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〈王国〉-2

 セナはぼんやりと空を見つめていた。川に落下した時山頂にあった太陽は今では完全に姿を消し、空自体の色も濃度を増している。

 

(夕焼けは見れそうもない)、セナはごく冷静に判断した。

 先ほどまで全身を苛んでいた激痛は幾らか収まり、代わりに抗い難い程の眠気を感じる。破裂しそうな程の速さで動いていた心臓の鼓動も今では力が無い。

 つまりセナの身体は精神より少し遅れて、生きる事を諦めたらしい。

 

(寒いな)

 

 セナは何となく思った。〈王国〉はもうすぐ冬で、川の水温は氷点下に近い。最初感じた突き刺すような感覚は、今では石のような倦怠感に変わっていた。

 川に落下した時、船の外板を構成していた木片を咄嗟に掴んだ腕も今は感覚が無い。黒と緑の幕で視界が狭まり、自分がまだ木片を掴んでいるかも分からなかった。

 呼吸が苦しい。空気を吸い込むたびに肺が痛み、息をうまく吐けずに喉を突き刺すような疼きと吐き気がこみ上げて来る。

 陸地はたった数歩先にあるが、今のセナにとっては世界の果てより遠かった。凍り付いたように感覚が無い手足から、冷気が身体の中央まで浸み込んでくるのが分かる。

 冷気が心臓に達した時、自分は死ぬのだろう。セナは漠然と思いながらその時を待った。泣き喚きはしない。そんな力はとうに無くなっていた。

 







 それからどれ程の時間が経ったのか、セナは不意に誰かが自分の傍にいることに気付いた。

 

 閉じかけていた目を開けると、そこには風変わりな格好をした美しい女性がいた。金色の髪に緑色の目をした、セナより少し年上の少女がセナを見下ろしている。

 

 (自分を迎えに来た天使だろうか)、セナは一瞬思った後、すぐにその考えを嗤った。自分が天界に迎えられるに値するとは到底思えない。

 しかしそれでは、この人は誰なのだろうとセナは内心で首を捻った。少なくとも、セナの知り合いでは無いが。

 


「あの…」

「あ、目が覚めたのね」

 

 声を上げたセナに、少女が嬉しそうに声をかけてきた。

 そこでセナは初めて、自分が川から引き上げられて防水布の上に寝かされていることに気付いた。身体や服も、いつの間にか乾かされている。

 どうやらセナは、目の前の少女に助けられたらしい。

 

 

「えっとね。私は〈帝国〉3等新領土管理官のアリン。よろしくね」

「…セナと申します。その、ありがとうございます」

 

 そしてセナが質問するまでもなく、金髪の少女は自己紹介をして来た。セナはおずおずと助けられた礼を言いつつも、内心で首を捻った。

 〈帝国〉という国は少なくともこの〈王国〉の近くには無い。つまりアリンと名乗った少女は、どこか遠い外国の人間なのだろうか。

 それにしては、やや訛っているにせよセナと同じ言葉を話すようだが。

 

 

「分かった。セナね。それでセナ、どうしてそんな姿勢で寝てるの? 寝苦しくない?」

「…傷がお見苦しくないようにですが」

 

 しかしセナは言葉に関する疑問を解決する前にアリンの質問を受け、精神に激痛を感じた。自分が今どんな姿をしているか、改めて考える羽目になったのだ。

 

 現在セナは、顔の右半分と左脚がアリンの視界に入らないよう、身体を捻った状態で寝ている。その2つの部分は数刻前の戦いで破壊され、崩れた肉塊に変わっているからだ。

 どの道アリンはセナを引き上げる際に惨状を確認しただろうが、それでもセナは無惨な傷口を出来るだけアリンの視線から遠ざけたかった。


「…ああ、そういうこと」

 

 アリンが同情するように頷く。セナはまた罪悪感に襲われた。アリンが何を思ってセナを助けたのかは不明だが、恩返しは出来そうもない。片脚と顔を失った奴隷など、市場価値は零である。

 せめて無傷であれば、身売りした金を彼女に渡せたのだが。

 

「その傷なら、もう大体治したけど」

「へ?」

 

