七星軍-3
セラニア・ソランが率いるレマ公国軍第2軍集団は、タード州北東部にある州都ハビシャラを目前にしていた。
国境を越えてからここまでの過程で、第2軍集団は捕虜3万と軍馬5000頭、それに火砲200門を鹵獲している。
一方で自らが負った被害は2000に満たず、補充兵の合流により戦力は開戦前より増加していた。
僅か20歳の、〈王国〉に対して尽きせぬ憎悪を抱いているというだけの理由で司令官に任じられた人物が挙げたにしては、空前の大戦果である。
そのセラニアは〈王国〉の風景に対してどこか懐かしさを覚えている自分に少々苛立ちを感じながら、幕舎の周りを散策していた。
自慢の長い髪が北方に行くに従って強くなる冬風に晒され、どちらかと言えば温暖な気候に適したレマ公国軍士官用軍装に冷気が染み入る。
後で兵站部に連絡して全員分の防寒着を送らせようかと、セラニアはしばし考え込んだ。
たかが20里程度北に行くだけと思っていたが、〈王国〉の冬、特に夜間の寒さは想像以上だ。どうも緯度以上に、海からの風の影響が内陸に行くにつれて薄まるという事情が関係しているらしい。
風邪や凍傷で大量に脱落者が出るようなことになれば、これまで挙げた勝利が台無しになってしまう。
防寒着の他に、軍靴の隙間に詰める布や湯沸かし用の薪なども、当初の予定より多めに確保する必要があった。
ただ別の言い方をすれば、発生した問題はその程度である。レマ公国軍は予定通りどころか予定を上回る速度で前進し、目標地点に達しようとしていた。
「妙に動きが少ないな」
セラニアは前面に聳えるハビシャラの城壁を眺めながら、硬質な美貌を歪めた。
第2軍集団が現在展開しているのは、ハビシャラから僅か数里の場所にあるハバ平原である。
ここから少し前進するだけで、レマ公国軍砲兵はハビシャラの城壁と市街地を射界に収めることが出来る。
だから当然、〈王国〉軍はこのハバ平原で抵抗を試みると第2軍集団は判断し、夜間行軍まで行ってハバ平原を先んじて占領した。
しかし〈王国〉軍の動きは思いのほか消極的だった。
ハバ平原に展開したレマ公国軍への襲撃を試みるでも無く、その守備隊は城壁内部に籠っている。
セラニアが周辺の高地に砲兵を展開させて街道と水路を管制下に置いたときでさえ、彼らは全く行動しようとしなかった。
ハビシャラは重要な交通拠点である筈だが、その持ち主には街を守ろうという意思が感じられないのだ。どうも理解に苦しむ光景だった。
「まさか、焼土作戦か」
セラニアの脳裏に、ふとそんな考えが浮かんだ。
〈王国〉軍にはハビシャラを防衛するつもりなど端から無く、レマ公国軍が城壁に取りつくや否や焼き払ってしまうつもりなのだろうか。
そう考えれば、城兵の消極的な態度にも納得がいくが。
しかしそんなことをすれば、より苦しむのは〈王国〉の方である。
レマ公国軍は水軍による補給を受けており、ハビシャラにある食料庫の確保に失敗しても飢餓状態に陥ることは無い。
焼土作戦を行う際の前提条件の中にある、「相手が補給を略奪に依存している」という点が、この場においては満たされていないのだ。
しかもハビシャラを焼けば、軍民合わせて7万の〈王国〉人は、山と収穫済みの畑しか無い周辺地域に離散する破目になる。行き着く先は餓死もしくは山賊化である。
敵軍より自国が大きな被害を受けるであろう作戦を平気で採用する程、〈王国〉軍とは愚か者の集まりなのだろうか。
もしそうであればこの先は、より大胆な行動、例えばハビシャラを迂回しての王都急襲なども検討する余地があるが。
だがセラニアはその思考をしばらく弄んだ後に放棄した。
幾ら何でも、敵の愚かさを前提に作戦を立てるというのは軍を指揮する者として邪道が過ぎる。
しかも敵国はこれまで惨めな敗北を晒し続けているとは言え、レマ公国より遥かに巨大な国であることに変わりはない。ここは正攻法で攻めるべきだろう。
セラニアは幕舎に戻ると、各指揮官と幕僚の招集を命じた。
この出兵自体、領土の占領が目的というよりは、〈王国〉軍が行おうとしていたレマ公国遠征の出鼻を挫く為の攻勢防御という側面が強い。
