鳥の宮で
炎月は、鳥の宮へと帰り、その宮を炎嘉と共に見回った。
披露目の式の時に一度来ただけだったが、何やら懐かしい気持ちになる、過ごしやすい場所だった。
臣下達も炎月様炎月様と、炎嘉にそっくりで明るく快活な炎月を、それは大切にしてくれた。
なので炎月もすぐに宮に慣れて、気が付けば訓練場だの内宮外宮だので、臣下達と楽し気に談笑していたりとそれは社交的だった。
炎嘉もそれを見て満足だったが、一番の懸念は、炎耀だった。
披露目の式の時も、後ろで僅かな時間参列しただけで、肝心の炎月とは接しず終いだった。なので、帰って来た当日に、炎嘉に呼ばれて大広間にて、檀上で顔を合わせたのが、初めての対峙だった。
その時、炎耀は固い表情で、自分より遥かに炎嘉に近い気を放ち、炎嘉に近い姿の炎月に、笑いかけることも無かった。炎月は、それでも気にしていない風で、『お会いしたことのない兄君のお子であるとか。これからは頼りない叔父ではあるが、よろしく頼む。』と、それは好意的に、歳は下でも上の立場を理解した風で笑って言った。
炎耀は、その炎月にも、黙って頭を下げただけだった。
炎嘉は、もし自分亡き後あの二人が残り、その時に諍いのもとになってはと案じたが、しかし炎月は、思っていたより要領が良く、頭が良いのがここのところずっと一緒に過ごしていて分かった。
今日も共に政務に携わり、自分の居間へと炎月を連れて来た炎嘉は、正面の椅子へと座り、炎月を前に座らせて、言った。
「最近は、どうよ。少しは宮の流れが分かって参ったか。」
炎月は、頷いた。
「はい、父上。軍神が少ないのが心もとない状態ではありますが、それでもはぐれの神も最近では落ち着いておる様子。政務の方でも、厄介ごとが無いので平和でありまするな。」
炎嘉は、眉を上げた。こちらの状況を見ておるのか。
「ここの事はどれぐらいあちらで学んで参ったのだ。」
炎月は、答えた。
「はい。明蓮が何度か来ておったので、あれに詳しくこれまでの経緯を学び、今の状況を事細かく知っておる限りで聞いて参りました次第。あれはかなり賢しいので、予想だけのこともここへ来てみて当たっておるのが分かり申しました。実際、軍神達を見ておりましたところ、表面上はおとなしくしておるだけではないかと思うて探りましたが、どうやらそうではないようで。はぐれの神も、王を敬うということを学んで落ち着いた者だけが宮に残っておるような状況であるようです。父上のご苦労の賜物であろうと思うております。」
炎嘉は、驚いた。ただ軍神達と戯れておるだけでに見えたのに、探っておったというか。
「主、あれらを探っておったのか。」
炎月は、少し目を鋭くして炎嘉を見た。
「表面上ではどうにでも繕えまする。特に我は世継ぎの皇子であるから、あちらも警戒して腹の内は表に出しますまい。まだ子供であるという利点を生かし、あれらの懐に入ればすんなりと読めまする。同じように臣下も探っておりましたが、臣下の中には父上を敬っておらぬ者など一人も居りませなんだ。鳥の宮が復帰してこの方の懸念は、父上と兄上のご努力で、我の代までは続かぬと安堵いたしておる次第。」
炎嘉は、茫然と炎月を見た。この、誰が見ても屈託のない愛らしい鳥である炎月が、その実心の中にそんなことを考えているなど、誰が予想できるだろうか。
これは、誰かに似ている。そう、自分。炎月は、炎嘉自身が驚くほど自分に似ているのだ。
炎嘉は、ならばと言った。
「炎耀のことはどう思うておる。」
それには、炎月は笑って答えた。
「炎耀は、すぐに顔に出るので分かりやすい。あれは、警戒する性質ではありませぬ。我に対してあからさまに不快感を示すのを見た時、これならば御しやすいと思うたもの。明蓮から、あれは我が生まれる前はこちらの跡を継ぐ神だと思われていたと聞いております。なので、何某かの軋轢はあろうかということで我もこちらへ来る前には警戒しておりましたが、対面して敵ではないと思うた次第です。」と、フッと表情を緩めた。「今、宮の中で、我とあれでどちらを跡取りにすると聞かれた時に、炎耀と答える者が居ると思うておられまするか?」
