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〈王国〉-3

アリンは携行飛翼を物陰で畳むと、ようやく発見した街に向かって歩き出した。

 最初見つけたときはちっぽけな村落と判断していたが、近付いてみるとかなりの大都市だ。照明の量が灯火管制でも敷いているのかと思う程少ないので、人口希薄地に見えただけらしい。

 

(相当貧しい街なのか、それとも国全体がそうなのか)、本当に所々にしか無い街灯を眺めながらアリンは地域の経済状態を推測した。

 数が少ないだけでなく、光自体も〈帝国〉の街にある街灯と比べ物にならない程小さい。近づいて観察すると、何と油灯だった。


 油灯は火蔦と呼ばれる植物から取れる油脂を燃やして灯りを取るもので、〈帝国〉では博物館にしか存在しない。

 輝石ガラスを使用する冷輝灯と比較すると、光量が少なくて維持管理が面倒で火災の原因にもなるという、欠点だらけの代物だからだ。

 油灯の利点は初期費用が安いことと、製造にあまり技術が要らないこと位である。

 


 しかしこの街の灯りは、殆どがその油灯だった。ついでに足踏みポンプ式井戸や秣桶など、現在の〈帝国〉ではほぼ見かけなくなった道具類が大量に存在する。

 印象としては〈帝国〉で言う所の、カタザ7世時代の街並みによく似ていた。写真が存在する中では最古の時代であることから、歴史愛好家の人気が高い時代だ。

 この街を観光地として開放すれば、カタザ7世時代愛好家が喜ぶかもしれない。その意味では価値が高い街と言える。

 



 だがそれはあくまで、趣味で短期間滞在する場合の話である。

 そこで生活している人間にとっては、油灯照明は冷輝灯の、井戸は水道の、輸送手段としての馬は携行飛翼の下位互換品であり、貧しさの表れでしかない。

 

 保守主義者や無自覚な懐古趣味者がなかなか認めたがらない話だが、廃れるものには普通廃れるだけの理由がある。廃れていないとすれば、それは大抵の場合、住民の文化的教養ではなく貧しさの結果である。

 昔の質素で人情溢れる生活を礼賛して現代の〈帝国〉人の頽廃を嘆く手合いは多いが、そういう連中が馬で移動したり、上下水道の代わりに井戸と肥溜めを持つ家で暮らしているという話は聞かない。つまりはそういうことである。


 アリン自身も歴史愛好家で懐古趣味者の素質を大いに持っているが、それがあくまで趣味であることは自覚していた。

 この街は〈帝国〉人としての色眼鏡で見るとレトロで風情がある場所だが、多分当の住民からすれば、貧しくて不便なだけである。

 



 「セナ、取り敢えず宿がある所に案内してくれる?」

 

 街の見物もそこそこに、アリンはセナに頼んだ。川辺に打ち上げられていた10人の救助を試みた結果、この少女だけが蘇生したのだ。アリンはひとまず、現地案内人として彼女を雇っている。

 


 「分かりました、ご主人様。……ああ、いえ、申し訳ありません。アリン様」

 「いちいち謝らなくていいわよ。私はただの雇い主で、貴方が思っているような偉い人間では無いし」

 

 しかしこの少女、どうもアリンを王侯貴族の類と勘違いしている節があり、いちいちかしこまったというか怯えたような態度を取る傾向があった。

 街がある方角や通貨単位、この国が〈王国〉と呼ばれる封建制国家であることを教えてくれたのは彼女であり、案内人としての仕事はしてくれている。だから文句を付ける程のことでも無いのだが。

 


 ニャア

 

 ふと、下から声が聞こえた。見ると猫が1匹、セナの足元に寄ってきている。小型種なのかまだ子供なのか、小柄で全体的に丸っこい。

 

 「あ、すいません。私の知り合いなんですが」

 

 セナが困惑口調で弁解しつつ、猫を遠ざけようとする。セナが構おうとしないのを見て、猫は次にアリンにじゃれついてきた。

 

