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神殿騎士団-3

射撃開始指示を受けた擲弾兵たちは、火砲を小型化して安っぽくしたような機械の先端に、油紙で包まれた筒状の物体を放り込んだ。

次いで機械本体の内径とほぼ同じ太さの金属筒を押し込み、角度を合わせる。


 発射係が火砲と共通の着火装置を作動させると、どこか間の抜けた破裂音とともに金属筒が機械先端から射出された。

金属筒は視認できる程度の速度で放物線を描いて飛翔すると、疾駆する騎乗ゴグの集団に落下していく。

 

そして発射された金属筒たちは、通常の火砲による攻撃では見られない現象を引き起こした。落下地点で爆発を起こし、周辺にいたゴグを何頭か吹き飛ばしたのだ。


 金属筒は次から次へと発射され、爆発してはゴグたちを薙ぎ倒していく。倒れたゴグと龍鳥に後続のゴグが躓いて転倒し、更に転倒したゴグが次の龍鳥の脚に引っかかる。そんな椿事ですら散見され、人間の騎兵突撃顔負けの整然とした隊列を組んでいたゴグたちの動きは大きく乱れた。

 


 「いいぞ。もっと撃て!」

 

 それを見た歩兵たちが歓声を上げ、擲弾兵部隊の戦果を称える。今までは歩兵とも砲兵ともつかない妙な兵科として疑念と軽蔑の目を向けていたのに、随分と虫のいいことだとサラカは苦笑した。

 



 擲弾兵たちが使用している武器は正式名称を軽滑腔砲と言うが、使用する兵科の名称に因んで擲弾筒と呼ばれることの方が多い。

 その最大の特徴は、内部に炸薬を詰め込んだ炸裂弾を安価かつ簡便に運用できることである。

 

 炸裂弾の発想自体は、火砲と手投げ爆弾が登場したごく初期から存在した。

 火砲は弾を遠くまで飛ばせる。手投げ爆弾は1発で多数の敵兵を殺傷できる。ならば手投げ爆弾を火砲で撃ち出せば、最強の兵器となるのでは無いか。多くの軍人や発明家がそう思い付き、数多の炸裂弾やそれを使用する火砲が試作された。

 

 しかしこれら炸裂弾使用火砲たちは全て軍に不採用となり、ついでに言うと半数以上が実験過程で発明者を道連れにして壊れた。

 不採用の決定を下した軍上層部が正しく理解していたように、炸裂弾は軍用として許容できない程に危険だったのだ。

 


 炸裂弾の原理自体は、ごく単純なものである。

 中空になった砲弾の尾部に、低速で燃焼する火薬が詰まった両開きの筒を取り付け、残りの空間を高速燃焼火薬で満たす。

 これを火砲から撃ち出すと、発射時に筒内の火薬が着火され、飛翔中の砲弾の中でゆっくりと燃えていく。そして一定時間が過ぎると筒内の低速燃焼火薬の火が、周囲の高速燃焼火薬に燃え移り、砲弾を爆発させるのだ。

 こういう砲弾を作ること自体は技術的に可能だし、理屈上は既存の火砲でも問題なく使用できる。

 

 だが世の中における大抵の事象がそうであるように、理論や技術の上で可能であることと現実性の間には深い溝がある。炸裂弾もその例に漏れなかった。

 


 その試作を行った発明家たちがしばしば自分の身体で思い知ったように、現実の炸裂弾はあまりに危険が大きい兵器だった。一言で言うと脆すぎたのだ。


 火砲から射出される際、砲弾には当然ながら巨大な力がかかる。これは新しくて高性能な火砲ほどそうだ。

 金属の塊である攻城弾や発射時に分解するのが前提の散弾なら問題にならないが、炸裂弾の場合は厄介なことになる。砲弾が衝撃に耐えられず砲身内部で割れることがあるのだ。

 するとどうなるかと言うと、炸裂弾内部に詰まっていた高速燃焼火薬が砲内で発火、爆発して砲自体と周囲の人間を吹き飛ばす。腔発と呼ばれる現象である。

 場合によってはその砲と砲員のみならず、周囲に積まれていた砲弾や装薬を巻き込む大爆発に発展することもある。軍にとっては、到底許容できない危険だった。

 

