宴にて2
檀上では、維心がその様子を見て息をつき、炎嘉に言った。
「思うたより、あっさりと決まって良かったではないか。これで一斎ももう何も言うては来ぬな。何やら最上位の宮にはひとあたり婚姻の打診をしておったようよ。皆胸を撫で下したのではないのか。」
それには、向こう側から焔が言った。
「なんだ、皆そうであったのか?我の所にも来たわ。面識も無いのに無粋だと思うたが、あちらも必死なのだろうと丁重に断りの書状を送らせた。」
志心が、呆れたように言った。
「我には三度も来たわ。断っても断っても面倒であるなと思うておったのだ。箔翔にも二度来たと聞いておったし、よほど困っておったのだろうの。さすがに観の所には来なんだか?」
観は、酒を飲みながら首を振った。
「来ぬな。我の宮は屈強な妃でなければ無理だと公表しておるからの。事実であって、偽りではないし。」
確かに神世にとどろくはぐれの神の荒くれどもが居るという宮には、さすがの一斎も書状を送れなかったのだろう。
維心は、苦笑した。
「我の所には、維明宛てに来ておったらしい。そんなものは受けぬと臣下達は心得ておるので、先に断っておったようであるな。もっと上位の宮なら我に申したかもしれぬが、一斎の宮の皇女であるし。炎嘉が言うように、侍女であるような格であるし。」
炎嘉は、酒を煽りながら言った。
「何にせよ、我はもう今生はあんなに妃は要らぬのだ。前世は同情して小さな宮の皇女でも娶ってやっておったらあのように。もうあのようなごたごたは真っ平ぞ。」
焔が、何度も頷いた。
「わかるぞ炎嘉。我だって絶対に、絶対にあのような奥はもう真っ平よ。」と、炎嘉に酒瓶を押しやった。「今夜は飲もうぞ。志心が良い酒を出してくれておるわ。妃のことは知らぬが、子が出来たのだし祝いもかねて。さあ、飲め。」
炎嘉は、頷いて酒瓶を手に取って自分で注いだ。
「話が分かるではないか、焔よ。ああ良い酒よ。今夜は飲む!」
維心が、脇で眉を寄せた。
「あのな、もう結構飲んでおるではないか。いい加減にせねば、また面倒を起こすのではと案じられるわ。」
炎嘉は、それでも聞いているのか居ないのか、隣の志心が眉を上げているのにも気づかずに、ガンガン酒を煽っている。
その向こう側の焔が、ハッハと笑った。
「少しぐらい飲んでも、鳥族はなんともないわ!龍は黙っておれ、維心。」
維心は、自分も盃にドバドバと注がれる酒に口を付けてはいたが、焔と炎嘉の暴走っぷりからは一線を引いて、離れてそんな様子を見ていたのだった。
「…まあ、そんなわけで、我も妃は死んで居らぬと言われておるが、実は子は居ってな。」志心が、維心に言った。「思いもかけず出来ておった子で。宮へ引き取ったゆえ、あれに跡を継がせようと思うておるのだ。もう少し一人前になったら披露目ようと思うておる。」
維心は、意外なことに驚いたが、頷いた。
「それは心強いの。主には妃は居ったが子が居らぬと臣下が嘆いておったゆえ、それは願ったりではないのか。それにしても、良かったことよ。その女は、妃には迎えぬのか?」
志心は、苦笑して首を振った。
「迎えようにも、死んでおってな。死んだからこそ、そやつの存在を知ったのだ。女を世話しておった者が子を持て余して我に申して来て、まさかと見に参ったら我の子だったということぞ。志夕と名付けた。またよろしく頼むぞ。」
維心は、頷いた。
「披露目の式をするなら我も参るゆえ。しかし、白虎の先を案じておったゆえ、誠に安堵したわ。」
「何が安堵したのだ?」炎嘉が、酒臭い息を吐いて、割り込んで来た。「のう維心、主も飲め!」
維心は、鬱陶しそうに顔をしかめた。
「こら、酔いおってからに。酒臭い、離れよ炎嘉。」
炎嘉は、憮然とした顔をした。
「何ぞ?女のように。酒臭いと?」と、ずいと維心に寄った。「どうよ、酒臭いか?」
維心は、手を目の前で振ってうるさそうにした。
「酔っ払いめ。そのようでは炎月にも嫌がられようぞ。」
炎嘉は、じーっと維心を見た。
「…ほんになあ、主は維月としょっちゅうこうして…」
「!こらこのような場でやめ…!」
維心は気付いて避けようとしたが、炎嘉はもう何度目かなので、あっさり維心に口づけた。
「んんん~!」維心は、炎嘉をドンと突いた。「だからやめよと申すに!」
宴の席がシンとなっているのを感じたが、炎嘉は酔っているので気づいていないようだ。不貞腐れたように言った。
「何ぞ、いいではないか!初めてでもあるまいし!」
維心は、じたばたと腕を振って首も振った。
「うるさいわ!我は維月が良いと申しておろうが!」
檀上の焔、観、箔翔は完全に固まっている。志心は、案外に普通の顔をしていた。炎嘉は、それに気づいたのか、志心をじっと見て、言った。
「なんぞ、志心はまた美しいの。どれ主も。」
維心が、慌てて言った。
「志心!そやつはやるぞ!逃げよ!」
しかし、志心はそう焦ることも無く、炎嘉が口づけて来ても落ち着いていた。結構長く唇が合わさっていたが、それでも志心は別に避けようともしなかった。
