●15 〝金剛の闘戦士〟の乱 1
胸のすくお知らせ――どころではない。
エムリスの示した新聞の記事を読んだ俺は、
「……冗談じゃねぇ。誰が戻るかクソッタレ」
真っ先にそう吐き捨てた。
紙面には、
『セントミリドガル王国、敗色濃厚。この局面を打開するには、かつての〝勇者〟にして元戦技指南役の帰還が必須だと思われる。既に王家は水面下で交渉中との噂あり』
などという、俺について根も葉もない【フカシ】が記載されていたのである。
水面下で交渉も何も、俺は国を出て以来セントミリドガルとは一切無関係だ。
なにせ、その日の内にアルファドラグーンとの国境にまで移動して、そこから何やかんやで現在に至るのだ。
だから、そんな事実はこれっぽっちもない。
というか、だ。
俺のことをしれっと『元戦技指南役』って書いていやがるが、それ以前に俺が国外追放になった件はまったく報道されてないだろうが。ちゃんとアルファドラグーンに来てからも新聞はチェックしていたから知ってるんだぞ。
都合の悪いことは握り潰して隠蔽していたくせに、呼び戻す時だけ声を大きくしやがって。
恥知らずにも程があるだろうが。
まぁ、ほとんどの国民、というか世界中の人間が俺達のことを忘れているだろうし、興味もないだろうから、突然の『元戦技指南役』の文字列にも『ああ、あの〝勇者〟ね。そうか、戦技指南役を辞めてたのね』みたいな反応しかないだろうけどな。
いやしかし、それにしたって腹の立つやり方である。
「何考えてやがる。こんな風に仄めかされても絶対に帰らないからな。馬鹿なのか、あいつらは」
苛立ち紛れにボヤいてから、ふと気付く。
そういや馬鹿だったな――と。
鬱陶しいから追い出して、困ったから『戻って来い』と呼び戻す――いかにも今のジオコーザがやりそうなことだ。
とはいえ、それも例のピアスでどうにかされているから――かもしれないのだが。
しかし俺が退職届を叩き付けたのは――実際には口頭で告げただけだが――最高権力者である国王だ。オグカーバには例のピアスの影響はなかったはずなので、当時の態度が演技でもない限り、俺の国外追放の書類に許可の印を押したのは、他でもないあのジジイなのである。
「…………」
しばし沈思してみたが、何をどう計算したって余りが出た。
やっぱり困窮したセントミリドガルに戻ってやる義理など、微塵もない。
「おやおや、快哉を叫ぶと思いきや、ひどく不機嫌になってしまったね。こいつは予想外だ」
俺に新聞を見せた張本人のエムリスが、仰々しく肩をすくめてみせる。
「当たり前だろ。セントミリドガルは国のトップが阿呆になったんだ。こうなることはとっくにわかりきってたんだよ。この程度で俺の胸がすくわけないだろうが」
自分で言うのも何だが、国防の要である俺を追放処分にした時点で、こうなる未来は見えていたのである。
ただ、その時期が思った以上に早く訪れただけで。
俺の文句に、エムリスはまたも肩をすくめてみせた。とりつく島もないね、とでも言うかのごとく。
「それはそうとアルサル、案の定だけれど、どうやら昨日の聖竜アルファードはあの一機だけではなかったようだよ。ほらここ、『我が国の最新兵器』がどうのこうのと書いてある。セントミリドガルが押されているのは、きっとそのせいだろうね」
これ以上は無益と悟ったのか、露骨に話題を変えられた。
「案の定だけれど……ってどういう意味だ?」
「ほら、昨日の……セイクリッドギア? だったかな? とにかく君がボコボコに痛めつけた部隊がいたじゃないか」
「いや、お前なに自分は何もしてませんって面してるの? びっくりするわ……」
「彼らはみんな冒険者上がりだと言っていたろう? 流石におかしいと思ってね、考えてみたんだ」
「無視かよ……」
面の皮の千枚張りとは、まさにこのことだ。
「アルファードは聖具……つまり聖神の技術を用いた人類未曽有の兵器だ。そんなものを再稼働させるというのに、派遣されてきたのは急拵えの非正規兵。これはどう考えたっておかしい。そんな大それたものを目覚めさせるのなら相応の力量、ないしは責任を持った部隊が派遣されて然るべきだ。常識的に考えてね。なのに、現実には冒険者上がりの新兵もどきがやってきた……ということは、少なくともアルファードの場所を知っていた輩〟にとって、〝ドラゴンフォールズの滝〟に眠っていた機体は【さして重要なものではなかった】と見ることができる。ということは――」
