●28 有為転変(ういてんぺん) 2
余談ではあるが、オグカーバとジオコーザ親子、そしてヴァルトル元将軍について、もう少し語っておこうと思う。
あまり興味はないかもしれないが、よかったら聞いて欲しい。
敢えて自分から状況に流されたオグカーバはともかく、ジオコーザとヴァルトルは聖神のピアスによって精神を錯乱させられていた。
事態が一段落した時点でヴァルトルのピアスも、ジオコーザのそれと同様に処理し、晴れて二人は洗脳状態から脱したわけだが――
さて、ここで問題。
二人はピアスに操られていた状態のことを覚えているか否か?
答えは――残念なことに、ばっちり記憶は残っていた。
「…………」
ひとまず城の地下牢にぶち込まれた元国王と、元王太子と、元将軍。
その内、おそらく王家の歴史上、最大の汚点となってしまったであろう人物が俺の前にいる。
ここは面会室。小さな机が一つに、椅子が二脚。俺とそいつは向かい合って座っていた。
「……………………あ、あの……」
先日までの苛烈な勢いはどこへやら。これまでの人生で一度も着たことがなかったであろう質素な囚人服に身を包んだジオコーザは、いたたまれなさを誤魔化すように小さく身動ぎした。
顔はずっと俯かせたままで、一度たりとも俺と目を合わせようとしない。
「……………………申し訳、ありません……でした……」
絞り出すように、それだけを言った。まるで蚊の鳴くような声で。
「…………」
俺は無言。というより、かける言葉もない。
面会室に連れて来られたジオコーザは、俺の顔を見るなり踵を返して牢へ帰ろうとした。だが、かつては家来だった兵士に半ば強引に引っ張られ、俺の前に座らせられ――現在に至る。
肩をすぼめ、限界まで身を縮こめて、ジオコーザは小さくなっていた。気配を消すどころか、自分自身そのものをこの世から消したがっているかのごとく。
後悔。
その二文字を、態度が如実に表していた。
「――その様子だと、暴れていた時の記憶はしっかり残っているようだな」
「……………………はい……」
俺の問いに、死体になる一歩手前のような声で肯定があった。
どうやら自らの置かれた状況を完全に理解しているらしい。
となれば、余計な遠慮は無用だ。
「なら話は早い。耳についていたピアスの影響だと思うが、ジオコーザ、お前は歴史上最大級の愚行をやらかしちまったな」
「――――」
ジオコーザは無反応。俺の声を無視しているわけではなく、返す言葉もない、を地で行っているのだ。
「犠牲者の数はわかるか」
ジオコーザは俯いたまま、フルフルと首を横に振った。
「だよな。数えきれないよな」
五大国筆頭のセントミリドガルが、全方位に喧嘩を売ったのだ。途中から超弩級の聖具〝ミドガルズオルム〟を使っていたとはいえ、戦いによる死傷者はざっと軽く見積もっても一万は下るまい。
ましてや、五大貴族の軍、そして敵国の兵士まで含めると、数は天井知らずに跳ね上がる。
「全部、お前のしでかしたことで生まれた犠牲だ」
「……はい……」
容赦なく言の葉を打ち込む俺だったが、この返事には軽く意表を突かれた。
驚いた。こいつ、言い訳をしない。素直に自分の責任だと認めやがった。
「――言わなくてもいいのか? それは自分のせいじゃなくて、ボルガンとかいうやつにつけられたピアスのせいだったんだ、って」
なので思わず、俺の方から水を向けてしまった。
すると。
「……いいえ」
意外なことに、ジオコーザはまたしても首を横に振り、はっきりと否定した。
「……あれは……確かに……私の、本心、でした……から……」
掠れ声で囁いたジオコーザの肩が、小刻みに震え始める。
堤防があともう少しで決壊する――そんな気配を感じた。
