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●37 娯楽の箱庭

【お知らせ】

TOブックス様にて書籍化が決定しました。

イラストは和狸ナオ先生です。

コミカライズ企画も進行中です。

第一巻の発売日は2025/1/20です。

よろしくお願いします。


ここまで来られたのも読者の皆様のおかげです。

本当にありがとうございます。







 様々な神社かいしゃが各々(おのおの)オリジナルの箱庭コクーンを運営し、群体クラスタを構築し、多くの聖神らに娯楽を提供しているのは、言ってしまえばそれすらも娯楽の一種であった。


 肉体を捨て情報生命体となった聖神にとって、もはや経済など意味を成さない。


 誰も彼も何をしなくとも、聖神のコミュニティは永久に存在し、栄華はどこまでも続くのだ。


 だが、生命とはえるもの。


 食物に困らなくなれば、次は精神的にかつえ、それを満たそうとする。


 物理的な身体を失うことで死を超越した聖神は、ひたすら娯楽を求めるだけの存在となった。


 その行き着く先の一つが、箱庭コクーンである。


 アカウントを作成して下界ダイブし、かつて捨てた肉体を再び手に入れ、五感を盛大に活用して享楽にふける――


 例えば、運営管理の下――即ち聖神界システムエリアで悠々自適、何不自由なく気ままな生活をするのもよし。


 あるいは、制限こそかかるが人間界メインエリアへと移動して、冒険者組合などに所属し、上級冒険者を目指すという遊び方なども人気だ。


 中には『長期ダイバー』と呼ばれる聖神プレイヤーもいて、情報存在としての己を捨て、箱庭で生きることを主とする者まで現れた。


 いわゆる現実リアル架空ヴァーチャルの逆転である。


 何度も言うように、情報存在である聖神は原則的に不老不死。やるべきことなどまずありえず、やり甲斐や生き甲斐といった代物は、むしろ箱庭内でこそ感じる場合が多い。


 肉体や身分、ひいては本来は十もある感覚までもを五つに制限される――といった制約があるからだろうか。不便さにむしろ魅力を感じ、取り憑かれる聖神も決して少なくない。


 中には箱庭内で生まれ、自身のことを聖神と知らず、分身体アバターのまま生き続けている特殊な個体もいるほどだ。そういった個体は、いずれ属する箱庭が『終焉』を迎える際に真実を知ることとなるのだが。


 しかしながら箱庭の楽しみ方は、決して下界ダイブだけにとどまらない。


 その一つが〝勇者システム〟である。


 箱庭内の様子は、下界ダイブせずとも外部からモニタリングすることが出来る。


 運営による『配信』だ。


 これを楽しみとしている聖神も多い。


 自分達よりも未熟な存在――肉の体に縛り付けられた下等生物の行動の経過や結果を観察し、娯楽とするのだ。


 だが、日々のルーチンワークしかこなさない人間ばかり観ていても、いずれ飽きが来る。面白くない。


 であれば、狭い箱庭世界を盛り上げる存在が必要だ。


 そうして考えられたのが〝魔王〟。そして、その対となる〝勇者〟である。


 畢竟ひっきょう、神々が箱庭に求めるのは感動――心を揺さぶる物語だ。


 故にこそ、箱庭を運営する神々は、世界をかき乱す存在を用意した。


 まず、人間の世界を滅ぼすことを目的とする破壊者――


 運営が呼称するところの〝魔王ユニット〟が生まれた。


 生まれたと言っても、魔王ユニットは生物ではなく、あくまでも舞台装置。


 箱庭の中で繰り広げられるドラマを盛り上げるための悪役――そう、【必要悪】だ。


 破壊者に意志や感情などは必要なく、ただひたすらに悪であれ――そう魔王ユニットは設計された。


 箱庭世界のどのような生物でも絶対に敵わない、最強無敵の悪として。


 近付くだけで押し潰される濃密な魔力。吐く息は猛毒で、視線には石化の力。声は死を呼ぶ波動となり、その体温は火山より溢れる溶岩よりなお熱い。


 およそ生物というカテゴリに収まるはずもない、最凶最悪の怪物。


 だが、魔王城に集まり凝縮した魔力から生まれた魔王には、手足がなかった。目も鼻も口も。


 無論、必要がないからだ。


 意志も感情も持たない魔王にあるのは、ただ一つ、神々から入力された指令コマンド一つのみ。


 人類を滅ぼし、世界を魔力で満たせ――


 魔王ユニットはその命令を実行するだけの、ただの機械だった。


 しかしながら、手足もなければ意思伝達の方法もない魔王は、魔王城から動くことができない。


 誰にも倒されない――その一点に特化したが故に。


 故に、魔王の手足となるための魔族が生まれた。


 そして、魔族が自らの走狗として魔物を製造した。


 これが魔界シンギュラリティエリアおこりである。


 斯くして、神々の手によって箱庭の東の果てに生まれ落ちた魔王は、その力をもって配下の魔族の精神を支配し、人間界への侵略を始めた。


 強大な魔力を持ち、呼吸するように魔術を行使する魔王軍の進攻に、当時の人類は為す術もなく蹂躙じゅうりんされた。


 一方的になぶられる人々――当初、このセンセーショナルなイベントは、箱庭の様子を視聴していた聖神らを震え上がらせ、同時に高ぶらせた。


 グロとスプラッタもまた娯楽。血飛沫が舞い、血風が吹きすさび、血煙があがる光景に多くの聖神が歓声を上げ、大量の娯楽ポイントを投げ銭した。


 だが、それも束の間のこと。


 あまりにも一方的な展開が続けば気も萎えてくる。段々と、このままでは本当に箱庭の人類は滅亡してしまうのでは? と心配するようになり、視聴勢から不満が出始めた。


 いくらスリリングで楽しくとも、その結果、箱庭そのものが終わってしまっては本末転倒だ。


 箱庭の運営は一計を案じた。


 ならば人類側にも反撃の手段を持たせよう――と。


 それが聖具である。


 運営側が聖なる神――〝聖神〟を名乗り、人間界の住人に機械兵器である聖具を与えたところ、人類はこれまでにない力を手に入れ、魔王軍への反抗を可能とした。


 これこそまさに神からの賜物、天啓なり――


 爆発的に戦力と士気を高めた人類は、一気に反撃を開始した。


 後にアルファドラグーン王国と呼ばれる土地を取り戻したのも、この時である。


 またこの頃、西のヴァナルライガーを中心として聖神教が生まれ、瞬く間に人類圏全体へと浸透した。


 これまで想像上のものでしかなかった『神』という存在が、実在していると判明したのだ。なおかつ、魔王軍に滅ぼされんとしていた人類に救いの手を差し伸べてくれた。


 信者が一斉に増えるのも、至極当然の流れだった。


 こうして聖神の恩恵を受けた人類は、迫り来る魔王軍と互角の戦いを繰り広げ、一進一退の戦況を繰り返した。


 時を経る毎に魔王軍の力は増大した。魔族の数が増え、それに応じて魔物も増産され、戦力が充溢じゅういつしていく。


 一方、人間もまた進歩を続けた。聖神から与えられた聖具をより効率よく使いこなす力――即ち『聖力』に目覚める者もいれば、新たに『理術』という元来人間に備わっていた理力なるエネルギーを活用する方法を発見した者がいた。さらには聖神から与えられた聖具が自動的にアップデートされ、火力の強化や取り回しの良さが改良されるなど、様々な変化があった。


