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●31 聖と魔の狭間 1




 に放たれた炎は、どしゃ降りの雨でも降らない限り、全てを燃やし尽くすまで消えることはない。


 戦いについても同じことが言える。


 調停する者がいなければ、殺し合いの螺旋らせんは終わらない。


 特に複数勢力の入り交じった混沌ともなれば尚更。


 止まりたくとも止まれないのだ。


 己が止まろうとも他が止まるとは限らない。


 ほんの僅かな隙が致命傷になりかねない。


 止まれば死ぬ。


 そうわかっている状況下で止まれる者が、一体どれだけいるものか。


 にわかに勃発ぼっぱつしたセントミリドガルとヴァナルライガー国境線近くでの戦いは、まさに血で血を洗う様相を呈していた。


 おそらくこの地上において、歴史上最大規模の戦闘であったろう。


 魔王エムリスの軍勢、ヴァナルライガー軍、冒険者による傭兵団、ニルヴァンアイゼン軍、中小勢力の残党、兵器として運用される聖竜アルファードと聖狼フェンリルガンズに、聖駒ヴァニルヨーツン――


 人間だけでなく、魔物や魔族、さらには古代から受け継がれた聖具の数々がそこには入り交じっていた。


 未曾有の大戦は誰にも制御できない状態で死闘に次ぐ死闘、激闘に次ぐ激闘を繰り広げていたが――やがて限界が訪れる。


 何事にも限界はあり、そして均衡は崩れるために存在する。


 最初に動きを変えたのは、ヴァナルライガー軍だった。より正確に言うならば、そこに含まれている聖堂騎士団テンプルナイツの行動が活発化したのだ。


 端から観戦している俺には、奴らが急に動き出した理由がわかる。


 魔力だ。


 知っての通り、魔族を殺すとそいつを形作っていた濃密な魔力が大気中へと散布される。


 参戦しているのが例え上級魔族であろうとも、圧倒的な物量の前には不死ではいられない。一体目が強い魔光を伴って爆散した時はまだ反応も鈍かったが、二体目、三体目と続くと流石に聖神教会の陣営が慌てふためき始めた。


 聖力を扱える組織が行うのは、もちろん魔力の中和だ。濃度の高い魔力は、なべて人界の生物にとって毒となる。


 大気中に広がった濃厚な魔力を浄化するため、聖堂騎士団に所属する聖術士らがそれぞれの得物えものを持ち出し、力を解放する。


 得物と言っても、聖力だの聖術だの教会などといった単語が多いので、一般的な僧侶や司祭が持つロッドなどを想像すると思うが――【全然違う】。


 かつて魔王を討伐した四人の中で聖力と聖術を司っていた〝白聖の姫巫女〟ニニーヴ。その彼女が俺に〝何〟をゆずってくれたのか、対シュラトの戦いを見ていた御仁なら既にご存じのことだろう。


 ましてや聖具――聖竜アルファードや聖狼フェンリルガンズ、聖霊ミドガルズオルムのことを知っているのなら、もはや語るまでもない。


 聖神教会がようする暴力機関――〝聖堂騎士団テンプルナイツ〟。そこに所属する騎士が用いるのは、無論のこと【機械兵器】に他ならない。


 極端なことを言えば――かなり大雑把な話ではあるが――この世界における『聖なる力』とは、『機械技術に由来する力』を示すものだと理解してもらって問題ない。


 オーソドックスな銃器を始めとして、バズーカや大砲といった高火力武器、さらには戦車や自走砲、果てはミサイルまで。


 中央のセントミリドガルや、北、東、南の国で主流のファンタジーっぽい世界観を完全にぶち壊しにする――むしろ、俺が元いた世界の近代兵器によく似た武器の数々。


 それらが聖神教会が誇る〝聖堂騎士団〟の主な武装であった。


 装填されるのは火薬を詰めた弾頭ではもちろんなく、聖力そのものか、あるいは聖力を込めた特殊な弾丸。これらを発射して魔族を討てば、魔力による大気の汚染は防がれ、さらには浄化効果も期待できるという便利な代物だ。


 これは無論のこと、聖竜アルファードや聖狼フェンリルガンズの攻撃においても同じことが言える。


 だが、そんな強大な聖具の力をもってしても容易に中和できないほど、上級魔族一体が死ぬことによる【魔力汚染】は強烈なのだ。


 ――とはいえ、心なしか汚染の広がりが早すぎるきらいがある。俺の気のせいだろうか……?