「そう……本心、だったのです……っ! どうしようもなくっ……!」
涙で崩れた声。ジオコーザは膝に乗せた手で拳を握り、嘔吐するように告白した。
「わたしは……っ……教官、あなたのことが羨ましく……そして、疎ましかった……! 尊敬もしていましたが……それ以上に、あなたへの悪感情がより強かった……! その自覚が、私にはありました……いえ、今でもあります……!」
ベソベソと泣きながら、何度も鼻をすすり、横隔膜を痙攣させ、溺れる者にも似た荒い呼吸を繰り返しながら、
「ですから、私は、操られたのでは、ありませんっ……! 歯止めが、きかなかっただけなのです……! 心の奥底から、どうしようもないほどに憎しみが、妬みが、溢れ出てきて……っ! その気持ちがっ、何故か正しいことのように思えて……止まらず……止められず……っ……!」
深く俯いているせいで顔は見えないが、それでも滂沱の涙を流しているがわかる。
なるほど、と俺は理解した。
あのピアスはつまり、【自制心を抑制する】――そういった効果のあるものだったらしい。
そう考えれば、ある程度の辻褄が合う。ジオコーザ然り、ヴァルトル然り、アルファドラグーンのモルガナ王妃然り。
心の奥底に隠していたどす黒い気持ちを、自制心という箍を外すことによって解放させ、本来ならするはずもなかった行動を取らせる――
そういったアイテムだったのだろう。
これの恐ろしく、そして狡猾なところは、ピアスそのものが装着者に何かしらの命令を出しているわけではない、という点にある。
装着者は自制心が欠如しているだけで、あくまでも己の心に従って行動している。だから、記憶も実感も残る。ある意味、そのあたりは酒に酔うなどよりも克明だったろう。理性の箍こそ外れているが、だからと言って狂気に呑まれているわけでもないのだから。
動機も行動力も、全て装着者の内にあったもの。ピアスはあくまで背中を押しただけ。
つまり――これをジオコーザ達に渡した野郎は、そうやっていくらでも逃げ口上を垂れることができるのだ。
くそったれめ。
「……だが、それがあのピアスの影響だったんじゃないか? お前の状態は誰がどう見ても尋常じゃなかったぞ」
実際、側近らの話を聞くに、見た目からして色々とヤバかったと聞く。ヴァルトルのおっさんと揃って。
「だとしても――!」
ジオコーザは声を強め、今度は全身で俺の慰めを拒絶した。
「私が、殺したのです……! 私が、私自身の意志で、私の声で……!」
「…………」
もはや返す言葉もない。
ジオコーザの言い分はどこも間違ってはいない。
こいつ自身はその手を汚したわけではないが、ジオコーザの命令で何人もの廷臣が殺されている。また、五大貴族の一角であるアンブロジオ公爵が暗殺されたのも、ジオコーザの差し金だったことが判明している。
もっとも、暗殺に関しては、
「ボルガンが……あの男が私に耳打ちしたのです……裏で手を回して殺してしまえばいい、と……そうすれば他の貴族も怯えて、手を引くだろう、と……」
ということらしいが。しかし、そんなバカげた勧奨に耳を貸してしまったのもまた、ピアスによって自制心が欠けていたジオコーザ自身である。
というか、本当にろくでもないことしかしてやがらねぇな、ボルガンとか名乗っていた聖神。神を名乗っているくせに、やり口がどうにも人間臭い。どこにでもいるんだな、この手のタイプのやつは。
「残念なことに……アンブロジオ公爵にだけ、その隙がありました……ですから、私はヴァルトル将軍に命じ、公爵の暗殺を……」
そのことに関してはイゾリテの調査によって詳しいことが判明している。
アンブロジオ公爵は内乱をおっぱじめたというのに、そうなる以前から予定されていた自領地での社交界を、周囲の制止の声も聞かずに強行したらしい。言うまでもないが、普通に考えれば危険なので中止して当然のところだ。それが常識だ。
