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〈王国〉-1

 アリンは神だか悪魔だかに対して何度も悪態をつきながら、いかにも何か化け物が出てきそうな暗い洞窟を探検していた。

 本来であれば、快適な部屋で紅茶を飲みながら資料作成などやっている筈だったのに、どうしてこんなことになったのだろう。

 

 

 もちろん理由は分かっている。神だか悪魔だかが一度アリンを救ったように見せかけ、また見放したからである。

 

 アリンと同じ階級に属する〈帝国〉人のうち、成績優秀者は基礎教育課程卒業時に〈帝国〉官吏候補選抜試験を受けるのが一般的だ。

 この試験に合格した者は3等官として、〈帝国〉政府の各部局に配属されることになる。

 

 3等官の給料自体は安いが働き次第で上を目指せるし、転職する場合も官吏候補選抜試験に通ったという実績が武器になる。

 何となく手段の自己目的化の臭いを感じないでも無いが、官吏候補選抜試験合格は〈帝国〉における下層中産階級以下の少年少女の夢である。

 

 そしてアリンは1年前に試験を受け、惜しい所で不合格になった。使える魔術が水属性中心で錬金術や霊魂術で無かったのと、面接点が災いしたらしい。

 失意のアリンは仕方なく、地元で仕事を探していた。

 

 そんな時、〈帝国〉政府から一通の通知書が来た。状況の変化に伴い、官吏候補選抜試験における不合格者の一部を合格扱いとする。任官を希望する者は申し出るようにという内容だった。

 もちろんアリンは喜びいさんで申請を出した。もっと冷静であれば「状況の変化」が具体的に何を意味するかや、通知書の「なお配属部署についての拒否権は認められない」という一文について考えたかもしれない。

 しかし当時のアリンは、棚ぼたで降ってきた合格に大喜びで、そんなことは考えもしなかった。

 




 その結果がこれであった。確かに3等官にはなれた。しかし仕事をする場所は〈帝国〉首都でも無ければ、地方都市や農村の一角ですら無かった。

 代わりにアリンは新領土管理局という聞いた事もない部局に配属の上、半年前までは〈帝国〉領ですら無かった土地に送り込まれたのだ。

 

 その土地は5年前から断続的に続いていた紛争にようやくケリがつき、勝利の代価として手に入ったものだ。

 面積は〈帝国〉発祥の地であるレムラン島に換算して20個分にもなり、国民は大勝利に湧きたった。〈帝国〉領の面積が3割増えたという発表を聞いた国民は、国力もまた3割増しになったと単純に考えたのだ。

 

 しかし新領土管理局員および、他の部局上層部は知っていた。表面上は敗戦を認めて領土を差し出した敵国は、名を捨てて実を取ったことを。

 割譲されたという名目の土地はそもそも何の価値もないせいで放置されていた実質無主地で、紙の上での管理権が〈帝国〉に移ったに過ぎないのだ。ほぼ全域が高地や砂漠で普通の作物は育たず、地震や火山噴火や竜巻を始めとする災害だけはやたらに多い。

 それ以外にあるものと言えば、この土地は異界や地獄につながっているという、何ともありがたい伝説だけだった。

 


 しかし〈帝国〉政府は元の持ち主とは違い、いかにも〈帝国〉的几帳面さを発揮した。

 どんな土地であれ〈帝国〉領になったからには調査を行い、住民(存在すれば)に〈帝国〉法を施行しなければならない。その原則に従い、廃止寸前だった新領土管理局に人員を補充し、各種調査を行う運びとなったのだ。

 アリンのような補欠合格者は、早い話がその補充要員という訳だった。

 





 かくしてアリンは促成訓練を受けた後、この岩山と洞窟だらけの何もない荒野に踏み入ることになった。

 目的は現在農業局が推進している薬用サボテン栽培事業の適地を見つける事と、赤輝石の鉱脈を探すことである。薬用サボテンは最近作られた解呪薬と染料の製造、赤輝石は火属性魔術に使われる。


 特に赤輝石については、新領土の地形的特徴から期待が寄せられていた。魔力を生み出す鉱物である輝石は、集まっている場所に独特の地形を作り出す。砂漠と岩山だらけの新領土は、赤輝石の鉱脈が見つかりやすい地形の典型だった。