 人類と魔王、その互角の戦いは視聴勢を大いに盛り上がらせ、娯楽ポイントの投げ銭は増加の一途を辿った。


 だが、それすらも長く続けば、やがてはマンネリと化す。


 小競り合いを続けるだけで戦局に大きな変化を見せない人間界と魔界の戦争に、そろそろ視聴勢が飽いてきた頃――


 運営はさらなる【テコ入れ】をおこなった。


 そう、文字通りの『神の一手』を打ったのである。


 英雄ユニットの登場だ。


 勇者、魔道士、姫巫女、闘戦士――異世界から召喚されし四人の少年少女。


 神々から特別な力を与えられた英雄は、しかしたった四人の子供だけで旅立ち、魔王討伐へと向かう。


 百万を超える魔王軍と戦うために。


 この陳腐ちんぷではあるが、しかし心躍らずにはいられない新展開に、配信を視聴していた聖神らは盛大に沸いた。


 これだよこれ、我々が求めていたモノは――! そんな声があちこちから噴き上がり、娯楽ポイントの投げ銭は倍増した。


 魔王を倒す任を帯びたのが、まだ幼い少年少女らだったのがまた効果こうか覿面てきめんだった。


 よくある話だが、〝可哀そう〟と〝期待〟は紙一重、あるいは背中合わせの関係にある。


 可哀そうな状況にある小さな生き物が、それでも必死に牙を剥き、巨大な敵に一矢報いる――そんな場面を見るのが嫌いな者は、そうはいない。


 二律背反だが、生物の感性には実に救いがたき部分が確かにあり、これはそんな悪しき部分に該当しよう。


 だが敢えてひ弱な存在に、強者を倒すことを期待するのが、多くの視聴者の心理なのだ。


 即ち『巨人殺し』――〝ジャイアントキリング〟と呼ばれるものである。


 神々によって特別な力を与えられたとはいえ、元来か弱き人間の子。


 そんな矮小な生物が頼りなげに旅立ち、数々の艱難辛苦を乗り越え、ついに魔界へと踏み込み、地獄もかくやと思うような激闘を経て、ついに魔王を封印する――


 ありきたりで何のひねりもない物語だが、地に足を付けた生々しさが心を打ち、実に多くの聖神らを感動させた。


 何より、死に物狂いで戦い抜いて魔王を封印した後、力を使い果たした勇者、魔道士、姫巫女、闘戦士が力尽きて倒れてしまうのが、さらなる反響を呼んだ。


 なんと悲劇的な展開か。


 しかし、英雄とは死と隣り合わせであり、老人になることなく若くして夭逝ようせいするものと相場が決まっている。


 むしろ使命を果たして命を落とすことによって、英雄ユニットは初めて英雄たり得るのだ。


 結果として〝勇者システム〟は大成功を収めた。


 とある運営が思いつきで導入したこのシステムは、誰もが思いつくような単純さでありながら、しかし多くの聖神の心を射止めたことで、瞬く間に箱庭クラスタを席巻した。


 早速あちこちの箱庭で〝勇者システム〟が導入され、新たな箱庭が創造される際にも最初から設計に組み込まれるほどのテンプレートと化した。


 アルサルらが召喚――否、複製された箱庭世界もその一つだった。


 そう、どこにでも転がっている話だ。


 いまや万を超える群体クラスタをなした箱庭。


 どこの箱庭でも〝勇者システム〟は採用され、今も無数の『英雄と魔王の物語』が繰り広げられている。


 今この瞬間にも新たな勇者と魔王が生まれているし、また今この瞬間にも、封印されている魔王や力尽きる英雄達がいる。


 何の変哲もない、当たり前の話。


 それが娯楽なのだ。


 そして娯楽を提供している側もまた、利用者から娯楽ポイントを投げ銭してもらうことで承認欲求を満たしている。


 身を粉にして働くのもまた娯楽だ。心を満たす娯楽なのだ。


 故に箱庭の数は増え続け、娯楽ポイントの総数は膨張し、神々の増長は止まるところを知らない。


 だからこそ、かえりみられることは決してない。


 身勝手な理由で神々に複製され、仮初めとはいえ命を賭けて戦い抜き、散っていった犠牲者の気持ちなど。


 娯楽とは傲慢だ。


 八悪の一つなのだ。


 決して許されるべきものではなかった。




 ■




 地面に這いつくばり、掌を開いて上に向けたネプトゥーヌスから〝勇者システム〟について説明を受けた俺は、無言を返した。


「――――」


 ただ、視線だけを向けている。それは物理的な重圧を伴って、ネプトゥーヌスを大地に押しつけている。微動だにするなよ、と言いつけるように。


 俺の代わりに、隣で話を聞いていたエムリスが大仰に頷いた。


「ふむふむ、なるほど。そういうことかい。この世界は聖神のたわむれで生まれたものだった――と。まぁ業腹だけれど、納得のいく話ではあるね」


 受け容れてやがる。このクソ聖神の語った荒唐無稽な話を。


 まぁビクビク震えている様子から見るに、語った内容は嘘ではないはずだが。


「へえ、そんな風な話やとは思っとったんよ。ウチらがコピーされたっちゅうことを知ったあたりから、なぁ」


 飄々と、何の感銘も受けた様子もなく、くすっ、と笑うニニーヴ。過日、聖神の会話を盗聴して俺達に情報を流してくれたのが他でもないニニーヴだ。スパイじみた行動を起こした根っこには、そも聖神に対する疑念があったからだろう。こちらも『ここと同じような世界が無数にある』ことを、当たり前のように受け止めている様子だった。


