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●16 激闘、魔界の空の下 1








 俺達はとっくの昔から人知を超えた化物となっている。


 そんな俺達が激突すれば、人の世界のものなど一瞬にして塵芥ちりあくたと化して当然。


 ほんの少しでもエムリスの結界展開が遅れていれば、宮殿どころかムスペラルバードという国そのものが消滅していたかもしれない。


 俺の収束させた銀剣と、シュラトの黄金拳が衝突して生まれた破壊力は、円柱状に張り巡らされた結界内を暴れ回りながら上昇し、天へと突き抜けた。


 遠く離れた場所から見れば、さながら銀と金の龍が絡み合いながら天空へと昇っていく様に似ていたかもしれない。


 そんな暴力の嵐の中、俺とエムリス、シュラトは無傷。むしろ、ちょっと突風が吹いた程度にしか感じていない。心配だったのはガルウィンとイゾリテだったが、こちらはイゾリテがエムリス直伝の防御ぼうぎょ結界けっかい魔術まじゅつと、同じく防楯ぼうじゅん理術りじゅつを同時発動させており、無事になんを逃れていた。


 では、シュラトの眷属たる二人の美姫びきはというと――


 なんと赤毛黒肌と銀髪白皙の美女はお互いに両手を繋ぎ、周囲にうっすら金色に輝く膜をまとっていた。もちろん、傷を負った様子は見られない。あれも一種の結界らしい。


 昨日きのう今日きょうの内にシュラトの〝眷属化〟を受けたばかりのはずだが、どうやら早くも強化された能力に順応しているようだ。


「――おいシュラト、俺はどうでもいいがこんな場所でぱじめてよかったのか? せっかく手に入れた国が跡形もなく消えちまうぞ?」


 既に半径一キロ前後の何もかもが消失している。謁見の間だった空間は【がらんどう】となり、頭上には蒼穹が広がり、足元には巨大な砂のクレーターが出来上がっていた。


 今の俺とシュラトは、互いに足の下に力場を展開し、そこで踏ん張りながら剣と拳でつばいをしている状況だ。


 エムリスが張った結界のおかげで、被害がこの程度に抑えられていることをわかっているのか、いないのか。


「消えるのはお前らだ。つぶれろ」


 シュラトの返答は端的たんてきだった。もはや敵を倒すことしか考えてない顔と声。幸か不幸か、そういったところだけは本当に昔のままだ。


 俺の銀剣とシュラトの拳が火花を散らして拮抗きっこうする。シュラトはこのまま拳を押し込み、宣言通り俺を力尽くで押し潰すつもりだ。


 これをはじくのは簡単だが、そうすればまた周囲に洒落しゃれにならない規模きぼ被害ひがいが出る。俺達はそこそこ本気を出すだけで、その一挙手いっきょしゅ一投足いっとうそく核爆弾かくばくだんにも匹敵ひってきする破壊力を発揮してしまうのだ。


「――エムリス!」


 故に、俺は短く仲間の名を呼ぶ。


「わかっているとも!」


 俺が言わずとも、既に術式の構築を始めていたであろう〝蒼闇の魔道士〟は、皮膚上に群青色ぐんじょういろの輝紋を励起させ、小柄な体から膨大な魔力を放出する。


「イゾリテ君、君はガルウィン君を補佐しながらシュラトの眷属けんぞくの相手を! 首尾良く勝利した後は民衆がこの宮殿に近寄らないようにしてくれたまえ! ボクとアルサルはしばらく戻れない! よろしく頼んだよ!」


