眷属化と神殺し
「あー……うん、泣きたいよね。どんどん泣いていいからね」
我ながら酷い言葉だと思いながらも、人生経験の浅いが子供が泣いてる女性に対する対処法など知ってるはずもなく、とりあえず気が済むまで泣いてもらうことにした。
顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、足元は失禁して出来た水溜りを作り、とても直視するのも辛い惨状で天野天利はひたすらに泣き声を上げていた。
俺の出した気配ってそんな怖かったかな……?というか、助けを求めたなら詳細を教えてくれないと困るんだけど……あの人面ムカデ関連だと思うけどどうして欲しいんだろう。
――キーンコーンカーンコーン
午後の授業の始まりを告げる予鈴がなったが、このまま赤子のように泣きじゃくる天野天利を放っておく訳にもいかず。醜態を見られたくないだろうと思い背を向けて地面に座り、午後の授業をさぼることにした。
「すいません。お見苦しいところを見せてしまって」
「気にしてないから大丈夫です。それで俺にどうして欲しいんですか?」
しばらく空を眺めて過ごしていたら、背後からまだ涙声で鼻を啜る天野天利が話しかけてきた。俺はもう午後は完全にサボることにしたのでのんびりと答えを待つ。
「あの化け物……薬壺厄災から私を救って欲しい」
「つまりどうしろと?」
「薬壺厄災を滅ぼしてくれ」
「……………………………………」
どうやら天野天利は俺に殺しを依頼しているようだ。見るからにして邪悪な化け物であったが流石に事情も把握せずに殺すという選択はあり得ないので詳細を尋ねる。
「その薬壺厄災は何者なんだ?それと君が狙われている理由は?」
救って欲しいという言葉から天野天利はあの化け物に狙われているのだろうが、あの化け物の正体と狙われる理由を知りたいので訊ねると、背後から天野天利の僅かな躊躇いと動揺の気配を発しながらも、
「薬壺厄災は……本家である薬壺家の守り神だ。あれは薬壺家の人間全員が病に罹らぬように守護している」
「薬壺……それって大手の製薬会社の薬壺製薬のことか?」
「そうだ」
日本に住むなら一度は利用したことがあると言えるレベルで薬壺製薬会社は様々な医薬品を開発、製造、販売をしている大企業である。創業から150年以上経つが、病で死んだことのない健康長寿の一族として有名であることを思いだす。
「その守り神が何故、天野天利の命を狙っている?守り神であるのならば、人を襲う事自体が間違いではないのか?」
神仏の事情は詳しくないが、守り神が人の命を狙う理由が分からないでいると。
「あの化け物は、あくまで薬壺家を庇護する神でしかない。そして神と人の取り決めによって、分家から代々人身御供として十八の少女を捧げる代わりに薬壺家を庇護している。本家はその対価として分家の生活を保障していた訳だが……昔なら分家の誰かが犠牲になれば家と生命の保障がされれば納得出来ただろうが、現代ではその取り決めなど呪いでしかない」
「まぁ、そんな庇護なくても日本で生きて行くだけならばそんな難しくないしな」
150年以上前ならば、名家の庇護というものは魅力的に映るが、現代でもその因習が続いているとなると当代の人間からしたら堪ったもんじゃない。そんな庇護なく生きられる時代に人身御供に選ばれるなど最悪も良い所だ。
「それでも本家の人間達は自分たちの健康の為に分家から人身御供の少女を求め続けてきた。時代ごとに様々な理由で分家から生贄を差し出してきたが、私の家族は金欲しさに娘を売ったのだ」
声音に陰りがみえて、俺は黙ることにした。藪蛇になりそうなのでそのまま続きを待っていると渇いた笑い声を上げながら。
「私は神の捧げモノとしての目的の為に産まれた命なんだ。妹も弟も居るが、私の事など知りもしないだろう。母親は産んですぐに本家に私を売り渡し、そんな事情も知らぬまま名家の娘として育てられてきた」
「ん?よく分からないが、わざわざ育てるなんて面倒なことせずに、座敷牢にでも閉じ込めておけば良かったんじゃないか?」
どうせ人身御供とするならば、余計な知識を付けられて逃げられるリスクを高めるよりも無知のまま軟禁でもすればいいのに、何で本家の連中はそれをしないんだ?
