●27 神々の黄昏 1
えらいことになった。
と思っていたら、この世界は想像以上にとんでもないところだった。
俺のかつての仲間であるニニーヴから、それはもう【どえらい】情報が舞い込んできたのである。
コピー人間。
クローン人間。
複製体。
写し身。
呼び方は色々とあるだろうが、重要なのはそこではない。
俺やエムリス、シュラトとニニーヴ――
この四人は十年前、それぞれの異世界からこの世界へ召喚されたものだとばかり思っていた。
だが、違った。そうではなかった。
俺達は【コピー】だったのだ。
あくまで、ニニーヴの仕入れてきた情報を信じるのであれば、だが。
『ちょいとね、忍び込んだんどす。ウチが〝白聖の姫巫女〟やったから、なんかな? なんや波長が合うてねぇ。会話に侵入できたんよ』
というのがニニーヴの弁。
俺達が思考を高速化させてグループで通信、話し合いができるように、なんと【この世界の外にいる聖神達】が似たような形で交わしている会話を、たまたま盗み聞きできたという。
この件についてエムリスは、
『世界の外……つまり、上位の次元で交わされている会話を傍聴したというのかい? それは……いや、とんでもないことだよ、ニニーヴ。もはや魔法、いいや、それ以上の奇跡じゃあないか……!』
と驚愕を露わにしていた。
しかしニニーヴは、愕然とするエムリスとは反対に、
『そうなん? なんや行けそうや思たからやってみたんやけど……よおわからんけど、上手くいったわ』
とのことで、あっけらかんとしており、女子――もとい、女性二人の温度差が激しくて肌が結露するかと思ったほどである。
それはともかく。
そのニニーヴが聞いた話によると、俺達四人はそれぞれの世界から情報を読み取り、そのデータを基に再現された〝複製体〟なのだという。
あくまでソースはこの世界の神的存在である聖神らの会話なので、なんら確証がある話ではない。ないが――
『嘘を吐く必要がある場ではない』
というシュラトの一言が、どうしようもなく的を射ていた。
そう、仮にニニーヴが受信――と表現するのが正しいかどうかわからないが――した会話が本当に世界の外にいる聖神のものだったとして。
そこで、彼らがわざわざ虚偽を口にする必要がどこにあろうか。
聖神は言っていたという。俺達四人が召喚――否、複製されたのは〝勇者システム〟なる仕組みのためだと。
俺達のいるこの世界は『箱庭』と呼ばれるもので、どうやら複数の聖神の手によって【運営】されているものだと。
さながら、テラリウムのようなものだろうか。
ガラスの中に封じ込めたものだけで循環し、続いていく世界――まさに【箱庭】だ。
聖神らはそんな箱庭で、どうやら人類を【飼っている】つもりでいるらしい。
飼っていると言っても、ほぼ完全に放し飼い状態なのだが。
詰まるところ、この世界の全てが聖神の創造したもう存在であり、なおかつ異物だと思い込んでいた俺達四人ですら、他所の『箱庭』からコピーしてきた作り物だったということで――
いやはや、なんというパラダイムシフトだろうか。
別の世界から召喚されてきたと思っていた俺達は、畢竟ただのコピーであり、最初から帰る場所なんてどこにもなかったのである。
まぁ、八悪の因子をこの身に宿した時から帰郷など諦めていたが、実際そんなものなど存在していなかったと言われると、それはそれでなかなかの衝撃であった。
よもや、唯一無二だと信じていた自己が神の手によってコピーされた〝偽物〟だったなんてな。
開いた口がふさがらないとは、まさにこのこと。
とはいえ、二度と立ち上がれないほどのことかと問われれば、答えはノーだ。
なにせ俺達四人は、全員が過去の記憶のほとんどを失っている。正確には、八悪の因子を得るために捧げてしまっている。
そのせいもあってか、自分自身がオリジナルでないという点には驚きつつも、致命的な自我同一性の崩壊にまでは至らなかった。
いわゆる不幸中の幸いというやつだ。
ニニーヴが『ちょっと歯ぁ食いしばったら耐えられるもんやから、安心してぇな』と言っていたように、確かにどうにか受け流すことができる程度の真実ではあった。まぁ、これはこれで、自分でもちょっとどうかとは思うが。普通なら人格崩壊レベルの真実だしな。
ともあれ、ここまでがニニーヴの持ってきた『悪いお知らせ』だ。
では朗報はどんなものかと言うと――
やはり聖神ボルガン――もとい、聖神ヘパイストスについて知れたことであろう。
というのも、俺やエムリスが聖神のピアスをつけた王族に居場所を追われていた頃、ニニーヴもまた聖神教会の内部できな臭い匂いを嗅ぎつけ、密かに調査を進めていたというのだ。
その結果、紆余曲折を経て聖神らの会話を盗み聞きすることができたというのだから、ニニーヴもまたエムリスやシュラトとは違ったベクトルで【突き抜けている】と言わざるを得ない。
なお、その盗み聞きによって得られた情報のどこが【朗報】なのかと言えば、次の二点となる。
――聖神らはこの世界の滅亡を望んではいない。
