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暴走

紫翠は、もう身動きしなかった。

炎月は絶望的な気持ちになりながらも、紫翠が望んだ事は叶えねばと思っていた。紫翠は、最後まで緑翠を庇っていた。ならば生きて、緑翠を守らねば。例え死んでいたとしても、名誉だけは守らねばならぬのだ。

炎月は、動かずじっとしていた。持って生れた大きな気のお陰で、体は小さいが他の二人より長く意識を保つ事が出来ている。それに、膜を通らないはずの、月の光は上に開いた穴から見え隠れしていた。膜の上からなのでそれは黄色いが、それでも僅かにその光は、炎月を元気づけるようだった。

月…母上…。

炎月は、母を想った。今頃母も、自分が連れ去られたのを知って案じているだろう。最後に月の宮で会ったのは、いつの事だったか。母は、今龍の宮に居て、月から自分を探して見ているのだろうか…。

凪の声が、炎月の思考を遮った。

「…まだ生きておるのか。しぶとい奴め、無駄に大きな気を持ちよって。」と、他の二人を見た。「…ふん。こちらはもう死んでおるようなものだな。今にも心の臓が止まりそうよ。しかし、こんな奴らに用はない。主が死なねば、炎嘉は苦しまぬではないか。早う死ね。」

凪は、炎月を踏みつけた。

「ぐ…!」

炎月は、呻いた。今余計な気を使いたくないのに!

「そら、死ね!死ね死ね!」

炎月は、必死に力を入れた。駄目だ…!我はここで死ぬ訳には…!

ザワザワと、何かが沸き立つような気配がする。

「…?なんだ?」

凪は、辺りを見回した。何もない。いや、暗闇が何か、動いている…?

「やめよ!この、下衆な輩が!」

炎月が、叫んだ。

すると、回りの闇が、一気に凪を目掛けて襲い掛かった。

「なんだ…?!なんだこれは…!」

霧のような、靄のような黒い霧が、凪の首に巻き付いて思い切り引き締めて絞った。

「うぐ…!ぐぅぅぅなん…だ?!何の力…!」

炎月の瞳は、真っ赤に光っていた。

「我に…我にこのような事をしおって…!友までもこのような目に!許せぬ!」

炎月は、手を前に出し、力を振り絞って立ち上がってこちらへと向いている。闇は、とらえどころも無く、必死に手を振って振り払おうとする凪の手を、事も無げにすり抜けた。凪は気をその体から放って吹き飛ばそうと、力を入れた。

「この…!」

光は眩しく辺りを照らして反射したが、霧は一向に動じていない。

「これは…もしや、黒い霧…!浄化せねば…!」

凪は、堪らず穴から外へ飛び出した。

霧ならば月の光でなければ浄化出来ぬ!

膜から外へ出た途端、月の光が凪を照らし、自然、霧はスーッと消滅して行った。

凪は、ハアハアと息を乱し、ガクッと膝をついた。霧…!あやつは、霧を操るのか…!いったい、炎嘉と誰の間の子なのだ…!月の宮の、侍女ではないのか!

凪は、ハッとした。月。陽の月は闇を消す。陰の月は闇を操る。まさか…まさかあやつは…あやつの母は…!

「凪!」凪は、ハッと顔を上げた。「見つけたぞ!炎月はそこか!」

凪は、その姿を見た。

もう二度と見たくはないと思った、炎嘉の姿に近い若い神。

「…炎耀か。」

炎耀は、刀を抜いた。

「返してもらうぞ!」

炎耀は、穴の上に見える黄色い膜を貫いた。

膜は、外からの衝撃で一気に弾けて割れた。

「余計な真似を。」と、フフンと笑った。「こんなものすぐにまた張れる。実戦経験もない若造が。参れ!主も炎月諸とも消し去ってくれるわ!」

すると、すぐにすっぽりと辺りを包むように膜が形成された。それに気を取られた炎耀は、狼煙を上げる暇も無く、凪の刀を受けた。

重い…!負ける…!

