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思惑

紫翠は、炎月と共に部屋へと戻ってから、口を開いた。

「宴の席では、弟が失礼を。あれは最近、あまり我とも口を利かぬで何を考えておることか。」

炎月は、再び机の上の書に向かい合っている所だったが、顔を上げた。

そして、微笑んで言った。

「我こそあのように断じて申し訳ないの。しかし」と、スッと目を鋭くすると、言った。「…主は今少し、弟を見ておかねばならぬわ。父王はこの西の島を統治するのにそんな内向きの事まで目を配る暇などない。生まれながらに統治しておったなら父王も気取るだろうが、つい最近やっと回るようになったばかり。宮の中は主の管轄だと心得よ。」

紫翠は、驚いた。

「…何の事だ?あれは毎日あまり話さぬが我と政務や立ち合いに同行しておることが多いし、不審な様などない。」

炎月は、持っていた筆を置いた。そして、紫翠を真正面から見据えて言った。

「我に父上のことを聞いた時の、あの気を気取れなんだか?あの折、あれは父上のことなどそれほど興味はなかったわ。それより、我に取り入ろうとして話を広げようとしておった。妃の事に関しては、あれがなぜか聞きたかったことであったようよ。だから口にした。何を思っての事なのか我には見当は付かぬが、あれが興味を持っておるのは、父の妃、我。よう分からぬがそんな相手に情報を与えることはしとうないゆえ、我はあのように申して話を終わらせたのよ。あれの誤算は、我が思ったより思うように口を開かぬ事ではないか。宮の建物の事などどうでも良いのだ、あれが聞きたいことは他にあった。肝心の事は聞けぬでイライラしておったのが気取れて内心可笑しかったものよ。」

炎月は最後には、ニッと笑った。紫翠は愕然とした…気だと?確かに他の宮に行った時ならいざ知らず、歓談しているときに身内にそんな事まで探ったりしない。炎月は子供だが、中身はもう、子供ではない。四方知らぬ神の中で、自分が何を言ったらいいのか判断することが出来る。だからこそ、気を探って相手の思惑を知り、言葉を紡ぐ。愛らしい仮面の下で、炎月は屈託ない風で相手を退けたのだ。

紫翠は、苦々しい顔で言った。

「…主は、緑翠が何某か謀っておると申すか。」

炎月は、真顔になると答えた。

「知らぬ。それを探るのは主の仕事。だが主にも分かるだろうが、我は迷惑を掛けられるのは好まぬぞ。主とは友だが、だからこそ申した。我らは宮の跡を継ぐもの同士、宮同士の関係が崩れればもう会うこともなかろうて。分かっておるの?皇子だからと安穏としておってはならぬのだ。まして身内ぞ。主が調べよ。」

よくも分からぬことで、緑翠を疑うというか。

紫翠が黙り込むと、炎月は息をついて、書を巻き取った。そうして、その書を手に立ち上がって、言った。

「…主のその心持では、勉学などできまいな。明日は立ち合いもと思うておったが、朝にここを発とうぞ。せっかくであるし、我の侍女だった女が嫁いでおるのもあるから、定佳殿の宮へでも寄ってから、宮へ帰ることにする。ではの、紫翠。」

炎月は、そこを出て行った。

紫翠は、自分の心の中にある憤りをどうしたら良いのか分からず、それを黙って見送った。

…炎月なら、笑って見送ったのだろうな。

紫翠は、そう思うと自分の不甲斐なさに気づいて、落ち着かなかった。


紫翠は、最近の緑翠の気持ちは分からなかった。

父がいきなりここへ一度帰すと言い出し、定佳もすんなりとそれを許した。後で知ったが、もともとは定佳から言い出したことのようだった。

緑翠の好みの問題は、幼い頃から共に育ったので知っていた。それに対して母も何も言わないし、さりげない風で気にしているようでもなかったので、紫翠もそんなものかと思っていた。育って来て、神世ではそういうことが多いのだと知った。なので、緑翠も妃を娶るが男も相手にするのだろうな、と特段に気にしてはいなかった。

だが、周りに男が多いということもあるのか、緑翠はいつも男ばかりを見ているようだった。父と共に宴などに同席するようになってからは、他の神達の話から、時に男しか興味を持てない男も居るのだと知った。

