●30 神の見えざる手 1
結論から言おう。
当たり前だが、めちゃくちゃなことになった。
幸福は一人でやってくるが、不幸は友人を連れてやってくる――誰が言ったのか、どこで聞いたのかは覚えてないが、なんとも的を射た言葉である。
俺がイゾリテとともに『ビューボイジャーの森』近くで正規軍の到着を待っている間、聖竜アルファードの群れと飛行可能な魔族と魔物を引き連れた魔王エムリスが頭上を通り過ぎ、先の宣言通り、一足先に国境線の向こう側で戦端を開きやがった。
いくら遠く離れているとは言え、聖竜アルファードが群れを成して上空を通過すれば、嫌でもわかろうというもの。
地上に大きな影を走らせながら飛翔していった巨大な機械竜の数は、軽く見積もっても百を超えていた。
きっと俺とイゾリテが見上げた中のどれかに、エムリスが搭乗していたはずだ。確定はできなかったが。
というか、あの機械竜はそもそも人間が乗り込む前提のものではなかった気がするのだが――まぁそこはそれ、エムリスが改造なり何なりしたのだろう。おそらく魔術を駆使して強引に。あのマッドサイエンティストならぬ【マッドメイジ】のことだ。魔術と聖術の融合ぐらい、なんてことないに違いないのだ。
改めて、あいつが味方でよかったと思――いや、本当に味方かあいつ? 一周回って敵なんじゃね? 実は全ての黒幕ってオチはないよな? いくら何でも、そんな馬鹿げた展開だけは勘弁願いたいのだが。
ともかく、先日の魔界で相対した百万の軍勢には届かないまでも、数万からの飛行系の魔物と百機ほどの聖竜を従えたエムリスは、そのままセントミリドガルとヴァナルライガーの国境を越えた先のエリアで交戦に入った。
無論のこと、ヴァナルライガー軍は準備万端で待ち構えていた。
国境線を越えてすぐ、広く拓けた平野――『イーザローン平野』。
そこに、聖術士ボルガンを名乗る聖神ヘパイストスから譲り受けた聖具――『聖狼フェンリルガンズ』を自軍の至る所へ配備し、鉄壁の陣を展開。
地対空、そして地対地の双方を想定したらしく、なんと魔王エムリスの空からの強襲にさえ対応してのけたというのだから、驚きだ。
ヴァナルライガー擁する『聖狼フェンリルガンズ』は、名前の通り鋼鉄の巨狼である。
それも地獄の魔犬ケルベロスよろしく、三つの頭を持った機械の狼だ。
サイズ感はアルファードと比べてやや小さい。だが、そのぶん数が多い。一撃の威力が低いかわりに、手数の多さで圧倒する設計思想なのだろう。
聖竜アルファードが『空の王者』だとするなら、聖狼フェンリルガンズは『地上の覇者』とでも言おうか。
余談だが、俺が一時的に玉座に座っていたムスペラルバードが運用していた聖具『聖炎ムスペルテイン』は、フェンリルガンズよりさらに手数重視の設計だった。おそらくフェンリルガンズは、アルファードの火力と、ムスペルテインの連射力の間を取った兵器だと思われる。四本足による高い機動力も加味すれば、もしかすると各国に与えられた聖具の中で一番バランスがいい機種かもしれない。
斯くして、魔王エムリス軍とヴァナルライガー軍との戦いは互いが射程内に入った瞬間、情け容赦なく始まった。
とうに魔王の口から宣戦布告は成されている。故に魔王軍にいちいち戦闘開始の狼煙を上げる必要はなく。
また、攻撃が届く範囲に外敵が侵入してきたのだから、ヴァナルライガー軍に撃たない理由はなかった。
戦いはのっけから熾烈を極めた。
聖竜アルファードの戦闘性能は知っての通り。
自慢の疑似竜砲は烈光の剣となり、次々と大地へ突き立ち、ヴァナルライガー軍を切り裂く。
一方、聖狼フェンリルガンズも黙っていない。内蔵された駆動機関が唸りを上げ、三つの頭が揃って大口を開き、咆哮を上げる。
三つ首の喉奥から放射されるのは三種の砲撃。即ち、熱閃、電撃、金属弾。三方向へ同時に、大人の一人や二人など軽く飲み込んでしまう規模の砲火が斉射される。
熱閃と電撃については、内蔵された駆動機関が生み出したものであろう。金属弾についてはどうやら四本足の裏から足元の土を吸収し、機体内で圧縮することによって砲弾を生成しているらしい。フェンリルガンズもまた他の古代聖具と同じく、半永久的に戦闘を続行できる仕様になっているようだった。
