●6 指先一つで山を穿つ 7
「いいえ、国王陛下。私にそのような意志はありません」
俺は礼儀正しく、背筋を伸ばし、片手を胸に当て、首を横に振った。
「セントミリドガルからの通告は誤解によるものです。今日の私は、古い友人と懐かしい再会を果たすためにここへ参りました。誓って、新しき魔王となって世界征服を目論むためではありません」
十年に渡る社会人生活――戦技指南役としての経験で、営業スマイルというものがすっかり身についてしまった。
きっとキラキラと輝いて見えるであろう、我ながら完璧に過ぎる笑顔で対応したところ、
「――嘘をおっしゃい!」
モルガナ王妃が激発した。椅子を蹴って立ち上がり、
「あなたが人界を崩壊させようとしていることはわかっているのよ! その手でセントミリドガル城を破壊したことをもう忘れたの!?」
喉から血が出るかと思うほどの金切り声で叫び、ぶるぶると震える人差し指を俺に向ける。
あー、確かにそこは言い訳できんわ。腹立ち紛れに城を真っ二つにしたのも、濠にかかった石造りの橋梁をぶっ壊したのも、誤魔化しようのない事実だからな。
「王妃! 黙っていなさい!」
すかさずドレイク国王が制止の声を飛ばしてくれる。これで矛先がズレるかと思いきや、
「いいえ陛下! 今度という今度は黙りません! そこなる〝反逆者〟アルサルは実際にセントミリドガル王国に多大な損害を与えたのですよ! そんな男が魔女に会いに来たのです! 今度は我が国に魔の手を――」
「 また〝魔女〟と言ったね? 」
勢いよくまくし立てていた王妃の舌を、エムリスの魔力を帯びた声が凍らせた。
謁見の間の空気そのものが固まったかのごとく、唐突に静寂が訪れた。
やがて響くは、氷塊を擦り合わせるようなエムリスの声。
「何なのかな? わかってやってるのかな? ボクのような魔術や魔道にたずさわる人間、特に女に対して〝魔女〟と呼ぶことが、どれほどの侮辱になるのか……知らないとは言わせないよ?」
先程一瞬だけ見せた鬼気とは違い、もはやエムリスは加減をしていなかった。
空気が凍えていく――というのは修辞表現ではなく、実際の出来事だ。エムリスの体から漏れ出る魔力が冷気となり、実際に謁見の間の気温をどんどん下げていく。
「それにいま、アルサルは誤解だと言ったよね? ボクの仲間が、ちゃんと質問に答えたよね? 違うって。誓ってそんなつもりはないって」
この場にいる全員の吐く息が、白く染まっていく。唯一の例外は、濃密な魔力を垂れ流しているエムリス本人だけだ。
青みを帯びた黒髪がザワザワと蠢き、伸長していく。その様子はまるで生きた蛇の群れがごとくだ。今、エムリスと目を合わせた人間は石化するかもしれない――そう思わせるような動きだった。
「なのにまったく耳を貸さないってどういうことなのかな? 話をするつもりが本当にあるのかな? こっちは本音で話しているつもりなんだけど、まさかそっちにその気はないのかな? 建前だけ並べて結論が決まり切っているなら話し合いなんて無駄なんじゃないかな? 要は真実がどうあれボク達を攻撃したいだけなんじゃないかな? だとすればもう話はしなくてもいいんじゃないかな? 潔く真っ向からやりあった方が早いんじゃないかな? ねぇ?」
冷気の放出は止まるところを知らない。今や謁見の間は極寒の空間と化した。空気中の水分が氷と化していく。国王や王妃、近衛兵らの身につけているものに霜が降りていく。
「ま、魔道士殿! どうか落ち着いてください! 誤解は解けました! 謝罪いたします! この通り!」
エムリスの導火線に火が点いたことを察したのだろう。ドレイク国王は両腕を振って必死な声を上げると、その場で大きく頭を下げた。深く腰を折って、王冠が床に落ちるほどの勢いで。
「申し訳ありません! 度重なる無礼をお詫び申し上げます! どうか、どうかご寛恕を……!」