エムリスが視線を巡らせ、イゾリテに向けた。見た目だけなら師匠と呼ぶ相手と同じ年頃――体つきに歴然とした格差はあるが――の少女は、頷きを一つ。
「――【他に代わりはいくらでもある】、と推察することができます。つまり〝聖竜アルファード〟はあの一体のみではなく、アルファドラグーンの各地に同じもの、もしくは上位の機種がまだ多く眠っている可能性があると考えられます。そして急激な戦況の変化は、新たに目覚めた複数のアルファードが投入されたから、ではないかと」
どうもエムリスからのちょっとしたテストだったらしい。過不足なく師匠の思考をトレースしきった弟子に、エムリスは満足げに何度も頷く。
「その通りさ、イゾリテ君。花丸をあげよう。そう、聖竜アルファードは一体だけじゃない。おそらくだけど、百単位の数が現存しているはずだ。【この国の名前から察するに】、ね」
「国の名前から察するに……とは?」
意味深なことを告げたエムリスに、ガルウィンが素直に首を傾げる。
細かいことは俺にもわからないが、それでもエムリスの言わんとしていることは理解できる。
魔術国家アルファドラグーン。その地に眠っていた〝アルファード〟という名の聖竜――ある程度の想像力があれば、そこから大体のことは察せられるだろう。
「詳しいことについてはまた後で説明してあげるよ、ガルウィン君。と言ってもボクも色々と調べて裏取りしないことには、まだはっきりしたことは言えないのだけれどね」
そう言ってガルウィンの疑問に蓋をすると、
「かてて加えて、問題なのはセントミリドガルが【全方位において劣勢に陥っている】ということだ。つまり、優勢に立っているのはアルファドラグーンだけじゃない。他の大国、あるいは各勢力が戦力を増強しているということだ」
新聞を読むに、情報の源泉はどうもセントミリドガル内部からのようだ。ここはアルファドラグーンなので、本来ならアルファドラグーン視点からの情報しか手に入らないはずだが、紙面には『各国優勢、セントミリドガル劣勢』といった内容がしたためられている。
「――ということは他国もアルファードか、それに類するものを入手したのでは?」
素の調子でガルウィンが言うと、エムリスとイゾリテが軽く驚いたように目をパチクリとさせた。
「……その通りだよ、ガルウィン君。しかし君はアレだね、何というか……」
「直感だけで喋るのはやめてください、お兄様。時折そうやって的を射ることがあるだけに厄介です」
エムリスが言いよどんだことを、妹のイゾリテがズバリと物申す。
「も、申し訳ない……」
実際、思いついたことをそのまま口にしていたらしく、ガルウィンは肩をすぼめて小さくなってしまった。
とはいえ、近接戦闘を主とする剣士にとって直感は大事なものだ。ガルウィンは悪くない。後でフォローの言葉をかけてやろう。
「あー、なんだ、要するにガルウィン君の言う通りだよ。他の国も、おそらくだけど聖竜アルファードか、それと同等のものを手に入れた可能性が高い。単なる予測だけれど、それらはおそらく『聖具』だろう。ということは――」
「聖神教会がらみってことだな。要はあいつらが世界を股にかけて暗躍してるんじゃないか、って言いたいんだろ?」
俺が口を挟むと、エムリスは音高く指を鳴らした。
「そう、それだ。さらに言えば、それら全てが何を意味するのかというと――」
勿体ぶって間を置くと、エムリスは俺達三人の顔へに視線を巡らせ、
「――ボク達がこうして旅をしているのも何者かの思惑かもしれない、ってことさ」
「……まぁ、そう見ることもできるわな」
会心の一言っぽく告げたエムリスの言葉を、しかし俺は適当に受け流す。
エムリスは、キョトン、として、
「おや? 随分とテンションが低いじゃあないか。さっきみたいにイラついたりしないのかい?」
「今更だからな。実際、例のピアスのおかげで色々と歯車がずれて今に至るわけだが……そこんとこはもうどうしようもないだろ。ま、そこはさておいたとしても、だ」
俺は椅子の背もたれに体重を預け、何とはなしにラウンジの天井を見上げる。
もし仮に。
これまでのことが全て繋がっているとして。
俺達の旅が何者かの思惑の産物であると仮定して。