 アリンは少し笑うと、ポケットにあった携行栄養食の食べ残しを猫に投げてやった。

 携行栄養食は軍人や探検家の非常食で、脂肪と複合アミノ酸を糖で固め、各種栄養素を添加したものだ。

 完全栄養食で軽くて保存性が高いと良いこと尽くめに見える食品だが、大抵の人間はやむを得ない状況以外で口にしようとはしない。

 成分の性質上、製造各社がどう工夫を凝らそうが、異様に味が濃い上に妙な薬品臭がする代物となるからだ。


 新領土で調査をしていたアリンは、そのやむを得ない状況だったので昼食に携行栄養食を食べたが、8割ほど食べたところで嫌になった。

 そこに現れた猫は、残り物の処理にちょうど良かったのだ。

 


 

 人間と猫では味覚が違うのか、それとも単に腹が減っていたのか、猫は夢中で携行栄養食に齧りついた。食べながら何かをせがむ動きをしたので、アリンは軽く頭を撫でてやった。

 どうやら正解だったらしく、猫はすっかり寛いだ様子になっている。

 

 「珍しいですね」

 「ああ、確かにこういう毛色って珍しいわね」

 

 そこでセナが話しかけてきたので、アリンは何となしに答えた。

 目の前で寝転んでいる猫であるが、黒猫のようでいて完全な真っ黒では無い。尻尾と足先と耳だけは白いのだ。割合希少な色である。

 


 「あ、いえ、そうではなく、この子が人に懐くって珍しいなって」

 

 言いながらセナは、アリンとともに猫を撫で始めた。最初に知り合いと言ったのは嘘では無いらしく、猫は更に寛いだ様子になった。手足をだらしなく伸ばすばかりか、目まで閉じている。

 

 セナの方もいつの間にか、緊張を解いていた。怯えるように硬直していた表情が緩み、柔らかい優し気な顔で猫を見ている。

 



 「ああ、すいません。宿でしたね」 

 「別に急ぐ必要は無いわ」

 

 しばらくしてセナが我に返ったような慌てた口調で言ったが、アリンは少しだけ顔を背けながら柔らかく制止した。


 自分がセナの細い指の滑らかな動きや、整った横顔にかかった柔らかそうな銀色の髪に見惚れていたことに気付いたのだ。

 痩せすぎている上に非常に粗末な衣服しか身に付けていないにも関わらず、セナはどこか貴族的な、高貴と言ってもいいような美しさを漂わせている。


 怪訝そうなセナを見ながら、アリンは心中に疼きを感じた。同性としての嫉妬や羨望とは異なる、どこか甘い痛みだった。












 サラカ・セタは夕暮れの中、倉庫に戻された兵器群を見つつ溜息とも歎声とも付かない声を上げていた。

 やはり今の段階では、七星軍など夢物語では無いか。鹵獲ないし密輸されてきたレマ公国の兵器を見るに、そう思われてならないのだ。

 



 まず目を引くのが火砲群である。三寸から六寸(約9 cmから約18 cm)の砲と各種弾薬が並べられている。

 精緻な表面仕上げもさることながら、サラカが目を見張ったのは薬室の大きさと装薬量の多さである。

 〈王国〉製の火砲にこれだけの火薬を詰めれば、間違いなく尾栓が飛ぶか砲身が破裂する。しかし何度試射を行っても、レマ公国の火砲は損傷しなかった。

 

 装薬量の差は、そのまま性能の差につながっている。例えば〈王国〉製六寸砲は最大射程が8小里(約3 km)程度なのに対し、レマ公国の同級砲は14小里(約5.5 km)と倍近い。

 これでは〈王国〉軍の砲兵は、射程外から一方的に叩かれてしまう。

 


 そんな残酷なまでの性能差をもたらしているのが、両国の金属加工技術の差異だった。〈王国〉軍の火砲は銑鉄鋳造なのに対し、レマ公国軍の火砲は鋼鉄削り出しで作られている。

 この違いにより、重さが同じでも砲身強度には大差が生じ、そのまま性能差になっていた。〈帝国〉滅亡以来初めて火砲を実戦投入した国は〈王国〉だが、今や後進国なのが実情だ。

 

