神殿騎士団-2
アリンは身構えつつ、話しかけてきた少女を観察した。
軍帽の下から覗く長い髪は黒に近い灰色で、白く整った顔に嵌め込まれた双眸も同じ色をしている。
一瞬非常な長身に見えたが、すぐにそれは相手が馬に乗っているせいだと分かった。本来の体格はアリンとそう変わらないだろう。
そう、言葉遣いのせいで一瞬錯覚したが、相手は少年では無く少女だった。
年齢も多分、アリンと変わらないか少し下と言った所だろう。硬質な美貌と軍人風の言葉遣いのせいで最初は年上に見えたが、声質や所作からは相応の幼さを感じさせる。
アリンは彼女を見て、故郷の街でよく行進訓練をしていた軍幼年女学校の学生たちを思い出した。差し詰め、目の前にある神殿というか要塞の見習いと言った所か。
「いや、失礼した。私はエリス・ソランと言う。神殿騎士団で臨時神殿長兼臨時団長副官を務める者だ」
しかしアリンがその推測を口にする前に、軍装を纏った少女が自己紹介をしてきた。
「臨時」や「副」と言った言葉が幾つも出て来るせいで結局どの程度の役職なのか今一つ分からないが、少なくとも見習いという訳では無いらしい。
「アリンと言います。こちらは友人のセナです」
アリンはひとまず名前だけを名乗った。
相手がしたように役職を名乗るとすればアリンは〈帝国〉3等新領土管理官で、セナが現地協力者だが、〈帝国〉という国自体が知られていない中でそれを話すと面倒なことになる。
ひとまずはただの一般人として、相手の出方を伺うことにした。
「おや? 軍人や傭兵では無いのか?」
エリスと名乗った少女が怪訝な顔をした。どうも彼女は、アリンを軍関係者と思って声を掛けてきたらしい。
考えてみると、そう思われてもおかしくはないかとアリンは心中で納得した。
アリンは〈帝国〉新領土管理局の制服を着ているが、この服は要するに〈帝国〉軍の第3種士官軍装の色違いである。
動きやすさや耐久性と言った機能性と、初めて会う現地住民に対して失礼で無い程度のデザイン性、そして局が大量購入する上で重要な価格面、それらを総合的に考慮した結果、この制服になったのだ。
また新領土管理官には制服その他の他にカービン1丁と弾薬が支給されており、アリンもそれを腰に下げている。
新領土で遭遇するかもしれない危険生物対策であるが、調達コスト削減の為、こちらは軍用銃と全く同じものが支給されている。
軍装のような恰好をして軍用銃を持った人間がいれば、それは軍人と思われても当然だろう。
「私たちはただの訪問者ですが、何か御用があれば」
アリンは納得しつつそう言った。単に他国の軍人と間違われただけなら、もう用は無いと言われそうだが。
「いや別に軍人で無くてもいい。とにかく貴様は、銃を使えるのだな」
「はい、まあ」
しかしエリスは予想外の言葉を放ち、アリンを戸惑わせた。
大体考えてみると、彼女は何故銃というものを知っているのだろうか。神殿に詰めている人間たちの装備は刀槍の他は弩や弓といったもので、銃を持っている人間は見当たらないのだが。
「使えるのならそれでいい。七星軍に加わって欲しい。そして臨時団長を、サラカ様を助けて欲しい」
「……待ってください。最初から説明して貰えますか」
エリスが何やら必死な口調で頼みごとをしてきたが、アリンはひとまず保留の意志を示した。受ける受けない以前の問題として、彼女が何を言っているのか全く分からないのだ。
多分現地住民ならこれで伝わるのだろうが、あいにくアリンは訳も分からないままこの国に飛ばされてきた人間であり、現地事情に疎いのだ。
「失礼した。まず、当神殿で七星軍志願者の募集が行われていることは知っているだろうか?」
自分でも先走り過ぎたことに気付いたのか、エリスが事情を説明し始める。アリンはセナにも助言を求めつつ、彼女が何を頼んでいるかについての把握に努めることにした。
