開かれる。


 今の今まで拳とせめぎ合っていた星剣が消失し、力のぶつけどころを失ったシュラトは、完全に宙ぶらりんの状態になった。


 そう、それこそが奴の弱点。


 一発逆転と言えば聞こえはいいが、つまりは『カウンター技』だ。


 逆に言えば、俺の攻撃なくして必殺のカウンターは成立しない。


 こうして俺が剣を手放すと、それだけで『起死回生の逆転劇』は成り立たなくなるのだ。


 つまり、この瞬間シュラトの『乾坤けんこん一擲いってき』は完全に無効化された。


 負ける可能性がある瞬間にしか、一発逆転の目は生まれないのだから。


 だがここで、ざまぁみろ、と舌を出してみたところで何にもならない。


 決め手を外したのはお互い様だ。


 だから――俺は理術で作った足場を蹴り、飛び出した。


 矢よりも銃弾よりも稲妻よりも速く、間合いを詰める。


 拳のやり場を失い半ば呆然としているシュラトは、これに即応できない。


 彼我の間合いが一瞬にしてゼロとなり、俺は隙だらけのシュラトに肉薄した。


 何をするつもりか、だって?


 そんなの決まっている。


 殴るのだ。


 俺は右拳を全力で握り締め、全身全霊を込め、


「――オォラァッ!!」


 シュラトの顔にぶち込んだ。


「が……っ!?」


 確かな手応え。俺の右拳がシュラトのほほに炸裂し、硬い骨をつ。拳骨げんこつに伝わる衝撃。


 そのままぶち抜いた。


「――~ッ……!?」


 頭を支点にしてシュラトの体が回転する。縦横斜めと三次元的な回転だ。筋肉ダルマがジンバルロックにおちいったその姿は、馬車に蹴飛ばされた玩具の人形にも似ている。


 会心の一撃だった。


 しかし、


「――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!」


 シュラトは近接格闘のエキスパートだ。雄叫びと共に自ら体の回転を加速させ、身体制御。むしろ遠心力を上手く利用して反撃を放ってきやがった。


 死神の鎌がごとき空中回し蹴り。


 俺の首を刈らんとする斬撃にも似た回し蹴りを両腕でガード。巨大な丸太で殴りつけられたのかと思うほどの衝撃が、俺の腕を襲う。


「ぐぉ――!?」


 ふざけるな。あんな体勢から無理矢理むりやり出した蹴りだっていうのに、なんだこの威力は。確かに防御したはずなのに、俺の体は大きく吹き飛ばされる。


 が、あっさりとやられるわけにはいかない。俺は吹き飛ぶ瞬間に理術りじゅつちからで何もない空間を蹴り、跳躍。回し蹴りの威力を受け流し、ダメージを最小限に抑えつつ、間合いが必要以上に開くのを防いだ。


