EX.SS 真名判明――とある手記からの抜粋
皆様、お久しぶりです。
お元気でしたでしょうか。
イゾリテ・ディンドランです。
突然ですが、単刀直入に申し上げます。
事件です。
大事件です。
この度、なんと――
アルサル様の【本当の名前】が判明いたしました。
信じられません。
驚天動地です。
ええ、震天駭地の事態です。
このイゾリテ、驚愕と興奮を禁じ得ません。
自分で言うのも何ですが、この私の表情筋がわずか以上に運きました。第三者から見れば判別がつかないかもしれませんが。はい、その点については自覚がございます。
なお、この重大機密が【いつどこで】発表されたのかについては、諸事情により伏せさせていただきます。
ご理解の上、ご静聴下さい。
とある日、とある場所にて。
この頃、私はアルサル様の右腕として魔界を牛耳り、いえ、意欲的に盛り立てており――どなたが呼び始めたかは知りませんが陰で『魔界総督』などと呼称されているようです――忙しくも幸せな日々を過ごしていました。
そんな、ある日のことでした。
〝銀穹の勇者〟であり、いまやすっかり魔界の王こと〝魔王〟、そして神の中の神こと〝最高神〟、いいえ〝神ゴッド〟ないしは〝ゴッド神〟として箱庭世界の頂点に君臨せしアルサル様は、
――。
悲しいことにアルサル様から、余計かつ過剰な褒め言葉など無用、と窘められました。以後、控えさせていただきます。ですが、私の胸中にはアルサル様への尊敬や憧憬といった無量大数をも越える熱き想いが渦を巻いていることをどうかお忘れなきようお願い申し上げる次第でございます。
お忘れなきよう、お願い申し上げます。
大切なことですので二度繰り返させていただきました。
閑話休題。
この頃、諸々の騒動を見事に収めきったアルサル様は、別々の土地でそれぞれ自由に暮らしておられる他の御三方と、定期的に集会の場をもうけておられました。
もちろん旧交を温めるという意味合いもございましたが、それと同時に、
『流石にこうなってくると、お互いがそれぞれを【監視】しあっておかないとな。昔の二の舞は御免被る、ってやつだ』
とのことで、四英雄の皆様が強大すぎる力を持ってしまったが故の、監視機構でもあったようです。
然もありなん、とでも言いましょうか。
いまやアルサル様達に比肩する存在など、まるで皆無。
なにせ、この世界を統べる神のごとき存在になってしまわれたのですから。
そんな四英雄に対抗しうるのは、やはり同じ四英雄のみ。
もし仮に――絶対にあってはならないことではありますが――四英雄のどなたかが『乱心』、もしくは『暴走』してしまった場合、それを止められるのは他の御三方のみ。
実際、アルサル様を含めた四英雄の皆様が一度ならず『暴走』したことがあるのは、ご存じの通り。
例として一番わかりやすいのは、シュラト様でしょうか。
当時も『暴走』したシュラト様の無法を見事に制止なされたのは、アルサル様とエムリス様――私の魔術の師匠です――の御二方でした。
今となってはアルサル様達の身の内に宿る『八悪の因子』の影響が限りなく小さくなったとは言いますが、しかし、因子そのものが完全に消失したわけではありません。
アルサル様曰く、
『業腹だが、『暴走』の可能性だけは絶対にゼロにできないんだよな。どうしたってな。ま、そういう【約束】だったからなぁ……』
どれほど手を尽くそうとも決して『暴走』の可能性はなくならないとのこと。
私も『八悪の因子』について一応は説明を受けているのですが、アルサル様や師匠の態度を見るに、まだまだ秘密が隠されている様子です。
とにかく皆様の『暴走』の可能性がゼロではない限り、やはり定期的に状態を確認して安定を図るのは必然――ということで、定例集会を行うことになったのであります。
というわけで、ここに揃い踏みいたしますは――
かつての〝銀穹の勇者〟アルサル様。
かつての〝蒼闇の魔道士〟エムリス様。
かつての〝金剛の闘戦士〟シュラト様。
かつての〝白聖の姫巫女〟ニニーヴ様。
そして。