俺の疑問に更に笑い声は強くなり、狂気を帯びた気配を背後から感じる。
「薬壺厄災は無知な女よりも、より楽しめるように教養を与えている。普通の暮らし、常識、倫理の全てを与えた上でその尊厳の全てを踏みにじり絶望する魂が大好物なのだ」
「それは邪悪だなぁ……」
「本家は神と称えているが、分家にとってはまさに邪神だ」
そんな名家の裏側を聞きながらも邪悪ではあるが、本家にとっては無病息災の神様であるのでエンド様を思い浮かべて。
エンド様は本能のままに世界ぶっ壊して、人も神々も平等に殺して来てるしなぁ……悪意がないとはいえ、実際にやってることはエンド様の方が遥かにヤバいよな。
天野天利にとっては人生も魂すら奪いうる最悪の存在であるが、その犠牲の上に本家の人間は天寿を全う出来るので邪悪だが、そこまでヤバい存在じゃないと思いつつも。
「俺は薬壺厄災って神様を殺せばいいんだな?話を聞く限りは死んだ方が良い神様っぽいけど、神殺しはなぁ……」
「何かマズいことがあるのか?」
不安げな天野天利の声を聞きつつ、正直な話、いくら邪悪とはいえ殺すとなると気が引ける。とはいえ、ここで放っておくと本家は次の生贄を探し始めるので。
「殺し自体はあまりしたくないんだよなぁ……いや、天野天利さんにとっては邪悪の権化かも知れないけど、俺の人生で数分しか会話した事もない相手を殺すってのも倫理観的にちょっと……」
「私の話を聞いていなかったのか!?アレはもう何十人もの女を食らった化け物なんだぞ!そんなものを放置して良心は痛まないのか?!」
「おわっ……ッ!あくまで天野天利さんの証言だけで判断するのは早計過ぎるだろう?君の話を信じていない訳ではないが、せめて相手の言い分というものを聞いてから……」
水溜りが弾ける音がすると、スカートが汚れているのも気にせずに俺の前に回り肩を揺さぶる。そして縋るように俺の胸に抱き着き、
「頼む……ッ!あの化け物を殺してくれ……ください!なんでもするから……ッ!化け物を殺したら私の身体を好きにして良いから!うわぁぁぁぁぁぁん!」
必死の懇願をされて、胸元が涙と鼻水で濡れ、スカートについてお小水が俺のズボンを濡らすのを感じながら。
殺しは……キッツいなぁ……。どうせなら当人同士で決着付けて欲しいんだけど……あっ、その手があったか。
「分かった。君の助けに応えるよ。ただし条件がある」
「じょう……けん?なんだ!何でも言ってくれ……ッ!私は何でもしよう!」
髪を振り乱して舌を伸ばせば唇に触れる距離の中、俺は柑橘系のフレッシュな香りを嗅ぎながら笑みを作って。
「一時的に眷属にしてやるから、自分の手で決着を付けろ」
「えっ……あ、あのそれはどういうことですか?」
「つまりは俺の力をほんの少しやるから、自分自身の手でその薬壺厄災を殺せ」
何を言っているか分からないのか呆けた顔で聞いてくるので、天野天利には自分自身で己を苦しめる邪神と戦いそれで白黒付けろと俺は言い放つ。
「俺は第三者で客観的な判断が付かない。ならテメェ自身の手で白黒ハッキリさせるしかねぇだろ!お前は自分自身の手で魂の底から恐怖する化け物と対峙して勝つんだよ!!」
俺は親指の腹を舌で噛み切り、血の滴を一滴だけ垂らす。その血に俺自身の魂を混ぜながら親指を下に向けて今にも零れそうな血の滴を、天野天利の目の前に持っていく。
「この血を飲めば……私にもあの化け物に勝てる力が手に入る?」
「一時的に貸すだけだ。それに微量だから大した力ではないが、確実に神殺しの力は手に入る。さぁ、どうする?」
今にも零れ落ちそうな血を見つめて、僅かな逡巡ののちに勢いよく俺の親指にしゃぶりつく。そして――
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
――学校中に響き渡る絶叫と共に目を見開いて地面にのたうち回り始める。
「ほんのちょっとしか混ぜてない筈なんだけど……なんかヤバくね」
コンマの後にゼロが100個は付きそうな程の微量な力を与えたはずが、化け物と戦う前にショック死を起こしてそのまま死に絶えそうな天野天利を見ていると、ある瞬間にピタリと動きが止まり起き上がる。
そして紅く輝く双眸に口が裂けるような獰猛な笑みを浮かべながらもどこか恍惚とした表情で、
「これならあの化け物を殺せる……ッ!ひ、はははは……!凄い身体に力が漲ってくる!これが貴方様の眷属になるという事ですね!今まで怯えたてたのが馬鹿みたいだ……ッ!」
明らかにエンド様の竜の力が色濃く出ている眷属に変身していた。引き千切った包帯からは手首の傷は完全に消え失せ、爪が鋭くなっている。
やっべー……完全に化け物になっちゃってるよ。もう別人じゃんこの子。それに完全に降って湧いた力に溺れちゃってるよ……。
奇声を上げる天野天利にドン引きしながら、俺はさっきの絶叫で先生たちが屋上に来ると思いそそくさと移動を始める。
「うん。力は与えたからあとは頑張ってね。こういうのは当人同士で決着付けるべきだし。ファイト!」
「お任せください!貴方様の期待に応えて、薬壺厄災の首を献上致します!」
「首は要らないから勝利報告だけよろしくね」
「はい!!」
天野天利はそのまま屋上のフェンスを飛び越えて、薬壺厄災の居所に心当たりがあるのか猛然と駆け抜けて行く。俺はそのチーターよりも俊敏な動きを観察しながら。
「目的が達成した後に、俺みたいにちゃんと人間に擬態出来るか心配になってきた」
俺の眷属となった天野天利の無事と今後の生活に影響が出ない事を祈るのだった。
☆☆☆
「首は要らないから勝利報告だけよろしくね」
「はい!!」
主人の命令に答えた私は目的を果たすべく屋上のフェンスからそのまま飛び降りる。高さは二十メートル以上もあるが、今の私の身体能力なら何の問題もなく着地出来る。そして沸き上がる力のままに、あの化け物の社に向けて駆け出す。
殺す。殺す。殺す。今まで私を散々嬲ってきたことを後悔させてやる。生きていることを後悔させてやる。楽には死なせてやらない。出来る限り限界まで痛めつけて、自分から命乞いしてきた時に丁寧に全身をバラして殺しやる……ッ!
この数年の魂の底に籠った憎悪が一気に噴出して、私の心を真っ黒に染め上げる。殺意と悪意の塊となった意思はただ憎き化け物を殺すことを考え、その根底に芽生えた眷属としての意識が内なる声となって響く。
――首は要らないから勝利報告だけよろしくね。
その言葉を反芻して、憎悪の中に僅かな別の感情が灯るのを感じながら。
「私の願いに応えた主様の為に必ずあの化け物は殺す……ッ!」
――終末の竜王の血を継いだ天野天利は本能に芽生えた終焉への欲求の赴くままに神殺しに向けて駆けて行くのだった。