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●36 魔王爆誕








「お前らがぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――!!!!」




 男の怒号はもはや核爆弾にも匹敵するほどの衝撃を生んだ。


 事実、かつて〝銀穹の勇者〟と呼ばれた男の全身から種々様々な力が一斉に迸り、周囲に凄まじい重圧を振り撒いた。


 いかな強靭な肉体と精神を持つ上級魔族とて、近くにいればそれだけで爆散して死んでいたに違いない。それほどの威力だった。


 当然、周囲の大気は爆発し、大地はえぐれ、土砂が噴き上がる。


 空間全体に紫電が迸り、耳をつんざ雷轟らいごうかなでた。


『――まずい! 待つんだアルサル! 落ち着いて!』


 魔術による俯瞰視で状況を把握していた〝蒼闇の魔道士〟ことエムリスは、咄嗟に防護結界を張りながら緊迫した声を上げた。


『ほ? あらあら……ああ、うん。コレやばいんとちゃう?』


 同じく〝白聖の姫巫女〟ニニーヴも、おっとりとした口調で警戒をうながす。


 二人が危惧するのは魔力と聖力の流れ。男――アルサルが怒鳴った瞬間、それぞれの力の奔流がさらに加速し、決河の勢いと化したのだ。


 それらは空中に空いた時空の〝穴〟から流れ込んできており、終着点にはアルサルがいる。


 二つの相反する力の侵入は、あっという間に怒涛の勢いにまで激化した。


 ありの穴からつつみも崩れるという。


 高空の〝穴〟を起点として、エムリスとニニーヴが張り巡らせた結界そのものに、蜘蛛の巣のごとくひびが走った。


 砕け散る。


 声を上げる暇もなかった。


 一瞬にして隔絶と封絶の結界は崩壊し、雲散うんさん霧消むしょうした。


 位相をずらして分断されていた世界が、乱暴に再接続される。


 これは二つに割れた岩の片割れを持ち上げて、高いところから落としたようなものだ。


 叩きつけられるようにして再結合した時空は、当然ながら衝撃に揺れる。


 時空震。


 大地のみならず、世界そのものが震えた。


 そんな中、しかしエムリスは頓着することなくアルサルへ呼びかけ続けている。


『ダメだ正気に戻れ! 理性を保て! 精神の均衡を取り戻せ! このままじゃあ君――【魔王になってしまうぞ】!!』


 悲痛な叫びが投げつけられるが、アルサルは一切の反応を返さない。


 既にその精神は怒りに呑まれ、完全に我を失っていた。


 表情を見れば一目瞭然。


 両目を大きく見開き、歯を剥き出しにしている。奥歯を強く噛み締め、今にも爆発しそうに全身を震わせている。


 もはや狂戦士もかくやという姿だ。


 理性を失った勇者の肉体は、内側に宿った六つの悪の因子を核として、周囲から貪欲に力を吸い上げていく。


 吐き気を催すほど豪快に。


 魔力も、聖力も、理力も一切の躊躇なく鯨飲げいいんしていく。


『言ったじゃあないか! 魔王は濃密な魔力が集まるところで【発生】する! そのまま魔力を集め続けたら、君自身が魔王になる現象が――【魔王化】が起こってしまうんだぞ!』


 無数のエネルギーの激流が渦を巻き、台風よろしく吹き荒れた。


 大気が乱れ、そこかしこに竜巻が林立し、天へと伸びる。土砂が巻き上げられ空を舞い、日差しを遮る。曇った空に雷鳴が轟く。


 このような光景を引き起こすトリガーとなった二者――否、二柱の聖神は完全に気圧されていた。


「な、な、な――なんすかなんすかぁ!? 一体何がどうなってるんっすかっ!? 変な例外領域があったから入ってみただけなのに、なんかドえらいことになってるっすよネプさぁん!?」


 金褐色の短い髪に、明るい蒼の瞳をした女性――聖神アテナの分身体アバターことミネルヴァが、空中に浮いた状態で驚愕と恐怖を露わにする。仮初めの肉体の顔を青ざめさせ、助けを求めるように隣の男に視線を向けた。


「ほ、ほら見てみぃ! お前がノロクサと買い物なんざしとるから間に合わんかったやんけ! なんやあれ!? 全然まったく想定外の状況やぞ!? どないすんねんミネお前ぇ!」