私の兄にして人界統一〝太陽皇帝〟ガルウィン。
最後にこの私、魔界総督〝月闇女傑〟イゾリテ。
以上の六名と相成ります。
余談ですが、私の肩書きや二つ名は気が付いた時には世間で呼称されていたものです。誓って、私自身が名乗ったものではないことを、ここに明記しておきます。
爆弾発言の投下は、突然でした。
かつての〝銀穹の勇者〟にして現在の〝新世界の魔王〟かつ〝聖神の最高神〟たるアルサル様が、軽い調子で手を叩きながら仰いました。
「はい、始まり始まりぃー」
乾いた音が鳴り響きます。遅れて、私とお兄様が追従して手を叩かせていただきました。お兄様、強い音を出しすぎです。エムリス様が迷惑そうに両手で耳を塞いでおられるではありませんか。
余談ですが、この集会のホストは毎回変わります。御四方の持ち回りで、都度その趣向も変化します。例えばシュラト様の時にはその奥方様であるレムリア様とフェオドーラ様の趣味が反映されますし、ニニーヴ様の際は西の大国ヴァナルライガー独自の傾向が強まります。
今回はアルサル様がホストでしたので、僭越ながらこのイゾリテが場をセッティングさせていただきました。
本日のテーマは、優雅なお茶会――こう言えば大体の想像はつくのではないかと存じます。
話を戻しましょう。
ティーカップから立ちのぼる湯気を拍手で散らしながら、アルサル様が宣いました。
「今日の話題はなんと……俺達の【昔の名前】について、だ」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべるアルサル様。とても素敵なお顔ですが――それはさておき。
「――――。」
私は愕然としました。脳内で雷鳴が轟きました。比喩抜きで目の前が真っ白に染まりました。
「昔の、名前……ですかっ!? アルサル様の!? いえ、皆様のっ!?!?」
真っ先に大きな声を上げ、椅子を蹴って立ち上がったのは誰あろうガルウィンお兄様でした。
控えめで大人しい私と違って、ガルウィンお兄様は直情的な性格をしておられます。いまや史上初の人界統一を為した――ほぼ全てがアルサル様のおかげでしたが――最高権力者〝太陽皇帝〟として人類の頂点に君臨した今でも、それは変わりません。
「そうそう、俺達が【こっち】に来る前の名前だ」
私の内心を代弁するかのごときガルウィンお兄様の声に、アルサル様が楽しげに応えます。
ですが。
「アルサル、そうは言うけれど……ボク達の名前は、過去の記憶とともに『八悪の因子』に喰われてしまったじゃあないか。そんなものを今回の目玉とするのは、一体全体どういうつもりなんだい?」
早速エムリス様が水を差しました。アルサル様とエムリス様の間では、このような会話パターンが日常茶飯事のため、特に気にすることではありません。
「確かに」
シュラト様が重厚な声で同意し、
「ウチらの記憶からも、【世界の記録】からも失われてもうたんとちゃうん? 話にならへんと思うんやけど」
ニニーヴ様が可愛らしく小首を傾げます。
「ところがどっこい、わかるんだよなぁ。これが」
ふふん、とアルサル様が得意げに笑います。自信満々です。アルサル様にこういった気持ちを抱くのはいけないことかもしれませんが、些か以上に『可愛らしい』と思ってしまう自分がいます。
「? どういうことだい、アルサル?」
純粋に興味を惹かれたのでしょう。エムリス様が素直に問い返しました。
「聖神のデータベースに残ってたんだよ、俺達の召喚された時の名前が」
「ああ、オリュンポスのかい? まぁ確かに、アレになら残っているかもだけれど……よくあの膨大なデータの中からピンポイントで見つけられたものだね?」
アルサル様の返答に、エムリス様は得心した様子を見せましたが、同時に怪訝そうに眉をひそめました。
これに対し、アルサル様はしれっとこう仰いました。
「ヘパイストスの野郎に見つけさせた」
「あらあら、いけずな御仁やわぁ」
アルサル様のお言葉に、ニニーヴ様がくすくすと笑われました。
聖神ヘパイストス。忘れもしない名前です。
