表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/198

南西

翠明は、治癒の対でじっと詰めていた。

紫翠は回復に転じて意識も戻り、何とか持ち直して来たが、緑翠に回復の様子がない。

脇腹をえぐる大きな傷があり、止血はしてあったがそれ以上の手当てが出来なかったようで、長く放置されたままだったことと、気を大きく消耗していたことで、回復出来ないようだった。

綾が頼んで来てもらった、鷲の治癒の神達も、顔を見合わせて首を振った。

「…良くございませぬ、翠明様。緑翠様は著しく気をご消耗されておって、生きていらっしゃるのが不思議なぐらいでありまする。恐らくは初期に同じ鳥という種族の、王族の濃く強い気を頂いておるので辛うじて持ちこたえられておりましたが、只今は症状も一進一退…。むしろ悪い方へと傾きつつありまする。」

綾が、泣きながら緑翠に縋って言った。

「ならば、ならば燐ならっ?同じ母から生まれて王族なのです、燐に治癒の技をかけてもらったならきっと…!」

鷲の治癒の者は、また顔を見合わせた。そして、言った。

「綾様…確かに燐様なら、誰より緑翠様にとって良い術を放てるでしょう。ですが、初期の状況であったならということでございます。ここまで悪くおなりだと、もう…。誰の気でも同じなのでございます。」

綾は、それを聞いて緑翠にかけてある布の上へと突っ伏した。

「ああ…!この子がこのようなことで死んで逝かねばならぬとは…!」

翠明が、顔を上げた。

「無駄であっても、せめて燐殿をこちらへ呼んではもらえまいか。最後まで、できることはしてやりたいのだ。これは…紫翠を庇って、こうなったのだと紫翠が申しておった。我からの頼みだと申して。」

鷲の治癒の神は、それには同情したような顔をして、頭を下げた。

「はい、翠明様。では、宮へ書状を急ぎ飛ばしまする。」

治癒の神が一人、出て行く。翠明は、涙を堪えて緑翠を見た。緑翠が、密かに定佳の宮へと潜んで行って、千歳という女の口車に乗っていたという事実は、自分には知らされた。だが、詳しいことは、まだ定佳には誰も言っていないのだという。

知っているのは龍、鳥、公青だったが、この三つの宮はこちらに任せて事実は伏せる方向で考えているようだ。

炎嘉も、確かに炎月が攫われたので一番の被害者ではあったが、もとは自分の所の厄介ごとであったので、詳しいことは言わないことにしたらしい。

緑翠の気持ちも、分かった。それでも、してはならないことをした。このまま命を落とすようなことがあれば、翠明は何も、神世には言わないでおこうと心に決めていた。

炎月を追って紫翠と緑翠が宮へ行き、そこで巻き込まれたのだということにしようと思っていたのだ。

定佳には、迷惑を掛けたと思う。だが、定佳の宮に被害が出たのは、千歳という女と、渚という白虎の軍神のせいだった。その事実を知る者は皆、もう死んでいる。緑翠のためにも、それぐらいの事は、許されるはず…。

翠明は、綾にすらその事実を言わなかった。緑翠のしたことは間違いだったが、それでも生き残ったなら更生して今度こそ道を誤らずに、生きて行って欲しいという親の願いだった。

翠明が綾と共に暗く沈んでただ、緑翠の傍に座っていると、侍女が入って来て、言った。

「王。月の宮王、蒼様がお越しでございます。」

翠明は、驚いて顔を上げた。蒼殿が?

「…蒼殿が?緑翠を見舞ってくださったのだろうか。」

蒼は、あの炎月の暴走の時に、月の宮から駆けつけて、十六夜の代わりに浄化の光を放って戦っていたのだという。

翠明はその現場に居なかったが、蒼はそれから霧の残照が無いかあの辺りから西の島まで、海を渡って見回ってくれていたと聞いていた。

「このような病室であるが、これへ。」

侍女に言うと、侍女は頭を下げて出て行って、もう待っていたのか、すぐに蒼が入って来た。翠明は、立ち上がった。

「蒼殿。この度はこの辺りまで、霧を消してくださっておったとか。礼を申す。」

蒼は、首を振った。

「それが月の存在意味なので。これから月の宮へ帰ろうかと思ったが、紫翠と緑翠の様子が気になって様子を見てから帰ろうと思うて。どんな具合か?」

翠明は、緑翠の褥に顔を伏せたままの綾を気遣いながら、言った。

「…鷲の治癒の者たちが言うには、良うないと。傷も治らぬし、気を失って補充する体力もない。一進一退であったのが、悪い方へと傾きつつあるのだと…。我らでは、どうしようもない。だが、燐殿ならば同族の血を持っておって王族であるゆえ、もしやと思うて呼んでもろうておるのだ。」

蒼は、頷いて緑翠を見た。確かに、顔色は土のようだ。このままでは、恐らくは…。

蒼は、じっと緑翠を治療して立って手を翳している治癒の神に、言った。

「ちょっと良いか。」

治癒の神は、驚いて蒼を振り返った。

「え?」と、蒼が緑翠の横へ行きたいのだとわかって、慌てて場を空けた。「はい、蒼様。」

蒼は、緑翠の横に立った。

そうして、じっと緑翠を見て、手を翳した。

その手からは、月の浄化の光が放たれていたが、強いものではなく、緑翠の回りの空気全体を包むような、そんなふんわりとした光だった。

しばらく蒼がそうしていると、蒼の隣でじっと緑翠を観察していた鷲の治癒の神が、ハッとしたような顔をした。

「…まあ!少し、お体が良いように…!」

蒼は、それを聞いて、頷いて手を離した。途端に、光は途切れる。

翠明が、蒼は治癒の術に長けていたのか、と驚いていると、蒼は翠明を見て、言った。

「少し、試してみたくてやってみた。オレは治癒の術は知らないが、今放ったのは、いつも月の宮に降り注いでいる結界からの光。つまり、中は浄化されて清浄な気が流れているのだ。これで効果が無いならもう、運を天に任せるよりないかと思っていたが、緑翠は清浄な気の中なら回復する可能性がある。これを、月の宮の治癒の対へ移そうと思うが、どうする?」