 

 より正確に言うと、腔発の危険は不可避なものでは無い。砲弾が良質な金属を材料にまともな職人の手で作られ、爆発物専門家の監視があれば、腔発事故の発生はごく稀である。

 

 しかし逆にそれこそが、軍をして炸裂弾の採用を拒否させた原因とも言える。

 砲弾は消耗品であり、そんなものの製造に良質金属材料と熟練工を当てれば、戦争に負ける以前に破産する。

 また爆発物専門家の監視を常に置くというのも、戦場においては非現実的だ。


 かくして炸裂弾は光銀製甲冑や軍用平原象と同じ、「間違いなく強力で技術的にも可能だが、コストとリスクの観点から割に合わない」兵器として、軍事史の掃き溜めに消えようとしていた。

 

 


 だが神殿騎士団は炸裂弾を捨てず、しぶとく研究を続けていた。

 トルガ・セタ以来神殿騎士団は火力重視だったし、何より第1仮想敵であるレマ公国軍の火力を、王室や貴族の軍よりずっとよく知っていたからだ。

 

 

 そして5年前、サラカの半姉妹であるエリス・ソランがふと言った。「無理やり最新の高威力砲で撃ち出すから腔発するのであって、低威力の砲なら腔発しないのでは無いか」、と。

 

 彼女の思い付きを大人たちは一笑に付したが、サラカは興味を持って、神殿騎士団本部の倉庫に仕舞い込まれていた旧式の小型砲で実験してみた。

 

 結果、この種の砲を使い、連射しすぎによる砲身加熱に気を付ければ、腔発はまず起きないという事実が判明した。

 旧式砲は装薬量が少なく、また砲弾直径と砲身内径の間に大きな遊びを取っている。金属加工技術の低さによるものだが、この特徴が砲弾に与える衝撃を減らし、腔発を防いでいたのだ。

 

 擲弾筒はこの実験結果を元に、炸裂弾を使用する安価かつ軽量な砲として作られたものだ。

 ごく近距離にいる相手しか攻撃しないのを前提とした薄く短い砲身を持ち、歩兵2人で分解輸送が可能。射撃は射手、装弾手、照準手の計3人がいれば行える。

 大きさが大きさだけに大威力の炸裂弾は撃てないが、敵兵数人を殺傷して残りを怯ませる程度の効果は十分に期待できた。

 

 

 後は運用する人員であるが、これは王室や貴族の軍で擲弾兵として勤務していた元隊員を雇うことで解決された。

 擲弾兵部隊は一時盛んに作られたが、実戦における攻撃が成功する確率の割に被害が大き過ぎることが判明し、続々と解体されていた。

 神殿騎士団は次の勤め先を探していた彼らを雇う事で、爆発物取り扱いに精通した人員を比較的容易にそろえることが出来たのだ。

 



 「擲弾兵、射撃中止。臨時中隊は我に続け」

 

 擲弾兵の各チームがそれぞれ10発ほど撃った所で、サラカは射撃中止と歩兵による迎撃戦闘を命じた。

 欲を言えばもう5発は撃たせたい所だが、これ以上やると腔発事故を起こす可能性がある。貴重な火力を温存する為には、この辺りで切り上げるべきだろう。

 


 擲弾兵による攻撃で大きく隊列が乱れたゴグの群れが、それでも速度を緩めずに突っ込んで来る。 

 醜悪な熊に最悪の意味における人間性を足したような緑色の顔が、憎悪と憤怒で黒く染まっているのが見えた。

 彼らに何か目的があるのか、単に止める者がいないから戦闘を続けているのかは分からない。確かなのは、ゴグたちを倒さない限り、街道の安全はおろか神殿騎士団自体の生存すら確保できないという事実だけだ。

 


 まずはサラカとともに前進した歩兵たちのうち一列目が、バラバラに突進してくるゴグに向かって十文字槍を突き出した。

 十文字槍は普通の槍の両端に鎌状の刃を取りつけた武器で、刃の部分で敵の長柄武器を受け止めたり、軍馬の脚を薙ぎ払ったりする。

 ゴグが乗る龍鳥は軍馬より遥かに脚や首が細く、骨格も華奢である為、この十文字槍の一突きで無力化が可能だ。そしてもちろん、乗騎が倒れれば上に乗っている方も無事では済まない。

