噂
訪問くださりありがとうございます。
この部分はもしかしたら、けっこう気分悪いかも、です。
人のイヤな部分が出ていると思いますので、お嫌いな方はすみませんm(__)m
高校生になってしばらくして、僕は里絵と付き合い始めた。
里絵は同じ高校でまた同じクラスになったのだ。なんとなく一緒に帰ることが多くなり、僕たちは自然に付き合い始めた。
言い出したのは里絵からだったと思うが、後程それを言うと 「楓からやって!」 と返される。そんな始まりだった。
里絵との付き合いは楽しかった。
特に気を遣ったりせずに喋り、他愛のないことで笑い合う。
並んで歩く。手をつなぐ。キスをする。
付き合い始めた時と同じように、それらはごく自然の流れだった。
女の子の柔らかさと温かさに、僕はすぐに夢中になった。
氷芽のことは確かにまだ好きだったが、全寮制のお嬢様学校に進学してしまった彼女は、当時の僕にはもう遠い存在だった。
サラサラした髪、すんなり伸びた白い手足に、人形のような繊細な美貌。
皆に見せる、穏やかで曖昧な微笑み。
僕だけしか知らない、恥ずかしそうな表情や弾けるような笑顔。
毎日毎日、好きやと思っていた。
でも、恐くてこわくて、どうしても言えなかった。
触れるだけでドキドキして、痛かった。
忘れようがない、全部のこと。
それらは美しい物語として、大事に僕の胸にしまわれている。
そして、何かの拍子にそのページがはらりと開く ―― けど、その物語はもう、未来を持たない。
「楓ってヒメちゃんと付き合ってた?」
里絵にしては珍しい種類のことを訊かれたとき、ギクッとしたのは、たまたま、氷芽との物語の1ページが開いていたからだった。
夏、遊園地の後で里絵を家まで送っている途中だ。
水鉄砲で水をかけ合ってはしゃぎ疲れた帰り道には、どこかの家からカレーの匂いが漂ってきていた。
「いいや。なんでなん?」
「だって中学生の頃、めっちゃ2人仲良かったやん! 皆付き合ってると思ってたで!」
初耳だった。
「で、なんで今さらそんなこと?」
「ママがね、ヘンな噂してて」
里絵が顔をしかめる。
「あの子、小学生の時にお兄さんとデキてたとかなんとか」
「お兄さんって去年海に一緒に行ってくれてた人」
「うん」
「しょもない噂やな」
一瞬、脳裏に浮かんだ氷芽の複雑そうな表情を打ち消す。
「ありえへんやん、そんなん」
「けど言われてみたら、あの時、兄妹にしてもやたら距離が近いなぁ、そんなもんかなぁ、って思ってたんだ」
「ウソやろ」
「電車の中とか。普通にヒメちゃんの腰に手ぇ置いてたし」
「しょもないとこ見とんなぁ!」
「やねぇ」
里絵は首をすくめて笑った。
「でも良かった。そんな子と楓が付き合ってなくて」
「しょもないわぁ、ほんま!」
急に汗がべとついたように感じて、僕はできるだけ自然に、里絵とつないでいた手を放す。
「だって気持ち悪いやん? 噂が立つだけでも」
「本当だね」
背後から不意に、キレイな標準語で静かに言われて、僕と里絵は一瞬固まった。
「気持ち悪いよね、そんな子って」
久々に見た氷芽は、僕の記憶そのままの、穏やかで曖昧な微笑みを浮かべていた。
「えー!? ヒメちゃん! めっちゃ久しぶりー!」
里絵がわざとらしく、はしゃいだ声を出す。
「なんていうん? キレイになった? さっすが都会の高校は違うねぇっ」
「たぶん気のせい」
氷芽はクスッと笑う。
「勉強ばかりしてたから」
「えーほんま? かわいそー」
「そうなの」
如才ない感じの、軽い受け答え。
「里絵ちゃんと楓くん、付き合ってるんだ」
「はーい、実はそうなんです! わかっちゃった?」
「電車も同じだったのに、全然気づいてない感じだったから」
氷芽はまた、笑顔を作った。
「良かったね。お似合いカップル」
僕の胸はツキン、と痛んだけれど、僕にはもうそんな資格はない。
へへ、と里絵は笑い、氷芽のスーツケースを指した。
「しばらくこっち?」
「うん。25日まで」
「じゃあまた、連絡するからさ、遊ぼねー!」
「うん、よろしく」
それから里絵の家の前まで、僕たちは、ごく当たり障りのない話題 ―― 学校のことや、この夏の映画のことなどを話しながら歩いた。
氷芽のとんでもない噂が、どこまで本人に聞こえていたのか…… 聞こえていたら、傷ついたに違いない。
すごく気になったけど、それを確かめる時間も勇気も、僕には無かった。
けれど、その翌日。
真相は、意外な形で明らかになった。




