翌朝
維心が、目覚めてさっさと自分で着替えを済ませると、いきなり部屋の、扉がバンと開いた。
驚いてそちらを振り返ると、そこからは炎嘉が、襦袢の上に袿を着ただけの姿で飛び込んで来た。
「…何事よ。昨夜は酔っぱらってあのような場で恥を晒しおってからに。だから飲みすぎるなと申したであろうが。」
炎嘉は、ずんずんと維心に寄って来た。維心は、思わずじりじりと後ろへ下がりながら、言った。
「何ぞ。何用か申せ。」
炎嘉は、少し声を潜めて、言った。
「我から、志心の気がせぬか?」
維心は、仰天してじっと炎嘉を見た。そういえば、志心の気が少し香るような。
「…確かにの。もしや主、昨夜…?」
志心は、両刀だと自分で言っていた。もしや炎嘉、あれから何かあったのか。
炎嘉は、額に手をやって、眉を寄せた。
「…それが、あまり覚えておらぬのよ。断片的には出て参る。だが、目が覚めたら志心が横に居って、我が離さぬから仕方なくと申しておった。あれは両刀使いだと聞いて…昨夜、どうやら我は部屋へ送ってくれたあれを寝台へ引っ張り込んだらしゅうて。」
維心は、焔に送らせれば良かったか、と少し後悔した。焔なら張り倒してでも炎嘉を振り切って部屋へ帰っただろう。だが、志心は炎嘉なら良いと言っていた。炎嘉から迫ったなら、志心に断る理由はなかっただろう。
「確かに、昨夜宴の場で寝込んだ主を送って行ったのは志心であった。志心は主に口づけられても、別に主は美しいし自分は両刀使いだから気にしないと言っておったのだ。それを…、主、褥へ引っ張り込んだのか。ならばそうなってもおかしゅうないわ。」
炎嘉は、はあとため息をついたが、特にショックというわけでもなく、ただしくじったという程度だった。
「主があれほど飲み過ぎるなと申しておったのに。我は、焔と調子に乗って飲み過ぎたのだ。それに我は、男相手でも常上位であったのに、どうやらあっちが主導権を握っておったらしゅうて…我に、あやつの気が残ってしもうておるようで。」
維心は、顔をしかめた。男同士のことなので、何がどうなってどうしたらそうなるのか維心には皆目分からなかったが、しかし志心の気をまとったまま、宮へ帰るわけにもいかないだろう。かといって、龍の宮へ連れて帰るのも臣下に気取られて炎嘉も気詰まりだろうし、そうなると…。
「…月の宮。主、蒼なら良いであろう?あやつはそういったことに口が堅いゆえ、炎月も居るから口実はできるし、あちらへ参れ。七日も居ったら消えるわ。維月も居らぬし、バレることはあるまい。行け。」
炎嘉は、頷いた。
「わかった。ならばすぐに参るわ。皆には先に帰ったと申しておってくれ。ではな。」
炎嘉は、慌ててそう言うと、戸口から外をうかがって、誰も居ないのを確認してからまた、維心の客間を飛び出して行った。
維心は、ため息をついた…あんなことがあったら、それこそ維月になんと申し開いたらいいのか分からないし、絶対に自分は飲み過ぎたりせずにおこう。
そう、維心は固く心に誓ったのだった。
そんなこんなでいろいろあった会合だったが、それぞれの王達は己の宮へと帰途についた。炎嘉だけは炎月に会うと言って月の宮へと向かったが、誰もそれを不自然に感じなかったようだ。
十六夜から維心に面倒を持ち込みやがって、と維月の居ない間に月から連絡があったが、特に問題もなく炎嘉はあちらでおとなしくしているらしい。
志心は別に何の感慨もなく皆を見送っていたので、本当にどっちでもいいのだろうなと維心は思った。普段からそういったことはよく聞く神世のことなので、維心もそんな志心に何か聞くなどという無粋なことはせず、挨拶をしただけにとどめてさっさと帰って来ていた。
定佳も、宮へと帰って皆に出迎えられていた。
緑翠と共に会合の間へと向かい、臣下達に今回の会合の内容と取り決めの話をして、それも終わった後、ふと思い出したように定佳は言った。
「…そういえば、忘れておったわ。」臣下達が片付けながらふと顔を上げる。定佳は続けた。「来月、一斎という王の宮の第一皇女、千歳がここへ来るゆえ。奥の一番端にある東向の部屋を準備させよ。侍女は10人ほどで良い。不自由ないようにしてやってくれぬか。」
緑翠も含めた臣下達は、一斉に固まった。奥?