 

 金属が肉と骨を断ち切る時特有の不気味な断裂音が響き、片脚を失った龍鳥が血と土の入り混じった煙を上げて転がっていく。

 或いは首を切断された鳥類特有の反応として、壊れた機械のように辺りを跳ね回る。

 

 それらに乗っていたゴグは地面に叩きつけられ、起き上がる前に神殿騎士団歩兵か後続の仲間に踏み潰された。皮膚の裂け目から零れだした血と肉と内臓が、晩秋の冷気の中で湯煙を上げているのが見える。

 普通の人間なら目を背けたくなる光景だが、戦闘中の兵士にとってはどんな絶景よりも好ましい眺めだ。倒れて血を流しているのが自分や仲間ではなく敵であるという、そのただ一点によって。

 



 更に龍鳥やゴグや森林象とは明らかに異なるいななきと足音が聞こえ、歩兵たちは更なる歓声を上げた。

 苦戦を強いられていたガトラス将軍の騎兵部隊が、何とかゴグの追撃を振り切り、歩兵支援に駆け付けたのだ。

 


 ガトラスが誇らしげに剣を掲げ、300の騎兵が1つの巨大な鉄塊のようにゴグの群れに突っ込む。

 

 精鋭歩兵部隊ですら止めるのが難しい騎兵の一斉突撃が、人間よりずっと小さいゴグに、しかも横合いから加えられたのだ。

 少なくとも今この瞬間においては、騎兵突撃の心理的、物理的衝撃力がゴグたちが持つ数の優位や運動性を圧殺した。

 

 馬のいななきと地面に蹄鉄が叩きつけられる音が過ぎ去った後には、踏み潰されるか斬り倒されるかしたゴグと龍鳥の死骸が一面に積み重なっている。

 生き残りも戦意を失っており、こちらの歩兵によって容易く掃討されていく。


 軍の火力強化に伴って無用論が囁かれることもある騎兵部隊だが、その機動力と攻撃時の威力は未だ価値を失っていない。そのことを如実に示す光景だ。

 




 だがサラカの方はいつまでも、騎兵部隊の戦果を喜んでいる訳にもいかなかった。

 

 騎乗ゴグはひとまず、ほぼ全てが死ぬか離散するかしたが、その過程で歩兵の隊列は大きく乱れた。

 そして前方からは、騎乗ゴグよりずっと危険な存在が接近してきている。柵はもちろん建物さえ破壊する力を持ち、狩猟弓の矢が通らない程に分厚い皮膚を持つ巨獣、森林象の群れが。


 一般に信じられているのとは異なり、象は大きいだけの無害かつ鈍重な動物では無い。

 縄張りに入ってきた他の動物を蹴散らし、邪魔なものはそれが樹木だろうが家屋だろうが破壊する力と凶暴性を有するからこそ、生息地の王者として君臨している。

 象が生息する地域の農家に生まれた兵の話から、サラカはそう知っていた。


 そして馬は言葉で教えられるまでもなく本能的に、この遠くから見る限りではどこか滑稽な外見をした巨獣の恐ろしさを知っている。

 人間の大声や火砲の発射音で暴れ出さないよう馬を訓練することは可能だが、それらに慣れた軍馬でも象には決して近づこうとしないのだ。

 費用対効果で見合わないことが既に判明しているにも関わらず象兵部隊の構想が絶えないのは、それを敵騎兵の妨害を受けない機動兵力として運用出来るからだ。

 

 要するに森林象との戦いでは、騎兵部隊は当てに出来ない。

 


 



 それを知っているかのように、ゴグの指示を受けた象たちが太く巨大な咆哮を一斉に上げ、こちらの兵を威迫する。 

 人間こそが全てにおいて文明の長であるという見方への腹立たしい反証として、ゴグはこの気難しい動物を人間よりずっと上手く制御できるのだ。

 人間が操る象はゆっくりと歩いたりまっすぐ走るのが関の山だが、ゴグは象を自在に動かし、いつ鳴くかや鼻で何を拾い上げるかまで操ることが出来る。

 それ以前に、100頭以上の象による一斉攻撃自体が、象の制御という分野でゴグが持つ優越性を証明していた。

 