 ともあれ聖堂騎士団は整然と聖具を構え、空中に陣取る魔王エムリス軍へ向けて一斉いっせい掃射そうしゃした。


 その時だ。


 異変が起こったのは。




 ■




#Ouranos 5『で、一体何を仕掛けたのかな? 詳しく聞かせてもらうよ』


#Hephaistos3『実は……過去のバージョンから復活させた聖具に、英雄ユニットの精神を乱す仕掛けを……』


#Ouranos 5『ああ、そういえばヘパ君、人間界メインエリアの重要人物以外にも〝闘戦士〟に悪さをして英雄ユニット同士で争わせていたね。また同じことを?』


#Hephaistos3『ええ……英雄ユニット、特に〝魔道士〟であれば興味を持つと思いまして……以前からこっそりと罠を……』


#Ouranos 5『なるほどねぇ。それで、その罠が発動すると……どうなっちゃうのかな?』


#Hephaistos3『ふっ……もちろん〝闘戦士〟の時と同じです。精神の錯乱に陥った〝魔道士〟は同士討ちを始めるでしょう。なにせ私の仕掛けは、理性の一部を麻痺させるのですから!』


#Ouranos 5『うーん……これはまた、とんでもないことをしてくれたねぇ……わかってるのかい、ヘパ君? この前も〝勇者〟と〝闘戦士〟が激突しただけで魔界シンギュラリティエリアが大変なことになっちゃったのに……今度は、下手すると箱庭そのものが壊れてしまう可能性があるんじゃないかな?』


#Hephaistos3『――ふっふっふっ……確かに人間界メインエリアで英雄ユニット同士がぶつかるようなことになれば、箱庭コクーンの根幹が崩壊してしまうかもしれませんねぇ……ウラノス部長、ポセイドン課長とアテナ女史に急ぐよう伝えた方がいいかもしれませんよ……んっふふふ……』


#Ouranos 5『……うん、それとなく助言っぽく言ってるようだけど、正直やらかした、みたいな雰囲気になってないかな、ヘパ君?』


#Hephaistos3『んっふふふ……い、いえいえ、私の計算では上手くいっているはずなんですが、何分なにぶん今の私には箱庭の様子がわかりませんからねぇ……ふ、ふふふ……』


#Ouranos 5『まったく頑固だねぇ……一応、連絡は入れておくけれど。これで二人が英雄ユニットを抹消しちゃうと、何だか君の思惑通りみたいで少し面白くないような気もするけど……』


#Hephaistos3『おやおや、何をおっしゃるのですか、ウラノス部長。不穏分子の削除抹殺は、正常な箱庭運営の基本ですよ? つまらないことは気にしないで欲しいものですねぇ……んっふふふ……』


#Ouranos 5『うーん……まぁ、とりあえずポセイドン課長とアテナ君には急ぐよう伝えておこうか。さぁ、ヘパ君。まだ隠していることがあるんじゃないかな? もう洗いざらい吐いてもらうよ、全部ね』




 ■




「――エムリス……!?」


 その瞬間、真っ先に感じ取ったのは、あまりにもあまりにも膨大な魔力の気配だった。


 知っての通り、エムリスの魔力は他に類を見ないほど絶大だ。


 筆舌に尽くしがたい、とはまさにこのことで、正直あいつの【底】はこの俺にだってわからない。


 なにせ魔界をまるごと空間断絶させるほどの魔力である。常識の埒外らちがいの、さらに埒外といえる。


 国境線の向こうで生まれた魔力の気配は、瞬く間に膨張し、刹那で周辺一帯を包み込んだ。


 もはや聖具や聖力による浄化や中和など、追いつくはずもない。


 戦場全体が擬似的な魔界と化した――そう言っても過言ではなかった。


「い、一体何が……!?」


 俺と一緒に遠見の理術で戦場を見ていたイゾリテも、ローチェアに座った状態で上擦うわずった声を漏らした。くどいようだが、あのイゾリテが声を上擦らせたのである。つまり、それほどのことなのだ。


 突如として顕現した暴力的な魔力が、エムリスのものであることはわかる。俺の鋭敏なセンサーも、同じ魔力を扱う者としてのイゾリテの肌感覚も、その一点においては共通している。


