85.勇者
・前回のあらすじです。
『カルブリヌスが石化し、ユノの腕が、竜に食われる』
ユノは目を剥いた。右半身が軽くなる。
二の腕から下がない。
肉の筋と、唾液のまじった血が、線となって空中に揺れる。
ヘビに睨まれた蛙。
硬直するユノを、ディアボロスは頭から丸のみにした。
長い首を上向けて、ゴクリと嚥下する。
〇
脈動の音がする。
暑く、せまく、湿度が高い。
外観――巨竜という大きさに見合わない、窮屈な器官だった。それが胃なのか腸なのか。蛇という生態に詳しくないユノは知らない。
しゅうしゅう。
顔や鎧を溶かしているのは消化液。
窒息か。
溶解か。
どちらが早いかはわからないが、このまま留まっていれば、やがてちから尽きて竜の養分になるだろう。
――チカッ。
薄暗い洞の奥で、なにかが鋭く光る。
狭隘な消化器官を、おそらくは下りの方角にユノは這って進んだ。
石の剣がある。
それを掴んだまま固まった、自分の腕。
光はそこにあった。
柄をギュッと握りしめる、五本の指のちょうどまん中。
精霊のちからを帯びた、小さな宝石をつけた指輪。
――むだ使いすんじゃないわよ。
銀色の髪の少女の忠告が脳裏をよぎる。
ユノのくちもとが一瞬ほころぶ。
彼は這った。
左手で、竜の内壁を押して。
自分の右手を取る。
祈りをささげる。
〇
魔界の町【ソド】は騒然としていた。
『なんだあれ』
『だれの魔法だ?』
『いや、待て、あれは……』
崖の住居から飛びだして、トカゲや猿、悪魔みたいな形をもった異形の生物たちが、山のほうをあおぎ見る。
魔王城のある険しい山。魔界で最も天に近く、稜線の鋭利な俊峰に、一本の光の柱が立っている。
若年のモンスターは、暗い空からそそぐソレを見て首をかしげた。
知識ふかい年配者は、顔を覆って、嘆いた。
〇
光の柱は竜の腹を貫いていた。
ディアボロスは重くうめく。
身をねじり、柱の中心に生まれる一振りの存在に気づく。
『まさか……』
まばゆい輝きのなかで、ユノが剣を掴んだ。
神剣エクスカリバー。
死した剣、カルブリヌスが、精霊の加護を受け、強靭な刃へと鋳直されたすがた。
ユノは剣を一閃する。
竜の胴が裂け、隙間から王の間に出る。
ディアボロスが、彼の頭を潰さんと牙を向ける。
『させるものかあああ……ッ!!』
剣がひるがえった。
おそろしく軽く。
魔王――ディアボロスの首を断つ。
地面が揺れた。
竜の頭が床に転がる。
『なぜ……』
長いヒゲが、最後の抵抗のように揺れた。
血を噴いた顔が口惜しげに歪む。
『……妖精から聞かなかったのか。この世界の末路を。人間どものたどる未来を』
「聞いたよ。魔王がいなくなれば、やがて人は滅びるって」
かすれた声でユノは答えた。
『ならばなぜ……こんなことをしたところで――』
「あなたが、言った通りなんだよ……ディアボロス」
魔王は不可解そうに眉間に皺をよせた。
「弱いくせに、いきなり凄いちからを手に入れて……舞いあがって、自分だったら悪いヤツからたくさんの人を救えるって自惚れてる、傲慢な人種――」
ユノは微笑んだ。
ディアボロスが崩れていく。
「――ボクは『勇者』だ」
竜の貌が灰と成る。
巨大な胴体が、後を追うようにチリと化す。
青い灯が照らす広間に、黒い灰燼が積もる。
風が吹いて、ディアボロスの残骸をさらっていく。
風は冷たかった。
笛のような音を伴っていた。
それは魔王の慟哭だとユノは思った。