約四半刻の後、アリンはエリスが言っていることの概略を掴んだ。どうして彼女が軍経験者、またはそうで無くても銃を使える人間を求めているのかを。
まずこの神殿であるが、アリンが最初に見た印象通り、実質的には軍事施設である。神殿騎士団と呼ばれる国軍と傭兵隊の中間のような集団が、ここを本拠地としている。
しかしその神殿騎士団主力部隊は、現在出払っている。七星軍遠征とやらいう大規模な外征を行う準備の為、南方に移動したのだ。
主力がいなくなった本拠地は、団長の娘でありエリスと乳母を共有する半姉妹でもあるサラカ・セタが臨時に管理していた。
主な業務は七星軍志願者を集めて訓練を施し、部隊として出来上がり次第南方に送ることであった。
ところが数日前、緊急事態が発生した。
重要な産業都市であるタズハリ市と、その北西にある大都市アザルカを繋ぐ街道が魔物の群れによって塞がれたというのだ。
サラカ・セタは討伐の為、神殿に残っていた部隊を率いて出撃した。主力と見なされなかった弱小部隊ばかりとはいえ2000の軍であり、普通の魔物なら軍の姿を見ただけで逃げていく筈だった。
だが本日、サラカ率いる軍の魔導士から来た通信の内容は、そういう楽観的予測を完全に覆すものだった。魔物の数は予想より遥かに多く、軍は苦戦を強いられているというのだ。
エリスは慌てて増援を送ろうとしたが、本部の守備要員をこれ以上引き抜くことも出来ない。
その為、七星軍志願者を片っ端から集めて、サラカを救援する為の軍を編成しているのだという。
「頼む。サラカ様を救ってくれ。報酬については出来る限りのことをする」
エリスは言うと頭を下げた。最初の高圧的な印象が嘘のような態度だ。いや最初のあれも、切羽詰まったが故だったのかもしれない。
「では報酬の前払いとして、この国の地図を一式頂けますか」
少し考えた後、アリンは条件を提示した。
元々神殿に来た目的は、この〈王国〉という国の地理的な位置や交通事情等を調べる為だった。
それらを提供してくれるのであれば、エリスの依頼を引き受けても良い。
サラカの目の前で、神殿騎士団の歩兵と騎乗ゴグは戦い、と言うより剥き出しの殺し合いを続けていた。
ゴグは棒を構えて槍騎兵のように突っ込み、更には騎乗したまま石を投げつけて来る。
対する歩兵は大楯を構えて防御姿勢を取り、間から槍を突き出して迎撃する。
棒や石が盾と衝突する鋭さと重々しさを同時に孕んだ轟音、ゴグと龍鳥と人の上げる喚声、そして肉体が武器によって引き裂かれる水気を含んだ音。それらが周囲一帯に木霊し、血と生肉と漏れ出た内臓が発する悪臭が充満する。
(これが、戦場か)
大見得を切った手前平静を装いながら、サラカは恐怖と入り混じった感慨を抱いていた。父や祖父は、こんな場所にずっと立ち続けていたのか。
半ば立ち尽くすサラカの前を、衛生兵が運搬する担架群が横切っていった。
負傷者の1人目は歯と下顎を砕かれ、顔の下半分が挽肉状になっている。垂れ下がった赤い筋繊維と白い脂肪組織の束が動いているのは呼吸によるものだろうか。
2人目は顔と上半身に異常は無いが、腹部から下を龍鳥の爪で引き裂かれていた。右脚に開いた傷からは折れた生白い大腿骨が赤い骨髄を晒していて、腹腔から零れた内蔵の一部がそこに絡みついている。
衛生兵も手の施しようが無いと判断しているらしく、気休めの慰めをかけながら見えない位置で致死薬投与の準備をしていた。
3人目、棒で肺に穴を開けられ、呼吸音の代わりに破れた布袋のような気の抜けた音がしている。これは助かるか不明。
4人目、右腕をゴグのカギ爪で折られている。感染症に移行しなければ生還は可能。