 珍しく大声を張り上げ、エムリスが眷属けんぞくけん弟子でしのイゾリテに指示を下す。


「了解しました、師匠マスター!」


 魔術と理術の双方で自らと兄の身を守っているイゾリテは、こちらも珍しく大きな声で応答した。


「よろしい! では行くよ、アルサル!」


 言うが早いか、エムリスはいつもより広範囲に指定した転移魔術を発動。


 ここまでは事前に打ち合わせていた通りの流れ。


 そう、エムリスが発動させるのは攻撃魔術ではなく、転移の魔術。


「――悪いがシュラト、ちょっと遠いところまで付き合ってもらう……ぜ!」


 俺は余計な抵抗など出来ぬよう、力を振り絞って銀剣を押し上げた。




 パチン、と指の鳴る音。




 瞬間、周囲の景色が暗転する。


 再び視界に光が戻ってきた時、まず目についたのは――赤。


 燃えるように真っ赤な空の色だ。


「――ッ!?」


 内心の驚愕を示すように、シュラトの眉がほんの一ミリほど動いた。相変わらずの能面のうめんっぷりだ。かつてエムリスやニニーヴから『戦闘機械』と称された冷淡れいたんさは今なお健在らしい。


 強く吹く風の音。そう、俺達は今、空の高い位置にいる。


 そして鮮血のような赤が広がる空は――【魔界のそれ】。


 エムリスが転移先に指定したのは、なんと魔界の央都おうと――その直上であった。


「懐かしいだろ、シュラト? 俺も来るのは久しぶりだ」


 足元の力場を解除しながら、俺はシュラトに笑いかけた。足場を失ったことで体が重力に引かれ、俺は自然落下を始める。


 その瞬間、強く押し込んできていたシュラトの黄金に輝く拳の力が加わり、次の瞬間、俺の体を勢いよく加速させる。


「でもここなら――誰に遠慮することなく全力で戦える……ぞ!」


 ゴォッ、と風の唸る音を聞きながら、俺は弾丸のごとく、稲妻のごとく、流星のごとく、魔界の大気内を落下していく。


 視線を背中側――つまり地表側へと向けると、そこには黒々と広がる魔界の街並みがある。


 そう。こここそは、人界に住む人々はその名も知らぬ魔族の王国『エイドヴェルサル』。


 その首都にして央都『エイターン』。


 かつて魔王エイザソースの支配下にあった城塞都市である。


 魔界の空は『果ての山脈』を越えたあたりではまだ蒼色だが、奥へ進むにつれ、そして魔王の座していた城に近付くにつれ、赤みを増す。


 特に魔王城の真上まうえともなれば、不思議なことに『そこに赤い穴が空いている』と言っても過言ではないほど、濃密のうみつな〝赤色〟がわだかまっているのだ。その赤空あかぞら、あるいは紅穹こうきゅうとも呼ぶべきものは、魔王まおうき今でも残っている。ちょっと空に視線を巡らせれば、魔王城がどの方角にあるのかなど、すぐにわかるほどだ。


「――夢から覚めろ、〝ベテルギウス〟」


 地表に向かって超高速で落ちながら、俺は星の権能を召喚する。


 空の彼方――宇宙にてかがやく星が呼応こおうし、共鳴きょうめいした。


 この時、空から真っ直ぐ光が落ちてくるが、それは実際には【おまけ】の現象に過ぎない。星の権能は既に俺の内に直接召喚されており、呼んだ瞬間からその力を発揮するのだ。


 なので、空から落ちる光が俺の体に到達する頃には、求めた力はとっくに手に入っている。


 光は音よりも速く届くし、力はその光よりもさらに速く届く。つまりはそういうことだ。


 未だ星の光が届かない中、俺は改めて両手に銀光を束ねて剣を形成けいせいする。


 これまで俺が作っていた銀剣はさして太くもない、基本形が木剣にも似たものだったが、今回は違う。


 目を見張るような大剣だ。


 刀身の長さは十メルトルを下らず、幅も一メルトルを超えている。そして、そんな大剣を形作るのは、ただの銀光ではない。


 まるで魔界の空の色を吸ったような、赤を帯びた銀――すなわち〝紅銀こうぎん〟だ。


 俺は紅銀の大剣を何もない空間に突き立て、力を込める。


 途端、大気が固体化したような硬い手応えが生まれた。


 ガガガガガガガガガガガガガガガガッッッ!!!! と【大気を切り裂きながら】、俺は急激に落下スピードを減速。膨大な抵抗はついに俺の墜落を止め、再び宙へと縫い止めた。