緑翠はまだ幼いので、まだ確定的ではないが、もしかしてそうかもしれない、と紫翠は思っていた。

そして、定佳がまさにそうだと知った時、緑翠が宮へ行きたいと言い出したのは、もしかして定佳を想うようになったからではないか、と紫翠は思った。父も母も、そのことについて何も言わないのだが、思いもかけず定佳に妃が来るとなった時、緑翠はどう反応したのか気になった。

結果、そのすぐ後に定佳からの申し出でこちらへ帰されたことで、緑翠が定佳に想いを告げて、受け入れられなかったのではないかと思った。

そもそも、跡取りとして宮へ召したのに、その神が自分に懸想するなど定佳にしても立場があるので、これ以上宮に置いておけないと考えたとしてもおかしくはない。

なので、緑翠があのように変わってしまった理由は、聞かなくても何となくわかっていた。

それでも、その心の傷が癒えるまで、待ってやろうと思っていたのだ。いずれまた、定佳が死ねば緑翠はあちらへ行くことになるのだろう。まだ30ほどで若い緑翠なのだから、時間はあるのだ。

だが、その傷心の弟がやっと興味を示して表へ出て来ようとしているのに、それを炎月はあんな風に言った。

確かに、事情を知らない炎月が外から見たら、緑翠は不審な動きをしたように見えたのかもしれない。

あのように不躾なことを言ってしまったのも、しばらく公の場に立ったりしなかったせいだと紫翠は思っていた。

そのたった一つの事で、頭が良いとはいえ、まだ子供の炎月にあんな風に言われるのは心外だった。

それよりも、せっかく出て来た宴で、気付くものしか気付かないが、あのように貶められたショックは計り知れないだろう。

紫翠は、炎月に対する憤りを抑えて、部屋を出て緑翠の部屋の方へと向かった。


緑翠の部屋へと入ると、侍女が出て来て頭を下げた。

「緑翠は居るか。」

紫翠が言うと、侍女は困ったように言った。

「はい。ですが最近は、お休みになる時には周りに誰も来るなとおっしゃって…。我ら、明日緑翠様が出て参られるまで、奥の間には近づくことが出来ませぬ。大変に険しいお顔で、本日も誰も寄るなと帰っていらして、そうして、奥へ参られました。お起こししたら、きっともっとお怒りになりまする。」

紫翠は、ため息をついた。まさか侍女まで遠ざけておったのか。

「…良い、我が来たのだ。我が来たと申してここへ出て来させよ。」

侍女は、紫翠から言われて断ることも出来ずに、仕方なくおずおずと奥の間に通じる扉へと歩み寄った。そうして、中へ声をかけた。

「緑翠様。紫翠様がいらしております。」

しかし、全く応答がない。侍女が、困ったように紫翠を振り返る。紫翠は、進み出て言った。

「緑翠?話をしようと思うて来た。疲れておるか?」

しかし、それでも返事がない。

話したくもないということか。

紫翠は、侍女に言った。

「ここは、我が直接話す。今日は話さねばならぬから。」

侍女は、少しホッとしたような顔をすると、頭を下げて出て行った。紫翠は、それを見送ってから、もう一度声をかけた。

「緑翠。入るぞ。」

紫翠は、扉を開けて入った。中は、シンと静まり返っている。

「緑翠?もう眠ったのか。」

寝台に近付く前に分かった。誰も居ない。

「緑翠?」

紫翠は、ここに居ないはずはないと部屋の奥へと入って、窓辺を向いているソファの方へと歩いた。カーテンはひかれておらず、何気なく窓から外を見ると、遠く緑翠の気が遠ざかって行くのを感じた。

「?!」

驚いた紫翠が目を凝らすと、緑翠は北の方角へと飛んで行くようだった。

「どこへ行くつもりだ…?」

どこかへ出掛けるなどとは、聞いていなかった。そもそも、外へ出て行こうとしたら、父に知らせてからでなければいけない。父の結界は、確かに自分たち息子には無効だが、どこかへ行くなら許しを得てからというのは礼儀だった。

…宮の中は、主の管轄だと心得よ。

炎月の声が、紫翠の頭に響く。

「…炎月を信じたわけではない。」

紫翠は、自分に言い訳をすると、緑翠の後を密かに追った。

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