誤算
碧黎は、月が有るだろう空を見上げて考えていた。
このままでは、まずい。
簡単に出し入れ出来るので、簡単に考えて維月を龍王の石に宿らせたり、また月へ戻したりと繰り返したが、思っていたより維月は面倒なことになっていた。
生まれて間もない頃の維月と十六夜は、まだ命も育っておらず、月に宿れば月として、他のものに宿ればそれとして成長し、生きていけた。
だが、成人してからの命を出し入れするには、リスクが伴うのだ。
それが今度の事でよく分かった。
安定した地上の鉱物ならば、維月もすんなり馴染んで問題無かったが、それに慣れた頃にまた月へと戻した事で、維月はそれまで簡単にやっていた事が、出来なくなっている。
鉱物などとは違い、陰の月はかなり厄介な性質だ。それをいなして御せていたのは、ひとえに維月が幼い頃から陰の月だったからで、自然に覚えていたのだろう。
無意識であったゆえに、忘れてしまうと思い出す事が出来ず、己でまた意識してその方法を模索しなければならないのだ。
それが、奇しくも闇の攻撃などで表面化して来てしまい、龍のような強い自制心を持った落ち着いた種族ではない子にその性質を受け継がせた事で、乱される事になってしまった。
鳥の炎月が陰の月を持つ事で、こういうことになるなどと碧黎も想像出来なかったのだ。
つくづく龍は、他の種族よりしっかりとした精神を持っているのだと、これで思い知らされた。
前世から維心の子は数多く居るが、誰一人としてこんなことは起こさなかった。
月の力を使う事が多かった将維も、維月の導き無しではその力を使ったりしなかった。
その危険性を、幼い頃から気取って分かっていたのだろうと思われた。
公明のように、命が薄まれば問題はないようだったが、碧黎は油断したと口惜しく思っていた。
一番良いのは、維月を自分の管理下に完全に置ける、今空いている地の陰にすることだった。
だが、それをすると十六夜がまた騒ぐだろう。十六夜から維月を取り上げるつもりはなかったし、その事でまた面倒が起きるのは避けたかった。十六夜には今以上に地上を清浄に保つ事に励んで欲しかったし、他の事に煩わされていてそれを疎かにはして欲しくない。
地上の平穏が、碧黎の第一の責務だった。
それが、維月が目覚めたので降りてくると十六夜からの声が告げて、降りてくるのを待つ間に碧黎が考えていたことだった。
「親父。」十六夜が、維月の肩を抱いて歩いて来ながら言った。「どうする?何か手はあるか。一応オレの力の玉は腹に持たせたし、ネックレスだってさせてるが、そもそもあの時はこのネックレスが役に立たなかったんだもんな。」
碧黎は、難しい顔をして答えた。
「我としては不本意ではあるが、原因は分かった。まず、維月は一度鉱物になったことで、そっちの楽な扱いに慣れてから、また陰の月に戻ったゆえ、それまで自然にやっていた厄介な制御が出来ぬようになっておる。つまり、忘れたのであるな。」
十六夜は、目を見開いた。なんだって?!
「ってぇことは、親父のせいか!まあ遠回しにオレのせいでもあるが、なんだってそんな事考えもせずにやったんだよ!維月が大変じゃねぇか!」
碧黎は、そう言われるのは分かっていたことだったので、動揺せずに続けた。
「それから、炎月が鳥であったからぞ。これまで、維心の子ばかりで問題無かったのでこんなことは考えてもいなかった。維心の子なのだから生まれながらに危機管理能力があり、陰の月の力という訳の分からないものを、指導なくして使おうなどとは危機に瀕しても思わなかった。龍の王族と鳥を一緒に考えたのが間違いであったのだ。以上の事が重なって、此度の事は起こったと考えられる。」
十六夜は、顔をしかめた。
「だからってもう生まれて存在するんだからどうしようもねぇだろうが。じゃあ、ここからどうするべきだって親父は思うんでぇ?」
碧黎は、息をついた。
「分からぬ。維月を月から降ろすのが手っ取り早いが、陰の月は存在せねばならぬ。十六夜だけでは清浄過ぎるのは前に述べた通りぞ。主らで子を成して赤子から陰の月として育てて維月を陰の地にするのが面倒がないが、主とて維月を奪われるように思うて嫌なのだろうが。ならばそのままでどうにか出来ぬか考えねばならぬが、まだ答えは出ておらぬのだ。とりあえずは、今まで通りに主の力で縛りつつ、炎月には力を使わせない方向で様子を見ながら考えるよりないのよ。」
