本心
維月は、維心は何も言わないが、十六夜が歯に物が挟まったような言い方をするので、いろいろな方向から問い詰めた結果、何となく炎嘉に何があったのか知っていた。
とはいえ、神世とはそういう風だし、維月もいろいろとこれまで生きて来て、聞いてはいた。
なので、特にショックも無かったが、維心も気を付けないとこれだけ美しい容姿なのだし、きっと男に興味がない神でも、ついということがあるかもしれない。
維月は、そこが心配だった。何しろ、もし男に襲われてそんなことがあっても、維心の意思ではないだろうし、維月は維心を責める気持ちも無いのだが、維心自身がそういうことに繊細で、かなり傷つくだろうと思われたからだ。
最近では侍女達に着替えを手伝われるのも嫌がって、維月が一人で維心の着付けをするのでかなり大変だったのだ。
それぐらい他の神に触れられるのを嫌がるのだから、維心の心の衝撃は計り知れないと思われた。
今日も、機嫌よく自分の隣で自分の髪に頬を摺り寄せてなごんでいる維心に、維月は言った。
「…維心様。」維心は、ふと維月を見た。維月は続けた。「お外では、お酒をお召しになり過ぎないようになさってくださいませね。」
維心は、ぎくりとした。それは、この前の宴の後で維心も思った事だったが、なぜに維月が今、それを言うのか。
「急にどうした?」
維心が警戒気味に言うと、維月は頷いた。
「あの…神世には、いろいろあると聞いておりますわ。あの…維心様はそのようにお美しいご容姿であられるし、その、女のかたに襲われるなどということはそのお力もあってあり得ぬのですけど、その…男のかたで、そんな趣味の無い神であっても、維心様を前にしたら、あの…。」
維心は、言いにくそうに言う維月に、何が言いたいのか気取って、何度も頷いた。
「わかっておるぞ。我は、そのようなことはないゆえ。そもそも我は、そこまで飲む事などないのだ。宮でも酒が好きなわけではないから、飲まぬだろう?酒を強いられたとて、我はそれなりに強いゆえ、部屋へ己で帰れなかったことはない。人事不省に陥って醜態を晒すことなどあり得ぬから。案じるでない。」
絶対ないから、余計な心配はせずに、案じるのが嫌だから実家へ帰るとかいうなと、暗に維心の意思を感じた。維月は、首を振った。
「そういうわけではないのですわ。別に、誰か男のかたとそんなことになったからと、それが維心様の意思でないのは私にはわかっておるので、責めることなどありませぬ。ただ、その後の維心様の御心を思うと…。維心様は、そのようなこと、耐えられぬと思うのです。侍女達に袖を触れさせるのも嫌がられるのに。」
維心は、それを聞いて驚いた。維月は、我を案じておるのか。
「それは…確かに、己があずかり知らぬところでそんなことをされておったりしたら、我は気が狂うやもしれぬが。我に限ってはそんなことは無いゆえな。女でも主しか触れたことがないのに、男など。考えただけでも怖気が走る。」
本当に言葉のままのようで、維心はぶるっと身を震わせた。維月は、頷いた。
「はい。ですが、私も心配でありますし。もし、これは動けぬようになる、と思われたら、月へ念を送ってくださいませ。私か十六夜が、必ず見ておりますから。よろしいですか?」
維心は、十六夜と聞いて、ふっと顔をしかめた。さては十六夜、維月に炎嘉のことを漏らしたな。
「…十六夜から聞いたか。」
維月は、首を振った。
「いいえ。十六夜は私に嘘がつけないので、何か隠しているなと思ったらいろいろな方向から突っ込んで聞くことで、その事実を繋ぐと大体何があったのか私にはわかるのですわ。恐らく炎嘉様が、志心様と何かおありでしょう?」
維心は、十六夜に知られるのは維月に筒抜けだったか、と後悔したが、しかし仕方なく頷いた。
「…まあ、そんなところよ。あれもあの日は、飲み過ぎたのだ。焔が煽っておった。我も、あれが宴の場で寝入ってしもうた時、絶対にあり得ない焔か箔翔にでも、あれを送らせれば良かったのよ。だが、志心に頼んだゆえ…ちょっとの。」
維月は、そうだろうと頷いた。
「仕方がありませんわ。炎嘉様はお酒を召したらそのようになられることがあるのは、前世から見て知っておることですし。ですが送って参ったのが維心様でなくて良かったこと。炎嘉様は維心様なら本当に、何をなさるか分からぬし。」
維心は、それには何度も首を振った。
「無い。あちらがその気でも、我の方が気が強いゆえ退けることが出来ようし。困ったものよ…主が離れておって寂しいのは分かるのだが、我は他に何かを求めることは無いのだがの。」
維月は、困ったように微笑んだ。