最終目標はあくまで王都を含む〈王国〉中央に「脅威を与える」ことであって、「攻撃」や「占領」では無いのだ。
そこから大幅に逸脱した行動を取って自国中央の猜疑心を買う気は、少なくとも今の所セラニアには無かった。
結果的に言えば、セラニアの判断は誤っていた。第2軍集団がこの時ハビシャラから躍進して王都を襲えば、〈王国〉は最低でも莫大な損害を受けていたのは間違いない。
占領まで持ち込んでいれば、〈王国〉という国がそのまま瓦解した可能性さえある。
後に当時の兵力配置を知ったレマ公国政府が、第2軍集団への命令に「機会あれば王都攻撃を優先せよ」の一文を入れなかったことを悔やむほどの、それは〈王国〉にとっての危機でレマ公国にとっての好機だった。
もっとも兵力の配置についての情報は後知恵であり、その一文があった所で当時のセラニアが首都攻撃を決意したかは微妙な所だが。
この危機的状況を最もよく知っていた人物は、神殿騎士団副団長のコズ将軍だった。
彼は神殿騎士団の情報網を活用する事で、敵味方の誰よりも詳しく双方の状況を知っていた。
セラニアが知っていたのはほぼ自軍についてだけだったのに対し、コズは両軍の位置と状態を正確に掴んでいたのだ。
普通なら必勝を確信できる程の情報優位だが、この時のコズはとてもそんな気分にはなれずにいた。
〈王国〉軍は、セラニアによる最も楽観的な(レマ公国にとって)予測をも上回る程の弱さを晒し、その首都を含めて無防備な状態にあったのだ。
〈王国〉軍が対レマ公国戦に投入した初期兵力は、全ての地域を合わせて計33万。一見すると計15万弱のレマ公国軍よりずっと多いが、実態は貧寒たるものだった。
半分近くは弱体な民兵部隊で火砲その他の重装備を持たず、限られた任務にしか使えなかったのだ。
正規軍にしてもこれまでの戦訓から見て、火力でレマ公国軍には遠く及ばないと見られていた。
統制が利きにくい民兵部隊を抱えていることもあり、〈王国〉軍が取れる唯一の方針は、「犠牲を顧みず接近して白兵戦に持ち込む」という代物だった。国軍と言うより山賊や反乱軍のような戦い方である。
だが装備面での不利など、〈王国〉軍が陥っていた惨状の中ではほんのおまけに過ぎなかった。
〈王国〉軍は戦術面だけでなく、戦略面での能力においてもレマ公国軍に遠く及ばないことを露呈していたのだ。
開戦準備を先に始めたのは〈王国〉の方だったにも関わらず、〈王国〉軍の前線展開はレマ公国軍に比べて惨めな程遅れていた。
レマ公国軍がタード州南部とイザカ郡をあっという間に制圧してしまったのは、〈王国〉軍の戦力が逐次投入され、前線での戦力比が常にレマ公国軍優位だったからに他ならない。
イザカ郡方面ではレマ公国軍5万に対して〈王国〉軍13万、タード州方面ではレマ公国軍10万に対して〈王国〉軍20万が投入された。
だがこれらは常にバラバラに投入され、兵力を集中運用するレマ公国軍によって各個撃破されてしまったのだ。
〈王国〉軍はこれまでの戦いで死傷と行方不明を合わせて8万の損害を出し、敵軍に与えた被害は推定で5000程に過ぎない。第6回七星軍をも上回る惨敗だった。
この危機に際して、〈王国〉軍はよく言えば野心的な計画を立てた。
敗残兵に新部隊を加えて何とか再編した30万の軍で反撃を行い、タード州のレマ公国軍を一挙に包囲殲滅しようというのだ。
作戦の骨子はカドス・セタが提案したレノ州への攻撃案に、若干の修正を加えたものである。
主力の中央方面軍15万はレノ州へと進軍し、2つの敵軍の間を遮断する。
その横を進む南東支隊5万は、タード州の敵軍にとって主要補給路となっているシドン川に圧力をかけ、決戦を強要する。
そして補給路確保の為に一時後退する敵軍を東方方面軍10万が追撃し、他の軍と合わせてシドン川周辺で包囲する。これが一連の作戦の流れである。
中央への攻撃という自暴自棄のような原案から生まれたにしては、やや複雑すぎるきらいはあるにせよそれなりに合理的な作戦と言えた。
しかしこの作戦には、王都を含む他の場所を無防備な状態にしてしまうという代償がついていた。