 だが、出所でどころが全くわからない。


 あの戦場のどこかであることは確かだ。しかし魔力の気配が馬鹿げた大きさなので、その中心点がまったく感知できないのだ。


 それだけではない。


「アルサル様、この魔力は、エムリス様のものだけでは――!?」


 言いさしたイゾリテが、鋭く息を呑んだ。


 無論、俺も既に気付いている。


 エムリスの魔力が空間を席巻せっけんした次の瞬間、更なる魔力が別の座標で生まれたのだ。それも無数に。


 俺の中で不意に、無数の情報の欠片ピースが、何の前触れもなく一つに繋がった。


「――まさか【竜玉】か……?」


 ほとんど直感だった。だが、かなりの確信があった。


 エムリスは聖竜アルファードの改造に、竜玉を流用したのだ。


 これまで深く考えてこなかった俺が迂闊うかつだった。少し考えればわかったはずなのに。


 そもそも聖竜アルファードは聖神が作ったものであり、つまりは聖力や聖術の結晶がごとき存在だ。


 そんなものを、正反対の属性である魔力をおももちいるエムリスが、思うがままにはべらせているという時点で、もっと意識をくべきだった。


 浅はかにも、エムリスだから、というだけで納得していたが――よく考えなくともかなりの異常事態だったのだ。


 最初の戦場全体を圧迫するような膨大な魔力は、畢竟ひっきょう、ただの呼び水にすぎなかった。聖竜アルファードにそれぞれ埋め込まれた竜玉――それも砕いていない、原形そのまま――がエムリスの魔力を受け、一気に活性化する。


 いつかエムリスが語ったように、竜玉は魔力生成器官の一つ。それも心臓や炉臓と違って竜本体が死んでも残存し、魔力を受ければ生前と変わらず稼働を始め、大気を取り込んで魔力を生成する半永久機関の一種。


 これまで聖力を原動力としていた竜型の機動兵器が、瞬く間に魔力に侵食され、取り込まれていく。


 ここまで聖竜アルファードを駆動せしめていた聖力の量と質も半端なものではなかったはずだが、流石にエムリスの魔力を起点とした竜玉が生成するそれは、言わずもがな別次元だった。


 まもなく巨大な機械兵器は魔力にどっぷりおかされ、急激な変化を見せる。


 半生物はんせいぶつ化――あるいは、異形化いぎょうか


 そうとしか言いようのない現象が起こった。


 濃密な魔力の浸透した、聖竜アルファードの装甲。その全体がうねり、隆起し、変形する。装甲を染めていた鮮烈な蒼はそのままに。しかし金属特有の光沢が消え、生物の肌めいたブツブツが浮かび上がってくる。全体的に角張っていたシルエットが、どことなく丸まっていく。触れれば切れるような冷たさを漂わせていた金属装甲が、どこか温かみを帯びた質感へと変わっていく。