「私は、炎嘉様に新しい妃が来られることを望んでおりますけれどもね。そうしたら、落ち着かれましょうし。私に執着なさるのは、維心様の妃であるからかと常、思うて参りました。ご本人は違うとおっしゃるけれど、私はそうは思いませぬ。炎嘉様の根底には、維心様を大切に思い、恐らくは愛情というものもおありではないかと。」
維心は、それこそ仰天した顔をした。
「やめよ、あれから愛情など。我らは友情でつながっておってそれで良いのよ。二千年もそれでやって来た。あれだって我に何かしようなど、つい最近まで無かったのだからの。主も、我らの間で面倒であろうが、しかしそのうちに落ち着こうし。堪えてくれぬか。」
維月は、維心を見上げて、恨めし気な顔をしたが、頷いた。
「はい…。私はただ、維心様と穏やかにこちらで暮らしていけたらそれで良いのです。」
維心は、それには頷いて維月を抱きしめた。
「我もよ。主が居ればそれで良い。主がどう思うておるのか分からぬが、神世のほとんどの王は結局妃を娶ってうまくやっておるもの。我だってこうして主が居るのに、これより何も無いわ。」
分かってはいたが、維月は心配だった。前世の維心なら誰も寄せ付けない強いイメージが浸透していたので、きっと誰も寄ってこないしあり得なかっただろうが、今生は友も多くそれなりに付き合いもしているので、あり得ないことも無いと思ってしまうのだ。
だが、今ここでこれ以上言ったところで仕方がないので、維月は黙って維心に抱きしめられていたのだった。
その次の週には、炎嘉は鳥の宮へと帰り、そこから千歳のための婚礼道具を準備させ、一斎に持たせた。
一斎はそれを受け取ると、そのまま月の宮へと赴いて、そうして千歳と共に、西の島北西の宮へと飛び立った。
千歳は最後まで嫌がったのだが、一斎は宮のためになってこその皇女だと言われ、そんな父に抗うことなどできるはずもなく、そこを連れて出られた。
炎嘉に会いたいという希望も叶えられることはなく、炎嘉との目通りどころかこれまでの労いの言葉すらなく、千歳は西の島北西の宮へと降り立った。
千歳付きの侍女で、一緒に月の宮へと来ていた四人は、それが炎嘉の逆鱗に触れたからだと実は知っていた。
千歳が蔭で維月を追い落とし、炎嘉の妃として取り入ろうと炎月の侍女たち全てを動かしていたのは周知の事実で、一度捕らえられた侍女から全ては漏れていた。
急に遠い辺境の地へと送られると聞いた時、なので侍女達はそれがなぜなのかもう、知っていた。
千歳と一緒に来た自分たちも、運命を共にするように命じられ、ここへ来ることになってしまった事実は、侍女達の間にも千歳に対する不穏な様子となって、千歳は本当に今、独りぼっちだった。
そんな失意の千歳の様子になど気づかず、頭を下げる千歳の横で、父王の一斎が嬉し気に言うのが聞こえて来た。
「定佳殿。会合で少し、お顔を見ただけであり申したが、なんと広い美しい領地をお持ちであることか。炎嘉殿からの紹介で不安はありませなんだが、しかしこれほど恵まれた宮へと迎え入れていただくことになり、皇女は幸福でありまする。」
定佳は、正装の着物姿で進み出て、頷いた。
「お気に入ったのなら良かったことよ。では、これからの支援のことなど臣下達で話し合わせるとして、祝いの宴を準備させた。そちらへ参ってくださると良い。」
一斎は、軽く頭を下げた。
「かたじけない。では、こちらが我の第一皇女、千歳でありまする。」
千歳は、言われてビクッと肩を震わせた。すると、定佳が穏やかな低い声で言った。
「千歳殿か。表を上げよ。」
落ち着いたお声…。
千歳は、思いながらも震えながら顔を上げた。
するとそこには、美しい顔立ちの300歳ぐらいの王が、ほんのりと微笑んでいるような表情でそこに立っていた。
東に居た千歳からしたら、この辺りは見たこともない辺境の地だったので、武骨な神をイメージしていたのだが、この定佳という王は、全くかけ離れたそれは品のある、あちらの神にありがちな、がつがつしたような感じが無いおっとりとした雰囲気の神だった。
思っていなかったことに息を飲んでいると、一斎が横から言った。
「これ!しっかりとご挨拶をせぬか。何を呆けておるのだ。」
千歳は、ハッとして慌てて頭を下げなおした。
「申し訳ありませぬ。千歳と申します。よろしくお願い申し上げます。」
定佳は苦笑すると、手を差し出した。
「一斎殿、そのように。初めての地へ来られて、体も固くなろうし。さあ、こちらへ。宴の間へ案内しよう。」
千歳は、思ってもみないほど優しく穏やかな定佳の様に、頬を赤らめた。まさか、定佳様というかたが、このような王であられるとは思ってもみなかった…。
千歳は定佳の手を取ると、そのまま宴の間へと歩いて行ったのだった。