●6 指先一つで山を穿つ 3
目を剥いて叫ぶや否や、片手を振り上げ、パチン、と指を鳴らす。
またしても、俺の目の前が暗転した。
本来なら長大な術式を構築しないと出来ない空間転移を、指パッチン一つで済ますのは大変な所業だと思うのだが、そこはそれ、世界に一人しかいない〝魔道士〟たる由縁ということか。
ともあれ、エムリスによって再び強制転移させられたのは、先程訪れたばかりの工房の前だった。
元いた地下室ではなく、敢えて工房の外に転移したのは、エムリスにも予感があったからだろう。
空に立ち昇る煙に、焦げ臭い匂い――これだけ揃っていれば、何が起こっているかなど自明だ。
火事。
レンガ造りの工房が、しかし派手に燃え上がっていた。
「――――」
宙に浮く本に座ったままのエムリスは、おそらくは魔術による火炎――レンガ造りの建物が燃えているのは、つまりそういうことだ――によって燃え盛る工房を見上げ、しかし無言。
てっきり『ボ、ボクの工房がぁあぁあぁ――――――――ッッッ!!!!』と叫ぶかと思っていただけに、少し意外だった。
「……なぁ、エムリス、これ消さなくても――」
いいのか、と流石に見かねて聞こうとしたところ、
「――ま、魔女だ! 魔女が現れたぞ!」
という声が聞こえてきた。
振り向くと、そこには兵士らしき人間がゾロゾロと。その内の何人かがこっちを指差して、口々に叫んでいる。
魔女だ、魔道士だ、やつが現れたぞ――と、まるで魔物が出現したかのような勢いで。
「ぁあ?」
俺を指差しているわけでもないのに、無性に腹が立った。というか何だその語調は。いかにも怪物が出てきたみたいな言い方じゃないか。
ここにいるのは、俺と一緒に世界を救った〝蒼闇の魔道士〟だぞ?
「おい、お前ら――」
「いい、待ってくれアルサル」
腹が立った俺が文句をつけてやろうとした瞬間、すかさずエムリスが制止した。さっと手を出し、ここは任せてくれと言わんばかりに前へ出る。
「……でも、状況的にお前の工房に火を点けたの、あいつらだぞ?」
軍服の色合いからしてアルファドラグーン軍の奴らだ。というか、王城の敷地内にそれ以外の兵士がいるわけもなく。そして奴らのおかしな態度から、火事を発見して駆けつけたという可能性はまずない。
工房を燃やすのは魔術による炎――間違いない、これはアルファドラグーン軍による放火だ。
「【わかってる】。【だから、ボクに任せて】」
魔力や魔術について語っている時の楽しそうな口調からは打って変わって、どこか凍り付いた湖の軋みを連想させるような、エムリスの声音だった。
ああ、こいつは――相当【キレてる】な。
「……わかった。一応言っておくが、【やりすぎるな】よ?」
「それもわかってる」
エムリスが変わらず、石膏みたいに硬くて乾いた声で答える。とてもわかっているとは思えず、安心できない。が、俺は一歩下がった。
これ以上はもう、成るようにしかなるまいて。
「君達」
エムリスの腰掛けている大判の本が、宙を滑るように進む。ピンと背筋を伸ばした魔道士は、意外にも威風堂々と声をかけた。
途端、
「――くるぞっ!」「構えぇぇっ!」「魔術詠唱はじめッ!!」「武器に魔力を流せ!」「迎撃しろッ!」
群れをなしたアルファドラグーン兵らは色めき立ち、警戒態勢から完全に戦闘状態へと移行した。
歩兵は武器を構え、魔術兵は魔力を発して術式を構築する。
まさしく問答無用だ。
傍からは一人、彼らに呼びかけたエムリスが間抜けにも見えた。
しかし。
「 何をやったか わかっているんだろうね? 」
突然、エムリスの声が波動となって迸った。
音の響き方が、先日のミアズマガルムのそれに似ている。
声に強い魔力を込めて放ったのだ。
「――がっ……!?」「ぐぁ……!?」「うあっ……!?」「な、なんだ……!?」