 やがて、そこには聖竜アルファードによく似た、しかし【本物の竜】が現れていた。


 所々に金属的な硬さ、鋭利さを残した――しかし脈動する皮膚や血管、臓器を有する――【生きた竜】が。


「ばっっっっ――!?」


 思わず口を衝いて声が出た。馬鹿野郎が、と叫びそうになったのだ。


 やりやがった。あの野郎、マジでやりやがった。


 よりにもよって聖竜を、魔の力をもって【魔竜】へと変貌させてしまいやがったのだ。


 もはや誤魔化しようもない。


 まがうことなく、それは【魔王の所業】であった。


 この瞬間、〝魔王エムリス〟は名実ともに【本物】になってしまったのだ。


 直後、まだ八十機以上も残存していた聖竜――否、【魔竜】アルファードが、申し合わせたように【ゾロリと牙の生えた大口】を開き、一斉に咆吼を轟かせる。


『GGGGGGGGGGGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――――――!!!!』


 内燃機関の駆動音にも似た、なおかつ巨獣の雄叫びにも似た、それでいて猛烈な魔力を帯びた――それは怪物の産声うぶごえであった。


 それに合わせて、魔竜らの全身を覆うように濁った紫色の光が生まれる。


 なんと、魔光だ。埋め込まれた竜玉の生み出す魔力が強すぎて、上級魔族と同じように視認できるようになったのだ。


 馬鹿げている。


 聖神の技術で作り上げられ、魔物の長とも呼ばれる竜の魔力生成器官を有し、いまや上級魔族にも匹敵する魔光をまとう――


 そんなもの、前代未聞の怪物ではないか。


「おいおい……おいおいおいおいおい……!」


 焦った俺は、頭の中の語彙ごいがまとまらず、意味のない呼びかけを繰り返した。


 なんだこれは。話が違う。今回の魔王軍進攻の目的は、あくまで聖神教会に魔界から流入する魔力を浄化、および中和させることにあったはずだ。


 さっきまでは順調だった。予想外のアドリブやイレギュラーもあったが、それでも事態は目標ゴールへと向かって進捗していたはずだ。


 それが今、盛大にズレた。


 これほどの規模で魔力を振り撒いてしまったら、いくら教皇や総大司教が本気になっても中和しきれない可能性がある。


 さらに、これから始まるであろう魔竜アルファードらの蹂躙じゅうりんをも思えば、立ち塞がるものは全て破壊し尽くされる予感しかない。


 総崩れだ。何もかもご破算だ。


 もはや、人界に魔力を蔓延させる結果にしか繋がらないではないか。


 一体何故だ? この作戦を言い出したのは、他ならぬエムリス自身だったではないか。


 ――いや、そんなもの、考えるまでもない。


 エムリスは〝暴走〟している――もはや、八悪の因子が関与しているか否かなど関係なしに、そう断言できた。今行われているのは、それほどの愚行だった。


「あの馬鹿……!」


 いてもたってもいられず、俺はローチェアから立ち上がる。追随ついずいように、隣のイゾリテも腰を上げた。


「行くのですね、アルサル様」


「当たり前だ」


 こちらを見上げて問うイゾリテに、俺は短く強く答えた。


 行かないでか。ここで動かなければ、何のための様子見だったのかわからなくなってしまう。


「おともいたします」


「――。」


 来るな、足手まといだ――と言いかけて、俺はその言葉を呑み込んだ。


 イゾリテはエムリスの眷属だ。邪魔だとかそういった理屈どうこうではなく、こいつにはあの場に行く理由と権利がある。


「……無理はするなよ。危ないと思ったらすぐ転移で逃げろ」


 とは言っても、あのエムリスが〝怠惰〟ないし〝残虐〟を暴走させているかもしれない戦場だ。十中八九、人間には分不相応な空間になる。いくらイゾリテが〝眷属化〟しているとはいえ、こいつはどこまで行っても人間でしかない。対シュラト戦で魔界の央都にいた魔族らが何もできずに滅んだのと同じように、イゾリテも俺達の戦いに巻き込まれたら、何もできずに死ぬ。