 青みがかった灰色の長い髪を後ろで束ねた、淡褐色ヘーゼルの双眸を持つ男――聖神ポセイドンの分身体ことネプトゥーヌスもまた、眼下の状況に面食らっていた。


 彼らにしてみれば聖神界システムエリア――いわゆる客である一般聖神らが主に活動する『プレイヤーエリア』を出て、ここ人間界メインエリアへ足を踏み入れたところ、通常ではあり得ない奇妙な領域アドレスを発見し、怪しかったので手持ちの非常権限を駆使して〝穴〟を開け、侵入してみただけなのだ。


 まさか時空間の繋がりを断絶して、その内部で英雄ユニット同士が戦っているなど夢にも思わず。ましてやその一人である〝勇者〟が、八悪の因子の内六つを手中に収め、暴走状態に陥っているなどわかろうはずもない。


 そして、聖神ヘパイストスが仕掛けた卑劣な罠によって〝勇者〟の大事な教え子が命を散らしたことなど、まったく知る由がなかった。


 それこそが彼らの不運であった。


「ちょちょちょちょポセかちょー!? あの人こっち見てるこっち見てる見てるっすよ!? ヤバくないっすか!? ヤバくないっすかぁ!?」


「アホォ! せやからあっちの名前で呼ぶなゆうてるやろが俺はここじゃネプトゥーヌスやボケぇ!! つうか余計なツッコミさせてる場合かお前はよ非常権限を使うて援軍呼んでこいやっ! あんなんどう見ても俺ら二人じゃどうにもならんぞオイィィイィイイイイイイイイイッ!?」


 既に勇者アルサルは二柱を獲物として照準していた。怒りに燃える視線がレーザービームのごとくミネルヴァとネプトゥーヌスに突き刺さっている。


 お前らが、という言葉の通り、今のアルサルはイゾリテの死の責任を二柱に押しつけようとしていた。彼とて見た目からしてミネルヴァとネプトゥーヌスが犯人の聖神ヘパイストスではないとわかっているだろうが、それは些事さじに過ぎない。


 怒り狂った男の目は激情にくもり、完全に見境みさかいを失っていたのだから。


「……っ……! ダメだ、止められない……!」


 もはや呼びかけに何ら意味などないと判断する他なく、地面に座り込んだエムリスは肩を落とした。


 傷を修復中のその姿は、満身創痍と言う他ない。〝銀穹の勇者〟最大にして最高、そして最強の一撃をその身に受けたのだから、当然と言えば当然である。


 因子に肉体と意識を乗っ取られている間に発動させた〈ジ・エンド〉と〈ジ・カタストロフィ〉にかなりの魔力を費やした挙げ句、〝怠惰〟と〝残虐〟を奪われる際に体内に貯蔵していた大半までもが持って行かれた。現在進行形で心臓から魔力を生成しているが、作り出すそばからアルサルに吸収されているせいで効率が劇的に悪化している。同様に、外部から吸収することもままならない。この場にある魔力は、おしなべてアルサルの支配下にあった。


 このままでは傷を全快させるなど到底不可能だ。ましてや空中浮遊してアルサルのもとへ駆けつけるなど。


 見ていることしか出来ない。


「あちゃー、しくってもうたなぁ……なんでこうなるんやろ……」


 一方、エムリスと同様に百孔千瘡ひゃっこうせんそうの様相を呈するニニーヴは、真っ黒な空を見上げて呆れの吐息を一つ。


 このような状況だというのに空を眺めているのは、曲がりなりにも地面に座っていたエムリスとは違い、仰向けに転がっているからだ。その身を守っていた装備は粉々に砕け、ガラクタ同然。アルサルの一撃を真っ先に受けた挙げ句、そのまま高空から大地へ叩き付けられたのだ。しかも自らが誇る〈夢幻ゆめまぼろしは泡影あわとかげがごとく〉を展開していたが故に、完全に油断していた。おかげでダメージも倍増である。最も、しくじったのはその時にニニーヴを支配していた八悪の悪魔なのだが。


「あ、そういえば、随分と恥ずかしい顔ばっかり見せてもうたなぁ……ウチ、ほんまはあんな風に怒ったりなんかせんのに……」


 聖女の意識は早くも現実逃避へと向かい、状況にそぐわぬ乙女な愚痴をこぼす。経過こそ違うが、エムリスと変わらず今の自分にはアルサルを止めることはおぼつかないと判断したのだ。


