七星軍-2
レムラン島北西に位置するナザタ海岸は、一説には〈帝国〉建国の地であるとされる。
語り継がれる神話によれば、大陸最古の国家であるイダン王国が滅んだ際、その王子が配下を引き連れて決死の航海に出た。
船団は航海の神サトゥロイの加護を受けてナザタ海岸に辿り着き、王子たちはそこで余生を過ごした。だが彼らは自らの小国を築きながらも祖国復興の気概を忘れず、子孫に「いつか大陸に戻って諸王の更に王となれ」と伝えた。
これが〈帝国〉の始まりであると、少なくともナザタ州の住民は主張していた。
(まあ問題は、同じようなことを主張する海岸や島が後100個ほどあることだが)
シザ郡の戦いにおける戦果を評価され、レマ公国の大陸方面軍副司令官の地位に就いた人物、セラニア・ソランは「〈帝国〉ゆかりの品」を売りつけようとする商売人たちを追い払いながら苦笑した。
〈帝国〉の建国神話は何十種類も存在し、それらは大まかな内容については一致するが、時系列や場所についての情報は百花繚乱である。
レムラン島各地域の商人や名士がこぞって、自分たちの郷土こそが古の超大国発祥の地だと主張した結果だ。
その中でナザタ海岸は、どちらかと言うと信憑性が薄い側に入る。
寒流の影響で周囲の環境が砂漠気候に近く、独立国が作れるような場所では無いからだ。
ナザタ海岸周辺に大規模居住地ができたのは〈帝国〉が正式に建国されてからかなり後、他地域との道路網が整備されて穀物を輸入できるようになってからなのだ。
現在でもその状況は変わらず、ナザタ州の穀物自給率は0に等しい。主産業は漁業と水産物加工、それにナザタ基地駐留軍相手の商売というのが〈帝国〉時代から変わらぬ経済構造である。
セラニアは尚も纏わりついてくる商人たちを適当にあしらいながら、ナザタ基地駐留軍が用意した馬車に向かった。
わざわざ大陸から船に乗ってここに来たのは歴史に思いを馳せる為では無いし、もちろん州の名物である獅子頭魚と甘檸檬のサラダを食べに来たのでも無い。それらは少なくとも、本来の要件が終わってからだ。
下車したセラニアを迎えてくれたのは、カドア子爵と名乗る小柄な中年男性だった。
北部風の訛りや顔立ちから察するに、セラニアと同じく先祖が〈王国〉出身である可能性が高い。
もっとも、〈王国〉人とレマ公国人は元々同じ民族である以上、分類しようとすること自体が間違っているかもしれないのだが。
「本題に入りたい。『黒真珠』の試験について、その成功率及び運用に関する注意などを教えてくれ」
しばしの儀礼的会話の後、1杯目の紅茶を飲み干したセラニアは本来の要件へと話を進めることにした。
セラニアがレムラン島行きの船に乗り込んだのは、公式には副司令官就任式の為であるが、本当のところこれは副次的な要件に過ぎない。
わざわざ前線を離れたのは主に、ナザタ基地で行われている新兵器の試験について情報が欲しかったからである。
船便と飛脚でやり取りを行ったのでは悠長に過ぎるし、伝書鳩や魔導士による通信では他国に傍受される危険がある。
基地に乗り込んで直接話を聞くのが、非効率なようでいて最も安全かつ手っ取り早かった。
「技術面の話をすると、進捗状況は比較的好調です」
カドア子爵は何か奥歯に挟まったような言い方で、『黒真珠』の秘匿名称が与えられた新兵器の開発状況を説明した。
演習場での投下試験の結果、試作された『黒真珠』の8割は正常に作動した。懸念されていた自爆事故なども発生しておらず、兵器として運用可能な段階に入っているという。
「了解した。それで、技術面以外での問題はどうだ?」
しかし開発が真に順調なのであれば、カドア子爵ももう少し誇らしげに説明するだろう。彼の何か言いたげな態度を見たセラニアは、どういう問題が起きているのかを述べるよう促した。
