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●15 〝金剛の闘戦士〟の乱 2







「ふむ。何というか……」


「普通、だね?」


「ええ、いい意味で……普通ですね?」


「むしろ盛況なのでは?」


 王都アトラムハーシスへと近付き、外敵と砂塵混じりの風を防ぐための外壁を越え、中に入った途端の会話である。


 意外なことに内部に入る際のトラブルは一切なかった。


 突然の王位簒奪によって統治者が変わり、国民は混乱しているものと予想していたのだが――


 意外や意外、まったくと言っていいほど十年前に来た時と変わっていない。


 むしろイゾリテが言っているように、盛況さが増したまである。


「どうなってんだ?」


 都門ともんと関所を兼ねた場所を抜けると、すぐに大通りがあり、そこは雑多な市場いちばとなっている。


 幅の広い大きな道が、王都の中央に向かって真っ直ぐ延びており、そこに沿って屋台やら商店やらが建ち並び、多くの人が行き交って賑わっているのだ。


 あちこちから聞こえる呼び込みの声。侃々(かんかん)諤々(がくがく)と交わされる値段交渉。逃げる食い逃げ犯と追いかける飲食店の店員。


 もはやお祭り騒ぎである。


 とてもではないが、つい先日、長年続いてきた王家の治世が断ち切られた国の様子だとは思えない。


「ちょっと情報を集めてみようか」


 プカプカと宙に浮かんだエムリスが、興味深そうに雑貨や変な形をした壺などが並べられた屋台を眺めつつ、提案する。おい、情報収集とか言いながら自分の研究に役立ちそうな物を探すつもりじゃないだろうな、お前。


 ともあれ、現状の確認は必須である。


 俺達四人は王都アトラムハーシス北部の大通りに開かれた市場を適当にぶらつきながら、観光客をよそおって話を聞いてみた。


 その結果。


「――なるほど、良くも悪くも【何もしてない】ってことか」


「君臨すれども統治せず、ってやつかな? 考えた上での方針か、それとも面倒くさがっているだけなのかはわからないけれど」


 街の人々に話を聞いたところ、先日の王宮おうきゅう襲撃しゅうげきおよび王位おうい簒奪さんだつによって変わったことは、皆無かいむだという。


 というのも、突如としてムスペラルバード王宮を襲い王位を簒奪した自称〝金剛の闘戦士〟シュラトなる人物は、なんとそのまま前国王が囲っていた後宮ハレムへと引き籠もり、国民の前にまったく顔を見せていないのだ。


 では国家運営はどうなっているのかと言うと、これもそのまま前国王および王家、そして家臣が前体制を維持したまま続けていて、ぶっちゃけた話をすると、国民レベルでは一切の変化がないらしい。


 つまり、国民からすると『国王』という【看板】が変わっただけで中身は一切変わっていない――『店舗を改装したが味はまったく変わっていない定食屋』みたいな状態なのだ。


「何と言いますか、色々な意味でムスペラルバード人にはピッタリのやり方ですね。自分の母上達も、それはもう自由な人でしたし……」


 ガルウィンが幼い頃のことを思い出したのか、苦笑いする。


 国土のほとんどが灼熱しゃくねつの砂漠という過酷かこくな国ムスペラルバードでは、独立どくりつ独歩どっぽ気風きふうが強い。


 国などに頼らずとも自分達だけで生きていってやる――そんな気概もあってか、何ともたくましい国民性がムスペラルバード人の特徴だ。


 そのため国から放置されている方がむしろ都合がよく、彼ら彼女ら黒い肌を持つ人々は、より一層いっそう活発かっぱつに盛り上がっているのかもしれなかった。


「何にせよ、悪い方向に転がっていないというのは僥倖ぎょうこうかと。母上達の故郷が荒廃するようなことにならなくて、私は一安心です」


 恬淡てんたんと、しかし胸に片手を当ててイゾリテは安堵あんどの息を吐いた。


 理由や経緯はどうあれ、本来『王位おうい簒奪さんだつ』というのは乱暴なものだ。人間の肉体で言えば、頭部を引っこ抜いて別のものに取り替えるようなもので、およそ甚大なダメージをまぬがない。