それは、国王ならば決してしてはいけない行為だった。隣に王妃がいて、近衛兵までいる。そんな中、国の頂点である王がこうまで頭を垂れるというのは、前代未聞にも程があった。
逆に言えば、今がそれほどの緊急事態であるとドレイク国王が判断したということでもある。
実際、エムリスがその気になればアルファドラグーン城を丸ごと凍結させたり、逆に火の海にすることだって可能なのだから。
「すべて、すべて我らが不徳の致すところ! 魔道士殿に過失は一切ありません! そう理解いたしました! ですからどうか! どうかお怒りをお鎮めください……!」
さらに深くドレイク国王の頭が下がり、決着の言葉が紡がれた。すべてにおいてアルファドラグーン側が悪く、エムリスには一切の非がないことが宣言された。
事実上の、全面降伏だった。
「……おい、エムリス。そろそろ落ち着けよ」
流石に見かねて、俺は小声で話しかけた。
「王様もああ言ってるんだし、もうこのぐらいでいいだろ? 許してやろうぜ」
そろそろ手打ちにしようぜ、という俺の提案に、
「落ち着く? いいや、ボクは落ち着いているさ。でも、まだだね。まだ全然足りない。あいつらはボクを虚仮にした。ボクの大事なものを燃やした。ボクの仲間の名前に泥を塗った。そこまでされたっていうのに、ただ頭を下げた程度で許せっていうのかい?」
「いやいやいやいや、全然落ち着いてへんやんけ」
あまりの言動不一致ぶりに、思わず変な言葉使いで突っ込んでしまった。
エムリスの声はいまだ強張ったままだし、表情にも余裕があるようには見えない。明らかに鶏冠にきたままだ。
ピキピキパキパキと音を立てて、部屋の各所が凍り付いていく。このまま放っておけば、遠からずここにいる全員が氷漬けだ。
はぁぁぁ、と俺は深い溜息を吐いた。
そして意を決し、
「おい、エムリス」
「なんだいアルサル、見ての通りボクは今とても忙し――」
「【呑まれてないよな?】 それだけは確認しておくぞ」
「――――」
反射的に言い返そうとしていたエムリスが、ピタリ、と動きを止めた。
しばしの間。
「…………………………………………ごめん、ありがとう……」
長い沈黙の果て、エムリスはそう呟くと、肩から力を抜いた。すうっ、と長く伸びていた髪も短くなる。
小さな唇が、ふぅ、と小さな息を吐いた。
途端、おどろおどろしく溢れ出ていた魔力がぱったりと止み、謁見の間を冷やしに冷やしていた凍気が嘘のように消えていく。
俺は半ば呆れて、
「やっぱり、か。今の、全然お前らしくなかったもんな。かなり〝残虐〟に引っ張られてただろ? まったく危ねぇなぁ」
結構な勢いで自分を見失って衝動のまま行動していただろうエムリスに、俺はチクチクと針を刺す。
「うっ……だ、だから謝ってお礼も言ったじゃないか……」
唇を尖らすエムリスだが、俺は舌鋒を緩めたりなどしない。
「俺には偉そうなことを言ってたくせに、お前も感情が高ぶっただけで因子にあっさり取り込まれかけてるじゃねぇか。まったく」
「ううっ……もう、根に持つ奴だなぁ……君、そんなにねちっこい性格してたっけ?」
「はん、お前と違って十年間ずっと引きこもっていたわけじゃないからな。社会の中で揉まれるとこうなっちまうもんなんだよ」
「ええ……? かつては勇者だった男の言葉とは思えないよ、それ……」
ぐぬっ。なかなかに痛いところを突いて来やがる。確かに、我ながら勇者には相応しくない言動だったかもだ。
「――お許しいただき、ありがとうございます。心より感謝いたします、魔道士殿……」
少しずつ部屋の気温が元に戻っていくことに気付いたのか、一度面を上げた国王が再び頭を下げた。
「いや、いいさ。どうか顔を上げて欲しい、陛下。ボクも少し熱くなりすぎてしまったようだ。こちらこそ、申し訳ないことをしてしまったね」