しかし――
「相手の目的がさっぱりわからん。どうも世界中を混乱に陥れたいようだが――やり方がめちゃくちゃに迂遠だろ? 遠回しにも程があるっていうかな。わかってる限りじゃ、あっちこっちで戦争を起こさせた上に新兵器まで供給してるってことで、一見するとセントミリドガルをぶっ潰したいようにも見えるが……」
「にも見えるが?」
小首を傾げるエムリスに一瞥をくれ、俺は告げる。
「……ただの予感だが、セントミリドガルにも新兵器を渡したりなんかして、また戦況を膠着状態へ戻させようとするんじゃないのか? そいつら」
「膠着状態をまた……? それはどうして?」
そんな無意味なことをする理由は? と問うエムリスに、俺は緩やかに首を横に振る。
「わからん。ただこれまでの動きを見るに、どうもそうなる気がしてならないんだよな……だが、そうしそうな気がするってだけで『なんでそうするのか?』は全く見えてこない。やってることがチグハグ過ぎて、目的が一向に見えてこないんだよ。一体何がしたいんだろうな、あいつら?」
そのへんについてはお手上げだ、と俺は軽く両手を持ち上げた。
いわゆる『死の商人』か? とも思ったが、流石に世界中を巻き込むのはやり過ぎな上、元締めが聖神教会であることを考えると、教義に反すること甚だしい。
なので、暗躍している奴らの意図がまったく見えない。
俺やエムリスを国から追放するようけしかけたこともそうだが、現在の世界情勢が聖神教会にとってどういう風にプラスになるのかも、さっぱりわからない。
従って、
「よくわからんなら、考えるだけ無駄だ。それにさっきの話じゃないが、きっかけはどうあれ戦争を続けているのは人間だ。俺には関係ない。ほっとけほっとけ」
聖神そのものが人界に介入しているのならともかく、聖神教会は人間の作った組織だ。当然、属しているのも人間だけ。
ならば、今回の戦争――というか世界大戦? 人界大戦? も『人の営み』の一環である。
そういうことなら、結果がどうなろうと俺の知ったことではない。
「それよりも直近の問題の方が重要だろ。まずはシュラトの件を片付けてから……そうだろ?」
俺がそう嘯くと、エムリスは苦笑しながら、ガルウィンは両目を輝かせて、イゾリテは相変わらず淡々と、それぞれ首肯した。
「うちはうち、よそはよそ、ってわけだね。いいだろう、じゃあシュラトのことに焦点を絞ろうか。では、まずは移動手段についてだけど――」
不毛な談話に終わりを告げ、話題は目の前のことへと移った。
今はどこもかしこも戦争中で国境が封鎖されているだろうから、移動は転移魔術で――と話しているエムリスの声を聞きながら、俺は再び天井を見上げる。
頭の片隅で思う。
よく考えなくとも、この状況はおかしいな――と。
そう、おかしい。
俺は仕事を辞めて、スローライフの旅に出たはずなのだ。
一人気ままに世界を旅して、唸るほどの大金を浪費しながら、地元の特産料理に舌鼓を打ったり、風光明媚な観光をしたり、古代の遺跡に思いを馳せたり――そんな旅になるはずだったのだ。
なのに、実際はどうだ。
どこに行っても問題が発生し、何かある毎に連れが増える。
一人気ままでもなければ、スローライフの要素など欠片もない。
だからこそ、俺は心の底から言いたい。
この天井の向こう、空の果てにいるだろう神に向かって。
そう、実在する聖神ではなくて、この世界、この宇宙を創造して、なおかつ運命を管理しているかもしれない、概念としての『神』に。
心の中で語りかける。
神様、刺激的な日々をありがとう。
覚えてろよ。
■
細かいことを抜きにすれば、話はすぐにまとまった。
昨今の情勢のおかげで、取り得る手段など限られている。
エムリスが言っていたように、どこの国境も厳戒態勢だ。
歩いて他国に抜けることは普通に考えれば不可能で、仮に空を飛んだとしても見つかれば大騒ぎになる。
無論のこと、力押しすれば通れないこともない。
人間がどれだけ束になってかかってこようが、俺とエムリスにかかれば指先一つ動かす必要もないのだから。
しかし、そんなものは無益な争いだと言う他ない。
この間の冒険者上がりの新兵のように、むこうから突っかかってくるなら別だが、そうでない限りは俺から物騒な手段に出ることはまずない。
というわけで、シュラトのいるムスペラルバードへはエムリスの転移魔術で入国することにした。