 だが今回の場合、頭をすげ替えるのではなく、簒奪者さんだつしゃ王冠おうかんとなって被さっただけなので、大した問題になっていないのだ。


「しかしな……それならそれで、なんで王宮襲撃なんて真似をしたんだ? その自称シュラトは。しかも後宮ハレムって……いや、もしやとは思うんだが――」


「――ああ、その〝もしや〟かもしれないね。残念なことに……」


 嫌な予感がしたので思わずエムリスに目線を向けると、あっちはやや伏し目がちに、あまり嬉しくない同意をしてくれた。


「…………」


 俺は言葉を失う。


 シュラトが受け持った八悪の因子は〝色欲〟と〝暴食〟。


 此度こたびの件で後宮ハレムと〝色欲〟を繋げないのは、流石に無理のある見方だろう。


 もしかしなくとも〝色欲〟が暴走して王宮を襲わせた――なんて酷い可能性が、色濃くなってきたのである。


「……ひとまず状況はわかった。じゃ、最短距離で行くとするか」


 どうにも嫌な予感しかしないが、こうなったら毒を食らわば皿までだ。


 これといった被害こそ出ていないとはいえ、やっていることが世界を救った英雄にはふさわしくないにも程がある。


 俺はエムリス、ガルウィン、イゾリテに向き直り、告げた。


「直接あいつのところに乗り込むぞ」




 ■




 大通りを進んで王都の中央を目指す。


 途中で馬車ならぬラクダ車を拾い、国の中心にある王宮を目指すこと三時間ほど。


 早いもので時刻は昼過ぎとなり、やや空腹を覚えてきた頃、俺達四人はムスペラルバード王国の主要部、グリトニル宮殿きゅうでんへとたどり着いた。


 そう、宮殿である。


 王城ではない。


 ムスペラルバードの王様とその一族は、荘厳そうごん華麗かれいな宮殿に居住きょじゅうしているのである。


 王城と宮殿の違いは何だ、って? 簡単に言えば『キャッスル』と『パレス』の違いということになるが、細かいことを除けば、要は『防衛機能があるかないか』である。


 王城は防衛機能を有する要塞としての一面を持ち、宮殿にはそれがない。


 宮殿はどちらかというと戦闘機能に重きを置かず、見た目の美しさや豪華さを重視した、見目みめうるわしい政治的せいじてき中枢ちゅうすうなのだ。


「おお……とても眩しいですね……!」


 南国ムスペラルバードの誇るグリトニル宮殿の煌めきに、たまらずガルウィンが両手で顔を防御しながら目を細める。


 さもありなん。


 一体どれほどの金がかかっているのか、建物のあちこちには金箔やら銀箔やらがふんだんに使われており、それらがただでさえ強烈な陽光を照り返しているのだ。


 キラキラというか、【ギラギラ】というか。目が痛くなってくる光景だ。


 明るい日差しもあいまって、暑苦しいことこの上ない。


 エムリスの魔術で気温調節されていなかったら、見ただけでイラついていた可能性が大である。


「やはり派手な建物ですね。お母様達もそうでした。わかります」


 わかるのか。


 一体どんなエピソードがあったのやら、イゾリテが宮殿のデザインに対して一定の理解を示す。うんうん、と頷く少女の脳裏には、くだんの双子の母親達の姿が浮かんでいるのだろう。ちょっと気になる。


 ムスペラルバード人が派手な装飾を好むというのは有名な話だ。実際ここに来る途中、ラクダ車の中から街並みや人々を眺めていたが、しょっちゅうカラフルな建物や目を見張るような恰好をしている連中を見かけた。


 太陽のような明るさ。それこそがこの国の人々の最大の特徴なのかもしれない。


 エムリスが目を細めながら、しげしげと宮殿を眺め、


「王位簒奪の場となったわりには、随分と綺麗な様子だね。やっぱり争いにはならなかったのかな?」


 やっぱり、というのはシュラトも俺と同じように〝威圧〟だけで普通の人間を恐怖に陥れることが出来るからである。


 セントミリドガル城での俺しかり、アルファドラグーン城でのエムリスしかり。


 あまりにも強くなりすぎた俺達は、この身に纏うオーラだけで人類を制圧することができる。


 そのため指一本動かすことなく兵士を昏倒させ、ありとあらゆる抵抗を封じることが可能なのだ。


「だろうな。あいつが本気で暴れてたらこんな宮殿、跡形も残ってないだろ。新聞には四半日しはんにちとか書いてあったが、実際には一時間もかからなかったんじゃないか?」


 国の中枢が一日で陥落するってだけでも屈辱だというのに、それが四半日ともなれば、一体どれほどの恥になるだろうか。


 だが当時の状況を察するに、その四半日という表現でさえ、旧ムスペラルバード王家が精一杯【かさ増し】した数字だと思われるので、なかなかに切ない話である。


「いわゆる『無血開城』というものでしょうか、アルサル様?」


 ガルウィンの問いに、俺は眉根を寄せる。


「まぁ、そう言えなくもないか……? 無血開城【した】と言うよりは、【させられた】って方が正しいかもしれんが」


 シュラトが襲来した時、宮殿はもちろん守備兵が配備されていて、王族の近くには近衛兵がいたはずだ。


 王位簒奪の主が本当にシュラトなら、どいつもこいつも武器を構える前に無力化されたことだろう。


 結果として血が流れなかっただけで、宮殿側は何も喜んで無抵抗になったわけではあるまい。


「今でも守備兵は立っているようですね。如何いかがなさいますか、アルサル様?」


 宮殿の様子を観察したイゾリテが、俺に指針を求める。


 もちろん、もう子供ではない俺の答えは一つである。


「普通に事情を説明して、中に入れてもらうぞ」


「えっ?」


「え?」


「――。」


 言った途端、エムリスもガルウィンもイゾリテも、何だか意外そうな反応を示した。


 いやいや。逆に聞くが他にどうしろってんだ。ここまで穏便にやって来たんだから、出来れば最後まで波風を立てずに終わるのが一番だろうが。


 とはいえ、


「もし断られたら?」


 そうエムリスに問われれば、やはり答えは一つである。


「そん時は実力行使だ。ま、改めて『無血開城』してもらうってことでな。ま、手加減するから大丈夫だろ」


 答えた途端、またぞろ三人が妙な反応を見せた。


 エムリスは、やれやれ、と言うかのように肩をすくめ、ガルウィンは苦笑いし、イゾリテは、かくありなん、と目を伏せる。


 いやいや。待てって。だから逆に聞くけど他にどうしろってんだ?