 戦闘の影響を制限する閉鎖空間は解除され、この場は世界と繋がった。もはや破壊を限定的にとどめる術はない。


「――ま、どうせ死ぬわけやあらへんしね」


 ポツリ、とこぼれたのは本音か、それとも。


 斯くして、止め得る者のいないアルサルの〝暴走〟は激化の一途を辿る。




「 そこを動くな 」




 力のある声が響き渡る。


 アルサルの声だ。


 膨大な魔力と聖力、そして理力の大渦の中心に身を置く彼は、しかし小揺るぎもせずに直立していた。


 発生している力の渦はもはやどんな攻撃よりも苛烈で、常識的に考えれば何であれ千々ちぢに引き裂かれ、粉々に砕けているはず。


 だというのに、アルサルはそれを微風そよかぜか何かのように平然と受け流し、そこに立っていた。


 上空にいるミネルヴァとネプトゥーヌスを指差し、今や激情を通り越して無となった表情で、




「 いいか そこを動くな 」




 冷たい声で告げる。逃げるなよ、と。


 視線でその場に射止めるように、睨みを利かせて。


 そうしている間にもアルサルの肉体は周囲の力を吸収し、圧縮し、内部に蓄えていく。人界の大気に含まれる魔力という魔力、聖力という聖力をかき集めていく。魔力に至っては遠く『果ての山脈』に空いた風穴を通して魔界からをも呼び寄せる始末だ。


 この時、アルサルは生きながらにしてこの世界の【特異点】と化していた。


 そんな怪物に『そこを動くな』と命令された聖神は、その機械仕掛けの体をしかし恐怖で震わせている。


「あ、アカンアカンアカンアカン!? こんなん想定外にも程があるやろが……! 非常権限があるとかないとか関係あらへんぞ!? あんなんどう見ても【システム外】のヤツやんけ!」


 ネプトゥーヌスが動かないのはアルサルの命令に従っているのではなく、仮初めの肉体を駆け巡る戦慄のためだった。


 この世界――即ち『箱庭コクーン』において聖神が持つ非常権限とは、まさに神の力そのもの。行使には厳しい条件がつきまとうが、それさえクリアすれば出来ないことなどまず存在しない。


 だが、【アレ】は違う。


 それがわかってしまう。一目でわかってしまった。


 アレはこの世界のことわりから外れた存在だ。


 決して自分達が用意した英雄ユニットなどではない。


 そんなものを超越した、別種の【ナニカ】だ。


 何故なにゆえ、無敵にして不死の属性を付与した魔王ユニットが、それでもなお葬り去られたのか――ネプトゥーヌスは完全に理解した。


 あそこにいる【アレ】は、【こちら側の存在】になったのだ。


 だから魔王ユニットを破壊できた。デリートすることが可能だった。


 つまり【アレ】は――この世界を超えたことわりでもってこちらを攻撃することができる。


 ここで【アレ】から受けたダメージは、間違いなく『外』の『本体』にまで届くのだ。


 そう。【アレ】は――自分たちを【殺せる】のだ。


「――~ッ……!?」


 スーパーアカウント用の特製アバターは無駄に凝って作られている。そのためネプトゥーヌスは久々に受肉した身体で、総毛立つ感覚を味わう羽目となった。我知らず、息を呑む。


「ネ、ネプさんネプさぁん! ちょっとアレよく見たらステータスとかパラメーターとか色々とおかしいっすよ!? 確か勇者ユニットだったはずっすよね!? なんで魔王ユニットのアイコンがついてるんっすか!? あと見たことのないアイコンもたっくさん増えてるんっすけどぉ!?」


 非常特権を行使できるスーパーアカウントには、管理運営のため様々なオプションが付与されている。その中の一つに、目視した対象の情報を読み取る機能がある。ミネルヴァは明るい蒼の瞳に映った、まるで整合性のない情報の羅列に圧倒されていた。


「やかましい! 俺にわかるわけないやろ! ただアレはそこらにあるリソースを節操なく喰らい尽くしとるんや! 大昔の仕様に沿った属性アトリビュートを取得しとってもおかしかないやろが!」