 バッ、と左の掌をシュラトに向ける。体にかかっていた遠心力を全て蹴りに注ぎ込んだが故に、またも体勢が崩れている。隙だらけだ。


「〈輝刃きじん銀雨ぎんう〉――!」


 左手から発動させるのは攻撃こうげき理術りじゅつ。即座に掌の中央から眩い銀光が生まれ、無数の刃と化す。それが勢いよく噴出し、雨のごとくシュラトに襲いかかった。


「――!?」


 槍衾やりぶすまに突っ込んだようにシュラトの全身が、銀光の刃に貫かれる。その姿は、まるでハリネズミかヤマアラシか。


 しかし。


「ガァアァアァアアアアアアアアアアアアッ!!」


 転瞬、シュラトの咆吼一つで〈輝刃きじん銀雨ぎんう〉がはかなく吹き飛ばされた。銀の刃が例外なく砕け散り、その欠片かけらが宙に撒き散らされる。


「――雄々(おお)ッ!!」


 シュラトの喉から迸ったのは、かつてないほど野太い声。


 俺にとっては一番、耳馴染みのある気合いの声だ。


 一体どんな理屈なのか、コマ落としの映像でも見ているかのようにシュラトの体勢が切り替わり、こちらに正面を向けた。かと思えば一分の隙も無い構えを取り、空を蹴る。


 生粋の戦士であるシュラトは理術はおろか魔術も聖術も使えない。奴が扱えるのはたぐまれなる体術と、〝金剛の闘戦士〟特有の〝氣〟のみ。


 術式ではない力業ちからわざにも等しい技で何もない空間を蹴りつけ、シュラトは俺のふところへ潜り込んできた。


 だが、俺はそう来ることを読んでいた。


 シュラトはどうあれ近接戦闘の鬼だ。戦うには距離を詰めるしかなく、愚直に突っ込んでくるのは火を見るより明らか。というか、こいつにはそれしかないのだ。


 だから迎え撃つ。


 お互いに空中で足を止め、ゼロ距離で向かい合い――


 真っ向からの【殴り合い】が始まった。


「おおおおおおおおおおおおおおっっ!!」


――!!」


 もはや体裁ていさいもなければ、容赦ようしゃ遠慮えんりょもない。


 俺の拳がシュラトの側頭部を捉えたかと思えばシュラトの膝蹴りが俺の腹にぶち込まれたかと思えば俺の頭突きがシュラトの鼻っ面を強打したかと思えばシュラトの掌打が俺の脇腹で炸裂したかと思えば俺の肘がシュラトの喉に突き刺さったかと思えば――


 超高速で無慈悲かつ徹底的に攻撃し合う俺達。


 延々と繰り返される暴力の応酬。


 お互いに肉体は爆ぜ、骨は砕け、鮮血が飛び散り、激痛が爆発する。


 だが止まらない。


 壊れた肉体は即座に再生する。死ねない者同士で殴り合うことがどれほど愚かなことなのか、それが嫌というほど理解できる。


 しかしお互いに馬鹿げた再生能力を持っているとはいえ、それで互角の戦いになっているかと言えば――それは違う。


 ほんの少し、ほんの僅かではあるが、俺が押されていた。


 さもありなん。


 何度でも言うが、シュラトは〝金剛の闘戦士〟。生粋の戦士であり、近接戦闘においては右に出る者のいないプロフェッショナルなのだ。


 そんな奴とこんな近い間合いで殴り合って、〝銀穹の勇者〟である俺が勝てる道理など一体どこにあるというのか。


 純粋な格闘戦ではどう考えてもシュラトにがあるのだ。


 というか、だ。


 そもそもからして〝勇者〟というのは中途半端な存在である。


 近接戦闘では〝闘戦士〟に負け。


 術式を使った遠隔攻撃では〝魔道士〟に劣り。


 回復や支援においては〝姫巫女〟に及ばない。


 原則的にそうなのだ。どの分野でもそこそこちからを発揮するが、その道のプロには一歩も二歩も届かない。


 そんな半端な〝勇者〟の存在意義は、『魔王を倒す毒』であること――その一点に尽きる。


 言ってしまえば、この身に宿る銀の〝氣〟があれさえすれば、それだけでよかったのである。


 だから俺は、殴り合いではシュラトに勝てない。


 どれほどの修行を積もうが、未来永劫、勝利を得ることはない。


 ――そう、あくまで【殴り合い】では、な。


 お互いに血反吐を吐きながら暴力をぶつけ合う最中、俺は左手に【魔力を集中】。


「 〈爆炎流メルト・ストリーム〉 」


 直後、左のてのひらから膨大な猛火もうかが溢れ出した。


「――!?」


 一瞬にしてシュラトの全身が劫火ごうかに包まれる。


 言ってなかったが、この程度のランクの攻撃魔術なら俺でも無詠唱で発動させることができるのだ。


 拳打けんだでも蹴撃しゅうげきでもなく、まばゆ爆炎ばくえんにシュラトが目に見えてひるむ。意識もそうだが、肉体も急激な熱に驚いて一瞬だけ引きつったのだ。


 そこへ、


「――隙だらけだぜ、シュラト……!」


 俺は即座にストレージの魔術を発動させ、亜空間のアイテムボックスから貯蔵しておいたけんを取り出した。


 一振りだけではない。数本、いや、数十本という数だ。


 一斉に取り出した剣を素早く手に取り、


「――おらぁあぁあぁっ!!」


 一本ずつ、しかし確かにシュラトの肉体に突き刺していく。まるでマジックショーでも演じるかのように。


 剣を取る。突き刺す。剣を取る。突き刺す。剣を取る。突き刺す。剣を取る。突き刺す。剣を取る。突き刺す。剣を取る。突き刺す。剣を取る。突き刺す。剣を取る。突き刺す――