予想を上回る速さで前線が後退した結果、〈王国〉軍が備蓄していた重装備の多くが敵軍支配下の地域に取り残されてしまった。
これによって生じた不足を補う為、本来は都市防衛用だった各機材が各方面軍に編入されてしまったのだ。
合わせて都市防衛軍の大半が南東支隊として引き抜かれ、現在各都市を守っているのは民兵ばかりである。
そこまでして兵力を集めたにも関わらず、各軍の進撃は遅々として進んでいなかった。
中央方面軍はレノ川前面で停滞している。
南東支隊は中継地点のハビシャラをレマ公国軍によって先に制圧され、迂回を余儀なくされた。
東方方面軍に至っては、まだ出撃準備さえ完了していない。
3つの軍を有機的に運動させて敵軍を包囲する筈が、現在の各軍は戦略的に何の意味も無い位置で足踏みしているだけだった。その後ろには、ほぼがら空きの王都がある。
(こんなことなら、職を辞する覚悟で反対すべきだった)
今更言っても仕方が無いと分かっていても、コズはそう思わずにはいられなかった。
自分の不在中にレノ州攻撃案が採択されたと聞いたコズは、慌てて反対しようとした。現在の〈王国〉軍に、レマ公国軍相手の攻勢作戦を行えるだけの力があるとは到底思えなかったのだ。
純粋な戦闘力以前の問題として、大軍による攻勢を実施する為の輸送力が足りない。十分な数の荷馬車も無ければ、それを通す道路も無いのだ。
七星軍遠征計画も、国境近くの倉庫群に物資を集積してからという前提があってのものだった。
レマ公国軍が先手を打ってそれら倉庫を占領してしまった以上、〈王国〉軍は攻勢能力を喪失した。コズはそう判断していた。
コズが代わりに主張したのは、王都前面での決戦だった。
〈王国〉の貧弱な輸送網でも、王都周辺には例外的に多くの兵力と物資を集積できる。その王都に出来る限りの兵力を集め、数の力でレマ公国軍を押し返すべきだとコズは提案した。
レマ公国が外征に使える最大兵力はどう多く見積もっても20万、対して〈王国〉軍は50万を王都周辺地域に投入できる。流石にこれだけの戦力差があれば、敵軍を圧倒可能だと。
しかしこの案は、あまりに国土防衛の気概に欠けるとして瞬時に否決された。
王都以南の領土全てを、レマ公国軍に明け渡すも同然の戦略を、国策として採用することは不可能だというのだ。
そんなことをすれば〈王国〉は国民の信頼を失い、各貴族はレマ公国の友好国として独立する形で〈王国〉を抜ける可能性がある。
軍事的には王都周辺への戦力集中が最善かもしれないが、政治的影響を鑑みればそんな案は絶対に採用できない。第1王子トルハと第3王子サダクは、彼らには珍しく口を揃えて言った。
かくして〈王国〉軍はカドス・セタの思い付きを多少修正しただけの作戦を開始してしまい、当然の帰結として危機に陥っている。悔やんでも悔やみきれない事態だった。
「龍兵接近。各員、爆撃に備えよ」
魔導士と伝書鳩を介して本部や王都との通信が行われる中、哨戒部隊からの緊急信が割り込んできた。
緒戦でタード州の砲兵部隊を壊滅させたレマ公国軍龍兵部隊が、中央方面軍に向かって飛んできたというのだ。
連絡を受けた各隊は迅速に動いた。
装薬や燃料などの燃えやすい物質を積載した荷車を近くの林や草原の中に隠匿し、兵員たちは窪地に貼りつくように隠れる。
合わせて魔導士隊が龍兵の飛来方向に向かって集結し、攻撃術式を叩き込む準備を整える。
「偵察だな」
半刻ほど後に現れた龍兵の数を見て、コズはそう判断した。
飛来した龍兵は僅か30程度で、中央方面軍への本格的な攻撃にしては少なすぎる。こちらの規模や移動方向を確認する為の広域偵察兼嫌がらせに飛んできたのだろう。
推測は当たっていたようで、龍兵たちはしばらく上空を巡回した後、小型爆弾を適当に投下して去っていった。
帰り際に魔導士の攻撃術式が4頭を撃墜し、兵たちが歓声を上げる。〈王国〉側に直接の人的被害は無く、強いて言えば隠匿作業中の事故で数人が軽傷を負った程度だ。
彼我の損失だけを見れば〈王国〉側の勝ちと言えなくもない。