言わずもがな、どれも破壊力は充分以上。空を貫いた熱閃は飛行型魔物の肉体を焼き、電撃はアルファードの装甲を焦がし、金属弾はその両方を打ち砕く。
苛烈な撃ち合いの始まりだった。
皮肉なことにアルファードもフェンリルガンズも基本的には無人の自動兵器。入力された指令に応じて無慈悲に稼働する。
ゆえに容赦なし。
一切の躊躇なく死の嵐を巻き起こし、戦場を席巻していく。
このように巨大聖具同士の一斉砲撃によって幕開けした戦いは、そのまま混戦へと雪崩れ込んでいった。
さもありなん。ヴァナルライガー軍はともかく、魔王軍にまともな統制などおよそ期待できない。率いているのは【あのエムリス】なのだ。あいつはどこまで行っても〝蒼闇の魔道士〟であり、軍師でも将軍でも決してない。
単純なコマンドを入力された聖竜アルファードの群は、ある意味では統率のとれた行動――ただ疑似竜砲を連射する――を取っていたが、配下の魔物はその反対。獣の本性を剥き出しにして、何の作戦もなく真っ直ぐヴァナルライガー軍へと襲いかかっていく。
対するヴァナルライガー軍――おそらくは王国軍と聖神教会擁する聖堂騎士団の混合編成――は一糸乱れぬ統率を見せた。
聖神教会のお膝元である兵士らが手にするのは当然、純正の聖具。〝白聖の姫巫女〟にして〝聖女〟たるニニーヴが駆使する超級聖具――例えば俺が譲り受けた電磁加速砲のような――には遠く及ばないが、それでも対人および対魔物には充分すぎる威力を持つ兵器の数々が一斉に火を噴き、上空から迫り来る魔物の群を迎え撃つ。
整然と揃った高火力の弾幕は、考えなしに突っ込んできた魔物の群を一網打尽にした。
しかし、そこへ割り込んだのが魔王軍の後方に控えていた魔族である。
魔族および上級魔族は空が飛べて当たり前。そのため、全ての魔族が今回のエムリスの強行軍についてきていた。
魔族は魔の力を有する人間――即ち『魔人』である。中でも強者は〝魔光〟と呼ばれる可視化された魔力を纏う。
ヴァナルライガーの空に色取り取りの魔光が灯り、強烈に煌めいた。それはさながら、蒼穹に打ち上げられた花火のごとく。
魔人たる奴らは、当然ながら魔力を用いて戦う。だが、魔術は使わない。そんな術式などなくとも、同等の現象を自力で起こすことが可能だからだ。魔族は存在そのものが魔術のようなものであり、そこに余計な手間など必要ないのである。
転瞬、膨大な魔力が凝縮され、数多の光の槍と化した。そして、絶望の雨となってヴァナルライガー軍へと降りかかった。
魔族は元より配下の魔物を味方だと思っていない。使い捨ての道具だと認識している。いくらでも再生産可能なゴミだと考えている。故に、攻撃の巻き添えにすることに躊躇などない。
よって、ヴァナルライガー軍の弾幕によって空中で足止めを喰らっていた飛行系の魔物らは、背後からも味方の奇襲を受け、無惨にも殲滅されていた。
こういった魔族特有の行動は、しかし人間の集団であるヴァナルライガー軍にとっては想定外だった。さもありなん、そもそも人界に魔族と戦った経験のある者など皆無だ。魔族の習性など知る由もない。そして味方を後ろから撃つなど、人間の発想ではまずない。
だからこその大打撃であった。
予想だにしなかった急襲を受け、完璧に近い統制を誇っていたヴァナルライガー軍に綻びが生じる――
かと思えたが、予想に反してヴァナルライガー軍の練度は高かった。機動力の高いフェンリルガンズがすかさず陣形に空いた穴を埋め、瓦解を防ぐ。
無論、だからといって形成が逆転することはなく、絶妙な膠着状態が続くだけなのだが。
聖竜アルファードも聖狼フェンリルガンズも、双方が先の聖霊ミドガルズオルムとの戦いにおいてその数を大いに減らしている。アルファードについては正しくはアルファドラグーン軍のものではなく、エムリスが新たに発見、覚醒させたものなのだが。
ともあれ強大な戦闘力を持つはずの古代聖具は、しかし戦局を左右する決定打とはなり得なかった。
それ故、魔王エムリス軍とヴァナルライガー軍の激突は、このまま拮抗状態に陥るように見えた。
――のだが。
すわ千日手が成立するかと思った刹那、戦場に新たな軍勢が現れる。