 サラカは死んだ人間とゴグと龍鳥が流す血の臭い、それに象の大集団が放つ獣特有の体臭で噎せそうになりながらも深呼吸すると、先程は不発に終わった銃を構えて引き金を引いた。

 

 ただし目標は象本体では無い。当たっても分厚い頭蓋骨で弾かれてしまう。

 代わりにサラカが狙ったのは、上に乗っているゴグだった。轟音とともに放たれた煙で曇った照準器の視界の中で、狙ったゴグがゆっくりと落下していくのが見える。

 

 主人を失った象はまるでその死を悲しむかのように絶叫し、暴れながら隣の象に突っ込んだ。折れた前者の牙が後者の横腹に突き刺さり、更なる絶叫が木霊する。


 サラカはその顛末を確認することなく、次のゴグを狙って引き金を引いた。犬や熊に似た頭部が綺麗に吹き飛ばされ、象が明後日の方向に走り去っていく。

 


 

 だが無論、サラカ1人で象の群れを止めることは出来なかった。残りの象は突進を続け、歩兵をその巨体で踏み潰そうとする。


 大半の兵はうまく回避したが、一部は象が振り回す鼻に打撃されたり、恐怖で固まっている所を蹴飛ばされた。

 最大の軍馬より遥かに巨大な動物による攻撃を食らった兵は悪童が投げた玩具のように宙を舞い、先ほど死んだゴグの死体の合間や上に叩きつけられていく。


 原型を止めない程に変形した人間の残骸を随所に残しながら、象は突進を続ける。彼らを止められる者は、どこにも存在しないように見えた。














 


 エリス・ソランは苦悩していた。目の前の少女、アリンと名乗った人物が要求してきたものを渡すかどうかである。

 

 銃を持った傭兵とその従者らしき人物が神殿に顔を出したのを見て、エリスは最初、久しぶりに神の加護を信じる気になった。

 極めて高価な武器である銃を持ち、特注品らしい機能美に溢れた軍装を纏った人物。実力が持ち物に見合っているかは不明だが、少なくとも貴族の子女で識字能力と計算能力を持ち、軍事についてある程度の知識はあるだろう。

 現在神殿騎士団において絶望的に不足している類の人材であり、サラカ・セタを救援する軍の隊長として、神が遣わしたようにさえ感じられた。

 

 だからエリスは、相手に出来るだけの報酬を支払うと言った。

 普通の傭兵の10倍程度の給料なら簡単に出せるし、地位を欲しがっているなら司祭程度には出来る。

 〈王国〉で最も豊富な資金力を持つ軍事組織である上、建前上の母体である神殿を脅して俗人に聖職位を与える力も持つ神殿騎士団にとっては造作も無いことである。


 神殿騎士団は本来、神殿と周辺の街道を警備するだけの組織だった。しかし現在では、商人間での送金仲介や貴族が踏み倒した借金の取り立て、聖職授与による成り上がり者の箔付けなどを一手に担う巨大組織と化しているのだ。

 

 有名な異端者サズ・カートは神殿騎士団を「サトゥロイ(レマ公国で崇められている水神で商売の神。〈王国〉では一般に、腐敗と虚栄を司る邪神とされる)」と呼んだ咎で破門されたが、それは要するに彼の言葉が本質を衝いていたからである。

 神殿騎士団は名前とは裏腹に、貴族や聖職者より商人に近い価値観と行動原理を持っており、富や地位を不可侵の世襲財産では無く交換可能な資源の1つとして捉えている。

 エリスもその一員として、使えそうな人間をそれらで釣ることに躊躇いが無かった。

 



 だがアリンが要求してきたものは、金や地位では無かった。エリスが判断に困っているのはその為だ。

 幾らサラカを救う為とは言え、軍事機密の1つである地図を、どこの誰とも分からない相手に渡していいものだろうか。

 

「そちらが外国の軍人で無いという証拠が欲しい」

 

 考えあぐねたエリスは、ひとまずそう告げた。アリンが七星軍の情報を集めに来たレマ公国の軍関係者では無いと判断できない限り、流石に地図は渡せない。

 

