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序章 アザラン高原-2

 晴天であれば太陽が頂点に差し掛かりつつある頃、〈王国〉軍は攻撃を開始した。兵力は騎兵2000に、歩兵が1万7000である。

 

 なお輜重部隊や衛生部隊の人員に武器を持たせて応急の歩兵に仕立てる案もあったが、却下された。

 彼らをここですり潰せば、〈王国〉軍はアザルカに辿り着けなくなる。そうなれば、戦いの結果がどうなろうと戦略的敗北である。




 歩兵の一角に、トルガ・セタ率いる神殿騎士団がいた。歩兵800で構成され、隊長のトルガを含め誰も馬に乗っていない。


「親方は一応馬に乗れるんでしょう。乗った方がいいんじゃないですかい?」

「嫌だね。これでも一応、部下を捨てて逃げたりはしない指揮官のつもりだ」


 コズの意見に対し、トルガは無造作に答えた。 馬術には自信が無いし、他の全員が歩兵なのだからトルガが馬に乗っても意味が無い。

 馬に乗っていて役立つとすれば、部下を放り出して逃げる時くらいである。


「それでこそ親方でさあ。親方を臆病呼ばわりする連中に聞かせたいですなあ」

「私が臆病なのは事実だがな。はっきり言ってしまえば、狙い撃ちされたくないだけだ」


 どうもコズに買いかぶられているらしいので、トルガはもう一つの理由を伝えた。

 神殿騎士団第4大隊は騎士団と言いつつも、馬を買う金が無いので実質的な歩兵部隊だ。見かねた総団長が何頭か馬をくれたが、トルガは隊の荷車を曳くのに使っていた。

 騎兵は集団で運用してこそ衝撃力を発揮する兵科で、数人の指揮官が乗っても意味は無い。それよりも食料と武器を運ぶのに使う方が有益だという判断である。

 

 そんな神殿騎士団第4大隊の中でトルガだけが馬に乗っていれば、間違いなく敵弩兵に狙われる。トルガが他の兵とともに徒歩で敵陣に向かっているのは、それを避けるという意味も大きかった。

 



「それで親方、勝てると思いますかい?」

「さあな。戦いは博打だ。我々には最善手を打つ以上のことは出来ない」


 コズの身も蓋も無い質問に、トルガは身も蓋も無い答えを返した。

 ソラン伯カトナに伝えた戦術案は、今の状況において最良に近いという自負はある。少なくとも貴族たちが彼女の命令を守るという前提の上ではあるが。

 

 しかしそれ以上のことなど、トルガにはとても確約出来ない。貴族たちは命令を無視して昨日の愚行を繰り返すかもしれないし、敵戦力は推定より多いかもしれない。

 

「相変わらずですねえ、親方は。そんなだから、いつまで経っても助祭止まりなんと違いますか」

「性分でね。私は勝てると信じれば勝てるなんて思わないし、神のご加護を信じれば神が応えてくれるとも思わない。一応聖職にある身としては、冒涜的発言かもしれんがね」

 

 トルガはにやりと笑った。神殿騎士団の団員は、全員聖職者という建前になっている。その前身は神殿と巡礼者の保護を目的に、神殿組織の有志が集まって作った警備隊だからだ。

 設立当初の警備隊は実際、非常に敬虔な聖職者集団だったとされる。

 

 しかし商人階級の支援を受けて規模が巨大化するにつれ、警備隊組織は変質していった。

 各地の神殿間で連絡を取る為の通信部隊、兵員を迅速に展開させる為に送金と物資購入を行う経理部隊、拠点を構築する設営部隊、数千に膨れ上がった組織を運営するにはこれら専門職が必要になったのだ。

 神殿内にそう都合よく専門職がいる訳が無いので、専門職の大半は外部から呼ばれ、名目だけの聖職を割り振られた。

 

 その筆頭が、トルガ率いる第4大隊だった。隊で聖典に目を通した経験があるのは、多分トルガだけである。

 残りは商人や大工の次男三男や失業した元傭兵など、聖典を読むどころか神殿に通う習慣も無かった人間が占めている。

 

 中でも特殊な部隊である第4大隊5番隊に至っては、はっきり言って神殿の敵の集まりである。闇医者や錬金術師、異端説を唱えたせいで放逐された元聖職者で構成された集団なのだ。

