面倒
蒼は、結界外で不審な行動をしていたということで、女神を一人拘束している状態だった。尋問といって、特に事情を聴く程度のことしかできそうにない。
何しろ、維心にしたら大ごとかもしれないのだが、宮としてそう大したことではないのだ。結界内から蒼の許可なく出て行った千歳とかいう女も、その程度の罪しかない。
千歳ももう一人の女も、維月を妬んでいるだけで、特に大きな何かをしたとかいうことは無いのだ。
「そうはおっしゃいますが維心様。」蒼は、困って自分の居間で言った。目の前には、維心が憮然とした顔をして、維月の肩にしっかりと腕を回して座っている。「陰口を叩いたからと捕らえておっては宮が成り立ちませぬから。それに、あれらは別にまだ何も維月にやっておらぬのです。オレが何かするというわけにはいかないんです。」
維心は、それでも憤然として言った。
「我が宮ではそのようなことがあったら即、宮を出して酷い時には結界外へ放り出しておったわ。前世からぞ。ゆえ、今生だってそんなことは起こってはおらぬ。我が今こうして居る間も、我が宮の結界内は探っておるから、留守であってもあり得ぬのだぞ。それを、月の宮、こやつの里でなど。我が妃の扱いに対して正式に抗議しても良いのだぞ。」
蒼は、慌てて言った。
「もちろん、こちらの宮の者たちはそんなことはありませぬ。何しろ維月が生まれた時から知っておるからどんな命であるのかも知っておるし、碧黎様や十六夜をそば近くに見て慣れておるのです。ですが、やはり外から来るといろいろ普通でないと感じることもあるのでしょう。」
維心は、蒼を睨むように見ていたが、納得したようにうなずいた。
「ならばやはり炎嘉か。あれがすっかり呆けておったからこんなことに。維月の心に負担をかけるなど…好きで産んだのでもないのに!本来、責められるべきなのは陰の月ぞ。今の維月は、その性質に飲まれておらぬ普段の維月なのに。」
維月は、維心を見上げて申し訳なさげに言った。
「ですが維心様…その陰の月も私なのですわ。あれは神世の常識からは真っ当なことを言うておるのです。そう思うからと、責めることはできませぬから。それに、実害を被ったわけでもないのです。口を利かぬだけで、何か言うこともすることもありませんし…。」
維心は、ぐっと維月の肩を抱く手に力を入れると、首を振った。
「何かあってからでは遅いのだぞ!後宮がどういった所なのか主は知らぬからそんな風で居られるのだ。焔を見ても分かろうが。前世後宮が乱れて気が弱い妃は他の妃に貶められ心を病んで死んで逝ったのも一人や二人ではない。我には主しか居らぬから知らぬだろうが、ほかの宮ではようある話なのだぞ。もちろん、気立ての良い妃ばかりに恵まれる宮もあって、そういった場ではそんなことは起こらぬが、大概は王の采配でなんとか平穏に回しておるような状況よ。」
維月は、確かに侍女たちからもいろいろ聞いているので、そんなものなのだろうと思った。だが、本来の居場所は龍の宮であって、自分は四六時中あの、炎月の乳母や侍女と一緒に居るわけでもないので、仕方がないかと我慢しようと思っていたのだ。
「私は恵まれておるので…。宮へ帰れば何の問題も無いのですから、気にしておりませぬ。ですから維心様、ことを大きくなさらないでくださいませ。そうでなければ維心様のお怒りで神世に私が母なのだと周知されることになりかねませぬ。それは避けたいと思うておりますので…。」
維心は、歯ぎしりした。確かにそうなのだ。龍王である維心が騒ぐことで、なぜに維心が炎嘉にとなり、事が公になってしまう。神世には、もしかしてと思っている者も多いかもしれないが、公になっていなければ誰も何も言わない。不躾だと思われるからそういったことには誰も言及しないのだ。だが、公言されると面倒な噂に、維心も維月も、炎嘉も炎月まで晒されることになってしまうのだ。
「…仕方のない。ならば、とにかくは我が見張ることに。我が妃を不当に扱うなど許せることではないゆえ。乳母、侍女達は我が厳しく見ておこうぞ。」
蒼は、震え上がった。維心が常に睨みつけているような状態など、普通の神なら耐えられない。それどころか、病んでしまうかもしれない。
「そのような…私はそんな弱い女ではありませぬから。維心様…」
「ならぬ。」維心は、断定口調で言い切った。「我は決めたのだ。ではな、蒼。釈放するならすればよいわ。炎嘉に引き渡してあれに処分を任せよ。もう夜も更けたし、此度は我の対へ帰る。」
蒼は、とりあえずはほっとした。自分に沙汰を言い渡せと言われても、そんなことでどんな沙汰を言い渡したらいいのか皆目分からなかったからだ。
蒼が頭を下げる中、維心は維月を引きずるようにして、さっさとそこを出て行ったのだった。
炎嘉は、十六夜と十六夜の部屋に居た。
炎月が、その居間の椅子で炎嘉の膝に頭を乗せて眠っている。