――聖神も陣営としては一枚岩ではない。
つまり、神と呼ばれ、俺達を作り出した存在といえど、付けいる隙はいくらでもあるということだ。
これは紛れもない朗報である。
というか、だ。
そもそも『勇者が魔王を倒す』というのが、【聖神らがデザインしたイベントでしかなかった】というのが判明したのだ。
俺達の正体についても結構なパラダイムシフトだと思ったが、こちらはそれ以上の天地逆転である。
俺がかつていた世界――いいや、コピー元の世界にあった〝コペルニクス的転回〟という表現がピッタリ当てはまる。
正直、こちらの方が俺にとっては衝撃的だった。自分が複製体であることよりも、勇者による魔王討伐が聖神の手によるマッチポップだったという事実の方が。
前者は過去の思い出がないのだから、まだいい。だが、後者については十年経っても艱難辛苦の記憶が色濃い。
前にも言った気がするが、冗談抜きで自分の吐いた血の水溜まりの上で悶絶するような毎日だったのだ。
当時は今のような頑丈な肉体も、馬鹿げた再生力もなかった。
大怪我をして激痛に絶叫しながら、それでもなお剣を手に執り、立ち上がって戦っていたのだ。
そんな日々を乗り越え、個人として大切な記憶を代償にしてまで倒した魔王――それがまさか、聖神の作り出した紛い物の〝悪〟だったとは。
いや――うん。
何て言うか、普通にふざけてるよな? これ。
いや、マジで。
ガチで。
いや、もう、本気で。
――ふざけんな。
「ぶっ殺すぞ」
思わず声に出てしまった。
「……え!?」
一拍の間を置いてガルウィンが勢いよく振り返った。愕然とした緑の瞳が、まじまじと俺を見つめてくる。
しまった、と思いつつ、
「――あ、いや、違う。今のはナシだ。気にしないでくれ」
「え、し、しかし……」
「大丈夫だ、問題ない」
「は、はい……」
食い下がるガルウィンをどうにか誤魔化し、内心で息を吐く。
いかんいかん、つい素で口から本音が出てしまった。
ガルウィンが驚くのも無理はない。なにせタイミングとしては、エムリスの魔王宣言が終わった直後ぐらいのことだったのだから。
十中八九、俺の放った『ぶっ殺すぞ』がエムリス宛てだと思ったのだろう。それも仕方ない。勘違いして当たり前のタイミングだった。
そう。実を言うと、あれからさほどの時も経っていなかったりする。
先刻のエムリス、シュラト、ニニーヴとの対話は思考を高速化させた上で通信理術を用いたので、現実時間にすると一瞬でしかなかったのだ。
なので窓の外を見れば、空にはまだエムリスが展開したであろう魔力スクリーンが浮かんだままであり、そこには先日とは比べものにならないほど破壊された『果ての山脈』の無惨な姿が映っている。
「――あーもー、まったく……」
俺は口を『へ』の字の形にして、片手で後頭部をガリガリと掻いた。
とっとと楽隠居したくて古巣のセントミリドガルまで乗り込んできたっていうのに、何だこれは。
余計に事態がややこしくなってしまったではないか。
世界を救った後始末――とか何とかエムリスは言っていたが、そんなふざけた話があってたまるものか。
肝心要の仕事はやってやったのだ。それこそ、血反吐を吐きながら。
後は他の奴らでどうにかして欲しいと切に思う。
そんな後出しのアフターケアなんて、了承した覚えなどないぞ。
しかも、これから訪れるであろう危機のそもそもの原因が、聖神の仕組んだマッチポンプシステムなのだ。
魔王や魔王モドキよりも、大本である聖神を滅ぼすべきなんじゃないのか?
そういう意味で俺は先程『ぶっ殺すぞ』と口走ってしまったわけだが。
「……ああ、本当にまったくだ……」
他には聞こえないよう、口の中だけで小さく呟く。
それは怒りの声。
そう、俺は今、かつてないほどに怒りを覚えていた。
思わず口を衝いて殺意をこぼしてしまうほど。
無意識に殺害宣告をしてしまうほど。
それでいて、怒りの炎は爆発的に燃え上がるわけでもなく。
ふつふつ、と。まるで熾火のごとく静かに、しかし確実に。
臨界寸前の原子炉とは、あるいはこういった心持ちに近い状態なのかもしれないな――と、どうでもいいことを頭の片隅で思いながら。
いやはや、まったく。
何ともつまらない結末があったものだ。
灯台下暗しとはまさにこのことだ。
よもや、味方陣営の中に諸悪の根源がいただなんてな。
まったくふざけた展開だよ。
よくも十年間も騙し続けてきてくれたものだ。
おかげで、こっちは過去の記憶もこれからの人生もすべて犠牲にしたんだぞ。
俺一人だけの話じゃない。
エムリスも、シュラトも、ニニーヴも。
いや、そもそもの話――今名乗っている名前からして、俺達の本来の名前ではないのだ。
八悪の力を得る対価として記憶を差し出した際、本名すら手放してしまったので、仕方なく初代の勇者一行の名前をもらったのだ。
個人として何より大切な、過去の記憶も、唯一の名前すら差し出して。
そこまでして魔王を殺して世界を救ったというのに――〝勇者システム〟だと?