「量産試験の予算が政治的理由で詰まっているのです。偵察科と砲兵科が、『黒真珠』をどちらの装備にするかで争っておりまして」
カドア子爵は情けない声で説明した。
『黒真珠』はレマ公国軍独特の部隊である龍兵によって運用される兵器だ。
龍兵は偵察科に所属するので、『黒真珠』も当然ながら偵察科の装備となる。開発半ばまでは皆がそう考えており、予算も偵察科から出ていた。
しかし実用化の目途が出てきた所で、砲兵科が自分たちも開発に噛ませろと主張し始めた。
『黒真珠』は攻撃用兵器であり、その戦場における役割は砲兵に近い。
また砲兵科が幾度もの事故にも懲りず開発を続けている炸裂砲弾と『黒真珠』には、技術的な類似点が多数存在する。
ならば砲兵科が開発に関わるべきだというのである。
途中で割り込んできたという点を除けば正論であるが、偵察科はこれに強く反発した。
ただでさえ多くの予算を食っている砲兵科が、地味なせいで割を食いがちな偵察科から新兵器まで奪おうとしている。偵察科の幹部たちはそう感じ、あくまで単独開発を主張して徹底抗戦を試みたのだ。
この泥沼が原因で予算がなかなか執行されず、量産への移行が滞っているのだという。
「分かった。では揉めている連中について聞かせてくれるか? 貴官の個人的評価で構わない」
嫌な意味で納得したセラニアは次に、騒動の中心となっている人物の名前と軍内での立場、及びその性格や能力について話すようカドアに促した。
無論人格や仕事ぶりについての評価に個人的な偏見が入るのは避けられないが、カドアは歩兵科出身で偵察科からも砲兵科からも中立な立場にいる。その意見は目安くらいにはなるだろう。
絶対的真理と混同しないという条件付きであれば、目安や経験則は分析において非常に有用だ。
「どうなさるおつもりで?」
各中心人物の情報を述べつつ、カドアが不意に呟いた。
セラニアの大陸方面軍副司令官という地位は相当な高位であるが、結局は一前線司令官に過ぎない。
偵察総監や砲兵総監まで絡んだ争いについて、セラニアが出る幕などあるのかと言いたいのだろう。
「これから大陸方面軍の予算は大幅に増える。工業生産や部隊編成について前線部隊が口を出せる割合もな」
セラニアは簡潔に述べた。言うまでも無いので口にしないが、理由はシザ郡の戦いである。
あの戦いでレマ公国軍は「勝ち過ぎた」。攻めてきた〈王国〉軍を追い返すどころか壊滅させ、僅かであるが領土の一部まで占領してしまったのだ。
〈王国〉は面子の為、必ず復讐戦を挑んでくると政府は推測している。そのせいで軍内における力の均衡は、自然に〈王国〉軍と直接対峙する大陸方面軍に傾斜しつつあった。
実は既に、大陸方面における第2弾作戦が決定済みで臨時予算も組まれている程だ。
「まさか、閣下はそれを狙って…」
それを聞いたカドアが、仰天するように言った。
セラニアが過大とも言える兵力をシザ郡に投入して積極作戦を取ったのは、確実な領土防衛以上の狙いがあったのではないか。見開かれた目がそう勘ぐっていた。
例えば、〈王国〉との緊張激化で大幅に増える大陸方面軍予算を何かに悪用すると言ったような。
「心配するな。私は豪華な宮殿に住んで宝石で身を飾りたいとも、王として権勢を振るいたいとも思っていない。人々の平和と幸福の為に微力を尽くせれば十分だ」
セラニアはそう言った後、内心で嗤った。紛れもない本心であるにも関わらず、何と平板で陳腐かつ偽善的な言葉であることか。
「閣下本人がそうであっても、ご身内も同じとは限りませんからな」
カドアが疑わし気に呟いた。
歴史上数ある暗君や佞臣たちの中で、当人が並外れた浪費家だったり性格破綻者だった例というのは実の所少ない。
