●10 地獄の戦場 1
昼食を終えた俺達四人は、えっちらおっちらと山道を進む愚を犯さず、エムリスの魔術によって空高く飛翔した。
蒼穹へ吸い込まれるようにして一気に高い位置まで上昇し、
「イゾリテ君とガルウィン君には防護結界を張ってあげよう。一応これだけでも十分とは思うけれど、流れ弾がきて危ないと思ったらちゃんと自分で回避するんだよ? 空中機動は大丈夫かな? 飛行するもよし、足で空気を蹴るもよし、好きな動き方をしたまえ」
エムリスが片手をかざすと、兄妹それぞれの全身が薄い群青色の光に包まれた。
エムリスの魔術による防護膜だ。〝蒼闇の魔道士〟直々の防護結界であれば、たとえ魔王の息にだって耐えられるはず。これで二人の安全は確実だ。
「当たり前だが、戦える時には戦ってもらうぞ。今のお前達にはそれだけの力があるからな」
俺達の眷属になったが故の力ではあるが、どうあれ力は力だ。有効活用してなんぼのものだ。みだりに振るうなと警告はしたが、逆を言えば、必要な時には存分に使ってもらわねば困る。そのための力なのだから。
「はい!」
「かしこまりました」
ガルウィンは元気よく、イゾリテは冷静に返事をするが、どちらもいささか表情が強ばっている。
さもありなん。
目の前に広がる光景を見れば、大抵の人間は色を失うに違いないのだ。
「おーいるないるな、ウジャウジャと。少ないっちゃあ少ないが、でもまぁ短期間でよくこれだけ集めたもんだ。昨日の今日だってのにな」
眼下に広がるのは、魔物の群れ、群れ、群れ。
右を向いても左を向いても、黒っぽい虫の群れみたいなのが大地を埋め尽くしている。
「まるで魔物の絨毯だね。さて、貴族級以上のドラゴンはいてくれるのかな? いてくれると嬉しいのだけれど」
ドラゴンの強個体が持つ竜玉を欲しているエムリスは、舌なめずりしながら『果ての山脈』の魔界側、その裾野に北から南に渡ってひしめき合う魔王軍――おっと、魔王エイザソースはもういないのだからこの呼び方はおかしいか。『魔族軍』と呼ぼう――の陣営を見回す。
エムリスにとって幸いなことに、それでいて魔族軍には不幸なことに、何体か図体のでかい竜種の姿が確認できた。
「――申し訳ありません。このような時ですが、一つ疑問があります。伺ってもよろしいでしょうか?」
控えめにイゾリテが片手を挙げ、俺とエムリスを順に見る。
「どうした?」
「先程アルサル様は、私達にこう仰いました。『これなら楽勝とは言わないまでも、普通の魔物なら一万体でも倒せるだろうな』――と」
「おう、それが?」
「思ったのですが、〝眷属化〟を多用して多くの人間を強化して同行させれば、十年前の戦いも楽だったのではありませんか? 私が聞いた話では、アルサル様とエムリス様、そして他のお二人を合わせた【たった四人】で魔王軍と戦ったと……」
尻すぼみになっていくイゾリテの言葉には、言外の意味が込められている。
何も無理して子供四人で戦う必要などなかったのではありませんか――と。
確かに、そう思うのも無理はない。俺はすっかり忘れてしまっていたが、〝眷属化〟のことを知れば、そういった思考が生まれるのは至極当然のことだ。
「例えば、ここにいる魔物の群れが百万として。私やお兄様のような眷属が百人いれば、それだけで事足りる計算になります。〝眷属化〟に数の制限がないのであれば、可能な限り人を集めて魔王軍との戦いに臨めばよかったのではと、私は愚考するのですが……」
そこまで言って、イゾリテはいったん舌を止める。俺とエムリスの顔色を確認し、
「――はい、わかっております。【そうしなかった理由がある】のだと。差し支えなければ、その理由をお教えいただけるでしょうか?」
イゾリテは聡明な子だ。俺達の反応を見ただけで色々と察したらしい。