箱庭? 魔王ユニットに英雄ユニット?
はっ。要は神々のお戯れ――娯楽だったというわけか、俺達の戦いは。
いやもう本気でふざけんなよ。
考えれば考えるほど腹が立ってくる。
人間の命を、尊厳を、心を何だと思っていやがる。
許さねぇからな。
ああそうとも、許せるわけがない。
こんなふざけた自作自演が許されていいわけがない。
八百長もいいところじゃねぇか。
なめるなよ、神様。
人間の恐ろしさってやつを思い知らせてやる。
「――――」
俺はそっと息を吐き、自己抑制した。
落ち着け。感情が高ぶっているせいで俺の中の〝傲慢〟と〝強欲〟が活性化してしまっている。このままではシュラトのように暴走してしまうかもしれない。
呼吸を整えて、激情を抑えろ。
そうだ。怒り狂うべき時は今ではない。この憤怒はしかるべき時に、しかるべき相手にぶつけるまで大切に温存しておくべきだ。
なにせ、俺達四人は既に【決めた】のだから。
この世界を創造した神々への――〝反逆〟を。
先程、聖神らが世界の滅亡を望んでいないこと、奴らが一枚岩ではないことを【朗報】だと表現したのはこのためだ。
先述の通り、以上の二点は、たとえ世界の創造主たる神でもあっても付け入る隙があることを示している。
つまり――
付け入る気満々(まんまん)なのだ、俺達は。
見ていろよ、聖神ども。
お前らが上から目線で見下しているこの俺達の手で、せいぜい吠え面しておけ。
覚悟しろ。
『――アルサル様、聞こえますか? アルサル様っ』
お? いきなりの通信理術。女の声――となると、誰何の必要などない。俺をアルサル様と呼ぶ相手など、そう多くはないのだから。
とはいえ、珍しいな。こいつがこんなに焦った声を出すなんて。
『どうした、イゾリテ?』
『ご覧になられましたか? エムリス様が――』
生唾を嚥下するような気配。無理もない。師匠と仰ぐ相手が全世界に対して喧嘩を売ったのだから。
俺は努めて声音――というか、念話の調子を柔らかくして、
『ああ、それな。大丈夫だ、問題ない。後で説明する』
『……そうですか。わかりました』
兄とは違って、すんなりとイゾリテは引き下がった。あまりに素直すぎるので、むしろこっちが驚くほどだ。
『あー……俺が言うのも何だが、お師匠様が乱心したっていうのに、随分と落ち着いているんだな?』
『はい。アルサル様が問題ない、後ほど説明してくださると仰るのであれば、安心しない理由はありません。また、私は師匠のことも信じておりますので』
しれっとなかなかに気恥ずかしいことを言うので、少し面食らってしまった。
『……ものすごい信頼度だな』
『はい。アルサル様はもちろんのこと、エムリス様も破天荒ではありますが、決して意味のないことをされる方ではありません。私はお二人を信じておりますので』
『……そうか。じゃあまぁ、あいつに代わって礼を言っとくぜ。その調子で、これからもいい弟子でいてやってくれ』
『かしこまりました。アルサル様の御心のままに』
なんとも従順な少女である。全幅の信頼を寄せられるのは気持ちのいいものだが、同時にそこはかとない重圧を感じる。どうにか期待を裏切らない俺であり続けたいものだ。
『これは一応のご報告ですが、私からは師匠と連絡が取れない状態です。その点についても後ほどご説明いただけるものと信じておりますので』
なんだ、エムリスの奴、イゾリテとの通信は遮断しているのか。さては〝怠惰〟の影響で面倒くさがったな? いや、それとも説明が難しいからか?