彼らの多くは典型的な神輿、要はただの怠惰な凡人に過ぎなかった。そして凡人であるが故に全ての身内にいい顔をしようとして金や地位をばら撒き、並の悪人が成し得るより遥かに多くの損害を国家にもたらした。
セラニアもその例に漏れないのでは無いかと、カドアの懐疑的な視線が言っていた。
セラニア自身に私心が無くとも、一族郎党が戦争利権に群がる白蟻と化す可能性が否定できないと。
「それは有り得ないな」
だがセラニアは迷わず否認した。自身の道徳性や意志力に特段の自信がある訳では無いが、それだけは断言できる。
「何故ですか?」
「私には一族というものが存在しないからだ。遠い親戚が何人か生き残っている可能性はあるが、会った事は無いしな」
セラニアが述べた理由を聞いて、カドア子爵の顔から疑わし気な表情、或いは表情そのものが消えた。元々良好とは言えなかった顔色が更に蒼くなっている。
挑発的な質問を投げかけたつもりが、最悪の失言をしたことに気付いたらしい。
「そ、それはご愁傷さまでございまして。私としては…」
「気にするな。別に貴官のせいでソラン家が滅亡した訳ではあるまい」
何とかして失言を誤魔化そうと四苦八苦するカドア子爵を、セラニアは制止した。
猜疑の目を向けられるのは心地よいものでは無いが、同情や憐憫じみた感情の対象物になるのはもっと不愉快だ。
それらの感情は結局の所、利他主義の薄衣で包んだ侮蔑と自己の優位性誇示に他ならない。利点があるとすれば、潜在的な敵の判断力を鈍らせる場合があるということ位である。
「龍兵を含む演習が2日後に予定されているようだな。見学させてもらうことにする」
カドア子爵を内心で「今の所中立、排除の必要認めず」のグループに放り込んだ後、セラニアは次の話題に移った。
ナザタ基地で行われる定期演習の日程は既に知らされている。次の演習は全兵科を投入した大規模なもので、その一環として『黒真珠』の実弾投下が行われる予定となっていた。
シザ郡の戦いの2週間後、名目上は侵攻に対する報復、実質上は地歩を確保する目的で、レマ公国軍の攻勢が行われた。
戦場となったのはタード州、シザ郡から見て東方の半熱帯に位置し、シドン川の分流が両国の実質的な国境となっている地域である。
湿地芋の栽培に最適な気候と土壌を持つことから、両国はタード州全域が自国領だと長年主張し合ってきた。
湿地芋は廉価なパンの原料となる他、最近では化学処理して砂糖に加工する技術も実用化され、経済価値が高まっていたのだ。
明朝、タード州に延々と連なる芋畑の上空を200以上の巨大な黒い影が横切った。レマ公国軍が世界に誇る龍兵部隊である。
シドン川沿いの国境監視所に詰めていた〈王国〉兵たちは慌てて、敵龍兵隊が国境上空を通過していったと、後方の本部に連絡した。
魔導士の思考投射能力を応用した通信網はほぼ瞬時に、緊急事態を伝えて対処指示を受信することが可能な筈だった。
しかし通信兵たちが聞いたのは了解の返事でも当座の命令でも無く、向こう側で起きている大混乱だった。
彼らは知る由も無かったが、本部は既に攻撃を受けていたのだ。
攻撃を実行したのは夜陰に紛れて国境を越えた騎兵300と龍兵30である。
この攻撃は〈王国〉軍に与えた直接的被害という点では11人を殺害して30人を負傷させたに止まったが、間接的効果は絶大なものがあった。
薄闇の中から現れた敵軍に突然攻撃された本部は、敵兵力について途轍もない過大評価をした。
混乱した偵察兵が「敵兵力は騎兵2000前後、歩兵1万前後、龍兵300以上」という誤情報を送り、同じく混乱していた幕僚たちが真に受けたのだ。
通信部隊は「1万以上の敵軍への対処指示送信及び追加の敵情報についての受信」を最優先するよう命じられ、他の通信は全て後回しにされた。