突っ伏していた綾も、涙に濡れた顔を上げて、何度も頷いた。

「是非に!おお蒼様、是非に月の宮へ!」と、翠明を見た。「王、御覧になりましたでしょう?緑翠は、月の結界の中なら助かるかもしれませぬ!蒼様のご厚意に甘えて、月の宮に!」

翠明は、綾に頷いて蒼を見た。

「蒼殿、感謝し申す。どうか、緑翠をそちらの結界へと連れ参ってほしい。どうか、緑翠を助けてもらえまいか。」

蒼は、頷いた。

「ならば準備を。燐殿にも月の宮の方へ来てもらうように。鷲の者たちも、緑翠と共に月の宮へ。」

綾は、進み出て深々と頭を下げた。

「ありがとうございまする、蒼様。つきましては、誠に不躾なお願いではございますが、我も共に参ってもよろしゅうございましょうか。」

蒼は、息子が心配でならないだろう綾を、さすがに共に連れて行ってやろうと、頷いた。

「翠明が良いと言うなら共に来るが良い。母親が傷ついた息子の傍を離れるのはつらいだろうしな。」

翠明は、綾を見て頷いた。

「言って参るが良い。我の代わりに、緑翠を見てやってくれ。紫翠は、我が見ておくゆえ。」

これが、最後の望みなのだ。

翠明は思い、輿へと綾と共に乗せられて、月の宮へと飛び立って行く緑翠を、もしかしてこれが今生の別れなどにはならないようにと、祈りながら見送ったのだった。


月の宮の結界の中は、相変わらずの清々しい清浄な気が流れていた。

初めて入るその結界の中に、鷲の治癒の者たちは驚いて息を飲んでいた。神の桃源郷と言われる月の宮…確かに、なんと心惹かれる清々しい気の満ちる場であることか。

しかし、その治癒の対は、更に濃い月の浄化の気が溢れていて、その場所へ入っただけで、体内の悪いものが全て洗い流されるような感覚がし、一気に体が軽くなるような気がした。

その、一番重症の者を寝かせるのだと聞いている場所に、緑翠を寝かせると、鷲の治癒の者たちは、早速に緑翠の治療に入った。

…術の効きが全く違う。

鷲達は思った。驚くほどに深くまで通る治癒の術に慌てて力を緩めながら、いくらでも放てるような気がする術を、鷲達は一斉に施していた。

綾も、暗く落ちくぼんだ目をしていたのに、ここへ着いただけでサーッと顔色が良くなって行くのが目に見えたほどだった。月の浄化の気は、癒しの気でもあるので、ここへ外から来て心が元気にならない神は、あまり居なかった。

《緑翠か。》

突然に、十六夜の声がした。蒼が答えた。

「ああ。あっちじゃ消耗して来ていて危なかったから、試してみたら浄化の気は利くみたいで。こっちで治療したらまだ回復する見込みがあるんじゃないかって。」

十六夜の声は、頷いたようだった。

《そうか。オレは今は月から出れねぇから、そこへ送る浄化の気を多めにしとくよ。間に合えばいいな。いくらオレの気でも、手遅れだったら無理だからよ。》

蒼は、余計なことを言うな、と思ったが、本当のことなので仕方なく頷いた。

「きっと大丈夫だと思うけどな。で、維月はどうだ?」

十六夜は、答えた。

《元気だって言いたいが、寝てるから分からねぇ。だが、もう気は落ち着いてるし、起きたら下へ降りても大丈夫だと思うけどな。いきなり龍の宮へ帰るんじゃなくて、月の宮へ一旦降ろして様子を見るよ。親父もそうしろって言うしな。次にこんなことがあったら大変だ。早急に対策を考えなきゃな。》

蒼は、何度も頷いた。

「ああ。そこはまた後で。じゃあ、浄化の気の方は頼んだよ。」

十六夜の声は言った。

《分かった。でも、もう回復して来てるんじゃね?》

途端に、ぶわっとまた結構な勢いで浄化の気が治癒の対いっぱいに流れ始めたのだが、確かに緑翠の頬に、少し赤みが差して来たように見える。鷲の治癒の者が言った。

「物凄い勢いですわ。細胞の活性が目に見えるようです。治癒の術が細胞の一個一個にまで浸透して行くので、反応が直接に伝わって参ります。何より、心の臓の拍動が力強くなり申しました。」

生きる力を与える気…。

月は、全ての生き物に平等にその気を分け与えて世話をする。しかし、それは意識してやっているのではなく、生きているだけで行っている生理現象のようなものだ。

だから、一たび何かを生かそうと思ったら、それに向かって自分の気を一心に与えるだけで、生きるための力を与えることが出来るのだ。

だが、寿命であったり死んでいたらどうしようもない。

とりあえずは、緑翠は寿命ではないようだ。

蒼は幾分ホッとして、それでもいきなりに力を使い切って死んでしまうこともあるので、注意深く見ているようにし、一旦治癒の対を引き上げて、自分の居間へと戻って行ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