宴にて
宴は、白虎の宮の大理石造りの大広間で行われた。
いつも通りの面々で、檀上には維心、炎嘉、箔翔、志心、焔、観、翠明が居た。
最近では焔も出て来るようになっていて、箔翔に対する憤りは収まっているらしい。とは言っても、腹を立てていた事実は残るので、隣同士には座ってはいなかった。
並び順としたら、維心、炎嘉、志心、焔、観、翠明、箔翔という形になっていて、一応焔からは結構遠くへ座らせているのは、志心の思いやりのようだ。
宴も闌で、炎嘉も良い感じに酔って来ている中、隣の維心が炎嘉を突っついた。
「炎嘉。主、久しぶりに遊ぶのも良いが、目的を忘れてはおらぬか。」
炎嘉は、ハッと顔を上げて、維心を軽く睨んだ。
「忘れておらぬわ。」と、向こう側に座っている、翠明に言った。「翠明、定佳をここへ呼べ。」
翠明は、驚いたように炎嘉を見た。
「定佳を?いったい、どうかなさったか。」
炎嘉は、首を振った。
「いや、あれに命じることがあってな。とにかくここへ呼べ。」
炎嘉は、いくらか酔っているので、細かいところに気が利かないらしい。翠明は、仕方なく少し離れた所に固まっている、安芸と定佳、甲斐の方を見て、言った。
「定佳!」
定佳は、ハッとこちらを見た。そして、翠明が呼んでいるのを見て、立ち上がった。よく見ると、檀上の皆がこちらを見ている。安芸が、その様子に一緒に立ち上がろうとしながら言った。
「我も行こう。」
定佳は、手を出してそれを抑えた。
「いや、大丈夫ぞ。翠明が居るし。案ずるでないわ。」
定佳は、そう言ったが、甲斐も安芸も、不安そうな顔をした。ここの神達は、自分たちでは太刀打ちできない力の持ち主ばかりだ。確かに下位の者たちならばそれなりに対等に渡り合えるが、あの檀上に居る者たちは、論外だった。あまりの気の強さに、正視することすら憚れるほどなのだ。
だが、定佳は一人、翠明の前へと進み出た。
「何か御用か。」
定佳は、翠明に言う。翠明は、戸惑いがちに頷く。その様子から、翠明もなぜ定佳を呼ばされたのか知らないのだと直感した。すると、炎嘉が言った。
「定佳。主に話があっての。」定佳は、その場に立ち尽くしたまま、炎嘉の方を見た。炎嘉は、続けた。「座るが良い。」
定佳は、言われるままに座った。すると、炎嘉は酔っているようだったのに、真面目な顔になった。
「…我の世話をしている宮は多いのだが、そのうちの一つの宮が困っておってな。我も皇子が出来たばかり、他の皇女と婚姻など考えている暇がないので、侍女として宮に召しておったのだが、その父が困るようで…それで、考えたのだが、こちらの王達では血が近くなりすぎる。公青も奏を娶り、翠明は綾、安芸は凛とこちらの女神を娶っておって、ならば此度は、主にという話になったのだ。一斎の宮の、千歳という皇女。品が良く、今月の宮に学びに出ておるのだが、そちらへ嫁がせる。翠明の皇子を跡取りにと聞いておるが、それはそのままでも一人ぐらい妃が居った方が箔が付くだろうて。来月にはそちらへやるゆえ、左様心得てそちらも準備をの。」
定佳は、驚いて顔を上げた。翠明も、息を飲んだのが分かった。
「炎嘉殿。」翠明が、慌てて言った。「定佳は、妃を面倒だと思うておって…だからこそ、これからも迎えることは無いだろうと、我が皇子を跡継ぎにとあちらの宮へ入れることにしたのだ。ゆえ、どんな皇女でも迎えることはないかと思うのだが…。」
炎嘉は、首を振った。
「別に良いのだ。相手を支援する目的であるし、宮に置いておくだけで良いのよ。我らととなると、格の違いも大きいし、どうしても侍女などということになるしな。妃と侍女と比べると、妃の方が支援は多いし、父王も助かるのだ。ゆえ、妃として置いておいてくれたらそれで良い。そちらの宮では皆が東の女を妃にしておるのだから、定佳だけ無いと申すのもの。我でも良いのだが、我は最高位で…一人あのような格の妃を迎えたら、皆我も我もと我だけでなく最高位の王達皆に迷惑をかけてしまうからの。なので決めたことぞ。一斎にも、話は通してあるゆえ。」
もう、決まっていることなのだ。
定佳は、それを聞いて思った。だからといって、ここで断ってしまうことも出来ない。立場上、どうしても受けなければならないのだ。何より炎嘉は、そちらへ嫁がせる、と言い切った。これは、命じているのだ。
それを断ってしまうことは、今の定佳には、できなかった。
「は。」定佳は、頭を下げて言った。「仰せの通りに。」
「…定佳…。」
翠明が、心配げに言う。だが、定佳は皆に軽く会釈すると、また安芸と甲斐の方へと戻って行った。
険しい顔でそれを見送った炎嘉に、翠明は言った。
「確かに、妃の問題はどこの地でもあるものであるが、独身を貫いておる者に無理に縁付けるのはどういうことか。主だって、志心殿だって独身ではないのか。」
炎嘉は、翠明をチラと見た。