そのせいで〈王国〉軍通信網は、存在しない敵軍についての情報とそれを受けた的外れな指示で一杯になり、本当の脅威についての情報は埋もれてしまった。
龍兵200は実質的に何の連絡もないまま、〈王国〉軍本陣地上空に達したのだ。
「まるで倒されるのを待っているドミノの列だった」、攻撃に参加したレマ公国軍龍兵の1人は戦果報告でそう述べている。
彼らにとって最優先目標だった〈王国〉軍砲兵隊は幻の敵軍を迎え撃つ為に砲を露呈させ、しかも周囲に剥き出しの弾薬を積み上げていたのだ。
レマ公国軍や神殿騎士団であれば、決して火砲をこれ程無防備な状態にはしない。火砲運用の経験が長い彼らは、その威力とともに脆さや危険性を熟知している。
だがタード州にいた〈王国〉軍は、中小貴族が率いる軍の寄せ集めに過ぎなかった。大半は実戦での火砲運用経験を持たず、取り扱い訓練さえ未了だったのだ。
偶然国境近くを移動中だった部隊を数合わせで前線に送ったツケを、〈王国〉軍は恐るべき形で払わされることになった。
200の龍兵が独特の金切り声を上げながら陣地の上を横切り、鞍にぶら下げられていた黒い塊を投げ落とす。
金属製の樽に大量の火薬と鉄球を詰め、発火剤入りの密閉容器を内部に埋め込んだ大型爆弾である。
これを一定以上の高度から落とすと着地時の衝撃で発火剤の容器が割れ、周囲の火薬を起爆させる。
危険性から不採用になった炸裂砲弾の原理を応用したものだが、少なくとも空中から投下して使う分には安全で取り回しが容易だった。
始めのうち、投下された爆弾は全く的外れな場所に落下し、まだ事態を正確に認識していない〈王国〉軍将兵の嘲笑を誘った。
龍兵から落とされる爆弾は垂直落下するのではなく、落下に横方向の動きと空気抵抗が合わさって複雑な軌道を描く。
しかも目標に命中させるには更に、風向きや弾体の空中における回転、切り離し時の衝撃なども考慮に入れる必要がある。
これらを全て考慮した上で最適な投下位置を決定するのは、少なくともこの時代の数学知識と技術水準では不可能だった。
結局は山勘で落とし、精度が足りない分は数でカバーするしか無かったのだ。
降り注ぐ爆弾は〈王国〉軍将兵が馬鹿にする中、次々と用水路や畑などに落ちていく。
大体60発目と思われる爆弾が砲兵陣地のすぐ手前に落ちても、彼らは嘲笑を止めなかった。その爆弾は起爆せず、そのまま土に埋まったからである。
湿地帯での試験が行われていなかったこともあり、この時投下された爆弾には起爆しないものが多かった。
〈王国〉軍将兵が爆弾の脅威を軽視したのは、精度の悪さに加えて不発の問題が大きい。
投下された爆弾の半数以上が爆発せずに土や水に埋もれる様子を見た彼らは、爆撃をこけおどし程度のものと判断したのだ。
また他の爆弾は全て的外れな位置に落ちている以上、砲陣地の近くに落ちたのはまぐれに過ぎないとも〈王国〉軍は推測していた。
それは正しかったが、一方で現状認識を欠いた考えでもあった。
偶然近距離に落下するなら、偶然命中してもおかしくない。この当然の推論を、彼らは見て見ぬふりしていたのだ。
そして爆弾の約半数が虚しく土埃や飛沫を巻き上げた所で、運命の1弾が落下した。
神業的技量によるものか偶然によるものかは不明だが、とにかく1発が砲陣地のほぼ中央に落下したのだ。
〈王国〉軍にとって不運だったことに、この爆弾は完璧に起爆し、周囲の兵士たちを爆風と弾片で跡形も無く粉砕した。
そしてそれは災厄の始まりに過ぎなかった。爆発で噴き上がった炎と衝撃は無思慮に積み上げられていた装薬をも発火させ、大爆発を起こしたのだ。
上る朝日と競うように白みがかった紅蓮の塊が湧きたち、唖然として見つめる兵たちを一瞬で飲み込んでいく。