だがコズは嫌な予感を拭えなかった。敵龍兵はほぼ確実に偵察を成功させた。のみならず、こちらに爆撃回避を余儀なくさせることで、ただでさえ遅れている進軍を更に遅らせた。
真の意味で勝利を手にしたのは、むしろ彼らの方である。
「敵龍兵、再び接近」
前進を再開しようとした中央方面軍に、新手の龍兵が来たという緊急信が入る。
これは鳥の群れを誤認したものと判明してすぐに解除されたが、2刻後にはまた別の、今度は本物の龍兵がやってきた。
数は20程度で、爆弾の代わりに小型焼夷弾を投下して去っていく。やはり〈王国〉軍に被害は殆ど無い。無いのだが、各員は可燃物への引火を防ぐ為、膨大な時間を消費することになった。
「まさか、奴らは…」
4度目の、相も変らぬ小規模な龍兵攻撃の報告を受けたコズは唸った。
レマ公国軍が本気でこちらに被害を与える気なら、もっと集中しての攻撃をかけてくるだろう。また偵察にしても、いい加減十分である筈だ。
彼らの意図は別の所、中央方面軍をこの場に釘付けにして一時的に無力化することにあるのでは無いか。
「団長。中央方面軍、いや我々だけでも王都に帰還するべきでは?」
計10回の攻撃が行われ、その度に進撃が遅延するのを見たコズは、溜まり兼ねてカドスに提言した。
敵龍兵部隊の行動は、明らかに足止めを狙ったものだ。そしてこの手の少数部隊による遅延戦術は通常、より重要な別の行動とセットで実行される。
例えば相手の主力軍を少数の別動隊で足止めしつつ主力が要地を占領するというのは、戦争という行為の黎明期から存在する作戦だ。
レマ公国軍の動きはその応用版であると、コズは判断していた。
中央方面軍を戦略的に無意味な位置に拘置し、その間に本命の作戦を実施する。これが彼らの狙いだろう。
その本命の作戦目標がもし王都であった場合、〈王国〉は致命的な打撃を被る。政治的効果はもちろんのこと、交通の要地にして物資の集積地を失う事になるからだ。
〈王国〉南東部に展開する計30万の軍全てが、補給路を断たれて殲滅される。そんな最悪の展開さえ考えられるのだ。
「心配のし過ぎだろう。敵軍の現在位置から王都まで、どう見積もっても2週間はかかる。それまでに我々は海岸に達しているさ」
だがカドスの反応は楽観的なものだった。大量の重装備を抱えた10万の軍が、遠い王都への急襲作戦を実行できるとは思えないと言うのである。
常識的にはそれが正しい。〈王国〉軍自身が実感しているように、軍というものは規模と火力が大きいほど動きが鈍くなる。
レマ公国軍とて軍事法則を超越した存在では無い以上、重装備の大軍を軽歩兵小隊のように振り回すことは出来ないだろう。
「まあ、敵がハビシャラを早期に占領した場合の修正案程度は準備しておいた方がいいかもしれん。幕僚を集めてくれ」
しかしカドスも心の中で微妙な不安を覚えはしたらしく、戦況が予想より悪化した場合に取るべき策を考えるよう促した。
コズはひとまず、それで妥協することにした。
敵軍の意図が何であれ、ハビシャラから王都に瞬間移動は出来ない。たとえ俊足の別動隊による奇襲を実行してくるにしても、王都まで1週間程度はかかるだろう。
それまでに何らかの対応は可能だと、コズは自らに言い聞かせた。
「本部と残留部隊に命じてくれ。志願兵部隊を全て王都に送り込み、更に王都周辺の住民を根こそぎ動員して守備兵力を確保せよとな」
中央方面軍の遅々として進まない車列の中で、コズは通信士官に命じた。
七星軍に向けて南方に移動した神殿騎士団士官のうち、初期計画策定や動員を担当していた者たちはそのまま王都に残っている。
また本部にも、サラカ・セタとエリス・ソランを始めとする若干名が残っている。これらをかき集めた新軍を編成し、王都が攻撃を受けた場合の備えとするのだ。
泥縄そのものであるが、何もしないよりはマシであろう。
最初の取引が行われてから1週間というまあまあの速さで、それは神殿騎士団本部に届けられた。
レマ公国軍の後に付いて行ってお零れで生活している浮浪者たちがシザ郡の戦場近くから持ち出し、ザイラ諸侯連合に籍を置く幾つかの商家を経て〈王国〉に密輸され、更に中間業者を経て神殿騎士団本部に届けられた。