 先刻、空の彼方から召喚した〝ベテルギウス〟はほし――すなわち、魔力をつかさど星辰せいしんだ。


 ここは魔界。いつだったかエムリスが言っていたように、人界とは段違いに濃密な魔力が満ち満ちた場所。


 ましてや今いるのは魔界の央都の空で、かつて魔王が居た城にもほど近い。


 この空間ほど〝ベテルギウス〟の本領を発揮できる戦場は他にないだろう。


 今更にように空から落っこちてきた星の光が、俺の体に直撃する。


「へっ、これにて準備完了ってな」


 足元に理術の力場を展開し、空中に立つ。剣柄だけでも一メルトル以上ある巨大な紅銀剣を軽く振り回し、肩に担いだ。


 はたから見れば、二メルトルにも満たない身長の人間が十二メルトルなんなんとする大剣を担いでいる姿など、噴飯物ふんぱんものであろう。


 しかし気にする必要などない。ここに俺が気にすべき人目など存在しないのだから。


 ゆえに。


 おとがいを上げ、頭上――高みにいるシュラトへと視線を送る。


 空いた片手を掲げ、掌を自分に向けて、クイクイ、と五指を折った。


「かかってこいよ、シュラト。遠慮はいらねぇ。ここはどんだけ壊そうと問題のない魔界だ。俺もお前も、エムリスだって存分に力が振るえるってもんだろ」


 自分で言うのも何だが、やや腰を落として上目遣いに相手を睨むなど、完全にヤンキーである。まぁ、こっちの世界にヤンキーなんて言葉はないのだが。


 しかして俺は笑う。柄にもなく、昂揚こうようしている自分がいるのを感じている。


 仲間だったシュラトと、正面切ってぶつかれることへの興奮なのか。


 それとも、十年ぶりに全力全開の力を解放できそうなことへの期待感なのか。


 あるいは、その両方か。


「――この俺の手で、たとえ力尽ちからずくでもお前の目を覚まさせてやるよ。ついでに、アスモデウスだかなんだかよくわからねぇ奴に負けた、その情けない性根も叩き直してやる。――お前が俺を潰す? はっ、おもしれぇ、やってみろよ。やれるもんならな」