……雄々(おお)…………!?」


 一時いっときとは言え殴り合いに終始しゅうしし、全身の〝氣〟を分散させていたシュラトの皮膚は、俺のコレクションたる刀剣とうけんを止めることができない。面白いほどすんなり、刀身が肉をつらぬき深く刺さっていく。


 あっという間に針山のようになり、身動きが取れなくなるシュラト。


 だがしかし、俺は微塵も手を緩めない。


 両の拳に銀色に輝く〝氣〟を集中させ、雄叫びを上げる。


「――ぉぉおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」


 全身に〝氣〟を巡らせる。皮膚上に張り巡らされた輝紋が励起し、強い輝きを放つ。


 これより放つは、シュラト直伝じきでんの奥義が一つ。


 つい先刻、シュラトが実際に俺めがけて放とうとしていた絶招ぜっしょう――


「〈我王がおう裂神れっしん――!」


 刹那、俺の全身を彩っていた銀光が全て、二つの拳へと集中、凝縮ぎょうしゅくされた。


 何十本もの剣に串刺しにされた筋肉ダルマめがけて、俺は一歩踏み込み、震脚しんきゃく。何もない空中を床と見立てて踏み鳴らし、


「――通天つうてん八極はっきょく〉ッッ!!」


 渾身こんしん諸手もろてきを放った。


 俺の両拳が、シュラトのはがねがごとき筋肉に深々と突き刺さる。


 格闘技の天才たるシュラトから教授きょうじゅされたこの〈我王がおう裂神れっしん通天つうてん八極はっきょく〉――前半は流派名とのことだが、後半の『通天つうてん八極はっきょく』には『天まで届き、八方の極遠きょくえんにまで達する威力』という意味があるという。


 シュラトに比べれば【にわか】の俺だ。完璧とまでは言わないが、それでも充分な練度には達しているはず。


 直後、俺の打ち込んだ拳から〝氣〟が放たれ、シュラトの体内へと浸透する。


「――――」


 手応えあり。


 打ち込んだ俺の〝氣〟は、もはや爆薬も同然。


「……ッ!!」


 腹に力を込め、気合いの声を一つ。


 次の瞬間、『天まで届き、八方の極遠きょくえんにまで達する威力』が、シュラトの体内で爆裂した。


「――――――――――――――――――――――――ッッッ!?」


 今の今まで諸手突きを受けたことに気付いていなかったかのごとく、何拍も遅れてからシュラトの巨体が吹っ飛んだ。


 まるで玩具おもちゃか何かのように。


 しかし〈我王がおう裂神れっしん通天つうてん八極はっきょく〉で打ち込まれた〝氣〟の爆発は、一度だけでは終わらない。


 連続炸裂。


 爆竹ばくちくのような勢いで、しかし一つ一つの破壊力が絶大な〝氣〟の破裂が、休みなくたたけられる。


 悲鳴を上げるいとますらない。


 この俺が全力で注ぎ込んだ〝氣〟が間断かんだんなく爆発しているのだ。むしろ粉微塵こなみじんにならないのが不思議なほどだ。


 あの頑丈さこそがシュラトの持つ『無限成長の概念』の恐ろしいところである。時間をればるほど、攻撃も防御も無限に上昇していくのだから。


 無論のことながら、ここで手を止めるほど俺は優しくない。


 ここまで、エムリスから教わった魔術をもちい、もとより得意とする剣を抜き、敵対しているシュラトから学んだ技を使った。


 であれば当然、かつての仲間の一人であったニニーヴからも、俺は聖術について教えを授かっている。


 ただ、俺は聖力を有していないので、アイテムボックスに収めている【とある道具】を使わねばならないのだが。


 連続爆破の衝撃によって空中でおどっているシュラトを視界に収めながら、俺はストレージの魔術を発動させ、【それ】を具現化させた。


 いだしたるは――人の身には少々大きすぎる【レールガン】。


 そう、この世界――剣と魔法が主である【ここ】にあっては、あまりにも異質なもの。


 機械文明の開発した兵器――電磁加速砲。


 先日見た〝聖竜アルファード〟と同じく、聖神らの作りしたもう聖具せいぐの一種である。


 これはもちろん、本来なら聖力を注入しなければ動かないものだが、そこはそれ。〝白聖の姫巫女〟ニニーヴの超絶的な技術力でもって、理力でも稼働するよう魔改造されている。


