83.かばん
・前回のあらすじです。
『ユノがディアボロスの一撃に吹っ飛ばされる』
ぴく。
指先が動く。
瓦礫の山がくずれる。
神経の麻痺した体に鞭打って、ユノは肩に引っかけた鞄をまさぐった。
回復用の薬――あるいは、魔石を求める。
ザリッ……。
(……っ!)
砂の感触が爪に当たる。
鞄に溜まった粒子を、ちからの入らない手でひきずり出す。
(どうして……)
赤や青の粒が、血に汚れた指の隙間をこぼれ落ちる。
それはもはや、使いようのない、ジェムの朽ち果てたすがただった。
ところどころに混じっている危うい閃きは、硝子瓶の割れたもの。
流れた飲み薬に濡れて、場ちがいにも華やかに、美しく輝く。
(――あ!)
ユノは思い出した。
竜が、戦いのはじめに吼えた瞬間を。
(あれは、牽制のためのものじゃなかった……。ボクの持っているアイテムを、壊すのが目的だったんだ!)
ドロリと額から垂れる血をぬぐう。
風がユノの黒い髪を撫でた。
竜が翔ぶ。
胴長な巨躯に比して、飾りのように小さな翼が、空圧を生む。
(遊ばれている)
黒い竜――ディアボロスの大きな金の眼とカチ合った。
石化の毒はやって来ない。
長い首が、グワとユノ目掛けて伸びる。
ユノは体を横に倒した。
鞄をかなぐり捨て、這うように走りだす。
竜が追いかける。
巨大な咢が、ばくばく二階の床を噛み潰す。
――ユノの足場に亀裂が伸びる。
最後の噛みつきを、ユノは高く飛んでかわした。
身をひねって、竜の頭部に落ちる。
角と角の隙間にはさまったのは僥倖。
右手に掴んでいた剣を振りぬく。
竜の脳天を撃つ。
ギィン!
刃は鋭い音をたて切っ先を欠いた。
魔王ディアボロスが首をもたげる。
バランスをくずし、ユノは険しい背ビレの傍をすべり落ちる。
「このおっ!」
空中をまろびながら、ユノは二度、三度、オリハルコンの剣を振るった。
カンっ。カあン!
鱗の表皮がむなしい感触を返す。選定の剣が、切れ味を落としていく。
(どうすればっ!)
ユノは広間の床に降り立った。
頭上から竜の貌が迫る。獲物を丸のみにせんと、ランランと双眸を光らせて。
(そうだ!)
ユノは背中の武器を引きぬいた。自分の身長ほどもある、両手持ちの名を冠する大剣。
リーチにものを言わせた刀身を、降りせまる竜の顔面に突き出す。
『グオおおおおおお!!!』
鉄を鍛えた刃が金の眼を貫いた。
左の眼球から、涙とも血ともつかない濁った液体が流れる。
――ディアボロスが頭部を振り回す。
(いける!)
両手でユノはカルブリヌスを握りしめた。
大剣は暴れる竜にさらわれて、空中をさまよっている。
(両目を潰してしまえば――)
光明に心臓の鼓動が速くなる。
その興奮は、ゆっくりと下がっていった。
天井から――竜が暴走し、飛んだところから――閃光が降る。
ガしゃあッ!
閃きは、武骨な悲鳴をあげて、黒曜石の床に墜落した。
しゅうしゅうと、墨色の煙があがっている。
黝ずんだ液体にぬれた、長い刃と両手用の柄。
ユノがさっき手放した、ツヴァイハンダーだ。
精魂つき果てたように、それはユノの足元で石になった。
砂へと朽ちる。
『ぐっ……。今のは効いたぞ』
潰れた片目――ディアボロスの左目からは、白煙があがっていた。
『私も少し、たわむれが過ぎたようだ……』
煙が途絶え、竜の首が持ち上がる。
眼が。
縦長の瞳孔と、活力に満ちた光沢をともなって復活する。