 

 ただ問題なのが、赤輝石鉱脈があるとして、どこにあるかが分からないことである。新領土内は魔力状態が不安定で、通常の探知器が使えないのだ。

 予算の都合上、アリン達新領土管理官は分散して候補地を虱潰しに回るしか無かった。

 



 「あーあ、これなら軍にでも入った方がマシだったかな」

 

 初歩的な光魔法だけを頼りに薄気味悪い洞窟を探索しながら、アリンはぼやいた。官吏候補選抜試験に落ちた後、最終手段の1つとして考えていた選択肢だ。

 アリンが得意とする回復術や水術は、軍での需要が大きい。体力検査が不合格でも、特務准士官制度を利用すれば多分軍には入れた。

 軍も大概ろくでもない場所だが、少なくとも1人で洞窟探検をする羽目にはならなかったし、まともな食事も出ただろう。

 


 ひとしきりぼやいた後、アリンはまず赤輝石鉱脈の調査を始めることにした。

 まずは洞窟の壁の一部を砕いて洗浄し、鉱物結晶だけの状態にする。残った鉱物をシャーレに入れて特殊なライトを当て、赤く光る粒があればそれが赤輝石である。

 

 後は全体に占める赤輝石の割合によって、鉱脈として使えるかが決まる。周囲の魔力量から判断するに、今回は割と期待できそうだが。

 





 「あれ、これって?」

 

 しかしアリンは、結果を見て思わず声を上げた。シャーレに残っていた鉱物の大半は赤輝石では無かったが、かと言って普通の石でも無かった。

 

 輝石特有の魔力発光反応はあるが、出す光は赤では無く白だ。光の色だけで判断するなら白輝石だが、本体の色は白とは真逆の真っ黒である。

 また普通の輝石は特殊ライトを消した瞬間に発光を止めるが、この石はしばらく虹色の燐光を放つ。そういう性質の輝石も確かに存在は知られているが、常識的には他の鉱物と溶融した白輝石だろうか。

 

 しかし汚染された輝石にしては解せない点もあった。発光反応の強さもそうだし、何より周囲のガラス質鉱物と擦り合わせると、ガラスの方が削れるのだ。

 元の色が分からなくなる位に混ざった輝石に、これ程の硬さは無い。

 


 アリンは首を傾げると、ポケットから人造透石と光銀製ナイフを取り出した。どちらも土産物屋で売っている安物だが、材質の硬さは本物や高級品と同じだ。

 まず人造透石と擦り合わせると、透石の方が傷ついた。更に光銀に当てて擦ると、やはり傷がつく。

 この2つより硬い物質というのは、知られている限り1種類しか無い。

 

 「黒輝石?」

 

 アリンは半信半疑で呟いた。全ての性質はそう告げている。稀にしか見つからない希少な輝石だ。 

 しかも鉱脈としての純度は、これまで知られていたどの黒輝石産地より高い。

 




 アリンは慌ただしく鉱物を回収すると、出口に急いだ。

 本来なら次に地下水の分布と農業への利用可能性を調べる予定だったが、薬用サボテン等育てている場合では無い。

 この洞窟にある鉱物が本当に黒輝石であれば、〈帝国〉の国家予算を超える価値がある。

 

 しかし歩き出したアリンの足元は急に揺らいだ。大発見による興奮のせいではなく、地面自体が揺れているのだ。

 地震か火山かは分からない。とにかく洞窟全体が痙攣し、天井からは黒輝石の欠片が落ちてくる。 

 地面にもヒビが入り、そこからも黒く光る石の層が見えた。一体どれだけの黒輝石が、この洞窟に埋まっているのだろう。

 



 揺れは続き、洞窟全体が虹色にも白にも見える光で満ち始めた。エネルギーを与えられた黒輝石に特有の反応だ。しかも光はどんどん強くなっていく。もはや眩しくて目が開けられない程だ。

 

 そこでアリンは唐突に気付いた。洞窟の一部に黒輝石が埋まっているのではない。この洞窟、いや山全体が黒輝石で出来ている。

 


 揺れはますます大きくなり、アリンは自分が立っているかどうかも分からなくなった。普通の地震とは違う。空間自体が溶けて歪んでいるような不気味な揺れ方だ。

 そしてとにかく眩しくてうるさい。顔面を連続して殴られているように七色の光が瞼の裏で点滅し、物体が軋んで砕ける音が全方向から聞こえる。

 