 溜息交じりにエムリスが、


「まったく、これだからアルサルは。本当にヤンキー気質だねぇ」


 偉そうに俺のことを論評した。


 せぬ。




 ■




 流石に、新国王に会わせてくれ、などといきなり言っても断られるだろうし、七割ぐらいの確率で一悶着ひともんちゃくあるものと思っていたが――


 意外や意外。


 門の近くにいた衛兵は、俺が〝銀穹の勇者〟アルサルだと名乗った途端、すんなりと通してくれた。


「国王陛下のご友人とあれば、通さない理由はございません!」――と。


 その結果、俺達四人はグリトニル宮殿きゅうでん謁見えっけんへと通され、そして――




「チョリーッス! お久しぶりじゃーん、アルサル氏にエムリス氏ー! 元気してたー?」




 あまりにも変わり果てた、かつての仲間と再会した。


「……………………誰だ、お前?」


「――うっっっっっっわぁ……………………」


 俺は思わず表情筋を引きつらせて素性を問うたし、エムリスに至っては両手で顔を覆い、ただ一言の『うわぁ』に複雑にして強烈な感情を籠める始末である。


 ――キツい。


 その一言に尽きた。


「HAHAHAHAHA! 冗談キッツイねーアルサル氏ぃ! オレよ、オレオレ! 昔一緒に魔王と戦ったシュラト! シュラトさんですよぉー! おーっほほほほほほ!」


 色彩豊かで華やかな謁見の間に響き渡る、陽気な男の笑い声。


 まるで歌うような喋り方で、踊るようなジェスチャー。


 もはやノリだけで生きているかのような、かつての姿とはまったく正反対の言動。


「いや、というか……本当に誰だよお前?」


 俺は改めて問い直してしまう。


 それほどムスペラルバードの新国王シュラトは、かつての面影を失っていた。


 豪華な玉座に座る、まったく見慣れない顔をした男は、ニカッ、と音が聞こえそうな勢いで笑うと、


「またまた~冗談ばっかり~! どこからどう見てもオレっちっしょ? よく知っているシュラトっしょ? ああ、でもそうね、オレっち昔と比べたら顔つきとか体つきが変わったもんね? なら、わっかんないのも無理ないかなー? HAHAHAHAHA!」


 まるで、ボタンを押したらいろんな音が鳴る玩具おもちゃみたいだ。


 一つただしただけで、これでもかと言葉が返ってくる。返事の情報量が無駄に多い。


 あの口数の少なかったシュラトと同一人物とは、とても思えなかった。


「……確かに、顔つきも体つきも変わったようだね、シュラト。むしろ骨格さえ変わっているように見えるのだけど……僕からも聞くよ。君は、本当に【ボク達の知るシュラト】なのかい?」


 口振り的には何かを察している様子のエムリスが、シュラトとおぼしき男に意味ありげな視線を送る。一見すると朗らかに微笑んでいるようだが、ほのかに青白く光る瞳はまったく笑っていない。


 陽気な男は人差し指をピンと立て、チ、チ、チ、と舌を鳴らす。なんかよくわからんが腹の立つ所作だ。


「なぁに言ってんのかなぁ、エムリス氏~。ほらほら、オレっちが得意なのは『肉体操作』だったっしょ? そいつ使ってコレもんのソレってわけよーへっへっへっ……いや実はねぇ、これぐらいの体格の方が女の子にモテるからさぁ~えっへへへ……」


 ヘラヘラと笑ってクネクネ動いていた男は、出し抜けに身を縮め込ませたかと思うと、照れくさそうに片手で後頭部をく。


 確かに、そう。シュラトの特技は『肉体操作』だった。


 なにせ〝金剛の闘戦士〟である。


 名前からして屈強な戦士を連想するだろうが、昔のシュラトは実際に【いかにも】な体躯をしていた。


 ちょうど今のガルウィンと似たような感じだっただろうか。服の上からでもわかる、鍛え込まれた筋骨隆々の肉体。背丈は俺とさほど変わらなかったが、厚みは段違いだった。年の頃は同じぐらいだというのに、別種族かと思うほど体つきが違っていたのをよく覚えている。


 これが戦闘になると、先述の『肉体操作』によってさらに膨張するのだ。いわゆる『パンプアップ』に似た現象だが、厳密には違う。シュラトの『肉体操作』によって増大した筋肉はすべて本物で、実際にパワーがいちじるしく増強するのだ。