魔の力を帯びた音波を浴びた兵士たちが、次々に武器を取りこぼし、糸の切れた操り人形のごとく崩れ落ちていく。詠唱を始めていた魔術師も、腰が抜けたようにへたり込んでいった。
おそらくは俺の〝威圧〟に似たようなことをしたのだろう。俺は何ともないが、エムリスの体から凄まじい魔力の〝圧〟を感じる。
魔力を無造作に放つのではなく、体内で圧縮してその膨大さを伝えているのだ。
「ひ、ひぃ……!?」「あ、ありえ、ない……」「こ、こんな……」「う、嘘だ……」
兵士らはこぞって身を震わせている。
原初の恐怖だ。自分より遥かに強い個体と出会い、死を予感した瞬間、生物の本能はとある二択に迫られる。
即ち――戦うか、服従するか。
兵士たちの生存本能は、理性を無視して服従を選択していた。それが故、体に力が入らず頽れたのだ。当人達にとっては、まるで理解のおよばぬ現象だっただろうが。
「まったく、やらかしてくれたものだね」
そんなアルファドラグーン兵らの様子をよそに、エムリスは今なお燃え盛る工房を見上げる。もう必要ないと判断したのか、その声に魔力は籠められていなかった。
「ここでは君達に卸す傷薬や、魔力や理力を補充するためのポーションを生成していたのだけどね。まさか君達自身の手で破棄するとは、思いもしなかったよ。何より、地下には僕の愛蔵書がたくさんあったのだけどね。今ではそうそう手に入らない貴重な本のオリジナルが、それはもうたくさん」
赤く揺らめく魔術の火炎を見つめながら、淡々とエムリスは呟く。慌てふためくこともなければ、憤怒に滾ることもない。
エムリスは本に座って宙の一点に佇んだまま、感情を凍らせたかのごとく静かに言葉を紡ぐ。
「もう、本のほとんどは燃えてしまっているだろうね。でもいいさ、内容は全て頭の中に入っているから。問題はない。支障はない。ただ、どれも本当に貴重な本だったんだ。大昔の研究者が、自身の研鑽を未来に残すために書をしたためたんだよ? それがどれほど高潔で、誠実で――切実な想いだったと思う? よりよい未来が訪れるよう、彼らは【願い】を込めて本を作ったんだ。自分達の研究成果が途中で消えないよう、途絶えないよう、未来に【希望】を送り出すために書き上げたんだよ」
その姿はどこか、星空を見上げ、遠い遥かな天体について語る儚げな少女のようにも見えた。
「でも、そんな願いを、希望を、君達は燃やしてしまった」
エムリスの視線が地上へ降りる。音もなく魔道士を乗せた本が上昇し、青白い瞳が地面に伏したアルファドラグーン兵を見下ろした。
「万死に値するよ」
氷で作った鈴を鳴らせば、こんな音になるだろうか。そう思わせるほど、エムリスの声音は凍えていた。
もはや兵士達は言葉もない。恐怖に息を呑み、呼吸を止めてエムリスを見上げている。
「――とはいえ、君達を殺したところで詮無い話だ。燃えて灰になった本が元に戻るわけもないからね。だからボクはこう問おう」
エムリスの長い髪が、ざわりと蠢いた。次の瞬間、工房の地下室でそうだったように髪がうねりながら伸長する。どこまでも、どこまでも、際限なく。
「どうしてこんなことをしたのか、なんて野暮なことは聞かない」
仄かに青白い光を宿していた瞳が、さらに強く輝く。
「これは誰の差し金だ? 君達にこんなことをしろと命令を出したのは、どこの誰だ? それだけを答えろ」
青みがかった黒髪が一気に伸び上がり、まるで怪鳥の翼のごとく広がっていく。そこに青白く輝く両眼があわさり、この時のエムリスは〝魔道士〟というより〝魔人〟のように見えた。
少なくとも、兵士達にとっては死神以外の何物でもなかっただろう。
誰もが顔面を蒼白にして、生まれたての子鹿のように震えていた。
次の瞬間、初めてエムリスの声に感情が籠められた。
「答えないなら全員くびり殺すよ?」
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