「はい」


 それはイゾリテにもわかっているのだろう。素直に首肯してくれた。


 顔にこそ出さないが、心の中でほっと安堵あんどする。やはり可愛い教え子が傷ついたり死んでしまうなど、たまったものではなかった。


 俺は両足に〝氣〟を込めつつ、告げた。


「一気に飛ぶぞ。ついてこれるか?」


「ついていきます。何をしてでも」


 恬淡てんたんとした声音に、しかしみなぎるほどの決意を感じた。可愛い教え子だとさっき言ったばかりだが、イゾリテはもう可愛いだけの子供ではなかったようだ。


「よし、行く」


 ぞ、と言って地を蹴ろうとした、その瞬間。


 さらなる異変が生じた。




『 あらあら、いややわぁ。おいたはいけまへんえ? 』




 突如、戦場に朗らかな声が響いた。


 おっとりとしていて、しかし芯の一切ブレることのない、強い声が。


「――ニニーヴ?」


 跳躍ちょうやく一つで戦場に飛びもうとしていた四肢が、我知らず静止する。


 聞きたがえるはずがない。


 あれは〝白聖の姫巫女〟ニニーヴの声だ。


 こんなにも優しく甘く、なのに恐ろしい声音の持ち主を、俺はニニーヴ以外に知らない。




『 んもう、一体どないしなはったんよ、エムリスはん? こんなことするお人やなかったやろ、あんさん? 』




 おそらくは拡声の聖術で戦場全体に声を響かせているニニーヴは、何の遠慮もなくエムリスへと語りかけた。しかも、ちょっとプンスコした口調で。


 緊張感の欠片もない。


 同時、ヴァナルライガー陣営の後方、かなり離れた位置から、ポポポポポポン、と妙に気の抜けた、しかし大きな音が生じた。


 音の発生源からは盛大な白煙が噴き上がり、その中から飛び出すようにミサイルとおぼしき――否、【ミサイルそのもの】が空に向かって勢いよく飛翔していく。


 その数、三十はくだらない。


 後部から火炎を吐き、地上から天空へ向かって逆流する流星群がごときミサイルの向かう先には、宙を飛ぶ魔竜アルファードらが。


 地対空ミサイル――そのように思えたが、しかし違う。


 ミサイルは魔竜アルファードの群れに着弾する前に、空中で自爆した。


 俺にはわかる。あれは決して誤動作したわけではない。


 そも、ミサイルは攻撃の意志をもって発射されたものではなかった。


 空中で爆発したミサイルは、空中にキラキラと輝く光の粒を大量にばらまいた。あれは、俺が元いた世界では『チャフ』と呼ばれるものだと思われる。


 チャフはレーダーやセンサーをだますためものものだが、今回に限ってはそれが目的ではない。


 大気の浄化だ。


 の光を反射して煌めくチャフの散った空間から、大気を汚染していた魔力が消失していく。


 聖具には使い手の聖力が宿る。即ち、細かい金属片であるチャフの一つ一つに、〝白聖の姫巫女〟であるニニーヴの強烈な聖力が込められているのだ。


 それがエムリスおよび、魔竜アルファードの竜玉から発生した魔力をことごとく打ち消していく。


 詰まるところ、ニニーヴはひとまず大気に蔓延する毒である濃密な魔力を中和してから、エムリスと話し合う姿勢を見せたのだ。


 しかし。




『 ……やぁ、ニニーヴ……久しぶりだね…… 』




 同じく拡声の魔術を発動させたエムリスが、呼びかけに応じた。


 ただし、聞いただけでテンションが地の底を這っているとわかる、あまりにも精彩せいさいに欠けた声音で。




『 ……細かいことはいいよ……面倒臭いからね……肝心なところだけを告げるよ……』




 奈落の底から聞こえる亡者の声にも似た、エムリスの言葉。今にも消え入ってしまいそうなほど、気怠げだ。間違いなく〝怠惰〟の影響だろう。




『 せやねぇ。プライベートなことは秘匿通信で話した方がええしねぇ 』




 ニニーヴが言うように、この二人の会話は戦場にいる誰しもが聞ける状態にある。故に、個人的な話は禁句だ。


 必要なのは、この場の戦いに関すること。それのみ。




『 ……ああ、君のキンキンした声も……あまり聞きたくはないしね……』




 かつての仲間だったニニーヴに、ぞんざいな口調でにべもない言葉を吐きかけるエムリス。


 これは――〝怠惰〟だけでなく〝残虐〟の影響も大きそうだ。




『 ……もう面倒臭くなったんだ……滅ぼすよ、世界を…… 』




 一拍置いて、エムリスは当たり前のような調子でとんでもないことをのたまった。




『 ……もういちいち考えるのも億劫おっくうなんだ……こんな世界、どこもかしこも魔力で溢れればいい……そうすれば、ボクは楽になれる……他のことなんて知ったこっちゃないさ…… 』




 闇堕ち――脳裏にそんな言葉が思い浮かんだ。


 いや、エムリスは〝魔道士〟なのだから、始めから魔の道に堕ちてはいたわけだが。


 それでも、ここまで分別のない奴ではなかったはずだ。


 もはや八悪の因子の暴走は確定的だった。




『 ……だから、邪魔をするなら……たとえ君でも潰すよ……ニニーヴ…… 』




 まるで遠慮のない、はっきりとした宣戦布告。


 先日、暴走していたシュラトもそうだった。明らかに素の性格とは違う言動を取っている。本来のエムリスは、敵相手ならともかく、味方相手にこのようなことを言うような奴ではなかった。絶対に。




『 あー、こら困りましたなぁ。ほんま勘弁して欲しいわ。冗談……ってわけやないんやね? うぅん……しゃあないなぁ…… 』




 一方のニニーヴは、まるで駄々をこねる子供を相手取るかのように軽い調子だ。拡声の聖術で増幅された、溜息の気配まで伝わってくる。


 どうにか上手くこの場を収めてくれ――そう願わずにはいられない。


 しかし。




『 ――ま、ええわ。そういうことなら【受けて立ちまひょ】。なんちゅうか……なんや、ウチもイライラしてきましたわ。もう一体なんなん? 急にやって来た思うたら、わけのわからんことしでかしてくれて。エムリスはん、頭沸いてるんとちゃうか? 』