 前にいた世界でのたとえで悪いが――俺は業務用冷蔵庫みたいな大きさのバックパックを背中に担ぎ、大型バイクみたいな砲塔を肩に載せ、巨大な電磁加速砲レールガンを全身で構えた。


 照準を合わせるのはもちろん、宙で跳ねまくっているシュラト――数十の剣に串刺しにされた筋肉の塊だ。


 FCSによる自動制御が、こうして砲口を向けるだけで勝手に照準を微調整してくれる。レティクルなどはなく、兵器に備わった各種センサーから自動的に必要な情報が俺の輝紋へと流れ込み、脳裏に展開していく。


 先程、俺は『殴り合いではシュラトに勝てない。どれほどの修行を積もうが、未来永劫、勝利を得ることはない』と、そう言った。


 近接戦闘では〝闘戦士〟に負け。術式を使った遠隔攻撃では〝魔道士〟に劣り。回復や支援においては〝姫巫女〟に及ばない――とも。


 しかし。


 しかしだ。


 逆に言えば、近接戦闘では〝魔道士〟に、術式を使った遠隔攻撃では〝姫巫女〟に、回復や支援においては〝闘戦士〟に、それぞれまさっているとも言える。


 つまり、全能全強オールマイティ


 総合力では〝勇者〟――この俺こそが一番なのだ。


 故に、俺は言う。


「この俺を――!」


 電磁加速砲レールガンに理力を注入。バックパックに内蔵された機関が唸り上げる。撃ち放つ弾丸は俺の理力を固めたもの。


 全ての面において一定以上の力量を有する〝勇者〟は、言わば総合的な意味で【戦闘】のエキスパートだ。


 なるほど、力が強い奴には『剛力無双』とか、俊敏な奴には『疾風迅雷』とか、それぞれの特性に基づいた二つ名がつけられるかもしれない。


 だが――【ただ強いだけの奴】に、特徴的な異名はつけられまい。


 ルール無用の真剣勝負であれば、相手が〝蒼闇の魔道士〟だろうが〝金剛の闘戦士〟であろうが〝白聖の姫巫女〟であろうが――やり合って最後に立っているのは、この俺アルサルだ。


 この〝銀穹の勇者〟アルサルなのだ。


 だから――


「――〝勇者〟を!」


 これでフィナーレだ。


 ニニーヴ秘蔵、とっておきの一発を見舞ってやる――!


「――舐めんじゃねぇ!」


 トリガーを引いた。


 電磁の絶叫は、しかし意外にもか細い。反動も僅か。


 だが発射される弾丸の初速は神速。


 一瞬にして膨大な熱量が生じ、極太の砲塔が真っ赤に輝いた。


 理力の砲弾が魔界の空を貫いた。


 ろくな抵抗も出来いシュラトの巨体を、理力のかたまりが穿つ。


 刹那、向こうの景色がよく見えるほど大きな風穴が開いた。


 はがね以上に堅固けんごな肉体が、まるでドーナツの穴のようにくり抜かれたのだ。


 もちろん不死の肉体を持つシュラトである。


 この程度の損傷なら、少しの時間もあれば再生できるだろう。


 だが回復中はまともな行動が取れない。さっき地上に叩き付けられ、瓦礫の山に埋もれていた俺のように。


 ゆえにこそ、今この瞬間こそが奴の最大の隙となる。


『――エムリス!』


『任せたまえ!』


 念話で呼びかけると、待ってましたとばかりにエムリスが応答した。


 途端、絶大な魔力の籠もった声が響く。




「 封印シール 」




 たった一言。


 だが〝蒼闇の魔道士〟が紡ぐ力ある言葉は、並の魔術師による長時間の詠唱にすらまさる。


 そう、この魔界は既にエムリスの『究極魔法の概念』が支配する超空間。


 幼い少女の姿をした、しかし大魔道士が定めた法則のはびこる結界の中。


 一瞬とはいえ抵抗力を失っていたシュラトは、エムリスが告げた通りに『封印』される。


 次の瞬間、奴の全身を覆っていた黄金の輝きが嘘のように消え失せた。


 その頃にはようやく俺の打ち込んだ〈我王がおう裂神れっしん通天つうてん八極はっきょく〉の衝撃も弾切れとなり、腹と胸に大穴をけられた巨躯が重力に引かれ、遙か眼下の地上へと落ち始める。