こんな複雑かつ馬鹿げた流通経路と〈王国〉の道路事情を考えれば、1週間というのは非常に速い部類に入るかもしれない。
「重要軍事物資」という些か大袈裟な分類を行い、最優先で届けさせた甲斐があるというものだ。
「これが貴様の言う、レマ公国の最重要兵器か。ただの木箱にしか見えないが」
実物を見たサラカ・セタ神殿騎士団長代理が困惑の声を上げた。
この前のように敵軍火砲が密輸網に乗ったというなら、アリンが「可及的速やかな取得」を訴えた理由も分かる。
しかし目の前にあるのは、一部金属で補強された木製箱状物体で、〈王国〉の大工に頼めば銀貨3枚で作ってくれそうな代物だ。
合計して金貨5枚分の金をかけて、こんなものを入手した意義がよく分からないというのだ。
他の騎士団員も同意見らしく、ついでに運ばれてきた不発弾の方に群がっている。ただエリスだけは、アリンと同じ熱心な視線を箱に向けていた。
「この箱ですが、単純なようでいて非常に精巧な作りとなっています。上部分に一定間隔で溝を刻むことで、箱同士の結合を容易にするとともに、雨天時の滞水と内部への浸水を防いでいる点。壁と一体化した桁材によって、内部空間を分断せずに強度を確保している点。敢えて合板と鉄の混成構造を採用し、量産が困難な一枚板を不要としている点」
「技術的に優れているのは分かった。しかし誰がどう作ったのであれ、剣は剣で箱は箱だろう」
アリンが列挙する数々の特長に対し、サラカがややうんざりした様子で言った。
いろいろな工夫が凝らされているのは分かったが、そうした付加的要素がモノの本質を変えることは無いと言いたいのだろう。
例えば王室お抱えの職人が作った剣と、その辺りで売っている安物の剣では切れ味や使いやすさが全く異なる。しかし大きな視点で見た場合に同じ「剣」という道具であるのもまた事実だ。
アリンが列挙したような要素はいずれも剣で言えば、使用されている鉄の質や刃の重量配分、柄の表面仕上げといった部分に相当する。
重要な部分であるのは否定しないが、その違いによってそれが何か別の道具に変貌することは無い。サラカが言っているのは多分そういうことである。
いかにも軍人らしい、単純かつ本質を衝いた思考法ではあった。
「確かに道具は道具です。しかし道具の使い勝手が、本質的な差を生み出す場合があるのも事実でして」
アリンは頷くと、傍に待機していた兵士20人に指示を出した。
いずれも休暇中だが遊びに行く金が無い連中で、小遣いと引き換えにちょっとした仕事を頼むと、喜んで協力してくれることになったのだ。
兵士たちは傍の倉庫を開け、中から指示通りの道具を取り出した。こちらは〈王国〉製の輸送用木箱、旧式の三寸砲と四寸砲が合計3門、それに吊り上げ機である。
「ご覧ください」
アリンに命じられた兵士たちは、まずシザ郡からはるばる運ばれてきた方の箱に四寸砲を積載した。見た目以上に容積が大きく、易々と入る。
また内部の金具で台車と砲本体を纏めて固定できるようになっており、吊り上げ機であちこちに移動させても、砲と壁が衝突したりはしない。
次に四寸砲1門の代わりに三寸砲2門で積載実験が行われ、同じ結果が得られた。
一方、〈王国〉製の箱では全く異なる結果が出た。
まず強度確保の為の縦通材が内部空間を分断しているせいで、台車と本体を分離しないと砲が内部に収まらない。
そのせいもあって箱の中に砲を固定するのは著しく困難で、吊り上げて動かすと内部で砲が暴れ始める。終いには床材の強度不足で、砲身が底を破って落下した。
「これは…」
サラカが目を丸くした。
自国の技術的後進性に失望するとともに、アリンが言わんとすることに気付いたようだ。
「ちなみに上についている金具は、多分ドラゴン用の鞍に固定する為の部品です。やや過剰気味の強度は、着地の衝撃に耐える為でしょうね」
サラカ及び居並ぶ将兵の衝撃が冷めないうちに、アリンは敢えて淡々と説明した。
レマ公国軍が〈王国〉軍より遥かに多くの火砲を戦場に持ち込み、遥かに素早く移動できた理由が、目の前の箱に詰まっている。皆がそう理解していくのが分かる。