まぁ公爵としても内乱にあたって色々と政治的な根回しをする必要があったのだろうが――ジオコーザの言う通り、隙としてはあまりにでかすぎた。居場所と日時がわかっているなら、その気になれば暗殺することは不可能ではない。
ちなみに、社交界が開かれる屋敷にヴァルトル将軍秘蔵の特殊部隊が向かい、攻撃理術によって爆殺されたらしい。
こう言っては何だが、戦争の最中にバカでかい隙を見せたアンブロジオ公爵も悪い。
とはいえ公爵はあくまで貴族で、軍人ではなかった。そういった定石を知らなかったのも無理はない。彼の感覚では、よもや王族側が手段を選ばず自分を殺しに来るなどとは、夢にも思わなかったのだろう。
そういった意味では、ボルガンの助言は的を射ていたのかもしれない。
しかしながら、知っての通り公爵の暗殺は悪手だった。
当たり前だ。内乱が勃発する前ならともかく、既に戦端は開かれた後。誰だって振り上げた拳を下すなど容易ではない。
ましてや国内における地位や権力を剥奪され、〝賊〟と貶められ、同胞が卑劣な手で殺されたのだ。
貴族は怒り狂うに決まっているではないか。
実際、貴族は手を引くどころか、むしろ劇的に戦意を向上させたという。この邪知暴虐なる非道を許してなるものか、と。
その結果、内乱は激化し、犠牲者も格段に増えた。
「……すべて……すべて、私の責任です……私が愚かで、矮小で、卑劣な人間だったが故に……!」
どうやら俺はジオコーザという人間を見誤っていたらしい。
俺と目を合わせないのは、面会から逃げようとしたのは、単純に気まずいからだと思っていた。
が、違う。
こいつは恥じているのだ。己の愚行を。自分の未熟さから犯してしまった罪を。
反省している。ひどく今更の話ではあるが。
「……教官……いえ、アルサルさん……」
おっと、不思議とこいつから『アルサルさん』と呼ばれると妙に新鮮な気分になるな。ピアスの影響でおかしくなるまでは、いつもそう呼ばれていたというのに。変貌後の『アルサル!』呼びが、よほど俺にとって衝撃的だったのかもしれない。
「全ては、私の咎です……」
ジオコーザが、顔を上げた。
涙に塗れた顔。鼻水だって垂れ流しだ。誰がどう見たって不格好な相貌。
だが、そのまなじりは決され、視線は真摯に、表情は決然としていた。
ジオコーザは前のめりになり、
「どうか、どうか……! 此度の件、私の命だけで許してもらえないでしょうか……!」
必死。その一言で表せる様子で、訴えた。
「父もヴァルトル将軍も悪くありません! 全部、私が命令したのです!」
気持ちはわかる、とは言いたい。だがいくらなんでも、子供であるジオコーザが主犯で、大人であるオグカーバとヴァルトルが従犯ということには、流石になるまい。
実際はどうあれ、客観的には。
「父は私を大事に思うあまり、何もできなかっただけなのです! ボルガンからはピアスを外そうとしたり、事実を公表した場合には私の命を奪うと脅迫されていました! 将軍は私と同様にピアスをつけられていましたが……その横暴を制限せず、むしろ後押ししたのは私なのです!」
やっぱりか、という感想しかない。案の定、ピアスは脅迫の道具でもあったのだ。アルファドラグーンのドレイク国王が頑なに口をつぐんでいたのも納得できる。
「…………」
俺は沈黙を返すしかない。繰り返し言うが、ジオコーザの気持ちはわかる。言いたいことは、おそらく過たず理解できているつもりだ。
「ですから、足りないかもしれませんが、贖罪はどうか私の命一つで……! 父と将軍の命だけはお助けください! 私はどうなっても構いません! たとえ国民の前に裸で投げ出され、なぶり殺されようとも……!」