5人目、脇腹を龍鳥の蹴りで砕かれ、折れた肋骨が奥にめり込んでいる。恐らく絶望的。
そこまで確認した所で、サラカは観察と推測を放棄した。地獄絵図という言葉はあっても、天国絵図という言葉が無い理由がよく分かる。
天界や天国といった場所が拝天教聖職者の頭の中以外の場所に実在するか、サラカには分からない。だが地獄の方は今サラカの目の前にあり、恐らくはあらゆる時代と場所に遍在していた。
喉の奥から上がって来る苦い酸を飲み込みながら、サラカは前に走っていった。
味方歩兵が並べている盾の第1列は波状攻撃で崩され、残兵は応戦しながら第2列に向かって後退しようとしている。その残兵たちに、騎乗ゴグが群がっていた。
それぞれが半数程度まで減った分隊の1つが恐怖に耐えきれなくなったのか、武器を捨てて逃げ始める。
その兵たちに、ゴグの群れが狂喜の体で群がった。
まずは2人が龍鳥の蹴りで地面に薙ぎ倒され、爪で内臓を摘出される。
残り3人も囲まれ、ゴグの棒と爪で打ちのめされ、切り刻まれていく。僅かの間に3人は解体され、元が何だったか分からない血泥に塗れた塊と化した。
ゴグと龍鳥たちは歓喜の声を上げながら、汚れた肉塊を食らっている。戦闘中の栄養補給と洒落込んでいるらしい。
その様を見て恐怖に耐えられなくなったのか、周囲の兵50人ほども釣られるように逃げ始めた。肉を食らっているのとは別のゴグが、彼らを追っていく。
戦意を失った状態で敵の追撃を食らい、各隊が連鎖的に崩壊していく。不利な戦場においてはありがちな、かつ最悪の展開だった。
サラカは恐怖と嫌悪感その他諸々を飲み込みながら剣を上に掲げると、指揮官を失った兵たちを自分の周りに集合させた。
本来総指揮官がやるべきことでは無いが、他に事態を収拾できる者がいないのだから仕方がない。
何しろこの部隊において新米なのはサラカだけでは無い。
本来の総団長である父カドス・セタや実質的な総指揮官のコズ将軍、そして神殿騎士団主力は皆、七星軍実施に向けた再配置で南方に向かってしまっている。
ゴグの討伐依頼が来たとき神殿騎士団本部に残っていたのは、定数割れしていたり未熟な兵が多かったりで実戦投入に不適とされた部隊ばかりだったのだ。
サラカとガトラス、それに副官のエリスはその中から何とか使えそうな部隊をかき集めて2000の軍を編成したが、部隊の核となる熟練兵や指揮官の不足はどうしようも無かった。
本来班長は2年以上、分隊長は3年以上の軍経験がある者から選抜されるのだが、この選抜基準では到底数が足りなかったのだ。
足りない分は何となく人望があるとか、他の兵より腕っぷしが強いなどの曖昧な基準で任命するしか無かった。
小隊長以上、一般に士官と呼ばれる層は更に酷かった。
士官には命令書を読み書きする為の識字能力と、地図を見て隊の移動経路と所要時間を決める為の計算能力が、最低でも必要とされる。
士官に必要なのは何よりも、上からの命令や下からの要請を理解して現実的な計画を立てる能力であって、指揮能力云々はそれが出来てからの話である。
ところが識字能力や計算能力を持つ者はほぼ全員、七星軍の兵站計画を立てる為にカドスやコズとともに王都に向かってしまった。
七星軍の準備に当たって事前に兵站を考える辺り〈王国〉軍も少しは進歩したと言えるが、お陰で神殿騎士団本部は頭脳面でがら空きになり、能力は兵の数以上に低下した。
討伐軍の規模が2000となったのも、理由の1つはそれ以上の規模の兵站計画が立てられなかったからである。
またその2000も、一塊の長い列を作って1本の街道を進むという、素人でも危険と分かるような進み方を余儀なくされた。
本来なら側面に警戒部隊を展開させつつ複数の街道を進むのだが、それが出来る人材の層が存在しなかったのだ。