 黙ってこっちを見下ろしてくるシュラトに対し、俺は挑発ちょうはつじりの嘲笑ちょうしょうを見せた。


 そして、いつものようにうそぶく。




「勇者を舐めるなよ?」




 自らを鼓舞こぶするように。




 ■




 ガルウィンにとって、目の前で起きていた現象はあまりにもスケールが大きすぎて、ほとんど理解が追いついていなかった。


 かつてアルサルと共に魔王を討伐した英雄の一人――〝金剛の闘戦士〟シュラト。


 想像していた人物像とは全く違うひととなりだったが、それでも英雄は英雄。


 アルサルとエムリスの後方に控えながら崇敬すうけいの念を抱いて眺めていたが――


 気が付いた時には戦いが始まっていた。


「お兄様!」


 咄嗟に妹のイゾリテが防御結界を張ってくれなければ、いくらアルサルの眷属と化したこの身でもただでは済まなかっただろう。


 アルサルの剣と、シュラトの拳の激突。


 事実だけを捉えるなら、単に剣と拳がぶつかっただけだ。もちろん素手で刃を迎え撃つことは異常とも言えるが、鋼のように鍛えた肉体の持ち主であれば不可能なことではない。


 おかしいのは、たったそれだけのことで生じた破壊力である。


 馬鹿げている。


 自分達がいたのは宮殿の謁見の間だったはずだが、一瞬の後、そこは何もない抜けた空間になっていた。


 アルサルとシュラト、二人の衝突による余波によって何もかもが吹き飛んだのだ。


 どこまでも広がっていくと思われた破壊の波濤はとうが一定の範囲に限定されたのは、おそらくエムリスが【外側を守護するための結界】を張ったからだと思われる。


 文字通り、桁違いの戦いの始まりに戦慄を覚えざるを得ない。


 建物そのものが粉微塵に砕け、ムスペラルバード特有の青空と白雲が視界に入る。陽光が強いあまり、現実離れしたコントラストを描き出している天空だ。


 気付けば足の下には巨大なクレーターが。


 妹が飛行魔術を発動させてくれたおかげで落下することはないが、忽然こつぜんと口を開いた穴は、ガルウィンに奈落への道を連想させる。


 剣と拳がぶつかっただけで、こんなことになるのか――憧れていた英雄同士の対決は、しかし冗談事では済まされない事態を引き起こしていた。


 ガルウィンが心臓にタップダンスを踊らせていると、


「イゾリテ君、君はガルウィン君を補佐しながらシュラトの眷属けんぞくの相手を! 首尾良く勝利した後は民衆がこの宮殿に近寄らないようにしてくれたまえ! ボクとアルサルはしばらく戻れない! よろしく頼んだよ!」


 早口でエムリスが指示を下し、妹が、


「了解しました、師匠マスター!」


 と応答した刹那、アルサルとエムリス、そしてシュラトの姿が蜃気楼しんきろうのようにかき消えた。


 転移したのだ。


 おそらくは、周囲をはばかることなく存分に力を振るえる戦場へと。


 それがどこかはわからない。わからないが、こうなれば自分達に出来ることは一つのみ。


 アルサル達の勝利を信じることだけだ。


「――落ち着きましたか、お兄様。であれば、剣をお抜きください」


 目の前の出来事にすぐ心を揺らしてしまう自分と違い、いつだって冷静沈着な妹は、こんな時だからこそ頼りになる。


 いったん防御結界を解除した妹の見据える先には、シュラト側の眷属――赤毛と銀髪の美女が二人。たがいに手を繋ぎ、薄い黄金の膜に覆われた状態で宙に浮いている。


「――っ!」


 妹の言う通りだ。ガルウィンは理術で隠蔽いんぺいしていた腰の剣を現出させ、柄を握って一気に抜き放った。


 お互いの主君同士が戦闘に入ったのだ。眷属である自分達もまた、戦うのが道理というもの。


 まずはシュラトの側室である眷属である美女二人を打倒し、その後にエムリスの指示通り宮殿の外へ出て人払いを――


 と、そこまで考えた時だ。


「ハーイ、ちょっとよろしいかしらー?」


 赤毛の美女が陽気に手を挙げ、友好的に声をかけてきた。


「「――!?」」


 ガルウィンもイゾリテも、揃って驚愕をあらわにしてしまう。


 なにせ緊迫していた空気が一気に破られてしまったのだ。


 風船が破裂したにも等しい驚きがあった。


 黒い肌――浅黒の肌を持つ自分達にとっては多少の親近感を覚える美姫が、にっこり、と魅惑的な笑みを浮かべ、


「なんかねー、シュラトちゃんがあなた達のご主人様……勇者様? とじゃれ合っているみたいだけど、別にあたし達まで争う必要はないと思うのー。どうかしら? 面倒なことはやめて、あたし達だけでも停戦といかない?」


 のほほん、といった音が聞こえてきそうな長閑のどかさで、そんなことを言ってきた。


「な……」


 思わずガルウィンの喉からうめき声が漏れる。


「お兄様……」


 イゾリテも戸惑っているのだろう。どうします? と目線で問うてくる。


 迷っている間に、今度は銀髪の美女が口を開いた。


「――正直に申し上げますと、私達はアルサル様とシュラト様が争う理由を理解しておりません。何やら、よんどころない事情がおありの様子ですが……しかし、それよりも私達は民衆のみなが心配です。突然のことにきっと驚いていることでしょうから。少しでも早く、民を安心させてあげたいと思います」