 神殿騎士団が理想に燃える聖職者の集まりから、実利を重んじる商人階級の走狗に変貌したことの象徴と言える。

 

 その神殿騎士団は、ともすれば濡れた地面に足を取られつつも、重い荷車を曳きながら漸進していた。靄の向こうに隠れていた敵軍の姿が、はっきりと見え始めている。

 

「始まるか」

 

 トルガは周囲を見渡して独白した。ソラン伯カトナの命令が順守されているならば、戦闘はこの距離で開始されることになる。


 







 小丘の上から敵の陣容を確認したカトナは、感嘆に近い溜息をついた。

 生還した兵から概要を聞いてはいたが、聞きしに勝る頑強さだ。カディナ公やノイド候が、何も出来ないまま倒れていったのも当然と言える。

 

 敵陣は3列で構成されている。

 第1列には何層にも渡る逆茂木と尖った杭が林立していて、背後に弩弓兵多数が展開している。障害物によって攻撃の勢いが鈍ったところを、弩の集中射撃で粉砕する目論見だ。

 

 第1列を何とか突破しても、次の第2列が待っている。狭い間隔を開けて配置された荷車の内部と後ろに、槍兵と弩弓兵の混成部隊が待機しているのだ。

 突破した部隊は第1列と第2列の間にある開けた空間でまた弩弓の攻撃を受けた後、槍兵を突破しなければならない。

 

 最後の第3列には、矢や防御資材を運ぶ輸送隊と予備隊が待機している。戦闘時にはこれら部隊が必要に応じて前進し、第1列や第2列で足止めされた〈王国〉軍部隊を横合いから襲撃するのだろう。

 



 昨日起きたことが、カトナには容易に想像できた。

 攻撃をかけた味方はまず逆茂木と杭を抜けている間に弩弓の猛射を食らい、大損害を出した。

 彼らはそれでも前進したが、突破した先にあったのは荷車という新たな障害物に身を隠した新手の敵軍、それに側面から襲ってくる敵予備隊だった。

 騎兵も歩兵も、何が起きたか分からないまま敵陣に囚われ、壊滅していったのだ。

 

「せめて、カディナ公やノイド候が双眼鏡を持っていればな」

 

 今更過去を嘆いても仕方が無いが、カトナは言わずにはいられなかった。

 カトナは戦いや狩猟の際は、必ず双眼鏡を持っていく。非常に高価な道具であるが、相手を早期に発見して正体を見極めるのに有効だからだ。

 

 しかし貴族の大半は、双眼鏡をただの高価な玩具と見なしている。彼らは馬上槍試合や狐狩りのような模擬戦闘をよくやるのだが、戦闘における情報の価値は知らないらしい。

 その理由はカトナにも想像できる。これらはあくまで固定された状況下での練習であって、本物の戦闘では無いからだ。

 馬上槍試合なら相手は目の前の1人だし、狐狩りも従者が追い立てた狐を撃つだけだ。熟達すれば個人的戦技は向上するが、集団戦における情報の重要性までは理解出来ないのだ。

 

 

 そして金貨4枚(双眼鏡の値段)を惜しんだ結果が、昨日の惨劇である。

 ノイド候は双眼鏡を持っていなかった上、先行して偵察したいというカトナの進言を、功績の横取りを狙っていると邪推して退けた。彼は金貨4枚で得られた情報を、自身を含む推定7000の戦死者で買ったのだ。

 そこでカトナは回想を振り切った。過去を悔やんでも、昨日失った兵力は戻ってこない。功を焦ってカディナ公の先発隊に勝手に加わった挙句、戦死した3人の兄もだ。



 

「予定通り、攻撃を開始する」

 

 カトナは従兵に命じた。命令は既定の信号を通して、全軍に伝わっていく。視界不良を考慮して、カトナは旗手に加えて軍楽隊を指揮下に組み込み、確実に命令が伝わるようにしていた。

 

 


 僅かな時間の後、戦場に軍楽隊の演奏とは別の音が響き始めた。長弓の連射音である。騎士2000と徒歩弓兵2000が、敵陣に矢を打ち込み始めたのだ。

 