やはりこういうものは、口で説明するより実演である。
「つまり我々は、これを使って補給ができる軍と戦わなければならないのか。しかも必要なら、空からも物資を運べるような」
サラカが青ざめた顔で呟いた。
年少とは言え実戦経験を持つ軍人であり、戦場まで物資を送るのがどんなに困難かつ重要であるかは当然知っている。
その彼女にとっては衝撃的な、絶望的ですらある光景だろう。
〈王国〉軍は輸送に際して、大きな物資をいちいち分解梱包しなければならず、輸送中は砲や攻城兵器などが壊れないよう細心の注意を払う必要がある。
対してレマ公国軍は、物資をそのまま箱詰めにして船倉に積み上げるだけで必要な作業が完了する。緊急時には空路による迅速な輸送も可能だ。
これでは部隊の単独継戦能力から戦略機動性に至る様々な能力に、小手先の工夫では修正不可能な大差がついてしまう。
自軍より高速で移動し、装備と補給でも上回る敵軍に勝利するのは、控えめに言って著しく困難である。
「やるべき事は多数あります」
皆のざわめきが収まるのを待ってから、アリンは再び口を開いた。
先程の実演は別に敗北主義を拡散する為に行ったのではない。
〈帝国〉人が幼い頃から教え込まれる思考様式、「ありのままを直視せよ。しかしあるべきを見失うな」に従い、〈王国〉軍の改革を行うことを目的としている。
アリンは現実主義者たらんことを目指しているが、現実主義とは現状を無力に受容することでは無い。
とにかく現実に起こっていることこそが正当かつ最良で変えようがないという主旨の主張を自称現実主義者はよく行うが、それは現実主義というより逆立ちした理想主義である。
アリンにその轍を踏むつもりは無かった。
「最優先されるのはまず、本戦役の完敗を防ぐことです。多少の領土損失は防ぎようがありませんが、シドン高原とルド山地を結ぶ線より北は、絶対に確保する必要があります」
アリンは簡易地図に記された2つの地域を指した。どちらも今はレマ公国軍の占領地域に入ってしまっている。
「それはいいが、我が軍はレマ公国軍に勝てるのか? 開戦以来、負け続けの我が軍が」
エリスが疑問を表明した。
シドン高原とルド山地の奪還が戦略的に重要なのは分かる。しかし〈王国〉軍にその力があるとは思えないというのだ。
「戦争とは、正面から正々堂々と戦うものではありません」
アリンは微笑すると、箱のついでに運ばれてきたものを手元の棒で指した。
龍兵から投下されたが不発に終わり、屑鉄として回収された爆弾である。
「これをコピー生産します。擲弾筒の弾を作れる工廠なら簡単に作れる筈です。そしてもちろん、輸送用機材も」
「輸送用機材はともかく、爆弾を作ってどうする? 我が軍に龍兵はいないぞ」
今度はサラカが疑問を口にした。
〈王国〉軍は龍兵部隊を持たない。神殿騎士団はアリンが持ち込んだ携行飛翼のコピー生産を進めているが、完成は早くて半年後である。
空中投下爆弾など製造しても、使い道が無いとサラカの目が言っていた。
「空から落とすのではありません。蝋で密閉した上で浮きをつけ、敵軍の補給路に流します。船と接触すれば爆発するように信管を調整したうえで」
アリンは棒で地面に図を描きながら説明した。
「機雷」という言葉1つで纏めそうになったが、相手にとって馴染みが無い単語であることを考慮し、概念から解説することにする。
レマ公国軍は主に水路を用いて、侵攻軍への補給を行っている。理想的な対処法はこちらの水軍による制水権奪回だが、〈王国〉の造船能力では不可能である。
ならば次善の策として、敵軍の水路利用を妨害するべきだ。出来るのはあくまで妨害であって決定打にはならないだろうが、本命となる攻撃の前に、敵軍の戦闘力を少しでも削いでおきたい。
次にその本命の攻撃計画を、アリンは提示した。
調べた限りにおいて、〈王国〉の気象環境は〈帝国〉時代から変化していない。ならばアリンが歴史の授業で学んだ、そしてこの世界では忘れ去られた作戦をそのまま利用できる。
「ある程度敵軍が弱った後、攻勢を実施します。攻勢時期は2か月後、北東陸塊気団が南部に到達する時がいいでしょう」