かつてアルサル様がセントミリドガルを追放された際の黒幕――そこから始まった一連の首謀者。
そう、すべての元凶です。
この私に、アルサル様を暗殺させようとした、許しがたき存在。
その名は、ひどく不愉快な響きとしか言いようがありません。
「血涙を流されておられたのではありませんか?」
そうであればいい、という思いのもと、私はそう尋ねました。
「かもな。アイツに肉体はないが、あったなら悔しさで七孔噴血して、のたうち回っていただろうぜ」
いい気味だ、とばかりにアルサル様は嘯きます。
ヘパイストスはアルサル様を嫌っているようですが、アルサル様もまたヘパイストスを蛇蝎のごとく嫌悪しておられます。もちろん、私も同様です。
先述の通り、ヘパイストスは聖神の中でも邪神、悪神と呼ぶべき存在です。アルサル様を含めた四英雄の方々を貶め、陥れようとしたのですから。
そのため、ヘパイストスに対するアルサル様の態度は辛辣の一言に尽きます。
先程ニニーヴ様が仰った『いけず』という言葉も、そこからきたものでしょう。かつての意趣返しとばかりに、アルサル様はヘパイストスの嫌がることを繰り返し命令しているのですから。
ひどい、残酷だと思われますか? いいえ、言わずもがなヘパイストスの自業自得です。
当然の報いです。
「記憶が戻ったわけではない、か」
「そいつは流石にな。八悪の奴らは、聖神よりもさらに上位の存在だ。あいつらに喰わせた記憶を取り戻すってんなら、相応の苦労が必要だからな。とはいえ、そこまでする意欲があるかと言えば、別になぁ……」
やや残念そうなシュラト様の呟きに、アルサル様が溜息まじりに返しました。余計な苦労はごめんだ、と言わんばかりの様子です。
どうやらアルサル様は、失われてしまったご自身の記憶にさほど執着がない模様です。私は断然、アルサル様の過去について興味が尽きないのですが。
「ま、経緯についてはもういいさ。それで? たかが名前だろう? 別に面白くも何ともないと思うのだけど」
エムリス様もまた、ご自身の過去や名前についてあまり興味がないご様子です。
ですが、エムリス様が退屈そうに溜息を吐いた途端、アルサル様の笑みが深くなりました。
どうやらエムリス様のお名前に、【何かある】ようです。
「……そういえば覚えてるか? 俺達、出会った当初はお互いに愛称で呼び合ってたよな」
「へえ、覚えとりやす。アルサルはんが確か……【イチロー】はん?」
「そうそう。ニニーヴは【リア】だったよな」
私の聴覚神経がこれまでにない力を発揮しております。絶対に聞き逃すまいと全身全霊をかけて耳を傾けます。
「で、シュラトが【アス】で、エムリスが【エル】。覚えてるだろ?」
「覚えている」
「まぁね」
アルサル様が、イチロー。
エムリス様が、エル。
シュラト様が、アス。
ニニーヴ様が、リア。
どなたも素敵なお名前です。しかし、愛称というからには由来があるはず。そう、それこそが皆様が元々もっておられた――【本当の名前】。
「特にエムリスのは、確か『魔道士だから本名は言えない』とかの理由で、偽名っぽく『エル』って名乗ってたんだよな。字名、だっけか?」
「ああ、そういえばそうだったね。しかし自分でも何故『エル』と名乗っていたのか、もう思い出せないのだけれど」
エムリス様は飄々としておられます。どうやら意味ありげなアルサル様の視線に気付いておられないようです。
「俺を含めた他の三人は、本名から文字っただけだったけどな。というわけで、サクッと発表していこうか。まずは俺から」
刹那、私の全神経がアルサル様のお声に集中しました。
「――〝熊野一郎太〟。多分だが、イチロウタってのが長くて面倒臭かったから、イチローって呼ばせたんだろうな。ま、何にせよ元いた世界じゃごく平凡な名前だぜ。正直この名前でいた記憶がないせいか、実感もまったくないんだけどな」
クマノイチロウタ様。覚えました。魂に刻みました。絶対に忘れません。