不法入国? そうかもしれない。だが、それを言うなら今だってアルファドラグーンにこっそり亡命しているような状態なのだ。今更の話である。
余談だが、今回はイゾリテではなくエムリスによる転移だ。
というのも単純な話で、転移魔術は術者本人が行ったことのある場所にしか飛べないからである。
イゾリテは基本、セントミリドガル王国から出たことがこれまでなかった。一方エムリスは、十年前の旅でムスペラルバードに限らず世界各地を行脚している。
今回に限っては、エムリスが魔術を行使するのが適任だったというわけだ。
温泉宿を出て、人目のない場所へと移動すると、
「では行こうか」
パチン、とエムリスが指を鳴らす。
目の前が暗転したかと思うと、次の瞬間には目に映る風景がガラリと変化する。
ついでに空気の肌触りや匂いまでもが激変した。
「他所でもそうなんだが、ここも久しぶりだな……」
久々に嗅ぐ熱砂の香りに、俺はしみじみと呟いた。
目の前に広がるは、もはや別世界。
広大無辺の大砂漠。
空は混じりっけなしの蒼。
その高い位置で煌めくのは、底抜けに明るい太陽。
「――うん、あっついね!」
広漠たる砂原へ来て早々、エムリスが大声で叫んだ。
「いやぁ、わかってはいたけれど、実際にこうして来てみると本当にあっついねぇ……当時のことを思い出したよ」
うへえ、みたいな顔をしながらエムリスは魔術を発動。皮膚の露出している部分にダークブルーの幾何学模様が浮かび上がると、不意に涼やかな風が吹いた。
途端、灼熱の陽光が和らぎ、足下の砂から立ち上ってくる熱気が弱まった。
気温調節の魔術だろう。これで俺達の周囲は快適な温度に保たれて、常夏の国でも快適に過ごせるってわけだ。
ちなみに同じようなことは、理術でも可能だ。なので俺には必要なかったが――
「俺達の分まで悪いな。助かる」
「どういたしまして。ま、どうせ有り余っている魔力だからね。少しは使っておかないとさ」
礼を言うと、エムリスはまんざらでもない様子で微笑する。
「ところでエムリス様、ここはムスペラルバード王国のどの辺りになるのでしょうか?」
辺りの景色を見回しながら、イゾリテが質問する。もはや詠唱もなしに魔術を発動させたエムリスに驚く様子もない。すっかり慣れてしまったらしい。
見渡す限り、砂、砂、砂である。これといって目印になるような物もなく、正直言うと俺もここがどこなのかまだわかっていない。
「ふむ。ここは昔、ボクとアルサルが探索した迷宮の近くなのだけど……」
フワフワと宙に浮く本に腰掛けているエムリスはそのまま、ぐるうり、と全方位を見回すように回転して、
「……どうも入り口が砂に埋もれて見えなくなってしまったみたいだね。まぁ、ここなら人目はないだろうと思って選んだだけだから、迷宮自体はどうでもよかったのだけど……あの特徴的な門をもう一度見られないのはちょっと残念だね」
「あー、あの迷宮か。確か、大昔のムスペラの王様の墓だったっていう……」
「そうそう。人工アンデッドの衛兵がワラワラと出てきた、あそこだよ。懐かしいね」
「懐かしいというか、思い出したくなかったというか……あいつらって斬った手応えが実際に人間を斬ったみたいだったから、妙に嫌な気分になったんだよな、俺……」
言葉通り懐かしそうに微笑むエムリスだったが、俺は当時の気色悪い感触を思い出して怖気が走った。
ふぅ、とエムリスが溜息を吐く。せっかく懐かしい気分に浸っていたのに、とでも言うように。
「――さて。直で王都や王宮に飛んでもよかったのだけど、流石に現地の状況を見てみないことには面倒事になるかもしれないと思ってね」
と言っても話がこじれたら結局は大騒ぎになるとは思うのだけどね、と苦笑しつつ、
「大丈夫、ここから少し南に行くと、ムスペラルバード王国の王都〝アトラムハーシス〟が見えてくるよ。砂漠のど真ん中で干涸らびてミイラになる、なんてことはないから安心してくれたまえ」
エムリスの言葉に、はた、と気付く。
よく考えたら水も食料も補給せずに来てしまった。いや、ある程度の貯蓄はあるのだが、俺としたことが灼熱砂漠の国に来るというのに準備を怠ってしまった。
悔恨の極みである。
十中八九、大丈夫だとは思うが、画竜点睛を欠いたようで忸怩たる思いにとらわれる俺なのであった。
