後始末
維月は月に戻り、十六夜に包まれて眠っているようだった。
いくら陰の月でも、陽の月に命ごとくるまれて何某か出来るはずがない。
維心が感じる維月の気は、穏やかに落ち着いていた。
それにホッとして辺りを侍女侍従達が片付けているのを横目に、維心は義心からの報告を受けていた。
日はもう高く昇り、昼が近くなっているのを知らせていた。
「…では、とりあえずは此度の事は落ち着いたか。その渚とかいう軍神のことは、志心が始末しよったのだの?」
義心は、顔を上げた。
「それが、宮へ連れ帰る途中で自害し志心様がお手を下されるまでもなかったと。急所は外されていたとはいえあの傷でしたので、どちらにしても時間の問題ではありましたが。」
維心は、頷いて顔をしかめた。
「ほんに面倒なことをしてくれたものよ。主が言うておった通り、定佳の宮に緑翠が忍んでおったのを見逃すのはまずかったの。西はいろいろ弛いゆえ、こちらの常識では図れぬところがある。気を付けねばならぬな。」
義心は、頭を下げた。
「は…誠にそのように。」
維心は、炎嘉と志心の事は神世に分からぬように処理することにした。それに、志心が炎嘉を構ってくれることで、炎嘉の矛先が自分から反れるのを期待してもいた。今生、維月だけと決めている炎嘉も、男となるとその気持ちも薄れるようであるし、志心と度重なれば自分にも維月にも、少しは構わなくなるのではと歓迎する気持ちがあったのだ。
志心自身、女は維月以上は居ないという気持ちはあるようだが、それでも何もちょっかいを出して来ずにいたのも、恐らくは両刀使いで、女は維月だが男ならという気持ちがあったからではないか。
そんなわけで、維心は炎嘉が志心から遠ざかるようなことはせずにおこうと思っていたのだ。
維心は、ふと言った。
「…そういえば、翠明の皇子達はどんな具合ぞ。生きてはいると聞いておるが、詳しい状況は?」
義心は、険しい顔をした。
「は…。穴の中に居たので霧の影響は受けておりませんでしたが、両名共に気の消耗が著しく…。紫翠様には気の補充で何とか持ち直しておられまするが、緑翠様には傷も大きく…。未だ危険な状況であると。綾様の懇願で鷲の宮から治癒の者達が行っておるようですが、それでも一進一退の状況でありまする。」
維心は、眉を寄せた。龍の宮の治癒の龍達は、炎月の看護に貸し出している。残りの龍は、今回の事で、軽症ではあるが負傷した者達の看護に忙しかった。今、ここから誰かを行かせる事は出来なかった。
「心許ないことよ。しかし、あれも思い知ったであろう。あちらの事には我は口を出さぬ事にしておるが、定佳の宮のそれを知る侍女侍従は殺されておるものの、炎月と紫翠の証言で罪は露見しようし。まあ、我としては黙って見守ることにする。主もまた、あちらの状況からは目を離さぬようにな。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そろそろ下がれと言われるかと、義心がそのまま頭を下げていると、維心はしばらく黙ったまま、口を開かない。
どうしたのだろうと思っていると、維心は大きくため息をついた。
義心が驚いて顔を上げると、維心は義心を見ていて、言った。
「…主は、もし我が奥へ来いと申したら、どうする。」
義心は、仰天して目を見開いた。王の奥の間に…?!それは、伽をせよということか?!
しかし、断る事など絶対に出来ようはずはなかった。軍神にとって王の命は絶対で、自分の好みなど二の次なのだ。
実際、筆頭軍神に王がそれを命じるのは珍しいことではなかった。王にとって筆頭軍神とは、自分に次ぐ力を持つ神であり、それを完全に支配下に置くためにはそういうことすら辞さないという風潮があるのだ。
だが、維心のように絶対的に力を持つ王ならば、そんなことをする必要はなく、この限りではなかった。
もちろん維心自身、そういう趣味はないし、他の神に触れられるのを極端に嫌がるのでそんなことを命じられる軍神は一人も居なかった。
だが、炎嘉や志心のこともあり、今生の維心は予想できないところがある。
もしかして、興味を持って試してみようかなどと思われておるのでは…。
義心が、額に冷や汗を滲ませて答えに詰まっていると、維心はさらに言った。
「ためらうことは無かろうが。今生、維月は陰の月が出ると、褥ではまるで男のように責めて来る。主は我と同じくそれを知っておろう。同じことぞ。」
義心は、愕然とした。つまり、王はやはり陰の月のせいで抗えなかったとはいえ、あの事をまだ許してはおらず、義心にすれば一番の苦痛を伴うだろうことを、受けさせようとしているのか。そうして、二度と維月様に手を付けようなどと思わぬように…。
義心は、膝をつき直した。
「は。王の御心のままに。」
そんなことをしなくても、義心はあんなことが無ければもう、二度と維月には近付かないと思っていたのだ。思いもかけず陰の月の暴走に合い、あんなことになったが、あれは維月の意思ではない。維月から乞われてもおらぬのに、手を出すことなど出来ない。
維心は、じっと目を細めて義心を見下ろしていたが、ただ頭を垂れて目の前で膝をつく義心に、言った。
「…まあ、そうであろうな。主はそういう神。だからこそ我が筆頭に据えておる。」と、息をついた。「我はまだ主を許せずでいた。だが、主無しでは我も神世で面倒が起こった時に迅速に動くことが出来ぬし不便なのだ。帝羽ではまだ未熟で此度の事にしても先に気取ることは出来なんだ。我の右腕としては、主しか居らぬと思うておる。」
義心は、そんなことを言ったことが無かった維心なので、驚いた。王は、絶対に褒めたりしないのに。
維心は続けた。
「とはいえ、維月のことが前世よりあろう。今生、主もよう我慢しておったし、陰の月のことが無ければ、何も無かったことも分かっておる。だが、感情が追い付かぬで。時に、そんな趣味はないが、維月とのことを我とのことで上書きしてやろうかと思うこともあったほど。何しろ、維月は、我も知らなんだが男同士ならああするだろうというようなことも、陰の月にとらわれたらやりおるからの。」と、義心を睨んだ。「そうであろうが?」
義心は、ぐっと黙って下を向いた。確かにかなり激しくて、何をされるのかと恐ろしいと思った瞬間もあったほどだった。維心は、また表情を緩めて息をついた。
「だが、十六夜も言うておったが主も被害者なのだ。維月とはいえ維月ではない状態で、我だって最初は何をされるのかと恐ろしかったし主だってそうであろう。主はやはり、我に忠実であるし、このことはもう良いわ。だが、二度はならぬ。何としても、己自身を殺してでも陰の月に応えてはならぬ。分かったの。」
義心は、維心もそうなのだと深々と頭を下げると、言った。
「は!今のお言葉、肝に銘じて必ずやそのようなことが無いように致しまする。」
維心は、また大きく長い溜息をついた。
「誠に難儀な…闇とかかわると碌なことがない。もう落ち着いたと思うたのに、やっと抑えたと思うたらまたこのような。炎嘉にも重々申して、炎月の力を封じるなりなんなりせねば、次はどの方向に出て参るかと思うたら恐ろしいわ。今はまだ良いが、あやつが婚姻するような歳になったらどうする。…考えとうもない。」
義心は、言われてみたらそうだと思い、これは早急に対策を練ってもらわないと、困ったことになる、と、落ち着かなかった。