 しかしセナは、アリンが次に放った言葉を聞いて目を剥いた。気休めの嘘にしても、あまりに荒唐無稽すぎるのだ。

 セナが負っていた2つの傷はどちらも骨に達していた。アリンが魔導士で回復術の使い手であると仮定しても、セナが川辺に打ち上げられてからの2刻やそこらで治せるとは思えない。

 傷の痛みがいつの間にか消えているのは事実だが、常識的には鎮痛剤を投与された結果だろう。セナが負っていたような傷を治すのは、王室に使えるような大魔導士でも難しいのだから。

 

 だが傷を治したというアリンの言葉が嘘であれば、何の為にそんな無意味な嘘をつくのかという新たな疑問が出てくる。

 すぐに真偽を確認できる事柄について偽りを述べると言うのは、虚言の用い方として最も愚かな行為だ。アリンがそんな真似をするような愚か者だとは、セナには思えない。

 それに何より、セナを騙した所でアリンには何の利益にもならないのだが。

 


 「ほら、見て。治ってるでしょう」

 

 セナが困惑する中、アリンは自信に満ちた表情でそっと鏡を差し出してきた。

 

 セナは葛藤した。潰された顔を自分の目で見ることに対する恐怖は耐えがたかった。

 たとえアリンが言う通り傷が治っていたとしても、大きく肉を抉られた部分には見るに堪えない跡が残っているだろう。脚の方も切断されているか、固まった状態で癒着している筈だ。

 

 そんな状態になり、しかも身分も財産も無い人間は、農奴や売春婦にすらなれない。どこかの街で物乞いをしているうちに餓死するか、目障りだとして殺されるかが関の山だ。

 


 鏡を見れば、今は頭の中に映っているだけのその運命を、現実として目にすることになる。それに自分の精神が耐えられるか、セナには自信が無かった。

 

 だがこのまま目を背ければ、アリンの術を疑っていると見られかねない。セナは覚悟を決めて、そっと目を開いた。

 まずは顔の左半分を見る。当然ながら見慣れた自分の顔だ。

 次に視線を少しずつ右半分に移していく。頬の中央から後ろにかけては、骨が砕けて変形するとともに巨大な陥没孔が刻まれ、二目と見られない状態の筈だ。

 


「あれ、嘘?」

 

 しかしセナは困惑の声を上げた。どこまで視線を右に移しても、変形や傷跡が見当たらないのだ。顔の右半面も左半分と同じく、特に何の傷も見当たらない綺麗な状態だ。

 願望から来る幻覚を疑って二度見、三度見したが、失った筈の顔は確かにそこにあった。震える手で顔をなぞっても、傷口は見当たらない。

 


 セナは訳が分からなくなりながら上体を起こして左脚を見た。骨が複数個所で砕けるという致命的な損傷を受けた個所だ。

 膝上での切断を覚悟していたが、見ると左脚は元の状態で存在している。動かしてみると、特に何の異常も無く動く。

 

「こ、これ!?」

「いや、だから私が治したって言ったでしょう」

 

 驚愕のあまり硬直したセナに向かって、アリンが不思議そうに言った。自分の術が、そんなに信用できなかったのかと言いたげだ。

 

「な、治したって、こういう…」

 

 セナは謝罪や弁解を行う余裕も無く、そんな言葉を発することしか出来なかった。それ程までに現実離れした技だったのだ。


 アリンが言う「治した」を、セナは取りあえず傷口を塞いだという程度の意味と解釈していた。セナが負っていた傷は、完治させるのが不可能な代物だったからだ。

 しかも2刻程度の短時間である。破壊された部位を切除して傷口を癒合させ、出血を止めるのが精々だろうと。

 

 だがセナの傷は、真の意味で治されていた。後遺症どころか痕跡も無く、最初から傷など無かったかのように。

 



「ご、ご無礼を申し上げました。高位魔導士の方だったのですね」

 

 続いてセナは蒼白になりながら、アリンに向かって頭を下げた。目の前の少女が、雲の上の存在だと気付いたのだ。

 複雑骨折を含む重傷を僅かな間に完治させるなど、並の回復術師に出来る技では無い。とてもそうは見えないが、アリンは恐らく「半神」の称号を持つ大魔導士だ。当然、貴族でもあるのだろう。

 セナにとっては本来、直接口を聞く事さえ恐れ多い相手である。

 


「そんなにかしこまらないで。私は別に偉い人じゃないし」

「は、はあ…」

 