 (こんな問答をしている場合では無いのだが)

 

 言いながらもエリスは、焦燥で胸郭が灼けるのを感じていた。この間にも、サラカはゴグの大群と戦っているのだ。出来る事なら自分1人でも、サラカの下に駆け付けたい。

 

 しかしエリスは、自分が決してそう出来ないことも知っていた。

 出撃前、サラカはエリスに「自分が不在の間、神殿を守ること。もしかしたら援軍の要請を送るかもしれないが、援軍の指揮は代理に任せ、決して自ら神殿を出てはならない」と命じている。

 それを無視した行動は出来なかった。

 


 「証拠ですか? うーん、この身分証では駄目ですよね」

 

 それを聞いたアリンはと言うと、ポケットから銀色のカードを取り出しつつ、困ったように呟いていた。

 カードには彼女の肖像と名前が記されており、かつ彼女が端の部分を押すと虹色に光る。

 何やら高度な術式がカードにかかっており、触れているのが記載されている本人かどうか識別できるようになっているらしい。


 だが無論本人が言う通り、こんなものは彼女が敵国軍関係者で無い証明にはならない。

 

 


 「そちら、セナと言ったな。貴様の主人について、知っていることを教えて貰えないだろうか」

 

 頭が痛くなってきたエリスはひとまず、質問の矛先を変えてみることにした。

 態度からしてどう見ても従者ないし奴隷なのに、アリンが何故か「友人」と紹介した銀髪の少女である。

 いろいろとズレた印象があるアリンよりもこちらの方が、まだ常識的な会話が出来そうな気がしたのだ。

 


「回復術を使われる方です。ご本人は〈帝国〉3等官と名乗られましたが、それが本当かは分かりません。……あ、いえ、すいません。別にアリン様の言葉を疑っている訳ではありませんが」

「別に疑ってもいいわよ。〈帝国〉から来たなんて話、信じる方が難しいでしょうし」

 

 セナが前半はエリス、後半はアリンに向かって自信無げかつ申し訳なさそうな口調で言った後口を噤み、アリンが引き継ぐように続けた。

 失言をした奴隷や従者に対する主人の言動としてはおよそ穏やか過ぎる、むしろ相手を労わっているような態度だ。

 


 (多分、悪い人間では無いのだろう)、それを見たエリスは少なくともアリンの人格についてはそう判断した。

 人間の性質は、奴隷や部下などの、不当な扱いをしても報復して来ない相手への態度を見れば大体判断できる。

 目下には横柄だが同格以上には礼儀正しい人間と言うのは大抵、報復してくる可能性がある相手には強く出られないだけの、本質的には加虐的な利己主義者である。

 多少極端な言い方をすると、猫や浮浪者を嬲り殺すのが好きだが、野犬の群れや軍隊を見ると逃げ出す街の破落戸と変わらない。

 


 セナへの態度を見る限り、アリンはその意味においては善良そうだった。軍で言うと上官に高く評価されるかは不明だが、部下の兵には好かれる類の人物だろう。

 

 ただ無論当人の性格と、彼女が神殿騎士団や〈王国〉の脅威となり得る可能性は全く別の話である。

 御伽噺と違って現実においては、凶事の発生に魔女や悪魔は不要だし、邪悪な個人ないし集団さえ必要では無い。

 登場人物が人並みのささやかな幸せを望んでいるだけの凡人のみであっても、魔王ですら鼻白むような惨事が発生するのが現実世界だ。


 こちらの意味においてアリンが無害であるか、サラカとしては判断できずにいた。

 何しろセナによればアリンというのは、〈帝国〉というとうに滅んだ国の出身者を自ら名乗る程度には、素性と行動原理の怪しい人物なのだから。

 


 「困りましたね。地図を貰えないとなると、私たちとしてもサラカという方を助けに行きようが無いのですが」

 「……いや、別に貴様が地図を持つ必要は無いだろう。戦場までの案内は、神殿騎士団の士官が行う」

 

 そのアリンが言葉通り困った顔で呟き、エリスは反射的に指摘した。

 