「だってほら〝聖王〟!? 〝神将〟!? 〝覇者〟!? なんか知らないユニット名ばっかりっすよ!? コレうちの箱庭システムより更にずっと古いソースにあったやつじゃないんっすか!? なんでこんな初期の設定が稼働してるんっすか!? なんで色んなユニット属性が一人についてんっすか!? 意味わかんないっすよー!!」


 想定外に過ぎる事態にミネルヴァとネプトゥーヌスは完全にパニックに陥っていた。声を荒げ、互いに責任をなすりつけ合うように喚き合う。


 バグ。


 その一言でしか言い表せない現象が、彼らの眼前で起こっていた。


 神が作りし完璧な世界には、決して存在しないはずの現象が。




「 ゴチャゴチャうるせぇぞ 」




 時が凍った。


 強い声は、思いがけず至近から聞こえた。


 それもそのはず。


 まるで瞬間移動したかのごとく、アルサルがそこにいた。


 宙に浮かぶミネルヴァとネプトゥーヌスの、目の前に。


「「――!?」」


 さっきまで地上にいたはずなのに――と二柱の聖神は目を見開く。


 そもそもアルサルは膨大な力の渦の中心にいたはずだ。


 だというのに、何の気配もなく、そしてスーパーアカウントの鋭敏なセンサーに感づかれることなく、彼我の距離を殺したというのか。


 見れば、先程までアルサルがいた座標では未だ凄まじいほどの密度でエネルギーが唸りを上げ、螺旋を描いていた。


 あそこから一瞬で、ここまで飛び出してきたというのか――頭の中を直接殴られたかのごとき衝撃を、ミネルヴァとネプトゥーヌスは受ける。


 明らかに異質な行動。この世界の物理法則を完全に無視したかのような。


 あるいは、時の流れすら操ったかのような――


「 歯ぁ食いしばれよ 」


 得体の知れない男が、無表情のまま拳を握り込む。それだけで周囲の空間が歪む。アルサルの一挙手一投足に、世界そのものが悲鳴を上げている。


「ひ、ひぃ――!?」


 ミネルヴァの口からは純粋な恐怖の悲鳴が漏れた。


 本来なら神たる存在が、次元的に下等な生物へと向ける感情ではない。ネプトゥーヌスほど理論的ではなくとも、肌感覚でアルサルが自らと〝同等の存在〟であることを若い女神は理解していた。


「ちょっおま――!?」


 ネプトゥーヌスは立場的にミネルヴァを庇護する義務があった。故に前へ出て、ミネルヴァをかばった。客観的に見れば、それは美しい男が美しい少女を守護する、尊い光景だったはずである。


 だがアルサルには関係なかった。


 無慈悲に拳が繰り出された。


 ほぼ光速にも等しい右ストレート。


 発生した運動エネルギーは天文学的数字であり、やはり物理法則の限界を超えていた。


 上司が身を挺して部下を守る――それがここまで無意味になることなど、そうはないだろう。


 ひとたまりもなかった。


 計測不能の破壊力は、ネプトゥーヌスをミネルヴァごと一条の流星へと変えた。


 空から彼方――宇宙へと飛び上がる光の矢。


「――――――――!?」


 両腕を交差させてアルサルの右拳を防御したネプトゥーヌスはしかし、あっさりと力負けしてしまい、背中でミネルヴァを巻き込み、声も出せないほどの勢いで吹き飛んだ。


 気付いた時には大気圏を突き抜け、宇宙空間にいた。


「ッ!?」


 眼下に箱庭――神の力によって創造した惑星が、その美しい青を輝かせている。


「――は、はぁぁぁ……!?」


 やっと声が出せた。喉から迸ったのは、あり得ない現状に対する抗議じみたものだった。


 一瞬前まで、曲がりなりにも重力の圏内にいたはずなのだ。それが瞬きする間にこんなところまで来てしまった。


 尋常ではないにも程がある。


 幸い、肉体に損傷はない。スーパーアカウント用の分身体アバターには不壊ふえの属性が与えられている。いかなる物理攻撃も、この体を傷つけることは叶わない。


 だが。


「――んぐっ……がっ、はぁ……っ!?」


 喉の奥からせり上がってくる衝動に耐え切れず、ネプトゥーヌスは口を開き、血を吐いた。おえっ、とドロリとした液体が宇宙空間に吐き出され、しかし重力がほとんどないがために、その場でゼリーのごとく浮遊する。


