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北西の宮

公青は、定佳の宮へと降り立った。

散策程度と公青は言っていたが、確かに宮でも公青が来たといっても、必要以上に騒ぐことも無く、急いで定佳を呼びに行った程度だった。

どうせ、隠居した王が暇にあかせてこちらへも足を延ばしたのだろう、ぐらいの認識だった。

定佳が、急いで奥から出て来て、公青を迎えた。

「公青殿。いったい、どうなされた?結界の見回りついでであられるか?」

結界の見回りとは、(てい)のいい散歩だ。ここいらで何かする神などないので、暇な時は皆、そう言って宮を出て行く。

公青は、笑って言った。

「そうよ。公明もようやるようになったし、ここいらは平和であるゆえ、退屈での。宮を出て、久しぶりに主の顔でも見ようと思うて出て参ったのだ。どうよ?壮健か。」

定佳は、苦笑して答えた。

「まあ、そこそこに壮健にやっておりまする。」

公青は、そう言う定佳と共に歩いて行こうとして、ふと赤い甲冑が目に入った。数人の軍神が、脇の待機所で待機している。この宮の甲冑は、薄い緑。あれは、間違ってもこちらの甲冑ではない。しかも、あの赤は…。

「…鳥っ?」

公青が、驚いて立ち止った。定佳が、ああ、と言った。

「炎月殿が、翠明の宮からこちらへ今朝来られたのだ。嘉張という軍神は連れ歩いておるが、他の軍神達はああして外で待っておる。」

公青は、顔色を変えた。炎月が来ている。

「あれは、今どこに居る。客間か。」

公青が、勝手知ったる宮の中、もう客間の方へと足を向けながら言うと、定佳は後ろから急いで言った。

「いや、今は奥に。どうやら千歳が幼い頃侍女としてついておったらしく、顔を見るのだと言うて…」と、急に飛び上がった公青を見て、定佳は慌ててそれを追いながら言った。「公青殿?!」

公青は、真っ直ぐに奥宮へと向かった。

「炎月ぞ!何か知らんが恐らくは炎月が目的ぞ!」

何のことだか分からない。

しかし定佳は、ものすごい勢いで飛び抜けて行く公青を追って、宮の中を飛んだ。


その頃、炎月は真っ暗い場所で目が覚めた。

ハッと顔を上げると、そこはどこかの、暗い洞窟のような場所だった。目が慣れないのでしばらく目を瞬かせていると、遠い天井から黄色い光が漏れているように見えた。脇にも何かが転がっていて、その何かは、もそもそもと動いた。

「…?!」

パッと見、大きな芋虫に見える。だが、その芋虫はしゃべった。

「…炎月。」

炎月は、その声に慌てて傍へと寄った。

「紫翠?!」

炎月は、小さな腕で紫翠を抱き起した。紫翠は、気を消耗していて、首のあたりに絞められたような赤い跡があった。

「何があった。我は…」炎月は、ハッとした。そうだ、千歳の部屋で…「あの、凪とかいう男か!」

紫翠は、頷いて炎月を見た。

「すまぬ。我が間違っておった。主は間違ったことは言うておらなんだのに。我は、あれを見舞おうとして、出て行くのを見て…緑翠を、あの後、追ったのだ。」

炎月は、紫翠に宮の中は主が見ろと言ったことを、後悔した。紫翠は、緑翠が出て行くのを見て、自分が調べねばと父王に知らせることもなく追って来たのだろう。宮の皇子など、慣れた軍神相手ではひとたまりもない。まだ、そこまで育っては居ない…。

「…すまぬ。我があのようなことを言わねば。まさか、主にも手に負えぬようなことを、緑翠が謀っておるなど思いもせずで。」

紫翠は、首を振った。

「我のせいなのだ。あの折、しっかり考えて主の話を父上に申し上げるべきだった。我はまだ非力であるのに…軍神も連れず、他の宮へ参るなど。」と、息をついた。「我は大丈夫だ。命に別状はもう無い。我は、気を遮断する膜に覆われておって、先ほどまで気を補充できずで居た。傷を負っておったし、とても動けぬで。今は、広い場所に来たゆえ、何とか補充出来て来ておる。今しばらくしたら、マシになる。」

気を遮断する膜。

仙術で、そんなものがあると軍神達に教えられた。実際に張って見せてもらったが、黄色い膜だ。外からは脆いらしいが、内からは何の気も通さず、破壊することも出来ない。そして、何の気も通さないので、中の気を使いきったらそれで気を補充できなくなる。そして、場所を探そうにもその中に入れられたものを探すには、目視に頼るしかなくなる…。