 赤毛の美女とは打って変わって、細い清流を連想させるような、ひどく静かな声。それだけに言葉に籠められた意思が強く伝わってくる。


「……つまり、戦意はない、と?」


 ガルウィンが問うと、赤毛の美女はうんうんと首を縦に振り、銀髪の美姫は顎を引くようにして頷いた。


「――お兄様、エムリス様は『あの二人の相手を』としか仰ってません。それは、戦って倒せ、という意味だけではないでしょう。避けられる戦いであれば、避けるのも一つの手かと」


 この場においては年長者である自分を立ててくれるつもりなのだろう。イゾリテが小声でささやく。あくまで判断はガルウィンに任せる、というていだ。


「……ああ、イゾリテの言う通りだな。アルサル様も戦技指南役の頃から無駄な戦闘はこのまない御方おかただった。自分達も主君しゅくんならおう」


 逆に言えば、そんなアルサルがあのようにシュラトに食ってかかったということは、相応の理由があるに違いない。


 そして、エムリスもムスペラルバードの民衆のことを気にしていた。ならば、アルサルとてそうだろう。


 利害は一致している。


 ガルウィンは二人の美姫に深い頷きを返した。


「……わかりました! 戦うのはやめておきましょう! 今は何よりも民衆のことを! 我々も同じ思いです!」


 声を張って応じると、赤毛の美女が明らかに相好そうごうくずした。


「あらあら、よかったわぁ。あなた達、初めて見た時から『いい子そうだなぁ』と思っていたのだけど、本当にいい子ちゃん達ねぇ。嬉しいわぁ」


 コロコロと笑いながらの言葉に、ガルウィンは自分とイゾリテの母親二人を思い出す。双子の母親達は兄妹にとって、どちらも母親であり、同時に叔母おばでもあるような存在で、よく頭をなでられては『いい子ねぇ』と褒められたものだ。


 そんな記憶がすぐに出てくるのは、やはり彼女の肌の色が理由だろうか。


「ご英断に感謝いたします。もちろん、完全にこちらのことを信頼していただけるとは思っておりません。わたくしたちはあなた方とは逆方向に出て、民衆を抑えます。宮殿の北側と南側、どうぞお好きな方をお選びください」


 対照的に白く透き通った肌を持つ美姫は、しかし見た目を除けば内面はイゾリテに似ている――などとガルウィンは思う。ニルヴァンアイゼン人特有の、氷のような美貌。その容貌から連想する通りの振る舞いに、感銘を受ける他ない。


 話が上手くまとまっているというのに『自分達が完全に信用されているとは思っていない』という冷徹な判断力。そして、このやりとりが罠でないことを示すかのように、どの方角から宮殿を出て行くのかを選ばせる心遣い。


 赤毛の美女もそうだが、どうやら〝金剛の闘戦士〟シュラトがこの二人を『お気に入り』と称していたのは、なにも外面だけが理由ではないらしい。


 そのようにガルウィンが感じ入っていると、


「ご提案、うけたまわります。こちらこそ、賢明なご判断に敬意を表します。それでは、我々は北側を。南側はどうぞよろしくお願いいたします」


 イゾリテが礼儀正しく、美女二人に返事をした。すると、


「はぁい、それじゃよろしくねー」


「早速ですが、急ぎますので失礼いたします」


 赤と銀、黒と白の対照的な色合いの美姫らはそれぞれの反応を示した後、ガルウィンとイゾリテに背を向けた。


 金色の膜に包まれた二人が、宙を滑るように移動し、宮殿の南方へと立ち去っていく。


 先にきびすを返して無防備な背中を晒す――完璧な気遣いに、ガルウィンはただただ恐れ入る。


 二人の姿が見えなくなってから、大きく感嘆の息を吐く。


「……いやはや、なんとも、心まで美しい方々だったな……!」


 容姿はもちろんのこと、心の中まで清く、さらに言えば聡明そうめいだった。


 ――もしアルサル様がご結婚なされる際は、あのような女性が伴侶であれば最高だ……!