「……血ぃ、やと?」


 自分の吐瀉としゃぶつを目の前にして、ネプトゥーヌスは唖然とした。


 従来、肉の体を持たない聖神には当然のことながら血流もない。故に吐血といった現象は起こり得ず、ネプトゥーヌスはこれを知識でしか知らなかった。


 箱庭の住人――主に人間の構造ならよく知っている。神社かいしゃの課長職にまで出世したのは伊達ではない。故に、この吐血という行為が生物のものであることは知悉ちしつしていた。


 よもや、それを自分が行うことになるなど夢にも思わなかったが。


「――ぅえへっ! えほっ! げぇほっ! うぇへッ!」


 背後からミネルヴァのむせ返る声。どうやら今の今まで呼吸器に異常があって声が出せなかったらしい。


 と言っても、ここは既に大気圏外。本来ならお互いに声など響かないはずだが、そのあたりの問題はスーパーアカウント特有のオプションによって解決されている。


 大丈夫か、と部下を心配してやりたいところだったが、そんな余裕はなかった。


「ぐっ……ぅぅぅ……っ……!」


 徐々に痛みがきた。最初は鈍痛。ややあってアルサルの拳を受けた箇所を中心として灼熱する感覚が広がり、やがて鮮やかな激痛へと変化した。


 繰り返すが、聖神は本来肉体を持たない情報存在である。肉体による制約がないため五感を超越した十感を持つが、基本的に物理世界に身を置かないため、その大半を使用することがまずない。


 そのため、完全に感覚を忘れ去ってしまわぬよう定期的に箱庭コクーンのような仮想空間へ下界ダイブすることが推奨されており、また、それが一般的な聖神においては最大級の娯楽とされている。


 だがネプトゥーヌスの中に宿る聖神ポセイドンは、箱庭の管理者側の立場。それ故、箱庭へ下界することは非常にまれであり、前回の受肉がいつだったかなど思い出せないほどの過去であった。


 なればこそ。


「……ぅぅぅぉぉおおおおおおおおあああああああああああああああ――――――――!?」


 その激痛は、あまりにも耐え難かった。


 ネプトゥーヌスは整った美青年の顔を大きく歪ませ、あらんかぎりの絶叫を上げた。


 久しく五感を稼働させていなかったところに味わう、肉が潰れ骨がひしゃげ、肺腑がよじれる激痛は、どうしようもなく鮮烈せんれつ過ぎた。


 ネプトゥーヌスにしてみれば、皮を剥いで丸出しの皮膚に硫酸をぶっかけられたようにも思えるほどの感覚だった。


 無論、それは彼に庇われたミネルヴァも同様である。


 地上から宇宙空間まで刹那で飛ばされるほどの威力だったのだ。いくら間にネプトゥーヌスが挟まっていようとも、受けた衝撃は殺人級――否、まさに殺【神】級だった。


「――ぁぁ……ぁああ……ぃゃ……ぁぁああぁああああああああああああああああああああああ!?」


 思い出したように身を震わせ、悶絶する。無重力の中で手足をバタバタと振り回し、喉から甲高い悲鳴を響かせた。名工が彫刻したがごとき美貌を苦悶で台無しにし、見苦しくのたうち回る。


 先述の通り、世界の管理者たる運営の使用するスーパーアカウントには不壊属性が付与されており、何人であれ決して傷つけることあたわない。


 だが、ダメージは残る。それは消しようがない。しかし通常、それらはスーパーアカウントに意識を移した聖神に届く前に、箱庭のシステム的にキャンセルされる。


 そのはずだった。


 だというのにアルサルの一撃はシステムの処理を無視し、スーパーアカウントのオプションさえ超越して、アバターに宿る〝核〟へと直接ダメージを与えたのだ。


「――クッッッッッソがぁぁぁッッ!! なんなんじゃあアイツはぁ!?」


 全身を苛む苦痛に涙をこぼし、宙に水滴を散らしながらネプトゥーヌスは怒鳴る。慣れない痛みに神経が一気にすり減り、すっかり余裕が失われている。精神の均衡が崩れ、頭の片隅でミネルヴァを庇ったことを後悔すらしていた。口に出さないことで、最後の一線を超えずにいたが。