 苦笑とも微笑ともつかない表情を浮かべるアリンに、セナは相槌を打つことしか出来なかった。能力も人格もあまりに型破り過ぎて、どうにも理解できない相手だ。


「それでご主人様。私は何をすれば宜しいでしょうか?」

 

 次にセナは、アリンに質問した。沈没した船の積み荷の所有権は発見者にあるので、現在のセナの主人はアリンということになる。

 恩人である事を抜きにしても、セナはアリンに服従しなければならない立場だ。

 

 

「いや、だから私はそんなに偉い人じゃないわ。アリンでいいわよ」


 しかしアリンは「ご主人様」という言葉を聞いた瞬間、不快そうな顔をして訂正を促してきた。どうやら本当に嫌らしい。セナは仕方なく、呼び方を変えることにした。

 

「ではアリン様、何なりとご命令ください」 

「その『様』っていうのも…… まあ、いいわ」


 アリンが溜息を付く。つくづく変わった人だとセナは思った。

 大して偉くも無いのに威張りたがる人間なら星の数ほどいるが、どう見ても実力者なのにそう扱われるのを好まない人物は初めて見た。

 



「それなら頼むけど、念のためにまだしばらく休んでいなさい」

「……え? いや、私はもう働けますけど…」

 

 しかしアリンが出してきた命令の内容に対する驚きは、その比では無かった。あまりに想定外だったので、反射的に拒絶じみた言葉を口にしてしまった程だ。


「いいから、休んでて。傷が完全に治る前に動くと、いろいろ障害が出るかもしれないし」


 聞き間違いかと思ったが、アリンは労わるように続けた。それを聞いたセナは、瞼が痛い程に熱くなって大量の涙が込み上げてくるのを感じた。

 

 今は痛い訳でも苦しい訳でも無いのに何故だろうとセナは自らを訝しんだが、やがて理由に気付いた。

 「起きろ」や「働け」ではなく「休め」、そんな命令を受けたのが初めてで、どうしていいか分からないからだ。

 


 そこでセナは歯を食いしばった。ああ駄目だ。また泣いてしまった。殴られる。

 

 


「え、えっと…」

 

 しかしアリンは、いつまで経ってもセナを殴らなかった。代わりに彼女は、心配そうな途方に暮れたような表情でセナを見ている。

 セナはその視線に耐えきれず、目を逸らした。本当に自分は何をしているのだろうか。

 

「申し訳…ありません」

 

 セナは顔を背けながらアリンに謝罪した。羞恥心と罪悪感で精神が煮え立つのを感じる。

 

「いや、謝らなくていいけど」

 

 アリンが相変わらずの優し気な口調で声をかけてくるが、セナにとっては罪悪感を刺激されただけだった。

 オーバーヒートした意識の中に残った冷静な部分が、嘲笑と罵倒を浴びせて来る。「厄介者」、「恩知らず」、「出来損ない」、「家の恥」、そんな声が胸郭の中で何重にも響き渡り、これまで会ってきた人間の怒りや失望の表情が浮かんできた。視界が白く染まり、呼吸が苦しくなる。

 



 


 しばらくしてセナは、アリンが身じろぎしたのを感じた。それは恐怖でもあり、安堵でもあった。殴るつもりなのか、それとも呆れて立ち去るだけなのか。

 

 だがアリンは、そのどちらの行動もとらなかった。代わりに彼女は、背嚢から何やら複雑な構造の機械を取り出している。アリンがスイッチを押すと、機械は巨大な蝙蝠に似た姿になった。

 

 

「何ですか、それ?」

「携行飛翼。これを使うと空を飛べない魔導士も飛べるようになるのだけど、見たことない?」

 

 見慣れない機械に驚きの声を上げたセナに、アリンがこちらも驚いたように説明してきた。その反応から見るに、彼女の故郷ではごく一般的なものらしい。

 


 機械仕掛けの蝙蝠はすぐに、2人を乗せて離陸した。

 アリンの背中にしがみつきながら、セナは横目で沈む夕陽を眺めていた。非常に意外なことに、セナにはまだ夕焼けを見る機会がありそうだった。






 



 



 〈王国〉神殿騎士団において副団長を勤めるコズ将軍は、本部に送られてきた嘆願書の山を見て眩暈に近い感情を覚えていた。

 