驚くべきことにこの時、一髪千鈞を引く空間に闖入してきた勢力は、なんと一つだけではなかった。
後でわかったことだが、まずヴァナルライガー軍の後背から現れた軍勢は、まさかの〝冒険者〟の集団。どうやらヴァナルライガー王家と聖神教会の両方が金を出して雇ったようで、いざという時の切り札として温存されていたらしい。
さらに戦場の北東に出現したのは、ニルヴァンアイゼン軍。聖駒ヴァニルヨーツン――機械仕掛けの兵士を駆っての、まさかの乱入である。予定ではあちらにはシュラトが攻め入ってそんな余裕などないはずだったのだが、エムリスが開戦時期を早めてしまったので、予想とは違う動きに出たのだ。
かてて加えて南方から強襲してきたのは、既にミドガルズオルムによって壊滅させられたはずの中小勢力――独立部族として名高い『アマダ族』や、各国の孤立組織が集った『新世界連盟』など――の【残党】が寄り集まった、いわば多国籍軍がごとき軍勢だった。もはや志も目的もなく、戦いだけを求める愚連隊、ないしは山賊にも似た集団。こういった輩は無駄に『機を見るに敏』で、ここが人界大戦の正念場と見て飛び出してきたのだろう。
こうして、魔王エムリス軍とヴァナルライガー軍との激突から始まった激戦は、さらに三つの勢力が参入することによって混沌の坩堝と化した。
そう、最初に言った通りである。めちゃくちゃなことになった――と。
三つ巴どころではない。五つ巴――冒険者部隊はヴァナルライガー軍に属するため、正確には四つ巴とも言えるが――の混戦となった状況は、ひっくり返った亀が元に戻れないような様相で、今もなお続いている。
もはやどの勢力にも死闘の勢いを止めること能わず、流れに身を任せるしかなく、行く末は誰にも見通せない。
言っちゃあ何だが、俺と仲間達が魔界の央都に攻め込んだ時よりもなお、カオスな状況であった。
正直、戦況の推移を理術による遠見で観測していたのを少し後悔したぐらいである。
俺とイゾリテは未だセントミリドガルの正規軍が到着せず出遅れてしまったわけだが、ある意味では幸運だったかもしれない。
あんな訳のわからない無茶苦茶な戦場に、当事者として関わらずに済んだのだから。
むしろ漁夫の利を狙える状況になったので、静観は得策だったまである。
そんなわけで、やたら落ち着いた冷静な頭で趨勢を眺めていて思ったのだが、おそらくここが『人界大戦』と呼ばれる今回の騒動の〝天王山〟――即ち〝天下の分け目〟になるのだろう。
ここでの決着が、なべて後の世の流れを決定づける――そんな予感が猛烈にした。
「――アルサル様、そろそろ我が国の部隊が到着いたします。如何なさいますか?」
ふと、俺と一緒に遠見の理術で国境線向こうの戦いを観察していたイゾリテが、セントミリドガル軍の状況について報告をくれた。
ちなみに、あくまで理術を使って観戦しているだけなので、俺達自身はいまだテントの近くでローチェアに座ったままだ。焚き火も暢気に燃えている。
「如何なさいますと言われてもな……」
見ての通り、とうに機は逸した。今から突っ込んでいっても、あの何がどうなるかわからない混沌に巻き込まれて、無駄に振り回されてしまうのがオチだ。
そもそもの話、こちらに来たセントミリドガル軍の奴らに戦わせる気は元よりなく、戦力としてはまったく当てにしていない。なので、あの戦場に介入するとしたら俺一人なわけで。
「……今はとりあえず、あそこに首を突っ込みたくはないな、流石に」
一周回って苦笑してしまう。何事も度が過ぎると笑いがこみ上げてくるものだ。内心の浮き沈みに限らず。
「はい」
イゾリテの返事も素直なものだった。それはそうですよね、という感じである。戦争に関してはほぼ素人同然のイゾリテだが、それでも即座に納得できるほど時機が悪いのだ。
「ったく、エムリスの奴……」
まったくもってスタンドプレーが過ぎる。しかも、やり方がハチャメチャだ。いや、あいつが破天荒なのは今更なのだが、昔と比べてもさらに輪をかけて酷くなっている気がする。
もしや〝怠惰〟か〝残虐〟か、どちらか八悪の因子の暴走か? しかし、〝怠惰〟が原因なら何もしなくなるはずで、〝残虐〟が活性化しているならもっと非道な手段に出てもいいはず。
ということは、やっぱり素でやってるのか、アレ?