十六夜は、ふと考えて言った。
「…でもよ、じゃあ嘉翔は?あいつは嘉韻との子だけどこんなことはなかったじゃねぇか。」
碧黎は、呆れたように言った。
「あやつは龍ではないか。龍という種族は優秀なのだ。ゆえにおかしな事にはならなんだのよ。それに、あれはまだ戦場も経験しておらぬし、危機に瀕した事はない。その上で成人しておるし、問題ないのは当然よ。嘉韻は嘉楠の息子だが鳥ではないからの。」
十六夜は、ため息をついて、じっと黙って聞いている維月を見た。
「困ったもんだ…どうやったら思い出すんでぇ。一回忘れちまったことは、やっぱりもう一回覚え直すしかねぇってことか。」
維月は、困ったように首を傾げた。
「何を忘れたのか分からないから、思い出しようがないの…。どうやってたのか、ほんとに分からない。でも、確かに龍王の石になる前は、そこそこ制御出来ていたように思うわ。龍王の石だった時は、あまり気を遣わなくて楽だなあと思っていたのも事実。でも、まさか自分が陰の月の制御を無意識にやっていたなんて思わなくて。」
碧黎は、困った顔をして維月の頭を撫でた。
「すまぬの、まさかこのような事になるとは。誠にどうしようもなければ、我が先ほど言うたような方法で主を陰の地にするよりないのだ。しかし、それでは十六夜が複雑であろうし、今は他の対策を考えようぞ。炎月が、成人する前にの。」
十六夜と維月は、それを聞いて驚いた顔をした。成人したら、むしろ制御が楽になるのでは。
「…成人したら、制御できるようになって、あのようなことは起こらないのではありませんか?」
維月が言うと、碧黎は顔をしかめて首を振った。
「考えてもみよ、成人したら何をする。」
十六夜と維月は、顔を見合わせた。
「何って…宮の政治を炎嘉と共にやって、妃でも娶って…」
そこまで言ってから、十六夜はあ、と口を押えた。維月も目を見開いた。
「もしかして、婚姻?!」
碧黎は、渋い顔をして頷いた。
「維心の子は禁欲的でああいうことには淡泊ぞ。嘉韻の子の嘉翔も、あの美しい外見で、幼い頃より女に追われ過ぎて面倒だと遠ざけている状態。なので我を忘れるほどの事は無いが、鳥は分からぬ。炎月は誰かに懸想したら陰の月の力を使ってしまうやもしれぬ。それが手っ取り早いのは確かであるし、自然そうなろうな。そうなった時、維月がそれに引きずられぬとも限らぬ。その時たまたま傍に居た男に迫ったら、相手は簡単に陥落しようぞ。何しろ、陰の月であるからな。あの、龍王ですら骨抜きにする力よ。」
維月は、そんなことになったらと慄いて震えた。自分の意思ではないのに、目の前に居る誰かにそんなことをするなんて!
十六夜は、震える維月の肩を抱いて言った。
「大丈夫だ、とにかく維心から離れなかったらいいんだからよ!いつも目の前に維心が居たら、維心を襲えばいいんだから大丈夫だ!あいつを襲っても誰も文句は言わねぇし安心しろ。」
維月は、それでも震えたまま言った。
「維心様がご政務に出ていらっしゃる時だったらどうしたらいいの…?」
十六夜は、顔をしかめた。確かにあいつ、忙しいからなあ。
「…とにかく…どこへでもついて行くんだ!そしたらいつも目の前に維心だ!いいな?!」
維月は、心もとなげに頷いた。
「うん…。」
碧黎は、困ったように手を腰に当てて言った。
「十六夜も無茶を言いよるの。ここに帰っている時かもしれぬではないか。主か我である可能性もあるのだぞ?我らはそんなものには動じぬが、陰の月はそれを知っておる。確実に仕留められる男を探すのではないのか。」
十六夜は、うーっと唸った。
「だったらどうしたらいいんでぇ!ここに居る時だったら将維か嘉韻に任せたらいいじゃねぇか!蒼は陰の月の興味の対象外だって前の時で知ってるし、問題ねぇ!」
本当に問題ないのか。
碧黎は、そう思ったが黙って聞いていた。少なからず自分のせいで維月がこうなっていることは、碧黎も気にしていたからだ。
炎月の中の陰の月だけを封じることが、碧黎に出来るのか。それは、やってみないことには分からなかった。
なので、少し試して来てからまた話を進めようと、碧黎は十六夜と維月をそこに残して、鳥の宮へと飛んだのだった。