 物質だけでなく、魔力もまた荒れ狂っていた。アリンの魔術の才能は平均かやや上程度で、普段は呪文の助けを借りつつ精神を集中させてやっと魔力の流れを感じられる。

 その魔力の流れが今や、殆ど物質的な力を以てアリンを押し流そうとしていた。増水中の川に飲まれたように方向感覚が混乱し、自分が床では無く天井に立っているように感じる。


 続いてアリンは全身が大きく引っ張られ、千切れそうに伸びたと感じた。伸びたと思えば、今度は縮む。抗おうにも抗えない。周囲では七色を超えた極彩色の光が乱舞している。







 そして唐突に、アリンは地面に投げ出された。光も音も魔力の流れも消えている。目を開けると、周囲には草原が広がっていた。草の色から判断すると、晩秋から冬である。

 

 「何、これ?」

 

 アリンは崩れそうな意識を無理やり繋ぎ止めつつ、辛うじて呟いた。気付かないうちに洞窟から出たのだろうか。しかしあの山の周囲に、こんな景色は無かった。何より今は初夏の筈だ。









〈帝国〉暦504年8月7日付新領土管理局通知書より抜粋


 ……(前略)


 ご愁傷さまでございますが、アリン3等新領土管理官、改めまして1等新領土管理官は勤務中に発生した自然災害により行方不明となり、本日付で正式に殉職と認定されました。謹んで哀悼の意を捧げますと同時に、故人のご冥福をお祈りする所存でございます。

 故人の生前における祖国への貢献に対する感謝と致しまして、〈帝国〉政府及び新領土管理局は国土建設英雄勲章及び労働報国勲章の授与を以て代えさせて頂きます。詳しくは後日送付されますメダル及び賞状に同封の書類をご覧ください。

 通常の遺族給付金の支給につきましては、同封の書類にご記入の上、最寄りの福祉局事務所にお申し出ください。

 一部ご遺族を対象とした一時見舞金の支給につきましては…



……(以下略)

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 






 薄暗い船倉から突然連れ出されたセナは乾きと空腹で目が眩みそうになりながら、必死で櫂を握っていた。

 櫂と漕ぎ座には前の漕ぎ手が残した大量の血液が付着しており、粘ついた気色の悪い感触と金属臭がする。

 

 ふと下を見ると、弩砲の直撃を受けて破裂した死体が半壊した舷窓の枠に引っかかっていた。潰れた頭部からはみ出した眼球が、恨みがましい目つきでセナを睨んでいる。

 セナは吐きそうになったが、口からは何も出てこない。ただ顎の関節が痙攣して涙が溢れ出しただけだ。

 

 「何をぼさっとしている。漕げ! 漕がんと殺されるぞ!」

 

 うずくまったセナを奴隷頭が殴りつけた。激痛が走り、塩と鉄の味が口の中に広がる。

 セナは今にも崩壊しそうな全身に鞭打って、無理やり櫂を動かした。水や木とはこれ程重いものだっただろうか。そう思う程に強烈な反動が腕にかかり、骨と筋肉と関節が軋む。

 



 突然、轟音がして白煙が辺りに立ち込めた。船に搭載されている最大の武器、三寸砲が発射されたのだ。

 白煙はすぐに流れ去り、奴隷頭たちが歓声を上げた。壊れた窓枠の向こうに見える敵船の形状が変わっている、弾は敵船の上部を直撃し、甲板の一部を吹き飛ばしたようだ。

 

 


 しかし敵船の甲板のうち破壊されていない部分では、敵兵がなおも武器を操作していた。投石機の長い腕がしなり、人間の頭部より大きな石の塊が飛んで来る。


 石弾はセナの2つ向こうにある漕ぎ座を抉るように落下し、肉片と木片を盛大に弾き飛ばした。船全体が悲鳴を上げるように震動し、セナの右頬に激痛が走る。

 

 思わず顔に手をやったセナは、そこに掌程もある木片が刺さっているのに気付いた。引き抜くと大量の血が溢れ、更なる激痛が襲ってくる。かなり深く刺さっていたらしい。

 