しかし、覚えていないから実感がない、とアルサル様は仰いましたが、それでもどこか面映ゆい様子です。御言葉とは裏腹に、何かしら思うところがおありなのでしょう。
そのままアルサル様は語を継いで、エムリス様――ではなく、シュラト様を掌で示しました。
「シュラトは、〝アスラン=レグ・ルス〟。最初の二文字をとって、アス。そうだろ?」
アルサル様はシュラト様に確認をとりますが、
「わからない。覚えていない」
シュラト様は首を横に振ります。ですが、しばしの沈思の後、
「……だが、おそらくそうだろう。己自身の性格を考慮すれば」
かつてアルサル様から聞いたことがあります。シュラト様には戦闘マシーンのようなところがある――と。
マシーンとは、西の大国ヴァナルライガーや〝白聖の姫巫女〟ニニーヴ様がご使用なされる『聖具』のようなもの――即ち【機械】だ、と聞いております。
機械のごとく効率的で無慈悲で容赦がない――そういったところが、シュラト様にはあるそうで。
なるほど、ご自身のお名前が〝アスラン=レグ・ルス〟であり、単純に最初の二文字を愛称とする――それは確かに効率的です。むしろ効率しかない、と言っても過言ではないでしょう。
「で、ニニーヴが……えっと、なんだっけか……」
続いてニニーヴ様に掌を向けたかと思えば、アルサル様は視線を宙に泳がせて思案なされます。まるで、記憶の抽斗をあさるように。
「――お、あったあった。これだ。やたらと長いから咄嗟には思い出せないんだよな、ニニーヴの本名」
おそらくですが、聖神の長となったアルサル様特有の御力で、特殊な情報網に意識を接続されていたのでしょう。
「〝コーディリア・フロム・クレイゼラッド〟」
まるでおまじないの呪文のようなお名前が、アルサル様の唇から紡がれました。
キョトン、とニニーヴ様が小首を傾げられます。
「――? 何なん?」
「お前の名前だって、ニニーヴ。昔の名前」
「へえ? なんや、えらい長ったらしい名前やねぇ……覚えられへんわ。もっぺん言ってくれはる?」
嫌味でも皮肉でもなく、純粋に驚いた様子でご感想を述べ、アンコールを要求なされるニニーヴ様。
アルサル様のお顔が苦虫を噛み潰したようになります。
「あのな……仮にも自分の名前だったんだから、これは一発で覚えろよ……」
「何ゆうてはるん? アルサルはんかて、すぐに思い出せてへんかったやん? せやから、もっぺん。もっぺんだけ、な?」
対照的にニッコリと微笑まれたニニーヴ様に、根負けしたとばかりにアルサル様は繰り返されます。やや拗ねたようなお声で、
「……〝コーディリア・フロム・クレイゼラッド〟」
「あかん無理やわ。覚えきられへん。やっぱりウチは〝リア〟だけでよろしおすわ」
「お前なぁ……!」
ニコニコと可愛らしく笑った理不尽なことを嘯いたニニーヴ様に、アルサル様は盛大に眉をひそめられました。
「ま、いいか……それより大トリのエムリスだ」
ですが、すぐに気を取り直され、満を持してエムリス様へと掌を向けられます。
「……なんだいアルサル、その不気味な顔は。随分と楽しそうじゃあないか」
事ここに至り、ようやくアルサル様の不自然な様子にお気づきになったエムリス様は、不愉快そうに表情を歪められました。
すると、
「――ぶはっ」
堪えきれず、といった風にアルサル様が噴き出されました。
そのまま、くつくつと笑って肩を揺らされます。
「ど、どうしたのですか、アルサル様っ?」
あまりにアルサル様の様子がおかしかったので、ガルウィンお兄様が心配されます。椅子から腰を浮かせ、わたわたと両腕を動かしながら。
当然、エムリス様も怪訝そうなお顔から、いわゆる仏頂面へと移行されておられます。完全にアルサル様を睨めつけながら。
「い、いや、すまん……ちょっと我慢できなくてな。別に問題はないぞ、ガルウィン」
「で、ですが……!」
「あーもー、いーからガルウィン君。構わなくていいよ、時間の無駄さ。ほら、アルサル、早く」
とっとと本題に入りたまえ、とエムリス様が苛立たしげに催促されました。