 普通なら1人に付き10本ほどの矢を打った所で突撃が始まるが、今回の〈王国〉軍の射撃は止まなかった。カトナはトルガの提案に従い、騎士や弓兵に上限まで矢筒を携行させた上、矢と替えの弓を積んだ荷車まで前方展開させたのだ。

 矢を積んだ荷車は普通なら恰好の攻撃目標となるが、今回の相手は陣地から出てこない。前線に届いた矢が尽きるまで、射撃を続けることが可能だ。

 

 しばらくすると、敵陣から悲鳴や絶叫が聞こえ始めた。4000の長弓による連続斉射が、効果を発揮し始めたらしい。

 


 












 トルガは荷車に積まれた大型望遠鏡で、弓兵の戦果を確認していた。

 まずは上々だ。敵の一列目にいる弩兵の数は、徐々にだが減り始めている。本物の雨に混ざって絶え間なく降り注ぐ矢の雨に薙ぎ倒されているのだ。

 

 弦が鳴り、矢羽根が空気を切り裂く音が鳴る度、必ず何人かの敵兵が倒れていく。

 彼らは逆茂木や杭の陰に身を隠しているが、これらは正面から飛んでくる矢にはある程度の防御効果を発揮する一方、今のように斜め上から落ちて来る矢は防げない。

 降って来る矢を躱そうとしても、その先には別の矢が落ちてきている。この世のあらゆる物体と同じく人間もまた確率論の奴隷であることを、敵兵たちは生命と引き換えに教育されていた。

 



 額に矢を受けた兵は脳を破壊されて壊れたからくり人形のように痙攣し、その横では顔の下半分を失った兵が自分の顎だった肉塊を握って茫然と座り込んでいる。

 胸に2本の矢を食らった兵はその1つを反射的に引き抜いた瞬間に血を噴き出して倒れ、後ろでは首に矢が刺さった死体が杭に縫い留められている。

 

 敵も弩による反撃を試みているが、それがこちらの弓兵に届くことは無い。昨日名だたる貴族たちを葬った矢は、空しく地面に落下するだけだ。

 前進を試みた弩兵はその過程で矢を浴びて打ち倒されるか、遮蔽物の前に出た所でこちらの弩兵に射殺されている。

 


 望遠鏡の視界の中で、死者とその予備軍たちは途方に暮れた表情を浮かべていた。腹に矢を食らってうずくまっている兵が、何かを叫び続けている。

 トルガは彼の口の動きから内容を読みとり、失笑した。彼は「神よ。何故我らを見捨てた?」と言っていた。

 

「関係ない。全く関係ないよ」

 

 ここから瀕死の敵兵に聞こえる筈も無いが、トルガは答えを返してやった。

 〈王国〉軍が一方的に敵を叩いているのは、神の寵愛を彼らから奪ったからではない。風上に立っていて、長距離射撃に有利な武器を持っているからだ。

 



 弓と弩には、武器として一長一短がある。

 弓は速射性が高く、弩は威力が高い。製造コストは弓の方が安いが、兵員の育成コストは弩に軍配が上がる。水平射撃での命中率と有効射程は弩が優るが、弓は曲射出来るので最大射程において優位である。

 総じて言うと弩は少人数で近くの重装甲目標を撃つのに適しており、弓は遠くの軽装甲目標を大勢で撃つのに向いている。

 

 その違いが、射撃戦の結果において残酷なまでに現れていた。追い風の効果もあり、弓は弩が届かない距離から矢を放ち、一方的に攻撃する事が可能だ。

 弩兵が射程まで近付こうとしても、速射性の差が立ちはだかる。弩が1発撃つ間に、弓は3発から5発撃てるのだ。

 近距離での撃ち合いでは射撃精度によってある程度相殺されるが、遠距離戦では投射量の差がそのまま命中率の差になる。単純な撃ち合いでは、弩兵は弓兵に勝てない。

 



 トルガが見つめる中、敵陣には光る巨大な板が並べられ始めた。木板の表面に金属板を貼り、防御力を高めた大楯である。

 射撃戦における不利を悟った彼らは、盾を使って攻撃に耐え、こちらの矢か射手の体力が尽きた所で反撃に出るつもりなのだろう。

 

 しかしその程度の対応策は、トルガも予想済みだった。敵が盾を並べたのを確認するや否や、矢を補給する為の荷車に混ざって前進していた兵器が、攻撃を開始したのだ。

 