 (これで自分の商品価値は消滅した)、顔の右半分が燃えているような痛みの中でセナは酷く冷静に思った。

 自分の顔がどうなっているかは、考えたくも無いが木片に付着した肉の量で大体分かる。自然治癒どころか通常の回復術でも治しようが無い程に巨大な傷跡が、右頬に刻まれた筈だ。

 

 船倉に積まれていたセナたちには無論、船の目的地は知らされていない。しかし積まれていたのが若い女性ばかりだったことと、針路の方角から推測は可能だ。

 この船は多分、タマン州もしくはレムラン島北部に向かっている。仕入れ主はそこの歓楽街での需要を見込んで、セナたちを買ったのだろう。

 特にセナは南部人好みの銀髪をしているので、無傷の状態なら高く売れた筈だ。

 


 しかし途中でザイラ諸侯連合の私掠船と思われる敵に襲われたことで、仕入れ主の儲けはセナの顔とともに失われた。

 船は弩砲や投石機に乱打されて半壊しているし、積み荷であり商品であるセナが無理やり櫂を持たされたことから見るに、漕ぎ手もかなり死んだようだ。

 たとえ船がこの場を逃れて競売場に辿り着いても採算は大赤字だろう。下手をすれば廃業かもしれない。

 


 このように仕入れ主にはあまり明るい未来が無さそうだが、セナには未来自体が無かった。歓楽街で取引される商品として、顔の傷は致命傷だ。

 宮廷魔導士級の大魔導士なら治せるかもしれないが、治すより廃棄した方が多分安上がりである。

 





 セナが無感情に自分の末路を考察する中、再び三寸砲発射の轟音が響いた。敵船が水柱の向こうに隠れ、大量の木材が砕ける音がする。


 かなりの被害を与えたようだが、船員たちは歓声の代わりに悲鳴を上げた。発射の反動で一瞬右側に傾斜した船体が、今度は大きく左に傾いて戻らなくなったのだ。

 舷窓や破孔から木片と壊れた機械と人体の破片が落下し、傷口から流れ出す血のように水面を汚す。傾斜に伴って近付いてきた水面からは、大量の泡が噴き出していた。言うまでも無く浸水である。

 こちらの発砲とほぼ同時に、敵の投石機か弩砲の弾が水線下に当たったらしい。

 


 「畜生、船の性能では勝っている筈なのに」

 

 船員頭の1人であるゴードが呻く。禿げ上がった頭をした小太りの男で風体は冴えないが、この船の中では最も好感が持てる部類に入る人物である。暴力に依存せずに部下たちを統制しているし、船乗りとしての腕もいいようだ。

 彼が船長であれば、船は途中で座礁したり強風でマストを折られたりせずに目的地に到着したかもしれない。

 

 しかし今更それを言っても詮無い話である。現実では、船は各種被害によって本来の速度を出せないまま、私掠船に襲われている。私掠船は構造も武装も旧式だが、こちらの倍近い大きさであるという単純にして圧倒的な強みがあった。

 巨大である事はそれ自体が強さである。一見すると鈍重そうな象や河馬といった生き物が、実際には生息地における王者として君臨しているように。

 


 それを証明するかの如く、敵船は水煙の向こうから悠然と姿を現した。舷側の一部に砲弾で破壊された跡があるが、致命傷には程遠い。

 少なくとも、こちらの船と違って大傾斜と速力低下という状態にはなっていなかった。

 


 そしてまた、神経を掻き毟るような飛翔音が聞こえてきた。弩砲による射撃である。

 白い影のようなものが視界を通り過ぎたかと思うと、金属が木材に突き刺さる轟音と破砕音、僅かに遅れて負傷兵の悲鳴が聞こえて来る。

 

 セナがいる漕ぎ座の上にも1発当たったらしく、剥離した木片が天井から降ってきた。

 続いて太い紐のような物体が、櫂を操るセナの腕に落ちて来る。巨大なミミズに絡みつかれたような不快な粘り気と、不気味な生暖かさがあった。

 落ちてきた管状物体を見ると、桃色をした表面に赤黒い筋が走っており、それらが管自体とともに息づくような蠕動をしているのが分かった。管は所々が破れており、そこからはみ出た濃緑色の塊が異臭を放っている。