「……っく、ひっ……! うぇえ……ぇぇえええええぇぇ……! うぇぇええええええええええええんっ!」


 ミネルヴァに至っては、なりふり構わず子供のように泣き始めた。若い聖神の心は脆く、未成熟だった。戦を司る女神の名を冠していても、想定外の初めて尽くしの状況には弱かった。


「うっさい泣くなぁッ! ベソかいとる場合ちゃうやろがぁッ!!」


 気が立っているネプトゥーヌスにはミネルヴァの泣き声がひどく耳にさわった。反射的にどやしつけてしまう。


 理不尽な行為ではあったが、ストレスを発散したおかげで若干ながら冷静さを取り戻した。


「――次が来んぞ! 今度は自分で身ぃ守れよ!」


 まだ疼痛とうつうが残る身を動かし、確実に来るであろう追撃に備える。


 あの勇者ユニット、一体何が理由かまったく見当がつかないが、とにかく凄まじい剣幕だった。ただごとではない怒りを感じた。桁外れの怪物に目を付けられ、洒落にならない敵意を向けられているのは確かだ。


 ボケっとしていては、殺されることはないにしても、死にたくなるほど痛めつけられるだろうこと間違いない。


 果たして、ネプトゥーヌスのその予測は的中していた。


 二柱の聖神がスーパーアカウントのオプション『絶対無敵防御圏』を展開し、アルサルの接近すら拒む態勢を整えた、その時だった。




「 しゃらくせぇんだよ 」




「「――!?」」


 雷撃よろしく驚愕がネプトゥーヌスとミネルヴァを貫いた。


 二柱で同時に展開させた『絶対無敵防御圏』は世界の理を無視した反則技チートだ。全開にさせると半径一キロメートルを超える規模で、球状のバリアを形成する。文字通り、絶対で無敵の防御フィールドを作り出すのだ。


 なのに、【声がした】。




「 なんでテメェら無傷なんだ ああ、神だからか ふざけやがって 」




 しかも、ここは大気のない宇宙だというのに。


 相手はスーパーアカウントではないのに。


 とっくにわかってはいたが、やはりあの勇者ユニットは規格外のモンスターと化していると言う他なかった。




「 いいぜ それなら俺も腹を括ってやる 」




 二柱の胃の腑の底から衝き上がってくるのは――純然たる恐怖。




「 死ぬまで殺してやる 」




 圧倒的な気配がする方へ振り返ると、そこには嘘のように小さな人影。


 あり得ない。あんな小さな肉体に、これほどの情報圧が入るわけがない。圧縮しきれるわけがない。いや、そもそも【あんなモノ】が箱庭の中に収まっていること自体がおかしい。そうでもなければこちらとて、すぐにこいつの異常性に気付けたはずなのに。一体どこに力を逃がして、この箱庭に影響を出さずにいられるのか。まるで意味がわからない。理解不能にも程がある――


 見た目は普通の人間にしか見えない男が、その手に握った銀色に輝く棒を無造作に振り上げた。


 ゴバァッ! という音が幻聴で聞こえるほどの勢いで、星屑を内包した漆黒の闇が先端から噴き出す。


 それは〝銀穹の勇者〟だけが持つ、星断つ剣。


 ネプトゥーヌスら管理側の聖神が与えし伝説の星剣。


 だが、こうして目の当たりにするそれは、仕様とはまるで違う別物だった。


 そう、あんな形状はあり得ない。〝星剣レイディアント・シルバー〟は光の剣だったはずだ。


 他ならぬネプトゥーヌス――聖神ポセイドンがそう設計した。それ以外の何物でもないと設定した――はずだ。


 神に選ばれし――そして他世界より複製コピーされし――勇者が振るう、輝かしき力の象徴。


 それが星を司る勇者の切り札、最強の剣。


 魔王ユニットを倒し、封印するための最後の鍵。


「なんや、あれ……」


 呆然とネプトゥーヌスは呟く。


 全知全能たる神である自分が、しかし知らない星剣の姿。


 無論、刀身として噴き出しているのはもはや勇者特有の銀氣ではなく、さりとて魔力でも聖力でも理力でもない。


 それら全てが入り交じって変質した――前代未聞のエネルギー。


 少なくともこの箱庭の世界に存在するはずない――否、あってはならない力。


 故にこそ、今ここにいるスーパーアカウントとしてのネプトゥーヌスには、対応する策がない。


 為す術もない。


「ひぃぃ……! な、なんなんっすかぁ!? 一体何がどうなってるんっすかぁ!? た、助けてくださいよポセかちょー! あ、こ、これって今モニターされてるっすよね!? デメテルさん見てるっすよね!? デメテルさん見てたら今すぐノスぶちょーに連絡してくださいっす! そんでウチらを強制上天させてくださいっす! 助けてぇぇぇぇ!!」