ガルウィンお兄様が大人しく腰を下ろすと、アルサル様は咳払いを一つ。
そして、その名を口にされました。
「〝リリィ・ワイナミョイネン〟」
それは、ニニーヴ様の本名とはまた違う雰囲気の、しかし不思議な響きでした。
やや間を置き、アルサル様はニヤリと笑われました。
「――そう、【リリィ】だ。エムリス、お前の名前は。リリィ……白百合、だっけか? 随分と可愛らしい名前じゃないか。ぇえ、おい?」
「…………」
明らかに揶揄っているアルサル様に、エムリス様は無言。
と言いますか、虚を衝かれたような表情で完全に固まっておられます。
どうやら、ご自身の本名がかなり意外だったご様子。
「なるほど」
シュラト様が深く強い声で頷かれました。
「ははぁ、なるほどやねぇ。『リリィ』やから頭文字をとって『エル』って名乗ってはったんやねぇ。昔のエムリスはんは」
ニニーヴ様も、得心がいった、とばかりに手を叩かれます。そして、どこか小悪魔的な流し目をエムリス様に向けられ、
「やけど、ほんまに可愛らしいお名前やねぇ。なぁ――【リリィはん】?」
楽しげにクスクスと笑った、その瞬間でした。
「――――――――~ッ……!!!!」
エムリス様の顔が一瞬にして真っ赤に染まりました。
目尻に涙までお浮かべになられて。
「う、嘘だァ――――――――ッッ!!」
全力でお叫びになられました。
「違う! 何かの間違いだ! ボクの、このボクの名前がそんなものであるはずがないッ! 魔道士だぞ! 魔の道を往く者だぞボクはッ! そんなボクの名前がリ……そんな可憐の代表みたいな名前だなんて――絶対に嘘だァッ!!」
必死な様子で喚かれるエムリス様に、先程の倍以上の勢いでアルサル様が噴き出されました。
「だぁーはっはっはっはっはっ!!」
テーブルを叩いての呵々大笑です。本名を口に出せば、エムリス様がこうなるであろうことを見越されていたのでしょう。道理でアルサル様の態度が不自然で、わざとらしくエムリス様の発表を最後に回されたわけです。
確かに理解はできます。
あのエムリス様――そう、〝蒼闇の魔道士〟エムリス様の本当のお名前が〝リリィ〟と実に可愛らしいものなのです。
イゾリテも同感です。落差が激しいと。
しかし同時に、似合ってもおられると。
何故なら、エムリス様の外見は十四歳の頃からほとんどお変わりありません。
リリィという少女然としたお名前は、そのお姿に相応しいもののように思えてしまうのです。
アルサル様がお笑いになられるのも無理はありません。
今回、アルサル様がこの話題を主題とされたことに、このイゾリテは深い理解を示しましょう。
エムリス様が、お可愛い。
これは仕方のないことだとイゾリテも思います。
「嘘だッ! アルサル、君は絶対に嘘をついているッ!」
猛然と抗議するエムリス様に、アルサル様はなおも笑いながら、
「嘘なんかついてねぇって。本当にお前の本名なんだって、リリィは。何なら証拠見せてやろうか? お前もその気になったらデータベースにアクセスできるはずだぜ?」
と、揺るぎない証拠を突きつけました。
残念なことに私のような矮小な存在には具体的な意味は理解できませんが、それはどうやら四英雄の皆様のみが踏み入れられる聖神の領域――この箱庭世界の【外】のお話のようです。
これにはエムリス様も言葉に詰まり、
「ぐ、ぐぬぬぅ……!」
悔しそうに歯がみするしかない様子。
ですが、ただで引き下がるエムリス様ではありません。それは、皆様もよくご存じのことと思います。
「――あーそーかい! わかったよ、よぉぉぉくわかった! アルサル、君がそのつもりならボクも腹を決めようじゃあないか!」
「おいおい、どうしたどうした。落ち着けって、【リリィ】」
啖呵を切ったエムリス様に、アルサル様はなおも揶揄を続けました。ぷぷぷ、と笑いを堪えながら。
「――――。」
弟子にして眷属の私にはわかりました。これが、この御言葉が、エムリス様の堪忍袋にトドメを刺したと。刺してしまった、と。