 そう、シュラトはまるでいわおのような奴だった。


 しかし――それが今はどうだ。


 目の前でシュラトのふりをしている男は、思い出のあいつとは遠くかけ離れている。離れすぎている。


 背丈こそ今なお俺と同じ程度だが、体つきはどちらかと言えば細身。顔も肉付きが薄く、相貌はどこか淡泊たんぱく


 一言で言えば、優男やさおとこというやつだ。


 こいつがもし本当にシュラトだというなら、もはやファンタジーのドワーフがエルフになったような激変ぶりとしか言えない。


「……お前の『肉体操作』って、そんな別人みたいになるような能力だったっけか?」


 俺は疑いの眼差しを隠さず、更に切り込んだ。


 面影が完全にない、とは言わない。さっき言った通り、別人かと思うほどかつての面影を残していないが、それでも、ほんの少しの名残ぐらいはある――と言えなくもない。


 極端な話、昔のシュラトから筋肉を抜き、陽気さを足せば、こんな風になるかもしれない――とは思うのだ。それはそれで、我ながらものすごい例えだとは思うが。


 そこだけは昔の姿とかぶる、獅子ししのように豪奢ごうしゃな金髪と紅玉ルビーのごとき真紅しんくひとみを持つ男は、やはりニヤニヤと笑いながら、


「あーね、そこはほら、オレっちが受け持った〝色欲〟と〝暴食〟の力でね、ほら? ね? ちょちょいっと……ね? わかるっしょ?」


 パチパチと何度もウィンクをして、同意を求めてくる。


「…………」


 最悪だ。今の会話だけで、何気に確定してしまった。


 こいつはシュラトだ。


 正真正銘、本物のシュラトだ。


 何故なら、こいつは〝八悪の因子〟を知っているのだ。


 この世界において、かつて魔王を倒した四人しか知らないことを知っている――それが揺るぎない証拠だった。


「――マジか。お前、マジでシュラトか。本当の本当に、お前なんだな?」


「だっから~! さっきからずっとそう言ってんじゃーん? ったくアルサル氏は相変わらずだわー! ……えっへへへへ、なんか嬉しくなってきちゃうぜ」


 デヘデヘヘ、と下品に笑いながら喜ぶシュラト。


 しつこくて申し訳ないと思うが、やはり信じられない。


 これが、この軟派ナンパ優男やさおとこが、あの『質実しつじつ剛健ごうけん』が擬人化したようなシュラトだというのか。


 男の俺から見ても立派でかっこいい奴だったのに。


 一体何がどうなれば、このような変貌を遂げてしまうというのか。


「――というわけだよ、アルサル。残念だけど、最悪の予想が的中してしまったようだ。【ボクから見ても】、彼はボク達の知るシュラトで間違いないよ。実に不本意ながら、このボクが保証しよう」


 その口振りからすると、エムリスは一目見た瞬間から確信していたらしい。このヘラヘラした男が、かつて俺達と肩を並べて戦った〝金剛の闘戦士〟であることを。


「そうか……そうなのか……」


 こうなっては認めるほかあるまい。エムリスが言うのであればそうなのだろう。なにせ、俺達四人にそれぞれの因子を注入したのは、他でもないエムリスなのだから。


 多分、エムリスには『八悪』を所有する人間を見分けることが出来るのだろう。だからこその、先程の保証なのだ。


 そういえば、と気になって視線を横に向けると、そこには唖然とした様子の兄妹二人がいる。


 旅の途中、二人にはシュラトやニニーヴについていくらか語っていた。どんな風貌で、どんな性格なのか。それらにまつわるちょっとしたエピソードなども。


 それだけに、ガルウィンとイゾリテの二人はあまりの落差ギャップに衝撃を受け、硬直しているようだった。


「――あれあれぇ? アルサル氏、エムリス氏、そっちの二人はどこのどなた様? ってか、普通の人間じゃないじゃん? なーんか『交じってる』っしょ?」


 俺が視線を向けたせいか、シュラトがガルウィン達に気付いた。しかも、一瞬にして二人が俺達の眷属であることを見抜いている。


 こいつ、雰囲気はすっかりチャラチャラした感じになったが、腐っても〝金剛の闘戦士〟ってことか。侮れない眼力である。


「――ま、俺とエムリスの付き人みたいなもんだ。お前の横にいる二人みたいにな」


 とりあえず今は細かく説明している場合ではないので、適当にはぐらかす。


 すると、シュラトは大口を開けて笑い出した。


「HAHAHAHAHAHAHAHAHA! 違う違うってアルサル氏~! こっちの二人は付き人なんかじゃナイナイ! オレっちのお嫁さんだよ、お嫁さん! どっちもね!」


「は?」


 猿みたいに手を叩いて呵々《かか》大笑たいしょうするシュラトに、俺は鳩が豆鉄砲を食ったような反応を返してしまう。


 ――お嫁さん? 二人とも?


 一瞬だけ頭が真っ白になる。理解しがたい単語を頭にねじ込まれて、思考回路が処理不良を起こしたらしい。


「まさか、結婚……いや、重婚じゅうこんしたのかい、シュラト?」


「イエッス、オフコース!」


 驚きながら聞き返したエムリスに、シュラトは両手の親指をグッと立てて、勢いよく前に突き出した。


 すっかり変わり果ててしまった仲間の座る豪勢な玉座。その左右に、それぞれのおもむきことなる美女が二人ふたり粛然しゅくぜんと立っている。


 右は小麦色の肌をした、おそらくムスペラルバード人の女性。燃えるように赤いソバージュの髪に、透き通るような水色の瞳。さっきからずっと、ニコニコと笑ってシュラトと俺達の様子を眺めているのが印象的だ。


 左は白皙はくせきの女性。肌の色合いからして、ムスペラルバードの出身では絶対にないだろう。おそらくだが、北のニルヴァンアイゼン人ではなかろうか。細い銀色の髪を長く伸ばし、ローズクォーツのような薄い桃色の瞳を伏し目がちに、ひっそりたたずんでいる。


 黒と白、シュラトを挟んで立つ、対照的な二人の女性。


 まるで太陽と月のような二人だな、と頭の片隅で思う。


「ね? ね? 二人ともメチャクチャ美人さんっしょっ! いやさー、この二人だけはまだ前の王様が手を出してなかったからさー、オレっちのお気に入りにしちゃったわけよ、デッヘヘヘヘっ。――あ、でもオレっちもまだ手は出してないんだけどね? ほら、今は色々と面倒な手続きとかあるから……ね? そこんとこ全部が終わってから……ね? ムフフ……」