 あまりの恐ろしさに涙も引っ込んだらしいミネルヴァが涙ながらに絶叫を上げ、箱庭の外へ助けを求める。もはや『ポセかちょー言うなアホ!』と怒鳴る余裕すら、ネプトゥーヌスにはない。


 とんでもない勢いで伸長する〝星剣レイディアント・シルバー〟の切っ先は、ほぼ一瞬で見えない場所にまで飛んで行ってしまった。


 惑星と同じ質量と情報圧を有する魔王ユニットを斬る剣だ。星を断ち切る長さまで伸び上がるのも不思議ではない。だが、とうに足元の惑星を叩き斬れる長さに到達してもなお、刀身は伸び続けている。一体どこまで伸長するのか、もうネプトゥーヌスには想像もつかない。


 だが、一つだけわかることがある。


 あの長さの剣によって放たれる斬撃から、逃れる術など存在しない――ということだ。


「――。」


 何故なら、もう既に剣は振り上げられてしまっている。その刀身は今なお無限に伸び続けている。ネプトゥーヌスが使用しているのは腐ってもスーパーアカウントだ。空間転移など造作もない。だが瞬間移動する為には相応の準備や手順が必要だ。まず絶対に転移先の座標を決めておかねならないし、コマンドをキックする手間だってある。


 そして、それらが完了するよりも、斬撃が振り下ろされる方が絶対に速い。


 詰んだ――ネプトゥーヌスはそう確信した。


 故に、一縷の望みをかけて声を上げる。


「ま、待てぇ! 話を聞けっ! 話せばわかる! 俺は聖神――」


 スーパーアカウントの発生は、大気のない宇宙であろうと望めば相手に届く。まさに神の声、天啓たるオプションだ。


 だが。




「 聞く耳持たねぇよ お前ら交渉するつもりだろ? 」




 容赦なく出掛けを潰された。


 にべもなく、電光石火の交渉決裂だった。




「 交渉はしない 交渉なんて出来ると思うな 俺とお前らは対等じゃない まずはそれを教えてやる 叩き込んでやる 」




 絶対的にして徹底的な拒絶。消える余地のない憤怒の炎。




「 思い上がるな 話はその性根を叩き直してからだ 心が折れるまで何度でも何千回でも殺してやる 」




 圧倒的なまでの高慢。冷酷な残虐。




「 その上でお前らがどうしてもと言うなら話をしてやる 俺の望みを叶えさせてやる 」




 底知れぬ強欲。理不尽なまでの驕慢きょうまん




「 ああもう面倒くせぇな とっとと死ね 」




 傍若無人の怠惰。


 人が持ち得るあらゆる悪を煮詰めたような言動に、もはや返すべき言葉などなかった。


 容赦も慈悲もなく、長大な星剣が振り下ろされる。


 蹂躙じゅうりん


 その一言でしか表現し得ない暴挙が、始まった。




 ■




 元を正せば、ただの人間。


 所詮、聖神の手によって他世界から複製され、勇者ユニットとしての属性を付与されただけの、しかし人間。


 そんな人間による神々への冒涜ぼうとくは、熾烈を極めた。


 いまや惑星どころか銀河すら断絶するサイズと化した星剣を振り回し、しかし器用に足元の青い星だけは避け、アルサルは二柱の聖神を完膚なきまでに陵辱りょうじょくした。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 長大すぎる斬閃は不壊の肉体を持つ聖神を打ち据え、時に小惑星帯へと叩き込み、時に付近の衛星に叩き付け、時にそこらを奔る流星と激突させた。