 その兵器は敵の主要武器である弩に似ているが、遥かに巨大だった。弓部分は片側だけで人間の身長より長く、根本は丸太のように太い。

 専任の屈強な兵たちが10人がかりでその弓を引き絞り、指揮官が狙いをつけてレバーを引いた。

 

 弓に蓄えられていた力が解放されると、荷車から矢と呼ぶにはあまりに巨大な物体が射出され、敵陣に掲げられていた盾の1つを直撃した。名状しがたい轟音とともに盾が砕け、それを構えていた敵兵だったものが飛散するのが見える。

 敷き並べられた兵器群が次々と咆哮すると、敵軍の盾列には幾つもの虫食い穴が形成された。

 

 撃ち込まれる飛翔体には、単なる金属の塊でないものも混ざっていた。

 小さな炎とともに放たれた太い筒型の飛翔体は、着弾すると白い炎を上げて爆燃し、辺りを炎で包んだのだ。ガロタス油と呼ばれる物質が詰め込まれた焼夷弾である。

 

 この程度の大きさの焼夷弾は周辺に易燃性物質が無い限りごく小さな殺傷効果しかもたらさないが、心理的には圧倒的な威力を発揮した。

 自分の周囲に巨大な炎が上がる中で持ち場を守れる人間は、正規軍人でもそう多くはない。ましてや民兵に要求するのはほぼ不可能だ。焼夷弾を撃ち込まれた場所の敵兵たちは盾を捨てて逃げ出し、射撃を再開した弓兵によって次々と射殺された。

 



「しかし、上の連中に文句を言われそうな戦い方ですな。『攻城兵器を生身の人間に向けるなど神の教えに反する』、と」

「大丈夫だろう。連中はいつも、『神は全力を尽くす者を愛する』と言っている。今の我々のようにね。特に大型兵器に対しては、あの弩砲100個が掛け値なしの全力だ」

 

 コズが皮肉っぽい口調で言った言葉に対し、トルガは聖職者としての皮肉で返した。

 現在敵軍の盾列を攻撃している巨大な弩弓は、一般に弩砲と呼ばれている。

 コズが言う通り本来は攻城兵器で、集中射撃で敵城門を破壊したり城の窓に焼夷弾を撃ち込んで火災を起こすのが主用途だ。野戦で敵兵そのものに向かって撃つのは、用法として邪道と言っていい。

 

 だがトルガは、そんな原則論より戦場の現実を重視した。野戦の体こそ取っているが、この戦いの実質は攻城戦である。ならば適用すべきは、野戦ではなく攻城戦の兵器と方法論だ。

 即ち、重くて小回りが利かなくてもいいから、大射程高威力の武器を投入して遠距離から攻撃する。通常の野戦で弩砲を前面に出しても敵騎兵に鹵獲されるだけだが、陣地に籠って出てこない相手を叩くなら、長射程とそこそこの命中精度を持つ弩砲は最適の兵器だった。

 

 


 しかしいかんせん、数が足りないとトルガは思う。〈王国〉軍が編制通りの戦力を持っていれば、弩砲400及び大型投石機60を戦場に並べることが出来た。

 今のように盾を持った敵兵の一部を倒すのではなく、敵陣地自体を粉砕できる数だ。

 

 だが現実には弩砲は定数の2割強、投石機に至っては1つも無い。前者の過半は途中の停車場で糧秣輸送隊の通過を待っており、分解輸送された後者は道路各所で文字通りバラバラに散っていた。

 

 (せめてどれかが定数を満たしていれば、もっと有効な攻撃が出来たのだが)

 

 編制上の額面戦力であればこの4倍はある筈の弩砲群を見ながら、トルガは考え込んだ。

 アザルカ方面に投入された〈王国〉軍の正面戦力は書類上では7万を超えるが、現在アザラン高原で戦っているのはその3割に満たない。残り7割及び大型兵器の大半は昨日の敗北で失われるか、降雨によって泥濘化した道路で右往左往している。

 〈王国〉軍は本来であれば反乱軍の2倍以上の大軍と遥かに優れた装備を持ちながら、前線には互角以下の戦力しか展開出来ていないのだ。

 