まぁ、可愛い弟子に余計な話をして意味もなく不安にさせるのは本意ではない、と捉えることも可能か。そこについては俺も同じだしな。
『わかった。ああ、後ついでにお知らせだが、今ちょうどセントミリドガルを陥落としたところだ。国王も王太子も生きたまま確保しているから、安心してくれ』
『了解いたしました。流石はアルサル様です。これほど早く戦いを終わらせてしまわれるとは』
『それでな、詳しい説明は省くが、国王の地位をガルウィンに継承させて王座に就かせる。お前もこれからは王妹として頑張ってくれ』
『はい。……………………はい?』
珍しい。あのイゾリテがノリツッコミみたいな反応をしたぞ。流石のこいつでも予想外に過ぎたらしい。
『だから、ガルウィンにセントミリドガルの王になってもらうんだって。俺の代わりにな。のみならず、なんなら世界の王にまでなってもらうつもりだ』
『お待ちください。理解が追いつきません。何がどうして、そんな話になったのですか?』
必死に冷静になろうとしているのが、強張った声音からもよくわかった。イゾリテにとっては不本意だろうが、俺としてはちょっと以上に微笑ましい。
『ま、説明はまとめて後でな。ひとまず呑み込んでくれ』
『……かしこまりました』
『ともあれ、ガルウィンとお前の素性を明かした上での正統な王位継承だ。となると、色々と小難しい手続きもあるだろ? イゾリテ、お前の力が必要だ。もう危険はないから、シュラトと一緒にこっちまで来てくれるか?』
『はい、アルサル様の御心のままに』
どことなく不服そうなオーラが出ていたが、イゾリテは文句も言わず了承してくれた。
とにもかくにも、これでくだらない戦争はお終いだ。
ここからは内政のターンである。
オグカーバの王位をガルウィンへ。
これにはジオコーザの廃嫡も必須だろう。あれでも一応は王位継承権第一位だしな。
ま、王族や国家の細かいしきたりを俺は知らない。興味もない。そのあたりは当事者達に任せるのが一番だ。
地位と権力を失ったオグカーバとジオコーザの今後も、ガルウィンとイゾリテに一任しよう。色々と複雑だが、肉親同士だからな。
放逐するのか、処刑するのか、あるいは逆に厚遇して飼い殺すのか。好きな方を選べばいい。
俺はもうジオコーザを一発ぶん殴ってやったしな。溜飲は下がっている。
それよりも、考えるべきはこれからのことだ。
やるべきことが山積みなのだ。
イゾリテがこっちに来たら、ガルウィンをセントミリドガルの王に据えるのに合わせて、俺はムスペラルバード国王の座から退くつもりだ。
そして、色々と面倒もあるだろうが、セントミリドガルとムスペラルバードを併合させる。
ムスペラルバードの国民からは無責任だとか罵られるかもしれない。だが、この短期間でもう二度も王様が変わっているのだ。この際、三度目があってもいいだろうし、暮らしが保証されるのなら、国の名前が変わっても問題はなかろう。
そも、俺みたいな奴が国王になった経緯からして、大いに間違っていたのだから。
というわけで、セントミリドガルとムスペラルバードは一つの国となる。
並行して、進めるべきは魔王エムリスへの対処だ。
また、破壊された〝龍脈結界〟の穴から流入する魔力への対策も重要である。
さらには、先を見据えた戦略として北の大国ニルヴァンアイゼンと、西の大国ヴァナルライガーへの平和的侵略か。
なにせ俺達は、ヴァナルライガーの更に西にある聖神界へと殴り込みをかけようというのだ。
人界を統一しておかなければ、おちおち戦いに臨めない。
もちろん統一された世界の王となるのは、俺ではなくガルウィンなのだが。
全てが終わり、世界が平和になれば、今度こそ俺はお役御免。
自由気ままなスローライフの旅を再開できる。
ま、再開って言っても、今の所のんびり野営できたのはたった一晩だけだけどな。
しかしまぁ、やるべきことを羅列してみると、やたらと簡単そうに思えるから不思議だ。
が、実際に行動を起こすにあたっては、めちゃくちゃ面倒なのは想像に難くない。
「……はぁ……」
憂鬱だ。別段、先が思いやられるというわけでもないのだが。表舞台を去るつもりの俺ですら、やるべきことが多すぎて辟易してしまう。
俺に宿った因子が〝怠惰〟でなくて本当によかった。
思うに、八悪の因子の中でも〝傲慢〟や〝強欲〟はまだマシな方だ。場合によってはプラスのエネルギーに転化できるからな。シュラトの〝色欲〟や〝暴食〟、ニニーヴの〝嫉妬〟や〝憤怒〟だってそうだ。
だが、エムリスの〝怠惰〟だけは毛色が違う。あれはエネルギーをマイナスにする因子だ。ある意味、一番やっかいな因子だと言えるだろう。
そう考えれば、そんな最悪の因子を抱えたエムリスが、わざわざ魔王を名乗ってまでこの世界のために動いているのだ。
ここで俺が弱音を吐くわけにはいくまい。
ちょっくら気合いを入れていこうか。
「――さて、忙しくなるぞ……」