 鼻の下を伸ばして気味の悪い笑い方をするシュラト。


「…………」


 おいおい。


 誰か嘘だと言ってくれ。


 俺の知っている、あの硬派なシュラトはどこへ行ってしまったんだ。いやマジで。


 これが〝色欲〟の因子の影響だとするなら、ガチで人格が根本から変わってしまっているので、かなりまずい。


 完全に別人になってしまっている。肉体的にも、精神的にも。


 とはいえ、この二人の美姫びきにまだ手を出していないということは、多少の理性は働いているということか? それに、もう一つの因子〝暴食〟のことも気にかかる――


「……なぁ、シュラト。一つ聞きたいんだが。俺の質問に、素直に答えてくれ」


「ん? なになに、どうしたのアルサル氏? なんか急に改まったりなんかしちゃったりして? ――え、なにマジ? 真剣と書いてマジと読むモードなの?」


 俺が声を低くすると、シュラトは赤い目を何度もしばたたかせた。


「ああ、本気と書いてマジとも読むやつだ。いいか、正直に話してくれよ?」


 俺は、すぅ、と息を吸ってから、問うた。


「――なんでこんなことをした?」


「……へ?」


 俺の質問の意味がわからなかったのか、シュラトは間抜けな顔を見せた。


 キョトン、と小首を傾げ、一体どうしたのアルサル氏? みたいな視線を向けてくる。


 いや、どうかしたのはお前の方だっつー話なんだがな。


「お前、この国の王位を力尽くで奪ったそうじゃないか。実際、今の王様はお前なんだろ?」


 質問の意図が伝わっていないようなので、俺は状況を確認するように質問を重ねた。


 すると、うんうん、とシュラトは頷き、嬉しそうに歯を見せて笑うと、


「おお、そうそう、そうなのよー! 新聞とかにも載ってたっしょ? よくわかんないけど外務大臣? とかにも言って、他の国の偉い人達にも伝わるようにさぁ――」


 と得意げに話し出したので、俺はとうとう真剣に頭痛を覚え始めた。


 ダメだこいつ。自分が何したのかまったく理解していない。


 俺は片手を上げてシュラトの話を遮り、


「オッケー、オーケイ、わかった、つまり今のお前はまぎれもなく、このムスペラルバードの新しい王様ってことだ。そうだな?」


「うんそう。ま、そのムスペラルバードって名前もいずれ別のに変えようと思っているんだけどねー! あ、アルサル氏なんかいい名前の案とかある? シャレオツなのあったら一つヨロシクね!」


「…………」


 ペースが乱される。非常にやりづらい。会話というのはキャッチボールみたいなもののはずだが、ボールを一つ投げると三つぐらい返ってくるのだ。


 話が逸れないように、本題と関係ないことは無視しよう。


 シュラトの真紅の瞳を真っ直ぐ見つめ、俺は再び問う。


「なんでだ? なんで、王様になんかなったんだ? 俺はその理由が知りたい。答えてくれ、シュラト」


「――――」


 なんでそんなこと知りたがるんだろう? みたいな表情だった。シュラトは無邪気な子供みたいに俺の顔を見つめ返し、


 やがて。




「え? なんでってそりゃ、美人のおねーさん達とエッチなこといっぱいしたかったから……だけど?」




「…………」


 それは、許されるなら、ずっこけて笑い話にしたい返答だった。


 あまりにも予想通り過ぎて、いっそ笑いがこみ上げてくるほどなのだから。


 だが、笑えない。


 笑えないのだ、これは。


「……本気で、言ってるのか?」


 俺は確認のため、出せる中でも一番低い声で聞き返した。


「うん!」


 元気いっぱいの肯定があった。しかも、


「HAHAHAHAHAHAHAHAHA! いまさら何言っちゃってるのさアルサル氏~! オレっち男よ? 男の子よ? 元気いっぱいの健康優良児よ!? そんなあったり前じゃ~ん!? 聞くまでもないことじゃ~ん!? ちょっともう笑わせないでっても~! HAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


 両手の人差し指でオレを示し、大爆笑する。


 いで腹を抱えて、ひぃひぃ、と身をよじりながら、


「あ、そうだアルサル氏! ほらほら見て見て! さっきもビックリしてたみたいだけど、オレっちこういう技が出来るようになったのよ!」


 玉座から身を乗り出したシュラトの、その肌に黄金こがねいろに輝く幾何学模様が浮かび上がった。


 輝紋の励起だ。シュラトの光はその称号〝金剛の闘戦士〟から連想する通り、きらめく金色こんじき。俺が〝銀穹の勇者〟なので、ちょうど対になる感じだ。


 ちなみに、どうして〝勇者〟が『銀』で、〝闘戦士〟が『金』なのか。普通なら逆と思うかもしれないが、これには理由があるのだが――それについて語るのはまた今度にしよう。


 なにせ目の前で、常人なら目を見張るような出来事が起こったのだから。


「――ぇええええっ!?」


「――……ッ!?」


 真っ先に悲鳴を上げたのはガルウィンで、その次にイゾリテが鋭く息を呑んだ。


 いかにもチャラついた優男の風体だったシュラトが、見る見る内に『幼い少年』の姿へと縮んだのである。


「――へへへっ、どーだいアルサル氏、エムリス氏ぃ~! こうなるとオレっちも可愛いモンだろう? 自分で言うのも何だけどさ、【そっちの趣味】の御仁にはヨダレモノってやつだぜぃ!」