そう、イゾリテの推察は正解だ。全くその通り。
俺達が〝眷属化〟を有効活用しなかったのは、それが【まったく役に立たない】と判断したからである。
俺が忘れていたのも当然だ。
当時の俺は病的なまでに魔王討伐に命を懸けていた。そのことだけを考えていたし、それ以外のことをことごとく切り捨てていた。
魔王軍との戦いに役立つことであれば貪欲に吸収し、そうでないものは知覚した端から忘れていった。それぐらい極端だった。
今思えば、どうしてあんなに熱心に魔王を倒そうと躍起になっていたのか、我ながら不思議ではある。
おそらく、魔王を倒すために代償として支払った記憶の中に、その理由があったのだろうが――今となっては知る由もないことだ。
「ああ、そうとも。当時のボク達が眷属を作らずに魔王と戦ったのには、ちゃんと理由がある。けれど、それを言葉で説明するのはちょっと野暮だからね」
ふふ、とエムリスが笑った。
ほのかに青白く光る瞳を弓形に反らし、どこか蠱惑的な微笑を浮かべた魔道士は、いたずらっ子のような口調でこう嘯く。
「知りたければ、これから始まるボクとアルサルの戦いをよく見ておくといいよ。それが一番手っ取り早いからね」
言うが早いか、エムリスは自らの輝紋を励起させた。
エムリスの口元に、ダークブルーの光線で編まれた不思議な文様が浮かび上がる。
いわゆる〝魔方陣〟と呼ばれたり、あるいは〝アイコン〟と称されるものだ。魔術を発動する際に浮かび上がることがある。
描かれている奇妙な文様は、どこか拡声器じみた形状のもの。
次の瞬間、エムリスの声が凄まじい勢いで増幅され、周囲一帯に響き渡った。
「 魔族、そして魔物の諸君! よくぞ集まってくれたね! 」
魔力と魔術、双方で増幅された声音が、目に映る範囲の端にまで浸透していく。
この眼下の大地を埋め尽くす魔族軍すべてに、エムリスは声を届けようというのだ。
「 君達がここに集った理由はわかっているよ! あそこの大穴がどうして出来たのか、それを調べに来たのだろう? 」
高らかに、余裕を持って、どこか楽しげに、エムリスは言葉を紡いでいく。
魔族軍のほとんどが、一体どこから声が聞こえてくるのかわからず、動揺しているのがわかる。何体かは宙に浮かぶ俺達の姿を見つけ、指差したり雄叫びを上げているようだ。
まぁ、魔物のほとんどはまともな知性を持たないのだから、どうでもいい。
肝心なのは魔物を率いる魔族の奴らだが――
「 何を隠そう、あれの犯人はボクだ! おっと、この距離じゃ顔が見えないかな? ほうらっ! 」
おい、エムリスの中の〝怠惰〟、ちゃんと仕事しろ。
逆に〝残虐〟、お前はもっと自重しろ。
エムリスの奴、かけ声をあげるや否や、空中にびっくりするほどの大スクリーンを作り出して、そこに自分の顔を映し出したではないか。
ちょうど『果ての山脈』の上空に巨大な――多分アルファドラグーン城から見てもエムリスの顔のどアップが判別できるぐらいのサイズ――魔力スクリーンが現れたことで、裾野に布陣した魔族軍がさらに騒ぎ出した。
「 知っているかな? 君達の大事な魔王を倒した一人――そう、〝蒼闇の魔道士〟とは、このボクのことさ! 」
かっこつけた声で告げて、キメ顔までするエムリス。片目をつむるな。
というか、スクリーンに映っていることを殊更に意識するな。
ベタすぎてどうしようかと思ったわ。
あ、ほら見ろ、ガルウィンとイゾリテも目を点にして唖然としているぞ、おい。
というかお前、こんな派手なことをして一体何がしたいんだ――
「 わかるかい? ボクは君達の魔王様の敵だ! 憎き怨敵だ! そのボクがこの山脈に大穴を空けた! 」
芝居じみた口調で、エムリスは高らかに宣言する。
この瞬間、ああなるほどな――と俺は得心した。
やたら派手なことをするなと思ったら、そういうことだったか。