72.真価
・前回のあらすじです。
『枷をアルゴルによけられ、窮地におちいったユノが、相手との会話をこころみる』
斜陽が消える。
塔の外壁に刺した大剣が、ユノとパンドラの重みにグラリとかたむく。
柄を握るのは、肩口のえぐれたユノの腕だった。
最上階から地面に叩きつけられるのに、もう幾何もない。
勇者の命乞いに、半信半疑ではあったがアルゴルは要求を呑んだ。
「まあいいでしょう。とはいえ、あなたを迎えいれる気はありませんが」
――始末はいつでもできる。
そう判断して、ダークエルフの青年は勇者の剣についてユノに教えた。
「選定の剣――カルブリヌスは、精霊のちからを得てはじめて真価を現します。我が主君の最大の脅威となるほどに」
「じゃあ、【霊樹の里】にボクたちを行かせたくないのは、カルブリヌスのことも絡んでるんだ」
「否定はしません。もっとも、神剣を鋳るにはちょっとした条件がいりますが」
「それはなに?」
「もういいでしょう」
話に飽きてアルゴルはフッと笑う。
ユノの額に、矢を向け直す。
殉教者の諦観めいた調子でユノは頷いた。
「うん、もういいかな……」
――歌声が響く。
「……セイレーンの呪歌?」
アルゴルは鼻を鳴らした。
「妖精に魔法が効くとでも? それとも、そこに倒れている巫女を回復させますか? 精霊の断片をもつ彼女もまた、半端な【魔族】の呪いなど、受けつけないというのに」
アルゴルは強かに弓を引いた。
矢を放つ。
至近距離からの射撃を、しかしユノは躱した。
「は――」
目を剥くアルゴルの足元で大剣がうなる。
不自然にふくれたユノの片腕が、塔の壁に宙ぶらりんの自身とパンドラの身体を大きく揺らす。
反動をつけ、ユノは剣ごと宙に跳んだ。
獣のように回転して、最上階の地面に着地する。
呼気が荒い。
呼吸をするたびに白い蒸気となって、くちから息が伸びている。
目は血走って赤く、全身の筋肉は膨張して、浮き出た静脈から血が噴き出していた。
「【狂戦士の歌】か。しかし、人化した魔族の歌にどれほどの効果が――」
アルゴルは先ほどユノが投げ飛ばしたセイレーンの少女――パンドラを見上げた。
「そうか……」
落下の勢いを殺して落ちてくる彼女に舌打ちする。
少女の背中に魔鳥の翼が生えている。
「彼女がもどるまでの時間をかせいでいたと――」
歯嚙みするダークエルフにユノが突進する。
振りぬいた大剣が、すばやく動いたアルゴルの頬を切り裂いた。
敏捷にかわすアルゴルの動きを、ユノは肉体の限界を越えた速さで追う。
――理性を代償に身体能力を爆発的に引き上げる呪いの歌、【バーサーカー】。
対象の膂力を何十倍にも増加するという性質上、その効果は短時間に限られる――
流星雨のようにユノの斬撃が閃く。
鉄の刃をくぐって、アルゴルは反撃を差しはさみ――
しかし驚異の瞬発力で猛追する長い白刃の連撃に阻まれ、やむなく魔法の障壁を展開する。
ぱああンッ!
剣を受け止め、アルゴルは勝利を確信した。
バックステップで衝撃を殺し、わずかな時間で魔法の矢をつがえる。
ユノは高く跳んだ。
剣を大上段に振りかぶる。
全身から血の尾を引きながら――
ダークエルフの脳天を狙う。
勇者に引導を渡すべく、引きしぼった一矢をアルゴルは解き放った。
ぷすん……。
弦から飛んだ黒い魔力が消滅する。
「――!?」
アルゴルは驚愕に叫んだ。
声は無い。
「痛い身体に鞭打ってコキ使われてやったわよ」
床をゴロンと負傷した巫女がころがる。
彼女の腕は何かを投擲したように伸びていた。
アルゴルの足首に、金属の輪っかが嵌まっている。
魔封じの枷。
とダークエルフのくちが動く。
ユノの大剣がアルゴルを断った。
頭のてっぺんから股にかけて赤い縦線が奔る。
ダークエルフの身体が、中心から左右に割れた。
断面から脳漿とはらわたが飛散する。
またたくまにそれらは黒い灰になった。
ザああッ……。
アルゴルの残滓が夜風に流れる。
濃い紫の石が、塔の床に転がった。