 という思いから出た言葉だったのだが、


「……お兄様? ついて行きたいのであれば、あちらへ行かれても構いませんよ? 私は一人でも問題ありませんので」


 非常にまれなことにイゾリテが満面の笑みで言うので、ガルウィンは目をくほど仰天ぎょうてんしてしまう。


「え、ええええええっ!? な、何故だイゾリテ!? 何故そんなことを!? ど、どうして怒っているんだ!?」


 自分は何か悪いことをしてしまったのか――と大いに焦るガルウィンから、イゾリテは、ぷいっ、と顔を逸らし、


「怒っておりません。お兄様の気のせいでは?」


 あくまで冷たい声でイゾリテは突き放す。


「お、怒っているじゃないか!? じ、自分が何か悪いことを言ってしまったのか? な、何が気に障ったんだ!? 教えてくれ!!」


「お兄様に教えることなど何もありません」


 必死の訴えも不発に終わり、イゾリテはそのまま飛行魔術で北側へと遠ざかっていく。


「ま、待ってくれイゾリテ! じ、自分も行くぞ! お、置いていかないでくれ!」


 ガルウィンを宙に浮かせているのはイゾリテなので、彼女がその気にならなければ置いて行かれてしまう。ガルウィンは必死に宙を泳ごうとするが、当然ながら一ミリも前には進めない。


「イゾリテー! 何だかよくわからないがすまなかったー! 許してくれー!」


 微妙な女心、そして妹心が徹頭てっとう徹尾てつびわからないガルウィンなのであった。




 ■




 その日、七剣大公セブンスターが一人――破軍はぐん大公たいこうアルカイドは、午睡ごすいの時間を突然の大音響だいおんきょうによって破られてしまった。


「――!? 何事だ!?」


 落雷と呼ぶにはあまりにも大きすぎる轟音ごうおん。天からなまりが降ってきたかのごとき重圧。


 ただごとではない、と一瞬で理解した。


 次の瞬間、通信の魔術によって配下の者から報告が入る。


閣下かっか! 大変です閣下!』


「何事だ! 手短てみじかに報告せよ!」


 まず結論を述べろ、と要求したアルカイドに、通信をよこした配下は命令に従ってこうべた。


『と、都市をまも防衛ぼうえい結界けっかいが大破いたしました!』


「な――」


 青天せいてん霹靂へきれき――魔界においては赤天と言った方がより正しいが――とはまさにこのこと。アルカイドは目をいて愕然がくぜんとした。


 魔族国家『エイドヴェルサル』、その首都である央都『エイターン』には魔王の居城があることもあって、厳重な防衛結界が張り巡らされている。


 外敵の攻撃を完璧に阻止するこの大結界は、その名を『七星極大結界』といい、誰あろうアルカイドら七剣大公セブンスターが展開させたものなのだ。


「馬鹿な!? そんなわけがあるものか! 何かの間違いではないのか!?」


 狼狽ろうばいあらわに、アルカイドは声を荒げた。


 央都の中心に屹立きつりつする魔王城をかくとし、その周囲に建設された七剣大公セブンスターの要塞を基点きてんとした完全包囲の防衛結界――それが『七星極大結界』である。


 魔王に次ぐ実力者である大公七人の力と技術を結集した大結界は、どんな攻撃を受けても崩れることなどない――それこそ、かの魔王を討った〝勇者〟達の攻撃でもない限りは。


 それほどの自負を持っていたが故に、自慢の大結界が突如として大破したという事実を、アルカイドはれることができなかった。


 しかし。


『ま、間違いなどではありません! お、央都の上空に何者かが現れ、結界に攻撃を加えたのです! その結果――たった一撃で防衛結界の【六割】が消滅しました!』


 アルカイドの怒声に萎縮いしゅくすることもなく、報告者は声を高めて断言した。


「なん……だと……!?」


 魔族の最高峰に位置する自分達が、柄にもなく力を合わせて張った大結界――たとえ八大はちだい竜公りゅうこうが束になってブレスを吐きつけようともビクともしないはずの結界が、何者かの攻撃で、それもたったの一撃で、その大半が消滅したという。