「…では、あの上に見える黄色い色は、もしかしてその膜か。」

紫翠は、頷いた。

「先ほど、ここへ連れて来られて放り込まれた。我を助けようとした、緑翠も…共に。」

炎月は、驚いて回りを見まわした。もしかして、緑翠も居るのか。

見ると、脇の大岩の影に、それらしき影が見えた。

「緑翠?」

炎月は、急いで駆け寄ってみた。

緑翠は、紫翠より更に酷い状態だった。顔は殴られたように腫れ上がり、唇は切れて血が流れている。そして、何より、脇腹からは大量に出血していた。

「緑翠!」

炎月は、急いでその脇腹へと手を翳した。治癒の術も、習ってある。だが、大きな傷を完全に治すには、炎月にはまだ気が少なすぎた。

「緑翠…なんとしたこと。これは一刻も早く治癒の者に診せねば。」

紫翠は、まだ動かない体を必死に引きずるようにして、こちらへ這った。

「凪が、我を解放せぬと申して。緑翠は、我の膜を破って逃がそうとして、凪に襲われた。動けぬ我を庇おうとしてほとんどの攻撃をこれが受けたゆえ…このように。」

炎月は、意識の無い緑翠の顔を見て、ぐっと眉を寄せた。

「なぜに、このようなことを。」

紫翠は、目を潤ませた。

「こやつは、耐えられなんだのだ。我は、これの心持を知っておった。だが、まさかその心を利用されてこのようなことに手を貸すことになろうとは。炎月、これは、ただ耐えられなんだのだ。」

炎月は、険しい顔のまま、言った。

「申せ。」

紫翠は、頷いた。そして、緑翠に起こった出来事を、全て炎月に話した。まだ幼い炎月に理解できるかは分からなかったが、しかし話すより無かった。

一通り話し終えた後、炎月は、じっと黙って聞いていたが、口を開いた。

「…一人の神として、こやつが哀れと思う。だが、王座を継ぐ者として、こやつはやってはならぬことをした。王座に就くとは、時に私情など捨てねばならぬのだ。もし我が宮と主の宮が戦になったら、我は主を殺さねばならぬ。いくら友でも、それが王であるからだ。主にも、それは分かるであろう。誰を愛しておるだの厭われただの、そんなことは命あってのことぞ。己の宮を守り切らねば、恋情など持つ命が無くなろうが。定佳殿は正しかった。だからこそ遠ざけてくれたものを。緑翠にはそれすらも理解できなんだか。」

紫翠は、それを聞いてうなだれた。幼い炎月にも、これほどのことが分かるのだ。確かに、炎月の言っていることは間違ってはいなかった。毎日王としての修練を積んでいる炎月から見ると、緑翠など愚かでしかないのだろう。

だが、兄として弟の気持ちは汲んでやりたかった。何より、自分の命を投げ出してでも、兄を助けようとし緑翠だったのだ。

「…主が言うはもっともぞ。だがの、我は兄として、弟の気持ちを考えたのだ。それに寄り添ってやらねばと思うた。だが、やり方がまずかった…これは、千歳にたぶらかされて、あれが宮から出る方法を模索しておったのだ。千歳は宮から出るには、父王の宮のこともあり炎嘉のもとへと嫁ぐよりないのだと言った。緑翠は、それを成したかった。それを、主を狙っておった凪に利用されたのよ。主を介して、炎嘉殿に懇願すれば叶うと。千歳は、主の侍女であった。ゆえ、目を付けられたのであろうな。」

炎月は、緑翠を見た。千歳を、定佳の宮から追い出したかったのだろう。だが、それを利用されてこのようなことに。しかし、このままでは自分はどうなるか分からない。炎嘉の泣き所が欲しかったと言っていた。つまりは、父に何某かさせるために、自分をさらったのだと考えると合点がいく。

自分のために、父を煩わせたくはなかった。

「…ここはどこぞ。凪はいったい何なのだ。気を読んだところ、あれは西の島の神ではないような感じであった。どこから来たのだ。手練れの軍神のような気の扱い方であったであろう。我が知る、どの気でもなかった…いや、どこかで感じたような気もするが…。いったい、どこの誰の命であれは動いておるのだ。」

紫翠は、首を振った。

「我には一向に。ただの侍従にしか見えなんだ。まだ深く探ることが出来ぬのだ。主は恐らく生来の気が大きいので、もうそこまでの気を持っておるが、我らはまだ。主ほど多くの情報を得ることが出来ておらぬ。」

炎月は、息をついた。情報が少な過ぎる。奥宮でさえなかったら、嘉翔が共でこんなことにはならなかったのに。恐らくは定佳も気づいておらぬだろう。そうなると、自力で何とかしないことには、自分はあの凪の主のもとへと連れ去られ、政略の道具にされるだろう。紫翠と緑翠は…。

そこまで考えて、炎月は顔を青くした。紫翠と緑翠は、用済みだ。顔を見られている。ということは…。

「…ここを、出ねば。」炎月は、立ち上がって周りを見回した。「早急に!あれが戻って参ったら、まずいことになる!」

紫翠は、やっと動けるようになって来た体を起こした。

「無理ぞ。膜があると押し返されて外へは出れぬ。誰ぞに外から膜を破ってもらわぬことには、外へ出ることが出来ぬのよ。」

時が無いのに。

炎月は、己の不甲斐なさにイライラしていた。なぜに我は小さな体なのだ。なぜに我は、あの時先にあれの危険性に気づかなかった!


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