 


 セナは無言で落ちてきた物体、弩砲の直撃を食らって戦死した船員の臓物を振るい落とした。凄まじい吐き気と涙がこみあげて来るが、腕だけは機械のように櫂を動かしている。

 何の為にそうしているのかは考えなかった。考え始めた瞬間、自分の精神は崩壊すると直感したからだ。


 水気の多い音とともに死んだ船員の残りの部分が落下し、水面を真紅に染めながら後方に流れ去っていく。

 その一部が未練を持っているかのように櫂に絡みついたときも、セナは声を上げなかった。何も考えず無言で、頭部と右肩部と一部肋骨からなる破片を振るい落とす。

 開かれた目は一瞬セナと視線を合わせた後、水底に沈んでいった。

 



 「撃ち返せ! せめて道連れにしろ!」

 

 涙と吐き気で歪んだ視界と意識の中、ゴードの大声が響く。逃げようとした砲員たちを督戦しているらしい。

 彼は小さな太った体で血と肉と内臓に塗れた甲板を走り回り、生き残っている船員たちを集めていた。

 

「いいか。貴様らには2つの死に方がある。奴隷として死ぬか、戦士として死ぬかだ。もうその2つしか無い。貴様らに逃げ場など無い」


 ゴードが逃げ腰になっている船員たちに向かって叫ぶ。船員たちは覚悟を決めたように、彼の周囲に集合した。

 半壊した砲座から木片と戦友だった物体を振るい落とし、落下しかけている砲をロープで引き上げる。更に別の集団が、こちらは逆に後方に飛ばされてバラバラになっていた弾薬箱から砲弾と装薬を拾い集める。

 弩砲から放たれた矢がそのうち数人を吹き飛ばしたが、作業は滞りなく続けられた。砲身が敵船に向けられ、点火準備が開始される。

 



 しかし砲弾の装填が完了する直前、船体を巨大な衝撃が貫いた。投石機から放たれた石弾、それも複数が命中したのだ。

 セナはそのうち1発の着弾をはっきりと見た。灰白色をした球状の物体が非常にゆっくりと、弩砲の矢に比べれば止まっているような速度で弓なりに落下し、セナの漕ぎ座左下に吸い込まれたのだ。


 これまで聞いたのとは比べ物にならない轟音が響く中、セナは着弾部に巨大な穴が開き、そこから船体に裂け目が入るのを見た。

 同時に左脚から不気味な破砕音が聞こえ、今までの傷とは次元の違う激痛が襲ってくる。一般人より苦痛に慣れているセナにとってすら、耐えがたい痛みだった。

 絶叫したいが、それすらも声帯が痙攣して出来ない。視界は緑と白と黒の光点で覆われ、砕けた骨同士が擦れ合う感覚だけが全身に響き渡っている。



 砲が発射されたようだが、その強烈な爆発音ですらセナの意識と感覚の僅かな片隅に響いただけだった。それ以外の部分は全て、砕けた左脚から襲ってくる痛みに支配されている。

 世界が傾くのを感じたが、その原因を突き止める思考力は残っていなかった。

 




 意識が消えかけた刹那、セナは文字通り冷水を浴びせられて僅かに目を開けた。赤く生臭い水が周囲に広がり、無数の木片が浮かんでいる。沈むというより、船自体がバラバラになったらしい。


 セナはほぼ無意識に木片の1つを抱きかかえた。次に辺りを見渡すと、ゴードの禿げ上がった頭と横顔、それに宙に掲げられた手が見える。

 セナは片腕で水を掻きながら近づこうとした。ゴードが生存者を集めようとしているのだと思ったのだ。

 

 しかしいかにも頼もしそうに腕を伸ばして立っていたゴードは、流れてきた小さな木片に衝突されて倒れた。その拍子に、これまで見えなかった下半身が見える。

 そこには赤と白と空虚が広がっていた。切断された胴体がたまたま、上を向いて浮かんでいただけらしい。


 セナは目を背けると、流れに身を任せることにした。もう何もかもうんざりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 アリンは頭が真っ白になりそうになりながら、現在地を把握しようとしていた。

 自分に何が起きたのかは推測できる。輝石鉱脈などの魔力量が異常に多い空間において、たまに発生する転移現象である。そういう場所では召喚術と同じ魔力の流れが自然発生し、周囲の人間を巻き込むことがあるのだ。