「…王。」佐門が、おずおずと言った。「奥と申されますと、その、皇女様は…?」
定佳は、頷いた。
「妃になるのよ。」皆が仰天した顔をした。定佳は何でもないように続けた。「支援が必要な宮らしゅうてな。あちらでは嫁ぎ先が無いゆえ、独身の我に娶れと。置いておくだけで良いらしいし、一人ぐらい居っても別に邪魔にはなるまい。あちらも仕方なく参るのだし、せめて妃らしゅう楽に暮らせるように計らってやってくれ。」
佐門は、ふるふると手を震わせた。ここへ来て、降ってわいたように王に妃が。
「はい!では早急に侍女を見繕いましてご準備を整えまする!」
佐門の色めき立つ様に、定佳は一瞬驚いたが、苦笑した。別に手を付ける訳でもないのに。
しかし、緑翠がいきなり立ち上がった。
「そのようなこと!」皆が驚いて緑翠を見た。「王が望んでもおられぬのに!我は反対でございまする!」
佐門が、慌ててなだめるように言った。
「緑翠様、まだお子もできるとは限りませぬし、緑翠様が跡継ぎであられるのはお変わりなくこのままであるのですから。まずはこちらへ皇女様をお迎えしてからでございます。」
定佳も、落ち着いて言った。
「案ずるでないぞ。我は別にその皇女を娶るとか考えておらぬから。あちらも我が無関心であった方が気が軽いと思うしの。子など出来ようはずはないし、主の地位は変わらぬから。それに、断る事など出来ぬのだ。上位の神からの命でな。我が断れば主に話が行こう。主はまだ若すぎるし、本意ではあるまい?この方がいろいろ都合が良いのだ。」
しかし緑翠は、首を振った。
「そのようなことではありませぬ!我はそのような妃、認めませぬ!」
緑翠は、そう言って定佳に許可も求めずそこを飛び出して行った。
佐門は、困ったように定佳を見る。定佳は、ため息をついた。
「…確かにあれはよう努めておるのに、子でも出来てさっさとそちらに継承権が移ったらと、腹も立とうな。あるはずはないのに。」
だが、佐門はそうは思わなかった。何しろ、いくら宮に置いておくだけとはいえ、初日は通うのが礼儀なのだ。それで子が出来ぬとも限らない。あり得ない事ではないし、臣下も実は、やはり王の子が継いで欲しいとどこかで思っている節があった。
それを感じ取っているからこそ、緑翠は納得できないのだろう。
「…放って置くわけにはいかぬの。」定佳は、立ち上がった。「しようがない。とにかくは、準備を進めておいてくれ。今も申したように、断ることなどできぬのだ。別に我は、緑翠の妃として宮へ迎えても良いが、年の差があり過ぎるゆえ主らもまた次に懸念が残るだろうし。あれの妃は、別に考えておく方が良いしな。」
それには、佐門は何度も頷いた。
「はい。緑翠様はまだ20を過ぎたばかりであられまするし、せめて100を過ぎた辺りになってから、それ相応のお歳の妃を探して娶って頂く方が良いと、我らも思うておりまする。」
定佳は、会合の間を出て行きながら言った。
「あれには我が話す。今は頭に血が上っておって話も聞かぬだろう。落ち着いてから改めて話そうぞ。とはいえ、来月といって会合は月末であるから、もう来週には参るだろうし、こちらへ迎えてからになろうがな。事が終わってからであれば、あれも話を聞くだろう。主らは礼を失しないように準備を滞りなくな。」
佐門も、他の臣下も頭を下げた。
「は!」
定佳は、そこを出て行った。緑翠の気持ちは分かるが、妃が一人でも居た方がこれから先、他に娶れと言っては来ないだろうから、定佳にしたらその方が良かったのだ。
緑翠の懸念は分かるが、しかしそんなことは無いと定佳は知っていたので、妃が来て落ち着けば緑翠にもそれが実感できるだろうし、分かってくれるだろう。
定佳はその時、その程度としか考えてはいなかった。