 大型火砲と比較すると地味ながら、更に憂色を強めずにはいられない兵器もあった。歩兵が1人で扱える極小版の火砲、銃である。

 〈帝国〉軍歩兵の主力装備だったもので、〈王国〉でも複製を試みたが失敗に終わった代物だ。

 それをレマ公国は、非常に高価な光銀製部品を使うことで、無理やり実用化してしまったのだ。

 


 この銃は引き金を引くだけで連射できる仕組みになっており、状況次第では1人の歩兵が10人以上を容易く葬り去ることが出来る。

 故障率が高く高価なので精鋭部隊のみの装備らしいが、その部隊が出てきた場所では〈王国〉軍は間違いなく敗北するだろう。

 



 「駄目だな。何をしても火力で勝てない」

 

 サラカは絶望に近い呟きを発した。サラカの初陣は近々実施されるという噂の第7回七星軍になるだろうが、ここまで装備に差があっては初陣がそのまま最期の従軍となりそうだ。

 祖父が常々言っていたように、戦場を支配するものは正義や信念ではなく、火力の有効投射量なのだから。

 


 一応、〈王国〉軍が優っている分野もある。騎兵戦力及び全般的な兵の数である。

 

 しかし普通なら重要なこれらの要素は、こと七星軍に限ってはあまり役に立たない。

 七星軍の遠征先であるレマ公国大陸側領土は多数の河川や湿地が存在し、大規模な騎兵部隊の活動に向いていない。

 また兵力に関しても、実質的にはレマ公国の方に分がある。強力な水軍を持つレマ公国は水上輸送によって兵力と物資を輸送できるのに対し、〈王国〉はずっと効率の悪い陸上輸送に頼ることになるからだ。

 これまでの七星軍でもそうだったように、今回も前線に展開できる兵力は互角かレマ公国優位だろう。

 


 そして兵力の質でも量でも負けている側が勝利することは滅多に無い。そんなことは、計6回の失敗を見るまでもなく明らかだ。

 祖父が指揮した第3回七星軍だけは戦術的勝利だったが、戦略的にはやはり敗北だった。しかもあの時は、両軍の装備には殆ど差が無かったのだ。

 


 今回の七星軍は恐らく、第6回と同じか更に酷い結果になるだろう。サラカはそんな陰鬱な予測を立てていた。

 この遠征はサラカが生まれて間もない頃に実施され、〈王国〉軍史上最悪に近い敗北に終わった。王や大貴族を含む主力部隊7万が丸ごと捕虜となったのだ。

 〈王国〉は大量の賠償金支払いと一部領土の割譲を含む屈辱的な講和を結び、指揮官と兵士を買い戻す羽目になった。

 



 現在、両軍の兵器の性能差は第6回の時より更に開いている。

 レマ公国は〈王国〉から得た賠償金を元に、熟練の金属加工職人多数を雇った。その成果が、サラカの目の前にある兵器群である。

 精鋭に限れば、レマ公国軍は伝説の〈帝国〉軍に匹敵する火力を持つ可能性がある。レマ公国は龍兵と言う馬鹿げた兵科まで持っていることを考えれば、ある意味それ以上かもしれない。

 


 対する〈王国〉軍の装備は、祖父が従軍した北部戦役の時代から大して変わっていない。

 主力兵器は相も変わらず弓や弩と、刀槍その他の白兵戦兵器である。唯一の進歩は火砲の標準装備だが、これもレマ公国のそれに比べて射程や威力が大幅に劣るのは、実験で分かった通りだ。

 兵器、特に近頃の戦いで重要な投射兵器について、〈王国〉軍は情けない程劣っていた。

 




 厳密に言うと、〈王国〉は銃や高性能の火砲を製造できない訳では無い。〈王国〉でも高品質の鋼鉄や光銀は生産できるし、加工する職人もいる。

 数十から数百単位でいいなら、目の前の銃砲より高性能なものを作ることも可能だろう。

 しかしそれらを軍用として配備するのは、生産力の上でも国家体制の上でも不可能だ。〈王国〉は良くも悪くも、レマ公国とは違うのだ。

 


 (せめて、あれが少数でも生産できれば)

 