「…………」


 俺? 俺は当然、受け容れがたい話だと思っている。もちろん、受け容れるしかないことはわかっているのだが。


 ちなみに、あまり言いたくないが、俺が盛大に〝暴走〟――というかガチギレ?――して宇宙にまで飛び出し、そこで這いつくばっている聖神ネプトゥーヌスと、その相棒? の聖神ミネルヴァを思う存分、溜飲が下がるまで叩きのめしてから、早くも一時間ほどが経過している。


 正直、頭に血が上りすぎてあまり覚えていないのだが、少なくともこの惑星の周辺にあった衛星やら小惑星群のことごとくをぶっ壊し、思うさま暴れたことだけは記憶に残っている。


 だが、全力全開で力を使いまくったおかげか、現在の俺は正気を取り戻し、冷静になっていた。


 なので、こっぴどく叩きのめして心をバキバキに折ってやった二柱の聖神の足を引っ張り、こうして地上へと舞い戻ってきて話を聞いているというわけだ。


 ちなみに俺が宇宙からイーザローン平野に戻ってきた時には、既にエムリスもニニーヴも回復を終えていた。今はこうして俺の両隣に位置して、一緒に話を聞いている次第である。


 エムリスはいつも通り大判の本に腰かけて宙に浮き。


 ニニーヴはニコニコと笑いながら、体の前で両手を組んだ清楚の具現化のような姿勢で。


「……はぁ……」


 俺は密かに溜息を吐いた。


 どうしたものか――という溜息である。


 余談だが聖神ミネルヴァについては、どうも〝暴走〟時にやりすぎてしまったらしく、まだ意識が戻っていない。いや、意識は途切れてないようだが、心ここにあらずといった様子だ。目を開けたまま地面に寝っ転がり、虚空を見つめて呆然としている。石像になったように微動だにしない。


 悪いことをした――とは微塵も思っていない……と言ったら流石に嘘になるか。


 このような複雑な言い方になってしまうほどには、俺の心中では様々な感情が絶妙に絡み合っていた。


 今さっき聞いた話から受ける印象の通り、聖神ってのはどいつもこいつもクズの集まりかってぐらい身勝手な連中だ。


 なんと、人間の営みを【娯楽ショー】として楽しんでいるときたもんだ。


 言っちゃ悪いが、下衆げすの極みと言う他ない。


 なので、こいつら相手にブチギレして蹂躙じゅうりんしたこと自体は大して悪いとは思っていない。なにせ俺は聖神のせいで、平和な世界で普通の生活をしていたところを勝手に複製され、地獄のような戦いへと身を投じる羽目になったのだ。文句など三日三晩あっても言い切れない。


 とはいえ、だ。


 そもそも今回の俺の怒りは、イゾリテの死に起因している。


 どういう流れかは知らないが、イゾリテに例のペンダントを渡して自爆特攻じみた真似をさせたのは、宮廷聖術士ボルガンを自称していた聖神ヘパイストスだと見て間違いないだろう。


 先程の俺の憤激は、そのヘパイストスにこそぶつけるべきものだった。


 しかし、ここに転がっているネプトゥーヌスとミネルヴァ――名前を聞いたらそう名乗ったので、便宜上そう呼んでいる――の二柱は運がなかった。


 俺が怒り心頭に発する寸前――爆弾で言えば導火線に火が点いたときに現れたのだ。よりにもよって。


 言い訳にしかならないが、あの時は本当にどうしようもなかった。


 ただでさえ体内に抱える八悪の因子が増えて情緒不安定だったというのに、イゾリテのかたきの関係者が目の前に出てきたのである。


 間が悪いにも程があった。


 あのタイミングで激発するなと言うのは、ちょっと――いや、かなり無理がある。


 結果として、頭の中が真っ白になった俺は思うさま聖神ネプトゥーヌスとミネルヴァを踏みにじってしまったわけで。


 認めざるを得ない。先程も言った通り後悔はないが、しかしアレは完全なる〝八つ当たり〟だった。


 いや本当に。言い訳しようもないほどの鬱憤晴らしであり、子供じみた癇癪かんしゃくだった。


 なので、その点を考慮すると、少しだけ申し訳ない気持ちがわいてくる。本来ならヘパイストスにぶつけるべき怒りを、当人以外に叩きつけてしまった――と。


 が、何度も言う通り、そもそも聖神という存在そのものがクソである。少なくとも俺はそう断定する。一方的に複製されて重荷を課せられて苦しんだ俺には、その権利があるはずだ。


 しかしながら、俺にぶちのめされて今なお正気を取り戻していないミネルヴァの姿を見ていると、わずかばかりの罪悪感も生まれる。


 こいつらにとっては、いきなり流れ弾に当たったようなものなのだから。


 そう、出会い頭の不幸な事故だったのだ。


 だから多少なりとも不憫ふびんさを感じてしまうのも、ある意味自然なことではなかろうか。


 だが――


「――それで?」


 俺は鋼鉄のごとく尖った声を出した。


 結局のところ、手を緩めるつもりは微塵もなかった。悪かった、と頭を下げるなどもってのほかである。


 今の俺が貫くべきスタンスはただ一つ。


 イゾリテを生き返らせろ。さもなくば、お前ら全員を死ぬまで殺し尽くす――だ。


「今お前がした話と、俺の要求と何の関係がある?」


 そう、俺は徹頭徹尾ただ一つのことしか求めていない。


 悪辣なヘパイストスの手によって超重力の彼方に消えてしまったイゾリテを返せ――


 ただそれだけだ。


 だというのに、ネプトゥーヌスはまず自陣営の裏事情について語り始めた。どう聞いても、俺の望みとはまったく関係なさそうな話を。


 一応、何かしら関係があるのかもしれないと思い、辛抱強く耳を傾けはしたが――


 もし意味もなく適当な話をして時間稼ぎをしていたのなら、許すつもりは毛頭ない。


 ――もういっぺん心が砕けるまで叩きのめしてやろうか?