 どう見ても十歳前後の少年の姿へと変じたシュラトの声音は、見た目通り、声変わり前の高い音域へと変わっている。理術や魔術、あるいは聖術のたぐいによるまぼろしではさそうだ。


 というか、シュラトは生粋きっすいの戦士なので、そういった小細工じみた技は一切使えないはず。


 当然、着ていた服はブカブカになってしまっていた。


「いやぁ、こういう背格好になると年下好きのお姉さんが優しくしてくれたり、やしなってくれちゃったりしてさぁ~。むしろ下にも置かない扱い? ってやつでチヤホヤしてくれちゃうからさー、そこでオレっち思っちゃったのよ」


 声色こそ可愛らしい少年――なんなら頭に『美』をつけても構わない――のものだが、しゃべっている内容は普通にひどい。


 金髪きんぱつ赤眼せきがん美貌びぼうの少年は、しかし顔を歪めて【あくどい】表情を見せた。


「――ハーレム作ったら人生最高じゃね? ってさ!」


 挙げ句に、茶目っ気たっぷりのウィンクまでつけて。


 はぁぁぁぁ……と隣から盛大な溜息が聞こえてきた。振り向くまでもなく、エムリスのものだ。


 多分、俺と同じ気分なのだろう。良くも悪くも予想通り過ぎて、本当に頭が痛い。


「……それで? じゃあいちからハーレム作るのも面倒だから、既にあるものをもらってやれ――と、そう思ったのかな? シュラト」


 呆れ果てた様子でエムリスが聞くと、やはりシュラトは両手の人差し指をビシッと向けて、


「ザーッツライッ! その通りだよん、エムリス氏ぃ~! お見通しだねぇ~、HAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


 歯を見せて爽やかに笑う。


 そんな馬鹿げた理由でつかえる王がわったというのに、玉座の傍に控えている赤毛の美女はニコニコと笑ったままで、銀髪の美姫は目を伏せて無言のまま。肯定とも否定とも取れぬ態度が、なんとも言えず不気味に見える。


「「…………」」


 俺とエムリスはお互いに顔を見合わせて、頷き合った。


 ともあれ、これにて確定だ。


 今のシュラトは、ほぼ完全に〝色欲〟にまれている。


 本来のこいつなら絶対にしそうにないこと、言いそうにないことをやらかしているのが動かぬ証拠だ。


「ん? ん? どしたの二人とも? なーんか神妙な顔しちゃって~、意味深だなぁ?」


 今のシュラトにとって、この状況は『しらせを聞いた旧友きゅうゆう親交しんこうあたために来た』という程度のものなのだろうが、俺達にとってはそうではない。


 かつての仲間の愚考をいさめ、めに来たのだ。


「――残念だがシュラト、お前の遊びもここまでだ。その椅子、とっとと前の王様に返して俺と一緒について来い」


「……はぁ?」


 反応が露骨に変わった。


 シュラトは途端に顔を引き締め、目を据わらせ、低く押し殺した声で聞き返してきた。


 何言ってんだテメェ、と。


 だから俺も、身も心も臨戦りんせん態勢たいせいに入る。


「聞こえなかったか? くだらねぇことはもうやめろ、つったんだ。アホな顔してないで立てよ。ここはお前の居場所じゃねぇ。さっさと行くぞ」


 顎で、くい、と後方を示し、この場をすことをうながす。


 すると、シュラトの顔に再び黄金の輝紋が浮かび上がり、今度は肉体が成長して元の優男の姿へと戻った。


「――いやいやいやいやいやいや、何言ってるの、何言っちゃてるのかなぁアルサル氏ぃ? いきなりそれはナイっしょ? オレっちビックリしたわ。なにそれ? 新手の冗談?」


 無理におどけようとしているが、ノリきれていないのが丸わかりの口調。声もさほど高くないあたり、今度は俺の意図はしっかり伝わっているようだ。


「冗談に聞こえたか? ならすまんな。俺の言い方が悪かった」


 んん、と咳払いをして喉の調子を調整すると、俺はドスを利かせた声で言った。


「いい加減なめた真似してんじゃねぇぞボケ。これ以上わがまま抜かすようなら力尽くで引きずり下ろすぞコラ。なぁ? わかるか? お前がやったことは冗談じゃ済まねぇって言ってんだよ。わかったなら今すぐ立ち上がって俺の後ろについてこい」


 本当なら威嚇いかくの意味も込めて〝威圧〟を放ちたいところだが、シュラトのすぐ近くには美女が二人いる。それに加減をあやまると宮殿内の人間全てに影響を与えかねないので、やめておいた。


 俺の恫喝どうかつに対し、シュラトはパチパチとまばたきをして、


「……はー……なるほど、なるほど……そゆことね」


 もっともらしく頷きを返すと、ゆっくりと俯いた。上半身を前に倒して背中を丸め、両肘りょうひじ太腿ふとももにのせる。


 そこから何をするのか――というのは愚問の極みだろう。


 既にシュラトの全身から、凄まじい敵意がほとばしり始めている。


 俺の〝威圧〟と同じ、その身がそこに存在するだけで放たれる重圧プレッシャー謁見えっけん席巻せっけんする。


「ば……!?」


 この馬鹿なんてことしやがる――という言葉が喉元までせり上がったが、直前で呑み込んだ。


 てっきり影響を受けると思っていた美姫二人が、相変わらず平然としているのだ。


 常人ならとっくに昏倒こんとうするほどの〝威圧〟が満ちた、この空間において。


 ということは――


「――へぇ? その様子からすると、どうやらそこの二人を【眷属にした】んだね、シュラト。なるほど、〝お気に入り〟とはそういう意味だったのか」


 エムリスが得心とくしんして、うんうん、と首を縦に振る。


 何のことはない。俺やエムリスにも可能な〝眷属化〟を、シュラトも使用していただけの話だ。そう考えれば近衛兵ではなく、赤毛と銀髪の美姫が奴の左右さゆうはべっていたのも頷ける話だ。


