映画3
映画館のあるショッピングモールの2階。
ユニクロで買ったジーンズと丈の長いTシャツに着替えた氷芽は、甘めのワンピース姿よりもよほど大人っぽく見えた。
「ごめんね、待たせて」
ジーンズから覗く華奢な足首に心臓を締め付けられていたのを、またどう勘違いしたのか、物凄く気遣わしげな声だ。
「いや、そんな待ってへん」これは本当だ。
彼女はまるで最初から決めていたかのように、一瞬で決めて試着し、そのまま会計を済ませてきたのだから。
「ユニクロの服って初めて」
「の割には早かったやん。ワンピースは」
「捨ててもらった」
ふふ、と首をすくめて笑う彼女は、なんだか今まででいちばん、楽しそうに見えた。
「お母さんに怒られるんちゃう」
「チカンに遭ったってバレて逆上されるより、マシかな」
チカンに遭ったことより、それが母親にバレることの方がやっぱり、恐いみたいだ。
「いこう。ちょっと急ぐで」
「マクドしまっちゃうの」
「あほか」ついツッコミを入れて、しまった、と思う。
「昼時はけっこう並ぶからな。のんびりしてたら映画始まってまうやろ」
ほら行こ、と華奢な手をつい引っ張りかけて、慌てて放す。
林間学校の時は知らなかったから、手をつないだり、できたのだ。
先程の「皆同じだよ」という声と、キャンプファイヤーの炎が映り込み、焦げた匂いまで漂うような、沼の底の瞳を思い出す。
もしウッカリ触れてしまえば、僕も『あっち側』に分類されてしまうのではないか。
そんなおそれが僕の身体を瞬間的に、強張らせていた。
「どうしたの。行こう」
僕をハッと現実に立ち帰らせたのは、服の裾に遠慮がちにかかった、指先だけの力だった。
「そやな」
少々ぶっきらぼうに言い、先に立って歩き出す。
彼女と手をつなぐことはもう2度とないかもしれない、などと考えながら。
夏休み中のマクドはやはり混んでいて、席が空いていなかった。
「ほかの店、行くか?」
「ううん。ここがいい」
話し慣れてきたせいか、平坦なはずの氷芽の声が、少しワクワクしているように感じた。
「ほな、テイクアウトにしてシアターホールで食べよ」
行列に並びつつ、店員さんが手渡してくれたメニューを2人で覗き込む。
「どれがオススメ?」
しばらくして静かに氷芽が尋ねてきた。
そう、彼女はいつもあまり感情をみせず、静かなんだ。
なのに僕はそれを勝手に(困ってるんやな)と解釈しついでに(かわいいやん)などとニヤけてしまいそうになる。
バレたら、彼女の中で即『あっち側』送りにされそうだ。
「ビッグバーガーはやめとき。女の子は食べきれへんと思うわ」ヒメちゃんは、じゃなくて『女の子は』に変える。
ここで名指しなんかして(どうして小食だって知ってるの気持ち悪っ)と思われたくなかった。
こんな気の遣い方をしたのは、初めてだ。
「マクド初めてやったら、普通のバーガーとかがいいんちゃう?セットはやめとこうか。あとでポップコーン買えばいいし」
「うん、楓くんは?」
いきなり名前で呼ばれた。
心臓が、びっくりするよりももっと大きく飛び跳ねる。
「僕はビッグバーガーや!絶対これや!」
なんだか、ヘンなテンションになってしまった。
さすがに笑われるかと思ったが、氷芽はやっぱり静かに「おいしそうだね」と言って、それからニッコリしたのだった。
シアターホールのテーブルやベンチは、僕たちと同じことを考える人たちでやっぱり満席だった。
うろうろして、窓際の壁の狭いでっぱりを見つける。
「ここでいいやん」
腰を降ろすと、氷芽がほんの少し、びっくりした顔になった。
けれども何も言わず、隣に腰掛ける。
「あ、ごめん」ちょっと腕が当たっただけで謝ってくる彼女に「落ちそうやん。もうちょっとこっち寄りや」と言い掛けた言葉を飲み込んだ。
ホールにはもう、開幕のアナウンスが流れている。
「ささっとハンバーガーだけ食べてしまお」
「ハンバーガー、匂うもんね」
「そうそう。皆お腹空いたら悪いやろ」
僕の冗談に氷芽はまた少しびっくりした顔をして、それからクスクス笑ってくれた。
食べるのを急ぎすぎたビッグバーガーは、味がほとんど分からなかったけれど、僕は非常に満足してそれを飲み込んだのだった。