 貴族や商人だけで1万を超える人間が、神殿や神殿騎士団の弱腰を批判する文書に署名している。彼らが動かすことが出来る人間の数を考えれば、実質数十万以上が神殿騎士団に積極的行動を求めているということだ。

 具体的には神殿騎士団を中核とした拝天教の軍隊、通称七星軍の動員宣言を行うことを。

 

 (心情的には理解できるのだが)、コズは眉を顰めながら思った。実際、〈王国〉が置かれている状況は、かつての〈帝国〉の栄光を知る者にとってはあまりに屈辱的だった。

 

 何しろ〈王国〉は、国民と国土を外敵から保護するという国家として最低限の義務さえ満足に果たせていない。

 〈帝国〉時代の領土の3割は異教徒に占拠され、更に異教徒と結託した一部商人が、貧民を奴隷として売り飛ばしている有様だ。

 

 


 その象徴のような出来事が、本日発生した小規模な水上戦闘だった。

 戦闘の生存者によると、〈王国〉中央を流れるシドン川を運行していた武装商船を私掠船が襲撃し、双方が沈没したらしい。武装商船はレマ公国、私掠船はザイラ諸侯連合に属していた。

 この両国は数十年前から冷戦と熱戦の間を行き来しており、現在は互いの本土に手は出さないという暗黙の了解の下、散発的な交戦を続けている。今日の戦闘も、言ってみればその一環だった。

 

 〈王国〉にとっては、実に恥ずかしい話だった。2つの外国の武装船が国内河川に出入りし、勝手に戦っているのだ。これが稀な出来事ならともかく、実際には日常茶飯事に近い。

 

 数年前にはシドン川下流にある中洲の使用権を巡って、レマ公国とザイラ諸侯連合が互いに軍を上陸させたことさえある。〈王国〉軍は自国領である筈の中洲で2つの外国軍が争っているのを、ただ傍観しているしか無かった。

 

 かつて大陸全体に影響力を行使した〈帝国〉とは対照的に、現在の〈王国〉は外国軍が行き来するチェスボードに過ぎないのが実情だ。

 沈没したレマ公国の船が積んでいた荷物が〈王国〉人奴隷だったという事実は、その象徴の最たるものだろう。

 




 七星軍構想は、この悲惨な現状を憂いた一部聖職者が提唱し、現在では広く膾炙しているものだ。


〈王国〉の国教は拝天教だが、拝天教徒は〈王国〉だけでなく、旧〈帝国〉領全体に存在する。

 異教徒の国であるレマ公国もザイラ諸侯連合も元は〈帝国〉領であり、拝天教を信じ〈帝国〉語を話す住民が多数存在するのだ。

 

 拝天教の象徴である七星旗を旗印として旧〈帝国〉領から異教徒を追放、彼ら同胞を解放する。それが七星軍構想だった。

〈王国〉人、そして拝天教徒の1人として、コズは七星軍支持者の思いを痛い程理解できる。

 

 しかし七星軍構想には、致命的な欠陥が1つあった。これまで1度も成功していないという事実である。

 過去6回の七星軍は全て失敗に終わっており、そのうち2回は内戦の原因になっている。

 幾ら賛成意見が多いからといって軽はずみに実行すれば、〈王国〉の国威と国力を今以上に低下させかねない。コズはそう思っていた。

 

 


 「やはり皆、七星軍を望んでいるようだな。国内を纏めるのが難しければ、いっそ我々だけでも出てはどうだ? 今問題になっているタマン州だけなら、多分落とせる」

 

 そして輪をかけて問題なのが、七星軍への賛成意見の多くがこの程度の代物であることだ。無責任な発言を聞いたコズはこっそりと顔をしかめながらそう思った。

 しかも発言主が総指揮官なのだから救いようが無い。

 

「総団長、軽率な考えはお慎みください」

 

 コズはうんざりしながら、神殿騎士団総団長のカドス・セタを窘めた。先代は偉大な人物だったが、後継者の教育だけは誤ったらしいと内心で思う。

 


 カドス・セタは一見すると、先代のトルガ・セタよりもよほど騎士団長らしく見える。長身の美丈夫で馬術に優れ、弓術の達人でもあるのだ。

 トルガ・セタが鄙びた神殿の司祭という体の冴えない風貌で、馬も弓も碌に扱えなかったのとは対照的である。

 