「はぁ……」
溜息を禁じ得ない。
『ボクが無茶苦茶をやる役、君はその後始末をする役だ。よろしく頼むよ!』
先程のエムリスの言葉がリフレインする。有言実行なのはいいことかもしれないが、それも程度によるってものだ。こんな馬鹿げたことを即座に実行する馬鹿がいるか。いや、いるからこんなに頭が痛いのだが。
というか『無茶苦茶をやる』と言って本当に無茶苦茶をするな。マジで他人の迷惑を考えろ。あのエセ魔王め。
「ひとまず合流した部隊には待機を命じます。ただし、いつでもアルサル様の命令で動けるように」
まるで俺専属の秘書のようなことを宣うイゾリテだが、勘違いしてはいけない。こう見えて今ではセントミリドガルの王妹なのだ。一般的な視点から見れば、社会的には俺より遙か上の存在である。
「いや、待機させてそのままでいい。どうせあっちに介入する時は俺一人だけだからな。元々お飾りとして呼んだんだ。のんびりさせておいてくれ」
「ですが――」
「悪いが、足手まといだ。味方を守りながら戦うのは面倒な上、非効率的だろ? 頼むからここで大人しくさせておいてくれ。その方が俺も全力が出せるし、何より気が楽だ」
俺に部隊を率いらせる気満々のイゾリテに、先んじて釘を刺しておく。少しばかり言い方はキツいかもしれないが、どうしようもない事実だ。魔王討伐の時もそうだったが、弱い味方は邪魔にしかならない。
イゾリテはいつもの無表情のまま、しかし全身から放たれるオーラは不機嫌の色にして、
「……かしこまりました。アルサル様の御心のままに」
恭しく承っているが、先述の通り不服な雰囲気がまったく隠せてない。なので、
「……あのなぁ、そんなに心配か? 俺の実力はもうわかってるだろ? あの程度の戦いでどうにかなる奴だと思うか、俺が?」
敢えて態度を崩して、腹を割って話そうぜ、と問うと、イゾリテは静かに首を横に振った。
「私が懸念しているのは、現在あの場で戦っている勢力に関してではありません」
ごく自然に、あの程度の戦力など眼中にありません、と告げるイゾリテ。元来から女子にしてはなかなか胆力のある方だとは思っていたが、ここ最近すっかり豪胆な性格になってしまった。
「聖具もヴァナルライガー軍も聖堂騎士団も、ましてや魔族も魔物もアルサル様の相手ではありません。アルサル様にかかれば塵芥も同然です。論外です」
言い過ぎだろう、と思わなくもないが文句をつけるのも違う気がするので、俺は沈黙を選択する。
「ですが」
ずい、とイゾリテがこちらに顔を近付けた。さっきの今なので、俺は思わず軽く腰を引いてしまいそうになる。咄嗟に我慢したが。
「あの場には他ならない師匠がおられます。例え戦いに顔を出さずとも、聖竜アルファードに搭乗しているだけであっても、そこにおられるのは確かな事実です。可能性は非常に低いでしょうが、急に気が変わって戦闘に介入することになれば、アルサル様とまかり間違うこともあり得ます」
要するに、俺とエムリスが戦場で激突することもあるのではないか、と憂慮しているらしい。
「さらに言えば、あちらはヴァナルライガーの領内です。アルサル様ないしエムリス様がおられると知れば、ともすれば〝白聖の姫巫女〟ニニーヴ様が投入される可能性もあります。わざわざあの聖堂騎士団が出てきているのですから、そこは除外できないはずです」
「……なるほど」
俺は小さく唸る。つまるところ、かつての英雄同士の衝突はあってはならない――と、そういうことのようだ。
「確かにそういう話なら心配するな、とは言えないが……」