炎嘉がハッとしたように唇を離すと、志心は落ち着いた目で炎嘉を見返した。
「…そうか、主はそっちもいけるということか。長い付き合いであるが、知らなんだわ。」
固まっていた焔が、横から我に返って、言った。
「何ぞ、炎嘉はそっちか。知らなんだ…先に知っておって良かったことよ。」
炎嘉は、急に眼が覚めたように座りなおすと、まるで憑き物が落ちたかのようにバタンとその場に転がって、そうして、いびきをかき始めた。
維心が、ホッとしたように恐る恐る炎嘉を覗き込んで、言った。
「こやつはもう!肝を冷やすわ。」と、びっくりしたままこちらを見ていた他の客達の方を見た。客達は、それに気付いて慌ててあちらを向く。維心は続けた。「こんな公衆の面前で。何をしよるのだ。」
観が、自分は関係ないとばかりに酒を煽っていたが、チラとこちらを見て、言った。
「よう落ち着いていられるものよ、志心殿。我なら思わず吹っ飛ばしてしもうたやもしれぬ。」
志心は、特に気にしていないという風に、頷いた。
「別に。我は男でもいけるからの。炎嘉のように華やかで美しければ別に何をされても気にならぬわ。自分から何かしようとは思わぬが、あちらから来るなら男でも別に我はいける。一応選びはするがな。」
それには、維心も焔も驚いた。志心は、両刀使いだったのか。
「知らなんだ。」維心は、思わず言った。「だが、炎嘉はそういうわけではないと思う。女が良いと常言うておったから。なのに我にこんなことをするのは、維月と我が常接しておるからぞ。これも寂しいのではないかと思うと、吹き飛ばす気にもなれぬし、最近困っておる。」
焔は、うーんと考えながらも、頷いた。
「まあなあ主はこれ見よがしに美しいし。我でももしかして主ならいけるやもと思うほどであるから、維月が絡むと炎嘉もつい、手を出してしまうのであろうな。だが、ほどほどにの。どちらがどちらか知らぬが、あまりやりすぎると、いろいろ…、」
維心は、慌てて首を振った。
「違う、我らはそんなことまでしておらぬわ!こやつは口づけて来るだけよ!男となど、どうやったらいいのか我も知らぬわ。」
志心が、脇から言った。
「主、知らぬのか?もしかして男の経験が無いのか。」
維心は、とんでもないとまた首を振った。
「無い!そもそも、我は維月以外とはそういったことをせぬのだ!」
焔が、顔をしかめて言った。
「我はある。女が良いならやめておいた方が良いわ。」
観が、頷いた。
「そうよな。あれは好みが分かれるところであるしな。我もあまり。」
みんなあるのか。
維心は、少しカルチャーショックを受けたが、そんなものかもしれない。炎嘉も前に、自分は男より女の方が良いようだ、と言っていたところを見ると、経験があるのだ。箔翔を見ると、箔翔はあちら側で、酒を飲むふりをしながらも、維心に首を振って見せた。良かった、箔翔も無いのだな。
「とにかく」と、維心は、話題を変えようといびきをかいて寝ている炎嘉を見た。「これを客間へ。志心、頼んでも良いか。」
志心は、頷いた。
「ああ、我が運んでおくゆえ。主らももう、疲れたであろう。部屋へ戻るが良い。」
そうして、ドタバタとした場はお開きとなった。
他の王達も、それを見てバラバラと、宛がわれた部屋へと向かって行ったのだった。
翠明も、皆が引き上げるのを見て、立ち上がった。
「ああ、もう戻るようよ。」と、肩をすくめた。「檀上に居らぬでよかったわ。炎嘉殿は両刀使いであったようよな。いくらなんでもあのかたにのしかかられたら、龍王でもあの様子であったのに、我ではひとたまりもないところよ。こちらに居って良かったわ。」
定佳が、苦笑した。
「いや、あの感じでは炎嘉殿は女が良いのだと思う。戯れにあのようになさったのであろうな。何しろ、上位の王達は皆美しいし、普段女が良いと言っている王達でも、酒が入れば惑いもする。我にはわかる。」
安芸が、それには感心したように言った。
「そんなものか。我には全く分からなんだわ。」
定佳は、頷きながら立ち上がった。
「我らは、相手をよう観察するからの。嫌われてはならぬし、相手がどんな好みを持っておるのか探るのにいつの間にか長けてしもうて。ちなみに、志心殿は両刀であるわ。見たらわかる。」
翠明は、目を丸くした。そうか、志心殿は両刀か。
「何がどう違うのか分からなんだが、先に聞いておいてよかったことよ。さ、では部屋へ戻ろう。本日は、いろいろと疲れた。定佳も、何か分からぬことがあれば遠慮なく聞いて参れ。東の作法は我でもまだ分からぬことがあるしな。妃の部屋など、自分から遠い所に指示しておけば、顔も見ずに済もうし。」
定佳は、微笑んで頷いた。
「ああ、聞いておかねばの。面倒だがあちらも心ならず参るのだし、せめて一人で不自由せぬようにしつらえてやるようにする。」
定佳はそう言って、もう吹っ切れているようだ。
翠明は、そんな定佳と、もうあきらめている安芸と、甲斐と共に、客間の方へと歩いて行ったのだった。