大層立派な心掛けである。思いがけず、俺は感動すらしていた。ひ弱なもやしっ子だったジオコーザが、このような自己犠牲精神に目覚めるとは。
もしかしなくとも、極限まで追い詰められたことで王族の血が覚醒した、とかだろうか? だとしたら大したものだが。
しかし。
「――その理屈は通じねぇだろ、どう考えても」
俺は決死の嘆願を一蹴した。というか、せざるを得なかった。
はぁ、と吐息を一つ。
「常識的に無理だろ。それで誰が納得するんだよ。そもそも、お前一人の命で贖えきれるものか? お前が残酷な死に方をすれば、これまで犠牲になった奴らが全員生き返るとでも?」
「そ……それ、は……」
我ながら陳腐な返し方だが、それだけに効果は大きかった。効果的な手法は、だからこそ繰り返され、結果として陳腐と成り果てるものなのである。
トントン、と俺は人差し指でテーブルを小突いた。
「あのな? ピアスの影響下とはいえ、お前はとんでもないことをやらかしちまった。お前の親父は、それを止めるどころか黙認した。ある意味、実行犯のお前よりも罪は重い。親としての責任をこれっぽっちもまっとうしなかったんだからな」
というか、俺を追放する時なんか普通に片棒を担いでいやがったしな。今ならあの態度も、迫真の演技だったとわかっちゃいるが。
「かてて加えて、お前の親父は国王だった。国で一番えらい王様だった。そいつが何もしなかったんだぞ。息子に好き放題させて、あちこちと戦争して、国民に犠牲を強いたんだ。許されると思うか? 普通に考えて」
高い地位には相応の責任が伴う。詰まる所、親としても王としても、オグカーバは許されざる罪を犯したのだ。
「さらに言えば、ヴァルトルもお前と同じピアスをしていたんだ。全部がお前の責任だって主張するなら、あいつだって条件は同じのはずだろ。むしろ、お前より年食ってるくせにピアスの力に抵抗できなかったんだぞ。大人として情けないって話にならないか?」
実際にピアスをつけていない俺には、精神に与えられる影響がどんなものかはよくわからないのだが、まぁなかなかに無理やりな論法だと自覚している。
ピアスでこそなかったが、ボルガンにはあのシュラトでさえ頭をおかしくされたのだ。きっと、いや、間違いなく常人に抗えるようなものではあるまい。
「……では、私は一体どうすれば……」
再び項垂れたジオコーザが、悔しげに呟く。そして、肩を震わせ泣き始めた。
「こ、これでは、私のせいで父上や、将軍が……私の、私の愚かさのせいで……!」
泣きじゃくるジオコーザの様子を、俺はつぶさに観察する。
なんともはや、くさい芝居のようにも見えるが、どうやら本気らしい。心の底から己の愚行を悔い、その巻き添えとなった――とジオコーザは思っている――オグカーバとヴァルトルを思いやって、胸を痛めているようだ。
返す返すも、俺を処刑しようとしていた時とは完全に別人である。
それも仕方のない話だ。聖神のピアスはおそらく、自制心を凍結させるのと同時に、装着者が持つ欲望を増幅している。本来なら心の奥底に沈めて、ひた隠している感情――恨み、妬み、嫉み、僻み……およそ『悪』と分類される気持ちを、強制的に掘り起こし顕在化させるのだ。
ジオコーザの場合、それは俺への嫉妬だった。生来、線の細い自分自身への劣等感もあったのだろう。それが俺を処刑ないし追放という方法で排除しようとした、根本だと思われる。
ヴァルトルのおっさんも似たようなものだろう。前にも言ったが、俺の立場は微妙なものだった。ヴァルトルに限らず、軍上層部には俺の存在を面白く思っていない奴原なんていくらでもいたはずだ。その悪感情が増幅され、また軍人として持つ闘争本能にも発破がかけられ、あのように暴走してしまったのだろう。