 夕暮れの少し前に飛んでいたものを思い出しつつ、サラカはそんなことを思いもした。

 あれはどう見ても携行飛翼、かつての〈帝国〉の移動手段だった。携行飛翼の量産が可能であれば、〈王国〉軍はレマ公国の龍兵に対抗し、更に火力でも優位に立てるかもしれなかった。



 七星軍が正式に決まる前に、何としてもあの携行飛翼の持ち主を見つけ出す。サラカは心中でそう誓った。








 



 アリンは意外な事実を発見して感動に近い喜びを覚えていた。一体どんな代物が出て来るかと恐れていた、宿屋の料理に対してである。

 

 と言っても、高級料理が出てきたり未知の珍味に出会った訳では無い。むしろ逆で、宿代を奮発した割には平凡な料理ばかりだ。

 〈帝国〉の平均的な宿に泊まると、大体こんな食事が出て来る。

 

 それこそが、アリンが喜んだ理由だった。まさかこんな場所で、〈帝国〉料理が食べられるとは思わなかったのだ。

 

 新領土管理官が自らの仕事に対して持つ最大の不満は食事である。

 〈帝国〉において食事が不味いので有名だった職業は船員と軍人だが、実の所これらに従事する人間の食料事情は大分前から改善されている。

 虫に食われたビスケットと歯が立たない程硬くて塩辛い干し肉は、流通網の進歩によってもう過去の話なのだ。今の軍人と船員は、むしろ一般家庭よりいい食事を取っている。

 


 対して新領土管理官の食料事情は、現在進行形で悲惨の極みである。

 伝統的な〈帝国〉領の外を少人数で行動する新領土管理官には、船に装備された厨房も、軍とともに行動する炊事車両も無縁だ。

 例の携行栄養食や金属臭い缶入りパンを主食とし、現地で取った魚と野草を適当に茹でて添えるのが、新領土管理官の日常食である。

 しかも塩や香辛料は代用通貨としても使う為、味付けさえ出来ない場合がある。

 



 そんなアリンにとって、目の前の食事はまさに望外のごちそうだった。

 人間が食べる事を想定した食材に、空き缶に入れた雨水で茹でるのとは違うまともな調理が行われている。それだけで有難いのに、使用されている食材も調理法も、〈帝国〉料理に近い。

 内心覚悟していた珍妙な食べものは無いし、生のまま出したり逆に黒焦げにしたりと言った極端な調理も行われていない。どれも〈帝国〉人が普通に食べられる料理だ。

 



 無論気になる点が無い訳では無い。鶏肉の串焼きに使われている肉は少々硬すぎるし、川魚のスープは使われている野菜の青臭さが強い。羊肉のシチューは使用されているスパイスが違うらしく、〈帝国〉料理と同じ味を期待して食べると違和感が口に残る。

 また各食材の癖に対抗する為か、全体に味付けが濃い。

 


 しかし逆に言えばその程度である。全体として目の前の料理群は、驚くほど〈帝国〉料理だ。食材や味付けの細かな違いも、慣れれば無視できる範囲である。

 

 



 (宿代を奮発した甲斐があった)

 

 1か月ぶりのまともな食事を楽しみつつ、アリンは心から思った。セナに案内されて分かったが、この街には大きく分けて2通りの宿がある。

 1つが今泊まっている堅牢な耐火煉瓦造り、もう1つがやたらに背の高い木造建築である。

 

 この2種の宿であるが、質と宿代に天地の差があった。

 煉瓦造りの方は大抵の〈帝国〉人が文句を言わないであろう立派な宿だ。各部屋には冷輝灯と暖炉が据え付けられ、ベッドには清潔な布団が敷かれている。

 図書室と個人用の浴槽がある所は、〈帝国〉の一般的な宿より上かもしれない。

 

 対して木造建築の方はそれら一切が存在しないばかりか、部屋に鍵さえ掛からなかった。どうも盗む価値があるものなど持っていないような人間が宿泊する前提らしい。

 しかも木造の高層建築にも関わらず、脱出用設備や消火設備らしきものが見当たらなかった。火事が起きれば客の大半は助からないだろう。

 



 2つのどちらに泊まるかの選択を強いられたアリンは、悩んだ末に煉瓦造りの方を選んだ。

 ちゃんとした食事と浴槽での入浴、隙間風の入らない部屋での就寝という誘惑が、倹約意識を上回ったのだ。

 