 この瞬間、アルカイドの心の聖地にそびえ立っていた矜持きょうじとうが、音を立ててガラス細工ざいくのごとく砕け散った。


「あ、あり得ない……! 一体何が……!?」


 あったというのだ、といううめきに、報告者はさらなる情報をもたらした。


『……!? か、閣下! 破軍大公閣下! ぞ、続報です! と、都市の上空に三つの影を確認! ま、まだ推定に過ぎませんが――その二つの正体は〝勇者〟と〝魔道士〟である可能性が高いと!』


「な――!?」


 不可視ふかしのハンマーが脳髄のうずいったかのような衝撃を、アルカイドは覚えた。すうしゅん、全ての思考が吹き飛び脳裏が真っ白に染まる。


「〝勇者〟と〝魔道士〟、だと……!? ならば残る一つは何だ!?」


『ふ、不明です! 現在げんざい解析かいせきちゅうですが、しかし〝勇者〟と〝魔道士〟と【同等の力を持つ者】のようで、おそらくは〝闘戦士〟ないしは〝姫巫女〟である可能性が高く――!』


「――――」


 もはや声も出ない。


 吉報きっぽうは一人で来て、凶報きょうほうは友人と手をつないでやってくるという。


 まさにだ。


 この場合、〝勇者〟一人が乗り込んできただけでも大変な事態だというのに、かてて加えて〝魔道士〟や〝闘戦士〟あるいは〝姫巫女〟が連れ立ってくるなど、最低最悪のドミノ倒しであった。


 意味がわからない。


「な、何故だ……何故、こんなにも早く……!?」


 はっきり言って、あちらがここまでドラスティックな手を取るとは予想していなかった。アルカイドの見解は先日の緊急会議で述べた通りだったのだ。


 むしろ、このような展開になるとは思っていなかったからこそ、人界に間者を放ち情報収集するなどという穏当案を提出したというのに。


 まさか、こんな形で予想が裏切られようとは。


「――ッ!? や、奴らは現在どうしている!? 都市への攻撃を続行中か!? それとも侵入されたか!?」


 だが今は苦悩している場合ではない――と我に返ったアルカイドが情報を求めると、配下からさらに意外な返答があった。


『そ、それが――な、【仲間割れ】です! 〝勇者〟と〝魔道士〟および正体不明アンノウン、都市上空で互いに攻撃し合っています! ――意味がわかりません!』


 じかに状況を確認している報告者でさえ、理解に苦しむ事態なのだろう。最後の叫びには膨大な感情がもっていた。


「……っ……!」


 かつて魔王を倒した〝勇者〟とその仲間が、再びこの『エイターン』の上空に現れ、一撃で『七星極大結界』を破壊したかと思えば、そのまま仲間割れをしている――


 意味のわからないことに、さらに意味のわからないことが加わり、もはやアルカイドから理解しようとする気力すらもうばっていく。


 マイナスにマイナスを掛ければプラスになるが、マイナスにマイナスを足した場合はマイナスのままなのだ。


 そうしてアルカイドが絶句した直後、


『ゆ、〝勇者〟と〝魔道士〟および正体不明アンノウン、なおも戦闘を続行中です! ――か、閣下!? 閣下!? よ、余波が……! 戦いの余波だけで都市が崩壊していきますっ!? ひ、被害ひがい甚大じんだいっ! な、なおも拡大中ですっ! こ、このままでは、このままではぁ――!?』