炎月は、突然に恐ろしい顔をした維心が戻って来て、母を連れて何やら怒り狂っているような様で炎月にも構わず出て行ってしまったので、何事かと怯えてしまっていた。
しかし、すぐに十六夜が入って来てちょっといろいろあったんだとなだめ、そう言っている間に炎嘉が放心状態で戻って来て、そうしてその膝に取り付いて、しばし泣いていた。
炎嘉も、炎月の姿に我に返ってなだめて寝かせたが、それでも今は、頭も回って来て険しい顔をしていた。
十六夜は、その炎嘉の顔に何を考えているのか分からないので、ハラハラしながら見ていた。
結界内を見ていると、維心が蒼に文句を言いに維月を連れて行っているのが見えた。維心が怒るのも道理なのだが、しかし蒼が言っているように、維月の陰口を言っていた女達を罰する理由が蒼には無かった。
なので、維心から聞いていた千歳という侍女にも、まだ何も言ってはいなかった。
捕らえられた侍女はまだ牢に居るので、千歳は何が起こっているのかも知らないだろう。
十六夜は、維心が自分の対へと引き上げていくのを確認してから、口を開いた。
「…蒼は捕らえた女を釈放してお前に引き渡すことにしたみてぇだ。明日の朝にでも言って来るんじゃねぇか?何しろ、蒼には結界外で不審な動きをしていたってことしか、拘束する理由がねぇからよ。」
何かを考えていた炎嘉は、チラと十六夜を見て言った。
「…そうか。今夜ここへ泊ることにしておいて良かったことよ。明日も午前中は親子で過ごそうと思うて、呑気に時を作ってここへ参っておったので良かったわ。」
自嘲するような口調だ。十六夜は言った。
「あんまり事を大きくするなよ。それこそ維心にも維月にも迷惑が掛かるんだ。というか、炎月だってかわいそうなことになるだろうが。こいつのことを正式に跡継ぎにするのが無理な状況になるかもしれねぇ。わかるだろ?維心がそれを許すことが出来なくなるかもしれねぇって言ってるんだよ。」
炎嘉は、十六夜を睨んだが、その目には力が無かった。そうして、がっくりと肩の力を抜いて頭を垂れると、額に手を置いて、頷いた。
「…わかっておるわ。だからと言うて、他の誰かを娶ってそやつの子として告示することも、今の我には出来ぬ。前世のように、もう生きるつもりはないのだ。意識が違ってしもうておる…維月を知ってしもうたからな。我だって、本当に愛している女しか、今生は傍に置きとうないのよ。」
十六夜は、そんな炎嘉に同情したような顔をした。維心の友で側近くに居なければ、維月のことを深く知ることもなく、愛してしまうことも無かっただろうに。維月は、陰の月なのだ。それなのに人として生きた常識的な考えも併せ持ち、それがあの微妙な珍しい気を作り出している。一度その魅力に捕まれば、抜け出すのは難しいだろう。維月を愛した神達が、軒並み離れられなくなっているように。
十六夜は、長く息を吐いた。
「…維月も言ってたが、あいつが複数居たらいいのにな。そうしたらこんな風に、それで生き方が狂っちまう男も出て来ずに済むってのに。」
炎嘉は、しばらくそのままじっと下を向いていたが、炎月の寝顔へと視線を移した。そうして、その頭を撫でて、言った。
「維月に…これ以上、心労をかけることはできぬ。炎月を、誰にも文句を言われぬように宮へと入れるためには、我が妃を迎え、それの子として告示するのが一番面倒の無いことぞ。炎月のためにも…決断するしかないか。」
十六夜は、驚いて炎嘉を見た。
「なんだって?お前…でも今、それは出来ねぇって…。」
炎嘉は、険しい顔をした。
「炎月のためぞ。維月のためでもある。維心にも、面倒をかけるわけにはいかぬ。ならば我が、一人でも妃を娶って宮へ置いておけば良いのよ。さすれば、懸念はなくなる。なに、神の王にはようあることよ。我は前世、愛してもおらぬ妃を21人も抱えておった。それに比べたら、一人ぐらいなんぞ。律儀に通わずとも、宮に置いておけばそれでいい。どうせ飾りよ。」
十六夜は、そう言う炎嘉の顔に、それまでここへ来た時に見ていた、穏やかな様がなくなっているのを見て取った。炎嘉は、今打算で考える神の王の顔になっている。前世は、21人も妃が居ても、律儀に全てに通っていたのだと聞いている。妃にも心があるからと、そういったやさしさからだった。だからこそ、そんな妃達をきちんと世話していたのだろう。しかし、今の炎嘉からは、そういったやさしさなど、欠片も感じられなかった。
「お前…まさか、千歳を嫁にもらうとか言うんじゃ…。」
炎嘉は、それには首を振った。
「まさか。維月を蔭で貶めるような女、その望みを叶えてやろうなどと思わぬわ。だが、あれでなければ誰でも良い。どうせ置いておくだけの女。宮に来ておる縁談から適当に選ばせて宮へ入れておく。我にとり、誰でも同じよ。」
十六夜は、そんな炎嘉の様子に、なぜか危機感を感じた。
このままではいけない、と、十六夜は直感的に思った。