 この手の浪費をすると大抵後悔するが、今回は正しかった。窓の向こうにうっすらと見える木造宿の影を見ながら、アリンは総括した。

 この宿に一泊する値段で、あの木造宿には十泊出来るが、二度と口に出来ないかと思っていた〈帝国〉料理には代えられない。

 


 しかも外観だけは割と立派に見えた木造宿であるが、遠くから見ると建物全体が嫌な感じに歪んでいる。地盤が沈下するか、構造材が建物の重量に耐えきれず変形するかしているのだろう。

 あれでは地震や強風が来たらもたないどころか、何も無くても突然倒壊する可能性さえある。幾ら安くてもあれには泊まらないという決断をしたのは、いろいろな意味で正解だったらしい。

 




 「あれ、食べないの? 食欲が無いなら、せめてスープくらい飲まない? 食べたいものがあれば追加注文するし」

 

 それはそれとして、アリンには気になることがあった。久しぶりの〈帝国〉料理に夢中でしばらく気付かなかったが、セナが料理に手を付けていないのだ。

 それどころか、目を閉じてそっぽを向いている。

 

 それがアリンには少し心配だった。一応回復術式で目に見える傷は治したが、セナはまだ完治していない。小さな身体の至る所に、出血と低体温症のダメージが残っている筈だ。

 それを治すには、十分な食事と睡眠が不可欠なのだが。

 



 「え? 頂いて宜しいんですか?」

 

 セナが大きな碧い目を見開いた。質問と言うより疑念に近い声色だ。

 

 「うん、もちろん」

 

 予想外の反応に困惑しながらアリンは答えた。セナに食べるな等と言った覚えは全く無いし、取り皿と食器も渡しているのだが。

 

 「でも、私なんかが本当にこの料理を… あの、私は別にいいですよ。食べ物は後で自分で…」

 「あのねえ、私はそこまでケチじゃないわ。好きなだけ食べなさい」

 

 アリンは少し呆れながら言った。どうやらセナは食欲が無いのではなく、食事代について気兼ねしているらしい。

 



 言われてみると、確かにこの宿の料理は高い。

 遠い異国で〈帝国〉料理が食べられるということでアリンは気にしなかったが、どの料理にも〈帝国〉本国ならぼったくり扱いされる値段が付いている。

 


 しかし今のアリンにとっては、どうという事の無い金額である。当座の現金を確保する為、持っていた人造透石を質屋に売った所、何と金貨40枚になったからだ。

 どうもここの人間は人造透石というものを知らないらしく、同じ大きさの天然透石の値段を付けたようだ。

 同じ人造透石が〈帝国〉の土産物屋では銅貨10枚で売っていることは、無論教えていない。少し悪い気もするが、質屋の方も通常問題にならない小さな傷を理由に値切ろうとしたのだからお互い様である。

 

 それはともかく、セナが何をどれだけ飲み食いしようが、今のアリンの所持金の千分の一も使いきれない。その程度の出費を惜しむほどアリンは吝嗇では無い。

 ついでに言うと、連れが食べていないのに自分だけ食事を続けられるほど神経が太くもない。

 


 「…では、頂きます」

 

 おずおずと言った調子で、こちらの様子を伺いながらセナも食べ始めた。目の前に置かれた料理が無くなっていくにつれ、蒼白だった肌に血の気が戻り始めている。


 アリンはひとまず安堵すると、デザートに紅茶とケーキを追加注文した。他の料理と比べてもやたらに高価だが、今日くらいはいいだろう。

 

 (後は風呂に入って、図書室でこの辺りの情報を調べるか)

 

 紅茶の葉を蒸らしながらアリンはささやかな計画を立てた。言語や食文化がこんなに近いということは、この街は過去に〈帝国〉と交流があったと思われる。

 その内容が分かれば、〈帝国〉への早期帰還につながる筈だった。


 

 






 しかし数刻後、アリンはベッドの上で頭を抱えていた。図書室から借りてきた本であるが、どれも役に立たないのだ。

 