「そういえば自分とイゾリテは、こちらの国の血を引いているんですよ。母方のご先祖様は、昔はムスペラルバードの住人だったそうで」
「あ、やっぱりそうだったのか。髪とか目とか肌の色から、何となくそうじゃないかとは思っていたんだが」
ふと思い出した、という風にガルウィンが言ったので、俺も前々から思っていたことを口にする。
琥珀色の髪、緑の瞳、黒い肌はムスペラルバード人によくある特徴だ。
ガルウィンとイゾリテはセントミリドガル人の血が交じっているので肌が浅黒だが、髪と目の色はムスペラルバード側の特徴が濃い。あまり大きな声では言えないが、このあたりの要素もまた、ガルウィンに王位継承権が与えられなかった理由に含まれているのだろうと思う。
ジオコーザを見てわかる通り、セントミリドガル王家の人間は金髪碧眼が基本だ。
オグカーバの爺さんはすっかり白髪になってしまったが、それでも昔は豪奢な金髪だったと聞く。
だというのに次の国王が突然、琥珀色の髪と緑の瞳、色白とは口が裂けても言えない肌の色をしていたら、色々と大変なことになる。
何故なら、どう見たって正室ではなく妾の子だとわかってしまうからだ。
国民だって大半は納得しないだろう。もしガルウィンにセントミリドガルの国王となる未来があるのだとしたら、それは途方もない茨の道になるであろうこと、疑い得ない。
「ここが、お母様達の故郷なのですね……」
珍しく、しみじみとした声でイゾリテが呟いた。その瞳は、砂原と空の境界となる地平線を見つめている。
詳しくは知らないが、二人の母親が元ムスペラルバード人だとすれば、オグカーバ国王と出会うまでの道のりは決して平坦なものではなかっただろう。ここで聞くのも野暮なので問いはしないが、まさに人に歴史あり、である。
「余裕があればちょっと迷宮に潜ってガルウィン君とイゾリテ君の力試しと行きたいところなのだけど……その楽しみは後にとっておこうか。さて、アルサル。ここからは歩きかな? それともひとっ飛びしていくかい?」
歩行で王都アトラムハーシスに向かうのか、それとも手っ取り早く魔術で飛翔していくのか――とエムリスは問う。
答えは当然、前者だ。
「歩きだな。あまり目立ちたくないのもあるが、実際問題シュラトが王位に就いたことでこの国がどう変化しているのかがさっぱりわからん。とりあえずは慎重に様子見だ」
まぁ、エムリスの言った通り最終的に戦闘になるのなら、こんな気遣いは全くの無意味ではあるのだが――だからといって最初から開き直って無茶をするわけにもいかない。昔の俺ならそうしていたかもしれないが、もう短絡的な子供ではないのだ。
「了解です! エムリス様のおかげで暑さも感じませんからね、楽勝ですよ!」
「これも訓練の一環ですね。お二人の〝眷属化〟のおかげで身体能力は強化されていますが、その恩恵がなくなれば私達はただの人間です。普段の積み重ねこそが、ここぞという時に役に立つというものです」
ガルウィンとイゾリテは好意的かつ肯定的に受け止めてくれたようだ。
「……なに嫌そうな顔してんだよ、お前は」
一人、エムリスだけが渋面を作っていたので、思わず俺もしょっぱい対応をしてしまう。
「……いや別に? ボクも慎重を期してここを転移先に選んだわけだしね。特に異論はないさ。まぁちょっと慎重すぎるんじゃないかな? とは思うのだけど、それは敢えて言わないことにしておくよ」
「言ってるやん。思考がダダ漏れやん。嫌味か」
露骨すぎる皮肉に思わず変な口調でツッコミを入れてしまった。ちなみにこの口調は俺が元いた世界の方言であり、かつての仲間ニニーヴの言葉遣いでもある。
「そういうことなら、俺も聞かなかったことにしてやるよ。ほれ、行くぞ」
溜息交じりに言い置き、俺は南に向かって歩き出した。
サラサラと細かく乾いた砂を踏む感触。
そういえば、昔ここに来たときの砂漠キャンプもなかなか楽しかったな、と思い出した。
何分、周囲に余計な物がまったくないので見晴らしが最高なのだ。夜になれば真っ暗になるが、それだけに空に輝く星がとても綺麗に見えた。今なら夜空を見上げながら酒を飲む、みたいな楽しみ方もできるかもしれない――
などと、どうでもいいことを考えながら、俺達は一路ムスペラルバード王都に向かって歩を進めたのだった。