ついでにアルファドラグーンのモルガナ王妃は、多分だが『若さへの嫉妬』というのがキーだと思われる。いくつになっても少女の姿のままでいるエムリスが憎くてしょうがなかったのだろう。それがピアスの力によって増大し、あのような行動を取らせた――そう考えれば得心がいく。いや、確かにどう考えても逆恨みでしかないのだが。
ともあれ、そういったわけでジオコーザ達もまた被害者でしかない、と俺は考えている。
もちろん、こいつらのやったことには腹が立つし、許せないし、別に操られていたわけではなくて本心が発露しただけってのも絶妙に許しがたいところではあるのだが――
それでも、あのピアスさえなければ、醜い本音はずっと隠され続け、日の目を見ることはなかったはずなのだ。
故に、誰が一番悪いのかと言えば、
「――ボルガン、だよな。やっぱり」
「……え?」
俺の呟きに、ジオコーザが面を上げる。先日までの子憎たらしい顔つきはどこへやら、まるで憑き物が落ちたようなスッキリとした表情。
可愛さ余って憎さ百倍というが、その逆もまた然りかもしれない。
「だから、ボルガンだろ。今回の件で一番悪いのは。どう考えても」
「…………」
何故か、その発想はなかった、という顔で固まるジオコーザ。どうした? もしかしなくても、そのあたりも精神操作を受けていたのか? 全ての責任はボルガンにはない――と考えるように仕向ける何かが、ピアスに仕込まれていたとか?
ふぅ、と溜息を吐き、
「お前やヴァルトルのおっさんにピアスをつけて暴走させた上、聖具なんてクソ面倒なものまで配って歩きやがった。誰がどう見ても、一から十まで最悪のクソムーブだ。というか、あのピアスは他にも配っている可能性あるよな。ガルウィン達に行って捜索させとくか。でもって、アイツ今は姿をくらませてるんだよな? やり口が完全に悪党のそれじゃねぇか。クソ野郎にも程があるぞ」
「……………………言われてみれば、確かに……」
俺が愚痴交じりにボルガンの悪いところを並べ立てたところ、ジオコーザは唖然とした表情で頷いた。
「……そうだ……そうです、その通りです……! な、何故、私はそんな簡単なことにも気付かず……!?」
両手を上げ、頭を抱えるジオコーザ。自分で自分が信じられない、といった様子だ。どうやら、先程の推察は的中していたらしい。例のピアスには記憶や認識を操作する機能まで搭載されていたようだ。
まったく、どこまでも下種だな、ボルガン。いや、聖神ヘパイストス。
お前に吠え面をかかせてやる時が楽しみになってきたじゃないか。
「――というわけで、一番悪いのは余計なことをしくさったボルガンの野郎だ。アイツが諸悪の根源、全ての元凶ってやつだな」
既に面会を済ませたオグカーバからの情報によると、そのボルガンは、俺や仲間達こそが『災いの元凶』とか抜かしていたらしいけどな。
「正直なところ、俺的にはお前らの罪は軽い方だと考えている。と言っても、あくまで〝比較的〟であって、無罪からは程遠いけどな。特にオグカーバ、お前の親父についてはピアスもなくて正気だったわけだし。まぁ、あのジイサンが本気でお前とヴァルトルのおっさんを止めようとして、実際に止められたかどうかは怪しいもんだが……」
とはいえ、オグカーバに対して非を鳴らすのなら、それはアルファドラグーンのドレイク国王にも向けられるべき、という考え方もある。どちらも大切な家族を人質に取られている状況だったのだ。やむを得ない事態だったのは論を待たない。
「ア、アルサルさん……!」
少しだが、ジオコーザの表情が明るくなる。俺の言葉から希望を見いだしたのだろう。しかし。
「――とはいえだ、何もせずに無罪放免ってわけにもいかねぇってのは、わかるよな?」