それだけに留まらず、爆発はまさにドミノ倒しのように他の砲に向かって連鎖し、更に巨大な爆発へと変貌していった。
本来火砲というものは被弾や事故が発生しても被害を1門だけに限定できるよう、ある程度の距離を置いて配置される。
だがこのとき、〈王国〉軍は敵襲を聞いて大慌てで火砲を設置しており、この原則を守っていなかった。各砲は肩を寄せ合うように設置されており、弾薬類はその周囲に無秩序に散乱していた。
そこに引火した結果、手のつけようが無い大爆発が生じてしまったのだ。
狂乱と惨劇の中、一部の将兵はいつの間にか上空から龍兵がいなくなっていることに気付いた。
龍兵の指揮官は、砲陣地が炎に包まれたのを見て効果十分と判断、目標を兵舎や指揮所に変更したのだ。
この時期のレマ公国軍は〈王国〉軍に比べて現場指揮官の裁量を重視しており、将兵は状況に合わせて柔軟な行動を取ることが出来た。
またそれは、レマ公国軍各級指揮官の質が自由裁量を許容できる水準に達していたことも意味する。
〈王国〉軍は装備や運だけで無く、軍隊としての総合力で負けていたのだった。
爆発を起こした砲兵陣地の残り火が未だ燻る中、国境監視所からは新たな、そして最後の報告が届いた。レマ公国軍の大部隊がシドン川を越え、〈王国〉領に侵入しつつあるという情報だ。
それを阻止する手段は、〈王国〉軍には残されていなかった。
王都では緊急会議が開かれ、政府要人及び七星軍指揮官の代表多数が招集されていた。
議題はもちろん、レマ公国軍への対処である。
七星軍遠征の準備に〈王国〉がもたついているのを見計らったように、レマ公国軍は積極行動に出た。
今や七星軍として集められた軍勢は侵攻作戦を行うどころか、攻め込んできた敵軍に対処しなければならない状況だった。
具体的にはイザカ郡に攻め込んできた5万と、タード州を制圧しつつある10万を。
「即刻、タード州へ増援を送るべきだ。あの州を取られれば、レマ公国水軍は王都を直撃できるようになってしまう」
〈王国〉第3王子サダクが開幕早々に力説し、彼の支持基盤である商人代表たちが賛同の声を上げた。
本当は戦略半分利権半分と言った所だろうが、最も危険な箇所に兵力を集中するという発想自体は間違っていない。
「私は反対だ。タード州は全般的に湿地に近い地形で、我が軍にとって不利となる。むしろイザカ郡から敵を押してそのまま敵領土に攻め込んだ方がいい」
これに対し、〈王国〉第1王子トルハと彼を支持する貴族たちが反対と、別の戦略を提示した。
敵主力がいる場所に味方主力を機械的に差し向けると言うのは、敵に主導権を渡すようなものだ。
それよりも敵領土を脅かして侵攻軍を撤退に追い込むという、間接的手段を取った方がいいという主張である。純軍事的にはこちらの方がやや真っ当だろう。
無論、第1王子派貴族の領地がイザカ郡やシザ郡の方面に多いという事情もあるだろうが。
「タード州を放置してイザカ郡に主力を向けると言うのはあまりに危険な賭けだ。イザカ郡やシザ郡で戦っているうちに王都を襲撃されれば、第1王子は責任を取れるのか?」
「王都には十分な守備隊がいる。むざむざ落とされはしないだろう。むしろ第3王子こそ、目の前しか見ない軽率な戦略で敗北した場合の責任を取れるのか?」
「第1王子は随分と楽観的だが、現実を見ろ。シザ郡でもタード州でも、我が軍は大敗を喫している。我々としては、最悪の事態を考慮して行動すべきだ」
「現実を見ていないのはどちらだ? タード州のような河川で分断された地域は、水軍力で優るレマ公国軍にとっての庭だ。戦力に不安があるというなら、尚更イザカ郡方面で戦った方がいい」
第1王子と第3王子は言い争いを続けている。
どちらの主張にもそれなりの理があるのだが、それ故に議論が終結しそうに無い。