 どれだけ斬られようとも死ぬことのないスーパーアカウントの分身体アバターのミネルヴァとネプトゥーヌスは、だからこそ終わることのない痛苦つうくを与えられ続けた。


 情報存在である聖神に気絶は許されない。意識を失うことは、そのまま情報存在としての生命の終焉を意味する。


 情報の更新の停止こそが、聖神の死なのだ。


 故に、終われない。


 気を失って嵐をやり過ごすことが、彼らには出来ないのだ。


 だからアルサルが剣を振る限り、全身を貫く激痛は永遠に続く。


 不老不死であればこその、それは掛け値なしの地獄だった。


 言わずもがな、直前に張った『絶対無敵防御圏』は何の意味も成さなかった。


 アルサルの斬撃はそんなものなどないかのごとく完全に無視して、ひたすら縦横無尽に駆け巡った。


 宇宙規模のスケールで。


 最初は上がっていた悲鳴も、次第に消えていった。


 上げても意味などないと悟ったからである。


 また逃げようとする素振りもなくなり、二柱のアバターは無抵抗になった。


 アルサルの気が済むまで苦しむしか選択肢がないと気付いたのだ。


 心は折れるどころか、粉々になった。


 誇りも自尊心も砕け散った。


 ある意味、ミネルヴァとネプトゥーヌス――アテナとポセイドンは意識があるだけの精神的な死を迎えつつあった。


 徹底的に踏みにじられ、気が狂いそうになった頃――


 不意に、斬撃の嵐が止んだ。


 だが発狂寸前だった二柱は、全身を駆け巡る激痛の余波に震えていて、すぐには気付けなかった。


 やがて苦痛が少し引き、千々に引き裂かれそうになっていた理性が復活すると、


「――……」


 何もない宇宙空間に浮かんでいる自分を発見する。


 いや、思い出した。


 あまりの痛みと苦しみに心が現実逃避して、情報存在としての輪郭が壊れかけていたのだ。


 そして、ズタズタになった精神をどうにか奮い立たせながら、ネプトゥーヌスは呟く。


「……お、お願い、です……」


 我知らず、ネプトゥーヌスは滂沱ぼうだしていた。口調も自然と敬語になっていた。


「どうか、お願い、します……」


 こいねがう。


「私達に、あなたの望みを、叶えさせて、ください……」


 ねがう。


「何でも……何でも、します……何でも、しますから……」


 完全な、それは屈服だった。


 服従宣言だった。


「許してください……お願い……お願い、しますぅぅ……うっ……ぅぅぅ……!」


 嗚咽おえつ


 全知全能である神が、幼子のように体を震わせて、みっともなく慈悲を懇願こんがんしていた。ひっ、ひっ、としゃっくりを繰り返して、ひぃぃぃ、と動物の鳴き声じみた音を発する。


 ミネルヴァに至っては今なお身動みじろぎ一つしない。あるいはもう手遅れだったのかもしれない。無重力空間に、脱力した状態でただ漂っている。


 そんな二柱を見て、漏れなく格付けが完了したと見たのか。


「お前らがするべきことは、ただ一つだけだ」


 思うまま剣を振るって叩きのめしたことで多少の溜飲が下がったのか、アルサルは声を強めずに言った。無論、大気のない場所で通じる声を発している時点であり得ないのだが。


 アルサルは泣きじゃくるネプトゥーヌスに、まるで機械に稼働を命じるかのごとく冷たく言い放った。




「イゾリテを生き返らせろ。あいつを返せ。それさえ出来れば許してやる」




 そして、ダメ押しをする。




「出来ないなら、お前ら全員を死ぬまで殺すだけだ」




 血も涙もない、残酷な虐殺宣言。


 静謐な宇宙空間。太陽の輝きを背にして、逆光で漆黒に染まった勇者は、誰がどう見ても――




 魔王だった。




 無限に広がる星々の輝きが、まるでその姿を祝福しているかのごとく、盛大に煌めいた。






 第五章 完






これにて〝最終兵器勇者〟第五章、終わりとなります。


いつもお読みいただきありがとうございます。


おそらくですが、次の六章でいったん物語は完結する予定です。


現在、鋭意執筆中ですので、しばしお時間をください。


また物語の終わりが見えてきましたので、感想欄を開放しました。


何かお言葉があれば、是非お書きになっていただければ幸いです。


それでは、またお会いしましょう。



国広仙戯


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[一言] 初めて感想書かせていただきます。リワールドフロンティア込みでいつも楽しませていただいています。いやぁ、主人公のガチギレ、闇堕ち。私の性癖つめつめで大変ニコニコしながら読んでしまいました……。…
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