「……はい……」
釘を刺すと、案の定ジオコーザの声のトーンが落ちた。
ジオコーザとオグカーバ、そしてヴァルトルは俺から見れば被害者ではあるが、先述の通りセントミリドガルの国民はそう思っていない。たとえ説明したところでまず信じてはくれないだろう。人界全土を巻き込んだ今回の事件、元凶が西の果てにいるはずの聖神の仕業だと言って、はいそうですか、と納得してくれる一般人などまずいまい。
「仮にも五大国筆頭のセントミリドガルが、よりにもよって〝聖術士〟を名乗る人間を懐へ招き入れ、みっともなくも翻弄された……なんて醜聞は表に出せない。だから、お前らがある意味では被害者だって話も、国民には知らせられない。わかるよな?」
これだけゴタゴタした国だが、それでも沽券ってものがある。国民達に真実を話してわざわざ恥をかく必要もない。
こくり、とジオコーザは黙って首肯した。
まぁ、こいつもそれがわかっていたからこそ、自分一人の命で何とかしてくれ、なんて言い出したのだろうが。
「……実を言うとな、お前だけじゃないんだよ、さっきの申し出」
「……え?」
何の話だ? と小首を傾げるジオコーザに、俺は溜息まじりで、
「さっき面会したお前の親父と、ヴァルトルのおっさん。どっちもお前と同じように、自分はどうなってもいいから他は許してやってくれ――ってな。そっくりそのまま、お前と同じことを抜かしてたんだよ」
そう、本日、俺が面会するのはジオコーザで三人目だった。
最初にオグカーバ元国王、次にヴァルトル元将軍と面会し、最後にジオコーザ。この順番で話を聞いたのだが、冗談抜きで三人共が同じことを嘆願してきたのである。まるで申し合わせたかのように。
「父上と、将軍が……?」
にわかには信じられないのか、ジオコーザが両目を瞬かせた。こいつもまだまだ子供だ。悲壮な決意を固めたのは自分一人だけだと思い込んでいたのだろう。
実際には、関係者全員が腹を括っていた。ピアスで精神操作を受けていた二人はもちろんのこと、そうでなかったオグカーバでさえ。
「ま、なんにせよ、覆水盆に返らず、ってな。お前達が引き起こした戦争での犠牲者は当然多いが、他にも取り返しのつかないことはいくらでもあるだろ? 例えば、お前とヴァルトルのおっさんが【粛清】した奴らとかな」
「あ……」
ジオコーザの顔が盛大に曇った。
暴走したジオコーザとヴァルトルが手を取り合い、城内の不穏分子を処刑して回ったことは紛れもない事実だ。オグカーバがそれを見て見ぬ振りをしたことも。
実際、ムスペラルバードに潜入して俺に帰還の打診をしてきたコバッツ・リヒター少佐も、家族や親類を人質にとられていた。それ故、命を捨てて俺に襲いかかってきたこともある。
ピアスによって自我が肥大化したジオコーザとヴァルトルは、よんどころない事情があったとはいえ、決して許されない悪行を重ねてしまっていた。
どんな理由があろうとも、無罪放免ということには絶対にならない。
「――ま、全員ちゃんと反省しているってことはよくわかった。と言っても、沙汰を下すのは俺じゃないけどな」
俺は椅子から立ち上がり、部屋の隅に待機していた兵に面会終了の合図を送る。
「で、では、私達の処遇を決めるのは……?」
椅子に座したままのジオコーザが、上目遣いに不安そうな瞳を向けてくる。
俺は、んー、と宙に視線を泳がせ、
「ガルウィンか、イゾリテか。あいつら二人で決めてくれるだろ。話は聞いてるだろ? お前の腹違いの兄貴と妹だ」
「ガルウィン……彼が……」
ジオコーザが得も言えぬ表情で、母違いの兄の名を呟く。