移動計画を立てる士官や、兵の状態を把握する下士官がいない状態で部隊を分ければ、軍は移動途中で分解してしまう。その最悪を避ける為には、一塊での進軍という次悪を選ばざるを得なかった。
その最終的帰結が現在の状況だった。部隊は恐らく大分前から追尾と集合を行っていたゴグの大群に気付けず、その猛攻に晒されている。
しかも指揮官と熟練兵が不足している為に、一度崩れた部隊の立て直しが著しく困難となっている。
部隊を少しでも補強する為に普通は野戦で使わない五寸砲まで持ち込んだが、十分とは言えなかったようだ。
サラカは舌打ちしながら魔導書の一節を黙唱し、身に付けている輝石が生成する魔力を一点に集中させた。
大気が熱を持って膨張し、炎とも光の球ともつかない輝く塊が形成される。サラカが得意とする火炎術である。
サラカは輝く球を、今にも味方兵を八つ裂きにしようとしているゴグの群れに向かって叩きつけた。動物の毛と皮膚が焼ける嫌な臭いが立ち込め、ゴグたちが耳障りな悲鳴を上げる。
ただサラカは、この攻撃が実質的な打撃にはならないことも知っていた。
相手が動かなかったり徒歩で進んでいれば火炎術で致命傷を与えることも可能だが、ゴグたちは龍鳥に乗って走り回っている。
こういう相手に火炎術を使ってもすぐに危害半径を抜けてしまい、軽い火傷を負わせる程度の被害しか与えられない。
また火炎術には敵を怯えさせて壊乱に追い込むという副次効果もあるが、火砲による攻撃の結果を見る限りそれも望み薄だ。
火砲による攻撃は炎に加えて大音響、そして実質的な殺傷力を持つが、その火砲でもゴグの戦意を喪失させることは出来なかった。より威力の劣る火炎術では尚更無理だろう。
サラカが狙ったのは、敵よりもむしろ味方に対する効果だった。
火炎術はゴグたちを倒したり逃げ惑わせることは出来なくても、一時散開を余儀なくさせて追撃を中止させることは出来る。
潰走中の味方はその間に、僅かであっても態勢を立て直せる。
更に重要なのは、士気を鼓舞する効果だ。
社会的に低い階層の出身が多い歩兵は、貴族や聖職者だけが用いることの出来る魔術という能力に対し、畏敬の感情を抱いている者が多い。
より正確に言えば、当の貴族や聖職者たちが、身分制度維持の為にそのような感情を植え付けてきた。
サラカにはこれが統治の方法として健全とは思えないが、兵たちが抱く魔術への過大評価は今の状況では好都合だ。
魔術を使う指揮官、すなわちサラカの到着を、兵たちが実際より遥かに大きな助けとして捉えてくれるからだ。
軍が最も大きな被害を受けるのは正面からのぶつかり合いでは無く、将兵が敗北を確信して逃げ始めたときである以上、それを食い止める為に使えるものは何でも使うべきだった。
サラカは次に剣を抜くと、襲い掛かってきたゴグの一頭に一撃を浴びせた。
腕に伝わってきた硬い皮革の感触は、すぐに肉を断ち切る時に特有の不快な柔らかさに変わる。ゴグはそのまま音も無く倒れた。
サラカの行動に釣られるように、他の兵も前に出る。サラカが寄せ集めた100人ほどの歩兵隊は、逃げる味方を追撃しようとするゴグの群れの横腹に突っ込んだ。
サラカが追加の火炎術を叩きつけ、反射的に姿勢を崩したゴグに歩兵が襲い掛かる。周辺には次第に胸を突き刺されたゴグや頭部を切断された龍鳥の死骸が転がり始め、その上を敵味方が踏みつけて地面を血泥に変えた。
「…っと」
だがすぐ後ろで彼らを指揮していたサラカは不意に、強烈な振動に襲われた。乗っている馬が暴れているのだ。
振り向くと、馬の胴体が引き裂かれ、溢れ出た臓物に2頭のゴグが齧りついている。胸の悪くなるような臭気と咀嚼音が漂い、馬が悲痛な絶叫を上げた。
サラカは半ば落下するように馬から飛び降りると、食事を一時中断して向かってきたゴグの喉元に突きを食らわせた。剣先がゴグの皮膚を突き破り、頸骨を砕く感触が伝わって来る。