「――ヒィ……ッ!?」


 殺気が漏れ出たのだろう。地面に這いつくばっているネプトゥーヌスの体が、電撃を受けたようにビクッと跳ねた。


 当たり前だが、俺への恐怖が骨の髄まで染みこんでいるらしい。


 無理もあるまい。一歩間違えれば、再び死ぬよりも辛い目に遭うことになるのだから。


「むっ、無関係では、ありませんっ! ほ、本当ですっ!」


 小刻みに身を震わせながら、上擦った声を出すネプトゥーヌス。その顔は地面に伏されたままで、どのような表情をしているのかは見えない。が、容易に想像できる。


 こいつが這いつくばって両手を前に差し出し、掌を上に向けているのは、完全降伏のポーズだ。この状態から俊敏な動きを取ることは難しく、掌をよく見えるようにしているのは武器を所持していないと示すため。まぁ、この世界では武器の有無など戦闘力にあまり関係なかったりするのだが。


 それにしたって、聖神という『神』の一文字を入れた肩書を名乗っている連中の姿ではない。どうしようもないほど名前負けした、情けない恰好だ。こいつのどこに『神』の要素があるというのか。


 内心で毒づいていると、エムリスが雨に濡れた野良犬よろしく震えるネプトゥーヌスに、あは、と笑いかけた。


「なら聞かせてもらおうじゃあないか。君達が娯楽のために作ったこの世界――〝箱庭コクーン〟と呼称するのだったかな?――その誕生秘話と、ボク達のような英雄の伝説が生まれた経緯はわかった。けれど、それと【イゾリテ君の復活】との間にどんな関係があるのかな? 実に興味深い」


 口調こそ軽やかだが、声の芯が硬質的でまったく笑っていないのがわかる。顔を確認すれば、きっと目が笑っていないことがわかるはずだ。


 実に興味深い、などと言っているがこれも明らかに嘘だ。まったく興味など引かれておるまい。


 エムリスも怒っているのだ。大事にしていた眷属であり、弟子であるイゾリテが失われてしまったことを。


 先程は八悪の因子の影響で揶揄するようなことを言い放っていたが、あれが本心であるはずがない。


 だが〝暴走〟時の記憶は残っているはず。矮躯から滲み出る嚇怒かくどの半分は、あるいはエムリス自身に向けてのものかもしれない。いくら八悪の因子に乗っ取られていたとはいえ、あり得ないレベルの失言をしてしまった自分自身への。


「さ、チャキチャキ話したってなぁ、神様。ウチもほんまは信仰しとる神様にこんなこと言うのはアレなんやけど……ほら、ちまたやとよく言うやん?」


 こちらは声も語調も軽妙けいみょう浮薄ふはく――よく言えば肩の力が抜けた、やんわりとした雰囲気でニニーヴがフォローを入れた。


 うふふ、と笑いながら、


「――吐いた唾ぁ飲まんとけよ?」


 ――どうやらフォローではなく追撃、ないしは援護射撃だったらしい。


 流石のニニーヴも聖神に対しては思うところがあるようだ。


 まぁ、あくまで聖神教会の信仰対象が聖神というだけであり、ニニーヴ本人は別に信者でも何でもないので、当然と言えば当然か。


 言わずもがな、ニニーヴも俺と同じく別世界から召喚――というていで複製された人間だ。


 この世界の住人ではない。


 当然、聖神信仰なんてものには触れたこともなく、興味もなかった。単に〝白聖の姫巫女〟として呼び出されたが故に、今日まで教会とヴァナルライガーに属していただけだ。


 というか、これまでの振舞いを見ていればわかるだろう。ニニーヴが神様にかしずくようなタイプではないことなど。


 俺とエムリス、そしてニニーヴに睨まれる中、針のむしろに座っている状態のネプトゥーヌスは、必死に言葉を選んで話し始めた。


「ご、ご希望のNPC、あっ、いやっ、お嬢さんの復活の件なんですが、最初に言うと【替わり】を用意することならすぐに可能です……!」


「――替わり……?」


 妙に引っかかる言い方だ。復活でも蘇生でも再生でもなく、替わりを用意する――それは、もしかしなくとも。


「……イゾリテそっくりのやつを新たに作り出す、ってことか」


「き、記憶も精神も何もかも完全に複製コピーするんで、瓜二つってレベルやないんですけど……! そ、それでもよければ、そらもう今すぐにでも可能なんですけど……!」


 そりゃそうか。俺やエムリス、ニニーヴやシュラトも他世界から【複製】された存在だ。ここがこいつらの『箱庭』と言うなら、失われた駒の一つや二つ、新しいのを複製するなど造作もあるまい。


 が、この奥歯に物が挟まったような言い方。どうやら複製する程度で終わる話でないことはわかっているらしい。


「可能だが……なんだ?」


 ネプトゥーヌスが話しやすいよう、敢えて水を向けてやる。何が言いたいのかなど、もう大体察しがついているのだが。


「そ、それでは、あなた様にはご納得いただけないかなと、お、思いまして……」


「当たり前だ」


「ヒィッ!?」


 我知らず、全身から威圧がこぼれた。ドゥッ! と全方位に豪風にも似た気配が吹き荒れる。


「おっとっと」


「あらあら」


 近くにいたエムリスやニニーヴの身体がやや揺れた。この二人をして揺らがせるほどの圧力を、俺は発してしまったらしい。


 いかんいかん。落ち着け。我ながら、今の俺は尋常ではない状態なのだ。エムリスの話が事実なら、俺はどうやら――【魔王化】しているらしいのだから。


 感情にまかせて迂闊に力を開放してはいけない。そんなことをすれば、またぞろ面倒なことになってしまう。


 だが――


玩具おもちゃじゃねぇんだぞ。『代替品を買ってきてはいお終い』になるわけねぇだろうが……!」


「は、はいっ! はいっ! もちろんですっ、もちろんでございますぅっ!」


 出来るだけ抑えようとはしたが、それでも声がどこまでも低くなるのだけは避けられなかった。


 こいつらにとって人間など所詮は箱庭の駒。データさえあればいくらでも複製できるのだとしても、そんなやり方は絶対に認められない。


 俺が取り戻したいのは、本物のイゾリテなのだ。


 舐めたこと言ってるとまたぶち殺すぞ――という思考が伝わったのか、ネプトゥーヌスはもはや地面の上でもがいてるかのごとく体を震わせて、


「た、ただ、完璧に復活させるとなると、箱庭コクーン全体のロールバックが必要になりまして……っ……!」


「ロールバック? おや、こいつはまた懐かしい単語が出てきたものだね」


 ふふっ、とエムリスが笑う。こいつが元いた世界――正確にはオリジナルが存在していた世界だが、細かいことは気にしないでくれ――ではインストールだのロールバックだのコマンドラインだのといった言葉が当たり前に使われていたらしい。それ故の反応だろう。


「巻き戻し(ロールバック)……? それってどういう意味なん?」


 一方、そういった小難しい専門用語には疎いニニーヴが不思議そうに小首を傾げる。こうして近くに立って改まって見ると、やはり無駄に若々しい。無論、若作りなどと口に出して言おうものなら、八悪の因子の影響がない状態でも殺意に満ちた視線が向けられること間違いないので、今の俺は決して口を滑らせないが。