 原因の一部はカディナ公やノイド候が犯した戦術的失策だが、全てを彼らの責任とするのは公平とは言えない。

 

 大量の遊兵が生じた上に戦力が逐次投入された根本的な原因は輸送インフラ、及び補給担当士官の不足である。

 〈王国〉には雨天下で7万(非戦闘員を含めれば10万以上)の人間を移動させるだけの道路網や、彼らに物資を供給する倉庫群が無い。

 ついでに言うと満足な地図も、それを読んで輸送計画を立てられる官僚組織も無い。

 

 だから兵力の逐次投入を強いられ、投石機は分解しないと運べず、挙句に投石機の土台部分と弾だけが前線に届くという事態になる。別に誰かの悪意や無能では無く、〈王国〉軍および国自体の限界なのだ。

 〈王国〉軍の偉大な祖先である〈帝国〉軍は、投石機より遥かに巨大な兵器を含む10万単位の戦力を国土と周辺地域全てに投射できたのだが。

 

 

 トルガの意識において状況を俯瞰している部分が、ある種の諦念とともに笑い始めた。

 〈帝国〉崩壊によって人類は効率的に生産する手段だけで無く、効率よく殺し合いをする手段をも失ったらしい。それが神々の意志だというなら、神とは思ったより慈悲深い存在なのかもしれない。

 



 トルガが自嘲する中、ソラン伯の本陣から響く軍楽隊の曲が変化した。歩兵隊前進開始の合図である。

 弓兵と弩砲の攻撃で敵第1列を弱体化させた後、歩兵が前進して残った敵兵を掃討する。そこまでがトルガの提案した戦術の第1段階だ。

 

 本来なら敵第1列は射撃戦だけで無力化したいところだが、それを実行するには投射兵器と矢弾が足りない。

 その分は肉弾で補う、要するに歩兵を叩きつけて制圧するしかないというのが、〈王国〉軍のお寒い現実だった。

 



 勇壮な音楽が響き渡る中、盾と槍を構えた歩兵隊が突撃を開始する。その様子を見た敵軍は弩兵を展開させようとするが、それに対しては〈王国〉軍の弩砲や弓兵が放つ矢が叩き込まれ、一部を殺傷するとともに照準を妨害した。

 

 更に歩兵隊が弩の必中距離まで接近した所で、敵陣に拳大の氷塊が雨となって降り注いだ。〈王国〉軍の魔導士隊が放った攻撃術式である。

 〈帝国〉軍魔導士隊の攻撃とは違って盾で容易に防げる代物だが、今回に限ってはそれで十分だった。弩兵たちが盾の陰に隠れている間に、〈王国〉軍歩兵が敵陣に突入したからだ。


 魔導士による攻撃術式は楽観派が言ったように「敵を追い散らす」ことこそ出来なかったが、最も危険な瞬間における時間稼ぎという役割は見事に果たしたのだ。

 




 喚声を上げながら突撃した歩兵部隊は、杭や逆茂木を破壊したり乗り越えながら前進すると、逃げようとする敵弩兵を次々と刺殺していった。

 その場に止まって抵抗を試みる弩兵もいるが、彼らが矢を装填するより、〈王国〉軍歩兵が横や後ろに回り込む方が速い。

 反乱軍が使用する弩は重騎兵さえ射殺する威力を持つが、その代償として歩兵用武器としてはあまりに大きく、重くなっている。言わば汎用性が無い対騎兵専用の兵器であり、内懐に入り込んだ歩兵の大群に対しては無力だった。

 


 前方の弩兵が一掃されていくのを見た敵は、後退に成功した弩兵と槍兵を交互に並べる陣形を取った。更に後方からは、夥しい数の予備隊が救援に駆け付けている。

 

 対する〈王国〉軍は、今まで後方で射撃を行っていた騎士と弓兵を前進させた。彼らは味方歩兵の頭越しに矢を放って敵の陣形を乱すとともに、敵増援の到着を阻止する筈だったのだが。 





 (連中、命令を守っていないな)

 