 とはいえまさか、あのシュラトがこんな美人を二人も眷属にするとは。十年前からはまったく想像もつかない事態だ。


「――なぁ……あのさ……アルサル氏、エムリス氏? 悪いんだけどさ、そういうことなら帰ってくれねぇかな?」


 深く俯いたまま、乾いた声でシュラトは言う。


「せっかく来てくれたのに申し訳ないんだけどさ。【そういうの】、今求めてないんだよね。オレっち、今が人生で最高に楽しい瞬間でさ。邪魔しないで欲しいっていうか、余計なお世話っていうか……ぶっちゃけ、お呼びじゃないんだよね」


 淡々(たんたん)と、これまでとは打って変わった調子で言葉ことばつむぐシュラト。所々にトゲが立っているのは、明らかに気分を害している証左しょうさに他ならない。


「だからさ、帰ってくれねぇかな? オレっちもさ、昔のよしみと喧嘩なんかしたくないわけよ。ほら、オレっちも昔は〝金剛の闘戦士〟とか言って調子くれてたっしょ? 何て言うのかなー……アルサル氏もエムリス氏もさ、オレっちに【潰されたくはない】っしょ?」


 まぁ、シュラトはシュラトなりに穏便に事を済ませようと思っている、というのはわかる。


 わかるが――しかし、その挑発は少々見逃せないし、そもそもからして俺は何もせず立ち去るつもりがないのだ。


「聞き捨てならないな、シュラト。その言い方だと、まるで俺がお前に負けることが決まってるみたいじゃねぇか。随分と強く出たもんだ、お前らしくもない」


 左右の美姫がシュラトの眷属けんぞく――すなわち常人でないのなら、もはや遠慮えんりょは不要だ。俺も抑えていた力を解放して、容赦なく〝威圧〟を放つ。


 途端、俺とシュラトの〝威圧〟がぶつかり合い、グリトニル宮殿が大きく揺れ動き始めた。


「――アルサル様、ご指示を」


「私達はあの二人を担当すればよろしいですか?」


 基本、俺とエムリスの背後で控えていたガルウィンとイゾリテが、ここぞとばかりに口を開く。


「そうだな、あっちの眷属も二人、こっちも二人だ。ちょうどかずは釣り合ってるか」


 答えながら、俺は素早く理術を発動。周辺をキロ単位で走査スキャンし、生体反応を確認する。宮殿全体が地震のようにグラグラと揺れているせいか、他の使用人などは慌てて逃げ出しているようだ。これなら避難ひなんうながすまでもなく、無関係な人間は離れていくことだろう。


 つまり、余計な気遣いは無用だということだ。


「じゃあ始まったら、イゾリテ君とガルウィン君にはあの美女二人の相手をお願いしようか。残念ながら、ボクとアルサルはシュラトだけで手一杯だろうし……十中八九、【ここにはいられないから】ね」


 激発の予感に、エムリスも声音を硬くして指示を出す。


「ま、シュラトの眷属が実際に戦闘に参加するかどうかは微妙だけどな。お嫁さんだとか言ってたし、それが本当なら守護まもるが常道だろ?」


 小声でささやいてから、俺は改めてシュラトに視線を向ける。


 先程は、激発の予感、などと言ったが、もはや戦いは始まっていると言っても過言ではない。


 なにせ俺もシュラトも、引くつもりなど一片いっぺんもないのだから。


 激突は必至であった。


「――くっ……くはっ……はっはっはっ……」


 今なお頭を低くして俯いているシュラトの体が、小刻みに揺れ始めた。別段、宮殿の揺れのせいではない。聞いての通り、笑っているのだ。


 やがて、垂れた前髪で顔を隠したままのシュラトは、一気に面を上げて哄笑こうしょうした。


「はははは……HAHAHAHAHAHAHAHAHA!」


 玉座に腰掛けたまま喉を逸らし、宮殿の外まで聞こえそうな大声で大笑いする。


 だが次の瞬間、ピタリと止まり、


「――オーケイオーケイ、よーくわかった。【お前ら】、要はオレの邪魔しに来たってわけだな? ああそうかい、そうなのかい。ならしょうがない。ああ、しょうがないよな。どうしようもない、どうしたってもしようがない。そういうことなら仕方がないんだよな。本当にもう、どうしようもないんだから」


 抑揚のない口調で、しかしどこかうたうようにリズミカルに言うと、シュラトは、ゆらり、と幽鬼ゆうきのように玉座から立ち上がった。


 天井に向いていた顔が、ぐん、といきなりこちらに動いた。赤く輝く瞳が、どこか無機質な視線を突き刺してくる。


 俺にはわかる。


 あれは――【敵を見る目】だ。


「――ころす」


 シュラトがそう呟いた瞬間、その全身から洒落しゃれにならない勢いで黄金の〝オーラ〟が噴き出した。


 真実、それは爆発だった。シュラトの肉体を中心として全方位に衝撃波が生じ、周囲のものを吹き飛ばす。左右にはべっていた美女二人は素早く飛び退いていたが、玉座やカーペット、床の一部が粉々に砕けて飛散した。