「そのままの意味さ、ニニーヴ。世界を巻き戻す――つまり、時間を逆行させて、これまでのことを全てなかったことにするってことさ」


「時間を逆行……リセットするっちゅう意味?」


「似て非なるものだけれど、まぁ大体はあっているね。要はイゾリテくんが死ぬ直前まで時間をさかのぼり、そこから新たにやり直すってことさ」


 ロールバックとリセットが厳密には違うってことぐらいは、俺にでもわかる。だがまぁ、基本的なところに間違いがないのは確かだ。


 時間を戻す――それなら確かに、俺達の元へ帰ってくるイゾリテは〝本物〟と言っていいだろう。俺も納得できる。


 故に、言うべきことは一つ。


「必要ならやれよ」


 淡々と告げる。


 だが――


「そ、それは、そうなんですが……っ!」


 震えの止まらないネプトゥーヌスは、まるでそういった機能を持った機械のようだ。


「ロ、ロールバックとなると今すぐというわけには……!」


 どうやら片手間で出来ることではないらしい。が、俺には関係ない。


「やれよ」


「や、あの、で、ですから、今すぐというわ――」


「やれ」


 食い気味で潰した。


「言い訳は聞かねぇ。お前の事情なんざ知ったことじゃねぇ。やれ。やらないなら殺す」


「ひっ、ひぃぃぃ……!?」


 暴れて鬱憤うっぷんを晴らし、時間を置いて多少落ち着いたとはいえ、怒りの炎はいまだ俺の中でくすぶり続けている。


 きっかけがあれば、いつまた燃え盛り、爆発するかもしれない状態だ。


 煮え切らないネプトゥーヌスに、徐々に俺の内圧が高まっていくのを察してか、エムリスが横槍を入れた。


「まぁ待ちたまえよ、アルサル。事情も聞かずに恫喝するなんて性急すぎるじゃあないか。きっと彼にも立場があるのさ。そうだろう?」


 飴と鞭の飴役を買って出たつもりか、妙に優しい言葉をかける。これではまるで、俺が理不尽な暴君のようではないか。いやまぁ、実際にそう振る舞っているわけだが。


「わかるよ、君。ロールバックというのは現場の一存では決められないことだろうからね。もっと上――君よりも立場が偉いやつの許可が必要なんだろう?」


 俺が北風とするなら、今のエムリスは太陽といったところか。冷たい風が吹き荒んだ後に、暖かな日差しを与えて懐柔する――いかにもエムリスがやりそうな手口ではあるが。


「は、はいっ、上司の許可なくロールバックは不可能で……」


「なら、許可をとってくればいいじゃあないか」


「――えっ……?」


 少しだけ震えの勢いを落としたネプトゥーヌスが、藁にもすがる勢いでエムリスの優しさに飛びついたところ、あっさりと梯子はしごを外された。


 エムリスは明るく笑顔で宣う(のたま)。


「だから、君の上司の許可が必要なのだろう? なら許可を取ればいい。許可を取って正式な手順でロールバックを実施すればいいのさ。簡単だろう? なぁに大丈夫さ、安心して欲しい。君が正しく手順を踏んでロールバックを実施するのを、ボク達は大人しく待ってあげるとも。何ならアルサルが暴れようとするのをこのボクが抑えてあげたっていい。だから、しっかり時間をかけて【確実にロールバックを実行するんだ】。何か文句はあるかい?」


 鬼だった。


 ある意味、俺以上の鬼畜だった。


 エムリスの奴、慈悲をかける振りをして完全に退路を断ちやがった。


「――――」


 ネプトゥーヌスはブルブルと震えながら、黙りこくってしまった。さもありなん。返す言葉などあるまい。


 結局の所、エムリスの言っていることはさっきの俺とまったく変わらない。


 いくら時間をかけてもいい。いくら手間をかけてもいい。だから、絶対にやれ――そう言っているのだ。


「おや、どうしたんだい? 何か言いたまえよ。返事は『はい』か『イエス』のどちらかだよ? それとも……なにかな、君では【できない】とでも言うのかい?」


 フワフワと宙に浮く大判の本に、まるで王のごとくふんぞり返って座る少女は、その可愛らしい声音で酷薄な問いを放つ。


「簡単だろう? 今すぐロールバックを実行するよりは。ただ君の上司に意見を具申するだけじゃあないか。これこれこういった理由でロールバックを実施させてください、とね。それとも、【そんな簡単なことすら出来ないと言うのかい】?」


 真綿で首を絞めるように、逃げ道を一つ一つ潰しながら、エムリスはネプトゥーヌスを追い詰めていく。こいつ、下手すると今の俺以上に怒り心頭だな。まぁ、どれだけいたぶられようと、俺が聖神相手に同情することは絶無なのだが。


「出来ないのだとしたら……困ったね。そうなると君、ここにいる意味あるのかな?」


 転瞬、エムリスの声音から体温が消えた。


 氷のように冷たい声が、突き刺すように問う。


「君、存在する価値があるのかい?」


 極寒の猛吹雪でさえ、この言葉に比べたら微風そよかぜも同然だったろう。


 役に立たないなら殺す――エムリスはそう言っているのだから。


 俺も似たようなスタンスではあるが、一見して優しそうに見せかけながら、しかし遠回しに同じことを言っているあたり、エムリスの方がよほど質が悪いように思う。


「――ひっ……!?」


 遅れてネプトゥーヌスがエムリスの言葉の意味に気付いたらしい。喉の奥から悲鳴が漏れ、再び全身の震えが大きくなった。


 こうなっては、こいつも返答が限られる。


「は、はいっ! はいっ! きょ、許可を! 許可を取ってきますので! ど、どうか、どうかっ! し、しばしの猶予をいただければ……!!」


 おそらくだが、ロールバックという行為自体は技術的には可能でも、実際的には無理に等しい所業なのだろう。ネプトゥーヌスの反応を見ていて、俺はそう察する。


 世界の時間を、状況を巻き戻す――時の流れにおける一点をさかいとして、それ以降のすべてを【なかったこと】にする。軽く想像しただけでも、かなり大それたことだというのがわかる。