 しかし残念なことに、似ていないのは見てくれや武術の才だけでは無かったようだと、コズは心の中で思っていた。

 トルガにはあった戦術・戦略の才能が、カドスには致命的に欠けているのでは無いか。コズにはそう思えてならないのだ。

 


「何故だ、副団長? 我々神殿騎士団の総力を以てすれば、タマン州の敵軍は容易く蹴散らせるではないか」

 

 カドスが精悍な顔に不満の表情を浮かべ、コズは彼への評価を更に引き下げた。やはり血だけを根拠に、親の地位をそのまま継がせる制度自体に問題があるのだろうか。

 

 公平に言うと、カドスは血筋だけで今の地位に就いた無能という訳では無い。馬上槍試合で何度も優勝した経歴を持つ素晴らしい戦士であり、面倒見の良さから部下の信頼も篤い。

 純粋な騎兵指揮官としては、むしろ逸材と言っていいだろう。

 

 しかしカドスは一介の騎兵隊長ではなく、神殿騎士団全体の長である。問題はそこにあった。

 



「確かに今いる敵軍を蹴散らすことは可能でしょう。しかし、それからどうするのです?」

 

 コズは穏やかな口調で諭した。カドスの言う通り、〈王国〉とレマ公国の境界にあるタマン州は神殿騎士団だけで占領可能に見える。

 同地に存在するレマ公国軍の数は3000程に過ぎないのに対し、神殿騎士団は1万5000を擁するのだから。

 

 だがそれはあくまで、今現在の数字に過ぎない。カドスの意見にはその視点が決定的に欠けていた。

 

「それから?」

 

 カドスが何を言っているのか分からないと言いたげな表情を浮かべる。やはり理解していないかと思いつつ、コズは説明を試みた。

 

「こちらが攻め込めば、当然向こうは奪還に出ます。レマ公国軍は最大10万の戦力を、タマン州に投入できるのです。我々だけでは10万の敵軍に太刀打ちできません」

 

 一時的に圧倒可能だということと、恒久的に占領可能であることは全く違う。コズはその点について注意を促した。

 タマン州にいるレマ公国軍は同国が動員できる全力でも何でもなく、ただの警備兼治安維持部隊に過ぎない。

 神殿騎士団がタマン州に攻め込めば、レマ公国は後方にいる本隊を出してくる。そうなれば神殿騎士団の戦力では到底太刀打ち出来ない。

 

「我々も増援を送れば良かろう。〈王国〉軍100万の前では、レマ公国軍など物の数ではない」

 

 カドスが反論した。彼も一応は、戦争とは前線にいる部隊の勝ち負けだけで無いということは理解しているらしい。

 

 そして表面上の国力では、〈王国〉はレマ公国を圧倒出来そうに見える。

 〈王国〉の人口は約3500万で、短期間なら100万を動員可能だ。対するレマ公国の人口はたったの400万で、動員可能戦力は20万が限界とされる。

 総力戦になれば〈王国〉はレマ公国に容易く勝てると、誰しも直感的には感じるだろう。

 

 しかし〈王国〉軍100万という壮大な数字には裏がある。

 100万の動員が可能であるというのは事実だが、それは各地域で動員できる数の総計に過ぎない。100万を一か所に集められるという意味でも、合計100万による遠征が可能という意味でも無いのだ。 

 もし100万を同時に動かして何かをしようものなら、〈王国〉軍は兵站の崩壊によって戦う前に壊滅するだろう。

 

 コズはそう説明したが、カドスは理解しているのかいないのか分からない微妙な表情を浮かべているだけだった。戦場ではこの男もいい働きをするのだが、この手の話はてんで駄目らしい。

 

(これは娘の方に期待するしか無いか)

 

 コズは内心で思った。カドスに息子はいないが、何人か娘がいる。そのうち長女は、祖父の才能を受け継いでいる可能性があった。



 



 その長女、サラカ・セタはちょうどその頃、祖父に貰った望遠鏡に映ったものを見て驚きの声を上げていた。大型の鳥とも小型のドラゴンとも違う飛行物体が、高空を横切っている。

 

 彼女は無論知らなかったが、それはもちろん、アリンとセナが乗る携行飛翼だった。


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