 神殿騎士団は実の所、戦場に到着してからの志願兵部隊の運命について、殆ど気にかけていない。 七星軍でもそうだし、現在発生中のゴグとの戦いでもそうだ。

 戦意だけは旺盛だが戦術や集団戦の概念を持たない部隊など、敵陣に正面から投げつける消耗品として以外に使いようが無いからだ。


 

 兵に求められる資質の中で最優先されるものは、路上での殴り合いで必要な類の強さでも無ければ、粗食や長距離行軍に耐える能力ですらない。命令を理解して従えることである。


 例えば武術の達人であっても、「全員で石を投げつけたあとナイフで突く」という方針の下で一糸乱れず行動する10人の集団には勝てない。その10人が全員10歳の子供であってもだ。

 確固たる指揮の下で行動する弱者の集団は大抵、単独行動する強者に優り、それを前提として軍というものは作られている。

 

 

 平均的な七星軍志願者というのは、その視点で見ると軍人として全く不適格である。

 強制された訳でも無いのに戦いへの参加を申し出るくらいだから、戦意は正規軍人と同じかそれ以上に高いだろう。

 戦闘技能という点でも、実の所致命的に劣っている訳では無い。農民の鍬や大工のハンマーによる打撃は、騎士の振るう剣と同じくらい確実に敵兵を殺傷できる。 

 

 しかし七星軍志願者は、命令に従って集団で行動するということが出来ない。これは過去の七星軍の事例から分かっていることだ。

 志願兵部隊は敵を見つけるや否や我先に襲い掛かって奇襲計画を台無しにし、敵地の都市や農村を無計画に略奪・破壊して本隊の徴発計画を狂わせた。

 

 猟犬や軍用犬を選ぶ際、臆病な犬より更に不適格なのは所構わず吠えて相手構わず噛みつく犬だが、志願兵部隊というのはまさにその狂犬の群れである。

 本隊の前方を進ませて敵火力の一部を吸収させる以外に使いようが無いと、神殿騎士団では判断していた。

 

 その為神殿騎士団では、志願兵部隊には現地の地理情報を伝えないという方針になっている。教えても碌なことにならないのが、過去の経験から分かっているからだ。

 



 しかしそのことは、神殿騎士団が志願兵部隊の状況全般について無関心であることを意味しない。

 

 少なくとも戦場に辿り着くまでは、彼らの衛生や栄養状態について最大限に配慮する。

 また貴重な士官の一部を引率に割いてでも、志願兵部隊を時間通りに戦場に到着させることに腐心している。

 

 神殿騎士団最大の英雄であるトルガ・セタの著書を引用するなら、「軍を指揮する者は冷徹で無ければならないが、冷酷であってはならない」。

 戦術上必要な犠牲を出すことは許容されても、それ以外の理由で兵を無駄死にさせることは許されないのだ。

 ましてや戦場に向かう途中で兵を餓死・病死させたり、到着させることが出来なかったりするのは論外である。少なくとも神殿騎士団の士官は全員、この認識を共有している。

 

 よってあくまで客将扱いのアリンが地図を持つ必要は無いと、エリスは指摘した。

 戦場となっているアザラン街道周辺までの案内は、神殿騎士団の士官が責任を持って行う。志願兵とその指揮官は、ただ彼らに付き従って行けばいいのである。

 


 「しかし数が集まるのを待ってから徒歩で向かうのでは、間に合わない可能性があるのでは?」

 「だからと言って、バラバラに向かう訳にもいくまい。大体時間のことを言うなら、こんな下らない議論の方が余程時間の浪費だろう!」

 

 アリンがまた何やらズレた発言をし、エリスは思わず苛立ちの声を上げてしまった。

 希少な銃持ちなので声を掛けたが、もう彼女については当てにしない方がいいかもしれない。

 

 「ま、待ってください! アリン様はちゃんと理由があって、地図を要求されています!」

 

 そこでセナが、2人の間に入って口を挿んだ。

 気弱そうな態度は相変わらずだが、春空色の瞳を特徴とする可憐な顔には確かな決意の色も浮かんでいる。奴隷階級の人間には滅多に見られない表情だ。

 

 「話してくれ」

 

 エリスは少し息をついた後、セナに続きを促した。

 どうせまだ、兵は碌に集まっていない。時間の無駄であるかの判断は、彼女の話を聞いてからでもいいだろう。

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