 何なら、俺がこの世界に複製される前まで戻して欲しい気もしないではないが――


「仮に猶予を与えたとして、許可が下りませんでした、じゃ話にならねぇぞ。わかってるよな?」


「――~ッ……!?」


 ネプトゥーヌスの背中に電流が走るのが、見ていてわかった。


 やれやれ。図星だったか。


 俺は目を細め、声のトーンをさらに落とす。


「上手いこと言って俺の前から逃げて、後はなし崩しに……とか考えてそうだな、お前」


「――そ、そんなことは……!」


 ほんの一瞬の、むしろあったかどうかすら定かではないほど僅かな逡巡しゅんじゅん。その気配に、しかし気付かない俺ではない。


「あるよな? 考えてたよな? わかってんだぞ。隠し通せると思ってんのか。つうか、ここまで来て嘘八百並べ立てようとするなんて……度胸あるなぁ、お前?」


 敢えて声は荒げず、平坦な口調で俺は続けた。


 もはや大声で恫喝する必要などない。


 俺が機嫌を損ねる――ただそれだけで、ネプトゥーヌスの首元にはナイフの切っ先が刺さっていくのだから。


「……っ……!?」


 ぶわっ、とネプトゥーヌスの全身の毛穴から脂汗がひり出す気配がした。


 いや、気のせいだろう。話を聞くに、こいつの肉体は作り物だ。そう、人体を模した、あまりにも精巧すぎる人型機械オートマタ――と言っても、俺の目からはどう見ても人間そのものなのだが。しかし実際、〝暴走〟した俺の暴虐の限りを受けてなお原形を保っていたのだから、まともな肉体であるはずがない。


 まぁ、涙や鼻水が出るぐらいなのだから、脂汗ぐらいかいても不思議ではないか。正直、偽物の肉体にそこまで精緻な機能を求めなくてもいいと思うのだが――そういえば、排泄などはどうなっているのだろうか?


 などと、頭の片隅では暢気な考察をしつつ、俺はネプトゥーヌスに不可視の首輪と取り付ける。


「まぁいい。こいつの言った通りだ。許可が必要だってんならすぐに取ってこい。それまで〝そいつ〟は預かっておくぞ」


 俺はあごで、ネプトゥーヌスの隣に転がっているミネルヴァを示した。


「そ、そい、つ、とは……?」


 誰のことだ? とネプトゥーヌスが首を傾げる雰囲気を醸し出した。そうだった、こいつは地面に這いつくばって顔も地面に伏せているので、俺の動作が見えないのだった。


「お前の隣に転がってるやつだよ。そいつを置いていってもらうぞ。お前が許可を取って戻ってきたなら返してやる」


 ぐっ、と密かに奥歯に力を込める。自分で言っておいて何だが、誰がどう聞いても完全に悪役の台詞だ。くそ、性に合わないにも程があるぞ。


 本当なら人質を取るなんて真似はしたくない。だが、なにせ相手は聖神だ。この世界の〝外〟の住人なのだ。ぶっちゃけ〝外〟に出られたら、こちらからは呼び戻す術はなく、当然ながら害する方法も失われる。つまり、暴力による脅迫が用をなさなくなるのだ。


 まぁ、そもそもからして勇者ともあろう者が力に訴えて脅しをかけるなど言語道断ではあるのだが――


 イゾリテのためだ。


 形振なりふりなんざ構っていられるか。


 ――と内心で覚悟を決め直していたところ、ネプトゥーヌスがこれまでにない反応を見せた。


「そいつを置いて――あ、ああっ……!?」


 チラ、と横目でミネルヴァの方を見たのだろう。刹那、でかい声で思いっきり叫ぶ。


「……………………」


 かと思えば、それきり黙りこくってしまった。しかし、さっきまでの震えがピタリと止まり、まるで死んだ魚のように微動だにしなくなる。


 おかしい。いや、怪しい、と言うべきか。


「神様、何か問題でもありますん?」


 ニニーヴが無邪気に切り込んだ。悪気など一切ないのに、相手の一番嫌がる質問をするのがニニーヴがニニーヴたる由縁だ。


 はっ、とネプトゥーヌスが息を呑む。


「い、いえっ! いいえっ! なんでもありません! だ、大丈夫です問題ありませんっ! むしろ好都ご――ではなくっ! 逆に許可を申請しやすい――でもなくっ! と、とにかく問題ありません! きっちり置いていきますのでどうか煮るなり焼くなり何なりとぉーっ!」


「――? 煮るつもりも焼くつもりもねぇよ。つか、そうなる前に帰ってこいって話だろうが」


 何やら意味の分からないことを言い出したが、今のは聖神特有のジョークか何かだろうか。しかし、ここまで唯々(いい)諾々(だくだく)なのは逆に怪しく思えてくる。


 エムリスもそう思ったのか、


「君、本当にわかっているのかい? もし君が帰ってこなかった場合、そこの彼女はここにいる怖い勇者魔王に、死ぬよりも辛い目に合わされるのだけど……まさか、自分よりも年下の少女を見捨てて自らの保身を優先しようだなんて、考えていやしないだろうね?」


 妙に悪戯っぽい言い方で釘を刺す。からかうように言っているがその実、言外に『もしそのつもりならお前はここにいる勇者魔王よりも非道な存在だ』と皮肉っているのだ。


 すると。


「――もちろんやっ! 見捨てるわけあるかいっ! こいつは俺の部下やっ! 何が何でも無事に帰したるわっ!」


 がばっ、と顔を上げてネプトゥーヌスが吠えた。作り物めいた――いや、実際に作り物か――美貌が怒りや焦りに歪んでいる。まなじりを決してなお、美形はやはり美形だった。


 予想外に真っ当な上司的発言をするので、少々面食らってしまった。もちろん、おくびにも出さずやり過ごしたが。


「――はっ!? す、すんまへんっ! いや、すみませんっ! 申し訳ないですっ! ど、どうかお許しをぉっ!!」


 一拍置いて、勢い余って敬語なしで啖呵を切ったことに気付いたネプトゥーヌスが再び顔を伏せ、額を地面に叩き付ける。


「…………」


 俺は無言のまま、左右のエムリスとニニーヴと顔を見合わせた。


 今のが演技でないとすれば、ミネルヴァはネプトゥーヌス直属の部下であり、庇護対象のようだ。感情的にはしゃらくさいなどと思ってしまうが、そういうことならミネルヴァは人質として十分以上の価値がある。こいつがロールバックの許可を取り付けて戻ってくる可能性は高いだろう。


 こいつらの精神性が人間のそれと似通っているのなら、だが。


 人間と、人間でない生き物とでは、思考や行動に大きな隔たりがある。魔族なんかがいい例だ。どれだけ見た目が人間に似ていようとも、その中身は完全に別物。価値観も考え方も違う上、物理的にも全身の神経配列が全く異なる。もし人間と魔族の意見が一致するようなことがあっても、それはあくまで表層的なものであり、根っこの方ではまるで違う形をしているはずだ。どちらも白い花を咲かせるからと言って、薔薇ばら鈴蘭すずらんとでは構造に違いがありすぎるのだ。