炎耀は、その刀の重さに顔をしかめた。立ち合いの比ではない。これは本当の命のやり取りなのだ。

「炎耀…そこに居るのか!」

炎月の、声が聞こえる。

だが、炎耀にはそれに応えている余裕はなかった。


炎嘉が、顔を上げた。

「今、一瞬炎月の気を…!」

維心は、頷いた。

「あちらの方角ぞ。」

「炎月!」

炎嘉が、矢のような速さでそちらへ飛んだ。維心は、振り返った。

「義心!居るか!」

義心は、遥か向こう側から物凄い速さでやって来た。

「御前に。」

「おそらく炎月が見つかった。軍に命じて半分を来させよ。半分は定佳の宮で待機。白虎に知らせを。」と、炎嘉が行った方向を指した。「あちらぞ。」

義心は、頭を下げた。

「は!」

そこで、十六夜の声が降ってきた。

《維心!帰って来い、維月が!》

維心は、目を見開いて月を見上げた。

「維月がなんぞ?!」

十六夜の声は慌てていた。

《維月が暴走してるんでぇ!炎月、あいつ陰の月の力を使ったんだ!まだ慣れてねぇのに使い方も教わらねぇでやったから、維月が…!龍達が飲まれるぞ!》

維心は、東を向いた。

「帰る!義心、鳥に行かせよ、我が軍は総員戻れと命じよ!宮が…」維心は、自分の結界の中に黒い霧が物凄い勢いで流れ込んで渦を巻くのを脳裏に見た。「宮が飲まれる!」

遠く、十六夜の光が真っ直ぐに宮を照らしているのが見える。

それでも消し切れない霧の渦に、維心は龍身で必死に戻って行った。


宮へ戻ると、十六夜の光が降り注ぎ昼のように明るい中で、兆加が転がるように出て来た。

宮の中は光と闇が混在しているような状態で、皆その、闇を避けて必死に移動して出て来ているような状態だ。

「王…!ああ突然に!突然にこのようなことに!十六夜様が浄化の光で消し続けてくださっておりますが、それがなければ今頃は…!」

「なんとしたこと…!」維心は、叫んで奥へと足を向けた。「皆、外へ!霧の集まって行く中心から離れるのだ!十六夜の光の届く範囲に逃れよ!」

奥へ向かおうとする維心の袖を、兆加は必死に掴んだ。

「なりませぬ!いくら王でも闇の霧は太刀打ち出来ませぬゆえ!維月様が…!維月様がその中心に居られるのです!」

維心は、その袖を振り払った。

「維月は、他からの干渉でああなっておるのだ。我が止めねば…!あれは悪うないのに!」

「それでもでこざいます!」兆加は、またその袖を掴んだ。「王、ただ今碧黎様、十六夜様が何とか抑えようとご努力なさっておいでです。我らは神、あの命の力には太刀打ち出来ませぬ!王に何かおありになれば、それこそお戻りなった後で維月様がどれ程にご自分をお責めになるのか…考えてくださいませ!」

維心は、グッと黙った。しかし維月がこのような状態なのに、高みの見物をしておるなど…!

「主は離れよ!」ハッと上を見ると、碧黎が浮いていた。「陰の月はここのところ十六夜に押さえ付けられておったゆえ、タガが外れて暴走しておるのだ!主では無理ぞ!維月に主を殺させるでない!」

維心は、碧黎を見上げて訴えた。

「何か出来ることはないのか!どうしたら良い…維月は無事なのだろうな?!」

碧黎は、険しい顔をして、言った。

「主に出来るのは龍を避難させて犠牲者を出さぬことぞ!維月はまだ無事ぞ、早く行け!」

そう言った碧黎は、奥へと光と霧が渦巻く中、飛び込むように飛び去って、消えて行った。

「王!お早く!」

兆加が叫ぶ。

碧黎は、まだ無事と言った。まだ、と。

維心は、何も出来ない己に歯ぎしりしながらも、言った。

「退避!全員退避せよ!宮から出よ!」

そうして、皆を誘導するために外へと飛んだ。

兆加はホッと安堵して、気遣わしげに奥の方を見たが、振り切るようにそこを離れて行った。

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