 読めない訳では無い。使われている言語は話し言葉と同じく〈帝国〉語に近いもので、少し時間をかければ問題なく読解可能だ。

 



 問題はその読解した内容にあった。最初は誤読したかと思ったが、何度読み直してもただのおとぎ話の寄せ集めなのだ。

 

 〈万物の歴史〉と題された本の冒頭にはいきなり、「世界は1000年前に神が創造した」との記述があった。

 民話を話の枕として載せたのかと思ったが、途中まで読むと著者が本気だと分かる。以後の記述は全て、世界の始まりは1000年前という前提に則っているのだ。

 〈帝国〉北方自然保護区の大木には樹齢2000年を超えるものがある。〈万物の歴史〉を信じるなら、あれらは世界それ自体より前から存在していたらしい。

 

 無茶な記述はその後も続く。南の島々は巨大な亀の死骸であるとか、窪地は太古の巨人の足跡だとか、火山は神々が使った武器の残骸だとか、そんなおとぎ話が整合性も無く延々と語られるのだ。



 〈万物の歴史〉自体が冗談で書かれた本なのかと思って他を当たってみたが、どの本も似たようなものだった。無意味なおとぎ話と、空辣な教訓話、それに無内容な哲学擬きの束である。

 

 唯一役に立ちそうなのは、〈基本医学〉と書かれた大判の冊子だった。

 載っている「治療」の大半が有害ないし無益だが、なかなか精巧な図が使われている。危険動物や害虫、それに一般的な植物の辞典としては活用できそうだ。

 もっとも他の本の惨憺たる記述を見ると、これもどこまで信用していいか疑問だが。

 



 (寝るか)

 

 荒唐無稽な情報の羅列に疲れたアリンは結論した。図書室はもう閉まっているし、本を選び直す気力もない。本格的な情報収集は明日に回すこととしよう。

 

「ところでセナ」

「はい?」

「どうしてそんな場所で寝ているの?」

 

 しかしその前に、アリンには聞きたい事があった。アリンに合わせてセナも寝ようとしている。それはいいのだが、彼女は何故か布団も敷かずに床に寝ようとしているのだ。

 

「あ、申し訳ありません! ご迷惑でしたね。私は外の廊下で」

 

 しかしその途端、やや血色が戻りつつあったセナの顔色が再び真っ白になった。怯え切った表情で立ち上がると、脱兎のごとく駆けだそうとする。

 

「違う、出ていけなんて言っていない!」

 

 アリンは慌てて言った。何故かセナはアリンの質問を「邪魔だから出ていけ」という意味に受け取ったようだ。

 アリンとしては、冷たい床で寝ると身体に悪いのでベッドに上がった方がいいと言ったつもりだったのだが。

 


 「え?」

 

 セナは駆けだそうとした態勢のまま固まった。蒼白な肌に鳥肌が立っているのが見える。

 

 そんなに彼女を怯えさせるようなことを自分はしただろうかと、アリンは自問した。

 やはり携行飛翼を知らない人間を、準備も無くいきなり乗せたのがよくなかったのだろうか。或いは暗視装置や地図作製機など、軍用にも使われる道具を見せたせいなのか。

 


 だがアリンはすぐに思考を中断した。原因など後で探ればいい。今は怯えて混乱した少女を落ち着かせるのが優先だ。

 

 「セナ」

 「は、はい」

 

 こわばった表情で身構えているセナに、アリンは出来るだけ穏やかに話しかけた。

 

 「何だか知らないけどごめん。怖がらせちゃったみたいね」

 「いえ、そんな…」

 

 蒼白な顔のままでセナが呟く。相変わらず全身が痙攣したままだ。悪意は無かったのだが、アリンとしては罪悪感を覚えずにいられない。

 

 「寝ようか」

 

 アリンはそれだけ言うと、セナを軽く抱きしめた。想像していたより更に華奢な身体が、腕の中で震えている。拒まれればすぐ離れるつもりでいたが、セナはそのまましがみついてきた。

 

「も、申し訳…」

「謝らなくていいわ。私は怒ってないから」

 

 アリンは彼女の銀色の髪を撫でながら安堵した。少なくとも、それほど嫌われてはいないらしい。

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