「へえ、神様にも上下関係とかあるんやねぇ。勉強になるわぁ」


 ニニーヴがクスクスと笑う。素直にそう思ってるだけなのか、それとも皮肉なのか。昔なら間違いなく前者だと思うところだが、八悪の因子の影響だったとはいえ先程の姿を考えると、後者の可能性もなきにしもあらずだ。


 ともかく。


 できれば確実に戻ってくるよう首輪でもつけたいところではあるが、腐っても相手は次元の違う世界に生きる『神』だ。このぐらいが限界だろう。


「……よし、行ってこい。ここで待っててやる。言っておくが、そう長くは待ってやらねぇからな」


 俺はネプトゥーヌスの後頭部にそう告げると、その場で踵を返した。


「ニニーヴ、そっちの奴を頼んでいいか?」


「ええよぉ、ウチの方でちゃんと保護しとくわなぁ」


 ミネルヴァの扱いを、二重の意味でニニーヴに一任した。


 衰弱状態でまともに動けないであろうミネルヴァの保護してもらいたいもあるが、同時に、逃げないように捕縛していても欲しいのだ。


 何ならネプトゥーヌス以外の聖神がこの箱庭世界に下界ダイブして、ミネルヴァを救出せんと出張ってくる可能性だってある。守りは固めておいて損はないはずだった。


「……え?」


 背を向けて去る俺に、ネプトゥーヌスが表を上げてキョトンとする気配がした。


 俺は肩越しに振り返り、


「え? じゃねぇよ。さっさと行って許可もらってこい。つうか、最速でロールバックでも何でも実行してイゾリテを元に戻せ。グズグズしてるとまたそこいらの星にブチ砕く勢いでぶつけるぞコラ」


 ギンッ、と音が立ちそうな勢いで睨んでやった。


「ひ、ひ、ひ、ひぃィィィ――!?」


 スタッカートを刻むように悲鳴をこぼすと、ネプトゥーヌスはエビみたいな所作で跳ね起き、立ち上がった。


「あ、ああ、あああああありがとうございますッ行ってきますッよろしくお願いしますッッッ!!!!」


 額が膝にぶつかりそうなほど深く頭を下げ、早口でまくし立てると、途端にその身が宙に浮く。


 かと思えば次の瞬間にはネプトゥーヌスの全身が青い光に包まれ、一個の光球と化した。


 大人一人を飲み込むサイズの光球は重力に逆らい、矢のごとく天空へと上昇する。そのまま一定の高度に達すると軌道を直角に曲げ、一瞬にして西の空の彼方へと飛び去って行った。


「……ふん」


 当たり前のように空を飛んで超高速で逃げていきやがったが、別段不思議なことではない。あの程度の芸当なら上級魔族だって朝飯前だ。仮にも神を名乗り、実際に世界を管理している連中なのだ。あれぐらい出来て当然である。


「さて、彼は戻ってくるかな?」


「戻ってきはるんとちゃう? なんや思い出してみると、このお嬢ちゃんはえらいさんの血縁やったはずやし」


 放心状態のミネルヴァを一瞥したエムリスが顎に人差し指を添えながら呟くと、前に聖神達の会話を立ち聞き――いや、盗聴してきたニニーヴが同意を示す。


 既にご存じだと思うが、ニニーヴの切り札は『神威降臨』といって、自身を超次元存在へと昇華させる概念だ。つまり一時的とはいえ、この世界の『神』である聖神と同等の存在へと進化することが可能なのだ。


 ニニーヴはこれを利用して『世界の外』へとおもむき、聖神らの会議を傍受したのである。


 まぁ、世界を救うために手に入れた力の使い道としては、下の下ではあるのだが。しかしながら、そのおかげで貴重な情報の数々が手に入ったのもあるので、文句はつけられない。


「確か――運営の主神しゃちょうの親戚か何かだったか? あー……何だっけ、こいつの本当の名前?」


 俺は周囲の様子を確認しながら、記憶の抽斗をひっくり返す。確かニニーヴから話を聞いた際に、聖神らの名前も教えてもらったはずなのだ。


「アテナ、だね。そこのミネルヴァと名乗る聖神の真名は。で、先程までいたネプトゥーヌスの真名がポセイドン。個人的にはとても聞き覚えのある名前ばかりなのだけれど、彼らが本当にボクの知る神話に謳われる神々なのか、それともその名を騙る別物なのかについては、まだ断定するに足る情報がないね」


 こういったことに関する記憶力は、やはりエムリスが俺達の中でも群を抜いている。頭の作りが根本的に違うのだろう。なにせ『思考分割』などといった離れ業をやってのけるぐらいなのだから。


「せやね。お偉いとこのお嬢ちゃんやったら、なんぼなんでも見捨てたりはせぇへんと思うし。十中八九、戻ってきはるんとちゃうかな?」


 ニニーヴが同意を示したのは、俺の『主神しゃちょうの親戚か何かだったか?』の部分である。


「なら、待つ価値は充分にあるよな。よし、ここをキャンプ地とする」


 俺は頷き、力強く宣言した。


 何もない、不毛の荒野のど真ん中で。


「……いやぁ、見事に焦土と化してしまったね。流石はボク達だ」


「へえ、後でどうにかしときますわぁ。ウチの力が完全に回復してから、やけど」


 エムリスの言った通り、かつてイーザローン平野と呼ばれていた土地は見る影もない姿へと変じていた。


 いくら断絶結界を張っていたとはいえ――いや、張っていたからこそ、俺達が心おきなく全力で戦ったのだ。当然、その戦場は完膚なきまでに破壊され、一種の死を迎えることを逃れ得ない。


 悲しいかな、ほんの数時間前までは緑茂る広大な平野だったというのに、強大な力に蹂躙され、すっかり荒れ果ててしまった。


 いや、他人事のように言っているが、完璧に俺達の責任である。


 物理的な被害も大概だが、エムリスが容赦なく超魔術を行使したため、魔力による汚染も相当なものだ。


 不幸中の幸いは、ニニーヴの聖力を使えばある程度は元に戻せることだろうか。マイナスの力である魔力と相反する聖力はプラスの力。大地を癒やし、緑を育む性質も持ち合わせる。完全に元通りとまではいかないだろうが、ほぼ通常の状態にまではそれこそ【ロールバック】できるはずだ。


 ――いや、待てよ? 首尾良く箱庭のロールバックが実行されれば、その時点でこの土地は元通りになるんじゃないか?