参加者たちは、「2人の名将は1人の凡将に劣る」という格言を思い出さずにはいられなかった。
何が最適かを必要以上に長く考える者は大抵、いい加減で単純な考えに基づいて素早く行動する者に負ける。個人でも組織でも、多すぎる意見や情報はかえって有害なのだ。
「要するに、敵軍を撃破して追い返せればいいのでしょう」
延々と議論を続ける2王子の間に、やや非礼とも言える声が割って入った。不毛な議論に対し、意外な人物が打開策を示したのだ。
「もちろんそういうことだが、神殿騎士団長には何か考えがあるのかね?」
ちょうど発言しようとした所を遮られた第1王子トルハが、やや不快そうな口調でその人物、神殿騎士団長のカドス・セタに続きを促した。
他の人物たちも当惑半分期待半分と言った体で、カドスを見守っている。
カドスは勇猛な指揮官という評判はあれど優れた戦略家という評価を受けたことは無い人物だが、何か考えがあるのだろうか。
「敵戦力が手薄なレノ州に全力で攻撃を掛けて海まで進軍し、2つの敵主力軍を分断します。あくまで敵が侵攻を諦めないなら、対岸のレムラン島まで艀で進軍しましょう。そうすればいずれかの段階で、敵軍は反転せざるを得なくなる筈です」
「それは…」
第1王子と第3王子、いや会場のほぼ全員が揃って当惑とも感心とも付かない声を上げた。
これが意表を突いた妙案なのか文字通りの中間を取っただけの戯言なのか、俄かには判断できなかったのだ。
カドスが言うレノ州というのは、レマ公国大陸側領土の中央西側にある地域で、その対岸には同国の首都があるレムラン島が存在する。またレノ州は2つの敵軍から見て、ほぼ中間地点でもある。
そこに主力を投入しろと、カドスは主張していた。
一応の理屈は通っている。敵軍が主力を両端に展開させているなら、衝くべき場所は中央である。そこを制圧すれば、敵軍は分断されて弱体化する。
また中央部を直撃するように進んでくる相手の大軍を見て、平静でいられる指揮官は少ない。普通なら両翼の前進を諦めてでも、主力を呼び戻そうとするだろう。
腐っても20年以上の軍経験がある人物の提案だけに、それなりの説得力はあった。
しかし会議の出席者、特に軍指揮官はカドスの提案に不吉なものを感じていた。
手薄な敵中央を攻撃して撤退を誘うというのは、局所的な戦術的駆け引きに属する行動だ。戦略レベルで同じ行動を取るというのは、昆虫の羽をドラゴンに取り付けるようなものでは無いだろうか。
しかも敵中央が本当に手薄なのかも、現時点ではよく分からない。手薄というのはあくまで、レマ公国の推定動員兵力に関する曖昧な推測に基づいた考えに過ぎないのだ。
「それで良いのではないかな。確かに中央部を衝いてレムラン島を脅かせば、敵軍は撤退せざるを得まい」
「私も同意する。レノ州へ進軍するのであれば、敵が王都攻撃を試みた場合も対処しやすいだろう」
だが彼らが意見を述べる前に、第3王子サダクが賛同の声を上げた。驚いた事に、第1王子トルハも同調する。
彼らの方も不毛な言い争いの継続にうんざりし、何でもいいから落としどころを探していたらしい。
カドスの案に対する疑問を述べようとしていた将軍や幕僚たちはこれで押し黙った。
場における2大権力者の意志が一致したなら、これ以上何かを言っても仕方がない。それにまた何かを言って議論を長引かせても、より良い結論が出るとも思えない。
到底最善策とは思えないが、ひとまず結論が出た事に満足しよう。そんな気分が彼らに発言を躊躇わせたのだ。
全く以て褒められた話では無いが、非常にありがちな話でもあった。
所用によりこの会議に参加できなかった神殿騎士団副団長のコズ将軍は、後に会議の顛末を聞いて、「病的な意思決定の見本」と糾弾することになる。