「知らぬくせに知った風なことを。志心はずっと独身であったわけではないわ。三人の妃が居ったが、これが老いぬから妃が先に死んだのよ。我は前世23人の妃が居って、二人は後宮を荒らすゆえ斬り殺した。今生は、下位の宮の皇女はもらわぬと決めておるのだ。此度炎月を産んだ母親も、本来なら宮に迎えるはずが迎えぬであろうが。そうして徹底しておるのよ。でなければ、我らには桁違いの数の女が妃に妃にと大変なことになる。たった一人ぐらい何ぞ。ならば主が娶れば良いではないか。娶ることで他の宮を支援するのも、力のある宮の責務ぞ。我らは、もう少し大きめの宮の皇女で支援が必要な者を妃に迎えねばならぬから、一斎の宮の皇女ぐらいなら主らに任せておきたいのだ。」
翠明は、ぐっと黙った。23人…。確かに最高位の宮に嫁げるものなら、そこへやりたいと支援が必要な宮の王なら思うだろう。それをすべて受け入れていたら、そんな数になってしまうと言っているのだ。
翠明は、そんな面倒が自分の所にまで来てはと懸念した。綾も、やっと落ち着いて後宮の争いの無い宮で穏やかに生活している。ここへ来て、それを乱すようなことにはしたくない。
「…少し、定佳と話をして参る。」
翠明は、そう言い置くと、頭を下げて定佳達の方へと、檀上から降りて行った。
定佳が心配して待っている安芸と甲斐の所へと戻ると、安芸が言った。
「どうであった?なんの話ぞ。」
定佳は、置いてあった自分の盃を手にしながら、何でもない風で答えた。
「我の婚姻の話ぞ。こちらの皇女を宮へ迎えよと。」
安芸と甲斐は、驚いた顔をした。安芸が、身を乗り出した。
「主、それを受けたのか?!妃を娶るのが嫌で翠明の皇子をもらうことにしたのではないのか。本当にそれで良いのか?」
定佳は、酒に口を付けながら、言った。
「良いも何も、もう決まっておるようでな。命じられたのよ。ならば受けぬなど言えぬはずはあるまいが。主らが東の女を娶っておるゆえ、我もとな。」
安芸は、声を落とした。
「だが…だが主は、娶るなどできぬのでは。我のようにどっちでも良いのなら構わぬが、主は…。」
定佳は、苦笑した。
「案じるな。宮に置いておけば良いということらしい。なんでも、支援が必要な宮のための設置なのだそうだ。別に、妃として置いておくだけなら良いのよ。その上で子をと言われるから、我は面倒なだけであって、一人ぐらい置いておいた方が、これからも断る口実が出来て良いのではないかと思うたわ。手を付けぬでもこちらの誰にも分からぬ。我は、それで良いと思うておるよ。」
すると、翠明が檀上から離れてこちらへやって来るのが見えた。急いでこちらへとやって来た翠明は、戸惑ったようにこちらを見る安芸と甲斐に、言った。
「…婚姻の話であった。定佳が独身で、我も安芸もこちらから妃を迎えておるからと。あちらはこちらの事情など知らぬのだから、しようのないことであるが…我とて、どうにかならぬかと申してみたが、あちらは断固として譲らぬ構え。なんでも炎嘉殿は、前世23人も妃を持っており、そのうちの二人を斬り殺した経緯があるそうな。もう、下位の宮から妃は娶らぬと決めておるのだそうだ。」
「23人と?!」さすがの安芸も、息を飲んだ。「そ、それは…確かに、想像もつかぬ数よ。」
甲斐も、同じように思ったのか怯えたようにしながら頷いた。定佳は、息をついて翠明を見た。
「そのような数、我だって迎えろと言われたらうんざりするわ。だが、一人だけであろう?今も言うておったのだが、宮に置いておくだけで良いのだから。手を付けぬでも良いではないか。臣下が子がどうのと申すから否なのであって、別にかかわらずで良いなら一人ぐらい居っても良いのだ。相手がそういうことを望むのなら気の毒だが、支援のために嫁ぐならむしろ、我が興味を示さぬ方が楽であろうて。主らが思うほど、我は気にしておらぬよ。案ずるでないわ。」
当の定佳にそう言われてしまうと、翠明には何も言えなかった。安芸が、がっくりと胡坐をかいて座ると、酒を煽った。
「…なんぞ。婚姻まで決められると申すか。東に関わったら碌なことがないわ。とは言うて…そうでなくば我もこのような立場では居れなんだであろうし。あきらめるよりないということか。」
定佳が、ふふんと笑った。
「主だって、東から誰か娶れと言われて、我らが渋っている時に、自分が決めていいなら娶ると申したのではないのか。今の妃がそれで来たのだろうが。主も決められて婚姻となったのだ。しようのないことよ。どこにどんな縁が転がっておるのか分からぬわな。」
翠明は、息をついてそこへと座り込んだ。
「我だって…最初、とんでもない女だと綾のことは面倒に思うておった。だが、接しておるうちに不憫に思うて…今では、あれほど出来た妃は居らぬと思うほど。分からぬものよ。」
安芸が、それには恨めし気に言った。
「主の妃は大当たりではないか。鷲の王妃であったから、あの気品ぞ。その上、あの美しさ。書は他に並ぶものはないのではないかと思うほど。性質さえ上手く扱えるなら、あれ以上はないわ。」
翠明は、大きなため息をついた。
「出来すぎておって最近では逆にこちらが卑屈になってしまうわ。あれは、非の打ちどころが無さすぎるのだ。」
定佳が、クックと笑った。
「それは嫌味だぞ、翠明。」
笑い声を漏らす定佳に、翠明は内心ほっとしていた。そうだ、置いておくだけで良いのなら、定佳だって相手をしなくて良いのだから心の負担にはならぬはず。
翠明は、それからは檀上へは戻らず、友達とそこでたわいもない話に花を咲かせたのだった。