 幸か不幸か、いくらエムリスの『究極魔法の概念』とはいえ、同レベルの『無限成長の概念』の全てを封じることはかなわない。


 実際シュラトの肉体は落下しながらも、俺の電磁加速砲レールガンで空けられた風穴を、ゆっくりだが塞ぎ始めていた。


 だがそれはいわば、くさり雁字がんじがらめにされた奴が、どうにか首や指だけは動かせるような状態に過ぎず――


 よって、ほぼ完全に無力化されたシュラトが落ち行くのを、俺達は止めない。


 何度でも言うが、俺達四人はどうあっても死ぬことはないのだ。いくら力を封印されたとは言え、高空から地面に叩き付けられた程度では死にはしない。


 死にたくても死ねないのだ。


 自由落下していく筋肉の塊を見送りながら、俺は溜息を吐く。


「……これで目が覚めてくれりゃあいいんだが、な」


 すると、いつの間にか近くにまで来ていたエムリスが微笑する。


「大丈夫さ。かなりのダメージを与えたんだ。いくら八悪の因子の一つとは言え、休眠状態に陥るはずだよ。次に顔を合わせた時には、きっと昔のままのシュラトに会えるさ」


「――ああ、そういう意味ではもう〝そのシュラト〟には会えてるかもな……途中からアイツ、【声が変わっていた】からな」


「――? どういう意味だい?」


 首を傾げるエムリスに、俺は説明する。


 確かタイミング的には俺が〈輝刃きじん銀雨ぎんう〉を浴びせかけたあたりか。


 あのあたりからシュラトの発声が明らかに変わった。


 多分だが、追い詰められたことでシュラトの持つ【本来の闘争本能】が目覚めたのだと思われる。


 ま、その時には既に、色々と手遅れだったわけだが。


「……なるほど。なら、もう〝色欲〟――アスモデウスの人格が引っ込んでいる可能性が高いだろうね。これは期待できるよ、アルサル」


 俺の話を聞いて、エムリスは安堵の息を吐いた。ほんの少しだが、肩の力も抜けたようだ。


 俺はもちろんのこと同意する。


「だといいんだがな。ああでも、念のため警戒はおこたるなよ? 空間断絶を解くのはシュラトの状態を確認してからだ」


 一応エムリスに釘を刺すと、


「わかっているとも。もしダメなようなら今度こそボクの番だ。さっき無駄撃ちさせられた〈ジ・エンド〉を、次こそしっかり叩き付けさせてもらうとするよ」


 うなずき、不敵な笑みさえ浮かべる。どうやら必殺を期した〈ジ・エンド〉を、どこの馬の骨とも知れぬ〝激烈態げきれつたい〟に使わされたのが不満らしい。いや、正しくは不完全燃焼か。


 ま、相手に関係なく『終わり』をぶつける、なんていう埒外らちがいの禁呪だ。俺だって〝星剣レイディアント・シルバー〟と星の権能〝ウォルフ・ライエ〟を合わせた必殺の〈スーパーノヴァ〉を、できればザコ相手には使いたくないと思うしな。気持ちはわかる。


「――さて、それじゃあ様子を見に行こうか。転移するよ、アルサル」


「おう、任せた」


 エムリスに促され、俺は首肯する。


 転移魔術が発動する寸前、俺はざっとだけ眼下の光景を見渡した。


 広がるのは魔界の央都、多くの魔族が住んでいたであろう大都市。


 しかし、今は見る影もない。


 俺達の戦いの余波を受けて、無惨むざんにも蹂躙じゅうりんされ尽くしている。


 別にわざとやったわけではないのだが、俺達がそれなりに本気を出せば、周囲がこうなることはわかっていた。


 だからムスペラルバードから、この魔界へと転移してきたわけだが――


 まこと酸鼻さんびを極める眺めだが、俺の鉄の心はチクリともしない。


 魔界、魔族、ひいてはそれらを支配していた魔王に対するスタンスは今でも変わらない。


 そんな自分の精神状態を再確認する頃には、パチン、とエムリスの指が鳴った。


 視界が暗転する。






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