ようやく思考がまともになったらしい。エムリスが詫びの言葉を口にした。相変わらず、上から目線なのは変わらないが。
「一国の主がそこまで頭を下げたんだ。流石のボクも、これ以上はどうこう言わないさ。いいだろう、その謝罪をもって手打ちとしよう。本当に貴重なものが失われてしまったけれど、たとえいくらお金を積んでも二度と手に入らないものが燃えて灰になってしまったけれど――いいさ、あなたの顔に免じて許してあげるよ、ドレイク陛下」
工房の地下にあった本がよほど惜しかったのか、何とも恩着せがましい言い方をエムリスはする。こいつ、仲間の俺がどうこう言いつつ、結局は本を燃やされたことを一番に怒っていたんじゃなかろうか。
「ボクの反逆どうこうについては誤解だった。モルガナ王妃はおっちょこちょいにも先走ってボクの工房を燃やしてしまった。その被害については国王が責任を持って青天井で補償する――そういうことでいいね?」
ドレイク国王は厳しい顔付きを変えないまま、しかし目を伏せ、安堵の息を吐く。冷たい汗が一筋、その頬を流れ落ちた。
「……はい、誠にありがとうございます。お詫びと言っては何ですが、前よりも立派な工房を建て直させていただきます。魔道士殿におかれましては、引き続き我が国で魔術研究を続けていただき、これからも傷薬やポーションを製作していただければ、と……」
ドレイク国王の申し出に、うんうん、とエムリスは大儀そうに頷く。
「いいね、殊勝な心掛けだ。実を言うと少し狭くなってきたと思っていたんだ。単に暮らすだけなら充分なのだけどね、君達に渡す薬の製造ラインをもっと拡張したいと――」
調子に乗ったエムリスがまたぞろペラペラと喋りだした時だ。
「――あり得ない! あり得ませんわ!」
またしてもモルガナ王妃が絶叫した。絹を裂くような叫びなので、少し耳が痛い。
「どうして! どうしてですか!? どうして陛下が〝反逆の魔女〟に頭を下げ、慰留しているのですか!?」
何と言うか、学習しないのだろうか、この御仁は。〝反逆〟はともかく〝魔女〟がエムリスの地雷だということはわかっているだろうに。
それとも――やはり【そうなるよう仕向けられている】のか?
ドレイク国王が肩を怒らせて「いい加減にしなさい、黙れと言っているだろう」と王妃に怒鳴っているのを他所に、俺はコソコソとエムリスに話しかける。
「なぁ、エムリス」
「……なんだいアルサル、今ボクは堪忍袋の緒が切れないように必死に冷静さを装っているのだけど余計なことを言うとまたはち切れそうだから出来れば刺激的なことは言って欲しくないのだけどそれでもボクに何か言いたいことがあるのかな?」
「落ち着けって。さっきの爆発を思い出せよ。興奮してもいいことないだろ?」
微かに震える声かつ早口で応えるエムリスに、どうどう、と俺は制動をかける。エムリスは、ふー、と溜息を吐き、
「……ご忠告痛みいるね。で、何だい?」
「俺が思うにだな、あれって操られてるんじゃないか?」
「操られている? 誰が?」
「王妃さんが、だ。実を言うとな、俺が国外追放された時も今と似たような展開でな……」
俺は手短に、オグカーバとジオコーザの妄言と、その態度について説明した。特にジオコーザの怒り狂う様は、今のモルガナ王妃の様子と驚くほど酷似している。こちらの話にまったく耳を貸さないのも同様だ。
かてて加えて、気になるのは片耳につけたピアスだ。ジオコーザ王子、ヴァルトル将軍、モルガナ王妃と、性別も年齢も出自さえも違う三人が、あの独特なデザインのピアスを揃って身につけているのは、どう考えてもおかしい。
あのピアスに何かある――そう考えるのは当然の帰結だった。
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