 まぁいい、その時はその時だ。二度手間になるかもしれないが、大人には責任というものがある。たとえ無駄だとわかっていても行動を起こさねばならない時もあるものなのだ。


 ニニーヴが聖術を発動させて、地面に寝っ転がったままのミネルヴァを拘束および保護するのを横目に、俺はアイテムボックスから野営用の道具を取り出した。


「アルサル、君……キャンプ地どうこうの発言からまさかとは思っていたけれど、本当にここに腰を落ち着けて彼の帰りを待つつもりかい?」


「あ? 当たり前だろ。見てわからないか?」


 ネプトゥーヌスに『ここで待っててやる』と言ったのだ。あいつが聖神の世界に戻ってロールバックの許可を取り付けてくるまでどれだけ時間がかかるのかは知らないが、少なくとも誰か一人はここで待機しておかねばなるまい。


「あいつが戻ってきたら速攻でロールバックさせてイゾリテを取り戻す。最速でな」


 俺からあっちに最速を要求したのだ。こちらも同様に最速で対応する構えを取っておかなければ、筋が通らないだろう。


 何より、この俺が一秒でも早くイゾリテを蘇らせたいのだ。叶うなら、今すぐにでも。


 はぁ、とエムリスが肩をすくめて溜息を吐いた。


「出来れば、もう少しちゃんとした場所で今の君を詳しく調べたいところなのだけれど――イゾリテ君のためだ、是非もないね」


「……何するつもりだお前」


 俺を調べるなどと当たり前のように言っているが、そんな許可を出した覚えはまったくないのだが。


「何って――宇宙にまで飛び出して聖神をこれでもかと痛めつけて平然と帰ってくる君の肉体が、一体どのような変化を経てそんな化物になったのか。それを調べるのさ。どうやら冗談抜きでアルサル、【君自身が魔王になってしまった】ようだしね。ボクとニニーヴ、シュラトの三人で君を封印、ないしは殲滅する必要があるのかどうかも確認しなければいけない。わかるだろう?」


「…………」


 ぐっ、と言葉に詰まる。最初は軽口めいて話していたエムリスの双眸が、後半にいくにつれて真剣な眼差しを覗かせたからだ。


 言いたいことはわかる。


 そう、わかっているつもりだ。


 これは前代未聞の事態である。


 何もかもが、未曽有のことによって大きく変わってしまった。森羅万象すべての前提条件がひっくり返ってしまった。


 さもありなん。


 なにせ勇者が魔王になってしまったのだ。


 ここまで進めていた計画や、考えていたことがほぼ無駄になってしまったと言っても過言ではない。


 衝撃的過ぎて後先のことが上手く考えられないほどだ。


 それ故、今の俺は『イゾリテを生き返らせる』という目先の一件に集中していると言っても過言ではない。


「――ああくそっ」


 俺は片手で後頭部をガリガリと掻いた。考えなければいけないことが山ほどある状況なのに、一体どれから手を付ければいいのかわからなくてイライラする。


 はぁ、と溜息を吐き、


「わかってるって。我ながらとんでもないこと仕出かしちまったことはな。何が何だかよくわからねぇが、多分お前らにも迷惑かけることになるだろうな。悪いと思ってるよ」


 素直に謝るべき場面であることはわかっていたが、どうにも内心の苛立ちが収まらないせいで、妙にぶっきらぼうな言い方になってしまった。


 すると。


「いいや、わかってない。わかってないね、アルサル。君というやつは、まったく本当に……」


「せやなぁ。鈍感男ここに極まれり、やわ。相も変わらずで、ほんまかなわんなぁ……」


 仕返しのように、エムリスとニニーヴが申し合わせたように溜息を吐き、呆れたように肩をすくめてみせた。


「な……なんだよ……?」


 いかにも地雷を踏んだような感触に、俺は鼻白む。なにせ二人がガチで喧嘩していたのが、さっきのさっきだ。得も言えないギスギスした空気が記憶に新しい俺にとっては、この空気は好ましからざるものだった。


 エムリスは天を仰ぐように片手の指を額に当て、ニニーヴは歯痛を堪えるように頬に掌を添え、俺の方をじっとりと見つめる。


 やがて申し合わせたように、声を重ねてこう言った。


「ボクもニニーヴも、君のことを心配しているんだよ」


「ウチもエムリスはんも、あんさんのことを案じとるんや」


 俺の身や行く末について気に懸けているという、思いのほか真っ当かつストレートな心遣いに、俺は少なくない衝撃を受けた。


 テントを張るために地面に素手でペグを押し込んだところで、いったん動きを止める。


「――。」


 考えてみれば当たり前の話だ。俺に起きた、否、現在進行形で起こっているのは前代未聞、未曾有の事態なのだ。


 エムリスは当たり前のように『ボクとニニーヴ、シュラトの三人で君を封印、ないしは殲滅する必要があるのかどうかも確認しなければいけない』などと言っていたが、従来こんな台詞は【仲間】に向かって吐くものでは決してない。


 そんなことにはなってほしくない――そう思うのは、それなりに長い付き合いの間柄なら思って当然のことだ。


 そして、そんな気持ちを嬉しく思うのも、また。


「……悪い。エムリス、ニニーヴ……ありがとな。本当、俺って鈍感で馬鹿だよな。すまん」


 悪いだなんて言いつつ、俺は笑顔で謝って礼を言った。笑ってしまうのは仕方ない。大切な仲間達に心配されて嬉しくなってしまうのは、どうしたって避け得ないことだろう?


「そんじゃ、心配してくれたお礼に美味いコーヒーでも淹れてやるよ。飲むだろ?」


 テントを設営し、近くに人数分のローチェアやテーブル、焚火台などを配置した俺は、コーヒーミルを片手に聞いた。


「ああ、ボクにはたっぷり甘くしたものを頼むよ」


「へえ、いただきまひょ」


 思えば、こうして仲間達と外でコーヒーを飲むのなんて随分久しぶりだ。もちろん、今日まで再会したエムリスとコーヒーを飲んでなかったと言えば嘘になるが――そこにはガルウィンやイゾリテがいた。純粋に十年前のメンバーだけで飲む機会は、きっとこれが初めてになるはず。


 そう考えると、この場にシュラトがいないのがちょっと惜しいな――


 などと思いつつ、エムリスとニニーヴがそれぞれ定位置につくのを見ながら、俺はコーヒー豆を挽き始めたのだった。




 ちなみに、ちょうどコーヒーを淹れ終わった直後辺りに、遅れてシュラトが飛んで来た。


 文字通り、大跳躍によってニルヴァンアイゼンから。


 こうして俺達は久しぶりに四人揃って、焚火を囲いつつコーヒー片手に談話することとなった。





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久々な更新だひゃっほい!書籍化おめでとうございます!!思った以上に胸糞悪い世界だったんだなここ……
書籍化めっちゃ嬉しい!! これからも楽しみにしてます!
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