炎嘉は、驚愕を通り過ぎて感心した。間違いない。炎月は自分の性質をそっくりそのまま受け継いで生まれたのだ。自分は幼い頃はこれほど勉学には勤しまなかったが、それまでも自分の美しさ、愛嬌の良さを武器に、子供同士でも大概のことに勝った。頭の回転が速かったのは確かだ。学んでからはさらにそれに磨きが掛かり、誰もが跡を継ぐのは炎嘉しかあり得ないと言った。もちろん、既に父王は自分を跡に指名していたが、だからこそ、誰にも文句は言わせない策を、炎嘉自身が練って講じていたからに他ならなかった。
兄の皇子達など、愚かな臣下ぐらいにしか見えてはいなかった。
炎月は、今その時の炎嘉と同じように炎耀を見ているのだ。
ならば、案じることはあるまいな。
炎嘉は、フッと笑った。
「…よう言うた。我の子であって我が主を指名しておるという事実に甘んじることなく、己で回りを固めてその地位を不動のものとするのは、主の仕事。我はまだまだ死なぬが、それゆえに主には時間があるということぞ。精々励むが良い。」
炎月はそれを聞いて、またいつもの人懐っこい笑顔を浮かべたかと思うと、頭を下げた。
「はい、父上。」
恐らくは、自分が試されておるのを気取っておったな。
炎嘉は、どこまでも自分そっくりに成長して行く炎月を、苦笑しながらも頼もしく思いながら見ていた。
そんな毎日を送っている炎嘉の所に、開が書状を手にやって来た。炎嘉は、言った。
「開か。どこから何を言うて来た。」
開は、下げていた頭を上げた。
「はい。一斎様が千歳様のことでお話がと。」
炎嘉は、顔をしかめた。あれはもう解決したのではなかったか。
「定佳に娶られて支援は毎月滞りなく送ってこられておると聞いておるぞ。この上何を申して来た。」
開は、書状を炎嘉の方へと差し出した。
「はい、これでございます。」炎嘉が面倒そうにそれを手に取って開く間、開は続けた。「定佳様が千歳様の動きに手を焼いておられるようで、これ以上面倒を起こすならば里へ帰すと申して来たと。」
炎嘉は、それを聞きながらさっと書状に目を通して、開へと放って寄越した。
「どうせほったらかしだとかで回りに当たり散らしておるのではないのか。維月を貶めようとした性質であるからの。だが、嫌がっておるのを無理に連れて参ったのだと聞いておるのに。定佳が通わずとも不自由はないのだろうが。己の里の世話までさせておるのに、何が不満よ。定佳もそんな女が言うことなど取り合わずで放って置けば良いのに。」
開は、神妙な顔をした。
「は…。我もこれを受けて調べて参りましたが、定佳様がおっしゃるのも道理でありまして。婚姻して半年ほどで、もう通わぬ夫に腹を立てたのか、試すように侍従を添い寝させても良いかなどと聞いて参ったりしておったようで。定佳様はそんなことは構わぬお心持らしく、あっさり許されたのだとか。それを皮切りに面倒ばかりを申しておるのだとか。それでも定佳様は、尽く許されて無視をなさって…ということらしいのです。」
炎嘉は、はあとため息をついた。他神の宮の後宮のことなど知らぬと申すに。
「一斎も困るなら娘の所業を何とかせよと申せ。我にはどうにもできぬわ。そんな噂の立った女を次の嫁ぎ先など我には見当もつかぬし、定佳の宮に居るしかないのだからな。我とて定佳にそんな婚姻を勧めた事を後ろめたく思うし迷惑だと。定佳が離縁すると言うのなら、我は反対はせぬ。我だってそんな妃は要らぬからな。我が前世何人、面倒な妃を斬ったと思うておるのだ。離縁されるだけマシよ。そう言うてやれ。」
開は、頭を下げた。
「は。ではそのように。」
そうして、開は出て行った。
それを見送りながら、炎嘉は7年も前のことを今さら蒸し返されているように思えて、面倒で仕方がなかった。