次にサラカはもう1頭のゴグを倒す為、剣を引き抜こうとした。
だが腕に伝わって来るのは湿った重さと、何かが引っかかった感触だった。剣先が曲がって抜けなくなったらしい。もう1頭のゴグが、歓喜の声を上げて向かってくる。
サラカは慌てず、倒れた馬の鞍から載せていた私物の銃を抜いた。既に装弾は済んでいる。
だが引き金を引いても、銃からは小さな金属音が虚しく聞こえるだけだった。血や泥で火薬が湿ったのか、それとも精密機械によくある故障なのか。
サラカは小さく絶望の声を上げた。他の武器は懐に入れてある万能ナイフくらいしか無いが、そんなものでゴグに勝てる筈が無い。
だがサラカは目を閉じてうずくまりはしなかった。素早く万能ナイフを抜き、威嚇の姿勢を取る。手元に少しでも武器がある限り戦い続ける。それが騎士だ。
ゴグが襲い掛かって来る。サラカは万能ナイフの短い刃を構えた。無論、ゴグは怯えた様子を見せない。腐り果てたような息を吐きながら、サラカの首筋をカギ爪で抉ろうとする。
「セタ様を救え」
不意に、そんな声と足音がした。サラカに飛びかかってきたゴグが空中で停止し、その体から数本の槍先が飛び出す。槍が引き抜かれると、ゴグはそのまま力なく地面に落下していった。
「ご無事でしたか」
サラカを間一髪で救った兵たちの隊長が声をかけてくる。どこかで聞いた声だと思ったサラカは、数呼吸後に思い出した。先ほどサラカに、「他の増援はいないのか」と言ってきた小隊長だ。
「この通り無事だ。それで、私は増援として役に立てたか?」
サラカは呼吸を整えながら聞いた。潰走している兵を100人ほど救い上げ、ゴグを何十頭か倒したのは確かだと思うが、戦況には少しでも寄与できたのだろうか。
「もちろんです」
小隊長が、先程とは打って変わった視線でサラカを見ながら言った。味方第1列の潰走は止まり、第2列にいた彼らは前進してゴグを蹴散らすことに成功したと言う。
「そうか。貴様たちもよくやってくれた」
サラカは頷いた。自分がどこまで貢献できたのかは不明だが、とにかく最悪の状況は回避できたのだ。ここは素直に喜ぶとともに、部下たちを称えるべきだろう。
「それで、戦果拡張を行いますか?」
「いや、至急隊列に戻ってくれ。敵はまだまだいる」
一時撤退を行うゴグたちを追撃すべきか聞いてきた小隊長に、サラカは否と答えた。
歩兵の追撃で倒せるのは、ゴグのうち龍鳥から落ちたごく一部だけだ。その程度の戦果の為に、部隊を分散させるのは危険すぎる。
そして何より、新たな敵が接近してきている。
灰褐色をした巨大な塊が100以上、こちらに向かって来ているのだ。ゴグが龍鳥とともに使っている家畜、森林象である。
平原種の象に比べれば小さいが、それでも馬の数倍の体重と力を持った強大な動物だ。その群れがこちらの隊列を蹂躙すべく進んできている。あれを倒すには、戦力を集中する必要があった。
隊列に戻ったサラカは臨時に部下となった兵たちを自分の周囲に集合させると、敵味方の様子を伺った。
味方の歩兵隊は敵本隊の圧倒的な数に火力で対抗し、辛うじて撃退し続けている。
盾と荷車で作られた応急の防御列の前面には火砲で粉砕されたゴグの死骸が積み重なり、それ自体が障害物と化していた。
一方で、ガトラスの騎兵部隊は騎乗ゴグに纏わりつかれて苦戦しているようだ。
馬は直線速度で龍鳥に優るが、加速と小回りで劣る。最初の突撃で蹴散らされた残りのゴグはそれに気づいたらしく、騎兵が加速を完了する前に襲撃する戦法を取ったのだ。
騎兵1人に対して2-3頭の騎乗ゴグが取りつき、執拗な進路妨害と攻撃をかける。
騎兵の剣が煌めいてゴグたちを薙ぎ倒すこともあるが、死角から襲撃したゴグが鎧の隙間に爪を突き立て、或いは馬の横腹を切り裂く光景も散見された。