「……お望み通り【あっち】のデータベースに干渉してあげようじゃあないか。いいかい? 君が言ったんだよ? 他でもない、アルサルが言ったんだよ? 【このボクにデータベースへアクセスしろ】と」
先程まで激憤していたエムリス様が、嘘のように静かな雰囲気を纏いました。声音が低まり、口調も淡々としたものへと変化しました。
「なんだよエムリス、これぐらいでキレるなって。ちょっとした冗談に決まって――」
はた、とアルサル様の舌が止まりました。半笑いだった表情が見る見るうちに真剣なものへと変わっていきます。
「――おい? おい、いやちょっと待て? エムリスお前、一体何するつもりだ……?」
真顔を通り越し、むしろ蒼白になっていかれます。
何やらエムリス様がひどく危険なことをされようとしていると察したのでしょう。
「…………」
「おい黙るな。何するつもりかって聞いてんだろ!」
アルサル様の猜疑の瞳と、エムリス様のすっと細められた双眸とが、互いに視線をぶつけ合わせます。
にわかに空気が重くなってまいりました。
「今回もこうなる、か」
シュラト様が目を伏せ、小さく呟きました。やれやれ、と言わんばかりです。
「あらあら、楽しそうやねぇ。今度はウチも混ぜてぇな、アルサルはん、エムリスはん」
ニニーヴ様はこの状況を楽しんでおられるようで、ウキウキした様子でお二人に絡みにいかれます。
そう、アルサル様とエムリス様お二人の口喧嘩は、もはや日常茶飯事なのです。
そのため、周囲で慌てふためくのはガルウィンお兄様だけ。お兄様は普段は人界にいて、統一皇帝として忙しい日々を送る身。この集会に参加したのも久方ぶりですので、致し方のないことでありましょう。
この後もアルサル様とエムリス様は口論を重ね、【仲良く】されることは確定事項です。
ですので、私はお二方の声を聞きつつ、意識を別の領域へと傾けさせました。
最近、師匠たるエムリス様から伝授された並列思考の真似事です。
クマノイチロウタ。
甘美なお名前です。
イゾリテはこの響きだけで十年は戦えるでしょう。
敬愛するアルサル様の、かつての本当のお名前。
もちろん、エムリス様やニニーヴ様、シュラト様のお名前もとても素晴らしいものでございます。
ですが、私にとってアルサル様は別格の存在なのです。
他の御三方には申し訳ありませんが、しばらくはアルサル様のお名前のみを反芻させていただきたく。
クマノイチロウタ様。
クマノイチロウタ様。
クマノイチロウタ様。
嗚呼……
後ほど、エムリス様とのお話が決着し、集会が終わってから、アルサル様にどのような文字で表記するのか教えていただこうと思います。
それにしても――こうして魔界で魔王となったアルサル様にお仕えできて、イゾリテは本当に幸せ者です。
心の底からそう思います。
何卒このような素敵な日々が、末永く続きますように――
神も悪魔をも超越したアルサル様に、そう祈りを捧げずにはいられない私でありました。
以上、ご清聴ありがとうございます。
――故イゾリテ・ディンドランの遺した古い手記より抜粋
お読みいただき、ありがとうございます。
作品について、お知らせです。
2025/5/8に『最終兵器勇者』のコミカライズの連載が始まりました!
『コロナEX』というサイトにて、掲載されております。
原作を下地に、可愛くカッコよくコミカライズされておりますので、是非ともご覧下さい。
漫画家さんはこれがデビューとなる新人漫画家さんですが、並々ならぬ実力の持ち主です。現在4話ぐらいまでネームチェックしているのですが加速度的に面白くなっていきますので、どうか楽しんでいただけると幸いです!
また2025/5/15には、書籍版『最終兵器勇者』の2巻が発売されます!
アルサルがエムリス&イゾリテと混浴温泉に入るSSや、一巻でおなじみの十年前のSS、通称『アーリー編』も書き下ろしで追加されております。
今回はなんと、SSにまで挿絵イラストがつくという豪華っぷり!
どうかお手にとっていただければ幸いです。
以上、よろしくお願いします。
国広仙戯でした。