 騎士たちの行動を望遠鏡で確認したトルガは内心で毒づいた。トルガが提示し、カトナが決定した戦術案では、騎士の大半は機動弓兵として行動することになっていた。

 前進した歩兵は敵第1列に存在する障害物の撤去と敵兵の掃討を行うが、その際後方の予備隊による妨害が予想される。妨害を排除する為、騎士は歩兵の後ろを進み、接近する敵予備隊を射撃して制圧すること。カトナが騎士たちにそう命令しているのを、トルガは確かに聞いた。

 

 騎士は目の位置が高い分予備隊の接近を発見しやすいし、その機動力で支援が必要な戦場にすぐ駆け付けられる。この種の運用には最適だ。

 


 しかし騎士たちは、歩兵が戦い始めた瞬間に役割を忘れてしまったらしい。彼らは後ろから予備隊を拘束するのではなく、歩兵とともに前進して白兵戦を始めてしまったのだ。

 しかも騎士の多くは、部下の徒歩弓兵まで前進させて直接支援を行わせている。弱体化した敵第1列を予備隊から切り離して制圧するという戦術が、これでは台無しである。

 


 案の定、状況は単なる消耗戦に変わり始めていた。こちらの意図が第1列の無力化と制圧にあると察した敵は次々に予備隊を送り出し、それらは殆ど妨害されずに戦場に到着している。

 それに対抗する為、〈王国〉軍も残った歩兵を前に出す。トルガやカトナが意図した段階的な攻撃は、兵力の逐次投入合戦に堕していた。

 


 騎士たちは下馬して進撃を始め、予備隊の戦場到着阻止に当たる筈だった弓兵たちは、代わりに膝打ちの姿勢で弓を構えて敵弩兵と殺し合いをしている。

 近距離から乱射される矢は弩兵を次々と薙ぎ倒しているが、弩兵もまた先程の復讐と言わんばかりに弓兵たちを射殺していく。

 弩兵が胸から血を流しながら倒れたかと思うと、その矢を放った弓兵もまた別の弩兵が放った矢を顔面に食らい、顔の上半分を粉砕される。そんな光景が各所で見られた。

 発射速度の高い弓兵は1人が倒される間に平均2人の敵弩兵を倒しているが、育成にかかる時間と費用を考えれば割に合う取引では無い。しかも弓兵たちを狙っているのは、敵弩兵だけでは無かった。

 


「いかん!」

 

 トルガは望遠鏡に映ったものを見て焦燥の声を上げた。片手剣や短槍で武装した敵兵の集団が、弩兵との撃ち合いに熱中している〈王国〉軍弓兵の横合いに忍び寄っていたのだ。

 正面からの激突においては何の価値も無いであろう軽歩兵隊だが、その身軽さは接近戦に弱い弓兵にとっては恐るべき脅威だった。

 

 事態を悟った弓兵の1人が叫びながら弓を構えなおすが、彼の手から矢が放たれる前に血飛沫が上がり、切断された指が飛び散った。

 残りの弓兵もまた、その場で交戦するか武器を捨てて逃げるか逡巡した一瞬の間に軽歩兵の接近を許し、剣や短槍の一突きで戦闘力を失っていく。

 気付いた〈王国〉軍歩兵隊が救援に駆け付けたときには軽歩兵は逃走し、死傷した400人以上の弓兵だけが残っていた。

 


 弓兵が格下の相手に苦戦を強いられる一方、騎士たちは順調に戦いを進めていた。

 昨日は全く見せ場が無いまま倒れていった騎士たちであるが、その防御力と戦闘技能は普通の歩兵相手なら無敵に近い。

 

 しかも彼らは昨日の敗北から一応学習しており、障害物の中を騎乗して進むという愚行を止めていた。敵陣の手前まで進んだ後は、下馬して戦いに参加したのだ。

 馬から投げ出されたり杭の前で進めなくなった騎士を嬲り殺しにするつもりでいた反乱軍兵は、鋼鉄の壁として前進してくる〈王国〉軍騎士を目の当たりにすることになった。

 

 死神の鎌にも似た湾曲した大剣が一しきり唸り、反乱軍歩兵たちの手足や生命を刈り取っていく。 

 熟練兵なら甲冑の隙間を狙って刺せたかもしれないが、最大でも数週間の訓練しか受けていない農民兵に、そんな芸当は不可能だ。手あたり次第に突き出したり振るったりした槍の穂先は、曇天下でさえ煌びやかに輝く甲冑の表面で弾かれていく。