実際、俺とエムリス、そしてシュラトが戦った際は魔界の央都があっさり壊滅した。それも完膚なきまでに。現場を見ていないとはいえ、話に聞いているイゾリテからすれば不安に思うのも無理からぬことであろう。しかし。
「考えすぎじゃないか? エムリスもニニーヴも基本的には俺達の味方だぞ」
と俺は思うのだが、
「わかりません。ですがシュラト様という前例があります。可能性がゼロでないのであれば、考慮に入れるのは当然です」
「だからと言ってなぁ……いや、というかな。もしそうなった場合、それこそ人間の部下が何人いても意味なんかないだろ、普通に考えて」
俺やエムリス、ニニーヴが争うことになったのなら――イゾリテの言葉を肯定するわけではないが――周囲にいる人間はそれこそ塵芥と化すのみだ。
「役には立たないでしょうが、肉の壁ぐらいにはなります」
「おいおい……」
しれっと空恐ろしいことを言い放った元教え子に、俺はたまらず掌を振って突っ込みを入れてしまった。
「可愛い顔して怖いこと言うなよ。お前は女の子なんだから、もう少しお淑やかにしとけ」
顔が近かったので、そのまま手を伸ばしてイゾリテの頭を撫でる。どうどう、と馬をなだめるかのごとく。
「……はい。申し訳ありません」
女の子らしくしろ、なんてのはやや押しつけがましいかと思ったが、イゾリテは意外と素直に頷いてくれた。
とはいえ、イゾリテの言い分も決して間違いではない。人によっては『指揮官の価値は、どれだけ効率的に味方を殺すかで決まる』などと嘯くぐらいだ。
ゲーム的に言えば、性能の低いユニットで壁を作って敵の攻勢を食い止め、その間に攻撃能力の高いユニットで敵陣を殲滅する――なんてのが賢い戦争のやり方の一つではある。
ただ、その思想が配下の者達に伝わると途端に具合が悪くなる、というのは言うまでもない。当たり前だ。立場を逆転してみればわかるだろうが、自分達の命を消耗品扱いされて喜ぶ兵などいないのだ。たとえ立場上、自分で自分のことをそう割り切っていようが、他人――ましてや生殺与奪の権を握っている相手から言われた日には、命令を聞く気など雲散霧消してしまう。
というわけで、元戦技指南役としてはそういった効率的かつ非道な思考を推奨するわけにはいかない。たとえ、実際にやることが同じだったとしても。
目は臆病、手は鬼という言葉がある。実際の意味とは異なるが、指揮官はその方がいい。目と頭はどれだけ怯えていようが、実際に指示する内容は鬼のように残酷なぐらいでちょうどいいのだ。どうあがいても他人の命を左右することに違いはないのだから。どうせなら悪魔のような残虐な思考ではなく、人情に篤い人柄から『死ね』と命じる方がまだしもマシというものである。どちらにせよ死ぬことは確定しているわけだが、そこは気持ちの問題なのだ。
「――ま、せっかくの忠告だ。エムリスとニニーヴが敵に回る可能性ってのも考えてはおく。十中八九、ないとは思うけどな」
というか、もしそうなった場合、ひとまず聖神ヘパイストスがどうこうどころではない。最悪、ニルヴァンアイゼンに行っているシュラトを呼び出して力を借りなければならない羽目になる。そして――そこからはきっと想像を絶するほどえらいことになる。正直、考えたくないぐらいに。
「よろしくお願いします」
恬淡と応答したイゾリテだったが、結果的に、この少女の懸念は正しかったと言う他ない。
一体どこの誰が予想できただろうか。
かつて魔王を討伐した四人のうち、二人の女傑。
あの〝蒼闇の魔道士〟エムリスと。
あの〝白聖の姫巫女〟ニニーヴが。
正面切って大喧嘩することになろうとは。
俺は声を大にして言いたい。
こんなの神様ですら予想できないだろ――と。