おっと、そういえばこいつは俺の下で訓練していたから、ガルウィンとは一応顔見知りだったな。特に仲が良かったとも、悪かったとも印象に残ってないが――ということはつまり、【知らなかった】ということか。短い間だったが、一緒の部隊にいたガルウィンとイゾリテが、半分だけとはいえ自分と血の繋がった兄妹であったことを。
そりゃ複雑な表情も浮かべるよな。多情な父親の息子としては。
「知っての通り、気のいい奴らだ。周囲の目もあるから甘い処断は期待できないだろうが、かといって無駄に重い罪を負わせてくることもないはずだ。あいつらもお前らの事情は理解している。相応の処分を考えてくれるだろうから、安心しろ」
「……はい……」
つい先日まで存在すら知らなかった兄と妹が、父と自分に替わり、国の新たな支配者となる――ジオコーザの立場からすれば、これほど釈然としない事態もそうはないだろう。理不尽だと考えてしまっても無理はない。
わかるぞ。運命の悪戯ってやつを憎んでしまいそうになるよな。
色々と状況は違うが、そういう気持ちは俺にも理解できる。俺も理不尽な運命に翻弄されて、今があるからな。
意気消沈するジオコーザに歩み寄り、ポン、と軽く肩を叩く。耳元に唇を近付け、
「そうヘコむな。落ち込んでも何も変わらねぇぞ。さっきの威勢はどうした。自分の命一つで全部の片をつけようとしてたじゃねぇか。もうここまで来ちまったんだ、状況そのものに対して腹を括れよ。覚悟を決めろ。お前らはもう来るとこまで来ちまったんだ。〝足元を見てないで前を見ろ、上を目指せ〟って訓練中にいつも言い聞かせてただろ? さっきも言ったが、ガルウィンとイゾリテなら命までは取らねぇだろうさ。地位も権力も失うが、精一杯やれば天寿は全うできる。何もかんも失った後のことだけ考えてろ、前向きにな」
我ながら励ましているのか、追い打ちをかけているのかわからないが、これでも俺なりのエールであった。
「それに最悪の場合、どうせ死ぬだけだろ? それはもう覚悟してるんだから、大したことじゃないじゃないか」
笑って言うと、ジオコーザが全身を硬直させ、息を呑んだ。
ああ、うん、わかっている。さっきは勢いよく自己犠牲の精神を発露させたが、実のところ完璧に覚悟なんて決まっちゃいなかった、なんてことはな。
やはり人間、一朝一夕で変われるものではない。ジオコーザの根っこは以前のヘタレもやしのままだ。今回のことで多少の変化はあるだろうが、だからといって急に剛毅果断な性格になるなんてことは、まずもってあり得ないのである。
「――そういう意味ではお前らが羨ましいよ、俺は」
「……え?」
思わず漏れてしまった本音に、ジオコーザが目をパチクリとさせる。
おっと、しまった。余計なことを口にしてしまったな。
「いや、何でもない。気にするな」
適当に誤魔化して、俺はジオコーザから身を離した。
「じゃあな。生きてりゃその内また会うこともあるだろ。元気で頑張れよ」
そう言い残すと、俺は踵を返した。同時、兵士がジオコーザの傍に立ち、牢へ戻す準備に入る。
ジオコーザは別れの挨拶を返すことなく、ポカーンと呆けた顔で俺の背中を見送ったようだった。見ずとも気配でわかる。
面会室を辞して、薄暗い廊下を歩く。反響する自分の靴音を聞きながら、とりとめない思考が頭の片隅でとぐろを巻く。
――ジオコーザ達が羨ましいというのは、俺の素直な気持ちだ。
何故って、あいつらは何がどう転んでも最後には死ぬだけなのだ。
死ねば終わりだ。全部どうでもよくなる。
だが、死ねない俺達は?
この世が地獄に変わろうとも、終わることもなく生き続ける俺達は?
死という形でこの世界から途中下車できるのは、実に幸福なことだと思う。
少なくとも、俺から見れば。
悪魔と契約を交わし、八悪の因子をこの身に宿した俺達には、死ぬことさえ許されていないのだから。