 次に反乱軍兵士たちは、自分に向かって前進してくる騎士と血脂に濡れた大剣のぎらつく光を目にした。それが大抵、彼らが見る最後の光景となったのだ。

 

 騎士たちは最初の敵を薙ぎ倒すと、魔導士隊の援護で弩の攻撃を防ぎつつ、反乱軍が新たに形成しようとしていた戦列に突入した。

 何とか照準を合わせようとする弩兵は武器もろとも真っ二つにされ、反撃を試みる槍兵も返す刀で斬り倒される。その後方からは従兵が前進し、混乱した敵残兵を掃討していく。

 命令違反という点を除けば絵に描いたような快進撃であり、トルガも一瞬、自分が自軍の実力を誤って消極的に過ぎる戦術案を出したかと思った。

 昨日の惨敗もあって過小評価していたが、騎士はやはり最強の兵科だ。彼らの攻撃力をもっと生かす戦術の方が、或いは良かったのかもしれないと。

 



 しかし騎士たちも、それ以上は前進できなかった。密集して進んでいた彼らは、突然発生した爆風と炎に包まれたのだ。

 大半は脱出したが、運の悪い何人かはそのまま焼死した。炎はそのまま蒸気とともに巨大な壁となって立ちはだかり、その向こうから新手の弩兵が放ったと思われる矢の雨が飛んでくる。

 

 同じ光景は随所で見られた。その防御力を武器に前進していた下馬騎士たちの前方に炎の壁が形成され、一部を殺傷するとともに残りの攻撃を阻んだのだ。

 下馬騎士を穂先として進もうとしていた〈王国〉軍は停止を余儀なくされ、敵予備による弩の攻撃でその場に釘付けにされた。

 


「奴ら、魔導士まで雇ってたのか?」

 

 トルガは唖然とした。敵が隠し玉を握っている可能性は考慮していたが、それが火炎魔導士多数であるとは予想外だったのだ。

 魔導士、特に汎用性が高い火炎術の使い手は希少であり、単なる農民反乱軍が雇えるものではない。

 

 しかも魔導士の使い方がまた、意表を突くものだった。戦場は雨天かつ風が敵側に向かって吹いているという、火炎術使用には最悪の状況だ。

 〈王国〉軍も敵が魔導士を投入する可能性を頭に入れていなかった訳では無い。だが予想していたのは水術で戦場を沼地に変えるという戦術だった。

 悪条件下で敢えて火炎術を使用するという選択は、トルガを含む全員の常識の埒外にあったのだ。

 

 しかし現実に〈王国〉軍は二重の意味で有り得なかった筈の火炎術による反撃を食らい、前進を阻まれている。

 相手がこちらの先入観まで予測して火炎魔導士を雇っていたなら、見事としか言いようがない。

 


「親方、どうします?」

「仕方ない。連中には悪いが囮になって貰おう」

 

 コズの質問に、トルガは息を切らせながら答えた。

 血に酔った味方の暴走と敵の火炎術を予測出来なかったのはトルガの失敗だが、敵も1つミスを犯している。第1列救援に、必要以上の予備隊を送ってしまったことだ。

 

 敵指揮官がもっと有能なら、第1列は放棄する前提で時間稼ぎと兵力収容に必要な程度の兵力を送り、残りの兵力は第2列を強化するか背後に新拠点を構築するのに使っていただろう。

 非情に徹するなら、第1列に死守命令を出して見捨てるという手もある。敵軍の目的は時間稼ぎであって、陣地は手段に過ぎない。第1列攻撃に騎兵を含む必要以上の兵力が突っ込んだ時点で、本来は敵軍の勝ちなのだ。

 

 しかし敵指揮官は、放っておけば手に入った勝利を捨てた。第1列の保持に固執し、後方の守りに必要な兵力まで送ってしまったのだ。

 これで不十分かつ結果論にせよ、敵予備隊を拘束するという目的は達せられた。後は残りを達成するだけだ。

 


「神殿騎士団、前進」

 

 トルガは無造作ともいえる口調で命じた。神殿騎士団自体はただの歩兵隊だが、曳いてきた荷車にはかつての〈帝国〉軍の遺産が搭載されている。最初の計画が行き詰った以上、これを頼りにするしかなかった。

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