 転瞬、謁見の間に豪風が吹き荒れる。


 無論のこと、俺にとってはそよ風みたいなものだが。


「殺す、と来たか。面白い冗談だ。笑えねぇな」


 爆風を全身で受け止めながら、俺は言葉通り表情筋を引き締めてシュラトを睨みつける。


 そこまで馬鹿になったか、〝金剛の闘戦士〟シュラト。


 俺もお前も殺せない。そう簡単には死なない。


 いや――【死ねない】んだよ。


 そんなことすら忘れちまったのか、馬鹿野郎。


「シュラト、言ってもわからないと思うけれど、今の君は本来の君じゃあない。しかも君のやっていることは、せっかく平和にした世界を混乱させる行為だ。ボクはかつての仲間として……そして、君の中に〝色欲〟と〝暴食〟を移植した者として、責任を取らなければいけない」


 空飛ぶ大判の本に腰掛けたエムリスが、ゆっくりと前へ出た。柄にもなく神妙な顔つきで、黄金の〝氣〟を放つシュラトを見つめている。そんな〝蒼闇の魔道士〟もまた、ダークブルーの輝紋を励起させ、同色の〝氣〟を全身にまとっていた。


 だが、その真摯な言葉は今のシュラトには欠片かけらも届くまい。


 今や戦闘モードに入ったシュラトは、昔のように仮面のような無表情を俺達に向け、まるでうわごとのように、


「うるさい。黙れ。オレの邪魔をするな。お前ら何なんだ。何の権利があってオレに指図するんだ。鬱陶うっとうしい。あっち行けよ。寄ってくるなよ。消えろよ。オレはやりたいようにやるんだ。それだけの力があるんだ。好きにして何が悪いんだ。腹が立つ。どうしようもなく腹が立つ。せろ。せろ。今すぐ出て行って戻ってくるな二度とその面を見せるなお前らとはこれでもうおしまいだ」


 戦いを前にして感情を見せなくなるところは、昔と同じだ。しかし、この口数の多さはなんだ。まるで【らしくない】。


 これでは〝色欲〟や〝暴食〟に浸食されているというより――


「……まずいね、アルサル。おそらくだけど、アレはもう【シュラトじゃない】……別の人格が目を覚まそうとしている……」


「――どういう意味だ?」


 聞き捨てならないにも程がある台詞に、俺は思わず素で聞き返した。


「【八悪の因子そのものが人格を持ち始めているんだ】。アレは因子の影響を受けてシュラトの人格が変わったんじゃない……まったく別の人格が、シュラトの肉体を乗っ取ろうとしているんだよ……!」


「……!?」


 少なくない衝撃が頭の中の弾け、俺は絶句する。


 ――そんなことあるのか……!?


 思わず視線にそう乗せてエムリスを見つめると、夜色の髪を持つ魔道士は顎を引くようにして頷いた。


「――君のことだからもう忘れているとは思うけれど、十年前にも説明したように、八悪の因子はもともと悪魔が持っていたものだ。それを強制的に抜き出し、ボク達に二つずつ移植した」


「……そういえば、そうだったな。おう、覚えてるぞ」


 嘘である。そんな話を聞いたような気がする、程度の記憶だ。内心では脂汗ダラダラだが、おくびにも出さないよう気をつける。


「シュラトの行動から察するに、人格を持ち始めているのは〝嫉妬〟の化身――【アスモデウス】だ。悪魔はちからそれ自体が、存在そのものだと言っていい。つまり、悪魔の存在はちからそのものだとも言える。だからボク達に宿した因子は、イコール悪魔そのものだとも言えるのだけど……まさか、この世界でここまで成長して、しかも暴走するだなんてね……」


 エムリスの声には苦渋が満ちている。自らの見通しが甘かったと悔やんでいるようだ。しかし、


「今それを言っても仕方ないだろ。切り替えろよ、意識」


「わかっているさ。後悔こうかい謝罪しゃざいも全部、あとの話だ。今はシュラトを止める。全身全霊をかけてね」


 俺の言葉に、エムリスは力強く首肯した。ふと、十年前にもこんなやりとりがあったな、と思い出して微笑しそうになるが、やはりそれどころではない。


 不意にシュラトが身を屈める。腰を落とし、両の拳を握りこみ、完全な戦闘態勢に入った。


 来る。


「――消えろ」


 金色こんじきに輝くシュラトが刹那、床を砕きながら飛び出すのと同時、俺は両手に銀光を束ねて前へと出た。


 銀剣、収束。


 拳を振り上げて突っ込んできたシュラトに対し、逆袈裟の斬閃を跳ね上げる。


 瞬きにも満たない一瞬。


 俺の銀剣とシュラトの黄金の拳が激突した。


「「――――!!」」


 衝撃が爆発する。


 咄嗟にエムリスが結界を張っていなければどうなっていたことか。


 言うまでもなく、この一刹那いっせつなでグリトニル宮殿の大半がこの世から消滅した。


 そして、これが俺とエムリス、そしてシュラトの――戦いの幕が切って落とされた瞬間だった。







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― 新着の感想 ―
なにこのウェーイ氏……それにしても色欲と暴食なのに乗っ取ってるのは嫉妬なのかぁ……聖女が持ってるはずなのになんでだろ?
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