 矢継ぎ早に悲鳴のごとき報告がたたけられた。


 そして、アルカイドが口を開くよりも早く、


『こ、こちらまで、こちらまで来ますっ! 閣下、閣下!! 今すぐお逃げ――!?』


 そこで通信が途絶とぜつした。


 回線を繋いでいた魔力が途切れ、通信魔術が崩壊したのだ。


 次いで、頭上からいくつもの轟音と衝撃が降ってくる。要塞の屋根に遮られて見えないが、おそらく〝勇者〟一味がこちらへと近付いてきているのだろう。


 しかも音が鳴る毎に、相対距離はあからさまにちぢまっている。


 もう次の瞬間には、アルカイドの居る破軍要塞の直上ちょくじょうまで来てもおかしくない――


「馬鹿な……そんな、馬鹿な……!?」


 寝室で一人、身を震わせる。


 予想外の状況、早すぎる展開。アルカイドの生存本能が必死に『今すぐ逃げろ!』と警鐘けいしょうを鳴らしているが、何故か体が微動びどうだにしなかった。


「こんな馬鹿なことが――」


 あってたまるものか、と言おうとしたのだろう。


 だが、その前に彼のいる要塞は〝勇者〟と〝魔道士〟、そして〝闘戦士〟の激突の余波を喰らい、跡形もなく吹き飛んだのだった。




 ■




 魔界こと魔国『エイドヴェルサル』、その央都たる『エイターン』は混乱の坩堝に叩き落とされた。


 突然の襲撃。


 一撃で粉砕ふんさいされる、都市を守護する大結界。


 突如として央都の上空に現れた怪物らは、尋常ではない規模の戦いを繰り広げ、天を裂き、地を割る。


 その余波だけで都市のあちこちを破壊していく。


 あっという間に央都は半壊し、守護の要でもある七剣大公セブンスターの要塞までもが甚大な被害を受けた。


 この時、元凶たる〝勇者〟および〝魔道士〟と〝闘戦士〟が現れてわずか一分の間に、大結界と七剣大公セブンスター破軍はぐん要塞ようさい武曲ぶごく要塞ようさい廉貞れんてい要塞ようさいの三つが破壊されていた。


 一分の茫然ぼうぜん自失じしつの時間を過ごした後、残る四人の七剣大公は対応行動を開始した。


 被害をまぬがれたのは文曲ぶんきょく大公、禄存ろくぞん大公、巨門こもん大公、貪狼どんろう大公の四名で、これは単純に仲間割れをする〝勇者〟らの戦闘区域が、途中で上昇し、さらなる高空へ移動しただけのことであって、特段の理由があったわけではない。


「被害状況を調べよ! 一体何が起こっている! 情報の連携はどうなった!?」


「出撃準備だ! 急げ! 貪狼どんろうめからは何の報告もないのか!?」


「待避ですよ待避! 暴れん坊の相手などしていられません! 私達は情報収集が役割なのですから!」


破軍はぐん大公が真っ先にやられた!? その次は武曲ぶごく大公まで!? ど、どうなっているのだ! まさか実力者から狙って潰しているのか!?」


 対応を開始したと言っても、基本的には情報不足で誰もが右往左往していた。


 故に、効果的な行動を取れた者は一人としていなかった。


 配下の者に喚き散らすか。


 同列の者らの失態に唾を吐くか。


 我が身可愛さに我先にと脱出を急ぐか。


 もはや都市を守護する『七星極大結界』が崩壊した今、央都エイターンは砂上さじょう楼閣ろうかくと化し、自壊じかいへの一途いっと辿たどる。


 これを止められる者は、どこにもいなかった。






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― 新着の感想 ―
もう1人1人が魔王を超えているレベルの奴らが3人も戦えばこうなるのかぁ……魔界、あわれ
か、可哀想だよー、魔族の方達が…… 魔王に精神支配されてない時は、人類と同じ様に国家の運営していて、普通に生活している者たちなのにねー、そんな所で戦うなよ… 魔王は存在しているだけで化け物なのだから、…
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