 

 普通の転移現象なら精々山の向こうに飛ばされる程度だが、自分は余程運が悪かったらしいとアリンは頭を抱えていた。

 アリンが元々いた場所は見渡す限りの岩山と砂漠で、今目の前に広がっているような草原と河川では無かった。かなり遠くに飛ばされてしまったようだが、一体ここはどこなのだろう。

 


 必死で情報を集めようとするアリンの前を、図鑑でしか見た事が無い蟲が飛んでいった。鮮やかな紅い翅に人間の頭蓋骨に似た白い模様がついており、大きさは人間の赤ん坊位ある。

 それが20匹ほど、肉塊と思しき物体を抱えて空を舞っていた。

 

(赤死蝶が飛んでいる。ということは、少なくとも〈帝国〉の領域では無い)

 

 蟲の姿を見たアリンは、自分がいる場所について最低限の理解を得たと思い、同時に強烈な不安を覚えた。

 赤死蝶と呼ばれるあの蟲については、新領土管理官の資格を取ったときに説明を受けた。雑食性の大型昆虫で、特に動物の肉を好む。鱗粉や体液は猛毒で昔は毒殺に多用された。確かそんな内容だった。

 

 そして赤死蝶は〈帝国〉領内には研究用を除いて生息していない。昔は野生個体もいたらしいが、全て駆除されたのだ。

 水源を毒で汚染して赤死病を起こしたり、牧場に毒鱗粉を撒いて家畜を殺したりするので、害虫として駆除対象になるのは当然と言える。

 

 その赤死蝶が群れを成して飛んでいるということは、ここは駆除活動が行われていない場所、すなわち〈帝国〉の領域外ということになる。

 


 


 輝石鉱脈の乱動によって他の場所に飛ばされる事故は数年に一度あるが、国外まで飛ばされる事例は滅多に無い。〈帝国〉に戻れば、珍しい事故からの奇跡の生還者として有名になれるかもしれない。

 アリンはそんな現実逃避とともに通信機のスイッチを入れたが、聞こえるのは雑音だけだった。どんな僻地でも受信できるのが売りの〈帝国〉中央放送局ですら沈黙している。

 


 アリンの中で、現実逃避を押し潰すように疑惑が広がり始めた。ここは国外どころか、別の大陸ないし島なのかもしれない。

 

 不安を増幅するように動物らしき複数の咆哮が聞こえ、アリンは身震いした。赤死蝶の群れといい、ここは真の意味で「自然豊かな」、要するに人間の生存に不向きな場所であるらしい。

 このままでは〈帝国〉に戻る所か、下手をすれば明日の夜明けを待たずして魔物の餌である。

 



「人は一応いるみたいね」

 

 ひとしきり神だか悪魔だか運命だかを罵った後、アリンは双眼鏡で川の向こう岸を確認して呟いた。難破船の残骸やゴミなど、明らかに人間の存在を示すものが打ち上げられていたのだ。

 ということは、少なくとも上流のどこかには人が住んでいるらしい。現地人が友好的であるかは不明だが、無人の地を彷徨うよりはマシだろうか。

 



 次にアリンの視線は、上空で円を描いている鳥の大群に引き付けられた。

 黒い翼に赤い尾羽が印象的なその鳥は、〈帝国〉国内にも生息している。死にかけた生き物の周りに集まる習性から告死鳥と呼ばれ、忌み嫌われている鷹の仲間だ。

 死肉や死骸にたかる虫を食べる為に集まっているだけなのだが、民間伝承では死者の魂を食らうと言われている。

 


 そして鳥たちの下にあるものを見て、アリンは顔をしかめた。人間が上流に存在する何よりの証拠、即ちその遺体が10体ほど向こう岸に打ち上げられている。

 銀色の髪をした10代の少女から、浅黒い肌の40歳前後の男性まで背格好はまちまち。難破船に乗っていた漁師か何かだろうか。

 

 だがアリンはすぐに考察を中断した。告死鳥の群れは上空で騒いでいるだけで、一向に舞い降りる様子が無い。

 腐った肉しか食べない彼らがまだ手を付けていないということは、もしかしたら。


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