兵か馬のどちらかが態勢を崩して前者が落下すると、ゴグの群れが纏わりついて龍鳥のカギ爪を何度も振り下ろす。
運よく仲間の援護を受けて生き延びる者もいるが、落馬した兵の大半はそのまま龍鳥の爪でずたずたにされた。
鎧のせいで一見すると大した外傷は受けていないように見えるが、彼らが起き上がることは二度と無い。隙間に食い込んだ爪によって顔や胴体を貫かれるか、巨鳥の太い脚が叩きつけられる衝撃そのものによって骨を砕かれ、内臓に損傷を受けているのだ。
騎兵の甲冑は遠くから放たれた矢や未熟な兵が振り回す槍くらいは防げるが、大型動物による攻撃を連続して食らうことまでは想定していない。それに耐えられる鎧も作れなくは無いが、重すぎて兵と馬双方にとって耐えがたい負担となるからだ。
大抵の道具と同じく騎兵の鎧も、限られた状況への対処のみを目的とした妥協の産物で、想定以上の打撃には耐えられなかった。
(まずいな)
サラカは内心に焦燥が燻るのを感じた。
歩兵隊の持久策は、騎兵の援護を前提としたものだ。歩兵は敵の攻撃を受け止め、戻ってきた騎兵が敵の側面を衝く。それを前提として各隊は行動している。
しかし騎兵は予想以上に大量の騎乗ゴグに取り巻かれ、歩兵の援護に向かえそうにない。
つまり最初の戦術構想は、完全に崩壊したということである。このままではじり貧だ。
サラカの焦燥を他所に、戦況は容赦なく進んでいく。前方からゴグと龍鳥、そして森林象の喚声が聞こえ、足音とともに接近してきた。
「擲弾兵は私の指示があり次第、射撃を開始しろ。歩兵は自衛戦闘の他は、指示があるまで待機」
焦りを押し隠しながら、サラカは迎撃手順を示した。
ゴグの群れは3つの層に分かれて進んできている。先頭の層が騎乗ゴグ、2層目が森林象、3層目が徒歩のゴグだ。
衝力の強い2種でこちらの戦列に穴を開け、歩兵を浸透させる気なのか、或いは単に速度順に並んだだけなのか。理由は不明だが、とにかく敵は別れて進んでいる。サラカはそこを衝くつもりだった。
サラカは前方を睨みつけるように見据えた。
まず見えるのは羽を逆立てた龍鳥の群れが一面に広がり、騎兵でいう所の疾駆で接近してきている光景だ。
奇怪な姿をした鳥たちは更に奇怪な生き物を背に載せた状態で、奇妙な程互いに歩調を合わせて地面を蹴っている。翼でバランスを取りながら滑るように進むその姿は、一種の荘厳ささえ感じさせた。
無数の足音と翼が風を切る音、それにゴグと龍鳥自身が上げる喚声が、一種の交響曲のように戦場を包み込み、将兵の耳朶を打つ。
更に恐ろしいのが、その後ろを包む森林象たちの姿だった。
人間の身長より遥かに大きな体高を誇る生き物が、その巨体からは想像も出来ない速度で突撃してくる。湾曲した長い牙が鈍く光り、巨大な耳が悪魔の翼のように広がっている。
彼らの重い足音は重複して地鳴りを作り出し、大地そのものが向かってくるような錯覚さえ感じさせた。
普段サーカスの見世物程度にしか思われていない象という生き物であるが、その鼻や脚を一振りするだけで人間をバラバラに出来る巨獣であることには変わりない。そんな当たり前のことを、再認識させるような光景だった。
「擲弾兵、射撃開始!」
そろそろゴグが投石を始めると判断したサラカは擲弾兵に命じた。本来歩兵火力の中核を担う弓兵隊が七星軍に抽出されてしまった為、代用の火力として連れてきた部隊だ。
なお擲弾兵は元々の意味では歩兵の先陣を切って敵野戦陣地に爆弾を投げ込む部隊だが、その意味での擲弾兵を神殿騎士団は持たない。
サラカが連れてきた擲弾兵は、〈王国〉軍とレマ公国軍の火力差を埋める為に試作された兵器を運用する部隊で、実戦での集中運用は初の試みだった。