 いきなりニニーヴの雰囲気が変わった。


 言葉通り声音に険が籠もり、端々に苛立ちがにじみ出ている。


 どこか挑発するような物言いに、しかしエムリスは無言を返した。もはや言い返す気力さえ萎えてしまったと見える。


 ただ、エムリスの内心を表すかのように、戦場にわだかまる魔力がより濃密さを増した。




『 あっそ。もう話は終わりやっちゅうことやね? ええよ、ウチもまだるっこしいのは嫌いやから。早速やりまひょか 』




 おかしい。


 俺の知るニニーヴは確かに、品行方正ひんこうほうせい淑女しゅくじょとは言い難かった。


 大人しそうな顔をしていながら、やることはやるし、むしろ四人の中で一番過激な行動を取ることも少なくなかった。一見すると優しそうに見えるのに、容赦のなさではパーティーの中でもピカイチだったように思う。


 だが、ここまで喧嘩っ早い奴ではなかったはずだ。


 自分に向けられる悪意や敵意をひょいとかわして、避けて避けて、さらに回避して、ギリギリの際まで逃げて、それでもなお一線を越えて追いかけてきた相手だけを、正々堂々と容赦なく殴り倒す――そんな性格をしていたように思う。


 いや、よく考えなくてもこれはこれでかなりひどいな。どのあたりが〝白聖の姫巫女〟なのかと問われると、答えに窮してしまいそうだ。


 ともかく、売られた喧嘩をすぐに買うなどニニーヴらしくもない。相手のエムリスも、絶賛〝らしくない〟言動をしているところだから、何か考えがあるのかもしれないが――


 刹那、嫌な予感が脳髄を走った。


「――おい待て。まさか……」


 思わず声に出る。


 いや馬鹿な、そんなことがあってたまるものか。


 もしそうだったとしたら、最悪中の最悪だぞ。


 魔王を殺すために必要だった八悪の因子の内、ニニーヴが担当したのは〝憤怒〟と〝嫉妬〟。


 俺の〝傲慢〟と〝強欲〟、エムリスの〝怠惰〟と〝残虐〟、シュラトの〝色欲〟と〝暴食〟――各々が自分に縁遠い要素から宿す因子を選んだように、ニニーヴもまた〝憤怒〟や〝嫉妬〟などというものからはかけ離れた少女だった。


 なにせ、俺はニニーヴがまともに怒ったところを見たことがない。


 嘘でも誇張でもない。冗談抜きで、俺はニニーヴの怒った姿を見たことがないのだ。


 ニニーヴは激情というものを露わにせず、また妬みや嫉みとは無縁という、何とも不思議な少女だった。


 大人しいわけでは決してない。先程も言ったように、やることはやるタイプだった。むしろ、やるとなれば誰よりも苛烈かれつを極めていた。


 淡々と、当然のように。


 例えば魔族や魔物と相対した時。ニニーヴは朗らかな笑顔を崩さないまま、聖具の銃口を向け、無造作に引き金を引くのだ。何のためらいもなく。


 言っちゃあなんだが、エムリスとはまた違った意味でいびつな人格をしていたと思う。


 そんなニニーヴが――【イライラしてきた】、と。確かにそう言ったのだ。苛立ちを隠さぬ口調で。


「――お前まで〝暴走〟してる、ってのか……!?」


 俺が愕然とする間も、二人の会話は続く。もはやニニーヴの一方的な語りかけではあったが。




『 ほんまいうと、アンタには前から言いたいことが山ほどあったんよ。調子くれんのもええ加減にしぃや。アホンダラ 』




 別人にしか聞こえないほど、ドスの利いた声だった。


 ぞっ、と背筋に悪寒が走る。


 刹那、俺は直感した。


 これから始まるのは、この世界において史上最悪にして最凶の喧嘩けんかだ――と。


 男の俺は、喧嘩なんてものは『やんのかコラァ!』『いくぞオラァ!』のように熱く勢いよく始まるものだとばかり思っていた。


 だが、女同士のそれはどうも違うらしい。


 アホンダラ、と罵声を浴びせたニニーヴの声は、熱いどころか氷点下までこごえており。


 対するエムリスも、〝怠惰〟の影響で言葉一つ発さずに終わるかと思ったのだが、意外なことに、




『 ――ふっ…… 』




 と小馬鹿にするような、嘲笑ちょうしょうの波動を返した。


 刹那、音もなく〝何か〟が罅割れるような気配がした。


 それが開戦の合図となった。


 くどいようだが俺みたいな男には、まったく理解のできない喧嘩の始まり方だった。


 心底、女は怖い生物だと知らしめられたようだった。


 冷たい罵声に、嘲弄の笑み。


 これらをもって、かつて魔王を討伐した英雄の二人――〝白聖の姫巫女〟と〝蒼闇の魔道士〟の激闘の幕が、切って落とされたのだった。







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